●いつも大声で独り言をしゃべりながら往来を歩くオバチャンがいる。いや、おそらく独り言ではないんである。話しぶりからすると、会話相手はいる、見えないだけで。生き生きとした話しぶりで、明らかにだれかに向かって話しているふうなのだ。
●「ねえ、あんた、本当にあたしの話、聞いてるの?」
「ああ、聞いてるよ、隣んちの奥さんが人の悪口ばかり言っててイヤんなるって話だろう。それだったら、前にも言っただろう、あそこんちとは付き合うな。最初っから、話さなきゃいいんだ」
「違うんだよ、何度いったらわかるんだ、あたしはねえ、あんたにあたしの話を聞いてほしいんだよ。別に解決策を相談してるんじゃないの。ほぉそうなんだそりゃお前も大変だねえって、ふんふん言いながら相槌を打ってくれりゃあいいんだよ」
「じゃあ別にオレが話を聞いてなくたって一緒じゃねえか。お前が困ってるからマジメに解決してやろうとしてるんだよ」
「そうじゃないんだよ、どうしてわかんないのかねえ、男の人は。あたしはただ話を聞いてほしいんだって言ってるじゃないのさ。それで気が済むんだから、愚痴の一つや二つ、黙って聞いてくれたっていいじゃないの」
「わかった、だったらこうしようじゃねえか。なあ、ここでオレがいちいち相槌を打たなくても、代わりに杓文字を立てておいてもお前は困らないよな。話を聞いてやるだけなら杓文字だって柄杓だっていいわけだろう? 意見してほしいわけじゃないんなら、オレじゃなくてもヒトじゃなくてもいいんだよ。だからこれからは杓文字に向かって話せ」
「……」
「っていうかよ、杓文字じゃなくてもいいわけだ。空気ならどうだ。空気は黙ってお前の話を聞くぜ? だからな、たった今から、このあたりの空気をオレだと思って話せ。いくらでもお前の話を聞いてやるから。ここにあるのが空気であり杓文字でありオレだ。わかったな。さあ話せ」
●あのオバチャンが大声で独り言を話しているのは、きっとそんな顛末があったからだと踏んでいる。
February 9, 2012