●27日、東京オペラシティの近江楽堂でチパンゴ・コンソートの「コレッリシリーズvol.3 安らぎの歌」へ。コレッリのソナタを中心に、モンテヴェルディ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィターリ、ロニョーニらの作品。前回に続いて杉田せつ子さんのヴァイオリン、懸田貴嗣さんのチェロに、今回はアーチリュート高本一郎さんが加わり、さらにソプラノ阿部早希子さんが招かれて、いっそう多彩なプログラムになっていった。コレッリらの晴朗な音楽がもたらす満ち足りた愉悦と、狭い近江楽堂にあふれる静かな熱気を味わうあっという間の2時間。随所にバランスよくトークも挟まれて、親密な雰囲気が醸しだされていたのも吉。次回「コレッリシリーズ Vol.4 〜La folia フォリア!〜」は12/20(木)に西山まりえさんを招いて開かれるそう。
●懸田貴嗣さんは新譜「ランゼッティ チェロ・ソナタ集」がコジマ録音からリリースされたばかり。え、ランゼッティ……って誰?と思うわけだが、1710年頃ナポリ生まれの最初期のチェロのヴィルトゥオーゾなんだとか。今回収録された「12のソナタ」作品1からの6曲中4曲は世界初録音とされている。それぞれ変化に富んだ表情豊かな作品で、特におしまいの第6番が楽しい。愛らしさ、茶目っ気、熱狂、メランコリーが一体となった名作。
2012年9月アーカイブ
チパンゴ・コンソートのコレッリシリーズvol.3
プレヴィン&N響のモーツァルト&ハイドン
●26日、プレヴィン指揮N響へ(サントリーホール)。前半にモーツァルトの交響曲第1番と交響曲第41番「ジュピター」、後半にハイドンの交響曲第102番。思い切った小編成で、最初の第1番は6型(6-6-4-3-2だったかな?)。「ジュピター」以降は少し大きくなって、でもそれでも8-8-6-4-3。コンパクトではあるけど、豊かで重厚なモーツァルト&ハイドンだった。特に第102番の終楽章は、遅めのテンポで堂々たるハイドン。
●この選曲だとクラリネットが要らないんすね。ハイドンの「ザロモン・セット」ではクラリネット使用率はどれくらいなんだっけ? えーと、1791年から92年にかけての最初のロンドン訪問で書かれた第93~98番までは使用されていないっぽい。しかし二回目のロンドン訪問のために書かれた94年から95年までの作品、第99番~第104番ではクラリネットも使ってOKとなったらしく、この第102番以外の曲では全部使用されている。なるほど、クラリネットなしで後期ザロモンから選曲するなら第102番一択なのか。「ジュピター」がフルート1本だから(1番の管はオーボエとホルンのみ)、ハイドンのほうもフルート1本ならさらにスリム化が可能になるわけだが(笑)、あいにく102番は2本必要。しかしもし第95番ハ短調をメインに置けば、フルート1本、クラリネットなしでプログラムを組める。人手不足のオーケストラを編成するときのために覚えておくと役に立つかもしれない。
●プログラム解説によると、第102番初演時のザロモンのオーケストラは「60人を数える」と書いてあるから結構大きい。この日のN響のように弦が8-8-6-4-3だと木管6、金管4、ティンパニで計40名。この1.5倍だ。仮に弦が14-12-10-8-6だとすると61名で、大体そんなものか。ザロモンはなかなか羽振りがよい。
●ちなみにモーツァルトがウィーンに出てきた1781年、ケルントナートーア劇場で92名の大オーケストラがモーツァルトの交響曲(第31番「パリ」K297または第34番ハ長調K338)を演奏したという話が残っている。20型、倍管くらい? ベートーヴェンの倍管仕様は最近ノリントンがN響でもやってたけど、ここまで巨大編成のモーツァルトというのはなかなか聴く機会がなさそう。
Amazon mp3のマル秘お得情報(?)
●Amazon mp3ではアルバム単位ではなく曲単位でも購入できることが多いのだが、たまにやたらと長い1トラックを100円とか150円で販売していることがある。たとえば、ベルギーのピアニスト、ステファン・ギンスバーフによるモートン・フェルドマンの「バニタ・マーカスのために」は、1トラック71分に100円の価格がついていて驚く。同様に同じくフェルドマンの「ジョン・ケージのために」66分とか、ジョン・ケージのSeven51分、同じくジョン・ケージのTwo540分などが、1トラックで「分売」されている(ケージのナンバーピースに同様例多数あり)。時間単価でmp3を買うならフェルドマンとケージが断然お得だ。特売品に目ざといご近所さんにも教えてあげよう。
スクロヴァチェフスキ&読響のデ・フリーヘル編「トリスタンとイゾルデ」
●24日はスクロヴァチェフスキ指揮読響へ(サントリーホール)。ウェーバーの「魔弾の射手」序曲、リチャード・ストルツマン(もう70歳って)のソロでスクロヴァチェフスキ作曲クラリネット協奏曲(日本初演)、ワーグナー~デ・フリーヘル編「トリスタンとイゾルデ」。この後半のワーグナーが圧巻だった。こんなにスゴい音が出てくるの?と思うほどオケが雄弁、しかも精妙。そして「トリスタンとイゾルデ」がデ・フリーヘルの編曲で完全に一曲の交響詩として鳴り響いていたのがすばらしい。
●なんらかの理由で「ワーグナーのオペラをどうやったらオペラ抜きで(≒コンサートで)聴けるか」という矛盾した欲求を抱えている人は少なくないと思うんだけど、これは結構難しい、と思っていた。デ・フリーヘルの編曲も95年のデ・ワールト盤をリリースされてすぐに聴いているはずなんだが、そのときの印象は芳しくなくて存在自体を忘れていたようなもの。でもこの日のスクロヴァチェフスキ&読響で聴くと、まるでR・シュトラウスの「英雄の生涯」や「アルプス交響曲」のように、ストーリー性は確かに持っているんだけどそれを知らなくても音だけで起承転結が成立する作品として「トリスタンとイゾルデ」が再創造されていた。物語はばっさり切り落として聴きたいところだけを聴ける「トリイゾ」。編曲というか編集のセンス。交響詩「トリスタンとイゾルデ」の最適解に出会えたという喜びを実感した。めったに聴けない水準の名演。
●あのイングリッシュ・ホルンの長大なソロ。ピットの中からでも十分異質な空気は生まれてくるけど、コンサートホールの舞台で聴くと本当に面妖怪異。一人が延々とソロを吹く間、客席のみならず舞台上の大勢がじっとして耳を傾ける異空間。手に汗握りながら聴きほれる。最強に強まっていた。
週末フットボール通信。横河武蔵野vsAC長野パルセイロ@JFL
●22日(土)は武蔵野陸上競技場でJFLの横河武蔵野FCvsAC長野パルセイロ。この対戦カード、偶然にも天皇杯三回戦と同じ! 最初、対戦カードを見たときは「あ! 天皇杯の次戦は札幌ではなく武蔵野で開催されることに変更されたのね」と納得しかけたほどであるが、違うんである。これはJFLのいつものリーグ戦なのだ。
●先日、BSでも中継されたように天皇杯で横河武蔵野はFC東京に勝利した(そして長野パルセイロはコンサドーレ札幌を下した。このダブル番狂わせにより、来月札幌で長野vs横河武蔵野の天皇杯3回戦が戦われるというおかしなことになってしまった。こんな予定調和を前提としたスケジュールってどうよ?)。この天皇杯効果もあって、武蔵野陸上競技場にはこれまで見たこともないくらい大勢の観客がつめかけていた。しかも驚くべきことにアウェイの長野からもオレンジユニのサポが大勢やってきた。入場者数はなんと1300名超! 普段はその半分くらいか。
●遠くからのフリーキックで岩田啓佑がゴール前にボールを蹴りいれるたびに、場内がどよめく。FC東京戦のゴールをみんな思い出して。こういうのがいいんすよー。
●しかし自力は長野が上。開始時点でJFL首位を走る長野に対して、武蔵野は守る展開。前半はそれでもチャンスをいくつか作っていたが、後半はほとんど防戦一方。84分にPKの笛が吹かれ、長野の10番宇野沢祐次がこれを決めて0-1。宇野沢は随所に見事なテクニックを見せてくれた。この1点でもう決まったかと覚悟したが、直後の87分に今度は武蔵野がPKを得て、富岡大吾(元長野)がかろうじて決めて1-1のドロー。貴重な勝点1をゲット。
●長野県といえばJFLからJ2へと昇格した松本山雅を思い出すが、長野市をホームタウンとする長野パルセイロも相当に盛り上がっている模様。アウェイ側スタンドの応援からもJリーグを目指しているクラブならではの熱さを感じた。武蔵野はJを目指していないので(近年JFLで準優勝したこともあるのだが)、どうしてもああいう雰囲気にはならない。客席にはキッズが多く、試合中も幼児が通路を走り回って遊んでたり「お父さ~ん、まだ終わらないの~」とか言って退屈してたりとか、3部リーグらしいゆるい雰囲気がある。これはこれですばらしいもの。
●ところで札幌で開かれる天皇杯の長野vs横河武蔵野だが、10月10日、つまり平日夜の開催となっている。これは問題じゃないだろうか。武蔵野は全員アマチュア選手。平日の夜に札幌で試合をするとなったら、選手たちは二日間も仕事を休む必要があるのでは。「プロもアマもいっしょになって日本一を決める」という天皇杯のフォーマットは、いろんなところで矛盾をきたしていると思う。
Amazonアナログ・レコード・ストア
●Amazonにアナログ・レコード・ストアなんていうコーナーがあったとは。現時点でのクラシックのランキングを見ると、予約商品を別とすれば第1位はヒラリー・ハーン&ハウシュカの新譜SILFRA。これ、LPレコードでもリリースされていたんすね。
●ほかに最近の録音ではドゥダメル指揮ウィーン・フィルのメンデルスゾーン「スコットランド」がある。こちらはチャリティ企画で、LPのみの限定盤だったと思う。
●LPレコードっていうと、スクラッチノイズに悩まされるのがなによりイヤだったし、曲の途中の変な場所で裏返すのも面倒で、CDの発明は真に朗報だと思ったものだが、近年はなぜかLP人気が復活気味の模様。国内でのアナログ・ディスク生産数量も2009年に底を打って以来、増加傾向にある。謎。
80年代の悲劇
●23年前の「ヒルズボロの悲劇」について、イングランド・サッカー協会とキャメロン英首相が公式に謝罪したとニュースになっている。1989年、ヒルズボロ・スタジアムで開かれたFAカップ準決勝、リヴァプール対ノッティンガム・フォレスト戦でゴール裏立見席に収容人数を大幅に上回るサポーターが押し寄せ、10歳の子供を含む96名のリヴァプール・サポーターが圧死した。警察は自らの責任回避のために虚偽の証言を重ね、当初は悪名高いリヴァプール・サポーターたちの狼藉が事故につながったかのように伝えられていたが、その後の綿密な調査により、警備の不手際と事故発生後の警察の怠慢が事故の原因であり、フーリガンの暴動などではないということが明らかになった。観客席は高さ3mのフェンスで囲まれていた。15時のキックオフ時点ですでに意識を失うサポーターたちが続出、フェンスをよじ登りピッチへ逃れようとした者を警官は試合への乱入行為と考えた。まもなく将棋倒しがはじまり、開始6分で試合は中断され、サポーターによる犠牲者たちの救出が始まったが、警察や消防の対応は遅く、救急車もすぐには到着しなかった。「フーリガンがスタジアムで暴れた」くらいの認識だったのだろう。ゴール裏の中央エリアは定員の数倍のサポーターたちであふれかえっていたが、その両脇エリアはほとんどガラガラに空いていたといい、スタジアム警備にあたった警察の誘導ミスが大惨事へとつながった。
●80年代のイングランド・フットボール・シーンは血なまぐさい。「ヒルズボロの悲劇」の4年前に、チャンピオンズカップ(当時はリーグではなくカップだった)のリヴァプール対ユヴェントスの試合で「ヘイゼルの悲劇」が起きた。こちらは正真正銘イングランド流のフーリガニズムが引き起こした事故で、キックオフ前に酔ったリヴァプール・サポたちが鉄パイプなどの武器を持ってユヴェントス側を襲撃したことからパニックが起こり、老朽化した壁が倒壊し、39人が亡くなった。異様なことに、死者が出たことは選手たちに知らせず、UEFAは開始時間を遅らせて試合を強行した。
●このヘイゼルの悲劇のわずか18日前、イングランド3部リーグで「ブラッドフォード・シティ・スタジアム火災」が起きている。ブラッドフォード・シティFCのヴァレー・パレード・フットボール・スタジアムで行われたリンカーン・シティとのリーグ戦で、試合中に火災が発生し、木造屋根のスタジアムに炎が広がった。56人もの犠牲者を出したこの火災は、(おそらくは当人も犠牲者である)サポーターがタバコに火をつけて、床に捨てたマッチが原因だったと非公式にいわれている。ワタシはつい最近知ったのだが、この火災の映像がYouTubeに残っている。もしその場にいたとして、最初のボヤからその後の数分間を予測できるだろうか。恐ろしい惨事であるにもかかわらず、嬉々としてはしゃぎまわるサポーターたちの姿も映っている。
●現在の華やかなプレミアリーグや、家族連れがつめかけるくつろいだ雰囲気のJリーグから見れば、なんと暗い時代だったのかと思わずにはいられない。
聖騎士たち
●昨日の「パルジファル」の続きなんだけど、「善行を積む」とか言ってる騎士たちって怖いじゃないすか。広く見て普遍的に怖いものでもあるし、狭く見ればそれはワタシが異教徒であるからなんすよね、彼らにとっての。「パルジファル」のような宗教劇ばかりでなくとも、キリスト教題材を扱う音楽作品には数限りなく出会わざるを得ないんだけど、その度にワタシらはいったん宗教的要素を括弧に入れて、透明度20%くらいのフィルタをかけた上で鑑賞するということを半ば無意識にやっていると思う。で、そこに「キリスト者でない己がこの曲を聴くことの意味はどこにあろうか?」式の問いを投げかけるみたいなのがあまり好きではない。というのも、そこでの信仰というのは、個人の神への祈りであったり、希望の実体化であったりということ以上に、往々にしてイデオロギーの問題に還元されてしまうものにすぎず、そうであれば異教徒であるワタシたちは敵でしかないから。グート版「パルジファル」の幕切れに心の中で小さく快哉の声を上げたのは、反ユダヤ主義で「パルジファル」とナチス・ドイツがぴたりと重なったという図式のきれいさではなく、もともとアラビア領側からしかモンサルヴァート城を見ることができないからなんだと思う。彼らは彼らにふさわしい果実を手にしたのだね、と。
●グルネマンツは「ここでは時間が空間となる」という。時間が空間になるなら、空間が時間になって、時空が入れ替わるんだろうか。時間軸には一方向にしか移動できないが、3次元空間ではどの方向にも移動ができる。モンサルヴァート城内では、空間の移動によって時間が移動し、時間の流れとともに空間が一方向に移動するような4次元時空が成り立っているのかも。
二期会「パルジファル」クラウス・グート演出
●17日(月)は東京文化会館で二期会のワーグナー「パルジファル」。クラウス・グート演出。話題の公演を最終日にようやく。
●ピットには飯守泰次郎指揮読響。期待以上のすばらしさで、深々としたワーグナーの響きに浸り切る5時間。起伏に富み、情感豊か。このままのコンビで新国のピットに入ってみては。
●で、クラウス・グート演出。上下2階建ての回り舞台を最大限に活用して、あらゆる場面をこの舞台上で表現していて、時折映像を投射してこれを補う。「パルジファル」なんて劇中のストーリーなんてないも同然だし(話の半分以上は幕が開ける前史で済んでる)、舞台なんて添え物みたいなものと思いきや、盛りだくさんの意匠が込められていて一回じゃ消化しきれないくらいの密度の濃さ。演出家の言葉にあるように、物語の始まりは1914年に設定される。なにも知らずに見れば最後は唖然とするのでは。なにしろパルジファルが軍服を着て独裁的権力を手にして終わるのだから。
●しかし演出家ノートは脇に置いて、見たものを見ねば、オペラは。この「パルジファル」って簒奪者の物語だったんすよね。素朴な若者が、知恵を付け聖杯と権力を王から奪う。軍服を着たパルジファルを支配者にすすんで戴くあの騎士たちと来たら。「善行を積む」とか「聖戦をする」とか声高に言ってる人々がろくな行いをするわけはないのであって、イノセンスに重きを置いた閉鎖社会の行方はああなるしかない。この演出じゃなくたって、「パルジファル」に出てくるモンサルヴァート城の連中ってみんな狂信者たちじゃないすか、ひとたび中世を離れて20世紀以降の視点で見れば。だからこれは納得の結末。
●あんな息苦しいところにいて、ひとりで責務ばかり負わされていたら、どんな薬草があっても傷なんて治るわけない。クリングゾル側のほうがどう見ても風通しがよさそう。花の乙女たちが盆踊りしてくれそうだし(あの赤いのってちょうちん?笑)。
マーラー1→9
●15日(土)の東京はコンサート・ラッシュ。プレヴィン&N響、シナイスキー&東響、アルミンク&新日本フィル、デ・ラ・パーラ&東フィル、さらには二期会「パルジファル」も。東京は平時がお祭の街。それにしても週末への集中度合いがすさまじい。
●で、14時から池袋の東京芸術劇場リニューアル記念、インバル&都響の新マーラー・ツィクルスIへ。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番(上原彩子)とマーラー:交響曲第1番「巨人」。芸劇は内覧会レポートでも書いたように、従来よりぐっと快適度の高いホールに生まれ変わった。もともと駅からも近いし交通の便もいいし、建物の中に座って一休みできるフリースペースがたくさんあるのも大吉。で、最初のベートーヴェンが鳴った瞬間から「あれ?このホールってこんなに残響があったっけ」と軽い驚き。改修前の音響についての記憶がどれほど確かかというとぜんぜん当てにならない気もするのだが、軽くお風呂状態と感じた1階右サイド。響きすぎかなとは思ったんだが、ホールの響きは場所によって変わるし、慣れで脳内補正されてゆく度合いもかなり大きいと思うので、次に足を運んだらどう感じるかわからない。あと、ここは残響可変装置もあったかと。
●続いて18時から、NHKホールでプレヴィン指揮N響へ。曲はマーラーの交響曲第9番のみ。マーラー1→マーラー9へとハシゴしてミニミニ・マーラーチクルスのつもり。インバルのハイテンション、ハイカロリーな1番とうってかわって、淡々とした9番。この曲に求めがちな壮絶なドラマなど一切ない清流のようなマーラーで、控え目な棒のもとほとんどオケの自発性だけで音楽が生まれてくる印象。まるで対照的なマーラーを一日で聴いたけど、どちらも客席は盛大に沸いていた。
●プレヴィンは9番の最後、終わるやいなやさっと棒を下ろして、スコアをぱたんと閉じた。はい、おしまい、みたいに。余韻をたっぷり味わおうと思っていたお客さんは意表をつかれたのでは。いいかも。
Jリーグのホームアドバンテージ
●「そんなの、なんの意味があるの?」と思われる方はスルー推奨。以前のエントリーで、数学者ラッセル・ジェラードの研究によれば、「1872年から2001年までの189ヶ国、22,130試合の代表チーム」について、ホームチームは一試合あたり2/3ゴールの優位を持つ、という話をご紹介した。2/3ゴール、つまり0.67ゴール。相当、大きい。これは代表チームに限ったもので、しかも100年以上にわたる189ヶ国の結果であるから、現代の一般的なリーグ戦とは事情が違うだろうことは容易に推測できる。国際試合では主審への圧力はかなりきつくなるし、質の低い審判は雰囲気に呑まれてホーム優位の笛を吹く(と信じられているし、そうとしか思えない)。それと過去に遡るほどアウェイチームの移動の負担は大きく、コンディション面で不利を負う。現代の国内リーグならアウェイ側の移動負担はもっと小さいはず。
●で、Jリーグはどうなのか。以前の記事では記憶で「0.25~0.3ゴール程度」のホーム優位と書いたが、この際だから確認しておこう。Jリーグのサイトを見ると「1993-2012通算データ」(J2は1999~)が掲載されているので、本日掲載時点の数字をもとに超ラフに計算してみた。J1とJ2では入れ替えがあるわけだが、行ったり来たりしているチームについてはJ1所属時にはJ1の、J2所属時にはJ2の統計に含めることにする。
●まずJ1から。「1993-2012通算データ」での総試合数は5424試合。ホームチームの得点は8742、失点は7562。1試合あたりにすると、0.22ゴールのホーム優位がある。0.67に比べればずいぶん小さい。しかし1ゴールの重みを考えると、大きいような気もする。
●続いてJ2。「1999-2012通算データ」での総試合数は4192試合。ホームチームの得点は5770、失点は4973。1試合あたりにすると、0.19ゴールのホーム優位がある。J1よりもややホームの優位性は小さいように見える。この差についてはいろんな考え方があるが、ここでは深追いしない。早計は禁物。
●ついでに1試合あたりの平均ゴール数も数えておくと、J1は3.01ゴール、J2は2.56ゴール。J2のほうがカウンター狙いの守備重視のサッカーが多いということだろうか。あるいはJ1のほうが上位と下位の実力差が大きいのか。
●しかし、J1の0.22ゴール/試合、J2の0.19ゴール/試合のホーム優位といっても、実は意外とシーズンごとにばらつきがある。2012はまだシーズン途中なので、2011から遡るとこんな感じ。
J1 | J2 | |
---|---|---|
2011 | 0.26 | 0.19 |
2010 | 0.19 | 0.24 |
2009 | 0.27 | 0.09 |
2008 | 0.27 | 0.16 |
●2009年はJ2のホーム優位性がほとんど消えかけていた。この年は18クラブで3回戦総当りをやったので、各クラブなんと年間51試合も戦っている(したがって、チームによってホームゲームがアウェイゲームより1試合多いところと少ないところがあるという不思議なことになっていた)。試合数の多さはホームの優位性の減少になんらかの関係があるのだろうか?
もはや残暑ではない
●9月も気がつけばもう半ば。天気予報によれば東京の今日の最高気温は33度、明日は32度。週間予報を見ても30度を下回る日は一日もない。なんだか近年は夏がどんどん長くなってきて、秋が一瞬で終わっているような気がする。雨もあまり降らない。J.G.バラードの破滅小説「燃える世界」みたいになってしまうのではないだろうか、と汗だくになりながら思う。でもあれってどんな話だったっけ? バラードの「破滅三部作」は再読するには古びているかもしれない。オペラの新演出みたいに、新しい現代的なバージョンを第三者が再創造できるといいのに。
●灼熱モノの映画で思い出すのは「キング・イズ・アライヴ」(クリスチャン・レヴリング監督)。砂漠の灼熱地獄で極限状態に陥った男女が、シェイクスピアの「リア王」を演ずるというのがスゴい。なんつったってリア王すよ。リアルに王、略してリア王(違う)。傑作。
●灼熱モノのオペラっていうと、なんすかね。「ワルキューレ」の火の山? でもあれはブリュンヒルデもだれも暑がってないように見える。あの人たち、人間じゃないし。少しは「アチッ!」とか言ってほしい。「マノン・レスコー」は最後に二人でアメリカの荒野をさまよって、水もなくて、マノンが野垂れ死にする。暑そうだ。しかし寒くてもやっぱり野垂れ死にすることには違いはなかっただろう。デ・グリューとマノンには水筒と弁当を持参してほしかった。
ニッポンvsイラク@2014年ワールドカップ アジア最終予選
●ここまで最終予選史上かつてないほど順調に勝ち点を重ねつつあるニッポン代表。ホームでジーコ率いるイラク代表と戦う。ジーコ、ドーハの悲劇、前アジア王者。イラクとは因縁を感じる。
●で、ニッポンの先発。問題のセンターバック、吉田の相棒は伊野波に。また、酒井宏樹と香川をケガで欠くことになり、駒野と清武が先発。GK:川島-DF:駒野、伊野波、吉田、長友-MF:遠藤、長谷部-岡崎、清武(→細貝)、本田-FW:前田(→ハーフナー・マイク)。ザッケローニはレギュラー・メンバーを尊重する。長友がキレていた。
●一方でジーコ・イランはメンバーをごっそり入れ替えて、主力をベンチに、サブを先発させるという奇策に出た。W杯最終予選でまさかこんなことをしてくるとは。しかもこれは功を奏した。どういう意図なのか、たとえばレギュラー組がチーム内で規律違反を犯したとかそういうことがあったのかなとか想像したが、試合終了後のジーコのコメントによればそうではなさそうで、「ニッポンは準備ができているから、その差を埋めるため」みたいなコメント。おそらくジーコはニッポン代表は事前に対戦相手について綿密に研究してくるということをかつて身をもって経験していて(そしてイラクの協会はそこまでスカウティングをしてくれないので?)、キックオフの笛が鳴る前についてしまう差を縮めようと考えて、メンバーをごっそり入れ替えたんじゃないだろか。
●イラク代表はニッポンのチャンスの芽を早めに摘み取ろうとして、遠藤、長谷部、本田といった中盤の軸となる選手に前を向いてプレイさせないようマンマーク気味についてきた。ニッポン相手に「引いてカウンター狙い」とか「高さで勝負」とかいう単純な戦術とは違ってて、これはいいお手本になってしまったかも。ジーコは負けたのに試合後にインタビューを受けてくれて、でも悔しさを隠し切れない。あの負けず嫌いさかげんは才能。
●ニッポンは普段のようにはボールを回せず、決定機も何度か作ったが、ピンチの数も多かった。お互いビッグチャンスは何度かあったけど、少し日本のほうが数が多く、そして結果的にゴールになったのが日本の一回のみということで1-0で勝利。後半からイラクが攻撃陣にフレッシュな選手を投入し(本来先発組であろう選手たち)、終盤はニッポンが時計の針の進み具合を気にして耐える展開になっていた。前半時点ではおそらくイラクは途中からペースダウンして守備が崩れるだろうと思ったけど、そうはならず。走れるし、メンタルもフィジカルも強い。
●ゴールは練習通りの形のようで、スローインを岡崎が深い位置に走りこみながら受けて、クロスを中に入れて前田が合わせた。スローインにはオフサイドがないので、このパターンはもっとよく使われてよさそうなものなんだけど、実際にはなかなか決まらない。見事。
●ニッポンの日程は明らかに前半が楽で、後半がしんどいんすよね。この試合の後、オーストラリアがヨルダンに敗れるという波乱があった。引き分けてくれたらなお良かったかもしれないがぜいたくはいえない。ニッポン以外で勝点3を得たのはこのヨルダンがはじめて。ここまでのグループBは引き分けが多いことと、試合数が1つ多いこともあって、ニッポンの独走みたいになっている。
ベルリン・フィルDCHの2011/12シーズン・メモ
●演奏会が少なくなる時期にまとめて見ようと、夏の初めにベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホールをしばらくぶりに契約したものの、思ったほどには見られず。映像があると気軽というわけにもいかず、それにオケの公演は大曲がずらっと並ぶということもあり。
●とりあえず、見たものについて、自分用メモ。ブロムシュテット指揮のベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」。爺成分ゼロ、若々しく清新な音楽、菜食主義のおかげ? ブロムシュテットは毎年ベルリン・フィル定期に招かれる数少ない指揮者の一人。そして毎回のように一般参賀あり、今回も。
●名前が覚えられない指揮者ナンバーワン、ヤニク・ネゼ=セガン。坊主頭になっていた。チャイコフスキー「ロメオとジュリエット」とラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲。これらに先立ち、クラリネットのヴァルター・ザイファルトが一人舞台にあらわれてベリオのセクエンツァIXaを演奏した。昨シーズンはベリオがテーマ作曲家になっていたので、いくつかの公演で、オケの奏者がセクエンツァを独奏している。さすがベルリン・フィルというか。オケの演奏会だからといって、オーケストラ曲だけしかやっていけない道理はない。ベルリン・フィルではしばしば指揮者よりもオケの企画性が前面に出る。ネゼ=セガンの一般参賀あり。しかしこれは合唱団員の退場で拍手が長引いたせいもあるのでは。
●ルイゾッティ。この人も若くしてどんどんと偉くなって、ベルリン・フィル定期に再度登場。オケの定期なのにパユのソロが2曲もあって、ドビュッシーの「シランクス」とベリオ「セクエンツァ」。パユ、すごすぎ。ルイゾッティ、熱血のプーランク「グローリア」。メインはプロコフィエフの交響曲第5番。ルイゾッティは文字通りの意味でも音楽的にも表情豊か。コンマスにブラウンシュタイン、トップサイドにスタブラヴァ。終演後、オケに向かってこんなにパチパチと手を叩く指揮者はいない。
●ソヒエフ指揮、ベレゾフスキー独奏。ルーセル「バッカスとアリアドネ」に続いて、リストのピアノ協奏曲第1番。緊張して真剣に鍵盤に向き合うベレゾフスキー! 切れ味鋭く、剛腕ぶりもさすが。オケへの気遣いも感じさせて、らしからぬおとなしさ、LFJとは別人のよう……。アンコールにしっとりとアルベニス「二調のタンゴ」。ヴィオラ首席のアミハイ・グロシュがベリオのセクエンツァVI。強烈。メインはラフマニノフのシンフォニック・ダンス。以前ラトルの指揮でも映像を見た曲でもあるが、ソヒエフはとても明るい響きを引き出して、楽しく聴かせてくれた。この曲、見直したかも。しかしスーパー・オケでないとおもしろく聴ける自信なし。
●ビシュコフはベリオ「レンダリング」。シューベルトとベリオの接ぎ木のような曲なのに、もはや確固としたマスターピース然として響く。セクエンツァVIIをマイヤーの独奏で。最後はなぜかウォルトン。
●ティーレマンは二公演。一つはメシアン、ドビュッシー、チャイコフスキー「悲愴」という、らしくないプロ。どじょうすくいスタイルの棒が合わせにくそうだし、合っていないと思うが、巨大な音楽を作り出して盛大な一般参賀。むむ。もう一公演はマイヤーのソロでR・シュトラウスのオーボエ協奏曲、ブルックナー「ロマンティック」の得意のプロ。マイヤー見事。ティーレマンの顔芸怖い。指揮姿はヘンすぎるけど、「ロマンティック」は真に感動的な音楽。なんとブルックナーの音楽はすばらしいのかと圧倒される。一般参賀あり。
●ドゥダメルは「マ・メール・ロワ」、コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲(カヴァコス)、R・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく」。熱いというか、暑苦しい「ツァラ」。一般参賀あり。ドゥダメルは以前も思ったけど、今ひとつこのDCHでは彼のオーラが伝わってこない気がして隔靴掻痒感も。
横河武蔵野FC、天皇杯でFC東京に勝利!
●これは伝説。天皇杯、横河武蔵野FCとFC東京の東京ダービーは、なんとロスタイムのフリーキックがゴールに入って、武蔵野が1対0で勝利! 3部リーグのチームが1部のチームに勝つという2階級差のジャイアント・キリング。しかもFC東京は昨年のチャンピオンではないか。テレビ中継もあったので、かつてないほど多くの方が横河武蔵野FCに注目してくれたのでは。ちなみに横河武蔵野FCはJFLのシード枠で出場したのではなく、予選を勝ち抜いて東京都代表として出場資格を得ている。フットボールはJ1、J2のみにあらず。JFL、マジでオススメ。
●とはいえ、実はこの日、ジャイアントキリングが相次いだんである。横河武蔵野FC以外にも、JFL勢では滋賀のSAGAWA SHIGA FCがヴィッセル神戸を撃破。さらにカマタマーレ讃岐はサガン鳥栖を破った。AC長野パルセイロはコンサドーレ札幌にPK勝ち。もっと強烈なのはJFLの下の地域リーグに属するFC今治 (愛媛)で、サンフレッチェ広島を2-1で下した。
●こんなにプロがアマチュアに負けててだらしないという見方もあるかもしれないんだが、そうともいえない。一つにはJFLなど下のカテゴリーのレベルは案外高い。もちろん総合的にはJ1にははるか及ばないんだけど(特にフィジカルが弱い。ついで戦術面。技術は結構高い)、一発勝負ならたまには勝っておかしくない。もう一つはJ1にとって、この大会の意義がかつてに比べかなり薄れていること。ホーム&アウェイのカップ戦スタイルになっていないし、決勝が元旦に設定されているため勝ち進むとシーズンオフが短くなったり、リーグ戦に支障が出たりと、なにかと不都合な面が多い。
●次の3回戦は10月10日。AC長野パルセイロvs横河武蔵野FCは札幌で開催される(札幌が長野に負けたので……)。カマタマーレ讃岐vs浦和レッズは佐賀で開催されるし、岡山vs名古屋が富山で開催されて、今治vs町田が広島で開催されることになっている。長野と東京のチームが札幌で戦うなんて(しかも平日)、サポの存在を無視しているわけで、そんなの誰が見に行くんすかね。これらの試合は今からでも開催地を変更すべきでは?
ニッポンvsUAE@キリンチャレンジカップ2012
●来週のW杯最終予選イラク戦に向けてのテスト・マッチとして、新潟で開催されたニッポンvsUAE戦。だんだん日本人選手のレベルが上がってきたおかげで、欧州シーズン中のW杯最終予選は先発の過半の選手たちがヨーロッパから移動してくることになった。コンディション調整が大変で、これならいっそ欧州で試合を開催したほうがいいんじゃないかと思うくらいだが、それじゃチケットの売り上げを手にできない。
●で、UAE戦。先方にとっては練習試合、若い選手をそろえてきた。しかしなかなかタレントが豊富で、モチベーションもしっかりしていた。対してニッポンはコンディションが低調、それと本番のイラク戦が控えるということで五分のボールを激しく奪いにいけない。冴えない試合内容になってしまったが、選手のテストと調整という意味では予定通りザッケローニのToDoリストが消化されたように見える。結果は1-0。
●GK:川島-DF:酒井宏樹(→酒井高徳)、伊野波(→水本)、吉田、駒野-MF:遠藤(→高橋秀人)、長谷部(→細貝)、本田(→中村憲剛)-FW:清武、香川(→岡崎)、ハーフナー・マイク。交代枠は6人まで。つまりフィールドプレーヤーの4人はフル出場しなければならない。テストしたいからといって一気にごっそり変えてしまってはレギュラーメンバーとサブメンバーの「ケミストリー」が観察できなくなるので、うまくチームの核を残しつつ選手を入れ替えた。
●サイドバック。長友は軽い不調で大事をとってベンチ。そうなるといまだに駒野が先発するんすね。代表での駒野の息の長さは驚異。しかもこの日唯一の得点は駒野のクロスが生んだ、ハーフナー・マイクのごっつぁんヘディングシュート(てかマイク、ずいぶんはずしてない?)。で右は内田が出場停止なので、W酒井になるわけだが、やはりフィジカルで勝る酒井宏樹が第一選択肢。しかし酒井高徳は新潟県出身なんすよ。新潟出身で、アルビレックス新潟でプロになって、今はお母さんの母国のドイツでプレイ中。ドイツメディアで一瞬持ち上げられて「ニッポン代表で試合に出れないんだったら、ドイツ代表になっちゃおうか」なんて報道があった(時代は変わる!)。だったら、新潟開催の代表戦で使わないでどうする。故郷に錦を飾るのだ。ニッポン代表にウエルカム、ドイツ代表なんていぢめられるから止めなさい、将来きっと大選手になるはず。そんなわけで酒井→酒井の夢の交代が実現。しかし酒井高徳は左もできるのであり、駒野が本職の右に回って左に酒井高徳。今度はぜひ先発で。左右ダブル酒井でもいいかも。
●あとザッケローニのテストはセンターバック吉田の相棒。今野が出場できないので、伊野波と水本を試した。岩政もいるがベンチだ。案外層が薄いセンターフォワードはハーフナー・マイク。前田遼一は使わなくても実力はわかっているから、ということだろう。正直、ハーフナーが前田からポジションを奪ったとは思えない。
●中盤では長谷部から細貝へとレギュラーが変わる予感も。細貝はよかった。岡崎は香川と交代したが、実質清武とポジション争いをしているのか?
●イラク戦の予想先発。川島-酒井宏樹、吉田、伊野波、長友-遠藤、細貝、本田-香川、岡崎、前田。
バックアップとオンライン・ストレージ
●ここのところオンライン・バックアップサービスについてあれこれ調べていた。
●複数マシン間の同期用ストレージサービスと、ファイルのバックアップ用のストレージサービスは似て非なるものだと思う。前者の代表格はDropboxやSugarSync、Googleドライブ、Yahooボックスあたり。最近はさらにいくつか選択肢が増えている。これらはリアルタイムにバックアップを取ってくれるありがた~いもので、自分のデスクトップとノートPCで常時ファイルを同期させることができる上に、なにかの拍子で出先からファイルが必要になったときもウェブ経由で取り出せる。ローカルでファイルを保存すれば即クラウド上にバックアップが作られるという安心感はでかい。
●でも、じゃあこれで自分のマイドキュメントを全部バックアップするかというと、それは違うんじゃないかと。うっかり自分のローカルのマシンからファイルを削除したら、他のマシンからも全部ファイルは消えるし、クラウドからも(世代管理はあるから復元可能としても)消える。あとソフトウェア側のエラーも怖い。なにせ先方がローカルのファイルを削除する権利を持っている状態なわけだから。Dropboxに置くのは基本的に現在進行中のファイルのみにして、バックアップは別口で考えたい。
●で、以下いくつかメジャーどころと思われるバックアップ用サービスをリストアップ。
Mozy
2GBまで無料。50Gで$5.99/月。追加20GBごとに$2/月。一度設定すればなにもしなくてもいい。快適。
CrashPlan
10GBで$1.50/月。容量無制限なら$3.00/月。安価。30日間試用可。
Backblaze
容量無制限で$5.00/月。2年契約なら$3.96/月。ここは日本語サービスがある。
Carbonite
容量無制限で$59/年。15日間試用可。
●上記サービスはどれもローカルにソフトウェアをインストールして、定められたタイミングで自動的にバックアップをとるといった設計になっていると思う。ただ、違う発想もありうるかもしれない。オンラインサービスなんて、どこもある日突然価格体系を変更したりサービス自体を止めたりするもの(たとえGoogleとかYahooでもそんなものと思っておくべき)。十年も続くものはめったにないので、堅牢さでは家庭の洗濯機や炊飯器にも劣る。だったらバックアップの第一候補はまず外付けHDDとか別PCとか、自分で管理できるものであるべきで、オンラインはあくまで第2バックアップだ。しかもその容量のほとんどは昔からとりためた写真や動画とか、リッピングしたりダウンロード購入した音楽ファイルであれば、編集不要でめったに必要としないものばかりなんだから少々不便でもネット上のどこかに置いてあればいいや、という考え方もある。
●そう考えると、こんな候補もありうる。
ADrive
無料で50GB試用可(有料サービスも別途あり)。ほとんどただの巨大な箱。手動でファイルをあげればバックアップとして使える、かもしれない。使い勝手はよくないが、ちゃんと日本語ファイル名が通る。サービスの継続性や安定性はどうだか……しかしもう何年も続いている。
Amazon Glacier
つい最近スタートしたAmazonの低価格ストレージ・サービス。月額$0.012/GBのストレージ料金なので、100GBでも$1.2。ただし別途UPLOAD/RETRIEVALリクエストやデータ転送料金がかかるので、めったにダウンロードしない用途向き。企業利用が想定され、従来のテープ・メディアに代わる保管庫といったイメージで、信頼性は高い。その分、敷居も高くて、サービスを利用するためのアプリケーションは用意されておらず、自前でプログラムを組むか、だれかが作ってくれたものを利用するしかない。現状、Windows用クライアントとしては FastGlacier というフリーウェアがある。廉価だが、ダウンロードのために4時間ほど待つ必要があるなど、Glacier(氷河)というネーミングが用途を見事に表現している感じ。おもしろい。
テレビの醍醐味
●テレビがデジタル時代になったら、いつの間にかBSのチャンネルが増えた。有料チャンネルと契約しなくてもかなりの番組が見れる(ら抜き)。CSで無料の番組はあまりないが、たまにある。地上波もある。おかげで番組表の検索が楽しくなった。
●サッカー番組の検索、もちろん楽しい。あっ、こんなオランダリーグの試合とか見れちゃうの?とか、マンUの試合、NHKでも中継あるけどこっちの局ならもっと早いとか、ACミランの番組はなんでこんなに見れちゃうの、とか。じっくりと吟味して、いろんな番組を録る。でもほとんど見ない。基本、見ないで削除する。
●最近F1も録りはじめた。フジのBSで録画中継されるので、これを録る。生放送は有料チャンネルという住み分けらしい。ネイチャーものとか科学ドキュメンタリーの予約もいい。「へー、こんなテーマで番組できちゃうの?」とか。「世界ふれあい街歩き」も好き。これらも録画した番組はおおむね見ない。HDDがいっぱいになる前に削除する。
●ふと、これってなんの意味があるんだろう?と疑問に感じて到達した結論は「テレビは視聴よりも予約が楽しい」。探してお宝を見つけるのがいいんである。封を切っていないCDをたくさん部屋に積んでいるクラヲタ諸氏にはまったく説明不要だと思う。あの再生する前のワクワク感と来たら!
日本フィル「山田和樹コンチェルト シリーズVol.1」
●3日は日本フィル「山田和樹コンチェルト シリーズVol.1」(サントリーホール)。小山実稚恵を独奏者に招いた協奏曲を中心としたプログラム。前半にラヴェルの両手&左手のためのピアノ協奏曲、後半にサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。一晩で3曲分の協奏曲という恐るべきコンチェルト密度。この企画はいいかも。普段の定期演奏会だと「協奏曲」枠って主役のような脇役のような微妙な中途半端さを感じることもあるので。
●それにしても前半でラヴェルの「両手」と「片手」が聴けてしまうなんて。小山実稚恵さんのピアノは磐石。最後のラフマニノフはすばらしい高揚感。アンコールにふたたび有名な第18変奏。アンコールはこういうのがいいすよね。
●開演前に指揮者の山田和樹さんによるプレトークあり。一人で登場して入退場のあるざわついた中でしゃべる「孤独な一人語り」方式で、開演15分前終了。途中から聞いた限りでは、今回のシリーズの企画意図や小山さんとの共演について、「死の舞踏」と「パガニーニ狂詩曲」の「怒りの日」つながりといった選曲意図について話されていた模様。
●「パガニーニ狂詩曲」の終わりのほうから、会場内に妙な持続音がずっと流れていたみたいで、アンコールを始めようとしても止まず、山田さんが会場に向いて「これ、なんでしょうね?」みたいな感じになって、ようやく止まった。鳥の鳴き声のアラーム音? ギルバート&ニューヨーク・フィルみたいにマーラー9番じゃなかったのは救い。
●Vol.2以降の内容はまだ発表されていないみたいだけど、また違ったアイディアがあるようで楽しみ。
モンポウ祭
●9月に入ってコンサート・シーズン開幕。1日は東京オペラシティで「フェデリコ・モンポウ/インプロペリア」へ。なんと、モンポウの音楽だけで3時間15分という大プログラム。こんな機会、二度となさそう。出演者陣もぜいたく。モンポウというとピアノ曲の作曲家というイメージだが、この日はギターからオケ&合唱まで、モンポウのさまざまな顔を見せてもらった。村治佳織さんのギター・ソロからはじまり、第1部、第2部、第3部と先に進むにしたがって編成が大きくなっていく趣向。最初は大ホールにモンポウのひそやかな音楽が淡々と紡ぎだされていたのが、どんどんと音楽的なジェスチャーが大きくなり、やがて「え、これがモンポウ?」という驚きへ。
●やはりオーケストラが入る第3部が圧巻。アントニ・ロス・マルバ指揮東京フィルで3曲演奏されたが、全部編曲者が異なる。1曲目「郊外」より「街道、ギター弾き、老いぼれ馬」はロザンタールの編曲。ロザンタールは以前この欄で彼の著書「ラヴェル その素顔と音楽論」を紹介したことがあったけど、華やかで効果的なオーケストレーションを施していて、モンポウの原曲とは相当遠い雰囲気の外向きの音楽になっていたのがおもしろい。2曲目は指揮のロス・マルバ編曲「夢のたたかい」(ソプラノ:幸田浩子)。モンポウへのリスペクトが感じられる節度のあるオーケストレーション。3曲目は、なんとマルケヴィッチ編曲のオラトリオ風作品「インプロペリア」日本初演(バリトン:与那城敬、新国立劇場合唱団)。この曲も知らなかったし、マルケヴィッチの名前がこんなところで出てくるのも驚きだが(今年生誕100年すよね、マルケヴィッチ)、モンポウにこんなに強靭峻烈な曲があったとは。この曲だけはもともとモンポウ自身がオーケストラ作品として書いたものであるが、作曲者了解のもとマルケヴィッチがオーケストレーションに手を入れたのだとか。20世紀の宗教音楽の名曲として、レパートリー化されてもおかしくないんじゃないか。