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2013年1月アーカイブ

January 31, 2013

鈴村真貴子ピアノ・リサイタル~オール・プーランク・プロ

●1月30日はプーランク没後50周年となる命日。まさにジャストこの日に開催されたのが鈴村真貴子さんのピアノ・リサイタルで、なんと、オール・プーランク・プロ(銀座王子ホール)。曲は「3つの常動曲」「15の即興曲」、休憩をはさんで「冗談」「メランコリー」「ナゼルの夜会」。大曲というものがないので、必然的にどれも小曲の集合体が続くが、くるくると万華鏡のように容貌を変転させる音楽を一瞬も飽きることなく満喫。機知、諧謔、饒舌、倦怠、憂愁、悪戯のオンパレード。ピアノは情感豊かでみずみずしく、過剰に陥らない。安定感も抜群。鈴村さんは東京芸大とパリ・エコール・ノルマルに学び、芸大ではプーランクで博士号を取得した若手奏者。まずは記念すべきプーランク・イヤーの大収穫。
●告知。「東京・春・音楽祭」ウェブサイトでコラム「ワーグナー vs ヴェルディ」を連載中。第3回を更新。どぞ。
●もう一つ告知。大阪・いずみホールの広報誌 Jupiter にて、現在配布中の号より新連載「ネットで遊ぶクラシック」がスタート。これまであまりインターネットの活用になじみのなかった音楽ファンの方々にも役立つ記事を心がけたい。

January 30, 2013

大井浩明POC#14「ジョン・ケージ/南のエテュード」

星図●26日(土)、古賀政男音楽博物館のけやきホールで、大井浩明さんのピアノによるPOC (Portraits of Composers) #14「ジョン・ケージ/南のエテュード」全4集全32曲通奏日本初演へ。天球の南半分の星図を易経で五線譜に変換したという大作。演奏の都合を斟酌しない非人間的メソッドから生まれた怪物的難曲で、左手と右手それぞれに弾くべき音が音域を無視して指定されているようで異常に両手の交差が(しばしば超高速で)求められることになる。各曲ごとに特定の鍵盤に異物を挟むなどの方法でダンパーを開放し、ハーモニクス(倍音)から生まれる残響が曲の背景にテクスチャーを描き出す。とはいえ、ハーモニクスの効果は前半の印象では予想よりもずっと控えめで、曲のダイナミクス(強弱の指定はなく奏者がランダムに決定)も抑制的だったこともあり、意匠はあっても文脈のないストイックな時間が流れることに。しかし後半、進むにつれてよりハーモニクスの効果が豊かに発揮された作品が雄弁に演奏され、次第に音楽は高潮してクライマックスを作り出した。白熱する偶然性。別に素材が星図だろうがなんだろうが偶然性によるものならなんだって質的な違いはないはずなんだけど、ここはあえて南天の夜空に広がる星のきらめきを想起したい。演奏は超難曲を難曲と感じさせないもの。4時間以上の滝行を覚悟して臨んだが、実際には奏者も驚く2時間半ほどで終了。
●アンコールとして、1952年初演時のオリジナル手稿譜を復刻したという「4分33秒」原典版(って。笑)が演奏された。楽譜にドンとtacetって書かれているわけではなく、全8ページある模様。もちろん沈黙が続くのみなんだけど。
●終わった後、開演が「4分33秒押し」だったって知ったんだけど、まったく気づかず。あれ、少し遅れてるかな?とは思った。

January 29, 2013

METライブビューイング「トロイヤの人々」

METライブビューイング、今週はベルリオーズの大作「トロイヤの人々」を上映中。上映時間5時間17分という長大さも強烈だが、それ以上に中身も無茶苦茶な放蕩っぷりで異形のスペクタクル大作。こんなに長いのに合唱ほとんど出ずっぱり、これでもかというくらいバレエシーンがふんだんに盛り込まれ、歌手の聴かせどころも多すぎてインフレ状態、経済性とか上演可能性とかそういうものを一切合財無視して、ねじのはずれた天才がやりたい放題に書いたとんでもないオペラ。台本もベルリオーズ。生前全曲上演がかなわなかったのも当然だろうし、今だって国内で実演に触れる機会はなさそう。フランチェスカ・ザンベッロ演出、ファビオ・ルイージ指揮。
トロイヤの人々●全5幕3部構成になってるんだけど、作品は事実上二つのオペラが合体している。第1部(第1、2幕)は「トロイの木馬」編。予言者カッサンドラ(デボラ・ヴォイト)が策略を予感して訴えるが、トロイ人たちは嬉々としてギリシャ軍が残した木馬を城内に運び入れてしまう。で、最後は敵に辱めを受けるくらいならと、カッサンドラが先導して女子たちが集団自決という凄惨さ。一方でベルリオーズのオーケストレーションは壮麗。
●第2部(第3、4幕)からは舞台はカルタゴに移って次の物語へ。一転してお花畑全開、バレエもりだくさん。女王ディドー(スーザン・グラハム)のもとにトロイアの武将アエネアス(ブライアン・イーメル)に率いられた一団が流れ着く。ディドーとアエネアスはラブラブに。二人で抱き合ってキャハキャハ笑いながら原っぱをゴロゴロ転がりそうな勢いで(そんなシーンないけど)、ひたすら優雅で贅沢な美の世界に浸ることができる。「王の狩りと嵐」も聴ける。
●が、アエネアスはローマへと旅立つ運命、神のお告げに従って、泣く泣くディドーに別れを告げる。第5幕は捨てられて半狂乱となったディドーの独壇場。これが怖い怖い。ローマへ旅立ったアエネアスを末代まで祟ろうと、冥界の王へ生贄を与えよと命じ、将来のハンニバルによるローマへの復讐を予言する。アエネアスからの贈り物をすべて山積みにし、そこで自害して呪いをかける。女の恐ろしさを描くときのベルリオーズの冴えっぷりは異常。怨念がこもっている。男子必見の修羅場で幕。
●アエネアス役は当初マルチェッロ・ジョルダーニだったのが降板してブライアン・イーメルになったとか。とても代役とは思えない見事さ。声も風貌もよっぽど武将らしい。
●第1幕、カッサンドラをデボラ・ヴォイトが演じたこともあって、ブリュンヒルデを連想する(ここでも火が焚かれているし)。自らの台本による壮大な叙事詩、神と人間の対話、世界の崩壊を描くという点でもワーグナーを思わせる。その射程の大きさににおいて19世紀オペラの双璧。

January 28, 2013

ラザレフ&日フィルのラフマニノフ・シリーズ、セゲルスタム&読響の「ヒッグス粒子」&シベリウス

ラフマニノフ●25日(金)はラザレフ指揮日本フィルのラフマニノフ・プロへ(サントリーホール)。前半にピアノ協奏曲第2番(ハオチェン・チャン独奏)、後半に交響曲第3番。全席完売の人気ぶり。ハオチェン・チャンは2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで辻井伸行と同時優勝を果たした若い奏者。テクニックは鮮烈、華奢な外見に反して大きな音楽を作ろうとしているのが冒頭から伝わってきた。後ろからのエネルギッシュな響きの奔流に飲み込まれそうになりつつも爽快に弾き切って場内は盛大なブラボー。交響曲第3番は期待にたがわぬ鍛えられた快演。ていねいで、なおかつ熱い。ラザレフのカリスマは健在。例によって指揮しながら客席側に向いて「お客さん、どうですかぁ~!!」的に見得を切りながら(?)そのまま一回転してオケに向き直るという「回転ドヤ」技も披露。
●ラフマニノフの交響曲第3番、最近一年間でノセダ&N響、ブラビンス&名古屋フィル(これは出張)に続いて3回も聴くことができた。しかもどれもいい演奏ばかり。たまたまラフ3イヤー。
●26日(土)午後、芸劇でセゲルスタム(セーゲルスタム)&読売日本交響楽団。R.シュトラウスの交響詩「死と変容」、セゲルスタム自作の交響曲第252番「ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ」(世界初演)、シベリウスの交響曲第2番。得意のシベリウスも先日のマーラー同様濃厚ですばらしかったが、目を引くのは自作自演。交響曲第252番というハイドンも尻尾を巻く量産力に加えて、「ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ」っすよ! つい最近「ヒッグス粒子の発見」が大ニュースになったけど、これってそのひとつ前のタイミングで書かれてるんすよね。2011年12月に「どうやらヒッグス粒子が発見できそうかも!」ってCERNが記者会見開いたことがあったはず。で、たまたまその直前にNASAが生命居住が可能かもしれない系外惑星として「ケプラー22b」を確認したっていうニュースが流れた。両者になんの関係もないけど、物理学上の大きなトピックスが続いたので、「おっしゃー、次はこれだ!」と作曲家が触発されたのだろうと推測。
●で、曲は弦楽器群の両側にそれぞれピアノを置いて下手側をセゲルスタムが演奏、木管楽器はピッコロからコントラファゴットまで各一本ずつの変則編成、これに金管楽器とハンマーやらミュージカルソーやらサンダーシートやらおもちゃ箱状態の多彩な打楽器群が加わる。指揮者は置かず。曲名から、格闘ゲーでジャイアントスウィングとかスクリューパイルドライバーとか大技しか狙ってない山っ気ファイターみたいな先入観を抱きがちであるが(なんじゃその形容は)、思ったほど色物ではなくて、混沌とした響きの雲海をたゆたいつつ、ソロや即興が彩りを加えて変容してゆくという豊潤な作品。ハンマーがなんども打ち込む鋭い楔は強烈。曲名には概念として並列させようのないもの2つが挙がってるけど、片や微視的な発見、片や巨視的な発見ということで、そのスケールの対比を強調している、とでも。
セゲルスタム作品リスト。現在交響曲第261番まで進行中。70番代のネーミングが好き。第70番が"Before 80..."、71番が"After 70..."、73番は"1 after 72..."、74番が"2nd after 72..."、75番が"3rd after 72..."、76番が"4th after 72..."って。80番は"Before Ninety..."だし、81番は"After Eighty..."だ。第103番の"102 to 104..."も寡黙で味わい深い。かと思えば、第228番は饒舌で "Cooling my beard too (2) on "Sval"bard, "Spit"sbergen farewelling (on the "seal"ed waters) the blinding "spittingly" ice- (& eyes) cracking Sun (setstart on 22.8...!) with my Son (J. S.) remembering nostalgically "lace"- (spets-) coverings of (e.g.) Venusmountains as well as all those got... (lays...) - It is very windy on the tops, "the picked peaks for peeking into the ∞s...", "spets"-listening too... 2... 8!" というタイトルになっている。どう訳すんだろう。
●最終的には交響曲第512番「そして伝説へ……」くらいまで行きそうな気がする。

January 25, 2013

「小田嶋隆のコラム道」(小田嶋隆著/ミシマ社)

小田嶋隆のコラム道●遅まきながら読了、「小田嶋隆のコラム道」。これはもう、最強。すばらしすぎる。読んでておもしろいのはもちろんそうなんだけど、文章の書き方についてその秘訣が惜しみなく明かされている。日頃感じていることについて「あ、やっぱりそうなんだ」とうなずく章あり、目からウロコが落ちる章あり。ただし文章術といってもこれはコラムやエッセイのような読み物系のためのものであって、つまりアイディアなりひねりなりオチなり技巧なりが必要なタイプの原稿を書く場合が前提で、取材原稿とかプロモーショナルな情報記事とか論文とかレポートのためのものではないので、念のため。
●たとえば、「書き出し」について。書き手は「書き出し」についてあれこれ悩んでなかなか最初の一歩が踏み出せないことが多いんだけど(あるある)、小田嶋さんは「どう書き出したところで、大差はない」「書き出しの数行の出来不出来なんかより、きちんと話が流れていくのかどうかのほうがずっと大切なのだ」という。これは肝に銘じたいところ。
●その代わり、結末の一言は大切である、と。これもみんなが悩むところだと思うんだけど、結びをそれまでの内容をまとめるようなツルンとした(つまり印象に残らない、教科書的な)一言で収めるか、できることならオチ、まあオチはいつでもつけられるわけではないから、なにかヒネリなりクスッなり「あれれ?」なりで終わらせるか、っていう普遍的な悩みがある。で、小田嶋さんは木に竹を接ぐカタチになってもかまわないから、後者で行けと背中を押す。たとえ失敗して無残な結果になったとしても、「技巧に走らない人間は技巧を身につけることができない」。なんという真実。
●あと、今まで薄々感じていたことなんだけど、明文化されたものを読んで改めて納得するのは、「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」「ネタは、出し続けることで生まれる」。これはな~。たとえばワタシの場合なんだけど(すみません)、連載原稿なんかで手持ちのネタが(A)絶対ウケる自信のあるネタ、(B)まあまあおもしろいと思われるネタ、(C)ギリギリ使えるネタ、と3つあるとする。そういうときに、先々ネタが枯渇することを恐れると、(A)(C)(B)とか、(B)(C)(A)とかの順番で出したくなることがある。弱いネタを強いネタの間にはさんで、弱いネタをカバーしたくなるというか、強いネタを取っておきたくなる、気分的に。でもこれは絶対にまちがいで、やってはいけない。(A)(B)(C)の順、必ず強いネタから先に出す。そうすると、先細りになる可能性が高まるし、事実そうなることもあるんだけど、強いネタを先に書くことで別の強いネタを思いつくことはままある。しんどいけど、そのほうがうまくいく。
●「推敲について」の章で論じられるこのプロセスの恐ろしさ、限りない自己否定の罠についての指摘も秀逸。悶絶する。

January 24, 2013

北朝鮮、サッカー非公式世界王者(UFWC)の座をスウェーデンに譲る!

北朝鮮●2011年11月、ニッポンが平壌で北朝鮮に奪われたサッカー非公式世界王者(UFWC)の座。予想以上に(いや予想通り?)北朝鮮がチャンピオンベルトを明けわたさず、どうなることかと思ったが、ついにスウェーデンが北朝鮮を破った。タイで開催されたキングズ・カップで、1対1の同点からPK戦でスウェーデンが勝利。引分けに終わっていれば王者北朝鮮の防衛で終わるところだったが、大会がトーナメント式でPK戦があったおかげで新チャンピオンが誕生した。
●おっと、「非公式世界王者ってなに?」という方がいらっしゃるかもしれない。これは仮想タイトルで、サッカーにおける有史以来の代表戦について「勝ったほうがチャンピオン」というシンプルなルールを適用したら、今どこが王者かっていう話だ(ボクシングみたいに引分けは王者防衛)。その歴史は1872年11月30日に開かれたスコットランド対イングランドにまで遡る。ま、イギリス人のジョークみたいなものなんだが、2010年10月にニッポンがアルゼンチンを破って以来、ニッポン代表は15試合にもわたって王者の座を防衛し続けたこともあって、一部から注目されるようになった。
●北朝鮮も意外と試合数は多かった。昨年3月にAFCチャレンジ・カップ、12月に東アジアカップの予選ラウンド(ニッポンは免除されている)があったため。

15/11/11 北朝鮮 1-0 ニッポン
17/02/12 北朝鮮 1-1 クウェート
29/02/12 タジキスタン 1-1 北朝鮮
09/03/12 北朝鮮 2-0 フィリピン
11/03/12 タジキスタン 0-2 北朝鮮
13/03/12 北朝鮮 4-0 インド
16/03/12 北朝鮮 2-0 パレスチナ
19/03/12 トルクメニスタン 1-2 北朝鮮
10/09/12 インドネシア 0-2 北朝鮮
01/12/12 台湾 1-6 北朝鮮
03/12/12 北朝鮮 5-0 グァム
05/12/12 北朝鮮 1-1 オーストラリア
9/12/12 香港 0-4 北朝鮮
23/01/13 北朝鮮 1(PK1-4)1 スウェーデン

●ニッポンとしてはできればタイトルが北朝鮮にある間に奪還したかったところ。途中で台湾やインドネシアが勝てばアジア戦国時代に突入する可能性もあったが……。長らくアジアにとどまっていたタイトルは、2010年9月のスペイン代表以来、久々にヨーロッパに帰ることになった。

January 23, 2013

小野裕二、ベルギーのスタンダール・リエージュへ

スタンダール・リエージュ●マリノスのフォワード小野裕二がベルギー1部リーグのスタンダール・リエージュに完全移籍。なんと、名古屋から永井謙佑も同クラブに移籍して、すでに在籍する川島永嗣とともに日本人3人がリエージュに集うことになった。スタンダール・リエージュはベルギーでは名門クラブだと思うけど、そこで日本人が3人そろってプレイするとなるとは。ドキッ、日本人だらけの名門クラブ。
●しかしベルギー・リーグの外国人(=非EU国籍)選手規定はどうなってるんすかね。現所属選手を見るとイランのGhoochannejhad(なんて読むの?)をはじめ、アフリカ、南米の選手が多数、イスラエル、トルコの選手もいて国際色豊か。外国人枠はないっぽい。
●もっともマリノスでもまだ実績十分とは言いがたい小野裕二がすぐにレギュラーポジションが獲得できるかはかなり微妙かも。まだ20歳で4年半契約、がっつりマリノスに移籍金も払ってくれるというから驚き。スタンダール・リエージュとしては1~2シーズン活躍してもらってからブンデスリーガあたりのクラブに売却するのが理想のシナリオか。それが無理でも日本のクラブには売れるとは踏んでいるはず。
●マリノスはまたしても有望な選手を外に出してしまった。毎年のようにこうなる。でも今回は契約切れの選手を無料で奪われたのではなく、若手をより大きな舞台に送り出して移籍金をゲットできたので、吉報というべき。小野裕二には数年後にニッポン代表の中心選手になってもらいたい。マリノスでは33試合2ゴールだったけど。

January 22, 2013

マーラーの交響曲第5番、インバル&都響→セゲルスタム&読響

マーラー●昨年、MTT&SFOのマーラー交響曲第5番を聴いたときに、「もうこれで10年はマーラー5番は聴かなくていいんじゃないかな」と思った、あまりにも満足したので。が、なんということであろうか、年が明けたと思ったらもう聴いているんである、この曲を、しかも二日連続で。
●20日は東京芸術劇場でインバル&都響。前半がモーツァルトのフルート協奏曲第2番(上野由恵)、後半にマーラー5番。さすがこのコンビというか、ともにマーラーを得意とする指揮者とオーケストラだけに圧倒的な完成度。細部まで彫琢されて、解像度も十分、響きの美しさを保ちながらも推進力にあふれた熱演に。演奏中から予感されたように曲が終わると大ブラボー、一般参賀コースへ。インバルが一度呼ばれただけでは拍手が収まらず、続いて首席トランペット奏者、さらにコンサートマスターまで呼ばれてインバルとともに3人で一般参賀というロイヤルファミリー状態。
●そして21日はサントリーホールでセゲルスタム(セーゲルスタム)&読響。こちらは前半にモーツァルトのピアノ協奏曲第23番(菊池洋子)、後半にマーラー5番と、プログラム構成まで前日と似ていたんだけど、結果的にはまったく違う音楽を聴くことに。セゲルスタムのマーラーはおもしろすぎ! 伸縮自在のテンポ、ひなびた節回し、豪快な鳴りっぷり、ときには推進力を犠牲にしてでもねっとりと歌いこむ強烈に土臭いマーラー。前日と同じ曲を聴いたとはにわかに信じがたい。めったに見られない大技が鮮やかに決まったみたいな満足感あり。これぞライブの醍醐味って気がする。
●前半のアンコールで菊池さんがセゲルスタムの小品を独奏。Seven Questions to Infinityという、彼の量産中の交響曲群と同じように思わせぶりなタイトルが付けられてるんだけど……。週末にセゲルスタムの交響曲第252番「ヒッグス粒子に乗って惑星ケプラー22bへ」という、もう曲名だけでジャイアントスウィング級の大技になっている作品を聴く予定なので、覚悟はできた(?)。けれん上等。
●ちなみに両日とも全席完売。マーラー5番なら無問題、なのか。

January 21, 2013

小澤征爾「贈賞にあたって」

●昨年末のニュースなんだけど、第11回齋藤秀雄メモリアル基金賞の受賞者が山田和樹(指揮)、石坂団十郎(チェロ)の両氏に決定した。で、そのときの小澤征爾永久選考委員から山田和樹さんへの「贈賞にあたって」の言葉がとても印象深かったので、以下に引用。

ここで、既にとても忙しくなった山田君へ、私からの忠告を申し上げたいと思います。忠告と言っても、実はこれは私の先生であるカラヤン先生、そして、私の一生のマネージャーであるウィルフォードさんが、駆け出し頃の私にしてくれた忠告なのですが、
一、 常に、自分が勉強できる時間を確保すること。
一、 来た仕事の中で、一番自分に相応しい仕事を選ぶこと。
これをいつも頭の中に置いておいてもらいたい。
そして、これは本当に私自身からの忠告、
一、 いつも、素晴らしい音楽家と仕事をすること。(これが一番大事)
一、 可能なら、持続的にじっくり腰を据えてオーケストラと生きる音楽の生活をすること。つまり、音楽監督の仕事をやること。
とても難しいことですが、この2つを両立させることが大きな秘訣だと、私は信じています。

●指揮者の仕事に限らなくても、含蓄のあるアドバイスでは? 「駆け出し頃に○○さんからもらった忠告なんだけどね」っていう話法は好きかも。
●ついでに最近話題の映像。「懐かしの毎日ニュース:1月15日 小澤征爾 N響騒動から涙の公演 1963年」。井上靖、三島由紀夫らの呼びかけで開かれた「小澤征爾の音楽を聴く会」について伝えるニュース。いろいろな点で圧倒される映像なんだけど、ここで少し聞こえるシューベルト「未完成」が雄弁に時代を伝えている。これってもう半世紀前の話なわけで、もはや歴史。

January 18, 2013

LFJのクラウドファンディング

LFJのクラウド・ファンディング●「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2013」がクラウドファンディングによる個人協賛制度を始めている。クラウドファンディング、すなわちインターネット経由での不特定多数による支援活動。個人による寄付はこれまでも日本のオーケストラなどが継続して募ってるけど、改めてクラウドファンディングと銘打たれると、ずいぶん目新しい雰囲気になる。
●自前のサイトではなく、motion galleryという既存のプラットフォームを活用。目標金額がいくらで、今コレクターが何人で、期限まで何日というのがババーンと掲げられる。コレクターは人によっては名前や顔写真を見せ、メッセージもサイト上に残せる。今風のソーシャルなノリなんすよね。
●金額は一口いくら、という言い方ではなく、最小で1000円のチケット、最大で30万円のチケットが用意されている。人気は5000円~3万円のゾーン。それぞれに「名前の掲載」やコンサートのチケット、ルネ・マルタンのソムリエ・サロンへの招待などの特典が用意される。
●LFJはもちろんチケットの大半は売り切れるし、協賛企業の数も多いんだけど、それでも赤字分を主催者である株式会社東京国際フォーラムが補填する形で成立している。チケットの売上収入は音楽祭経費の半分程度。METライブビューイングなんかを観ていても、上映中に必ず司会のスター歌手が「METのチケットセールスは経費の半分以下を賄うにすぎません。寄付をいただける方は以下の電話番号またはMETのウェブサイトへ」みたいな呼びかけを堂々とする。個人協賛といえば地元の名士の方々がプログラムに名前を載せるみたいなスタイルが思い浮かぶが、ソーシャル時代には(特に東京のような大都市圏では)クラウドファンディングがふさわしいのかも。

January 17, 2013

ジンマン&N響のブゾーニ、シェーンベルク、ブラームス

●16日はサントリーホールでジンマン&N響。前半にブゾーニの「悲しき子守歌~母の棺に寄せる男の子守歌」op42、シェーンベルクの「浄められた夜」、後半にエレーヌ・グリモーの独奏でベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番。ブゾーニは初めて聴いたけど、これはおもしろい。鈍色のくすんだ響きの雲海から綿々と紡ぎだされるエレジー。フルート3、オーボエ1、クラリネット2、バス・クラリネット1、ホルン4、ゴング、チェレスタ、ハープ、弦という独特の編成を用いた抑制的なオーケストレーションが効果的で、録音で聴いた印象よりもずっと玄妙で味わい深い。シェーンベルクと並べられたのでブゾーニ版「浄夜」という気もしなくはない。初演は1911年のマーラー指揮ニューヨーク・フィルで、マーラーの最後の公演だったとか。続くシェーンベルクの「浄められた夜」は雄弁さよりも澄明さ、透明感が前面に出され、2曲合わせてひめやかな典礼風の雰囲気を醸し出していた。
●後半はグリモー無双。フォトジェニックな風貌に反して荒々しい。崖っぷちのブラームス、猛然と。
●都内の雪はかなり融けてきたが、道はところどころ滑りやすい。大雪が降ったといっても、雪国のように翌日、翌々日に畳みかけるようにさらに降り積もったりはしないのが救い。そして、グアルディオラが来季からバイエルン・ミュンヘンの監督に就任するというニュースが。うーん、どうかな。

January 16, 2013

METライブビューイング「仮面舞踏会」

●今月は怒涛の勢いで次々と上映されているMETライブビューイング、今週はヴェルディ「仮面舞踏会」へ。ファビオ・ルイージ指揮、デイヴィッド・アルデン演出、歌手陣はマルセロ・アルヴァレス(グスタヴ)、ディミトリ・ホヴォロストフスキー(レナート)、ソンドラ・ラドヴァノフスキー(アメーリア)、キャスリーン・キム(オスカル)、ステファニー・ブライズ(ウルリカ)。「仮面舞踏会」はなんといってもヴェルディの音楽が最強。こんなにも次から次へといろいろな楽想がよくわいてくるなというくらい充実していて、改めて作曲者の才能の偉大さを痛感する。初めて聴くヴェルディとしてもふさわしいのでは? 長さもほどよいし、物語も明快だし。
マスク●で、「仮面舞踏会」のなにがいいかといえば、盛り合わせ定食になっているところ。一作のオペラのなかに、喜劇もあれば悲劇もある。コミカルでユーモラスで、抒情的でドラマティック。基本、前半はコミカルに進む。でも2幕、夜の墓場でアメーリアがレナートに素顔を見せてしまったところに、王の暗殺者たちが集まって合唱が歌う。「悲劇は喜劇に変わる……」。ところが逆に、ここから作品は喜劇から悲劇へと変貌する。おもしろい。本来、普通のドラマであれば、「忠実な親友の妻への愛から破滅する王」の話に、コミカルな小姓(オスカル)なんて役柄が出てくるはずはないんだけど、そこを承知で全部盛ってみたのが「仮面舞踏会」。音楽がこれだけすばらしければ、なんだってアリ、大歓迎。
●実話に基づくスウェーデン国王暗殺という脚本では検閲を通らないため、ヴェルディは舞台設定をボストンへと変更した。このプロダクションでは本来のスウェーデンに舞台を戻して上演している……といっても、服装からして時代設定は20世紀前半。グスタヴやレナートもスーツを着たビジネスマンのようにも見えて、どうとでもとれる。歌手陣も含め音楽的には大満足だが、このアルデンの演出だけはピンとこない。国王の失墜のメタファーとしてなのか、イカロスをモチーフに舞台を飾り、オスカルに翼を装着させたりしてるんだけど、えー、それは演出ってのとは違うんじゃないかな~、と。「なるほど!」って腑に落ちないもの。腑に落ちないというか、オチがない前フリというか。でも歌手陣と指揮者には歌いやすい/演奏しやすいと好評の模様。
●あ、でもいいなと思ったところがあったんだった。3幕でレナートの書斎に、グスタヴのデカい写真が飾ってあったんすよ。これは演出家の意図とはぜんぜん違う理解かもしれないけど、いくらボスの忠実なしもべであり親友だといっても、普通は部屋にデカい写真(てかポスター)なんか貼らない。つまり、これはこのオペラの「三角関係」の意味を再定義している。レナートとグスタヴの愛。レナートは妻をグスタヴに寝取られたという以上に、グスタヴを妻に奪われた。愛ゆえに憎しみが燃えあがり、凶行へと至る。これは納得じゃないすか。
●実はいちばんコミカルな場面は悲劇のクライマックスの直前だと思う。「オレに殺らせてくれ」「いや、オレが殺る!」「なんだと、殺るのはオレだ」「じゃ、くじ引きで決めようぜ」。くじ引き!!!! その場で作ってるし!!!!!!

January 15, 2013

雪だるまオブセッション

雪だるま今日の東京は雪。とんでもなく雪。朝からボタ雪が降りはじめて、これは積もるなと思ったら、延々とそのまま降りつづけて積雪8cm。「なんだ、たったの8cmか」と思われる方も多いだろう。雪国でどれだけ雪が降るものかはよく知っている。が、東京の場合、街も車も人もすべてにおいて雪対応力がゼロに近い。なので、体感的に東京の積雪8cmは雪国の80cmくらいの怖さ。
●なんで怖いかっていうと、雪が積もってるのに、なにもしなくても普段と同じようにできるっていう前提でみんな動くから。タイヤも靴も道も電車も。が、その一方で、雪だるまは懸命に作る。憑かれたように作る。それが東京人の雪対応。「未知との遭遇」でみんなが山を盛るのと同じくらい、雪を丸める。

January 14, 2013

「解錠師」(スティーヴ・ハミルトン著)、「二流小説家」(デイヴィッド・ゴードン著)

解錠師●気軽に読めて、おもしろい小説をと思い、安直だけど「このミステリーがすごい! 2013海外編」第1位の「解錠師」(スティーヴ・ハミルトン著/ハヤカワ・ミステリ文庫)。ある事件を機に声を失ってしまった孤独な少年が、解錠と絵を描くことの才能によって、世界を広げてゆく。金庫破り小説であり、同時に青春小説でもあるという趣向が異彩を放っている。読ませる。錠前破りの記述がしっかりしているのが吉。
●全体としては甘口で、スティーヴン・キングの中篇「刑務所のリタ・ヘイワース」(映画「ショーシャンクの空に」の原作)を思い起こしながら読んだ。この「解錠師」も映画化向きでは? そして、「刑務所のリタ・ヘイワース」が「ショーシャンクの空に」への映画化で(肝心な部分が)さらに甘口になったように、この「解錠師」もいちだん砂糖をまぶす余地があるかも。少々設定も甘いのは、ストーリーテリングの才に長けているので許せる。
二流小説家●「このミス」海外編1位といえば、前年の「二流小説家」(デイヴィッド・ゴードン著/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)は抜群の傑作だった。こちらは辛口。冴えない中年作家が連続殺人犯の告白本の執筆依頼を受けてチャンスとばかりに飛びつくが……というストーリーで、犯罪小説でありダメ男小説であると同時に、しかも「小説をいかに書くか、について書いた小説」という自己言及小説でもあった。あくまでジャンル小説でありながら、ポストモダンでもある(ってのは大げさか)という二重性を実現した技巧に舌を巻く。ジャンル小説に対する愛情と含羞がないまぜとなっているオタク性にも共感できる。こんなに秀逸なのにamazonの評価が意外と厳しくてびっくり。謎すぎ。
●しかし最近、なにも読めてないなあ。もう少しどうにかしたい。

January 11, 2013

サイモン・ラトルとベルリン・フィルの契約は2018年で終了

●サイモン・ラトルがベルリン・フィルとの2018年までの契約を延長しないと発表した。ベルリン・フィル公式サイトのリリースはこちら。2018年というと5年も先の話だが、それがもうビッグニュースになるのはさすがベルリン・フィルというべきか。昨日深夜からババッと勢いよくネット上で話題が広がった。
ラトルのマーラー9番●ラトルらしく、As a Liverpool boy, it is impossible not to think of the Beatles’ question, ‘Will you still need me.., when I’m 64?’ というメッセージを発表しているが、いろんな憶測を呼ぶ話題ではある。ともあれ、16年の任期は十分長い。カラヤン時代みたいに同じ曲を何度もレコーディングする時代ではないので、レーベル(およびDCH)に一通りのレパートリーを残したら首席指揮者交代という感じで、どんどんリフレッシュしていけばいい気もする。ボスの任期は長ければ長いほど辞めてもらうのが大変になるし。
●これがサッカーの監督だったら、契約満了後に辞めるとわかった途端に選手たちが言うことを聞かなくなり内紛が起きて、結局退任が早まって暫定監督就任、みたいな話になりそうなものだけど、音楽界にそのノリはないか(笑)。
●で、後継者はだれなんでしょね。

January 10, 2013

OEKニューイヤー・コンサート、大野和士&読響、「アルプス交響曲」山脈

●9日は紀尾井ホールで、井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル金沢のニューイヤー・コンサート。シュトラウス・ファミリーの音楽は最小限にして、前半をコルンゴルト中心で、後半はオペレッタの名曲を並べるという工夫された選曲が吉(中嶋彰子S、吉田浩之T)。特にコルンゴルトは、ツェムリンスキーがオーケストレーションを施した11歳の作品であるバレエ「雪だるま」序曲、ヴァイオリン協奏曲の第2楽章(この日のコンサートマスター、サイモン・ブレンディスが独奏)、オペラ「死の都」の「マリエッタの歌」、そして「シュトラウシアーナ」と演奏されて、まとめてコルンゴルトを聴ける上に、ちゃんと「ニューイヤー」の雰囲気も保たれているという絶妙の趣向。オペレッタ中心の後半は寸劇?やトークなどの演出がさしはさまれて、一部日本語歌詞も用いながら昭和ノスタルジア風味の別世界へとトリップ。
シュトラウス●今年最初の演奏会は8日の池袋・芸術劇場での大野和士&読響。前半にラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(ピアノは小山実稚恵さん。冒頭、びっくりするくらいの弱音で入った)、後半にR・シュトラウスのアルプス交響曲。お正月に山で日の出を拝む気分で、芸劇のエスカレーターを上る。これが改修前だったら両側鋭く切り立った尾根を行く気分になっただろうが、今は壁に沿って安全登山。しかし基本、冬山は危険。絢爛たるスペクタクルを求めてはいけない。けれんみのないシュトラウス。
●昨秋、同じシュトラウス「家庭交響曲」が東響とN響で連続したけど、今年の東京は「アルプス交響曲」イヤー。この後、メッツマッハー&新日本フィルが今週の金土でとりあげる。さらに3月に上岡敏之&日本フィル、6月にフルシャ&都響、10月にノット&東響も演奏するというシュトラウス山脈が続く。健脚を誇る方は全部制覇してみては?

January 8, 2013

METライブビューイング「皇帝ティートの慈悲」

●METライブビューイング、この1月は4演目が怒涛の勢いで上映される。まず今週はモーツァルト生涯最後の年に作曲されたオペラ「皇帝ティートの慈悲」。指揮はハリー・ビケット(METで振っていたとは)。セスト役にエリーナ・ガランチャ、ティートはジュゼッペ・フィリアノーティ、ヴィッテリアにバルバラ・フリットリ。ポネルの演出。
モーツァルト●オペラって、音楽は古びないけど、物語はすぐに古びるじゃないすか。50年前に書かれた小説を読むと「古めかしいなあ」と思うのに、50年前に書かれた音楽なんてまだまだ古びてないどころか新しすぎて「現代音楽」とか言われちゃう(いったい何世紀生きるつもりだっ!)。だからオペラの命を保つためには、どうしたって演出家の工夫が必要になる。読み替えでも、登場人物像に新たな視点を与えるでも、新奇な舞台装置を導入するでも、なにかしないと、「今日は昨日の繰り返し」で作品は劇場から博物館へと向かってしまう。
●とすると、裏返すとオペラで最速で古びるのは演出ってことになるのかも。この壮麗な舞台。これぞローマ。ポネルの演出はいつのものなんだっけ。当時は燦然たる輝きを放っていたであろうものが、今は強く過去を想起させる。そしてオペラ的演技のオートマティズム。
●「皇帝ティートの慈悲」はモーツァルトのなかでも特にアンバランスな作品だと思う。しばしば「機械仕掛けの神」に頼るこの時代のオペラ、物語に筋が通っていないくらいは当たり前にしても、それにしてもマッツォラの台本は破綻している。エンディングひとつとっても、あれなんにも解決してないし。「めでたしめでたし」ってみんな喜んでるけど、どうするの、セストとヴィッテリアは。おまけに作品全体が「上目づかい」なんすよね。明白に権力者をヨイショ。市井の人々が慈悲深き皇帝の苦悩に共感できるだろうか。でも音楽はこの上もなく美しい瞬間にあふれている。クラリネット協奏曲やピアノ協奏曲第27番みたいな澄み切った抒情が横溢する。こんなに次々と聴きどころがあらわれていいのかっていうくらい。そして年齢的にはまだまだ若いのに、枯れていて、覇気がないともいえる。「イドメネオ」とか「後宮からの誘拐」の頃はあんなにはじけていたのに、すっかりおとなしくなってしまって……。
●今回のプロダクション、ハリー・ビケット指揮のオーケストラがいい。いつにもまして歯切れよく生気に富んでいる。ビケットはMETオケをリスペクトしているようで、自分のやり方で染め上げようとしているわけじゃないんだけど、それでも十分カラーは出ている。
●「皇帝ティートの慈悲」のセストって、あまりにも愚かで、もしかすると被虐の喜びに浸るタイプの人なのかなって気がする。だからヴィッテリアとの相性はばっちり。しかしセストごときに容易に火を放たれてしまうローマの警備体制はどうなのか。ティートは己の寛大さに酔うナルシストで、この手合いは暴君と紙一重でもおかしくない。あるところで慈愛プレイに飽きて、「全員、猛獣に食わしちゃいなさい!」と豹変するような邪悪さを内に秘めている……と想像しながら鑑賞すると、このオペラは少しスリリングになる。

January 7, 2013

ビリー・バッド (メルヴィル著/光文社古典新訳文庫)

ビリー・バッド●光文社古典新訳文庫から刊行されたメルヴィルの「ビリー・バッド」(飯野友幸訳)を読む。昨年新国でのブリテン「ピーター・グライムズ」体験に続いて、今年はブリテン・イヤーでもあるし、その予習?も兼ねて。いや、「ビリー・バッド」を見るチャンスなんてたぶんないだろうけど、いくつか気になって。
●メルヴィルの「ビリー・バッド」も「ピーター・グライムズ」と同様に集団から疎外された犠牲者の物語ではある。ただ、グライムズがならず者、暴漢であるのに対し、ビリー・バッドは正反対の美青年でナイーヴなナイス・ガイだ。軍艦に徴用された誰からも愛される新米の水兵。その精神は無垢で、邪悪というものを知らない。「美しすぎる水兵」は、それゆえに男だけの世界で謀略の犠牲者となり、無慈悲な運命に晒される。
●19世紀の小説らしく書法は古めかしく、一方で新訳らしく日本語はきわめて読みやすく、簡潔で美しい。この小説はいくつもの重層的な読み方ができるように書かれている。ビリー・バッドの無垢は聖人のようであり、死の瞬間に自らに刑を下した者に祝福の言葉を与え、両手を縛られて宙に吊るされる姿はイエスのようでもあり、バッド Buddの名は仏陀の悟りも連想させる。宗教的色彩を帯びる一方で、どこにも直接的に明示されていないがホモセクシュアリティがテーマになっていることも否定しようがない。クラガードがビリー・バッドに向ける好意と嫉妬。ビリー・バッドとヴィア艦長の愛。なぜビリー・バッドが破滅するかといえば、彼の美しさは誰をも満たすことができなかったからともいえる。
●ブリテンのオペラ「ビリー・バッド」はいまだに見たことがないのだが、あらすじを読んだ限りでは何か所かドラマティックな起伏を作るために脚色されているものの、全体としては原作にきわめて忠実になっている。今回の光文社古典新訳文庫版ではビリー・バッドがもともと乗っていた船の名前は「人権号」ではなくライツ・オブ・マン号、強制徴用された軍艦の名前は「軍神号」や「無敵号」ではなくベリポテント号になっている(ちなみにヴィア艦長が戦死する後日談を伝える際に、ベリポテント号が戦った相手はアテー(無神論)号)。このあたりの寓意性は船名がカタカナになった分、薄まって感じられるかもしれない。
●この小説、最後の淡々とした新聞報道の部分がいいんすよね。単純にビリーが悪の加害者として伝えられている。一つの出来事にはいくつもの真実がある。

January 2, 2013

謹賀新年2013

しめなわ的な絵柄●あけましておめでとうございます。すでに2013年。うっかり2012年と書かないように注意せねば。「2013」と心の中で十回唱えたい。
●大晦日深夜のFM PORT特番「GOODBYE2012 HELLO2013 ~クラシックの世界へようこそ~」は無事(たぶん)終了。生放送2時間枠ということで「途中で眠くなったらどうしよう」とか(なるわけない)、あれこれ気にかけたが、始まってみれば遠藤麻理さんのスムーズな進行のおかげでリラックスして進められた。生は進行を自分でするのとお任せできるのでは大違い。
●ついでに告知(新年早々恐縮です)。平井洋さんがホスト役を務める衛星デジタルラジオMUSIC BIRDの番組「プロデューサーの部屋」の1月5日&12日にゲスト出演(こちらは収録済)。話の中身はクラシック音楽界とウェブやSNS、クラウドコンピューティングとの関係と、これらの今後の展望についてのIT系四方山話が中心。MUSIC BIRDにご契約されている方はぜひ。
●天皇杯は柏レイソル優勝。2011年にJ1王者になりながらも今季はやや影が薄かったが、このタイトルを手にしたことで強豪クラブの印象がしっかりと定着した。天皇杯にとってもよかったのでは。昨年はJ2同士の決勝戦になってたわけで、あまりにリーグ戦と無関係な結果ばかりが続くのも考えものかと。

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