●「うわ、でけえ」と思わず声をあげてしまったんである、丸ビルで開かれたLFJオープニングセレモニーにチェブラーシカ登場。どうやらチェブラーシカが今年のLFJスペシャルアンバサダーに就任したということなんであるが、チェブラーシカというとなんだか小さなお猿さんみたいなイメージがあったのに、この巨大さ。前後方向への歩行が不得手なようで、横に横にとカニ歩き状態で登壇してきたのが予想を裏切っていた。なんか重そうだし。
●この後、オープニングセレモニーにはメジューエワさんが登場して、ロシアの作品を演奏。ひょっとして巨大チェブラーシカが頭部をパカッと脱いだら、中からメジューエワ登場みたいなマトリョーシカ的展開を予想していたのであるが、そんなことはなかったんである。
●ということで27日より丸の内エリアでのLFJエリアコンサート開催中。
●東京国際フォーラムでのコア期間は5月3日から5日。チケットぴあを見ると、結構まだまだ余裕がある。なじみの薄い作品が多いこともあってか、ホールAはもちろん、ホールC、よみうりホール、ホールB7くらいまでは十分選べる感じ。
2012年4月アーカイブ
LFJのオープニングセレモニーにチェブラーシカ
丸の内朝大学、LFJ開幕
●丸の内朝大学という講座で「ラ・フォル・ジュルネを100倍楽しむクラス」が開講され、そのシリーズの1回を担当させていただいた。「朝はビジネスパーソンにとって貴重な自由時間」という丸の内朝大学は、始業前の朝時間を使う朝型ピープルのための講座。このLFJクラスでは講義に加えて音楽祭期間中のフィールドワークも含まれている。
●しかし始業前の朝時間っすよ。長く超絶夜型生活を送ってきた者にとっては驚愕の時間帯。朝7時半に丸の内でスタートして8時半に終わる。一昔前なら早起きすべきなのか、夜更かしすべきなのかわからない時間帯であったが、さすがにワタシも最近はもう少しまともな時間帯で生きているのであり、早起きをしたんである。
●が、実をいえば「朝、寝坊したらどうしよう、講師なのに」というのが何日も前から気になっており(笑)、前夜はあまり眠れなかった。「朝大学に行かなきゃいけないのに、ハッと目が覚めて時計を見たら、もう11時だった、呆然として携帯を見ると山のように着信履歴が残っており、いったい最初にどこにお詫びの連絡をしたらいいのかもわからず途方に暮れ、もうこうなったら地下に潜伏するか巡礼の旅に出かけるしかないと決意する」的な妄想ばかりが容易にスクスクと膨らむのであり、己の朝コンプレックスの根深さをまざまざと思い知ったのであった。
●しかし、これからワタシは朝型生活へのシフトを企む。とりあえず、企む。実践はいつからかはわからないが、まず企む。
●今日18時からLFJオープニング・セレモニー。丸ビル1階「マルキューブ」にイリーナ・メジューエワ出演。朝に丸の内、夜にまた丸の内に出かける丸の内デイ。
ノリントン指揮N響のベートーヴェン他
●25日はノリントン指揮のN響定期Bプロ(サントリーホール)。前半はベートーヴェン2曲。序曲「コリオラン」に続いて、河村尚子ピアノでピアノ協奏曲第4番。楽器配置がおもしろかった。ピアノは蓋を取って、演奏者の背中がお客さんに向くように配置される。指揮台はない。弾き振りのような配置なので、客席のあちこちから「弾き振りなの……?」という声が聞こえたが、河村さんが指揮するはずもなく、なんとノリントンはピアノの奥、すなわちフルートとオーボエの前というオーケストラのど真ん中に立った。基本姿勢はそこから斜めにコンマスを向くというスタイル。ノリントンをオケが360度囲んで、しかもサントリーホールなのでお客さんがさらにオケを360度囲むという、不思議な図が誕生。あまり弾きやすそうには見えないけど、指揮者vsピアノ、指揮者vsオケといった二項対立的光景を剥ぎ取る構図として視覚的に新鮮。端麗なピアノと「ピュアトーン」仕様のオケという流儀の違いにもかかわらず親密な雰囲気に。
●後半はブラームスの交響曲第2番。弦楽器を増やして、木管をまたも倍管に。巨大空間のNHKホールだけではなくサントリーでも同じようにするのか。もっとも倍管にしても音圧が倍になるわけではないので、空間の大きさはあまり関係ないのかも。こちらも弦楽器はノン・ヴィブラート、対向配置、コントラバスは木管の後ろに横一列。総体として日頃聴きなれない響きのブラームス。他プロのベートーヴェン交響曲に比べればノリントンの特異な解釈は少なめで、終楽章の高揚に盛んなブラボー。
●20日はNHKホールでノリントン指揮N響定期Cプロ。こちらはAプロ同様にオケの背後に反響板を5枚並べての演奏。聴く位置が違うとどうなるかなんともいえないんだけど、この反響板の効果は相当あったのでは。編成によっては今後も使ってほしいくらい。前半がベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第2番、ベートーヴェンの交響曲第4番、後半がティペットの交響曲第1番(初めて聴いた)。20世紀英国でベートーヴェンの衣鉢を継いだ交響曲作家としてのティペットという組合せ。ベートーヴェンの4番は快演。ノリントンならではの驚き満載。客席に向かって「どうだい、これ、いいでしょう?」という両手を広げる得意のポーズも健在。第2楽章のテンポの速さは一瞬なにが起きたのかと思うほど……だったが、帰宅してシュトゥットガルト放送交響楽団との録音を確かめたら、同じように速かったのであり、すっかり忘れていただけであった。
●演奏会の最後、カーテンコールが終わって客席が明るくなった後も、ノリントンは舞台袖で退場する楽員を一人一人迎える。まるでフットボール・チームの監督みたいに。前半にスペクタクルなゴールを重ねて2-0で勝利したテリー・ヴェナブルズ、的な。
Dropboxのファイル共有機能、ゾンビ・サバイバルマップ
●これ、いいすよね。「Dropboxがものすごく簡単なファイル共有機能をリリース」。送り先がDropboxのアカウントを持ってなくても使えるみたいだし。今まで校正用のデカいPDFファイルをメールで送ってた人や宅ふぁいる便とかで送ってた人にオススメ。
●Dropboxは複数PC間でファイルを同期させるためのツールだが、自動オンラインバックアップでもある。これを使い始めてから、作業中の原稿ファイルは常にすべてDropboxフォルダ内に置くようになった。フツーにローカルで保存するだけで、どこのPCからでも取り出せるわけで、安心感絶大。さらにひんぱんに参照する資料みたいなものもついでに置いている。便利。OSの標準機能になってほしいくらい。
●「ゾンビに街を支配されたときに役立つサバイバルマップ Map of the Dead: Zombie Survival Map」というのが公開されている。お、これは「ゾンビと私」で取り上げなきゃ、と一瞬思ったんだけど、止めておく。これ、どうなんすかね。生存に必要な物資を入手できる場所として、雑貨店とかコンビニとかホームセンターのアイコンが表示されているんだけど、そういう人の集まりそうな場所は危険だということが、これまでの先行研究で常識となっているのでは。
●そもそも東京なんて真っ赤になってて安全なルートもへったくれもないし。ためしにこのMap of the Deadで東京ディズニーラソドを検索してみたら、上のように見事に真っ赤。みんなやられてるね。ドナルドもミッキーもミニーも切符売り場のお姉さんも。完全にResort of the Deadなデスティニーランド。入場制限されるレベルで混雑してそう。噛まれるまで50分待ち、みたいな。
●ただ、あのあたりの埋立地で孤立度の高いところはチャンスがあるかもしれない。ゾンビは泳がない。
レ・ヴァン・フランセ@彩の国さいたま芸術劇場
●21日(土)は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールでレ・ヴァン・フランセ来日公演へ。エマニュエル・パユ(フルート)、フランソワ・ルルー(オーボエ)、ポール・メイエ(クラリネット)、ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)、ジルベール・オダン(バソン)、エリック・ル・サージュ(ピアノ) という豪華メンバーによるアンサンブル。曲目も楽しい。バーバー「夏の音楽」、ルイーズ・ファランクの六重奏曲、モーツァルトのピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調、ヴェレシュのオーボエ、クラリネット、バソンのためのソナチネ、プーランクの六重奏曲。猛烈にうまい。特にプーランクなんて、まるでCDを聴いているかのような洗練度(というのはヘンだけど……)。しかも愉悦にあふれている。
●ファランクとかヴェレシュとか、なじみの薄い曲も並んでいるけど、客席は盛況。オケの聴衆に比べると体感的には20歳くらい年齢が若いっぽい。吹奏楽系のファンが多いから? で、なんだか客席の雰囲気が違うんすよ、ぜんぜん。すごく前めり気味になって、固唾を呑んで聴いている感、全開。拍手の密度が濃い。このパワー、スピード、キレは年配層には無理(笑)。ダダダダグヮーッ!と湧き上がる拍手。600席の空間が熱い好奇心で満たされていた。
●これで気づかされたんだけど、黄昏感が漂ってる拍手ってないすか。「いい!」でも「つまらん!」でも、どっちでもない拍手。拍手のオートマティズム。気をつけたい(なにに?)。
●休憩中のロビーではCDが飛ぶように売れる。「CDが売れない」なんてどこの異世界の話かと思うほどの売場てんてこまい(死語?)状態。もちろんサイン会あり。ここでは「後でネットで値段調べていちばん安い店で買おう」的なお客さんは存在し得ないので。無敵のリアル。
迷走するトリコロール
●それにしても酷いことになっている、マリノス。いまだ勝ち星なし。リーグ戦のみならずカップ戦も含めて10試合やって一度も勝利がないというありさま。今季は初めて本格的に降格争いを戦うことなりそうだと覚悟している。
●そもそもマリノスって強いのか、弱いのか。03年と04年に岡田武史監督の下、Jリーグ連覇を果たしたわけだが、その後がある意味スゴい。2005年から2011年にかけての7シーズンの順位を並べると、9位、9位、7位、9位、10位、8位、5位。つまり昨シーズン、一瞬ACL出場権を争ったものの、ものの見事に毎年優勝とも降格とも無関係な位置に安定している。他クラブから見ると、いるんだかいないんだかよくわからないチームみたいに思われているかもしれない。
●「Jクラブの経営状況~順位と営業費用の相関性」(けしゅんそこっう ~堅守速攻?)という秀逸な考察があるんだけど、大半のクラブは成績と営業費用に相関関係があるのに、マリノスと浦和にはない。リーグ屈指の潤沢な予算を投じて9位を確保してきたのが連覇以後のマリノス。その間、監督は何人も変わっているし、いい選手もたくさん入ってきているわけで(そして出て行くのだが)、監督や選手を変えるだけでこの状況は変わりそうもないことは明らか。昨季「ACLに出場できなかったら辞任する」と啖呵を切った社長はそのまま留任し、なぜか木村和司監督がチームを去ることになった。
●内向きの監督人事、毎年のように契約後に消える外国人選手たち、契約期間が終了すると移籍する有望選手、遠すぎるピッチ。現在の「潤沢な予算で9位」路線は、そろそろ限界に来ている。
いずみホールの「ウィーン音楽祭in OSAKA2012」記者会見
●20日、大阪のいずみホールの「ウィーン音楽祭in OSAKA2012」記者会見へ。1993年よりほぼ3年ごとに開催されてきた「ウィーン音楽祭in OSAKA」だが、7回目となる今回で最終回を迎える。ウィーン音楽の伝統をテーマに、10月24日~11月25日まで全7公演が開催される。同ホール音楽ディレクターの礒山雅氏、今回出演する指揮者のクリスティアン・アルミンク、ピアニストのインゴルフ・ヴンダーの3名が登壇(写真左より)。
●核となるのは来日するウィーン楽友協会合唱団。アルミンク指揮日本センチュリー交響楽団とベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」で共演する。また、他にアロイス・グラスナー指揮同合唱団によりオルガン伴奏版でシューベルトのミサ曲第2番&モーツァルトのレクイエムの公演も。
●他に、庄司紗矢香&カシオーリ、ラドゥ・ルプーのリサイタル、藤村実穂子&福井敬と金聖響指揮いずみシンフォニエッタ大阪によるマーラー「大地の歌」室内合奏版(シェーンベルク/リーン編)、ウィーン弦楽四重奏団、ユベール・スダーン指揮大阪フィル&インゴルフ・ヴンダーの公演。
●予算的な面から現状の音楽祭としては今回が最終回。これまでの音楽祭を振り返って、音楽ディレクターの礒山先生は「前回、久しぶりの来日となったウィーン楽友協会合唱団が特に印象に残っている。ウィーンの伝統を体現した存在である彼らを、今回も招くことができたのは喜ばしい」と語ってくれた。またアルミンクは2002年開催の同音楽祭で関西デビューを飾ったという縁がある。「すぐれた音響を持ついずみホールでの公演は思い出に残っている。今回、ふたたび礒山先生に招いていただき、ウィーン楽友協会合唱団とウィーンではなく日本で初めて共演する機会を得ることができ、楽しみにしている」(アルミンク)。
●というわけで、東京で記者会見が開かれたので(東京會舘)、珍しく大阪の話題を。
ゾンビと私 その23 「銃・病原菌・鉄(上)」(ジャレド・ダイアモンド著)
●文庫化されたら身の回りでスゴい勢いで読まれているので、今さら感もあるんだけど、でもやっぱり取り上げる、「銃・病原菌・鉄(上)」(ジャレド・ダイアモンド著/草思社)。ピュリッツァー賞受賞作。名著と言われるだけに、さすがにおもしろい。簡単に言えば、人類史の謎を解き明かす、というか文明の成り立ちを基礎的な科学的知見をもとにクリアに説明したもので、その出発点として、現代における大陸間人種間の不均衡はどこから来ているのだろう?という疑問を設定しているのがうまい。ヨーロッパ由来の白人たちはニューギニアを植民地化したが、なぜその逆ではなかったのか。なぜアメリカ大陸の先住民は旧大陸の住民に征服されたのか。なぜその逆ではないのか。
●いちばんおもしろいと思ったのは、農耕と家畜について書かれた章。農業というものが、最初の第一歩からヒトによる一種の品種改良だったことがよくわかる。トウモロコシの最古の原種は実のなる穂軸が1.3cmしかなかった。現代は45cmの品種があるという(ウチの近所のスーパーにあるのはそこまでは大きくはないけど)。リンゴの野生種は直径2.5cmなのに、スーパーのリンゴは7.5cmくらいある。エンドウは野生種と栽培種では、10倍ほどサイズが違う(もちろん栽培種が大きい)。なぜか。ヒトが食べるに適した大きな個体を選択的に栽培したからだ。それが何千年と繰り返されて、栽培種は野生種よりずっと大きくなった。
●野生の小麦は穂先に実ると、実をまき散らして、地面から発芽する。実をまき散らすのは、子孫を残すため。しかしこれではヒトにとっては都合が悪い。勝手にまき散ってもらっては、収穫ができない。ところが突然変異で、まき散らさないタイプの小麦が生まれる。ヒトはその変異種を栽培する。長い年月を経て、実をまき散らさない小麦が栽培種として世界中に広がり、多数派となった。つまり、これは自然淘汰だ。かつては小麦は子孫を残すために実をまき散らしていたのが、ヒトという動物が繁殖して農耕を覚えたら、実をまき散らす種よりも、まき散らさない種のほうが子孫を残すのに有利になったわけだ。
●ミツバチが花粉を運んだり、動物が果実を食べて種子を排泄して植物の繁殖を手助けするのと同じように、ヒトも自然のメカニズムの中にひとつの種として組み込まれていることを改めて実感する。「人間vs自然」のようなロマン主義的な観点を、自然界は有していない。ああ、オレたちって動物だなあ。
●ヒトという種のみを除外した自然礼賛のような見方があるけど、実際にはヒトという種のない自然なんてものはない。じゃあ自然のメカニズムに取り込まれていない種というものがありうるのか、というとありうる。それがゾンビだ。彼らは農耕も狩猟採集もしない。ヒトを襲うのは本質的には捕食ではなく、一種の行き止まりの繁殖であり、コピーワンス繁殖みたいなものだ。環境の変化により生態系が変化しても、食糧の心配など必要としない。生存本能もなければ、生殖本能もないのに、生きている(死んでるけど)。ワタシたちがゾンビに恐怖するのは、ヒトと異なり、彼らが本当に自然から独立しているからだ。ゾンビという現象は、潜在的にある種の自然礼賛と表裏一体の関係にある。
ドゥダメル指揮ウィーン・フィルの新譜、重量盤LPでリリース
●ドゥダメル指揮ウィーン・フィルの新譜、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」が重量盤LPでリリースされた。輸入盤LPのみでの完全限定盤で発売なんだとか。これはウィーン・フィル、ドゥダメル、ORF、ドイツ・グラモフォンによるエル・システマをサポートするためのチャリティ企画ということで、すべての利益がエル・システマに寄贈されるという。
●「180g重量盤高音質LP」とか、なんだか懐かしいノリ。LPの頃は再生音を向上させるためにありとあらゆる秘術が使われているという感じだった。デジタルデータを読むわけではないので。
●でもどうしてLPなんすかね?
カンブルラン指揮読響で「おもちゃ箱」「ペトルーシュカ」他
●昨晩はカンブルラン指揮読響定期(サントリーホール)へ。ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、「おもちゃ箱」、ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」(1947年版)というプログラム。「おもちゃ箱」は生で聴くのは初めて。愛娘シュシュのために作曲された作品ということなんだけど「子供の領分」と違うのは、おもちゃ箱の中で起きた人形のお話というストーリー性があるというところ。もちろんこれは後半の「ペトルーシュカ」の人形に命が吹き込まれるという題材と呼応し、同じ「命を宿した人形」を扱いながらも前半の愛と優しさで包まれた安全地帯と、後半のグロテスクで無慈悲な狂乱の世界とで強烈なコントラストを描き出す。両者とも(オリジナルは)1910年代前半の作品。シュシュは「おもちゃ箱」が気に入っただろうか? 男の子マインドで言えば、おもしろいのは圧倒的に「ペトルーシュカ」だ。男子は「おもちゃ箱」みたいな世界に本能的にウソくささを直感する。物語なしで30分は冗長では? しかしイングリッシュ・ホルンのソロはため息ができるほど美しい。
●そして「ペトルーシュカ」。圧巻。なんという色彩感。鮮やかな原色から繊細なパステルカラーまで取り揃えられた女子も男子も飛びつくロリポップ。躍動するリズム、あふれ出る愉悦。こちらこそ「おもちゃ箱」だ。箱をかき回すとなにが飛び出すかわからない。つい先日インバル都響で同じ曲のすぐれた演奏を聴いたばかりなのに、まったく違うアプローチで名演を聴くことができた。出色の出来では。こんなに洗練された絢爛とした音楽を作曲者は想像しただろうか。
ノリントン&N響、広上&OEK、ヘルムヘン/エーベルレ/石坂トリオ
●開幕から6試合を終えて、いまだ勝利のないマリノス。監督人事の段階である程度覚悟はしていたが、さすがにこれはヤバいんでは。怖くて順位表が見れない(ら抜き)。この怖さをたとえるなら、ゾンビに噛まれそうになって間一髪で攻撃をかわしたんだけど、かわしたつもりなのになぜかズキズキ痛みがあって、もしかしてそれ傷になってるんじゃないか、かすり傷だけどまさか噛まれちゃったんじゃないよね、そんなはずないよね、でもなんか痛むんすけど……的な怖さとでも言おうか。
●新しい順に振り返る、この一週間のコンサート。今日15日はノリントン&N響。うららかな一日、原宿は若者と外国人観光客だらけ、代々木公園でピクニックしている人たちが楽しそう。だがNHKホールの中はピクニック以上の楽しさだった。ベートーヴェン・プロでヘルムヘン/エーベルレ/石坂団十郎のトリオとの三重協奏曲、交響曲第3番「英雄」他。舞台後方にいつもは見かけない反響板を並べて、奥行きをコンパクトにしていたのが奏効していた模様。ノンヴィブラートの「ピュアトーン」仕様(ただしソリスト陣は自分たちのスタイル)、前半は小編成、しかし後半はなんと木管を倍管に。fl4,ob4/cl4,fg4と木管セクションが壮観。最後列にコントラバス8台を並べる。ヴァイオリンはもちろん対向配置。ステージ中央で分厚く響く音塊を左端のホルンと右端のトランペットが縁取りをする。ピリオドさせること以上に、意表をついたダイナミクスなどオーケストラを自由に思いのまま動かせるということに驚嘆する。普段とぜんぜん違ったことを要求されてもオケが付いてくる。スゴい。痛快で笑えて、しかもウルッと来て泣ける「エロイカ」。圧巻。
●13日は金沢で広上淳一指揮OEK(石川県立音楽堂)。アッテルベリのヴェルムランド狂詩曲、ヒンデミットの「四つの気質」(河村尚子ピアノ)、シューベルトの交響曲第2番。このヒンデミットが聴けるというだけでも足を運ぶ価値あり。シューベルトは予想以上に熱っぽく引き締まった音楽になって、客席がぐいぐいと音楽に引き込まれていく雰囲気が周囲から伝わってきた。プログラミングも演奏も最高度のクォリティを持ったコンサートだったが、客席に隙間が多かったのが唯一残念。ここは定期会員率が高いので、チケットを持っていても演目を見て欠席してしまった方も少なからずいたはず。シーズン最大級の聴きものだったかもしれないのに、惜しいことである。
●9日はトッパンホールでヘルムヘン/エーベルレ/石坂団十郎のトリオ。ハイドンのピアノ三重奏曲ハ長調 Hob.XV-27、ブラームスのピアノ三重奏曲第3番ハ短調、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番変ロ長調。前半のハイドンとブラームスが特に楽しめた。三人ともとにかく上手くて、しかもトリオとしてもとても美しい響きが作られていたとワタシは感じたんだが……。若くて優秀で、ひたすらまぶしい。15日のN響との共演の日は、後半を客席で聴いていたみたい。ノリントンのユーモアに笑ってくれただろうか?
告知あれこれ
●告知をいくつか。スマソ。
●CDジャーナルさんのサイトに特集「まだ間に合う! ラ・フォル・ジュルネ“サクル・リュス”の注目公演」の記事を寄稿。一般発売後も割と余裕を持って購入可能な公演の中から、自分でハシゴするとしたらこの公演をチョイスするというリアリズム設定でオススメを。小さな会場は瞬時に売り切れるけど、ホールAとホールCはもちろんのこと、よみうりホールとホールB7も意外と発売後でも間に合う。LFJファン向け。
●LFJ公式サイトにコース別「ラ・フォル・ジュルネの楽しみ方」。キッズと楽しむプラン、中高生向けプラン、仲間たちとみんなで楽しむプラン、大人女子会プランのタイプ別4コースをご案内。一般向け。
●USENさんの「B-68 ライヴ・スペシャル ~CLASSIC~」にて、過去のナントでのLFJ音源をご紹介するシリーズを放送中。ナビゲート&構成を担当。毎月2回のプログラムでしばらく前から古い順にLFJナントをたどっていて、今月は2010年と2011年のナントを振り返っている。来月にシリーズ完結。LFJ熱烈ファン向け。
●今晩のオーケストラ・アンサンブル金沢定期公演(石川県立音楽堂コンサートホール)でプレトークを担当します。広上淳一指揮でアッテルベリのヴェルムランド狂詩曲、ヒンデミットの「四つの気質」(河村尚子:ピアノ)、シューベルトの交響曲第2番という驚愕のプログラム。これから移動、支度せねば。
11番のパチユニ
●冬から春にかけて困るのは、日中に暖かいと思っていても、意外と夜になると冷えることがある、ということだ。冷え込む日もある。冷えない日もある。昼間、軽装で出かけるときは注意が必要。シャツとジャケットで出かけたが、夜、もう一枚着るものが欲しくなるかもしれない。
●そこで、防寒用にカバンに詰め込んでおく、魔法のパチユニを。このレアルマドリッドのパチユニの背中には、11番とロナウドの名が入っている。ロナウドとは、クリスチャーノ・ロナウドではなく、かつてのブラジル代表のエースストライカー、伝説の「フェノメノ」、あのロナウドのことだ。彼は本来9番の選手だが、レアル・マドリッドではほんの一時期11番を背負っていた。
●パチユニってのは、パチもんのユニって意味だ。たぶん2002年に日本でワールドカップが開催された直後くらいのものじゃないだろうか。埼玉スタジアムとか、スタジアムへ向かう途中の道端でガイジンたちがずらっと並べているアレだ。試合前に1枚3000円とかふざけた値段で売っているが、帰るころになると2枚で1000円とかになるヤツ。
●パチユニといっても、なにしろロナウドで、11番なんである。これは貴重。祝福されているといっていい。これを着ると、ロナウドになれる。どこでもサンチャゴ・ベルナベウ。装着すれば決定力はマックスに上昇、そして防寒力もワールドクラスだ。一見、安物パチユニにふさわしく薄っぺらなメイド・イン・タイランドなのであるが、実は信じられないくらい保温力が高い。真冬の東京だろうが、新潟だろうが、北ドイツだろうが、このロナウド11番を着れば、どんなに夜の冷え込みが厳しくても無問題。絶対に寒くない。
●だから、夜が心配なときは、カバンにこの11番を詰め込んでおく。いざ必要になったら、シャツの上からこれを着て、その上にジャケットを羽織ればよい。それで確実にどんな寒さでもしのげる。幸い、今のところ実際に使用するまでには至っていないが、これさえ持ち歩いていれば、季節の変わり目も乗り切れる。11番だから。ロナウドだから。フェノメノだから。
日生劇場開場50周年記念特別公演制作発表~ライマンのオペラ「メデア」「リア」
●10日、日生劇場の開場50周年記念特別公演制作発表へ(帝国ホテル)。アリベルト・ライマンのオペラ「メデア」が2012年11月に、同じくオペラ「リア」が2013年11月にそれぞれ日本初演される。各3回公演。下野竜也(写真右より3番目)指揮読響、演出は「メデア」が飯塚励生(右端)、「リア」が栗山民也(右より2番目)。「メデア」のキャストは公演案内ページにすでに発表されている。題名役に飯田みち代/大隅智佳子。ビデオメッセージで作曲者ライマン、および作曲者ゆかりのフィッシャー=ディースカウが登場。
●ニッセイ文化振興財団の芸術参与、高島勲氏(写真左端)が「『リア』は海外の各地の劇場ではレパートリーに入っているにもかかわらず、日本では歌唱とオーケストラの難度の高さや編成の大きさのために、これまで上演されてこなかった」と語り、今回の上演の意義を強調、「メデア」を演出するニューヨーク生まれの飯塚励生氏は「従来私たちが知っている『メデア』と、このグリルパルツァー原作の『メデア』はまったく別物。グリルパルツァー作品ではよりメデアが人間的に描かれている。現代人にも伝わるインターナショナルな問題を扱っており、復讐心だけではなく愛情を持ったメデア像を描いている」と話してくれた。
●「メデア」は2010年にウィーン国立歌劇場で初演された近作。「リア」は1978年、バイエルン国立歌劇場にて初演。こちらはフィッシャー=ディースカウの録音などで聴いている方もいるかもしれない。が、ほとんどの方にとっては(音楽は)なじみの薄い作品であるはず。一方、題材となる物語はたいがいのオペラより知られているともいえる。今回の上演を機に一気に日本での作品受容が進むかもしれない。
「アルテス」 Vol.2 アップルと音楽
●出た、「アルテス」創刊第2号。「ジャンル無用の音楽言論誌」と銘打つ通り、今回も「書き手が書きたいことたっぷり書いた感」満載。なにしろ特集テーマは「アップルと音楽」。こんなテーマが成り立つというだけでも、アップル製品が音楽を作る側、聴く側にどれほど深い影響を与えてきたかがわかる。……といいつつ、ワタシはMS-DOS以来の(いや正確にはNECのPC-8001以来の)マイクロソフト野郎なのであり、アップル製品を避けて通ってきた者なのであるが(笑)、そんなPC派にも共感しつつ目ウロコだったのが八田真行氏の「手入れの行き届いた庭で育つ文化とは?」。アップル的なカルチャーあるいはグーグル的なカルチャーよりもワイルドなサードパーティがもたらすカオス大好きダサダサ派としては、改めて四面楚歌っぷりを再認識。
●前号もそうだったけど、特集以外の記事のバラエティ感が好き。安田寛氏が書いている「発見が発見でなくなる時代~音楽研究はいまやGoogleが仕掛けた検索ゲームになった」というエッセイが実に示唆的。何年も苦労して探してきた研究資料が、偶然あっさりとGoogleブックスで「発見」できてしまう。しかし誰にも等しく公開されている情報にアクセスした場合、それは果たして「発見」と言えるのか? シリアスな問題提起であるはずだけど、どこか脱力するしかない笑いがわいてくる。グーグル流のスマートなアルゴリズム主義って、こういうことなんすよね。
●渋谷慶一郎×湯山玲子特別対談「爆音で楽しむモーツァルト」は、これ読んで青筋立ててるヲタの姿を思い浮かべてイヒヒヒとほくそ笑みながら読む、くらいのアクロバットな姿勢で受け止めたい。
東京・春・音楽祭~ミュージアム・コンサート寺神戸亮、インバル&都響
●昨日は「東京・春・音楽祭」でダブルヘッダー敢行。午後イチで上野駅に着くと大変な人出。桜満開・週末・晴天。街が限界いっぱいまで人で飽和している。駅員さんが構内でロープを張って人の流れを誘導しており、駅から出るのも一苦労。よれよれになりながら東京都美術館までたどり着くと、館内は人も疎らで静かで落ち着いた別世界。ビバ美術館。
●午後2時から講堂でミュージアム・コンサート、寺神戸亮無伴奏ミニリサイタル。「美術と音楽~絵画に描かれた楽器たちvol.5」と銘打たれており、プレトークでは、楽器が描かれた絵画を手がかりに、音楽ではなく美術について語られる。これはいいすね。で、演奏中に寺神戸さんが楽器や弓の紹介をわかりやすく話してくれるのもありがたい。ビーバーの「ロザリオのソナタ」からパッサカリア、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲から、バッハの無伴奏パルティータからのシャコンヌ。講堂なので残響も少なく、音楽を聴く場所というより講義を聴く場所なのだが、演奏者との距離も近く、トークが入ることもあって贅沢な体験に感じられた。以前にも感じたけどこの「ミュージアム・コンサート」のシリーズは短いプログラムなのに満足度が高い。
●夜のインバル都響まではたっぷり時間がある。予定では花を見てぶらつくか、いずれかの美術館あるいは博物館を見るつもりだったのだが、小さな買い物の用があって街のほうに出たらそれだけで疲労困憊してしまった。人出に酔う。なんでもない店にずらっと行列ができる状態で、腰を落ち着ける場所にも苦労したが、かろうじてお茶と食べ物にありつけた。
●インバル都響はストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」1947年版と「火の鳥」1910年全曲版という、うなぎ食ってステーキ食うみたいな豪勢プロ。見通しがよく、かつ剛悍な音楽に爽快な気分に。桜も人ごみもパンダも全部なぎ倒してくれようという快演。前半も後半も盛んにブラボーが飛んでいた。都響はときどきしか聴いてないけど、もっと聴くべきかも。そして文化会館には文化会館ならではのよさがあるなと改めて再認識、特にこういう作品だと。
東京・春・音楽祭「タンホイザー」
●東京・春・音楽祭でワーグナー「タンホイザー」演奏会形式(東京文化会館)。アダム・フィッシャー指揮NHK交響楽団、ステファン・グールドの題名役他。8日(日)にもう一公演ある。
●演奏会形式ということだけど、意外とオペラ。ステージ奥に高さ2メートル強くらいの仮設ステージのようなものを置いて、歌手や合唱はそこから歌う。そしてさらにその奥にスクリーンがあって、ここに場面ごとに応じた映像や字幕が投影される。なので、オケはステージ上にいながらも、まるでピットに入っているみたいな雰囲気。映像はもっと説明的なものが付くのかと予想していたけど、静的な背景画だった。
●そんなこともあり、予想外に「タンホイザー」の物語に浸かってしまったんであるが、エリーザベトってホントに傲慢でヤな女すよね。オペラ3大ヤな女の一人。特にイヤなのは勝手に死ぬところ(笑)。いつの間にか死んでるし。そしてヴォルフラムをはじめとする騎士たちの嫌らしさ。タンホイザーはフツーのダメ男なんすよ。ヴェーヌスベルクで快楽に浸っていると「やっぱり騎士の世界がいいかなー」と思い、戻ってみると「なんだコイツら偽善者ばっか、やっぱりヴェーヌスベルク行こう~」ってなるし、場当たり的で、今がよければそれでいいというタイプ。つまりフツーの若い男そのもの。ただし、モテる。
●でもヴォルフラム他の騎士連中はモテない。ヴォルフラムなんて本来エリーザベトとお似合いのカップルのはずなのに振られちゃう。彼らは立派なお題目ばかり唱えているが、チャラい若者タンホイザーへの嫉妬と怨嗟を隠すことができない。この人たち、歌ばかりうたってるが、じゃあ騎士としていかほどのものよ。威勢いいこと言っても、ホントに剣を抜いたらずいぶんショボいんじゃないの?
●タンホイザーの悲劇はここからなんすよね。騎士どもに耳なんか貸さず好き放題やってヴェーヌスとエリーザベトの間でフラフラしてれば、そのうちどっちにも愛想をつかされて、まっとうな大人への第一歩を踏み出せただろうに、騎士たち、エリーザベト、領主らに咎められ、悔い改めて巡礼に出ることになってしまった。巡礼に出るんじゃなく、本当は世間に身を置き続けなければいけなかったのに。だから、これは社会に抑圧された若者が道を踏み外すという物語、ワタシ内分類的には。
●平日17時開演だったので、勤め人には無理な時間帯だし、一方平日昼のお客さんにとっては夜が遅くなりすぎるということもあり、さすがに客席は空いていた。オケは尻上がりに調子を上げていった。日曜はぐっと客席が熱くなるだろうから、さらに一段よくなるのでは。
「百姓貴族」2巻 (荒川弘 著)
●おっとっと(←死語?)、これ出てたんだ、忘れるところであった「百姓貴族」の第2巻 (荒川弘著/WINGS COMICS)。「鋼の錬金術師」で知られる荒川弘の農家エッセイコミック。第1巻にもリアル農家ならではの豪快な話が山盛りであったが、今回もなかなかエグい。特に畜産系の話が酪農無縁な者にとっては知らない世界を垣間見る感満載で、牛の角を切る話とか怖い。けど、笑う。全般に怖くて笑えるんすよね。こわおかしい。
●で、スゴいなと思ったのがamazonのユーザーレビューで、実家が酪農を営んでいたっていう方が「牛乳豆腐といい、牛の妊娠出産といい、ツボだらけで笑いが止まりません」みたいなことを書いていて、「あるある話」としてウケていた。農業知らない都会の人が読んでも、実体験として共有できる人が読んでも、両側から笑えるって偉大。作品として。
●ジャガイモ畑のオーナー制の話が味わい深い。都市生活者のエコでロハスな農業幻想がいかに身勝手なものかを教えてくれる。
春の嵐、春の爆弾低気圧
●今晩は本当なら東京・春・音楽祭の「東博でバッハ」福田進一ギターリサイタルに出かける予定だったのだが、悪天候のために中止になった。「悪天候のために中止」というと野球かなにかみたいだが、もうとんでもない突風と雨で、「爆弾低気圧」と呼ばれる現象だった。並の台風より強烈。
●事前に気象庁から「外出はなるべく控えるよう」的な予報があったので、当初はしっかりと雨対応をして上野に向かうつもりだった。傘は使い物にならないと見て、山歩き用のレインコートを上下に着て、軽登山靴を履いた。両手を空けないと危険かと思い、荷物はすべてデイパックに。デイパックを担いでからレインコートを着ないと濡れちゃうような、などとグズグズしながら支度して、よし、これで大丈夫と思って出発したが、最寄り駅に着く前にめげた。いくらレインコートを着ていても横殴りの雨が顔に当たり続けるとイヤになる。しかも思ったより風が強くない。服装的に運動性も低く、不快度が高い。ワタシはまちがった装備で外に出てしまったのだ。そう思い、家に引き返した。
●で、レインコートを脱ぎ、軽装になり、雨傘を持って、再度出かけたんである。お、やっぱり楽だな、これは。最初はそう思いスタスタ歩いていたんだが、強烈な突風が襲ってきて、傘秒殺。壊れて役に立たない傘をなにかのおまじないであるかのように掲げながらびしょ濡れで歩く人になってしまう。全身ずぶ濡れで、これで上野までたどり着けたところで、どうやって演奏会を聴けというのか。判断を誤ったのだ。どうしようもないので再び家に引き返した。
●着替えながら落ち着いて考えてみた。きっと最初のレインコート作戦が正解だったんだろう、この嵐の中で歩くなら。上野の駅からだって結構歩くんだから、軽装で行けるわけがない。少し体力も消耗した。なにか別の手段を考えるべきなのか、それとも今日はもう諦めるしかないのか……と悩んでいたところで、公演中止の知らせを受けた。ほっ。公演を聴けなかったのは残念だが、その後さらに嵐が強まったことを思うと、これは正解だった。東京に竜巻注意報が出ていた。
●竜巻注意報って、あるんすね。怖い。竜巻に巻き込まれて「ア~レ~」って感じで飛ばされるとどこにたどり着くのか。ラピュタ? いや、むしろリュウが「竜巻旋風脚!」って叫んでクルクル回っているイメージ、竜の巣の中心で。コマンドは下→斜め下→ヨコ+キックボタン。
ACミランvsバルセロナ@チャンピオンズリーグ
●久々に欧州サッカーをテレビ観戦。チャンピオンズリーグ準々決勝のACミランvsバルセロナ。さすがにハイレベルな戦い。バルセロナは今季リーグ戦ではレアル・マドリッドの後塵を拝しているが、それでも超絶ポゼッション・フットボールは健在。ACミランがホームで戦っても、守備で受けて立たざるを得ないんだから。序盤は意外とオープンな戦いでお互いにあっさりと決定機が訪れ、派手な打ち合いになりそうな雰囲気だったが、両者決めるべきときに決められず、次第に試合は膠着状態へ。後半の後半くらいには「お互い、0対0でも悪くない」的な空気が漂ってた。これは準々決勝の前半にすぎないんだし。で、0対0で終わった。
●ミランがカウンターを食らってピンチになる、っていう場面はなかったんじゃないかな。バルセロナが攻め込んでいるときは、必ずミランの守備陣もしっかり戻っている。ポゼッションはバルセロナでも、ゲームとしてはミランの思惑通りだったかも。バルセロナはホームに帰って勝てばいいんだから有利なことは有利なんだけど、ミランからするとアウェイで1対1で引き分ければバルセロナを下せるので、悪い話じゃない。むしろホームで失点してバルセロナにアウェイゴールを与えてしまったら、とてつもない重荷になっていた。アッレーグリ監督は心の中でガッツポーズだったと思う。
●バルセロナのバックラインはプジョル、ピケ、マスチェラーノ、ダニエウ・アウヴェスで、右サイドだけが前がかりになるので、4-3-3のような3-4-3のような布陣。前線はイニエスタ、アレクシス・サンチェス、メッシ。前から後ろまでパスが美しく回る。ミランは4-4-2で、攻めるのはもっぱらイブラヒモヴィッチ、ロビーニョとプリンス・ボアテング。中盤以降の選手はみなリアリズムに徹しているが、前線の選手だけでスペクタクルを作れるのが強み。いちばん見たい選手はボアテングなんだけど、大きな見せ場は作れず。
●イブラヒモヴィッチのなにがスゴいって、ひたすら所属クラブでリーグ優勝を続けているところだろう。アヤックスでの03/04シーズン以降、ユヴェントスで2年連続、インテルで3年連続、バルセロナで1年、昨シーズンのミランと、この8年間ずっと優勝を続けている。今季も現時点でミランはリーグ首位を走っている。これほど所属クラブを勝利に導いた選手はフットボール史上存在しなかったんじゃないだろか。そして、毎年必ず優勝しているにもかかわらず、こんなに移籍が多いというのも謎。いや、謎じゃないのか。
「電車男」がピアノ三重奏曲に
●フランスの作曲家、パスカル・ザヴァロがあの懐かしの「電車男」を題材にピアノ三重奏曲「電車男」を作曲、これをチェロのアンリ・ドゥマルケット他がレコーディングし、このたびCDでリリースされた。「電車男」とは2004年にインターネット上の掲示板で一世を風靡した都市伝説風ラブストーリー。アキバ系ヲタクとされる「電車男」氏が電車の中で酔漢に絡まれた女性を助けたことから、後日エルメスのティーカップが贈られ、これをきっかけに二人の交際が始まった。「電車男」氏が逐次的に進展状況を掲示板に報告したことから、若者たちの大きな共感を呼び、後に書籍化、映画化、テレビドラマ化されている。
●パスカル・ザヴァロのピアノ三重奏のための「電車男」は3つの楽章から構成される。第1楽章「電車内で」、第2楽章「インターネット」、第3楽章「出会い」。楽章に添えられたタイトルから、忠実に現実の物語を追いかけたものと推察できる。
●なお同CDには、同じ作曲家のチェロ協奏曲も収録される。こちらはアンリ・ドゥマルケットのソロに加えて、今年の「ラ・フォル・ジュルネ」でも来日するファイサル・カルイ指揮ベアルン地方ポー管弦楽団が伴奏を務めているのが楽しみである。