●しばらく演奏会的には夏のシーズンオフみたいな気分になってて、久しぶりな気がする、オペラシティでのピーター・ゼルキンのリサイタル。しかし待ち構えていたのは演奏会というよりは儀式だったかも。予定されていたシェーンベルクの3つのピアノ曲op.11が武満徹「フォー・アウェイ」に変更され、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番変イ長調と休憩後にディアベリ変奏曲。
●武満が終わった後、客席に完全な静寂が訪れて、みんなピアニストが鍵盤から手を離し膝に置くまで拍手を控える。そこまではまだ普通かもしれないんだけど、ベートーヴェンの第31番の終わりでも完璧に静まるんすよ、曲が静かに終わるわけじゃないのに! ピーター・ゼルキンが鍵盤から手を離してもまだ拍手をためらい全員そろって静けさを求める客席。どうすか、この異様なくらいに静けさ好きな東京の聴衆。そのうち東京の客席は、深い感動の表明として、拍手自体を止めるところまで先鋭化するかもしれない。いや、いったん拍手になれば大喝采、盛んなブラボーが出てたけど。ベートーヴェンの2曲とも、ベートーヴェンを聴いているというよりは、ピアニストの孤独なモノローグに耳を傾けている気分になる。スゴい。自由だ。いや不自由なのか。LFJのポゴレリチを思い出した、少しだけ。
●アンコールにバッハのゴルトベルク変奏曲からアリア。父ルドルフ・ゼルキンの有名なエピソードを連想する。あるとき、アンコールにゴルトベルク変奏曲のアリアを弾いたら、そのまま止まらなくなって変奏曲に突入して、結局最後まで全曲弾いてウルトラ長大アンコールになったというあの話。もしかしてピーターもぜんぶ弾くんじゃないのか!って、そんなことあるはずないんだけど、アリアを弾き終えたところで心の中で「次、次も行こうよ」と催促してしまった。そもそもディアベリ変奏曲だってルドルフの得意のレパートリーだし。なんなら武満に戻って「2周目」でも嬉しかった。
September 1, 2011
ピーター・ゼルキンのリサイタル
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