●先日、たまたまAERAを手に取ったら、中田ヒデが旅を続けていた。今回は埼玉で習字の旅。なんだか近場だ。人生とは旅であり旅とは人生なのだなあ……あなたの街にもヒデがやってくるかも!
●2011年もついに大晦日。今年は震災をはじめ、あまりにも多くのことがありすぎたので、一年がいつにも増して長かった。今年もお世話になりました。2012年がよい一年になりますように。
●asahi.comの大学入試センター試験コーナーのコラム「ほっと一息」に受験生向け名曲ガイド(?)を寄稿。「このブログのノリでいい」ということだったので、そのつもりで書いた。まるでウチのサイトの企画みたいに見える。朝日なのにスマソ。
●本日23:00~25:00、FM PORT年越し特番「GOODBYE2011 HELLO 2012〜クラシックの世界へようこそ」に収録で出演する。新潟県内の方はFM放送で、auのLISMO WAVE利用の方は全国で聴取可能。この特番は遠藤麻理さんがナビゲートでワタシがゲスト。ナビゲートが巧みなので、リラックスした雰囲気になっているはず。クラシック音楽界の一年を振り返る趣旨の番組なのだが、かなり話が横道に逸れてしまった気がする。神編集期待。
●もう一つ放送の話題。USEN音楽放送「B-68 ライヴ・スペシャル ~CLASSIC~」チャンネルで元日より「ラ・フォル・ジュルネ フランス・ナント特集」がスタート。こちらのナビゲーターを務めている。これはナントでのLFJの音源をご紹介するという番組で、USENなので毎日1時間番組をリピート放送する形態になっている。1月は前半に1プログラム、後半に1プログラム。2月以降も何ヶ月か続くので、USENと契約されている方はお付き合いいただければ幸い。収録でおもしろかったのは、番組の最後の一言。「さようなら」とか「また来週」って言わないんすよね、リピート放送だから終わったらすぐまた始まるので。だから「引き続きお楽しみください」で番組を締めた。終わるのに終わらないというのがなんだか不思議。
2011年12月アーカイブ
GOODBYE2011, HELLO 2012
2012 音楽家の記念年
●恒例。2012年に記念年を迎える主要な作曲家・音楽家等をピックアップしてみた。生没年は原則として「新編音楽中辞典」(音楽之友社)に準拠。近年の傾向としてはっきりとしてるんだけど、生誕100年に指揮者や演奏家が目立って増えてきた。作曲家の時代から巨匠指揮者(演奏家)の時代へと移り変わってきているのだなあ、人々の関心の向かう先が。
●で、2012年は誰でも知ってるような人気作曲家のアニバーサリーがない。ジョン・ケージ生誕100周年が最大の話題か。続いてマスネ没後100年あたり? 2013年になるとワーグナーとヴェルディという巨大イベントが控えているのだが……。
●その代わり、指揮者の生誕100周年はたくさんある。ショルティ、チェリビダッケ、ヴァントあたりの録音でブルックナー攻めとか。レコード会社はなにかやるの? もっとも作曲家の場合と違って、やるといっても死んだ指揮者についてできることは限られてる。
●シカネーダー没後200周年。シカネーダー一座がやってた「魔笛」以外の作品を上演します!……なんていうんじゃ、客は来ないか。
●なお、いつものように100年単位でしか見ていない。150年とか50年とかは機能しないので。ただし2012年は「他にネタがない」という理由でドビュッシー生誕150周年が注目される可能性あり。
[生誕100周年]
ジョン・ケージ(作曲家) 1912-1992
コンロン・ナンカロウ(作曲家) 1912-1997
シャビエ・モンサルバーチェ(作曲家)1912-2002
ジャン・フランセ(作曲家)1912-1997
ゲオルグ・ショルティ(指揮者) 1912-1997
セルジュ・チェリビダッケ(指揮者) 1912-1996
ギュンター・ヴァント(指揮者) 1912-2002
クルト・ザンデルリング(指揮者) 1912-2011
エーリヒ・ラインスドルフ(指揮者)1912-1993
イーゴリ・マルケヴィチ (指揮者)1912-1983
山田一雄(指揮者)1912-1991
井上頼豊(チェロ) 1912-1996
キャスリーン・フェリアー(歌手)1912-1953
ヨーゼフ・グラインドル(歌手) 1912-1993
アルフレッド・デラー(歌手) 1912-1979
ニキタ・マガロフ(ピアニスト)1912-1992
ルドルフ・フィルクスニー(ピアニスト)1912-1994
[没後100周年]
サミュエル・コールリッジ=テイラー 1875-1912
ジュール・マスネ 1842-1912
[生誕200周年]
ジーギスモント・タールベルク(ピアニスト、作曲家)1812-1871
フリードリヒ・フロート (作曲家)1812-1883
メトロノーム 1812年オランダ人ヴィンケルが発明
[没後200周年]
エマーヌエル・シカネーダー(台本作家・興行主)1751-1812
ヤン・ラディスラフ・ドゥセク (ピアニスト、作曲家)1760-1812
フランツ・アントン・ホフマイスター(作曲家,楽譜出版業者)1754-1812
[生誕300周年]
フリードリヒ2世(フルート奏者、作曲家)1712-1786
ジャン=ジャック・ルソー (思想家、作曲家)1712-1778
[没後400周年]
ジョヴァンニ・ガブリエーリ(作曲家,オルガニスト)1554~57頃-1612
ハンス・レーオ・ハスラー(作曲家)1564-1612
本屋に寄る
●書店に立ち寄ったら、「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾、村上春樹著)が相変わらずドドーンと小山になって積まれていた。スゴい。書籍なんだから、小澤征爾側からではなく村上春樹側から手にする人のほうが圧倒的に多いはずなんだけど、小澤征爾もクラシック音楽も知らない人が読んでもきっと読書の喜びを満喫できると思う。そうあるべき。
●小澤村上対談本を読む前に、偶然、村上春樹の既刊エッセイをいくつか続けて読んでいた。「やがて哀しき外国語」「遠い太鼓」「走ることについて語るときに僕の語ること」「辺境・近境」の順だったかな、かなり古い本もあるけどおもしろく読めるという意味ではぜんぜん古びていない。いちばんいいなと思ったのはプリンストン滞在記の「やがて哀しき外国語」。すごく率直で肩の力が抜けている。「遠い太鼓」は80年代バブル期のギリシャ・イタリア旅行記で、こちらは対照的に重厚で、陰鬱さや不機嫌さも含めて読んでいて心地よい。名作。
●大型書店で新刊コーナーを一巡りして時間を過ごすのはとても楽しいんだけど、だんだん途方に暮れてくる。ぜんぜん読めてない。電車移動なんかのスキマ時間で少しずつだと小説なんかは楽しめないし、かといってまとまった読書タイムを作るのも大変だしなあ。ともかく、今年は読書量的には悲惨な一年だったので、来年はどうにかしたい。
「メサイア」で聴き納め
●今年の演奏会聴き納めは23日のバッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデル「メサイア」。与野本町にある彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールへ。席数600ほどで聴くぜいたく。ホールは最強にすばらしいし、「メサイア」は高揚感にあふれていて、一年の締めくくりにはぴったり。ミリアム・アラン(S)、クリント・ファン・デア・リンデ(A)、中嶋克彦(T、ジェイムズ・テイラーの代役)、ステファン・マクラウド(Bs)。ミリアム・アランに癒される。
●第3部のバス(とトランペット)のアリア、客席のほとんどはバスの歌唱ではなくトランペットに注意が向いていたと思う、手に汗を握りながら。
●この一年ほどコンサートに足を運んだ年はなかった。いちばん楽しんだのは所沢ミューズでのピョートル・アンデルシェフスキのバッハ。大ホールなのでガラガラだったけど、お客さんの空気も含めていい演奏会だった。
●右欄のfacebookでもご紹介した、イングリッシュ・ナショナル・オペラのゲーム Catch Tosca at ENO。カーソルキーを動かしてサンタンジェロ城から身を投げるトスカを救おう。まちがえてスカルピアを拾わないように! お正月にみんなで楽しむが吉。今のところワタシの最高点はHARDモードで45ポイント。
サンタvsゾンビ、そして全世界ゾンビ地図
●メリークリスマス。みなさんのもとにサンタクロースはやってきたのであろうか。やってきたかもしれない。あるいは来なかったかもしれない。サンタにもいろんな事情がある。大人にいろんな事情があるように……。
●「サンタvsゾンビ」などあちこちの記事で紹介されているが、オックスフォード大学のインターネット研究所が全米各地でサンタとゾンビのどちらがよりGoogle検索されているかについて調査している。リンク先のマップを見ればわかるように、さすがクリスマス・シーズン、ほとんどの地域ではサンタがゾンビに勝利している。だが、ゾンビが勝利している地域もある。サンフランシスコのベイエリアとかシアトルとかヒューストンがレッドゾーンになっている。これらの地域ではサンタどころではないのだ。人々は答えを求めて検索窓に Zombies と打ち込んでいる真っ最中だ。彼らはなにを知りたいのかって? 言わせるなよ……。
●さて、上記は全米での「サンタvsゾンビ」についての対決結果であるが、もっと直接的な調査結果を知りたくないだろうか。すなわち「全世界におけるゾンビ検索度」だ。さすが、オックスフォード大学である、その辺の調査結果もきちんと発表してくれている。以下がその感染地図だ。
●現在のゾンビ禍が明快に可視化されている。米国の大都市部において事態は深刻であり、欧州も一部局所的に危機的状況にある。そして日本。日本にもたしかに関東と関西において第2レベルの汚染が観察されている。しかし欧米の都市圏に比べれば、逼迫した状況とは言えないだろう。また、つい赤い円の大きさばかりを注目してしまうが、全世界で見ればほとんどの地域においてゾンビは不検出である。調査結果を冷静に受け止め、デマに惑わされることなく落ち着いて行動したい。現状、どこが安全かについて早まった結論を出すつもりはないが、人口密度とゾンビ度には相関関係があるように見える。念のため、人ごみは避けるのがいいかもしれない。人ごみに出かけた場合はこまめな手洗いを推奨したい。うがいもいいだろう。マスクの有効性については疑問を感じる。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2012サイトがオープン!
●LFJ2012サイトがオープン。来年も本公演は5月3日から5日にわたって開催される。今のところテーマが「サクル・リュス」(ロシアの祭典)であるということくらいしかわからないのだが、また今回も微妙にバタ臭いイメージビジュアルが発表されていて楽しい。厳寒のロシアの大地を歩く6人の男たち。一昔前ならセンターポジションはチャイコフスキーで決まりだったかもしれないが、今は違うのだ、総選挙1位の(何の?)ラフマニノフさまがセンターをゲット。センター左はチャイコフスキー、右はストラヴィンスキーが来て、プロコフィエフが続く。左端のリムスキー=コルサコフ、右端のショスタコーヴィチともに端は不本意に思っているかもしれないが、これは(彼らから見て)左翼にショスタコ、右翼にリムスキー=コルサコフとも読める。
●「サクル・リュス」(ロシアの祭典)はストラヴィンスキーの「春の祭典」にちなんでます。
●LFJのビジュアルで今までいちばんいいと思ったのはショパンとジョルジュ・サンドのとき。あの「キモカッコよさ」はなにかの先頭を走ってたはずだが、意外とワタシの周囲では「キモい」とだけ言われていた。今回のはどうだろう。左右を髭チームと丸眼鏡チームで分けたともいえる。ヒゲに萌えるか、丸眼鏡に萌えるか。
●ナントのLFJは1月末から2月頭。真冬だ。一方、日本は春。うららかな春に真冬のポスターってステキじゃないすか。たとえるなら、真冬にコタツでアイスクリーム食べる快楽みたいな(違うか?)。
Jリーグ反則王2011
●Jリーグには「アンフェアなプレーに対する反則金」っていう制度があったんすね。チームごとに反則ポイントを計算して、それが一定数を超えた場合、制裁措置として反則金が科せられる、と。
●で、反則ポイントの計算方法は一見ややこしいが、基本的には警告と退場を一定の重みを付けながら累積したもの。2011年の反則金対象クラブはJ1でゼロ、J2で4クラブ。その前のシーズンがJ1で1クラブ、J2で8クラブだったというから、昨年より改善している。
●J1にしてもJ2にしても、おおむね成績上位のチームは反則ポイントも少ない傾向にある。J1ではガンバ大阪がベストというのは納得。カードの多くは守備時に発生するので、ボール・ポゼッションの高いチームは少なくなる。続いて山形、マリノス、鹿島、磐田、大宮、名古屋……と続く。降格した山形はどうしてこんなにフェアなのか、やや謎。マリノスについても微妙な気分。悪いことじゃないんだろうけど、チームカラーと違うような気が。チャンピオンの柏は意外と警告が多い。
●J1最下位は浦和で、ガンバの4倍もの反則ポイントになっているが、反則金は免れている。
●J2は東京が最優秀なのは当然という感じで、北九州、岡山、大分、千葉が反則金の対象。特に北九州はひどくて、反則金として最大の150万円を支払うことになっている。順位は8位と大健闘だったので、どれだけ激しいサッカーをしたのかと思うわけだが、チームの公式記録を見てみると福井諒司選手がたった一人でイエローカード17枚を荒稼ぎしているではないか。反則金への貢献度の高さから言って、文句なしのJリーグ反則王だろう。
FM PORTで年末特番
●昨日は日帰りで新潟へ。あらかじめ天気予報でわかってはいたのだが、最高気温が3度で、しかも大雪。太平洋側は大して寒くもないし天気もいいんだけど、上越新幹線で反対側に向かうと大荒れの天候になる。FM PORTで年末特番の収録を行った。番組名は「GOODBYE 2011 HELLO2012 クラシックの世界へようこそ」。大晦日の午後11時からスタートして、年を越して1月1日の午前1時まで。いつものレギュラー番組「クラシックホワイエ」とは違って、ワタシはゲスト役なので、ナビゲーターの遠藤麻理さんが振ってくれる話に答える役割であった。フリートーク中心で2011年のクラシック音楽界を振り返りつつ、2012年を展望する。
●……のはずだったんであるが、かなりどうでもいい話をしてしまった気もする。「飯尾さんはゾンビがお好きとうかがいましたが?」とかいきなり尋ねられたので、懸命に「今の都市部ではゾンビが増えてきているという切実な問題が進行しているのであり、新潟では東京のように街をゾンビがうろうろする状態ではまだないかもしれないが、やがて都市は等しくこの災厄に襲われることになるであろう」といったような不吉な予言を力説してみたのだが、意味不明である。最終的にどんな編集になっているかはわからないけど、ゾンビの話は生き残るんじゃないかなあ、ゾンビだけにしぶとそうで。
●新潟県内では電波ラジオで、それ以外ではauのLISMO WAVEというサービス(有料らしい)を利用すると番組が聴ける。
サントスvsバルセロナ@FIFAクラブW杯ジャパン2011
●トヨタカップ時代と比べて、この大会への関心はすっかり薄くなってしまったが、バルセロナとサントスという組合せが魅力的だったので、ちらちらとテレビ観戦。日テレの中継は相変わらず。「クラブ世界一を決める大会」のはずなのに国内リーグ戦より試合のテンションが低い。スターがそろう華やかなガラ・マッチといった雰囲気。もっとも日産スタジアム(この大会では横浜国際だったっけ?)だとなにをやってもそうなるのかも。ワールドカップ2002だって。
●バルセロナはやはり人類史上最強の美しいチームだった。セスク・ファブレガスが加入してパズルの最後の1ピースがはめ込まれたという印象。リアル「ウイイレ名人」というか、フィクションにしか存在しないようなサッカーが現実化している。サントスにもネイマール、ガンソ、エラーノみたいなうまい選手がいるのに、それでもバルセロナのボール支配率が70%を超えてしまって、勝負にならない。前半にメッシ、シャビ、セスクとゴールを決めて試合を終わらせ、後半にまたメッシが決めた。サントス0-4バルセロナ。メッシの2点目、あのアウトでちょんとボールを浮かして(そして自分もジャンプして)キーパーを交わしてゴールを決めるのって、どうすか。人類?
●ネイマールにカッサーノの香り、なんとなく。
●近年のサッカー界では「ポゼッションよりカウンターの優位」「選手の大型化」「選手を育てるよりスター選手を買う」のが勝利への近道だと思われてるっぽいんだけど、史上最強チームはそのすべてで逆向きに独走している。
東京国際ブックフェアで「クリエイターEXPO」
●7月に開かれる東京国際ブックフェアにはなんどか足を運んでいる。だだっ広いビッグサイトを会場に各出版社がブースを設ける「本」の見本市で、業界関係者も一般読者も大勢来場する。同時に電子出版EXPOも開催されるので、デジタル・パブリッシング関係の展示もたくさんある。単に情報収集のためなら今時わざわざ足を運ぶまでもない気もするが、人に会うとかデモを見るとかそういう目的があれば行ってもいいのかも。あと本を割引で買えるのでそれが主目的という人もいる。
●で、来年からその東京国際ブックフェアといっしょに「クリエイターEXPO」が開催されるという。これがびっくり。なんと、出版社とか編集プロダクションではなくクリエイターの側が出展するんである! この会場レイアウトを見れば一目瞭然、文筆家ゾーンとか漫画家ゾーンとかデザイナーゾーンとかに会場が区切られていて、その個々のブースにクリエイターが座るという構図。漫画家ゾーンだったら、漫画家さんが一人一個のブースに座ってずらっと並んで、やってきた編集者に作品を売り込むわけだ。ワタシのところに来た資料では、「ブックフェアには大勢の出版社の編集者や偉い人が来場するのでチャンスですよ」みたいなことが書いてあった。出展料は1ブース7万円。
●うーん、スゴい発想だ。出版社や編集プロダクションではなく、クリエイター個人にブースを売るとは。「そんなところでクリエイターを探す編集者なんているの?」と思わなくもないが、業種や業界によってはうまく機能するのだろうか……。
全然いい
●なぜ広まった? 「『全然いい』は誤用」という迷信(日経新聞)。この記事によると、「全然いい」みたいな「全然+肯定」の用法はもともと正用だったのだが、昭和20年代の終わり頃から、「全然という語は否定を伴うもの」といった迷信が広がり、あやまって誤用とされるようになったんだとか。おおー、やっぱり。いや、やっぱりって言い方はないか。「全然オッケー」「全然大丈夫」「全然すごい」といったような「全然+肯定」系を使い続けてきたウチのブログとしてはすっきり(笑)。今後も胸を張って使いたい。全然無問題(←これは全然+肯定なのか否定なのか?)。
●誤用が広まるうちに正用になったという言葉はいくらでもあって、どこまでを許容するかは編集者も書き手も悩むところだと思うんだけど、正用がだんだん誤用と思われるようになったっていう例は珍しい気がする。他にも似たような例はあるんだろうか?
優雅な青ひげ公のインドの国々の城
●9日(金)は禁断の平日ダブルヘッダー。昼は白寿ホールでラモーのオペラ・バレ「優雅なインドの国々」より抜粋。鈴木優人(指揮・演出・チェンバロ)、黒田育世(コンテンポラリー・ダンス)、野々下由香里(S)他。これはとても好感の持てる企画で、すごく楽しかった。舞台上の半分弱くらいの面積でアンサンブルが陣取って、残ったスペースでコンテンポラリー・ダンスが繰り広げられる。後方のスクリーンには簡潔なイラストレーションと字幕が投影される。実をところ、ダンス門外漢のワタシにはこの踊りをどう受け止めていいのか、さっぱりわからない。一方でラモーの音楽はそれだけで充足できる。だから半分しか楽しんでない気もするんだが、それで構わないんだと思う。オペラ・バレの抜粋上演としてなんらかの視覚的パフォーマンスがあって娯楽性が高められるべきというのはよくわかる。コンテンポラリー・ダンスとの共演としてもたぶんこれが完成形とも思えないんだけど、演出面でいろんな可能性を示唆するものだった。
●ただ、これはワタシがうっかりしてたんだけど「シャコンヌ」は演奏されないんすよね。編成にトランペットが入ってないんだから、チラシをちゃんと見てれば事前にわかりそうなものだが、その場になって気がついた。少し寂しい。「優雅なインドの国々」で「シャコンヌ」が聴けないなんて。
●夜はNHKホールでデュトワ指揮N響へ。前半にバティアシュヴィリのブラームスのヴァイオリン協奏曲があって、後半にバルトークの「青ひげ公の城」演奏会形式があるというぜいたくプロ。「青ひげ公」は昔、映像で見て以来ずっと敬遠してたオペラなんだけど、久しぶりに聴いてどうして避けていたかを思い出した。青ひげが妻ユディットに一つ一つと扉を開けて、ここは拷問部屋、ここは武器庫、と見せていく……というあらすじから想像されるほど、このオペラには怪奇性も幻想性もないんすよね。あるのは「あー、女ってホントにメンドくさい!」っていう痛切な心の叫び。やれやれ。でもそうTwitterでつぶやいたら、女性の方から「男のロマンティストっぷりを描いたオペラ」というぜんぜん別の見方を教わって、少し納得。
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「バンドジャーナル」誌付録にホルスト第2組曲伊藤康英校訂版
●以前「バンドジャーナル」誌の付録にホルスト「吹奏楽のための第1組曲」の自筆譜による伊藤康英校訂版が付いたという話題をご紹介したが、現在発売中の1月号に今度は「第2組曲」が掲載された。今回もホルストの自筆譜をもとにした、ほとんど原典版といっていいような校訂譜になっているという。今回の1月号および3、5月号の3回に分けての掲載。また、1月号のマーチは1911年初稿復元版スコアも載るんだとか。吹奏楽の世界にも原典主義みたいな考え方があるんすね。ってことは演奏にもピリオド・アプローチとかあったりするのか?
●吹奏楽のための雑誌といえばこちらも話題を呼んでいる。「ティーンのための吹奏楽雑誌 アインザッツ」が創刊。なんだか表紙がスゴい。こういうティーン向けのノリがあり得るのか。でも実のところ「バンドジャーナル」とはそう違った世界ではないのかも(想像)。読者にとってのアイドルが「バンドジャーナル」ではベルリン・フィルのパユ様だけど、「アインザッツ」ではAKBのまゆゆである、というだけで。
●↑って書いてみたけど、ホントはよく知らない、AKB48も渡辺麻友も。ウチのテレビで見かけたことはないと思う。赤羽48人衆? パユ様がBPO128のメンバーであることはたしか。
HMVの年間チャート
●いよいよ12月も中旬に入って「今年を振り返る」モードがあちこちで発動中。で、CDのセールスはどうだったかなと「HMVクラシック2011年間チャート」を眺めると、やはりというか、ものの見事に上からずらっと激安BOXセットが並んでいる。チェリビダッケ・エディションは4つともトップ10に入っているのかとか、それはそれで興味深いんだけど、新録音でレギュラープライスというと、かろうじてアルゲリッチとアルミンク&新日フィルによるショパン&シューマンのピアノ協奏曲がトップ20に食い込んでいるのみ。過去の名盤と現在の新譜とであまりに1枚あたりの単価が違いすぎるから、同列に並べてもしょうがないんだけど。
●ずっと前からCDの激安BOXセットというのは、ストリーミング型定額制へと移行する過渡的な段階なんだと思っていた。1枚2000円の新譜が旧譜になって1枚1000円になって、それが5枚組2000円になって、10枚組2000円になって……と進むゴールは、聴き放題月額2000円みたいな世界だろう。実際、ある部分ではそうなりつつある。日本国外でのEMIとNMLの関係を見ててもそういった実感はあったんだけど、一方でEMIのレコード部門がユニバーサル傘下に入ることになって、今後どうなるのかはよくわからない。
●もし新譜はCD中心でリリース(コンサート会場で売るから)、旧譜はストリーミング定額制で、という住み分けができた場合、みんな旧譜の名盤で満足してしまい新譜を聴かなくなるんじゃないか、という心配をする人もいる。そうかもしれないけど、むしろ逆なんじゃないかって気もする。旧譜が定額で好きなだけ聴けるようになったら、急に存在感が薄くなり、みんな新譜しか話題にしなくなる。さらに旧譜がパブリック・ドメインになって無料になったら、ますますみんな旧譜を聴かなくなる。それじゃ消費欲が満たされないから。
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾、村上春樹)
●あっという間に読んだ。「小澤征爾さんと、音楽について話をする」(小澤征爾、村上春樹著/新潮社)。とんでもなくおもしろい。村上春樹による小澤征爾のロングインタビューということなんだけど、なにしろ一年の間に世界のあちこちで語り合ったというもので、密度も濃ければ量も多い。知らなかったエピソードも山ほどあっておもしろいし、小澤征爾の音楽に対する率直な考え方もうかがえる。
●すぐれた小説と同じように、すぐれたインタビューも重層的に読んで味わえるものなんだな、と感じた。つまり、まず一次的には話される内容が興味深い。村上春樹はすごくよくクラシック音楽を聴いているし、感じ方とか見方はほとんど完璧にワタシらのよく知るクラシック・ファンというか「クラヲタ」のセンスと一致しているんすよ。質問もいい。小澤征爾も相手が音楽関係者ではなく、以前より交友のあった作家であるからこそ、これだけオープンに話してくれたにはちがいない。
●でもそれ以上におもしろいのは対話の作法だと思う。インタビューといっても、これはただのQ&Aじゃなくて、対話なんすよ。で、この対話は音楽を演る人と聴く人の対話の常として、ときどき必然的にすれ違う(これはちゃんとすれ違ってくれないと対話が成功しない)。かみ合ったときもすれ違ったときも小澤さんは「そうですね」と文面上肯定するんだけど、微妙に「そうそう」と「うん、そうだねえ」の間に違いがあって、そのニュアンスが文章にあらわれている(たぶん)。これは演奏する側が真実で聴く側が幻想を抱いているっていう一方的なことじゃないんすよね。同じものを入り口から見たときと、出口から見たときの違いで、もちろん客席は出口の側だから出口に真実がないはずがない。このすれ違いが相互の敬意と共感のもとに起きると対話はおもしろくなる。聞き手は躊躇しない。
ドヴォルザーク「ルサルカ」@新国立劇場
●新国立劇場でオペラ「ルサルカ」。この作品、初めて観たが、大変すばらしかった。ドヴォルザークの交響曲に感じるのと同じ種類の親しみやすさがある、美しいメロディがこれでもかというくらい詰め込まれていて。チェコ語でなければもっとひんぱんに上演されてもいいような気がする。
●この「ルサルカ」っていう水の精(というか幽霊)、知ってたすか? 直接の出典はスラヴ神話ということでワタシはなじみがなくて今回気がついたんだけど、要は「水の精」ものというか、ヨーロッパのあちこちに残っている美しい女性が水からあらわれて男を虜にするタイプの伝説で、どうやら「妖精ヴィッリ」とか「ジゼル」の物語と同源のようである。ただ、この種の物語でドヴォルザークのオペラに採用されていないのは「幽霊女が若い男を踊り死にさせる」というイベント。「若くて美しい女が男を死ぬまで踊らせる」という説話構造は、男の人生についての普遍的なメタファーとして機能する。しかしこれは「水の精」を男の視点から描くから出てくるモチーフなわけだ。ドヴォルザークのオペラは物語を女の視点から描く。つまり人間に恋した水の精ルサルカの悲恋になる。毒気は抜ける。
●で、演出のポール・カランは、さらに「ルサルカ」を少女の夢として描いた。最近、オペラは夢オチが多いっすよね。舞台上でベッドを見たら夢オチと思え。だから悲恋ですらない。だれも死なないし。物語としては限りなく毒気が抜けて、薄まっている。わざわざ「夢オチ」にする意味があるのなら教えてほしい。と、このアイディアに関してはまったく共感できないんだけど、プロダクション自体の質は大変高かった。舞台も美しいし、人の動きも工夫されている。この曲って、オーケストラだけが鳴っている時間がけっこうあるんすよね。その間、歌手たちの演技にボケッとした隙間が発生しないのは吉。ただ少しセンスが古臭いとは思うかな。でも総体としてはこの劇場で見られるもっとも良質な舞台だと思う。ノルウェー・オペラからの借り物なんだっけ? レンタル上等!
●オケがとてもよかった。ヤロスラフ・キズリンク指揮東フィル。ワタシが聴いた東フィルのなかでは出色の出来。しなやかでやわらかい自然描写と活発なスラヴ風の部分の対比がうまく表現されていた。「ルサルカ」って森の描写がよく音で出てくるんすよね……これはたまたま先日METライブビューイングで「ジークフリート」を観たせいかな、「ルサルカ」の森は「ジークフリート」の森につながってる気がする。3人の森の精もラインの乙女を連想させるし。
●あー、思いつくままに書いてしまうけど、ルサルカが水の精から人間に変わると、なんか少女たちがルサルカの足をせっせと拭いたりするじゃないすか。あれは水の精には足がないからなんすよね。下半身は魚だから。なのでルサルカはクツを履くときに、履き方がわからない、みたいな演技をする。
●ルサルカでもヴィリでもウンディーネでもニンフでもマーメイドでもサッキュバスでもセイレーンでもみんな男を魅了する女の化け物なわけだ。本来キモい。でも美しい。キモ美しいってのが最強なんだな。ルサルカ役のオルガ・グリャコヴァは視覚的にもほっそりしてて美しくて、でも歌うと少し怖かったりして(?)ルサルカ役にはぴったりかも。王子はペーター・ベルガー。甘くて美声。イェジババはビルギット・レンメルト。
●休憩時間にやたら知人に会った。そういえば平日マチネにもかかわらず、客席にいつもより若い人が多かった気がする。1階の後ろと両脇は空いていたが、それ以外はほとんど埋まっていた。
リア王爆発しろ!
●先週足を運んだ演奏会について、忘れないようにメモ。
●30日(水)はカンブルラン指揮読響へ(サントリーホール)。ベルリオーズの序曲「リア王」、チャイコフスキーの幻想序曲「ロミオとジュリエット」、交響曲第6番「悲愴」。期待通りの颯爽とした「悲愴」を満喫。特に第2楽章、第4楽章が快速テンポでキビキビ進んで気持ちいい。第3楽章のいつも恥ずかしくて悶えたくなるマーチの後、ほとんど間をおかずに第4楽章に入る。でもとてもエモーショナルで、事実、曲が終わった後の客席に完璧な深い深い沈黙が訪れた。「リア王」はヘンな曲だ。「恋人から別の男に心変わりした手紙を受け取ってショックで海辺や林をさまよい歩きながら作曲したベルリオーズの序曲『リア王』爆発しろ!」と自信を持ってTwitterでつぶやいてみたが、ちっともウケなかった。今こうして書いてみたら、やっぱりおもしろくない気もする。
●3日(土)はデュトワ指揮N響でマーラー「千人の交響曲」(NHKホール)。いつもはNHKホールのステージが広すぎると感じるのに、合唱含めて約500名ほどが乗るとなるとさすがにびっしり埋まる。限りなく巨大。普段、録音で聴いていると混沌とした曲と感じるのに、この日はほとんど透明感すら感じさせる「千人」。指揮がはっきり明快。信号なしの五叉路六叉路をスムーズにクルマが流れていくイメージ。このホールが音響的に飽和したのを第1部ではじめて体験した。そして曲が終わるのが早く感じた。巨大であるというイベント性に圧倒されて、中二病がぶり返しそう。
●翌日4日(日)にバッハ・コレギウム・ジャパンのバッハ「クリスマス・オラトリオ」(オペラシティ)。前日の「千人」の巨大世界から、総勢40人くらいの大作へ。安心して身をゆだねる。全曲ではなく、前半に第1部と第2部、後半に第3部と第6部。1回の演奏会ならこれで十分。トランペット(マドゥフら3人が腰に片手をあてて吹く)とティンパニ(元読響の菅原淳さん。夏のOEK欧州ツアーにも参加されていた)が加わったときの晴れやかな祝祭感に気分が浮き立つ。
J1は柏が優勝、J2からは東京、鳥栖、札幌が昇格
●J1の優勝、J2の昇格がともに最終節までもつれて今季のJリーグは劇的な幕切れとなった。J1の優勝は柏、名古屋、ガンバ大阪の3チームまで可能性があったが、1位の柏がアウェイの浦和戦に勝利してそのまま優勝。なんと、J2から昇格したチームがそのままJ1で優勝するという世界でも珍しい結果に。今季、柏が優勝するなんて想像もできなかった。柏のみなさん、おめでとうございます。優勝ってすばらしいっすよね。Jリーグの頂点に立つのは難しいこと。この喜びはかみしめがいのある喜びだと思う。
●結局終わってみれば柏72、名古屋71、ガンバ大阪70という勝ち点で、三強が突出していた(4位の仙台と5位マリノスは56)。僅差だから、シュート一本が入るか入らないかの違いでこの三者の順位はどうにでも変わる可能性はあった。鹿島は6位、川崎は11位、浦和にいたっては残留ギリギリの15位。Jリーグでは強豪が強豪であり続けるのが難しい。だからおもしろいともいえる。
●J2の昇格争いは最後まで札幌と徳島が争っていたが、徳島が意外にもアウェイの岡山戦で敗れて、ホームで東京を破った札幌が昇格決定。1位東京、2位鳥栖、3位札幌が昇格。なんといってもサガン鳥栖がついに初めて昇格したのがスゴい。LFJ鳥栖とサガン鳥栖のおかげで、急激に鳥栖の存在感が上昇中。
●サガン鳥栖はJ2のオリジナル10(初年度から参加した10クラブ)で唯一J1経験がなかったのが、これでついに昇格。うーん、そうだったっけ? 水戸ホーリーホックはどうなのよ?と思ったが、水戸は初年度からではなくJFLから昇格したんすね。いや、そんな記憶はないんだけど、そうらしい。あと鳥栖にはサガン鳥栖ができる前に鳥栖フューチャーズっていうチームがあった。厳密には両者は別団体だが前身だと認識している。鳥栖フューチャーズのさらに前身はPJMフューチャーズ。浜松にあって、マラドーナの弟が所属していた。ちなみにアビスパ福岡も前身をたどっていくと福岡ブルックス→藤枝ブルックスで静岡県藤枝市にたどりつく。鳥栖も福岡もルーツをたどると静岡県に行き着くのがおもしろい。現在のサポにとっては関係ないかもしれないけど。
METライブビューイング「ジークフリート」
●METライブビューイングで「ジークフリート」。昨シーズンの「ワルキューレ」の続きをようやく見れる(ら抜き)。実演に比べれば休憩もカーテンコールも短いわけだが、それでも上映時間5時間超。ほとんど丸一日費やす覚悟が必要だがその価値はあった。
●指揮はレヴァインじゃなくてルイージに。「ワルキューレ」のレヴァインは鬼気迫るものがあって、オケがギリギリまで煽られていたように感じたが、今回はクールで端正。
●で、ジークフリート役がびっくり。本来ギャリー・レイマンが歌う予定だったのが病気降板して、代役にカバーのジェイ・ハンター・モリスという人。テキサス生まれのアメリカ人、METデビュー。デビューどころかほんの数年前までセントラルパークでローラーブレードを売っていたとか、そんな人がよりによってジークフリート。でもキャラがナイスガイで演技中だけでなく地のキャラも若々しくて(実は40代半ばなのに)、全身からエネルギーを発散している。たくましくて見栄えもよく猛烈にジークフリートらしい。しかもリリカルな声の持ち主。実際に劇場で聴いたらどれだけ声が飛んできているかはわからないが、映画館で見るには文句なし。いや、それは言いすぎだな……でも、この役でこれだけできるのは貴重。ニューヨーク・タイムズに記事あり。
●そして「ジークフリート」って作品は本当に味わい深い傑作だと思う。見るたびに同じことを感じてる気もするけど、一幕のミーメとさすらい人のクイズ合戦の可笑しさ! ミーメほど不幸せな男はオペラ界のどこにもいない。男手一つでジークフリートを育てたのに、あんなひどいことを言われ、しまいには……。これは己を知恵者と錯誤した愚か者への罰なのだ。さすらい人が「お前の知りたいこと3つに答えてやる」と言っているのに、ミーメは自分の知っていることを尋ねて相手を試す。他者を信じず、心を開くことができないことの哀れさ。さっさとノートゥングの鍛え方を尋ねればよかったのに、そんなことは思いもつかない。
●第2幕のファフナーの血を舐めたところからの展開もいいよなあ。ジークフリートは動物の言葉を解するようになる。ミーメの心も読めるようになった。ミーメは自分の企みを口に出して歌ってしまう。これはジークフリートにはそう聞こえているという表現だけど、「語るに落ちる」って感じがもういかにも。ミーメ役のゲルハルド・ジーゲルがすばらしい。コミカルな仕草がまったくの自然体に見える。
●第3幕、さすらい人の槍を打ち砕いたジークフリートが炎の岩山へと向かう場面の音楽は、この世のものとも思えないほど美しい。ジークフリートはブリュンヒルデとの出会いを果たす。これは人類史上もっとも崇高な神話的ボーイ・ミーツ・ガールだ。ブリュンヒルデはデボラ・ヴォイト。ブリュンヒルデはあまりに長く岩山で眠っている間にオバチャンになってしまったんである。でもジークフリートは生まれて初めて女性というものに会ったので無問題だ。ジークフリートのキスで目覚めて、「はっ、ここは炎の岩山、わたしは今目覚めて、恐れを知らない男と出会ったのね!」と言わんとするかのようにパッと顔を輝かせるデボラ・ヴォイトの演技に思わず声を出して笑ってしまった、ゴメン。
●演出はロベール・ルパージュ。あのハイテク舞台装置、画面で見ても、幕間の説明を聞いても、なんというかテクノロジーの使い方がホントにオッサン臭い(笑)。オペラの世界って昔からテクノロジーは苦手だ。いまどきあの3D映像は……。でもいいんすよ、たぶん、これで。ギークカルチャーとMETってもっとも縁遠いから、少し古臭くないと大口寄付者にも共感してもらえないんでは。もしかしたら、最初は猛烈にクールなデザインの3D小鳥が制作されたんだけど、ピーター・ゲルブがそんなカッコいいんじゃダメだって言ったのかもしんない。ちなみに大蛇ファフナーはそのまんまの張りぼてっぽい巨大ヘビが出てきて、狙ってるのか外してるのか困惑するようなかわいさ。さすがMET。
●こんなに楽しいものはない。オススメ。と言ったところでもう金曜日で東京の上映は終わってしまった。が、1月に横浜、2月に神戸と広島で上映されるので、近くの方はそちらを狙う手もあり。
季刊「アルテス」
●ついに「アルテス」Vol.1(アルテスパブリッシング)が刊行された。「質の高い評論や批評、研究を掲載する季刊ペースの音楽言論誌」とあるように、手にとった感覚で言えば「ユリイカ」の音楽版みたいな雰囲気。音楽のジャンルもまったく限定していない。今までにこういった音楽誌はなかったのでは。企画にもデザインにもとても力が入っているのがひしひしと伝わってくる。
●まだ半分ほどの記事を読み終えたところだが、様々な立場やジャンルの方々が執筆しているので、それぞれに違った手触りがある。特集のテーマは「3.11と音楽」。高橋悠治さんのインタビューが圧巻。「地震が起こっても津波が起こっても、芸術が変わったというためしはない」。「音楽は必要じゃないんですよ。それは最初からわかっていることでしょ」。このインタビューは別格。
●後半の特集以外の記事の「それぞれ書きたいことをのびのび書いている」感のほうがワタシは好きかな。濱田芳通さんのテレマンの話とか、すばらしい。卜田隆嗣さんの「音声、いろいろ」も(門外漢なりに)抜群におもしろいと思った。