●METライブビューイングでドニゼッティの「ランメルモールのルチア」。メアリー・ジマーマン演出。これは前にネトレプコ主演で上映されてたみたいなんだけど、そちらは見逃したので今回がはじめて。ナタリー・デセイのルチア、ジョセフ・カレーヤ(カレヤ)のエドガルド。カレーヤは前に新国立劇場の「愛の妙薬」でネモリーノを歌ってるのを聴いている。甘めの美声で本当に耳に心地よい。この日もデセイのルチアを食いかねないほどで、大喝采を浴びていた。まだ若いと思うけど、大スターになるのかも。できることなら、あと少し痩せてくれれば最高。
●デセイの「狂乱の場」はもちろん圧巻。ドニゼッティの悲劇のはずなのに悲劇性の希薄な(と感じるんだけど)音楽がずっと続いた後に、3幕でこんな異様な場面があらわれて、突如劇場の空気がガラリと変わる。こういうのって舞台ならではのおもしろさだよなあ。
●ルードヴィック・デジエのエンリーコも実に悪役らしくてすばらしい。これって幕間のインタビューでもデジエが示唆してたように、似たもの兄妹の話なんすよね。二人とも狂ってるんすよ。ただ一方は男に生まれ、もう一方はこの社会背景における「財産」として扱われる女性として生まれてしまったというだけで。
●でもそのジェンダーの部分に演出が焦点を当てすぎると、この物語の幻想性がスポイルされてしまう気もする。だって幽霊話だし。メアリー・ジマーマンの演出をどうたとえるべきか、なんかうまい一言があると思うんだが見つからない。3幕で、幽霊になったルチアを登場させるんすよね、ネトレプコのときもそうだったんだろうけど。幽霊ルチアがエドガルドにぴたりと添って、切腹を手伝ってくれちゃう。このジマーマンのセンスをどう感じるかってところで好みが分かれそう。それをやるんだったら、もっとやってもいいんじゃないか、とか。
●「ルチア」はオペラ的なお約束に立脚したオペラなので、リアリズム観点だと3幕でルチアが死ぬことについての説明がほしくなる。ルチアが発狂したのはわかったけどさ、どうして発狂すると翌日に死ぬことになるわけ? 死因はなんですか、ドクター、みたいなオペラ的謎の死。そしてエドガルドは切腹したのに、その後も朗々と歌い続ける。どこで呼吸してるのー!とか。しかしジマーマンがルチアの幽霊を登場させたところでワタシは気づいたんだけど、これは実は3幕に入った時点でエドガルドはすでに死んでいたと考えればいいんじゃないか。現実世界ではエドガルドはエンリーコと決闘をして死んでいる。そしてエドガルドは幽霊になって、ルチアの死を知る。ルチアの霊が見えるのはすでにエドガルドも幽霊だから。もう死んじゃってるので、腹を切っても平気で歌っていられるのにも説明が付く。そういうオチ。
●っていうか、それじゃジマーマンじゃなくてナイト・シャマランだろ!
April 15, 2011
METライブビューイング「ランメルモールのルチア」
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