●どんなところに書く原稿であれ、世に出る前には校正・校閲といったプロセスを経る。日本語表現に誤りや不自然なところがないか、原稿の内容に基本的なまちがいがないかどうか。校正・校閲のプロが中身をチェックする場合もあれば、担当編集者/依頼主のみが読む場合もある。著者の側も普通は校正紙(といっても今はPDFだ)を読む。
●しかし、自分で自分の誤りを見つけるのは難しい。他人の原稿のまちがいは一瞬でわかっても、自分のまちがいはなかなかわからない。特に「思いこみ」によるまちがいは、どんなに明白なものでも正せない。ハイドンのことをモーツァルトと書くとか、リコーダーをフルートと書くとか、それくらい豪快なまちがいであっても、目は素通りする。自信を持って言うが、これはワタシだけではなく、みんなそう。仕事がていねいか杜撰かという問題ではない。一字一句ていねいに読んでも気づかないくらい思いこみは怖い。他人の目が命綱。2013年が2012年になっていたとか、「ローエングリン」が「タンホイザー」になっていたとかを、他人の目は的確に発見してくれる。
●ただし、例外的に自分で自分の誤りを瞬時に見つけることができるケースがある。それは刷りあがったものを読むとき。ぜんぶ終わった後なら、書き手の校正能力は神のレベルに到達する。
March 26, 2013