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October 4, 2012

スーパー・コーラス・トーキョー特別公演、インバル&都響のマーラー「嘆きの歌」

●別途進行中のマーラー・ツィクルスの番外編とでもいうべきか、3日、東京文化会館でインバル&都響のマーラー「嘆きの歌」。合唱がスーパー・コーラス・トーキョー(ロベルト・ガッビアーニ合唱指揮)で、東京都の東京文化発信プロジェクトの一環(プログラムに都知事の挨拶あり)。
マーラー●マーラーのカンタータ「嘆きの歌」は全3部のバージョン。ただし初稿なのは第1部のみで、第2部と第3部は改訂稿。この初期作品、初稿の完成が1880年秋というから、マーラー20歳の作品であるわけだ。なるほど、これはもう完全にマーラー。後の交響曲につながる素材があちこちから聞こえてきて、マーラーは20歳からすでにマーラーだったのだと得心する。1881年にベートーヴェン賞に応募するもブラームスら審査委員に理解されなかったというのもしょうがない。一つには作品が時代を先取りしすぎていたということもあるだろうけど、一方で粗削りなのも事実なんでは。
●これ、物語が「歌う骨」モノなんすよね、グリム童話とかにある。赤い花を見つけた者が王女と結婚できる。兄弟で花を探すと弟が見つける。弟が赤い花を帽子に挿して一眠りすると、その間に兄は弟を殺す。弟は女王と結婚して王になる。しかし楽師が弟の骨を拾って、これを笛にして吹くと、笛は自分は兄に殺されたのだと真相を歌う……。
●この物語上の起承転結と音楽の起伏がもう一歩かみ合っていたら、この作品は交響曲第0番的な存在としてもっと広く演奏されていたのかもしれない。もし自分が作曲当時の聴衆だったら、こう考えたんじゃないか。物語はいいけど、通して演奏するとわかりにくい。この独唱者4名にそのつどセリフを当てるのではなく、それぞれに役を固定しては? たとえばテノールが弟、バリトンが兄、ソプラノが王女で、メゾが楽師、群集と語り部は合唱が引き受ける、といった具合に。それと、華やかな結婚式と真実の暴露がどちらも第3部にあって対照的な性格のクライマックスが集中してしまっているから、たとえば第2部に祝祭的な結婚式を置いて、第3部を緊迫した悲劇の場面というように各部の性格をはっきりと分けたらどうか……。
●と、やはり作品を理解できず、後の大作曲家マーラーなど想像もできなかったと思う。たぶん、なんか型破りのパワーをもてあましているヘンな、そしてメンドくさそうな若者が出てきたな~、みたいな感じで。ていうか、破格の才能を秘めた若者なんて、ぜんぶその程度にしか認識できないかも。