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April 27, 2011

二期会「フィガロの結婚」ゲネプロ

二期会「フィガロの結婚」ゲネプロ●昨日は二期会の「フィガロの結婚」ゲネプロへ。宮本亜門演出、デニス・ラッセル・デイヴィス指揮東京フィルによる二期会創立60周年記念公演。本番は4/28,29,30,5/1(東京文化会館)。2002年の創立50周年記念公演で初演された宮本亜門演出が帰ってくる。関係ないのでたまたまだろうけど、音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」が開幕する頃に、その名の由来となった「ラ・フォル・ジュルネ(狂った一日)またはフィガロの結婚」が上演されるわけだ。
●稽古を見たにすぎないので、これが本番になってどんな風に生命力を吹き込まれるかは想像するしかないのだが、奇を衒うところのないオーソドックスな「フィガロの結婚」になるはず。今回の公演はチケット価格が通常公演に比べてかなり安価に設定されているので、オペラになじみの薄い人が初めて実演に接するのにも適している。なにしろモーツァルトの「フィガロの結婚」は超ウルトラ名作だから。オペラを聴かない人でも、モーツァルトが好きなら絶対に一度は観ておくべき。オペラの楽しさと困難さを両方味わえると思う。
●と言いつつ、久々に通して「フィガロ」を見て改めて思ったんだけど、この作品って音楽的には最強に強まって対聴衆的にフレンドリーな一方で、話の筋ってすごくわかりにくいっすよね。いろんな解説に「一日に起きる出来事」って書いてあるけど、ワタシはこれが一日の出来事とはぜんぜん思えないもの。時間軸が行方不明になってるみたいな感じがして。スタートは朝なの? あの二人は朝早くからベッドのサイズを部屋で確認してるわけ? こんなに一日に人の出入りがあって(結婚式まである)、みんなどんだけアクティブな人種なのよ。
●たぶん本来的にこの物語の「目玉」となるおもしろさは「人の入れ替わり」のはずじゃないですか。男が(ホントは女だけど)女の格好をする。奥様だと思ったら女中だった。女中だと思ったら奥様だった。クスクス……。でもこれが現代的視点だとおもしろくもなんともない。客席は「はぁ?声でわかるだろ」的な容赦ないリアリズムを捨てきれないので。そして本質的テーマである階級の対立も、今の時代なんらかの工夫なしではコンテクストが失われて伝わりにくい。ということで、エロス的側面を過剰に強調するという方法論が有効な選択肢として生き残るとは思うんだが(←宮本亜門演出はそうじゃないっすよ)、なんだかな、それもどこか気鬱な感じがしてしょうがない。じゃ、なんならいいのか。そう考えると「フィガロ」は最難関オペラのひとつって気がする。

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