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2011年5月アーカイブ

May 31, 2011

ベルリン・フィル2011/2012新シーズン・プログラム発表。

berlinerphilharmonie_stamp.gifベルリン・フィルが2011/2012新シーズン・プログラムを発表。公式サイトのカレンダーを見ればOK。ツアーの日程も含まれている。
●ざっと指揮者陣の顔ぶれを見るとラトル、アンドリス・ネルソンス、ビシュコフ、メータ、ハイティンク、パブロ・ヘラス=カサド(売出中32歳、来月Music TomorrowでN響を振る)、アーノンクール、イヴァン・フィッシャー、ラニクルズ、ニコラ・ルイゾッティ、バレンボイム(エルガーのゲロ夢)、トゥガン・ソヒエフ(ソキエフ)、ティーレマン、ドゥダメル(ヨーロッパ・コンサート、ウィーン&パリ公演も指揮)、アバド、ブロムシュテット、ヤンソンス、ヤニック・ネゼ=セガン、小澤征爾。見落としあったらスマソ。巨匠たちも健在だが、それ以上に新世代の台頭を感じる。
●全体にエルガーたくさんやるっぽい、詳しく見てないけど。あとはベリオ。でも意外とド名曲も多い?
●で、11月には日本公演の予定が掲載されている。11月22、23、24日で、指揮はもちろんラトル、演目はマーラーの交響曲第9番と、ブルックナーの交響曲第9番&細川俊夫のホルン協奏曲「開花の時」(シュテファン・ドール独奏)他。サントリーホール2公演はいいとして、もう1公演はミューザ川崎となっているのだが果たしてこれはどうなるのだろうか。
※追記(6/1) 公式サイト上で発表された上記日本公演の予定は、本日時点では削除されています。

May 29, 2011

バルセロナvsマンチェスター・ユナイテッド@チャンピオンズ・リーグ10/11決勝

●昨年からチャンピオンズ・リーグが現地土曜日開催になったおかげで、日曜日に結果バレせず録画を見れる(ら抜き)ようになった。その気になれば午前3時45分から生中継を見ることも可だった。地上波はフジテレビ。
FCバルセロナ●で、バルセロナvsマンチェスター・ユナイテッドという、史上もっとも美しいクラブ対世界でもっとも名誉あるクラブの対決。これは盛り上がる。会場はウェンブリー。ワタシは完全にバルセロナ寄りで見てしまう。先発はGK:ビクトル・バルデス-DF:ダニエウ・アウヴェス、ピケ、マスチェラーノ、アビダル-MF:ブスケツ、シャビ、イニエスタ-FW:ビジャ、メッシ、ペドロ。多くのビッグ・クラブが名選手を買い集めて補強する中で、このバルセロナの自前調達率はスゴい。バルセロナCから出発したペドロがここまで伸びるなんて。
●マンチェスター・ユナイテッドもパク・チソンが先発していて少し嬉しい。ライアン・ギグスもいる。いま何歳? ワタシがサッカー知った頃からいつもギグスはここにいるような気がする。ルーニーも元気。このチームの中では断然怖い存在。もうひとりのトップはハビエル・エルナンデス。びっくり。この人、昨年のワールドカップでメキシコ代表として出場してて、そのときに「来季マンチェスター・ユナイテッドへの移籍が決まっている選手」として紹介され、「へえ、知らないなあ」と思っていたら、もう翌年にはチャンピオンズ・リーグ決勝の先発メンバーっすよ。どんだけ見る目があるのか、ユナイテッドのスカウトは。
●試合のほとんどの時間帯はバルセロナがゲームを支配していたと思う。序盤こそはマンチェスター・ユナイテッドの守備の強さを感じたが、すぐにバルセロナのいつものウイイレ名人みたいな華麗なパス回しが始まり、前半27分にシャビのパスを受けたペドロがゴール。しかし前半34分にルーニーがギグスとのコンビから同点ゴール。これで流れが変わるかと心配したが、試合全体のトーンは変わらないまま後半9分にメッシ、後半24分にビジャが決めて3-1。メッシはスーパーなプレイを当たり前のように連発する。完勝。アレックス・ファーガソンに「今までわれわれをここまで叩きのめした相手はいなかった」と言わせた。ラブリー。
●現在のバルセロナ以上に美しく勝つチームを想像できない。美しいけど勝負弱かった時代から、少しずつチームを熟成させて、グアルディオラ監督になって98%、99%、100%と完成の域に達した。たぶん今が人類史上最高。だから、あとは落ちるだけだと思う。世代交代にも完璧に成功しているけど、でもきっと来季からチームは軋みだす。だって、これ以上、上に目標がないもの。盛者必衰。
●メッシはマラドーナも含めて過去に見たどんな選手よりもうまい。史上最高選手を3人選べって言われたら、メッシ、ジダン、マラドーナ。でも神話性を考慮するとマラドーナ、ロナウド(もちろんブラジルの)、ジダンかなあ? ロナウジーニョはある時期は最強だったが、その時期が短すぎた。ファン・バステンはありうる選択。クライフは選手というより監督や放言オヤジとしての印象強すぎ。ペレ? 見てないから。

May 27, 2011

映画「プッチーニの愛人」(パオロ・ベンヴェヌーティ監督)

プッチーニの愛人
●プレス試写で映画「プッチーニの愛人」(パオロ・ベンヴェヌーティ監督)。いやあ、こんな映画だったとは。今年はクラシック音楽映画の当たり年で、これまでにも「ショパン 愛と哀しみの旋律」「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」「マーラー 君に捧げるアダージョ」をご紹介しているが、最後に真打ち登場といったところか。映画作品としての完成度という点では、4作で断トツだと思う。
●映画の題材となっているのは「ドーリア・マンフレーディ事件」。一般に知られる史実を簡単に振り返っておくと、オペラ「西部の娘」を作曲中に、プッチーニ家の女中ドーリア・マンフレーディが、プッチーニの妻エルヴィーラに夫との関係を疑われたことがきっかけで毒薬を飲んで自殺してしまうという悲劇的な事件である。嫉妬深いエルヴィーラはドーリアを執拗にいじめ抜き死へと追い込んだ。死後、検死によりドーリアの潔白が証明されたという……。
●まるでプッチーニのオペラの中の出来事のような話だ。ワタシは漠然とロマンス要素の多い映画を予想していたのだが、これが全然違っていた。なにしろこの映画、台詞というものがほとんどない! もっぱら映像で物語を描く。そして、その映像美が圧巻。景勝地トッレ・デル・ラーゴが美しいということももちろんあるが、自然の風景の美しさがそのまま美しいのではなく、一つ一つのカットが計算高くデザインされているという意味での美しさ。台詞がないだけではなく、音楽もごくわずか。物語性すら稀薄。その代わり、目を見張るような映像が次々とあらわれる。すばらしい。画面は4対3。
●なので、賢明にもプッチーニの名アリアが全編に流れる、みたいなことにはなっていない。その代わり、「西部の娘」を作曲中のプッチーニがピアノに向かっている場面はいくつもある。これがいいんだな。ピアノで弾かれる「西部の娘」は(物語が剥ぎとられると)ずいぶん斬新に響く。究極の人工物のような音楽と風光明媚なトッレ・デル・ラーゴが鮮やかな対比を作る。ちなみにプッチーニ役の人は本当にピアノが達者な人。役者じゃなくて本業は音楽家なんだとか。道理で。
●なお、この映画には余計な説明がない。プッチーニが「ミニーとジョンソンが……(ぶつぶつ)」とか独り言をつぶやくとき、それが「西部の娘」の登場人物の名前だということを見る側がわかってあげる方式。
●あ、あと最後にこの映画のいいところをもう一つ。ドーリア・マンフレーディがぜんぜん美少女じゃない。かわいくもない。むしろ、いい子なのに見ていると無性にイジメたくなるタイプの女の子。よもやエルヴィーラの気持ちに共感できようとは(笑)。いるよね、こういうイジメ誘発型タイプの子。慧眼。

「プッチーニの愛人」/6月18日(土)より東京・シネマート新宿、7月2日(土)より大阪・シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー/配給:エスピーオー/宣伝:マジックアワー/原題:Puccini e la fanciulla/photo © Arsenali Medicei S.r.l.2008
May 26, 2011

ケント・ナガノ、青学オケを振る

●なんと、ケント・ナガノが東日本大震災復興支援チャリティ・コンサートとして、青山学院管弦楽団を指揮する。6/5(日) 、青山学院講堂でドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」他。世界的指揮者が学生オケを指揮するという例はこれまでもなくはなかったと思うが、チャリティとして指揮者側から要望されるのは稀有では。入場料は1500円、学生オケだから。本日よりチケット発売。


●謎のノリ。日本レコード協会 キャンペーン“LOVE MUSIC”「著作権法30条1項3号読上げコンテスト」。「著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者(もの)が複製することができる」とかいうあの条文を「個性豊かに読み上げているご自身の映像を募集」という企画。最優秀作品は同協会サイトで半年間公開されるという。なんかモンティパイソンのワンコーナーみたいな話なんだが……。

May 25, 2011

ヴロンスキー/読響、佐渡裕/ベルリン・フィル情報

グスタフ・マーラー●23日(月)はペトル・ヴロンスキー指揮読売日響定期公演へ(サントリーホール)。凄まじいマーラーの交響曲第5番だった。極太マジック握って筆圧200%くらいで描いたような濃厚なマーラーで、ホールの空間が大音響で飽和した。遅いテンポで粘りながら巨大な音楽を作る。客席はすごくわいていた。猛毒注意。今でもこんなマーラーがあるんだ……。ヴロンスキ-は1946年、プラハ生まれ。ズデニェク・マーツァルの代役で24年ぶりに読響に登場したというんだけど、それでこれだけ自分の色に染め上げてしまうんだからスゴい。第3楽章はオブリガート・ホルンを後ろで立たせる方式(たまたま少し前にベルリン・フィルのDCHでこの曲を観たんだけど、そのときはラトルがドールを指揮者の横に立たせていた。あれは違和感があってなじめないなあ)。ヴロンスキ-のはレントラーなどという優雅なものでは到底なかったが。
●そういえばベルリン・フィル、DCHで先日の佐渡裕指揮の武満&ショスタコーヴィチ公演が本日20時以降にアーカイブで公開されるそうなので、早く見たいという方はどうぞ。24時間チケット9.90ユーロがいちばんお手軽だが、どうせなら30日チケットとかで他の公演も楽しむのが吉。佐渡さんの公演だけでいいのなら、6月11日(土)のNHK BSプレミアムシアターで放映されるので、それまで待てばいいわけだし。

May 24, 2011

横河武蔵野FC対栃木ウーヴァFC

武蔵野陸上競技場●サッカーでいちばん見たくない試合はなにかといえば、それはゴールキーパーのありえないような(でも割りとある)ミスで決まった0-1だ。さわやかな初夏の日曜日、その0-1を武蔵野陸上競技場で観戦してしまった。どんな名手でも、やるときはやってしまう、キーパーは。ワールドカップでだってある。客席でできることがあるとすれば、沈黙するか、ため息をつくかくらい。横河武蔵野FC 0-1 栃木ウーヴァ。観客600名。
●ほとんどの時間帯、武蔵野はゲームを支配していた。武蔵野はつい数シーズン前にはリーグ準優勝を果たしたほどのJFLの強豪チーム(アマチュアだが)。しかし今季は低迷して、上よりも下が気になる順位に甘んじている。節電のため練習時間が限られていることが影響しているのかもしれない。
●久々の武蔵野陸上競技場だったが、武蔵野はポゼッション・サッカーを目指していた。テクニックのある10番高松が中盤の王様に君臨し、創造性あふれるプレイを見せ、いくつもチャンスを作った。でもシュートが遠い。なんだろうな、強かった頃は守備力で競り勝つリアクション・サッカーで「見て楽しい」にはほど遠かったんだが、高松が入ると見て楽しくて、そして弱い。一度なんて(リードされてて)カウンターのチャンスが巡ってきて、3対3だったかな、高松が中央でボールを持って、両サイドに味方選手が上がっている、どちらに出しても決定機を作れるかもという場面で、なんと、彼は目の前のディフェンダーに向かって悠然とまたぎドリブルで抜きにかかったんである。さすがに呆れて叫んでしまった。「いいからっ!」。もうそれ、いいから。いつの時代のサッカーですか。ボールを二度三度と華麗にまたいでいる間に敵の陣形は整い、チャンスは潰れた。やれやれ。
●しかし断言できるのだが、もし次に見に行った試合で高松が先発してなかったとしたら、ワタシは心底がっかりする。他に誰を見ろと?

May 23, 2011

週末オレ音楽祭開催

●先週末は金、土、日の3日間に演奏会4つとサッカー観戦1試合を詰め込んで、勝手に自分フェスティバル状態。たまたま予定が全部重なったから。LFJが縮小開催だったことの反動が今頃来たと仮定してみたくなってが、どう考えても偶然。
●20日(金)は白寿ホールへ。「あなたは聴きますか、眠りますか、それとも……」という挑発的なキャッチが印象的なリクライニング・コンサート・シリーズで、若林顕のピアノによるラフマニノフ・プロ。コレッリの主題による変奏曲、10の前奏曲op.23他。自分にとってはやや縁遠い音楽なので(ラフマニノフが)、濃厚なロマンティシズムと圧巻のヴィルトゥオジティを新鮮な気分で堪能。昼の休憩なし短時間公演ってすごく贅沢。あと、ここは場所が贅沢。このホールには原宿駅から代々木公園を通って歩いて行くのが断然いい。今、代々木公園の薔薇園が見事に咲き誇っている。くらくらするような薔薇の香りがあたりに立ち込めていて、この強く甘い芳香は、もちろんこれから聴くラフマニノフを予告していたわけだ。いやそんなわけない。でもそう(どっちなんだ)。帰りも薔薇園を通った、もちろん。
●20日(金)夜はすみだトリフォニーでアルミンク指揮新日本フィル。久々の定期、そして新国「ばらの騎士」キャンセルをしたアルミンクが来日。で、アルミンクにまつわる物語が今たくさんありすぎるんだが、それに触れようとすると元気がなくなるので全部スルー。新日フィルの演奏はすばらしかった。ブラームスの二重協奏曲(ソリスト二人とも変更あり。タチアナ・ヴァシリエヴァとアリッサ・マルグルス)での深い響きも美しかったし、感動的なマルティヌーの交響曲第3番(1945)を聴けたのも嬉しい(昨年の都響は聴けず)。この悲劇的な作品は追悼の音楽、祈りの音楽であるにちがいなく、偶然だがこれが震災後の演目になっていたという巡りあわせに感慨を覚える。マルティヌーはあまりに多作家すぎて焦点を合わせにくいと思ってたけど、今後少なくとも交響曲作家としての注目度はどんどん高まっていくんじゃないだろうか。
●21日(土)は昼にJFLの横河武蔵野FCの試合をご近所観戦して、夜はオーチャードホールでレ・フレール公演へ。3rdアルバム発売記念ライブPIANO SPATIAL in TOKYO。今回のツアー・パンフレットに原稿を書かせていただいたご縁あり。ニューアルバムPIANO SPATIALに収録された曲目が中心で、ブギウギもあればハードロック調の曲もあれば抒情的な作品もあるという多彩な内容。彼らの曲はピアノ・デュオだからできるという作品が多いんすよね。片手でピアノの弦を押さえて音色を変化させるミュート奏法を多用するのも、デュオだからいろんな可能性が広がる(1本使ってもまだ3本残る!)。デュオならではの音の厚みはとても豊かでゴージャスなものだし(ピアノは常にベーゼンドルファー・インペリアルを使う)、ステージ上と客席とのコミュニケーションも自然体でうまい。いや、うまいというか、レ・フレールから「いい人オーラ」が発散されて、あたたかい雰囲気が自然と醸成される。ちなみに0歳児から入場可。家族連れも少なくない。乳幼児はもちろんずっと静かにはしていられない。でも、なんの問題も感じなかった。これはきっとレ・フレールだから。
●22日(日)は所沢ミューズでピョートル・アンデルシェフスキのリサイタル。前日のサントリーホール公演では開演前に特殊な演出があったそうだが、所沢公演はノーマル。演目も少し違ってオール・バッハ。イギリス組曲第5番ホ短調、フランス組曲第5番ト長調、休憩後にイギリス組曲第6番ニ短調というやや短いプログラム。これはもう最強に強まってた。精緻で洗練されていて、情感豊かで、快活で、鬱屈してて、シリアスで、チャーミングで、躍動感にあふれ、静かで、みずみずしい。現存するピアニストからこれ以上のバッハを聴けるという可能性を想像できない。聴いていて、毎秒毎秒演奏会が終わりに近づいていくということが悲しくてしょうがなかった。アンコールも弾いてくれたですよ、シューマンの「森の情景」から「孤独な花」「宿」「別れ」の3曲。「別れ」を弾いたらそりゃもうオシマイってことなわけだけど、でも「2周目」やってほしかったな、もう一回最初のイギリス組曲第5番から(←ムチャクチャな要望だ)。永遠に終わるな、と念じたが、終わった。
●ちなみに大ホールの公演だったこともあり、客席は3分の1も埋まっていなかったと思う。2500円(LFJ並みじゃないか)で最高のピアニストを聴けたのに。一瞬、所沢はどうなってるのか、市の文化振興事業団はちゃんと宣伝したのかと思ったが、たぶんそれはまちがってて、お客さんの集中度はものすごく高くて、みんな固唾を呑んで聴いているのが伝わってきた。アンデルシェフスキを聴きたいって思ってる人だけが集まって、とても熱心な、アーティストを歓迎し敬愛する空気が生まれていた。関心のない人で無理に客席埋めるより、このほうが正しいのかも。公共のリソースの使い方として。

May 20, 2011

メインPC帰還

●修理に出していたデスクトップPCが帰ってきた。ウチのメインマシンなんだが、冬の終わり頃からときどき異音を発するようになった。たまにクァクァクァクァクァ……と音が鳴る。最初はエアコンから音が出てると錯覚してたんだが、あるときエアコンを止めていても鳴るのに気がつき、確かめてみるとPCの筐体から音が出ているではないか。なんかこれ、もうすぐ壊れますよサインみたいでヤだなーと思っていた。
●で、気にせず使い続けていると、そのうち立ち上げるたびに異音が間欠的に発生するようになった。そう大きな音がするわけではないのだが、気になる。クァクァクァクァクァ……とか、フインフインフインフイン……とか。これはワタシのPCに対する愛情が稀薄すぎるからではないか。そう考えて、本体ケースを開けて内側に積もったホコリを綿棒で掃除し、さらにエアダスターでホコリを吹き上げ掃除機で吸い込み、さらには元気をつけてもらおうとメモリを1Gバイト増設した。おかげでマシンの快適度は大きく上昇したのだが、異音は収まらない。
●愛情表現が通用しなかったので、より即物的な方法に頼ろうと、ふたたびケースを開けて観察した結果、電源ユニット内から異音が発生していることがわかった。たぶん、電源ユニット内のファンがくたびれている。これを交換すればいいのだが電源ユニットの中を開けるのは工作が苦手な非自作派には荷が重い。じゃあこの際、電源ユニットごと交換すればいいのでは。いったんはそう思ったが、電源だからいっぱいケーブルが出てるじゃないすか、各部に電気供給するために。これを全部はずしたり、つないだりするのはめんどくさい。
●で、思い切って修理に出したんである。これって故障といえるのかどうか微妙だなーと思いつつも、無料保証期間は終わってたので遠慮なく。三日ほどして帰ってきたマシンは、期待通り、電源ユニットごと交換されていた。起動してみるとびっくりするほど静か。そういえば新品のときはこんな感じだったっけ。PCって使ってるとだんだんうるさくなるんすね。電源そのものもPCの壊れやすい場所だから、これを交換したことでマシンの寿命も延びてくれたんじゃないかと期待。

May 18, 2011

METライブビューイング「カプリッチョ」

シュトラウス●昨晩はMETライブビューイング「カプリッチョ」へ。ウルトラ・ハイコンテクストな自己言及オペラ、メタオペラ。R・シュトラウスが1941年に作った最後のオペラは、あらゆる楽屋オチ的な笑いと洗練されすぎた老人の音楽に満ちあふれている。物語らしい物語はない(登場人物もそう言っているように)。伯爵夫人マドレーヌ(ルネ・フレミング)をめぐって、作曲家フラマンと詩人オリヴィエが恋のさやあてをするという構図に、舞台芸術における音楽と言葉のどちらが優位かという議論を重ね合わせる。グルックの話題が出るとオーケストラが「タウリスのイフィゲニア」を奏でるといったように引用満載、仕掛けが多すぎてどこまで受け止めることができているんだか。若い作曲家と詩人はそれぞれ伯爵夫人に愛を告白する。しかし伯爵夫人はどちらか一人に決められない、いったい音楽と言葉のどちらを選べばいいのか。恋と芸術論のバトルは、兄伯爵と劇場支配人ラ・ローシュを巻き込んで、新しい提案を生み出す。だったらキミたち、作曲家と詩人なんだから力を合わせてオペラを作ったらどうだろう、題材は……そう、今まさに起きている今日この日のことをオペラにしてみたまえ! つまり、客席のワタシたちはそうやって出来上がったオペラを鑑賞しているのだ。という意味でメタオペラ。
●そもそもオペラってどうよ。兄伯爵の問いかけはワタシたちが抱く疑問そのもの。「言葉なんていいよ、どうせ聞き取れないんだから」「レチタティーヴォってなにあれ、つまんないよね」。女優クレーロンはいう、「あたしは平気よ、死にながら歌ってても」。ハハハ……。そして、さあ目と耳を楽しませようと唐突にバレエとイタリア人歌手の余興がさしはさまれるというオペラのセルフ・パロディ。これが実に笑える。特にイタリア人歌手の男女が大見得を切りながらイタリア的歌唱をこれでもかと戯画的に繰り広げる場面は、ジョン・コックスのわかりやすい演出もあって抱腹絶倒。オペラの伝統へのパロディであると同時に、この唐突な娯楽的挿入はまさにシュトラウス本人が「ばらの騎士」で鮮やかな成功を収めている方法そのものなわけで、二重にパロディになっていてますますおかしい。
●劇場支配人ラ・ローシュの人物像、好きだなあ。オレの偉大な出し物を見ろといって繰り出すのは大時代的な古めかしい題材。やれやれ。若い作曲家と詩人は彼をとことんおちょくる、なんという化石的芸術観。しかしラ・ローシュは古風な人物なりの言い草で若者たちをたしなめる。おまえらまだ青二才、あそことここがまだまだなっておらん(若者はしゅんとする)、オレは偉大なる伝統を作ってきたのだ、時代を代表する作品を作ってみろ。でも、いざオペラを作るとなると、くどくどとわかりきった忠告を若者にしてしまう(年取るとみんなそうなる)。その忠告の一つに「オケを厚くしすぎると歌が聞こえなくなる」とかあるのがまたおかしい。それ自分で言うか、シュトラウス。で、ラ・ローシュは自分がオペラの登場人物になるとなったら、つまらない自尊心を抑え切れずに、「オレが舞台から去る場面は印象に残るカッコいいものにしろよ」的なことを言うんだが、そう言ってる矢先にジミ~に舞台から追い出されてしまうという趣向になってて、これも気が利いている(メトのお客さんも笑い声をあげた)。
●以前にもルネ・フレミングがこの役を歌った映像を見た記憶があるんだが、あれはどこの舞台だったっけな……。ルネ・フレミングでさえ少しずつ年をとるのだな。この日、主役は声のコンディションがよくなかった。中継だから編集もできない。でも客席からは大ブラボーだったが。指揮はアンドリュー・デイヴィス。いちばんおしまいのところ、お客さんの拍手がうっかりフライングで出てしまった。たまたまそうなったんだろうけど、それすら仕組まれたセルフ・パロディのように錯覚してしまう。シュトラウスは「私は自分自身より長生きした」って言ったんだっけ。オペラ追悼。一幕による美しすぎる弔い。

May 17, 2011

名曲・名演の違いを探る本

南米選手権、日本が辞退伝える。いったん海外組で出場できそうな気配だったけど、結局は断念。選手の立場を考えるとむしろ安堵。次の機会に、Jリーグを休んで国内組代表で参加してほしい。
名曲・名演の違いを探る●「名曲・名演の違いを探る!! CDでわかるクラシック入門」(広上淳一監修/ナツメ社)。これは良書。「図解でわかる」ことと付録CDの「音でわかる」ことに特徴がある解説書で、内容的には相当に突っ込んでいて、初心者向けではなく、むしろある程度よく知っている人向け。とてもためになる。ベートーヴェンの「運命」を題材に、カラヤンの古い録音とノリントンの古楽器オーケストラの演奏を聴き比べようというところからスタートする。「運命」一曲について100ページ近くを費やして解説するというところがスゴい。第1楽章で運命の動機が全502小節中299小節で登場するとか、第2楽章210小節以降のオーボエの複前打音を2拍目ちょうどに吹くかその前に吹くかとか、速度標語とメトロノーム記号の関係とか、それくらい突っ込む。図やイラストが豊富で本文2色刷り。
●広上淳一氏は「監修」であって、構成・執筆には早川元啓氏(別名早川きょーじゅ。「おしゃべりヴァイオリニスト」としても活躍中)をはじめとする執筆者の方々が携わっている。各ページのテーマ設定から図解の工夫まで、ありえないほどの労作。敬服するしか。

May 16, 2011

ルネ・フレミングの司会術

カルガモ
●METライブ・ビューイングを見てて気がついたんだけど、ルネ・フレミングって歌手とは思えないくらい司会がうまいじゃないすか。で、一つなるほどなと思ったのは、Aさんにインタビューしてて、そこから次のBさんの話へと移るときに、間を置かない。間髪いれず次に行く。
●普通だったらこうなりそうじゃないですか。「……なるほど、オペラの舞台裏ではいろんなことが起きてるんですね、とても興味深かったです。ありがとうございました。さて、続いては衣裳についてお話をうかがいましょう。METで衣裳を担当している方をご紹介します……」的な、前置きとかつなぎ成分がナチュラルに入ってきそうなものなのに、ルネ・フレミングはスパッと行くんすよ。「……舞台裏ではいろんなことが起きています。ハーイ、ジャック、それは誰の衣裳?」。この「ハーイ」でさっきまで主役だった人が一瞬にしてカメラのフレームから消えて(ささっと脇によけていく感じが少々寂しい)、ルネ・フレミングはもう次のゲストと向き合っている。この潔すぎるテレビ的展開に完璧対応しているのが、ルネ・フレミング。
●上の写真は近所の池で撮ったカルガモだ。別にカルガモがルネ・フレミングっぽいってわけじゃなくて、特に何の関連もなく載せてみた。だって、かわいいから。

May 13, 2011

レバンテvsバルセロナ。バルサの3連覇

FCバルセロナ●今季のスペイン・リーグ、バルセロナのリーグ優勝は決まったようなもの。でも一応優勝決定の試合くらいはテレビで観ておきたい……と思っていたら、なんと、今週は平日の試合があったため(不覚にもノーマーク)、11日(水)に優勝が決まってしまった。いきなりYahoo!かなにかでネタバレして「えっ!?」っていう感じ。
●しょうがない、じゃあ録画だけでも。スコアまでは知らないままレバンテvsバルセロナ戦を再生して、すぐにこう思った。「あ、これは0-0で終わる試合だな」。バルセロナは引分け以上で優勝決定。一方ホームのレバンテはまだ残留が決定してない。つまり無言の交渉が成立して0-0で終わりそうなもんである。
●いや、そうは言ってもサッカーじゃ、そう都合よくことが運ぶとは限らない。お互いにリスクを冒さずプレイしてても、攻撃の選手はチャンスになると本能的にゴールを目指してしまうだろう。コーナーキックなんてどう蹴っても入るときは入ってしまう。守備の選手もミスするときはする。観戦者が勝手に「これは0-0で終わる試合」と断じても、実際には試合の中には紙一重でゴールになったりならなかったりする惜しいプレイがいくつも詰まっている。それなのに、0-0で終わるべき試合がたいてい0-0で終わるのはサッカー界の不思議だ。
●とか考えながら、期待通りの退屈な試合を適当に早送りしながら再生していると、なんと、ゴールが入ってしまった! 前半28分バルセロナ先制。これが少しおかしなシーンだった。フリーランニングでゴール前に走りこんだセイドゥ・ケイタをめがけて、メッシが縦にパスを放り込んだ。こういうのは横からクロスを入れるとゴールになりやすいが、縦方向に入れてもよほどドンピシャでパスが合わない限りチャンスにならない(縦パスならディフェンスは相手選手とボールの両方を視野に収められるので)。ところが、その「ドンピシャ」が起きた。セイドゥ・ケイタがヘディングすると、そのまままっすぐボールはゴールに入ってしまった。このときのセイドゥ・ケイタの表情がおもしろい。喜びもせず無表情で「んん……?」って顔をしたんである(笑)。味方選手が駆け寄ってきたら笑顔を見せたけど。
●前半41分に次の見せ場?が来た。バルセロナの守備の場面。ピケが自陣に向かってボールを追いかけながら、なんでもないようなところでスカッとボールを蹴り損なってしまい、これをカイセドに拾われて失点。1-1の同点になった。なぜか安堵する自分。謎。
●後半、ますます試合は停滞し、後半の後半くらいからはただ時計の針を進めるだけのプレイがほとんどになった。笛が鳴って、両者欲しかった勝点1を無事手に入れることができた。試合が退屈極まりなかったとしても、どちらのサポーターも満足したはず。「もし、あそこでピケがチョンボしなかったらどうなったんすかねー」とか、余計なことを考えてはいけない。フットボール的展開とはそういうもの。ただ、筋書きを書いているのが神様なのか人間なのか、ワタシもよく知らない。

May 12, 2011

METライブビューイング「オリー伯爵」

METライブビューイングでロッシーニの「オリー伯爵」。初めて観る演目だが、これは文句なしにすばらしい舞台。これまでに観たMETライブビューイングの中でも一、ニを争う満足度の高さ。フアン・ディエゴ・フローレス、ダムラウ、ディドナートという歌手陣は信じられないような見事な歌唱を聴かせてくれるし、バートレット・シアーの演出は才気にあふれてて本気で笑えるし、衣装はどれもこれもかわいいし、オケはいつものようにうまいし、話は際どいし(第2幕、あんな展開になるなんて)、コメディとして完璧。世の中、こんなに美しくて愉快なものはそうそうない。
●幕が開けてすぐ、色男のオリー伯爵が隠者に扮して登場するんだけど、こんなに甘い声で歌う隠者がどこにいる。フアン・ディエゴ・フローレスの扮装だけでもおかしい。ダムラウは歌は最高だろうけど容貌的にどうなのかなと思ったら、なんかかわいいんすよね、キャラが。幕間インタビューでダムラウとディドナート(小姓役)が仲睦まじくというか、イチャイチャしてる(!?)雰囲気とか妙にドキッとする。女同士なのに。いや、ラストシーンはそんなもんじゃ済まないんだが。
●オペラで「笑い」をとるには、歌がスゴいってのが一番の近道かも。痛快だから笑える。あと、これはワタシだけかもしれないんだけど、喜劇は笑ったもの勝ちだけど、悲劇は泣いたもの負けって気がする。
●フローレスはこの日、子供が誕生したって言うんすよ。前夜一睡もしてなくて、開演30分前に赤ちゃんが生まれて、それからダッシュで劇場に駆けつけた、と。で、それが自宅で水中出産だったっとか。なんか、ニューヨークのセレブ!って感じがするよなー、知らんけど。

May 11, 2011

「勤めないという生き方」(森健 著)

勤めないという生き方●会社に勤めるのではなく、個人としてあるいは法人を作って独立して仕事をする人たち。そんな人たちがどういう背景を持ち、どうやって独立に至り、どんな価値観で生きているのか。13人にがっつりと取材したのがこの本。「勤めないという生き方」(森健著/メディアファクトリー)。ワタシはこれを一読した後、今、2周目を読んでいる。
●登場する人々の仕事はさまざま。会社を辞めて、職人として生きる。町おこしをする。ネットショップを作る。農業を始める。NPO法人を作る。本の帯に「会社をはなれて見つけた自分らしい働き方!」とあるのだが、なんというか、実際には「自分らしく」なんていうキーワードは空々しいものだ。この本に登場する人も、ワタシの周囲で勤めないで仕事をしている人も(ワタシ自身もそうなんだけど)、自分らしさを追い求めている人はどちらかというと少数派で、「成り行きでそうなった」とか「止むに止まれずそれしかなくてそうなった」みたいな人が多いんじゃないかな。
●本書だと、たとえば革職人の木下氏の例。学生時代はラガーマンで漠然とプログラマーの仕事をイメージしていた(がPCには触ってもいない)のが、たまたま地元に工場があった皮革製品を作る会社に就職する。仕事はおもしろかったが景気が低迷して給料がカットされ、これじゃ食っていけないと会計事務所に転職。で、そこは安定していたんだけど、知人が立ち上げた新会社がよさそうでそちらへ移ると、当てが外れて窮乏生活へ。借金まで負う。昔の勤め先の革製品の工場へ営業に行ったら「お前はなにをやってるんだ?」と恩師に諭され、もう自分でできることをやるしかない、自分で作って自分で売ろうと革財布を作ってヤフオクに出品したところから仕事が回りだして、今は革職人として成功を収めている。傍から見るとすごく回り道をしてるようなんだけど、本人は「迷い道も含め、すべて必要な道程だった」って語ってるんすよね。
●これって「もっと自分らしく!」ってのとは違うじゃないすか。割りとみんなそう。長年そこを目指してやってきましたって人より、「会社で行きづまって」みたいなネガティブ動機のほうがよくある現実だろう。
●この本はただの成功体験記になってないところがいい。自慢話をしている人がいない。これもよくわかる。もう引退年齢になるとみんな自慢話になりがちなんだけど(ゴールした後ならいくらでもカッコいいこと言えるから)、現役バリバリ年齢だと「今はうまく行ってても、いつまでもそうとは限らないし、仕事は山あり谷あり」ってのをまちがいなく肝に銘じているはずで、順風満帆に見える人もいれば、うーん、この後はどうするのかな?って人も登場する。リアルだ。一人一人がみんな違う事情や人生観を持っているからひとくくりにするのは難しいんだけど、「しかるべきタイミングでの偶然の出会い」が決定的な役割を果たした人は多いんじゃないかと思う。

May 10, 2011

EUフィルムデーズ2011

eufilmdays2011.jpg●5/27からの東京を皮切りに、京都、広島、岡山、山口、高松の各都市で「EUフィルムデーズ2011」が開催される。この映画祭は「ヨーロッパ映画の多様性と質の高さを日本に紹介する」ために、EU加盟国大使館・文化機関、駐日EU代表部、東京国立近代美術館フィルムセンターが共同開催するというもの。今年で9回目。東京では3週間にわたって、EU22カ国からの23作品が東京国立近代美術館フィルムセンターで上映される。
●ラインナップを見ると、スペイン「それでも恋するバルセロナ」(ウディ・アレン)とかイギリス「アース」みたいなメジャー作品もあるけど、ワタシなんかはぜんぜん知らない、でも気になる作品が並んでいる。ルクセンブルクの「ダスト」って、「人類のほとんどが滅亡した近未来の世界で、二人きりで自給自足の生活をひっそり送る16歳の双子」の話だっていうんだけど、なにその気になる設定。
●料金は一般500円。往復交通費より安いくらい。定員は310名。

May 9, 2011

LFJ新潟と鳥栖、そしてヴォーチェス8

●東京のLFJが終わって、この週末はLFJ鳥栖、LFJ新潟がそれぞれ成功を収めたようだ。現地からの反応を見ても、初開催の鳥栖はかなり盛り上がった模様。きっと東京とはぜんぜん別種の楽しさがあったんだろうなあと想像する。食い物充実度も高そうで「食のシンフォニー」とか見てるとうらやましくなる。
ベートー弁当●あとLFJ新潟は「うんめぃ広場」があって、そこで「新潟のおいしいものがぎっしり詰まったベートー弁当」が売ってるっていうんすよ。すばらしすぎる。「うんめぃ広場」に「ベートー弁当」っすよ! 東京はネオ屋台村とか名乗って気取ってる場合ではない。来年は地上広場を赤の広場と名づけるしか。
●忘れないように書いておくと今年東京のLFJで印象に残ったアーティストナンバーワンはヴォーチェス8。なにがすごいって、毎日猛烈な勢いであらゆる場所に出演しまくって、それでいてずっとにこやかだったこと。彼ら、何ステージこなしたんでしょう。前夜のスペシャルコンサートから始まって、3日間で有料公演の出番が5回、それに加えて少なくとも4日は当日発表で展示ホールで1回、地上広場で1回、5日は地上広場で1回。さらにOTTAVAのサテライトスタジオにも4日と5日に出演してトトロ歌ったし(器楽奏者ならインタビューを受けるだけで済むけど、ボーカルアンサンブルだと歌うことになる!)、3日はエリアイベントとしてマルキューブでも1回出演している。
ヴォーチェス8
●こんだけ歌わされたらヤになりそうじゃないすか。ところがヴォーチェス8はずっとニコニコしながら「初めて日本に来ることができて嬉しい!」という顔で歌いまくった。いくら若くても疲れてないはずないと思うんだけど、1mmもそんなそぶりを見せずに、最後の最後まで朗らかにしていた、8人全員で。
●舞台芸ってこういうことなんすよね、きっと。お客のほうはいつだって一期一会、初めてのヴォーチェス8体験なんだもの。「トトロ」とか、仮に飽きるほどやってたとしても、毎回「ほらほら、みんなの知ってる歌、うたっちゃうよ、この曲って楽しいよね(ニコ!)」って歌うから、お客さんが目を輝かせる。ヴォーチェス8への好感度がマックス高まった。

May 6, 2011

「ラ・フォル・ジュルネ」2011、東京は閉幕。来年のテーマはロシア音楽を予定

東京国際フォーラム

●東京のLFJ2011は無事閉幕。震災の影響で一時は中止かとまで伝えられていたことを考えると、規模は縮小したとはいえ、よく「タイタンたち」のテーマが生き残るほどの公演数が実現したものだと思う。90公演に対してチケット販売数は4万5千枚(速報値)。販売率にすると97%。ほぼどの公演も売り切れていた。といっても朝9時台までは意外と当日券がたくさん出ていて、かなり選べる状況だった。のべ来場者数は14万人(東京国際フォーラム館内のみ。周辺エリアは除く)。有料公演90と無料プログラム85をあわせて総公演数は175公演(周辺イベント除く)。
●来年については、連休中のどこかの3日間で開催することになっており、内容については構想中の段階だが、ルネ・マルタンのプランとしてはロシア音楽を取り上げたいとのこと。「五人組からスタートして、チャイコフスキー、スクリャービン、ラフマニノフ、さらに20世紀の音楽であるショスタコーヴィチやシュニトケも、そして21世紀の音楽としてグバイドゥーリナも演奏する」という。記者懇談会の後、OTTAVAのサテライトスタジオでは「まだどうなるかわからないが、グバイドゥーリナ本人を呼びたい」とも。
●なお、東京以外の地方のLFJについても、来年は「ロシア音楽」を共通のテーマにしたいと語っていた。

May 2, 2011

「ラ・フォル・ジュルネ」開幕&映画「マーラー 君に捧げるアダージョ」

キッズプログラム●いよいよ明日より東京の「ラ・フォル・ジュルネ」も本公演がスタート。今年は震災の影響でチケット発売後にプログラムの組み直しがあったり、使えないホールがあったりで大変な混乱の中でようやくここまでたどり着いた。果たして普段の年とどう雰囲気が違ってくるのか(あるいは違わないのか)見当もつかないんだけど、なにより「無事」であることを願う、すべてにおいて。
●写真はキッズプログラムの会場設営をのぞいたときに見つけたブラームス。なんか、かわいいぞ。
●今年も「ラ・フォル・ジュルネ公式レポートブログ」開設中。すでにいくつか記事が更新されています。3日~5日まではそちらをご覧ください。
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●大型連休中の映画の話題を一つ。映画「マーラー 君に捧げるアダージョ」(パーシー・アドロン&息子フェリックス・アドロン監督)が渋谷ユーロスペース他で公開中。これはマーラーとアルマの関係を軸にした映画で、史実にもあるように思い悩んだマーラーが精神分析医フロイトのもとを訪ねるシーンなどが描かれている。建築家グロピウスとか指揮者ブルーノ・ワルターとか画家クリムトとかいろんな実在の人物が登場する。マーラーの神話性を剥ぎ取る映画とでも言えばいいのか、個人的にはかなりコメディ要素を感じたんだが(さっきまで演技をしていた役者が突然客席側に向き直って、スクリーンからお客に語りかけたりする。ええっ、そうなの?)、どこまでシリアスなのかよくわからない。作曲家ツェムリンスキー役がすごーくいい味を出している、変態っぽくて。音楽はサロネン指揮スウェーデン放送交響楽団が新たに録音。
salonen_conducts_mahler.jpg●なお、ユーロスペースではこの映画のためのミュージック・メイキング「サロネン・コンダクツ・アダージョ」をレイトショーで併映。こちらの中身は未見。サロネンの録音風景。45分。

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