●昨日の「パルジファル」の続きなんだけど、「善行を積む」とか言ってる騎士たちって怖いじゃないすか。広く見て普遍的に怖いものでもあるし、狭く見ればそれはワタシが異教徒であるからなんすよね、彼らにとっての。「パルジファル」のような宗教劇ばかりでなくとも、キリスト教題材を扱う音楽作品には数限りなく出会わざるを得ないんだけど、その度にワタシらはいったん宗教的要素を括弧に入れて、透明度20%くらいのフィルタをかけた上で鑑賞するということを半ば無意識にやっていると思う。で、そこに「キリスト者でない己がこの曲を聴くことの意味はどこにあろうか?」式の問いを投げかけるみたいなのがあまり好きではない。というのも、そこでの信仰というのは、個人の神への祈りであったり、希望の実体化であったりということ以上に、往々にしてイデオロギーの問題に還元されてしまうものにすぎず、そうであれば異教徒であるワタシたちは敵でしかないから。グート版「パルジファル」の幕切れに心の中で小さく快哉の声を上げたのは、反ユダヤ主義で「パルジファル」とナチス・ドイツがぴたりと重なったという図式のきれいさではなく、もともとアラビア領側からしかモンサルヴァート城を見ることができないからなんだと思う。彼らは彼らにふさわしい果実を手にしたのだね、と。
●グルネマンツは「ここでは時間が空間となる」という。時間が空間になるなら、空間が時間になって、時空が入れ替わるんだろうか。時間軸には一方向にしか移動できないが、3次元空間ではどの方向にも移動ができる。モンサルヴァート城内では、空間の移動によって時間が移動し、時間の流れとともに空間が一方向に移動するような4次元時空が成り立っているのかも。
September 19, 2012