●うーん、これは痛い。マリノスvs新潟戦、なんと、ホームで負けてしまった。最後から2番目の今節、マリノスは勝てば9年ぶりの優勝が決まるということで、日産スタジアムに6万人の入場者。かろうじてテレビ観戦できたのだが、なんとなく試合前から「勝てるもの」と思っていた。新潟ってマリノスにとって鬼門なのに。
●GK:榎本哲也-DF:小林、中澤、栗原、ドゥトラ-MF:富澤、中町(→ファビオ)、兵藤(→藤田祥史)、中村俊輔、齋藤学-FW:マルキーニョス。ベストメンバー。試合は序盤から新潟が前線から強烈なプレスをかけまくってきた。特に8番レオ・シルバの俊輔へのプレッシャーがキツい。むしろこちらがプレスをかけたかったのだが、逆に新潟に試合を支配されて、耐える展開に。
●とはいえ、この形、マリノスにとってはそれほど想定外の事態でもなかったはず。相手が序盤から飛ばしてきたときは、リスクを最小限に抑えながら強固な守備力で耐え、後半、ラインが間延びしてきたところからボールポゼッションを高めて、1-0で仕留める、みたいな形は今季何度もあったと思う。実際、後半に入ると新潟の猛烈なプレスはなくなり、選手間の距離が広がって、完全にマリノスペースに。何度か相手のディフェンスを崩し、あとは残り時間内に1ゴールを奪えるかどうか、時間との戦いといった雰囲気に。勝ちゲームの流れにしっかりと乗っていた。
●が、後半27分、新潟のコーナーキックから、栗原が横に弾いたボールが川又の正面にこぼれ、これを豪快に蹴りこまれて失点。どんなにゲームを支配していても、セットプレイからのこの種の失点は防げない。「勝てば優勝」だったのが、残りわずかな時間で、できれば2点、最悪1点で引き分けたいという状況に変わってしまった。で、ここからが良くなかったと思う。焦りからか、確度の低いパワープレイに頼って時間を空費してしまった。藤田とファビオを投入するという樋口監督の采配に従ったプレイではあったんだろうけど、守備が疎かになり、ロスタイムにカウンターを食らってさらに失点。0-2。最後の最後は1バック4トップくらいになっていたかも。失点後も同じペースで戦っていれば十分に追いつけるチャンスもあっただろうが、「2点取ってなんとしても優勝を決めたい」という気持ちがゴールを遠ざけた感あり。
●で、他会場の結果だが、広島は順当に湘南に勝利して、マリノスとは勝点2の差で最終節を迎えることに。浦和は鳥栖に敗れて圏外に。代わって3位に上がった鹿島にも数字上の可能性は残されているが、得失点差が壁となる。最終節に鹿島vs広島という対戦が残ったところになんともいえない妙味を感じる。マリノスはアウェイで川崎戦で神奈川ダービー。とにかく「勝てば優勝」なのだからマリノスの優位は変わらないのだが、引き分け以下の場合、広島は勝てば優勝となる。
●感覚的には「ほぼ決まり」と思える差を2位につけていたのが、あっという間に背中の後ろにまで迫られて慌てているといった状況。ひょっとすると、最後に連敗して優勝が決まるという可能性も十分ありうるのだが、さて。
2013年11月アーカイブ
マリノスvsアルビレックス新潟戦@Jリーグ
バイエルン国立歌劇場が日本向けにR・シュトラウス「影のない女」を配信。12/2、19時より
●昨シーズンよりインターネットを通じた無料ライブ配信をスタートさせたバイエルン国立歌劇場だが、12/2(月)19時より日本向けにR・シュトラウスの「影のない女」(新演出)を配信してくれる。これは現地では前日12/1の18時から上演されるもので、演出はクリストフ・ワリコフスキ、指揮は音楽監督のキリル・ペトレンコ。歌手陣はヨハン・ボータ(皇帝)、アドリアンヌ・ピエチョンカ(皇后)、デボラ・ポラスキ(乳母)、ヴォルフガング・コッホ(バラック)、エレナ・パンクラトファ(バラックの妻)他。今シーズンより映像はフルHD画質となり、字幕はドイツ語、英語、なしの三択可。
●収録にあたっては4~6台のカメラを用い、ステージとピットに40本のマイクを設置するのだとか。今回は時差なしで楽しめるということなので、なんとか時間の都合をつけてアクセスしてみたいもの。配信は以下から。
BAYERISCHE STAATSOPER TV
http://www.staatsoper.de/tv-japan
また、日本公式facebookページはこちら。
https://www.facebook.com/staatsopertvjp
●以下に予告編を。どぞ。てか、サムネイルが白いブリーフ姿で、そいつは別に見たくないんだが(笑)。
「iTunes ではじめるクラシック音楽の愉しみ」 (ONTOMO MOOK)
●「レコード芸術」編による ONTOMO MOOK 「iTunes ではじめるクラシック音楽の愉しみ」が刊行された。え、「レコ芸」で音楽配信のムック?と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、これは同誌連載の「クラシック版 インターネット配信音源ガイド」をもとに加筆・再編集された一冊。執筆者はおなじみ、満津岡信育さん、相場ひろさん他。こうして一冊にまとまるとその情報量に圧倒される。単なるハウトゥーではない「レコ芸」ならではのマニアックな切り口で、未知の音源との出会いを約束してくれる。
●今やダウンロードでしか手に入らない高音質音源もあれば、フィジカルで廃盤のディスクがストリーミングで簡単に聴けることも珍しくない時代。「レコ芸」が音楽配信に力を入れたってなんの不思議もない。というか、ニッチだからこそ「レコ芸」でしかMOOK化できないともいえる。
●で、このMOOKの最大の特徴は「レコ芸」的な視点で音楽配信の世界を眺めたらこう見えるんだよ、ってことを伝えてくれることだと思う。これは今のフツーの音楽配信ユーザー視点とはかなり異なる。たとえば、音源の録音データについて。「レコ芸」視点では録音データ命なので、音楽配信産業はあまりにも録音データに対して無関心というか、不備が多すぎる。だから、これは今後の課題だ、と認識される。でも配信側から見ると、録音データを適当にあしらって不要のものにするっていうのは、たぶん「成果」なんすよね。メタデータの取り扱いはなるべくカジュアルにして、そんなところに手数をかけるより配信できる音源をガンガン増やそうよ、ってやってきた。できればブックレットだってなくしたいと思ってるだろうし、事実ないことが多い。mp3のような不可逆圧縮のフォーマットについても同じことが言えるんじゃないかな。よりよい音質を求めていく立場と、音質にこだわらない大らかなカルチャーを目標にする立場と。
●配信で買ったデータには、詳細な録音データどころか、曲名や演奏家の情報も不十分だったりすることもままあるわけで、すでに「そんなのだれが気にするのよ?」的な確固たる業態ができあがっている感じ。コアな音楽ファンが「それじゃ困るんだよなー」と言い続ける意味はあるのか、ないのか……。
J1とJ2とJ3と
●今日は延々とサッカーの話をする。
●いよいよJリーグも大詰め。J1は、なんとなんと、大方の予想を裏切ってわがマリノスが次節、ホームで新潟に勝利すれば優勝を果たすという事態になっている。次節で決まらない場合は優勝争いは最終節に持ち越す。油断はできない。なにしろ次の相手、新潟は後半戦の王者といってもいいくらい好調。浦和と広島も残り2試合、勝ち点を落とさずに食らいついてくるはず。と、勝って兜の緒を締めては見たものの。
●いやー、先週末はあまりにもマリノスに好都合な試合結果でわが目を疑った。マリノスはアウェイで磐田に勝った。磐田がJ2に降格が決まったというのも信じられない話であるが(実績豊富なベテランと有望な若手をそろえているのに)、マリノスとしては俊輔のコーナーキックから中澤がゴールしたという得意の形。今季の好成績のほとんどは俊輔のプレイスキックの質で説明できるんじゃないかっていうくらい、俊輔依存度が高い。で、浦和も広島も鹿島もぜんぶそろって負けた。引分けでも御の字なのに、負けるなんて。川崎相手に浦和の槙野が決めた、あの堂々たるオウンゴール。ディフェンスのオウンゴールといえば、マリノスも代々、井原から中澤まで豪快に決めてくれている伝統のお家芸みたいなものだが、槙野もあっぱれなオウンゴール。ウチに来ないか、と声をかけたくなるほど。でも、あの槙野ががっくりとうなだれるまもなく、すぐにキーパーが槙野を立たせたのは立派だし、感動的だった。気持ちが下を向いたら試合は終わる。オウンゴール? ヘッ、んなもの知らね、って顔でファイトしないといけない。それでも浦和はさらに大久保にゴールを奪われて1-3で敗れたわけであるがっ!
●つくづく自分はサッカーを見る目がないと痛感する。自分がマリノスのGMだったら、今季はぜったいこんな陣容で戦ってないもの。30代後半の選手たち、中澤はまだしも、俊輔とは契約してなかったにちがいない。今さらマルキーニョスなんてありえない。ましてや40歳のサイドバック、ドゥトラと契約なんて狂気の沙汰。逆に移籍させてしまった選手たち、たとえば長谷川アーリアジャスールとか渡辺カズマとか狩野健太とかを主力にすえてチームを組んだと思う。監督だって実績を残していない樋口靖洋監督じゃなくて、きっとJ2あたりで弱いチームを引き上げた実力者を連れてくる。つまり、今のマリノスは、ワタシが決して望まないことばかりをして、優勝まであと一歩まで来た。Jリーグ前夜の日産自動車時代、読売クラブの藤吉信次にベテランぞろいなのを揶揄されて「オッサン自動車」と呼ばれていたあの頃から、このクラブにはベテランの活躍が欠かせなかったのだなあ……。
●なぜこんなに優勝が決まったかのように感じてしまうのだろうかと思うと、やはり岡田武史のもと連覇した際の記憶が鮮やかであるというか、もつれた末に勝つという展開はあっても、その逆はほとんどないからなんだろう。2004年のチャンピオンシップは浦和と戦った。埼玉スタジアムでの第2戦、PK戦までもつれこんだわけだが、圧倒的アウェイのなかスタジアムを訪れたワタシは、最後のキッカーがPKを成功させた瞬間、「ウヒョウ」と小声で叫んでダッシュでスタジアムを出たのだった、呆然とするレッズサポをあとに。あのときの最後のキッカーがドゥトラ。まさか9年後にまたマリノスでプレイしているとは。
●J2はすでに今季が終了、1位ガンバ大阪、2位神戸に驚きはないが、3つ目の枠を巡って、京都、徳島、千葉、長崎がプレイオフに進出することになった。このプレイオフの変則レギュレーションがどうも好きになれないのだが、昨季はその変則レギュレーションで不利だった(つまり順位のもっとも低かった)大分がまさかのJ1昇格枠をゲットしたわけだ。そして、今季は大分が断トツの最下位に沈んでしまったわけで、やっぱりこの3つ目の昇格枠は問題じゃないかって気にはなる。
●で、実はプレイオフ進出にあと一歩迫っていたのが松本山雅。J2最終節を松本山雅視点で眺めると、こんな記事になる。反町監督は他会場が先に試合終了するように、わざわざ後半の選手の入場を2分遅らせたんすね。でも、ほとんどプレイオフ進出を手にしていたけど、千葉がロスタイムの劇的ゴールを決めたために、あと一歩及ばず。山雅サポはこの日、サッカーを思う存分満喫したと思う。戦力的には3つ目の昇格枠には京都か千葉がふさわしいのかもしれない。順位ではなく得失点差を見ているのだが、京都は+22、千葉は+19。徳島は順位は千葉より上だが+5しかない。42試合のリーグ戦を戦って得失点差が1桁の徳島や長崎が昇格というのはどうかなあ……と、いいつつ、ワタシは徳島と長崎を応援する。そのほうが地元が盛りあがりそうだし。徳島ならJ1初の四国勢だ。
●そして、来季から発足するJ3だが、だいたい形が固まってきた模様(→申請クラブ審査状況)。旧JFL勢に新たなクラブも加わって新鮮な顔ぶれとなりそう。ひそかに注目したいのは特別参加となる「JFA/Jリーグ U-22選抜チーム」。若手に実戦機会を積ませるために編成されるチームなんだそうだが、彼らはどの試合もアウェイで戦うのだとか。しかしもしこのチームが優勝しちゃったらどうなるんすかね……。そんな光景を見てみたいイジワルな気分も少々。
●かねてより応援している横河武蔵野FCについては、もともとアマチュアクラブを標榜しているだけあって、J3には加わらない。ということは、これまでは3部リーグだったのが4部リーグになるってこと? なんだか釈然としないなあ。JFLとJ3のどっちが強いんだ的な議論も出てくるかもしれない。っていうかJFLというリーグ自体がどうなるんだか。さすがに4部ともなると、全国リーグじゃなくてもいい気もするのだが。
●というわけで、今ほど下部リーグがおもしろい時代はないので、ご近所にJ2、J3、JFLのチームがある方はぜひ注目してみては。競技水準的には現状のJFLでも十分見ごたえありと力説しておきたい。
オペラシティでケラスのブリテン
●週末のJリーグの結果を受けて、浮き足立っている。まさか次節、「勝てば優勝」などという有利な状況になるとは。なにが難しいかって、もう優勝したも同然という錯覚から逃れるのが難しい。まだぜんぜんどうなるかわからないはずなのに。はずなのに。はずなのに……ウヒョヒョ。
●22日は東京オペラシティでジャン=ギアン・ケラス「無伴奏チェロリサイタル」ブリテン篇。前の週のバッハ篇は聴き逃したが、この日は「ベンジャミン・ブリテン生誕100年バースデー・コンサート」と銘打って、ブリテンの無伴奏チェロ組曲第1番~第3番、さらにはコダーイの無伴奏チェロ・ソナタまで演奏されるというプログラム。しかし、オペラシティのコンサートホールで無伴奏チェロのリサイタルを2公演も開けるアーティストってスゴくないすか。聞いたところではバッハのほうは大盛況だったそうだし、ブリテンはさすがに後方席は空いていたけど、それでも前方はしっかり入っていて中ホールだったら問題なく埋まりそうなわけで、驚愕。終演後のサイン会にも長い列。
●ブリテン作品はオペラ作曲家として成功した後に書かれた限られた器楽曲として貴重。バッハの先例にならって当初は全6曲を構想していたが、結局3曲のみが書かれたのだとか。組曲を構成するのは「カント」と題された歌の楽章だったり、ブリテン流のフーガやパッサカリア、シャコンヌ、舟歌、行進曲などなど。舞台でぽつんと一人座ったケラスから発せられる朗々たる響きがホールの広大な空間を満たす。最後の第3番、重苦しいパッサカリアから組曲の素材となったロシアの民謡風主題群があらわれてくるところは感動的。荒涼として暗晦な曲ではあると思うんだけど、ケラスの演奏は流麗で、むしろ抒情性が際立っていた。日本語の「どうもありがとうございました」の挨拶に続いて、アンコールにデュティユー「ザッハーの名による3つのストローフ」第1曲。
ソヒエフ&N響のチャイコフスキー5、プロコフィエフ5
●21日はソヒエフ&N響(サントリーホール)で、リャードフの交響詩「魔の湖」、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第2番(諏訪内晶子)、 チャイコフスキーの交響曲第5番というプログラム。前半と後半の落差がすさまじいが、ショスタコーヴィチでもチャイコフスキーでもふくよかなホルンのソロ(福川さん)にほっと一息つけるのが共通項か。ショスタコは暗鬱で晦渋、しかし終楽章はズッコケギャグみたいな変態性全開で怪しすぎる。ソロは鮮やか。チャイコフスキーは骨太で精悍、一丸となって白熱した。異様な来日オケ・ラッシュが続く東京、チャイコフスキーの5番はこの数日間でヤンソンス&コンセルトヘボウ、ネルソンス&バーミンガム市交響楽団も取りあげていて、一時的にチャイ5密度が猛烈に高まっている。なぜこんなに重なるのかと思うけど、その答えはおそらくきっと偶然がすべて。
●15日にもNHKホールで同コンビの公演があって、より印象に残ったのはこちらのほう。ベレゾフスキー得意のラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に続いて、プロコフィエフの交響曲第5番。精緻なんだけど音楽のスケールは巨大。ソヒエフの背中からもオーラが発せられていて、並はずれた統率力が伝わってくる。ベレゾフスキーとはベルリン・フィルの定期に2度目に登場したときにも共演してたっけ。1977年生まれ、36歳だけど、まだ若いっていう感じがぜんぜんしない。
サイモン・ラトル&ベルリン・フィル@ミューザ川崎
●ベルギーvsニッポン代表は、完全アウェイで中二日と相手より休養の少ないニッポンが完勝。2-3。パス回しもスムーズかつ効率的で、スペクタクルなゲームだった。いつの間にかベルギーはW杯トップシードの強豪になってたんすよね。完全に史上最強の代表(オランダ戦でも感じたけど)。代表についてはまた改めるとして。
●ラトル指揮ベルリン・フィルを20日、ミューザ川崎で。オーケストラの機能性という面では銀河系最強の緻密なアンサンブル。聴いたことのないようなサウンドをたっぷり浴びた。シューマンの交響曲第1番「春」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番(樫本大進)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」という微妙に大盛り感のあるプログラムも大吉。シューマンは小ぶりの編成で(12型?)ヴァイオリンは対向配置。恐るべき高解像度でまさに室内楽の延長。どのパートをとっても聴き惚れるくらいいい音が鳴っている。後半からは通常の弦楽器の配置で、ソリストとオケが完全に一体となった洗練されたプロコフィエフを披露。第1楽章の終盤、弦楽器のウルトラpppに鳥肌。
●「春の祭典」ではミューザの広い舞台に五管編成のベルリン・フィルがどーんと陣取って壮観。フルートはブラウ、オーボエはマイヤー、クラリネットはオッテンザマー、冒頭からゆっくりしたテンポで自在なソロを聴かせたファゴットは……だれだっけ?、エスクラにザイファルト、コールアングレにヴォレンヴェーバー、ホルンはドール(後半から。前半はどなた?)、コンサートマスターはスタブラヴァ、トランペットにタルケヴィ、ヴァレンツァイ、ティンパニにヴェルツェル……すげえ、みんなベルリン・フィルのメンバーだ(とか感じるのもDCHのおかげか)。そして、さっきソロを弾いたばかりの樫本大進が袖からツツツッとあらわれて、第1ヴァイオリンの最後列に座った。
●巧緻を極めた未体験ゾーンの「ハルサイ」。鮮烈なダイナミズムのなかにも余裕を感じさせる。作曲者が想像もしなかったであろう精密機械みたいな「ハルサイ」で、演奏行為が再創造であることを痛感する。あ、第2部イントロダクションの弱音器つきトランペットがありえないくらいの超弱音っていう趣向は、サロネン&フィルハーモニアでもハーディング&新日フィルでもあったっけ。
●アンコールなし、もちろん一般参賀あり。一人あらわれたラトルが一言、日本語で「ありがとうございました」と述べた後、「ミューザは世界最高のホール」と讃えてくれた。
METライブビューイング ショスタコーヴィチ「鼻」
●METライブビューイング、今シーズンの第2作はショスタコーヴィチの「鼻」。これは見逃せないだろうということで、山のようにコンサートが開かれている中、映画館へ(18日、東劇)。ウィリアム・ケントリッジ演出。映像やアニメーションをふんだんに活用して、舞台は徹底して作りこまれている。伝統的な「オペラ」というジャンルが持つ気恥ずかしさから100%解放された、一分の隙もないクールな舞台が展開する、上記映像クリップのように。指揮はパヴェル・スメルコフ、主役のコワリョフにパウロ・ジョット。
●「鼻」はショスタコーヴィチが1928年に完成させた作品。ということは、作曲者はまだ22歳の若者。プラウダ批判もずっと先の話、モダニストはのびのびと羽を広げる。原作はゴーゴリの短編小説「鼻」。で、このオペラをどう解するか。演出によりけりではあるけど、ワタシの分類ではスラプスティック、ドタバタギャグかな。ケントリッジ演出は小洒落ているが、ある意味ストレートで、作曲家とともに原作のナンセンスぶりを忠実に伝えてくれている。
●ロシア語では「鼻が高い」っていう表現はあるのかなあ?……ないか。でも、これってそういう話っすよね。主人公のコワリョフは小役人気質の塊みたいな俗物で、「八等官」という地位を鼻にかけている(おっと、この表現はロシア語ではどうなのかな?)。ところが、ふと気づくと鼻がない。床屋で鼻が取れてしまったんである。鼻は主から離れ、勝手に紳士としてふるまって、五等官の位を装っている! 鼻に向かって「あなた、わたしの鼻じゃありませんか」と丁重に尋ねると、鼻は「は? おたく、どちら様で?」とかつての主を鼻であしらう……。形ばかりのものにこだわって自尊心を膨れあがらせる俗悪な小役人を笑い飛ばしてやろうという痛烈な風刺になっている。
●音楽面では第3幕かな(休憩なしで通して演奏される)、コワリョフとポトーチナ夫人との手紙のやりとりの部分とか、オペラならではのコミカルさがあって楽しい。終盤、「こんな話、さっぱりわからない。作者はどうかしてるね。こんなの書いても国家の利益にならないよー」みたいなことを登場人物に素っ頓狂に(←死語)歌わせる楽屋オチみたいな場面があるけど、あれはゴーゴリの原作にそのままあるんすよね。狂人大集合みたいな雰囲気が強すぎて、笑えないギャグが並んでいる感もあり。てか、ぜんぜん笑えない。いや、「ふふっ」て鼻で笑ったかな。
ヤンソンス&ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の「英雄の生涯」
●17日はミューザ川崎でマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(エマニュエル・アックス)、R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」というプログラム。最初のベートーヴェンから分解能の高いサウンドに驚愕。こんなにクリアに整理整頓されてて、澄明で、しかも豊潤な音がありうるとは。大編成の「英雄の生涯」はさらに強烈で、機能性をとことん高めた、ストーリーテリングの巧みな英雄譚。楽しすぎる。オーケストラってこんな音が出せるんだという素朴なレベルで圧倒されてしまった。この曲、十分にいい演奏をこれまでに聴いているつもりだったけど、すべての記憶を上書きしてしまう壮麗さ。ここを最強オケとして挙げる人の気持ちがわかる。
●ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は125周年ということで、一年間の間に欧州、南北アメリカ、アジア、アフリカ、オーストラリアを巡るワールドツアーを敢行している(→Travel Plan)。この秋のツアーはその掉尾を飾るもので、ロシア→中国→日本→オーストラリアと移動中。タフ。で、この後、12月1日までオーストラリアで9公演ほどが開かれることになっていて、「英雄の生涯」プロとチャイコフスキーの5番プロがずっと交互に続く。いったい彼らは何回「英雄の生涯」を弾いているんすかね。なのに、自分が聴いた1回は「特別な1回」であるとしか思えないという幸福。お客さんはみなそれぞれの土地でそう感じているにちがいない。
オランダ代表vsニッポン代表@親善試合
●ベルギーのヘンクで開催されたオランダvsニッポン代表。この後でベルギー戦もある。近づくワールドカップに向けて、どこも一試合一試合の代表戦の重みが増してきた。オランダはファン・ペルシーやフンテラールが欠場だが、それでもロッベン、ファン・デル・ファールトら強力メンバーが集結。
●ニッポンの先発はやや驚き。GK:西川-内田(→酒井宏樹)、吉田、今野、長友(→酒井高徳)-MF:山口螢、長谷部(→遠藤)、本田-FW:岡崎、大迫(→柿谷)、清武(→香川)。今までずっと固定されてきたセントラルミッドフィルダーで、遠藤をはずして山口を起用。後半から長谷部と遠藤を入れ替えたので、今回は山口のテスト。3人目のミッドフィルダーには細貝という選択肢もあるが、これで山口のめども立ったのでは。序盤、不用意な大ミスがあったものの、展開力は高い。いまだメンバーが固定されないトップは大迫。1ゴール1アシストの結果は立派。前半は香川をはずして清武を先発。このあたりはベルギー戦とあわせてローテーションか。キーパー西川も強豪相手に対して一度使っておきたかったのだろう。
●欧州でオランダ代表相手に戦って2-2の結果は立派。序盤からニッポンのパス回しは冴えていたが、前半13分に内田のヘディングでのバックパスをファン・デル・ファールトに拾われて失点。前半39分にはファン・デル・ファールトからロッベンへ鮮やかなダイレクトでのサイドチェンジのパスが通り、右サイドからロッベンが中に切れ込んでカーブをかけたシュートをゴール左隅に。これこそ世界最強レベルというプレイで0-2に。このまま一方的に崩れる可能性もあったが、前半終了間際に長谷部のスルーパスに大迫が抜け出てダイレクトに流し込んでゴール。1-2。これが大きかった。
●後半頭から香川と遠藤が入り、ニッポンがペースを取り戻す。オランダのペースが落ちたこともあって、ニッポンが美しいパス回しでゲームを支配した。圧巻は後半15分の本田のゴール。右サイドからワンタッチの華麗なパスワークで相手ディフェンスを崩して(ディフェンスに当たったボールがこぼれるラッキーもあったものの)最後は本田が決めて2-2の同点。こんなスペクタクルをオランダ相手に見せてくれるとは。
●ここ数試合、結果はまったく出ていないものの内容は悪くなかったと思うので、ここで引き分けることができたのはよかったかも。次の好調ベルギー戦はアウェイで厳しくなるので。勝てた試合と言えばそうではあるんだけど……しかし、ここまでニッポン代表のレベルが上がってきたということに驚かずにはいられない。今が過去最強の代表、まちがいなく。
ユジャ・ワン&ドゥダメルのラフマニノフ/プロコフィエフ
●最近の新譜で圧倒的な感銘を受けたのは、ユジャ・ワンとドゥダメル指揮シモン・ボリバル交響楽団による、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番&プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番。爽快。特に後者はよくぞ第2番を選んでくれたと思う。敏捷で硬質なソロと、ムンムンと熱気をはらむオーケストラ。ドキドキする。ライブ録音で拍手が入っているのだけが惜しいかな。今を時めく若きスーパースターが中国とベネズエラから生まれて、DGの看板を背負うというのも実に今日的。
●そして、なんといってもこのジャケが最強に強まってる。これこそユジャ。キモ美しいっていうのかな。欧米人視点のアジアン・ビューティを過剰に演じた結果、ジャケから批評性が立ちのぼる。彼女のステージでの足を交差させてコクンと折れ曲がる深いお辞儀みたいに、作為のない自然さを徹底して拒むことで、細部にまで意匠が凝らされた世界のなかで燦然とした輝きが放たれる。スタジオやコンサートホールでかぐわしいストレスの香りを発散させるアイドル、という自画像を描き続ける才能豊かな女の子。野山の澄み切った空気のなかでは一秒だって呼吸できない。そんな世界観がジャケに込められている。国内盤のジャケは安全な路線にさしかえられるようだが、購買層の違いを考えればしょうがないか……。
タブレットの秋
●ようやく秋が来たかなと思ったら、一瞬にして冬到来。ほんの1カ月ほど前には30度超えてたのに、どうなってるんすか。慌ててチェックするYahoo!の紅葉特集2013。昭和記念公園はもう見頃とか。
●世間はNexus 5で盛りあがっているが、ようやくNexus 7(2013/LTEモデル)をゲット。iPad miniと同等サイズの7インチタブレット。テザリング用途も兼ねて導入した(簡単にできる)。非常に動作機敏で快適、SIMフリーなので安価なMVNO SIMと組み合わせれば運用コストも低い。Android端末をはじめて触ったが、OSもなじみやすくて割と楽しい。あと、電池の持ちもまずまず良好。
●「ノマド」みたいなノリは苦手なのだが、現実的には出かける機会が多いと、どうしても外で仕事をする必要に迫られる。すでにiPadであっても原稿書きはできないという結論に達しているので(少なくとも自分はムリ)、さらにサイズの小さいNexus 7でもやはりできない。せいぜいメールまで。なので、結局モバイルPCは必要になる。PC最強、Windowsラブ。従来は複数の公衆無線LANサービスと契約して、都心では結構それでなんとかなっていたのだが、今後はLTE+テザリングで。いまだに通話はガラケー派なので、当面はガラケー、Nexus 7、PCという3台体制を試してみるつもり。
●しかしデジタル機器はどんな組み合わせで持ち歩くにしても、最終的にはバッテリーがボトルネックになる感じっすね。充電という煩わしさからは逃れられない。
代表新ユニ、ブラジルW杯モデル発表
●ニッポン代表の新ユニ発表。ブラジルW杯仕様なんだそうだが、そうだなあ、今のカッコ悪い赤の縦棒モデルよりずっといい。というか、ここのところ代表のユニは新モデルが出るたびに落胆させられてきた(参照→歴代ユニ)。赤い縦棒はまるでそこにジッパーでもあるのかと思うようなヘンテコさだったし、その前の首の下にレッドカードみたいな赤い四角形をぶら下げたモデルは不吉このうえなかった。しかも耐えがたいダサさ。
●今回のデザインは正面から見ると、袖の派手な蛍光ライン以外はカッコいい。背中のラインが「円陣」になるとかいうのはどうかと思うが……。気になるのはソックス。上のほうはブルーなんだけど、足元の派手なオレンジへと向かってグラデーションになっている。うーん、どうして赤とかオレンジとかで目立つワンポイントを作るのかなあ。青と白だけでいいじゃないの。ニッポン代表と言えば青と白。赤は日の丸だけで十分バランスが取れると思う。
●代表ユニには新奇であることよりもクラシックであることを求めたい。そんなに頻繁にデザインを変えずに1回作ったら10年くらいは使うつもりで……って、それじゃレプリカが売れないか。なにが驚くかって、代表戦の試合とか行くと、きわめて大勢のサポーターたちが新ユニを買って着用しているところ。ここまで着用率の高い国は欧州にはないのでは。
●この点に関しては自分はまるで代表への忠誠心がなくてスマソって言うしかないのだが、あのジャージを着て応援したいとは実のところまったく思わない。でも着たくないわけじゃないんすよ。むしろ着たい。あれを着てピッチに立ちたかった(遠い目)。なあ、アルベルト……。
サンティ&N響のヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」演奏会形式
●10日はNHKホールでネッロ・サンティ指揮のN響。ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」を演奏会形式で上演(字幕付き)。舞台いっぱいに陣取ったオーケストラが豪快に鳴り響く演奏会形式ならではの愉楽。歌手陣はこのコンビではおなじみアドリアーナ・マルフィージ(マリア/アメーリア)、パオロ・ルメッツ(シモン)他。印象に残ったのはサンドロ・パーク(ガブリエレ)。一人だけ声がよく伸びて、若々しい。風貌と役柄にギャップはあるけど、演奏会形式だから無問題。主役はオーケストラか。
●しかし、「シモン・ボッカネグラ」って本当に物語の筋がわかりにくい。そこはオペラの前史となる部分への理解が足りないからでもあるんだけど、それを考慮したとしても作劇的に納得のいかないところだらけ。でも、音楽の説得力は半端じゃなくて、ヴェルディのオペラのなかでもとりわけみずみずしい抒情性にあふれている。
●えっと、質問していいっすか? プロローグでいきなりシモンの恋人マリアの死が伝えられるわけだけど、マリアってどうして死んだの? そして、そこがいちばん知りたいはずなのに、なぜシモンはそれを問わないわけ? 考えられうる合理的な理由としては、死の原因が明白すぎてだれも口にしないということだと思うんだけど……。ずっとワタシはそれが引っかかっているんだが、みんなどう理解しているんすかね。
●あと、これを言っちゃあおしまいかもしれないが、展開上「なぜ、そこにその登場人物が(都合よく)あらわれるのか」という根本的な問題があって、もちろんそれは「たまたま」で片づけてもいいわけだけど、一作品中の「たまたま」には制限回数があるべきじゃないだろか。
●それと最後に悲劇を生んだのは、アメーリアとシモンの秘められた親子の愛が、邪なものと誤解されたためであるが、これってアメーリアの責任は重大だと思う。あの、「ほう・れん・そう」が大事だっていうじゃないすか。ちゃんと関係各所に「実はシモンと私は本当は親子なんです、でもそれは今は公表できないから内緒にしておいてね」って伝達するとか、せめてガブリエレだけにでもわかっておいてもらうとか、そういうコミュニケーションを怠りすぎ。みんな、まるで悲劇を待ち構えているように、事の運びが拙い。
●いや、違うか。悲劇を待ち構えているんすよね。だって悲劇にならないと、話がすぐ終わっちゃうし。オペラの登場人物たちが誤解されたり余計な恨みを買ったりしないように、みんなそろって慎重に、コミュニケーションを密にして生きていたら、ドラマはいつになっても生まれない。「報告しない」「連絡しない」「相談しない」。オペラのなかで生きるなら、この大胆さが肝要。
ティーレマン&ウィーン・フィルのベートーヴェン1、2、3
●8日はサントリーホールでティーレマン&ウィーン・フィルのベートーヴェン・シリーズ。交響曲第1番から第9番まで順に演奏するということで、初日は第1番、第2番、第3番「英雄」。この日だけ3曲演奏して、4日間で9曲演奏する。こうして並ぶと第1番から第3番に向かう規模の拡大がよく伝わってくる。そしてウィーン・フィルの響きはやはりとても美しい。ビバ、ローカリズム。ほかのどこにもない唯一のサウンド。
●往年の大巨匠たちの系譜を継ぐような堂々たるベートーヴェンで、今聴くと少し不思議な気分にとらわれる。そういえば、ベートーヴェンはこんなだったっけ……。筆圧の強いティーレマンのタッチはしっかり刻印されているが、予想したほど強引なテンポの変化などはない。特に「英雄」の豪壮さ、雄渾さには息をのむ。第1楽章終結部のトランペットの「消える主題」は消えることなく力強く飛翔する。
●ウィーン・フィル伝統の豊麗なサウンドでこれだけ立派な演奏を聴くと「昔ながらの本格派ベートーヴェン」とつい思ってしまうんだけど、ウィーン・フィルだって20世紀前半のどこかの時点まではガット弦でノン・ヴィブラートで演奏してたんだろうし、「昔ながら」の「昔」が本当にベートーヴェン時代まで遡ってしまうとぜんぜん非ウィーン・フィル的な演奏にたどり着くだろうから、「昔」という概念は難しい。古いが新しくて、新しいが古い?
●アンコールなし、一般参賀あり。指揮台からブワッ!と前のめりで客席の喝采にこたえるティーレマン。スゴい迫力。
サントリーホールスペシャルステージ2013 内田光子リサイタル
●7日、サントリーホールでの内田光子リサイタルへ。バッハ「平均律」第2巻の第1番ハ長調&第14番嬰ヘ短調、シェーンベルク「6つの小さなピアノ曲」作品19、シューマン「森の情景」、休憩をはさんでシューマンのピアノ・ソナタ第2番と「暁の歌」というプログラム。中心となるシューマンの3曲はいずれも最近DECCAからリリースされたアルバムの収録曲。シューマンの豊潤で孤独な詩情が前のシェーンベルクにまで浸みだしていた。いや、バッハにも。すべてにおいて圧倒的な完成度。歌にあふれていた。
●シェーンベルクの作品19は彼のピアノ曲のなかでいちばん実演で耳にする機会の多い曲かも。聴衆への無調音楽イントロダクションみたいな? この曲の第2曲は、後半のシューマンのピアノ・ソナタ第2番第2楽章に呼応しているんだと思う。ソナタ第2番、本当に傑作っすよね。熱いマグマの噴流みたいな曲でシューマンの鬱屈した情熱が最大限に発揮されている。若者の葛藤が実体化したような作品が、大人の音楽に成熟していた。
●長いモノローグのような「暁の歌」でプログラムを終えて、アンコールになんとベートーヴェン「月光」第1楽章。暁の空にひそやかに輝く月。
コーラの味
●巨大コングロマリットに飼われる羊のごとくコーラ好きなワタシであるが(きっとあなたも)、そういえば「コーラの味」とはなにか、などということを考えたことがなかった。コーラって……コカ? コカインの味? いやいや、そんなわけないし。なにかの植物なのか。血を舐めればコーラの味がするっていうくらい、コーラのお世話になっているのに、あれがなんの味だかわからない。
●という疑問をスパッと氷解させてくれたのが、デイリーポータルZの秀逸な記事「コーラってそもそも何味なの? メーカーに聞いた」。メーカーといってもコカコーラやペプシコーラがそんな質問にとりあってくれるはずもなく、静岡県島田市にある木村飲料(緑茶のコーラとか発売しているところ)の社長さんが、ぶっちゃけて教えてくれている。どんな経緯で日本にコーラが上陸したか、この黒船に対して日本のジュース屋さんはどうバトルしたかのか、またその歴史の副産物のようにガラナが広がり、今でも一部地域でしぶとく残っていること等々、話の中身が猛烈におもしろい。
●あっ、で、結論なんすけど、コーラってバニラとシナモンの味だっていうんすよ。本来、コーラの実っていう植物的実体があったはずなんだけど、今はそんなものは不要で、「バニラとシナモンにサイダーをまぜてやればマイコーラ、白いコーラができちゃう」んだとか。酸味料が必要で、酸っぱくないとコーラの味にならないというのも興味深い。
●つまり、コーラはウチで自作できる(ずばり)。市販のサイダーを使えば、比較的容易に作れそうだ。「自作コーラと言いつつ市販サイダーを使うのは反則ではないか?」と感じる方には、バレンタインデーの「手作りチョコ」(それ原料が市販チョコだし)とか、「自作PC」(組み立ててるだけでなにも作ってないし)を思い浮かべてみてほしい。「自作コーラ」は大いにありだ。今年のクリスマスパーティの主役は決まったね。自作コーラ。くくく。
パーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団のサン=サーンス
●19日はサントリーホールでパーヴォ・ヤルヴィ&パリ管弦楽団。前回の来日で聴き逃してしまったので、ようやくこのコンビの実演に。久々に異国のオケを聴いたなあという満足感。いや、オケの来日公演はいくつも聴いてるはずだけど、際立って異質なサウンドを耳にしたという意味で。まろやかで明るい響きがひたすら美しい。管はもちろんのこと、弦もこんなに柔らかくて色彩的なサウンドを持っていたとは。
●で、前半シベリウス「カレリア」、リストのピアノ協奏曲第2番(ヌーブルジェ)、後半サン=サーンスの「オルガン付き」。せっかくこのコンビを招いて「オルガン付き」とは少しもったいないような?と思っていたんだけど、これは大まちがい。今まで聴いてきた「オルガン付き」はなんだったのというくらいの鳥肌ポイント満載のサン=サーンス。これまで抱いていた、「苦悩から勝利へ」というベートーヴェン的なドラマをサン=サーンス流に換骨奪胎したカッコいいキッチュ、過剰な華麗さが生み出す眩暈感といった作品観を覆されるような繊細な「オルガン付き」で、いつもは雑然と豪壮に鳴り響くばかりに思えたオルガンが、とても崇高に聞こえてくる。力ずくではない、最後のクライマックスの壮麗さに唖然。
●アンコールはビゼーの「子どもの遊び」ギャロップ、ベルリオーズ「ラコッツィ行進曲」、ビゼー「カルメン」前奏曲と大サービス(前半にヌーブルジェがラヴェル「クープランの墓」メヌエットをアンコール)。拍手が鳴りやまず、最後はマエストロの一般参賀に。上手側から十人ほどの楽団員もいっしょに出てきて、舞台上で所在なげに立っていたのが軽くツボ。
連休にイザベル・ファウストのバッハ、井上静香リサイタル、大井浩明ベートーヴェン・シリーズ
●またしても三連休とは……。最近、三連休多いなあ(←今さら?)。そして今週はすさまじくコンサートが集中している。
●3日は彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールでイザベル・ファウストのバッハ無伴奏ヴァイオリン作品全曲演奏会へ。最強に強まる埼京線で行ってみれば案外近い与野本町。同一日2公演方式で、15時半から第1部でソナタ第1番、パルティータ第1番、ソナタ第2番。約70分ほどの間隔を空けて、18時からパルティータ第3番、ソナタ第3番、パルティータ第2番。タフなプログラム。ほぼノン・ヴィブラートだが輝かしくて力強い音色。雄弁で表現は多彩。鋭く強靭な音も弱音も美しく制御されている。第1部はこちらの不調で集中できなかったんだけど、第2部は猛烈に満喫、濃密な無伴奏。長丁場らしく終盤はスリリングに。最後のシャコンヌの後、30秒近い長い沈黙が訪れて、大拍手スタオベ多数。楽譜を置いていて(ほとんど見てないと思うが)、曲によって4ページ分を貼りつけた?大きな一枚を置いていたのがおもしろかった。アンコールに「バッハも知っていたはず」というピセンデルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタから。
●4日は昼に東京文化会館小ホールで、井上静香ヴァイオリン・リサイタル。ソロ、室内楽のほか、紀尾井シンフォニエッタ東京メンバーとして、またサイトウ・キネンや先日の東京春祭オケにも参加している井上さんだが、先日、FM PORTで私がナビゲーターを務める番組「クラシックホワイエ」にゲスト出演していただいたことでご縁ができた。ストラヴィンスキーの協奏的二重奏曲、ベートーヴェン「クロイツェル」などどれも見事だったけど、圧巻は佐藤眞の無伴奏ヴァイオリンのための幻想曲。作品と奏者の強い結びつきを感じさせる確信に満ちた演奏で、楽器というか、ホールの空間全体を豊かに鳴らし切っていた感。
●4日夜は大久保の淀橋教会で「大井浩明/ベートーヴェン:ピアノソナタ全32曲連続演奏会」第4回公演。ソナタ第12番「葬送」、第13番「幻想曲風ソナタ」、第14番「月光」、第15番「田園」と、趣向が凝らされた曲が続く。作曲年では1800年から01年。わずかこんな短期間でこれだけ書かれているとは。1800年は交響曲第1番が完成された年でもある。すさまじい創作力の爆発。そしてその熱波みたいなものが、フォルテピアノからギュンギュンと伝わってくる(楽器はヨハン・ロデウィク・ドゥルケン、1795年頃)。楽器の表現力を最大化することへの執念、そしてベートーヴェンがその後もずっと持ち続ける悪ノリ感というか、ガハハと笑う作曲家の姿が透けて見えるかのような奇抜さ、さらにアイディアのおもしろさを普遍のドラマに昇華してしまう非凡さをひしひしと感じる。特に「月光」。第1楽章のSenza Sordinoという困惑の指定が生み出す、輪郭のぼやけた朧月夜のような幻想的情景。たゆたうような第1楽章から、第2楽章の生々しい現実へと帰還する際の響きの極端な変化は衝撃的。第3楽章での情熱の噴出は楽想が楽器のスケールを超越することで表現される。だって、湧きあがる音の奔流に抗えずに、楽器が軋んで揺れるんすよ! モダンピアノだったらサムソンの怪力でも楽器はびくともしない。おまけにちょうどそこに外から救急車のサイレンが聞こえてきて、ここは大久保、連休最後の夜、作品を捧げられたジュリエッタ・グイチャルディ嬢のハートに緊急信号が明滅する様まで伝わってくる。
●アンコールには京都での同様企画で委嘱初演されたフォルテピアノのための新作から、小出稚子「ヒソップ」と川上統「閻魔斑猫」(エンマハンミョウって読む甲虫なんだとか)。ハーブと昆虫というともにフォルテピアノが喚起するイメージに由来する両作は、楽器に触発されてソナタを書いたであろうベートーヴェンの後に聴くにふさわしい。シリーズ次回は12月6日(金)に第16~18番、21番「ワルトシュタイン」。第17番「テンペスト」における嵐ってどんな音なんすかね。
上原浩治、WHIP、BABIP
●ボストン・レッドソックスがワールドシリーズを制覇。全米一を決める大会を「ワールドシリーズ」と呼ぶ謎はおいておいて、クローザーの上原浩治が偉大すぎる。ポストシーズンの活躍もさることながら、シーズン中のWHIP(1イニングあたりの被安打数+与四球数)は0.57でメジャー1位だったとか。野球素人なので、どうして球速が遅くて球種も少ない上原が、こんな好成績を収められたのかがよくわからない。制球力があるから? ボールは低めに投げるほうが打たれにくいもの? 今度、ワタシに会った野球ファンの人は教えてください。あと「ボールのキレ」とかいう、「キレ」がなにかわからない。
●ところで、投手の成績に防御率や勝利数といった数字を使うことにずっと違和感を感じていたんだけど(投球内容とは無関係な運に左右される数字だから)、このWHIPっていうのはいいっすよね。味方打線とか前後の味方投手に直接的に左右されない。長打も単打も同じ扱いになるが、ホームスタジアムのサイズの違いを吸収できると考えると納得できる。WHIPに「いいね!」だ。
●しかし野球ファンのなかには、WHIPがBABIPに依存する指標であることを問題視する向きもあるのだとか。え、BABIPってなに? と思うわけだが、Wikipediaを参照したところによれば、これはBatting Average on Balls In Play、平たくいうと「打ったボール(ただしホームラン以外)が安打になる確率」。どういうことかというと、このBABIPは長期的にはいかなる投手でも同程度の数値に落ち着くはずだという。なぜなら、打ったボールが野手の守備範囲内に飛ぶか飛ばないかというのは、偶然だから。いずれは大数の法則で同程度の数値に収束する。以前「マネーボール」を紹介した時にも、内野ゴロが野手の正面を突くか、三遊間を抜けてヒットになるかといったことは、打撃技術の巧拙ではなく、偶然で決まるという話があったが、それと同じような原理だろう。
●ところが、個別の投手のBABIPを見ると、数値にばらつきが出る。BABIPが平均から外れた投手は、味方の守備力が平均から外れていたり(守備の名手がそろっていれば低くなるし、その逆なら高くなる)、あるいは単にそのシーズンは運がよかった/悪かったのかもしれない。長期的には収束する数値でもワンシーズンならばらつくわけだ。どちらにせよBABIPの高低に関して、投球の質は無関係とみなせる(伝統的野球観からすると異論があるだろうが、ワタシは統計と確率の信奉者だ)。Wikipediaに挙げられた例でいえば、松坂大輔の2007年はBABIPは.299と平均的で、防御率は4.40。続く2008年はBABIP.258と平均を大きく下回り(つまり守備がよかったのか、運が良かった)、防御率は2.90にぐんと下がった。この両シーズンにBABIPの要素を切り離した疑似防御率のFIP(詳細は省略。細かい計算式で定義される)を比較すると、2007年はFIP4.23、2008年はFIP4.03と大差がない。つまり、防御率は大きく違うが、実際のところ本人の投球の質は同じだと推測可能だというのだ。なるほど、このBABIPってのは目からウロコだ。トレードやチーム編成のために的確に選手を評価しようというマーケットの要請から、この種の指標が生まれるのだろう。
●で、話を戻すと、WHIPはBABIPの高低を反映していないから、この数値だけ見てると危険だよ、っていうことになる。じゃあ、上原浩治のBABIPやFIPはどれくらいなのかなとも思うが、そこまでは知りません。