●光文社古典新訳文庫から刊行されたメルヴィルの「ビリー・バッド」(飯野友幸訳)を読む。昨年新国でのブリテン「ピーター・グライムズ」体験に続いて、今年はブリテン・イヤーでもあるし、その予習?も兼ねて。いや、「ビリー・バッド」を見るチャンスなんてたぶんないだろうけど、いくつか気になって。
●メルヴィルの「ビリー・バッド」も「ピーター・グライムズ」と同様に集団から疎外された犠牲者の物語ではある。ただ、グライムズがならず者、暴漢であるのに対し、ビリー・バッドは正反対の美青年でナイーヴなナイス・ガイだ。軍艦に徴用された誰からも愛される新米の水兵。その精神は無垢で、邪悪というものを知らない。「美しすぎる水兵」は、それゆえに男だけの世界で謀略の犠牲者となり、無慈悲な運命に晒される。
●19世紀の小説らしく書法は古めかしく、一方で新訳らしく日本語はきわめて読みやすく、簡潔で美しい。この小説はいくつもの重層的な読み方ができるように書かれている。ビリー・バッドの無垢は聖人のようであり、死の瞬間に自らに刑を下した者に祝福の言葉を与え、両手を縛られて宙に吊るされる姿はイエスのようでもあり、バッド Buddの名は仏陀の悟りも連想させる。宗教的色彩を帯びる一方で、どこにも直接的に明示されていないがホモセクシュアリティがテーマになっていることも否定しようがない。クラガードがビリー・バッドに向ける好意と嫉妬。ビリー・バッドとヴィア艦長の愛。なぜビリー・バッドが破滅するかといえば、彼の美しさは誰をも満たすことができなかったからともいえる。
●ブリテンのオペラ「ビリー・バッド」はいまだに見たことがないのだが、あらすじを読んだ限りでは何か所かドラマティックな起伏を作るために脚色されているものの、全体としては原作にきわめて忠実になっている。今回の光文社古典新訳文庫版ではビリー・バッドがもともと乗っていた船の名前は「人権号」ではなくライツ・オブ・マン号、強制徴用された軍艦の名前は「軍神号」や「無敵号」ではなくベリポテント号になっている(ちなみにヴィア艦長が戦死する後日談を伝える際に、ベリポテント号が戦った相手はアテー(無神論)号)。このあたりの寓意性は船名がカタカナになった分、薄まって感じられるかもしれない。
●この小説、最後の淡々とした新聞報道の部分がいいんすよね。単純にビリーが悪の加害者として伝えられている。一つの出来事にはいくつもの真実がある。
January 7, 2013