●METライブビューイング、この1月は4演目が怒涛の勢いで上映される。まず今週はモーツァルト生涯最後の年に作曲されたオペラ「皇帝ティートの慈悲」。指揮はハリー・ビケット(METで振っていたとは)。セスト役にエリーナ・ガランチャ、ティートはジュゼッペ・フィリアノーティ、ヴィッテリアにバルバラ・フリットリ。ポネルの演出。
●オペラって、音楽は古びないけど、物語はすぐに古びるじゃないすか。50年前に書かれた小説を読むと「古めかしいなあ」と思うのに、50年前に書かれた音楽なんてまだまだ古びてないどころか新しすぎて「現代音楽」とか言われちゃう(いったい何世紀生きるつもりだっ!)。だからオペラの命を保つためには、どうしたって演出家の工夫が必要になる。読み替えでも、登場人物像に新たな視点を与えるでも、新奇な舞台装置を導入するでも、なにかしないと、「今日は昨日の繰り返し」で作品は劇場から博物館へと向かってしまう。
●とすると、裏返すとオペラで最速で古びるのは演出ってことになるのかも。この壮麗な舞台。これぞローマ。ポネルの演出はいつのものなんだっけ。当時は燦然たる輝きを放っていたであろうものが、今は強く過去を想起させる。そしてオペラ的演技のオートマティズム。
●「皇帝ティートの慈悲」はモーツァルトのなかでも特にアンバランスな作品だと思う。しばしば「機械仕掛けの神」に頼るこの時代のオペラ、物語に筋が通っていないくらいは当たり前にしても、それにしてもマッツォラの台本は破綻している。エンディングひとつとっても、あれなんにも解決してないし。「めでたしめでたし」ってみんな喜んでるけど、どうするの、セストとヴィッテリアは。おまけに作品全体が「上目づかい」なんすよね。明白に権力者をヨイショ。市井の人々が慈悲深き皇帝の苦悩に共感できるだろうか。でも音楽はこの上もなく美しい瞬間にあふれている。クラリネット協奏曲やピアノ協奏曲第27番みたいな澄み切った抒情が横溢する。こんなに次々と聴きどころがあらわれていいのかっていうくらい。そして年齢的にはまだまだ若いのに、枯れていて、覇気がないともいえる。「イドメネオ」とか「後宮からの誘拐」の頃はあんなにはじけていたのに、すっかりおとなしくなってしまって……。
●今回のプロダクション、ハリー・ビケット指揮のオーケストラがいい。いつにもまして歯切れよく生気に富んでいる。ビケットはMETオケをリスペクトしているようで、自分のやり方で染め上げようとしているわけじゃないんだけど、それでも十分カラーは出ている。
●「皇帝ティートの慈悲」のセストって、あまりにも愚かで、もしかすると被虐の喜びに浸るタイプの人なのかなって気がする。だからヴィッテリアとの相性はばっちり。しかしセストごときに容易に火を放たれてしまうローマの警備体制はどうなのか。ティートは己の寛大さに酔うナルシストで、この手合いは暴君と紙一重でもおかしくない。あるところで慈愛プレイに飽きて、「全員、猛獣に食わしちゃいなさい!」と豹変するような邪悪さを内に秘めている……と想像しながら鑑賞すると、このオペラは少しスリリングになる。
January 8, 2013