●季刊「AUDIO BASIC」vol.62で別冊付録「はじめてのインターネットラジオ」。ネットラジオについて1ページのコラムを書いた。この別冊はその名の通りまったくの初心者の方にネットラジオなるものを紹介するという企画。こういう企画がオーディオ誌で成立しているということが興味深い。
●日頃オーディオ誌には縁がないが、見本をいただいたので、せっかくなので本誌のほうも眺めてみた。なぜか付録CDとして、小倉貴久子さんのフォルテピアノ独奏、桐山建志さん、花崎淳生さん、藤村政芳さん、花崎薫さんのメンバーでモーツァルトのピアノ協奏曲第11番、第12番、第13番の室内楽編成版というCDが付いている。日本モーツァルト協会例会として昨秋行なわれたライブ録音の模様。
●オーディオの記事はワタシのような門外漢にはなかなか難解。ただ、すでに「PCオーディオ」という言葉が定着しているようで、PC側の話になるとある程度わかる。個人的な感触では、PCの世界でのデジタル・データに対する前提と、コンシューマー向けオーディオの世界におけるデジタル・データの扱いについて、基本的なところで齟齬が生じないのかなあ、とか気にならんでもない。
●84万円のプリアンプとかスゴいすよね。あとD/Aコンバーターで23万円とか(もっと上があるとか教えてくれなくていいっす)。パソコンにくっついてる光学ディスクドライブもCDを再生できるんだからなんらかのD/Aコンバーターが入ってるわけだろうけど、そういうのはいくらくらいのものなんすかね。500円くらい?(笑)
2012年3月アーカイブ
「AUDIO BASIC」で別冊付録「はじめてのインターネットラジオ」
ミューザ川崎「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2012」他、記者発表
●28日午後、ミューザ川崎シンフォニーホールの市民交流室にて「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2012」他の記者発表会へ。写真左より秋山和慶同ホールチーフアドバイザー、阿部孝夫川崎市長、大野順二東京交響楽団楽団長。
●まず今年の「フェスタサマーミューザKAWASAKI 2012」について概要が発表された。首都圏のオーケストラ9つが参加するこの音楽祭、昨年は震災被害でミューザ川崎が使用できず、川崎市内の各ホールで代替されたわけだが、今年も同じ方式で開催される。会場は昭和音楽大学テアトロ・ジーリオ・ショウワ、川崎市教育文化会館、洗足学園前田ホール、川崎市多摩市民館。あくまでも川崎市内の会場で開く。
●演目的には各オケともかなり親しみやすい曲目をそろえてきたという印象。フレッシュなところでは昨年ブザンソン優勝の垣内悠希指揮都響。垣内氏は川崎のご出身とか。ベートーヴェンの2番と「皇帝」(清水和音独奏)。
●それと、現在復旧工事中のミューザ川崎シンフォニーホールについて。リニューアルオープンはすでに発表されている通り、2013年の4月1日。1日に東京交響楽団およびホールアドバイザー松居直美パイプオルガンによるコンサートを開催、同月7日にスダーン指揮東京交響楽団によるリニューアル公演が開かれる。リニューアルに際しては、安全性を確保しながら、これまで同等以上の音響を持ったホールを目指す。復旧工事自体は、パイプオルガンを除いて12/25に完了する。「ホールの音響はさまざまな条件で変化する。設計上は同じでも素材が違えば変わることもあるし、塗料の渇きなどでも違ってくる。以前のホールもオープン後に少しずつ音響は変化していた。12/25の完成後もリニューアルオープンまでに演奏を通して調整していく」(秋山氏)、「東京交響楽団も復旧工事の会議には参加している。オーケストラ全体で施工会社、設計会社と協力しながら設計段階からかかわっており、今まで以上の音響を持ったホールを目指している」(大野氏)。
●リニューアル後に複数の海外の名門オーケストラの公演を予定しており、現在調整中とのこと。
広島交響楽団~「地方都市オーケストラ・フェスティバル」
●昨晩はすみだトリフォニーホールの「地方都市オーケストラ・フェスティバル」の秋山和慶指揮広島交響楽団へ。エルガーのチェロ協奏曲(独奏は首席チェロ奏者のマーティン・スタンツェライト)、ブリテンのイギリス民謡組曲「過ぎ去りし時……」 、ブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」というイギリス音楽プロ。アンコールにエルガー「威風堂々」第5番。イギリス音楽好きが集まる雰囲気と、広島県人会的なノリが交錯していて、こういう混沌は結構好き。前日のOEK東京定期にも県人会ノリはあって観光パンフが配られたりしていたが、広響はさらに強力でロビーで広島物産展が開かれ、食い物系が大人気。これから「シンフォニア・ダ・レクイエム」を聴いて平和に思いを寄せようとするも、もみじ饅頭や天ぷら詰め合せが信じられない吸引力でひきつけるのであり、ワタシの足は帝国軍デススターのトラクタービームに捕捉された小船のように物産展へと向かってしまうのであった。
●広響は初めて。しっかりと準備のされたていねいな音楽で、特に後半のブリテンを堪能。地方都市のオケを聴くときは、自分がなにかの拍子でその土地に移り住むことになった場合、果たしてそのオケを定期的に聴き続けるかどうか?と考えてしまう。東京に生まれ育つとピンと来ないかもしれないんだけど、地方都市の場合(大都市圏を除いて)オケは一つ。財政的にも聴衆層としても一つしか賄えないのが普通。だから「このオケは最近イマイチだから別のオケに乗り換える」みたいなことはできなくて、ずーっとそのオケと付き合っていくしかない、そこに住んでいる限り。オケの指揮者も団員もいずれ変わっていくけど、聴く側は変わらないので、ファンの側の当事者意識は猛烈に高かったりする。自分たちのオケ、と。もし広島に住んだら? きっと広響に通うだろう。
●終演後、物産展はまだ開いていたので、もみじ饅頭をゲト。mgmg。
オーケストラ・アンサンブル金沢の東京定期公演
●昨晩は井上道義指揮OEK東京定期へ(サントリーホール)。バンベルク交響楽団メンバー、カイ・フレンブゲン(ob)、ギュンター・フォルストマイアー(cl)、アレクセイ・トカチャク(fg)、サボルクス・ツェンプレーニ(hrn)を招いて、モーツァルトの協奏交響曲変ホ長調K.297bを演奏するという珍しい趣向。金沢での公演ではこれにプラスしてOEK団員のソロによるハイドンの協奏交響曲というダブル協奏交響曲プロだったのだが、東京はモーツァルトのみ。うまい。リッチなモーツァルト。
●ほかの演目は、昨夏の欧州ツアーの再現でハイドンの「驚愕」、ベートーヴェンの交響曲第7番、アンコールに武満徹の映画「他人の顔」から「ワルツ」。どれもツアーに随行取材した際にリハから本番から何度も繰り返して聴いた曲なので、もう「第一印象」にリセットして聴けない。どのパートの誰がツアーのときとは違っているとかいったことも意識してしまうし、それが全体としてはどう違って聞こえるものなんだろうか、今晩最初に聴くお客さんはどんな感触を得るのだろうかとか、迷路に迷い込んだような気分になる。本来客席側は(追っかけでもしない限り)どの公演も一期一会でその日がすべてなので、別の公演との比較は意味はなく、大きくどちらの方向を向いているかにもっとも強く印象付けられるはず。グーグルマップとかで拡大表示しすぎて全体の中のどこを見ているかわからなくなるのに似ているかも。
●「驚愕」の例の場所の仕掛けは、指揮者がくるりとこちらを向いた瞬間、ホール内の照明がいっせいにパッと明るくなるという大掛かりなものだった(笑)。夏のツアーではぜんぜん別のパターンが2つくらいあって、それぞれ客席をどよめかせていた。
●ミンコフスキとルーヴル宮音楽隊は、あの場所でオケがなんにもしない「無音」のビックリをやって、さらにその後もう一度繰り返したときにメンバー全員で「ウヒャア!」って絶叫するパターンをやっている。CDでも聴けるが、CDだと無音部分で指揮者が空振りしているのはわからない。
「新訳 フィガロの結婚 付『フィガロ三部作』について」(ボーマルシェ/鈴木康司)
●「新訳 フィガロの結婚 付『フィガロ三部作』について」(ボーマルシェ/鈴木康司訳・解説/大修館書店)読書中。おもしろい。
●「フィガロ三部作」といえば、ロッシーニがオペラにした「セビリアの理髪師」があって、次にモーツァルトの「フィガロの結婚」があって、そしてあまり知られていない「罪ある母」が続く。「罪ある母」というのは、アルマヴィーヴァ伯爵夫妻の息子が実は伯爵夫人とケルビーノの不倫で生まれた子であったりとか、かなりトンデモ度の高い話で、ワタシも読んだり見たりしたことはない(ミヨーがオペラ化しているというが未見)。初演当時も酷評されたそうなんだが、どうしてボーマルシェはそんな話を書いたのか、本書の解説を読むとその背景を知ることができる。
●この「新訳 フィガロの結婚」はモーツァルトのオペラのダ・ポンテ台本の訳ではなく、原作であるボーマルシェの戯曲の訳。当然のことかもしれないが、セリフの分量がオペラのそれよりずっと多い。オペラ化にあたってずいぶんバッサリ刈り込まれているわけだが、むしろダ・ポンテの手際のよさを感じる。
●ケルビーノ役について、ボーマルシェは「この役柄は、実際の上演でそうだったように、若くて非常に美しい女性でないと演じられない。わが国の演劇界にはこの役の繊細さをしっかりと感じ取れるほどよくできた若い男優はいない」と書いている。この段階から、ズボン役だったんすね。
●「フィガロの結婚」の正式名称は、「ラ・フォル・ジュルネ(狂った一日)あるいはフィガロの結婚」。ルネ・マルタンは音楽祭の名称をここから引っ張ってきた。クラシック音楽の民主化という趣向に、この「フィガロの結婚」の物語がふさわしいと考えたわけだ。この「ラ・フォル・ジュルネ」の訳語に、日本の音楽祭は「熱狂の日」という言葉をあてた。
●一方、この「新訳 フィガロの結婚」は「ラ・フォル・ジュルネ」を「てんやわんやの一日」と訳している。てんやわんや! なんという趣のある日本語だろう。「てんやわんや音楽祭」とか、楽しそう。
「東京・春・音楽祭」広瀬悦子ピアノ・リサイタル
●昨晩は開催中の「東京・春・音楽祭」から、広瀬悦子ピアノ・リサイタルへ(上野学園石橋メモリアルホール)。ショパン、アルカン、リストとヴィルトゥオジティ満載のプログラム。この日の楽しみはアルカンの「鉄道」と「風」。「鉄道」は爆走する機関車を描いた曲ということで、その疾走感や機械主義的イメージの鮮烈さでオネゲル「パシフィック231」にも劣らない快作だが、ライブで聴いたのは初めて。期待以上のおもしろさ。ニュアンスに富んだ演奏で、技巧と意匠だけの音楽ではないと実感。他にショパンのバラード第1番、リスト「巡礼の年 第2年イタリア」から「物思いに沈む人」「ヴェネツィアとナポリ」他、強靭豊麗。
●アルカンの「風」が吹いて、「鉄道」で風を切って、ロッシーニ~リスト編「ウィリアム・テル」序曲は第2部で嵐が吹くし、アンコールではショパン「木枯らし」も吹いて、風度の高いプログラム。東京春祭だから春一番、なのか?
映画「魔弾の射手」
●そういえば、すでに東京では公開しているのであった、映画「魔弾の射手」。現在ヒューマントラストシネマ有楽町で公開中。3/24より大阪シネ・リーブル梅田、近日名古屋の名古屋シネマテークで公開予定。イェンス・ノイベルト監督、ダニエル・ハーディング指揮ロンドン交響楽団(おおっ)。
●昔からオペラの映画化というと二つの流儀がある。劇場で上演しているものをそのまま収録するスタイルと、あくまで映画としてセットを組んで作りこむタイプと。前者はMETライブビューイングという成功事例ですっかり定着した感があるが、後者にも時々力の入ったものが出てくる。この映画「魔弾の射手」はそちらのタイプ。完全に映画。指揮者もオケもまったく映らない。
●でも、どうして今ウェーバーの「魔弾の射手」なんすかね。と思わなくもないが、名作でなおかつ映画の尺に収められるものというと限られているのかもしれない。この映画では、時代設定が作曲当時に置き換えられているものの、ほぼオーソドックスな演出。そして、意外にも映画として作っているにもかかわらず、歌手陣はルックス重視ではない。なにしろマックス役のミヒャエル・ケーニヒはどう見ても逃亡犯みたいな悪人面のオッサンで、これから花婿になろうっていう若い猟師には見えないし(その銃で何人やっちゃったんですか!的な)、アガーテ役のユリアーネ・バンゼも若い恋人にしては労苦が表情に刻まれすぎているような気がする。領主はフランツ・グルントヘーバーで、富農キリアンがオラフ・ベーアで、カスパールがミヒャエル・フォッレで、隠者がルネ・パーペで……と重厚なキャストをそろえて、堂々たる歌唱を聴かせてくれる。つまり、これはオペラだ。オペラ的人選で、ぜんぜん映画的人選じゃないのが潔い。
●見どころは、やっぱりルネ・パーペの隠者っすかね。もうこれがカッコいいんだ、最後においしいところを持っていく感、そしてあの重々しい顔芸。「あ、あなた様が、あの隠者殿で。ははーっ!」みたいな黄門様的快感。
●音楽的に不足はないし、映像的にもよくできているので、あとは映画館の音響が適切であることを祈るばかり。
書くためのフォント ~ 美しい等幅フォント (2)
●前エントリーに書いたように、書くための美しい等幅フォントというのは意外とある(しかも無料だ)。だが、これらをWindowsにインストールしても、きれいにアンチエイリアスが効かないことが多い(等幅メイリオは別として)。で、それじゃあ納得行かないということで、以下の対策が考えられる。
●その1。gdipp をインストールしてWindowsのGDIを乗っ取る。これは画期的で、別世界が広がる。これまでビットマップが表示されていたMSゴシックやMS明朝のようなフォントまで、美しく表示されるようになる。もちろん、VLゴシックやMiguフォントもとってもきれいに。インストール方法はいくつかあるが、WindowsのServiceとして動かすのが吉かと。なお、設定で除外アプリや除外フォントを追加することもできる。たとえばメイリオはWindows標準環境に最適化されているから除外しよう、とかできるわけだ。
●ただし、gdippは多少PCの知識を要求すると思う。インストールは管理者権限で。権限がなくてうまくインストールできなかった場合は、フォルダに残っている.dllファイルをWindowsフォルダに手動で放り込んでやればいい。また、Program Filesフォルダ以下にインストールした場合、設定ファイルを書き換えるときにとまどうことがあるかもしれない。書き換えたのにちゃんと反映されていないなあ?という場合は、「互換性ファイル」の罠を疑うといい。あと、Windows上でサービスとして機能するので、止めたり動かしたりするときは、スタートボタン→管理ツール→サービスで。まあ、自分であれこれ設定しなくても、それなりに満足して使えるが。
●その2。gdippと同様の機能を持ったソフトにMacTypeというものがある。これはgdippより簡単だし、デフォルトでの描画も十分美しくて、なおかつこだわる人は満足行くまで細部を調整できる。なので、今ワタシはこれのポータブル版をインストールして試用している……ただし、中国語での案内しか見当たらないので(日本語対応はしている)、その点は敷居が高い。今のところは、非常にすぐれていると感じるのだが、あくまでも人柱気分で。
●その3。秀丸エディタで原稿を書いているのであれば、このエディタの最近のバージョンを使って、きれいなアンチエイリアスを実現することができる。Windows全体に効かせるのではなく、エディタ上できれいなフォントが使えればそれで十分じゃん、という考え方でいいなら、これも悪くない(読むフォントはメイリオでいいわけだし)。秀丸エディタのVer8.10以降はWindowsのDirectWrite対応になったので、動作環境で「ClearType高精細」を選んでやると、フォントが標準のClearTypeより格段に美しくなる(明朝系だと滲んでうまくいかないフォントもあるが……)。この方法はgdippやMacTypeに比べて、簡潔な解決策であるところがいい。予期せぬ問題も起きないだろうし。今サブで使っているノートブックはこちらの設定をお試し中。
書くためのフォント ~ 美しい等幅フォント (1)
●ブラウザなどで「読むためのフォント」は美しいものがいくつもある。でも「書くためのフォント」となると、選択肢は狭くなる。原稿を書くときは、たとえば「18字×26行」とか「2000字=400字を5枚」といったように指定文字数があるので、等幅フォントで書く必要がある(ワタシは秀丸エディタで書いている)。で、Windowsだとこの等幅フォントが弱いんである。
●メイリオは文句なしに読みやすいフォントなんだけど、なぜか等幅フォントがない(メイリオは日本語部分は等幅で、欧文はプロポーショナルになる。これは読むには最適だが、エディタ向きではない)。じゃあなにがあるかといえばMS明朝とMSゴシックなんだが、どちらも画面上ではビットマップ・フォントが出てきて21世紀とは思えないカクカク具合。
●で、そんなんじゃ美しくないから、ワタシはDF華康ゴシック体というフォントを使っていた。これはゴナ系というか新ゴ系の書体で、Windows上では問題なく美しい。ところが、古いフォントであるためか、ユニコード対応ができていなくて Dvořák とかがちゃんと表示されない。だんだんテキストファイルもS-JISよりUTF-8を用いることが増えてきたので、これじゃあ困る。で、なにか美しくてなおかつ Dvořák を表示できる等幅フォントを探していた。
●で、見つけたよさげなフリーのフォントをいくつか以下に。
メイリオ・メイリオ改・meiryoKe・ttfname3
http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/m2x0897/mrkta4fz.html
これはメイリオから強引に等幅化したもので、字形はメイリオそのもの。これをインストールしてしまうというのが、なにより手っ取り早い解決策ではある。もしメイリオのわずかに平体がかかったような字形に違和感がなければ。
IPAゴシック
http://ossipedia.ipa.go.jp/ipafont/index.html
独立行政法人情報処理推進機構 (IPA) によって配布されているフォント(明朝やプロポーショナル版もある)。ベースになっているのはタイプバンクのTBゴシックで、伝統的な字形のゴシック。オープンソース定義に準拠したライセンス。保守的だが、落ち着いている。
VLゴシック
http://vlgothic.dicey.org/
M+アウトラインフォントベースの新ゴ系フォント。字形がとても美しく今風。しかも「パ」と「バ」、0(ゼロ)とOの区別もはっきり付いて機能的。すばらしい。
Migu(ミグ)フォント Migu 1M または Migu 2M
http://mix-mplus-ipa.sourceforge.jp/migu/
M+フォントの不足漢字をIPAフォントから持ってきたMigMixにいくつか改変を加えたもの。半濁点が大きく、「パ」と「バ」を間違えようがない。0(ゼロ)はMigu 1Mでは斜め線が入るタイプ、Migu 2Mでは中央にドットが入るタイプ。VLゴシックをさらに一段前に進めた印象だが、マジメな文章にはポップすぎるかもしれない。
●ただし一つ注意を。等幅メイリオ以外の下の3つは、Windows環境によってはうまくアンチエイリアスが働かなくて、ジャギジャギした感じになると思う。それを回避するにはもう一段の工夫が必要で、たとえば gdipp のような Windowsの標準GDIを乗っ取るソフトウェアを入れることになる。が、これはそれなりにPC扱いに慣れていないと苦労するかもしれない。そのあたりはまた改めて。 →つづき
週末あれこれ
●日曜は彩の国さいたま芸術劇場で金子三勇士ピアノ・リサイタル。前半にリスト、後半にバッハ、バルトークというプログラム。リストの「スペイン狂詩曲」の壮絶な盛り上がりが圧巻。バルトークのピアノ・ソナタも荒々しく力強い両端楽章が見事。バルトークの余韻を味わう間もなくアンコールにリスト「愛の夢」、そして今日が東京音大の卒業式だったということで「蛍の光」(笑)。若い。でも落ち着いているのが非凡。1989年生まれ、ハンガリー系。
●リストの「スペイン狂詩曲」って「ラ・フォリア」のメロディが出てくるんすね。このメロディの感染力(?)って強烈。コレッリ、マレ、ヴィヴァルディ……。少し前にUSENの番組でLFJの過去のライブからサリエリの「オーケストラのためのスペインのフォリアによる変奏曲」というのも取り上げたっけ。ラフマニノフは「コレッリの主題による変奏曲」を書いた。探せばいくらでも出て来るんだろうけど、(サリエリはともかく)みんなそこそこ演奏されているのがすごい。
●バッハのフランス組曲第6番ホ長調は冒頭に平均律1巻ホ長調プレリュードを置く方式。アルマンドから始まるものという刷り込みがあるので、一瞬プログラムが違ったのかとぎょっとする。
●バルトークのピアノ・ソナタってペトルーシュカ成分の高い曲なんだなと改めて思う。
●埼京線で電車内で飲んでるオッサンたちに遭遇。酔っていたようなので隣の車両に移る。自分が飲まないので疎ましく思うが、飲めたら飲んでるに決まっているわけで、本当はうらやましいのかもしれん。飲めたら、行きも帰りも朝も昼も夜も埼京線でも中央線でも山手線でも、ポケットに安ウィスキーの小瓶を入れて、アル中になるまで飲み続ける、きっと。そしてスティーヴン・キングの小説の登場人物みたいに週末になると「AAの会」に行くんだ、「僕の名前は……クラヲ、昨晩、〆切なのに飲みすぎて原稿落としてしまったんだ、今日はまだ飲んでないよ、ヒック……」。
●サッカー。試合見てないけど、マリノスはホームで仙台に完敗の様子。また新たな苦手チームがひとつ誕生した感じ。
ダウスゴー指揮新日フィルで「不滅」/「東京・春・音楽祭」開幕
●昨晩はサントリーホールでダウスゴー指揮新日フィル。チャイコフスキー幻想序曲「ロメオとジュリエット」、シベリウスの交響曲第7番、ニールセンの交響曲第4番「不滅」というロシア&北欧プロ。前半も十分にすばらしかったが、白眉は「不滅」。快演。予想以上に熱い演奏だったが、最強奏から息を呑むような弱音までよくコントロールされていて、美しい響きのニールセンを聴くことができた。二人のティンパニの掛け合いをはじめとするこの曲のケレン味、カッコよさをたっぷりと満喫。ダウスゴーは暗譜。客席は(こういうプログラムだから?)空席も目立ったが、盛んにブラボーも飛んでいて、熱心な人が集まったときのいい雰囲気が生まれていた。このクォリティのコンサートが一日だけというのはもったいない気もするが、しょうがないのか……。
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●本日より「東京・春・音楽祭」が開幕(リンク先、音が出ます)。4月8日まで、上野を中心に約80公演が開かれる。アダム・フィッシャー指揮NHK交響楽団の「タンホイザー」演奏会形式という目玉公演がクローズアップされるが、美術館や博物館でのリサイタル、室内楽など、メニューは結構多彩。4月1日から東京都美術館がリニューアルオープンするので(2年間休館していた)、同館にも公演と合わせて足を運んでみたい。
ニッポンU23vs@バーレーンU23ロンドン五輪アジア最終予選
●ふー、悪戦苦闘しつつも確定申告になんとか間に合った。祝。そして祝、ニッポンU23、ロンドン五輪出場決定。
●今回の予選、2月にアウェイのシリア戦で完敗していったんはシリアがグループトップに立ったわけだが、そのシリアがバーレーンのアウェイ戦に負けてしまい、結局最終節はニッポンが勝っても引き分けても1位、負けたとしても得失点差で1位の可能性も十分という有利な状況で迎えることができた。
●バーレーンが実は息を吹き返していたことに驚く。最初の2節を連敗してもう終わったと思われていたのに、その後(監督代えたの?フル代表の監督)3連勝してニッポン戦を迎えた。数字上は彼らにもかすかに1位の可能性はあった。で、対戦してみると、バーレーンのピーター・テーラー監督は志の高いチームを作ってきた。中東のカウンター主体の攻撃ではなく、ポゼッションもしっかり高めて中盤のパスワークでゲームを支配しようというスタイルを目指していたんだと思う。おかげでオープンな好ゲームになってくれて、ニッポンの攻撃陣にとっては戦いやすい試合になった。2-0で完勝。いやー、ホント、この年代はうまいし、速いし、仕掛けるし、フィジカルも強そうな選手が何人もいるし、本大会でも久々に期待できるかもしれない。
●なので、選手名もメモっておこう。GK:権田-DF:比嘉、鈴木大輔、濱田、酒井-MF:山口、扇原(→山村)、東-FW:清武(→永井)、原口、大津(→齋藤学)。みんな頼りになる。マリノス勢は、比嘉がもうひとつ安定性を欠いたのが気がかり。好調の齋藤学も10分足らずでは何もできず。
●結局、アジアの1位通過は韓国、UAE、ニッポン。グループ2のUAEがややサプライズで、ウズベキスタンとオーストラリアとイラクというフル代表ならアジアトップのチームを抑えて1位。2位の総当りプレイオフにはオマーン、ウズベキスタン、シリアが進み、勝ち残った1チームがアフリカのセネガルとさらなるプレイオフへ。2位になると大変。
ワールドカップ2014アジア最終予選組合せ
●先日決まったワールドカップ2014ブラジル大会アジア最終予選組合せを確認しておこう。
グループA:韓国、イラン、ウズベキスタン、カタール、レバノン
グループB:オーストラリア、イラク、ヨルダン、オマーン、日本
●ニッポンは最近FIFAランキングを落として第1シードからは漏れてしまった。印象としては厳しいグループに入ってしまったな、とは思う。
●ここまで来たらどこも強いわけだが、あえていえば、最強と思われるオーストラリアと同組になったのが惜しい。あともうひとつ、前アジア・チャンピオンでありジーコ率いるイラクと同組になってしまった。イラクは中東最強国という認識。サウジアラビアが落ちていることからもわかるように、中東の勢力図はすっかり変わった。最終予選に中東勢が多いということは、彼らにとっては移動面で有利だろう。ニッポンも欧州組が多くなってきたので、欧州からの移動を考えるとホームゲームが実は移動距離が大きくなるというのも近年の新たな難題。ウズベキスタンが来なかったのだけは幸運。
●アジアでの実力差が均衡してきたので、今回は新鮮な顔ぶれがワールドカップに進むかもしれない。たとえばAがウズベキスタンとカタール、Bがイラクとオーストラリアで東アジア勢が沈む可能性も十分あるわけだ。もしグループで3位になった場合は、3位同士でホーム&アウェイを戦って、勝ったほうが南米5位とホーム&アウェイを戦う2段階プレイオフが待っている。こちらに回ったチームは、試合数がかなり多くなる。選手の召集とコンディションでかなり有利不利ができてしまいそう。
すみだ平和祈念と「3月11日のマーラー」
●9日(金)は「すみだ平和祈念コンサート2012」でスピノジ指揮新日フィル。もともとは東京大空襲の記憶を伝える「平和祈念」だが、日付が近いので3月11日の犠牲者への追悼という意味合いも加わる。ショスタコーヴィチの室内交響曲、バーバーの弦楽のためのアダージョ、フォーレのレクイエムと、哀悼の音楽がそろう。冒頭にスピノジがメッセージを述べ、選曲意図(ショスタコーヴィチ作品はドレスデン爆撃がきっかけになって書かれた……等)などを話してくれた。亢進的で饒舌であることをスピノジに期待する向きには意表を衝かれるプログラムではあるけど、「平和記念」ということも忘れて普通の演奏会として音楽に没頭して満喫してしまった。特に前半。すみだトリフォニーで聴く新日フィルの弦楽器の響きはとても美しい。後半フォーレは栗友会合唱団、三宅理恵(S)、青山貴(Br)。
●10日の夜、NHK総合テレビで「3月11日のマーラー」。ハーディング指揮新日フィルのあの日のマーラー交響曲第5番を題材としたドキュメンタリー。Twitterなどの反響を見ても、総合テレビのインパクトの桁違いの巨大さを感じずにはいられない。とてもよくできている。地上波TVである以上、落とし込まなければいけないドキュメンタリーの定型があり、その引力に対して普通は断固抗いたくなってしまうのだが、それ以上に当日とその夜の自分のことを思い出し、さらに東京からしばらく演奏会が消えたこと、当面の予定が次々とキャンセルになり手帳が×印で埋め尽くされたこと、今後自分の仕事はどうなるのだろうと不安になったことなど、よみがえる記憶で目の前のドキュメンタリーが上書きされていくのを感じた。
ショスタコーヴィチというサカヲタ
●「驚くべきショスタコーヴィチ」(ソフィア・ヘーントワ/筑摩書房)を読むと、ショスタコーヴィチのサッカーへの熱狂が並大抵のものではなかったことがよくわかる。「作曲家なんだけど意外とサッカーも好きなんです」とか「趣味でサッカー見てました」とか、そういうレベルではない。どう見ても完全に「コアサポ」。作曲家という人生とは別にもうひとつサカヲタ生活を抱えていたようにしか見えない。
●30年代前半、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」が成功したあたりから、ショスタコーヴィチのサッカー熱は高まっていったようだ。このときに審判員をやったりしているが、本筋はディナモ・レニングラードのサポ。1936年、あの「プラウダ」の「音楽ではなく荒唐無稽」があって、交響曲第4番を完成させるかたわら、ショスタコーヴィチは唯一人々と交わえる場所としてサッカー・スタジアムに通いつめた。ディナモの選手と積極的に近づいて、クラブについての情報を手に入れていたほど。交響曲第5番で公的な名誉を回復し、作曲家として多忙を極めるようになってからも、ディナモの試合は追いかけていた。
ショスタコーヴィチは、たとえどこにいようと、腹をすかそうが、疲れはてていようが、雨であろうが、風であろうが、スタジアムへ駆けつけていった。チケットがうまく手に入らないこともあった。そんな時、彼はスタジアムのまわりを、ダフ屋さながらに、「十ルーブル、十ルーブルでチケットはないか」といらいらした顔で聞いてまわるのだった。(「驚くべきショスタコーヴィチ」)
●唯一、普通のサポと違うのは観戦スタイル。音楽を聴くときのようにサッカーを観戦したという。叫ばず、黙って、感情を表に出さず、選手たちの動きを記憶に焼き付けながら集中して観戦していた。少しでも高く腰掛けるために、いつも古い書類カバンを持ち歩いていたという。
●ショスタコーヴィチはディナモのサポたちと日常的な交流を持っていたが、音楽関係の交友をサッカーには持ち込まないように配慮していたようだ。盟友ソレルチンスキーを含めて、音楽関係者に「コアサポとしての自分」をさらけ出すことは避け、その一方でサッカー仲間のジャーナリストとはともに連れ立ってスタジアムに通い、また大量の手紙(もちろんサッカーの試合についての)を交わしている。このサッカー書簡が残っているおかげで、彼がディナモの試合をどんなふうに見ていたのかがわかるのだが、その観戦記はまさに今のワタシらが熱心なサポのブログで読むようなスタイルのもの。とても親しみを持てる。
●このサッカー書簡の中で、いくつかショスタコーヴィチがそれぞれのチームのメンバー表を書いている。ディナモ・レニングラード、スパルタク・モスクワ、「赤い曙」(ってどこのこと?)など。たとえばディナモの選手をショスタコーヴィチはこう書く。
ラジコルスキー、スタンケーヴィチ
?、チェルヌィショフ、エリセーエフ
イリイン、デメンチエフ、ソロヴィヨーフ、ベフテネフ、トロフィーモフ
?は名前のわからない選手。他のチームも40年代前半まではおおむねこのような並びで書かれている。つまり、これは当時のソ連のチームは標準的に 2-3-5(Vフォーメーション) のフォーメーションを採用していたということだろう。2バックで守り、前線にワイドに5人の選手が並ぶ。歴史的フォーメーションだ。当時の西側サッカーもまだこの原始のフォーメーションを用いていただろうか?
トッパンホール~河村尚子「師クライネフへのオマージュ」
●昨晩はトッパンホールで河村尚子のオール・プロコフィエフ・プロ。プロコプロ。「ロメオとジュリエット」からの10の小品抜粋、ピアノ・ソナタ第2番ニ短調、「束の間の幻影」抜粋、ピアノ・ソナタ第6番イ長調という、すばらしすぎるプログラム。ビバ、プロコ。そして、ソナタ2番と6番をこれだけの水準の演奏で聴けるなんて。ソナタ第6番の冒頭って楽しくて、しかもカッコいいすよね。峻烈かつバイタリティあふれる演奏に鋼のリリシズムが豊かに息づいていた。客席はびっしり。
●第2番も愉快な曲。「プロコフィエフ自伝/随想集」にあった若き日のプロコについて。学生時代のプロコフィエフはどんどん「ソナタ」を書いて、それに通し番号を付けていた。ピアノ・ソナタ「第6番」(←習作としての番号。現存する第6番ではない)を書いたプロコフィエフに対して、ミヤスコフスキーは「べつにソナタに番号を付ける必要もないだろう」と笑って言った。「そのうち全部番号を消して、ソナタ第1番と書き直すときが来るんだから」。実際にミヤスコフスキーの言った通りになった。習作時代のソナタは第2番は何ヶ所か変更してソナタ第1番作品1になり、第3番は改稿して第3番として残り、第4番と第6番は紛失、第5番は第4番作品29と結合された。なので、現在のソナタ第2番は習作時代を終えて一から新たに書いた最初のソナタとも言える。
東京のアーリア
●アジア・チャンピオンズ・リーグ(ACL)開幕。といってもワタシは蚊帳の外なんであるが、結果を一応確かめてみると、FC東京のユニフォームを着た長谷川アーリアジャスールがガッツポーズをとっている写真が目に入った。アウェイのブリスベン戦でゴールした模様。渡邉千真も活躍するんだろうな。かつての石川もそうだが、マリノスを去った選手はみんなすくすくと成長しているような気がする。たぶん、気のせい。だと思いたい。
●だれも気にしていない、マリノスvs横河武蔵野FC、夢のトレーニングマッチ実現(笑)。
●横河武蔵野FCの今季日程。3/11開幕。今季も開幕当初はホームの武蔵野市立武蔵野陸上競技場が使用できないようで、4/30が実質的な開幕ともいえる。目指したい。
●宮市亮が先発したマンチェスター・シティvsボルトンをチラチラと。開始早々からボルトンの守備が脆くてどうなることかという試合。宮市亮は惜しいシュートが一本、サイドで勝負してクロスも。攻撃は悪くない。
METライブビューイング「神々の黄昏」
●METライブビューイングでワーグナー「神々の黄昏」。ついに「ニーベルングの指環」完結。うーん、楽しい。ジークフリートの葬送行進曲ってホントに鳥肌立つ。
●前作「ジークフリート」では「恐れを知らぬ英雄」としてあんなに威勢がよかったジークフリートなのに、結局この人も指環の呪いの魔力に屈してしまうんすよね。フィジカルは最強だけど、頭の中は子供のまま……。いや、ブリュンヒルデが神性を失ったように、ジークフリートもヴァージニティと引き換えに筋肉だけのあんぽんたんになってしまったんでしょうか。ラインの乙女たちとの会話から潔さまでなくしてしまったことが伝わってくる。己の偽誓がもとで背中から槍で刺されて死ぬ有様。しかし、そこから先の場面は泣ける……。
●神々の黄昏って言うくらいだから、神の時代は終わるんすよ。神の血を引いたみなさんは死ぬ。ジークフリートも死ぬし、ブリュンヒルデも死ぬ。でも神代の終焉というのは、同時に小人族の終焉でもあり巨人族の終焉でもある。ハーゲンはあんなに策を弄してジークフリートまで倒したのに、最後は指環に触れることもできやしない。なんてかわいそうな男なのか。そしてビバ、モータルな時代到来。
●ブリュンヒルデはさっきまでジークフリートのことを「愛してる!」って言ってたのに、裏切られたら「殺せ!」って言い、死んだら死んだで「アタシも一緒に燃やして!」って言う。乙女心、怖い。
●METの出演者陣は強力。ブリュンヒルデ役のデボラ・ヴォイト、そして前作で突如抜擢されたジークフリート役のジェイ・ハンター・モリス。彼は前作、ところどころ声がかすれ気味になるのが気になったけど、今回はそんなこともなく、甘い声の見事なジークフリート(劇場でどれくらい声が通ってるかはわからないけど)。さらに脇役がいい。グンター役のイアン・パターソン、情けないダメ男の表現として完璧。顔芸だけでグンター。グートルーネのウェンディ・ブリン・ハーマーは結構美人さんなので、まあジークフリートが忘れ薬でやられてなくてもこっちを選んで無理ないかなと勝手に納得。ハンス=ペーター・ケーニヒの無表情に歌うハーゲンに戦慄。
●ジェイ・ハンター・モリスは他の劇場をキャンセルしてこちらを歌ったとか。せっかくスターになったんだし、そりゃMETで歌うよなあ。
●演出ロベール・ルパージュのシーソー並べたみたいなムダに超ハイテクな舞台装置は、意外と効果的だった。とはいえテクノロジーの使い方として違和感が大きいし、歌手の演技もオペラ歌手的オートマティズムで流れていく感じで、かなり寂しい。でもいいのかも、METはこれで。実際「なんじゃありゃ」とかブーブー言いながら、楽しんでるわけだし(笑)。上映時間5時間半、正味4時間半の長丁場。オケはさすがにブラスはキツそうだったけど、でもうらやましい。
●ルイージの指揮もいいんだけど、今にして思うと「ワルキューレ」のときのレヴァインはスゴかったすよね。なんか憑いてた。
ホール・オブ・ザ・デッド
●日比谷公会堂で「日露友好ショスタコーヴィチ・プロジェクト2012」として井上道義指揮OEK、アンナ・シャファジンスカヤ(S)、ニコライ・ディデンコ(Bs)によるショスタコーヴィチの交響曲第14番を。ビゼー~シチェドリンの「カルメン組曲」と合わせて、弦楽器+打楽器の編成。OEKは前日に石川県立音楽堂で同じプログラムを定期公演で演奏しているようだが、たぶん実際にホールに響いた音はぜんぜん違っていたはず。
●日比谷公会堂は本当に残響が少ない。カサカサに乾いたむき出しの音が飛んでくる。日比谷体験皆無の世代としては、なにもこんなところで公演をしなくても、と最初は思ったが、そのうちこの作品ならむしろこれがふさわしいんじゃないかという気になってきた。これは死の歌なんだから。
●潤いレスなデッドな響きのなかで、整然と美しく奏でられる14番を聴いて、鬱々とひたすら気が滅入る。死神、自殺者、兵士の死、地下牢、詩人の詩……。しかしショスタコの鬱展開って気難しい、いや難しい。同じ鬱作品でもたとえばベルクの「ヴォツェック」の救いのない鬱に直面すると「豆、食おうぜ!」的な鬱ハシャギが可能であるのに対し、ショスタコ14にはハシャげない、どうしたって。
バーレーンの野望
●W杯アジア最終予選だが、最後の一枠は結局カタールに落ち着いた。これが波乱万丈だった模様。
●試合前、グループ2位のカタールは3位のバーレーンを勝点3、さらに得失点差で大きくリードする有利な状況だった。ところが最終節、カタールはイランにリードを許してしまう。そのままだと、バーレーンはインドネシアに8点差をつけて勝てばカタールを上回れるという状況。しかし一次予選ならともかく、この段階で8点差はムリだろう……と思ったら、なんとバーレーンは10対0でインドネシアをリードした!
●というのもこの試合、開始5分でインドネシアのキーパーが一発レッドで退場した。ハイライト映像を見ると、インドネシアは不思議なゲームをプレイしていたようだ。このキーパーはレッドカードが欲しくてしかたなかったようだし、ディフェンスの選手たちは戦意を喪失していた。なるほどね、これがアジア、そしてワタシたちその一員(涙)。
●ところだが。バーレーンが奇跡(笑)の10点差勝利を成し遂げたにもかかわらず、試合終了直前にカタールはイランに追いつき、勝点でバーレーンをリード、この得失点差の大逆転劇を無効化してしまった。やー。やれやれ。バーレーン敗れたり。まあ、そういうわけだ。
METライブビューイング、いよいよ「神々の黄昏」公開
●METライブビューイング、今週末からワーグナー「神々の黄昏」が公開。「ニーベルングの指環」がいよいよ完結。ワタシは「ラインの黄金」は見逃してしまったんだが、「ワルキューレ」と「ジークフリート」は大いに楽しんだ。その予告編と演出のロベール・ルパージュのインタビューがMETライブビューイング・ブログで公開されているので、興味のある方はどぞ。
●ワタシはこのロベール・ルパージュ自慢の舞台装置がぜんぜんいいとは思わないんだけど、にもかかわらず強くオススメ。やはり「指環」は音楽が特別。それと、これって映画館で見るから、オペラといっても映画なんすよ。だから、座席にカップホルダーがあるわけで、そこに飲み物を置いて、デレッとリラックスして見れちゃう。演奏中でもそっと静かにコーラ飲んだりできる。本物のオペラはとてもじゃないがこんなお気楽な姿勢じゃ見られないわけで、その緊張度の低さが吉。本物に本物のよさがあるのは当たり前だが、こしらえ物にも本物にはないよさがある。