●METライブビューイングのヴェルディ「リゴレット」、舞台はなんとラスヴェガス。演出はマイケル・メイヤー(ミュージカルの演出家なんだとか)。どぎついネオン、カジノ、ダンサーたちが舞台を極彩色で飾るド派手演出。で、マントヴァ公爵の役どころはフランク・シナトラをイメージした業界のドン「デューク」。チェプラーノ伯爵やマルッロはシナトラの取り巻きたち「ラットパック」のメンバーだ。60年代アメリカのポップ・カルチャーにまったくなじみがないワタシたちにも言わんとするところは伝わる。女なんて遊び相手に過ぎずあたかもオモチャのように扱う権力者がいて、あわれな道化がいて、殺し屋がいて、カネと欲望が渦巻く街。ラスヴェガスが舞台でなんの齟齬もない。幕が開いてすぐにデューク(公爵:ピョートル・ベチャワ)がセクシーなダンサーたちを携えてマイク片手に「あれかこれか」を歌う。テンションあがる!
●もう一つ「リゴレット」の物語でキーとなるのが「呪い」の言葉。モンテローネがかけた呪いがリゴレット父娘にふりかかえるわけだが、現代において呪詛の言葉が本当に意味を持つ場所はどこかといえば、それはやはりラスヴェガスみたいな街なんじゃないかな、という点でも納得。このマイケル・メイヤー演出ではリゴレット(ジェリコ・ルチッチ)は明確に不具者として描かれてはいない。かろうじて背中にこぶがあるかどうかというくらい。業界のお調子者で毒舌をまき散らすが、家に帰れば優しいパパ。
●ジルダ役のディアナ・ダムラウ、スパラフチーレ役のステファン・コツァンらの好演もあり、大いに楽しめる舞台だった。指揮はミケーレ・マリオッティ。
●さて、ここからはワタシなりの理解なんだけど、ダムラウが歌うジルダはどう見えただろうか。歌唱は最高だが、ダムラウおばちゃんはどう見ても純朴な少女には見えない、と思われるかもしれない。だが、違うんである。「オペラは(脚本家や演出家の意図に合わせて脳内補正するのではなく)見たままに解しよう」キャンペーン実施中のワタシは、ジルダはあの通りの40代女子であると受け取った。つまり、リゴレットは子離れのできなかった父親なんである。娘に「お前は教会だけに行け。ほかに外出は許さない」と言い続けてきたので、娘は世間に触れることなく40代の純朴な女子になった。リゴレットは60代。つじつまはあう。リゴレットが世間に対して築いた不信の壁が、ジルダに囚われの人生を送らせた。デュークはジルダに一瞬本気の恋をする。彼にとって若くてきれいなだけの女性はありふれた存在だが、ジルダは違う。未知の存在、設定外の存在だ。デュークは征服欲を刺激される。
●ジルダの「私がデュークの身代わりになって殺し屋に殺されましょう」という奇天烈な自己犠牲は、父リゴレットに自らの謀略で娘を死に至らしめるという最大の罰を与える。人生を檻に閉じ込められた娘の父親への復讐劇とも読める。この物語で共感可能な人物がいるだろうか。いるとすれば、それはのびのびと放蕩にふけった若者デュークかもしれない。
March 12, 2013