amazon
January 25, 2013

「小田嶋隆のコラム道」(小田嶋隆著/ミシマ社)

小田嶋隆のコラム道●遅まきながら読了、「小田嶋隆のコラム道」。これはもう、最強。すばらしすぎる。読んでておもしろいのはもちろんそうなんだけど、文章の書き方についてその秘訣が惜しみなく明かされている。日頃感じていることについて「あ、やっぱりそうなんだ」とうなずく章あり、目からウロコが落ちる章あり。ただし文章術といってもこれはコラムやエッセイのような読み物系のためのものであって、つまりアイディアなりひねりなりオチなり技巧なりが必要なタイプの原稿を書く場合が前提で、取材原稿とかプロモーショナルな情報記事とか論文とかレポートのためのものではないので、念のため。
●たとえば、「書き出し」について。書き手は「書き出し」についてあれこれ悩んでなかなか最初の一歩が踏み出せないことが多いんだけど(あるある)、小田嶋さんは「どう書き出したところで、大差はない」「書き出しの数行の出来不出来なんかより、きちんと話が流れていくのかどうかのほうがずっと大切なのだ」という。これは肝に銘じたいところ。
●その代わり、結末の一言は大切である、と。これもみんなが悩むところだと思うんだけど、結びをそれまでの内容をまとめるようなツルンとした(つまり印象に残らない、教科書的な)一言で収めるか、できることならオチ、まあオチはいつでもつけられるわけではないから、なにかヒネリなりクスッなり「あれれ?」なりで終わらせるか、っていう普遍的な悩みがある。で、小田嶋さんは木に竹を接ぐカタチになってもかまわないから、後者で行けと背中を押す。たとえ失敗して無残な結果になったとしても、「技巧に走らない人間は技巧を身につけることができない」。なんという真実。
●あと、今まで薄々感じていたことなんだけど、明文化されたものを読んで改めて納得するのは、「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」「ネタは、出し続けることで生まれる」。これはな~。たとえばワタシの場合なんだけど(すみません)、連載原稿なんかで手持ちのネタが(A)絶対ウケる自信のあるネタ、(B)まあまあおもしろいと思われるネタ、(C)ギリギリ使えるネタ、と3つあるとする。そういうときに、先々ネタが枯渇することを恐れると、(A)(C)(B)とか、(B)(C)(A)とかの順番で出したくなることがある。弱いネタを強いネタの間にはさんで、弱いネタをカバーしたくなるというか、強いネタを取っておきたくなる、気分的に。でもこれは絶対にまちがいで、やってはいけない。(A)(B)(C)の順、必ず強いネタから先に出す。そうすると、先細りになる可能性が高まるし、事実そうなることもあるんだけど、強いネタを先に書くことで別の強いネタを思いつくことはままある。しんどいけど、そのほうがうまくいく。
●「推敲について」の章で論じられるこのプロセスの恐ろしさ、限りない自己否定の罠についての指摘も秀逸。悶絶する。