●10日はNHKホールでネッロ・サンティ指揮のN響。ヴェルディのオペラ「シモン・ボッカネグラ」を演奏会形式で上演(字幕付き)。舞台いっぱいに陣取ったオーケストラが豪快に鳴り響く演奏会形式ならではの愉楽。歌手陣はこのコンビではおなじみアドリアーナ・マルフィージ(マリア/アメーリア)、パオロ・ルメッツ(シモン)他。印象に残ったのはサンドロ・パーク(ガブリエレ)。一人だけ声がよく伸びて、若々しい。風貌と役柄にギャップはあるけど、演奏会形式だから無問題。主役はオーケストラか。
●しかし、「シモン・ボッカネグラ」って本当に物語の筋がわかりにくい。そこはオペラの前史となる部分への理解が足りないからでもあるんだけど、それを考慮したとしても作劇的に納得のいかないところだらけ。でも、音楽の説得力は半端じゃなくて、ヴェルディのオペラのなかでもとりわけみずみずしい抒情性にあふれている。
●えっと、質問していいっすか? プロローグでいきなりシモンの恋人マリアの死が伝えられるわけだけど、マリアってどうして死んだの? そして、そこがいちばん知りたいはずなのに、なぜシモンはそれを問わないわけ? 考えられうる合理的な理由としては、死の原因が明白すぎてだれも口にしないということだと思うんだけど……。ずっとワタシはそれが引っかかっているんだが、みんなどう理解しているんすかね。
●あと、これを言っちゃあおしまいかもしれないが、展開上「なぜ、そこにその登場人物が(都合よく)あらわれるのか」という根本的な問題があって、もちろんそれは「たまたま」で片づけてもいいわけだけど、一作品中の「たまたま」には制限回数があるべきじゃないだろか。
●それと最後に悲劇を生んだのは、アメーリアとシモンの秘められた親子の愛が、邪なものと誤解されたためであるが、これってアメーリアの責任は重大だと思う。あの、「ほう・れん・そう」が大事だっていうじゃないすか。ちゃんと関係各所に「実はシモンと私は本当は親子なんです、でもそれは今は公表できないから内緒にしておいてね」って伝達するとか、せめてガブリエレだけにでもわかっておいてもらうとか、そういうコミュニケーションを怠りすぎ。みんな、まるで悲劇を待ち構えているように、事の運びが拙い。
●いや、違うか。悲劇を待ち構えているんすよね。だって悲劇にならないと、話がすぐ終わっちゃうし。オペラの登場人物たちが誤解されたり余計な恨みを買ったりしないように、みんなそろって慎重に、コミュニケーションを密にして生きていたら、ドラマはいつになっても生まれない。「報告しない」「連絡しない」「相談しない」。オペラのなかで生きるなら、この大胆さが肝要。
November 12, 2013