●ブリテン生誕100周年。なのにブリテンを聴かずに、ブリテンのオペラの原作をたどるシリーズということで、「ビリー・バッド」に続いてヘンリー・ジェイムズの「ねじの回転」と「オーエン・ウィングレイヴ」。「ねじの回転」は名作だけに翻訳がずいぶんたくさんあって、光文社古典新訳文庫の土屋政雄訳にも大いにひかれるが、創元推理文庫の『ねじの回転 心霊小説傑作選』(ヘンリー・ジェイムズ著 南條竹則、坂本あおい訳)であれば「オーエン・ウィングレイヴ」も併録されているので、音楽ファンにとってはこれが最強の選択肢か。
●「ねじの回転」は幽霊屋敷小説の古典中の古典。名作が常にそうであるように、読み手に多層的な解釈を許す。もっとも表層的にはイギリス郊外のお屋敷に才色兼備の女家庭教師がやってきて、亡霊たちからお坊ちゃんお嬢ちゃんを守ろうとする、というゴシックホラーで、たしかに怖い。しかし怖いのは亡霊ではない。多くのホラー映画で本当に怖いのは亡霊ではなく子供(あるいは子供的ななにか)であり、ゾンビ映画で本当に怖いのがヒトであるのと同じく、ここでも第一に怖いのは子供。あまりにもデキのよい天使みたいなガキがあるとき悪さをして、女家庭教師が叱ると、ヤツはこう抜かす。「僕を――たまには――悪い子だと思ってほしかったの!」。あー、このクソガキゃあ。なんという邪悪さ。そして第二に怖いのは主人公の女家庭教師である。話が進むにつれて、亡霊は女家庭教師にしか見えていないことがわかってくる。もしかしてこれぜんぶ妄想なんじゃね? 語り手たる主人公がいちばん怖い。
●で、「ねじの回転」のすごいところはなにが起きているかはっきりとは語らずして語っているところで、抑圧された女家庭教師の妄想が暴走しているとも解釈できる。また、男女の亡霊、少年と少女の間にある汚れた関係性、そして天使のような少年が一発で放校処分になってしまった許されない出来事をほのめかすことによって、一言もそう語らずしてこれは同性愛、少年愛を題材とした小説になっている。最後の少年が突然息絶えてしまう一文はホラーの文脈では亡霊につかまってしまったことになるけど、ホモセクシャリズムの文脈では少年と亡霊の結びつきが旧弊な女家庭教師(彼女は屋敷の主人である青年に満たされない想いを抱えている)に追いつめられて絶たれたとも読める。
●短編「オーエン・ウィングレイヴ」では、名門軍人一家に生まれたウィングレイヴ家の青年オーウェンが、職業軍人になることを拒絶する。物語はオーエンの視点からは描かれず、周囲の人物がオーエンを観察するという形で語られる。あいつは軍人になるために生まれてきた男、気骨のある、最高の戦士になるべき男。それ以外の生き方などあるだろうか? よもや怖気づいたのか。まさか本気で軍人にならないとは? オーエンを救え!
●オーエンはだれからも理解されないまま、死を迎える。最後の一文は「その姿は、戦場に勝利を得た若い戦士そのものだった」。つまり彼は戦場に出ることなく、戦い抜いて死んだ。軍人として生きることを拒んだ平和主義者として。同時にこれは「カミングアウト」を題材とした小説としても読める。過剰な男らしさの強制と、そこからの逸脱を不名誉とする価値観。軍人の名門一家はホモフォビアの隠喩だ。セクシャリティの問題にまで踏み込まなくとも、「男らしさ」という強迫観念、「男らしさ」(スポーツ万能で行動力があり明るくて勇気がある)の度合いによって築かれる学校男子ヒエラルキーなどを思い浮かべれば、多くの男性にとって普遍的な題材を持った小説として読める。
May 15, 2013