●30日はミハイル・プレトニョフのリサイタルへ(東京オペラシティ)。前半にシューベルトのピアノ・ソナタ第4番イ短調と同じくソナタ第13番イ長調、後半にバッハのイギリス組曲第3番ト短調とスクリャービンの「24の前奏曲」という特徴的なプログラム。シューベルトもスクリャービンもおおむね二十歳を少し超えるくらいまでに書かれた若年期の作品。渋いプログラムだと思うんだけど、客席は思ったより盛況で、反応も熱かったのはさすが。シューベルトはかなり自由なプレトニョフ節が炸裂、作品に抱いていた青々とした清冽なイメージが吹き飛んで、円熟した深遠なる巨匠芸の世界へ。しかし圧巻はスクリャービンか。前奏曲集というミニチュア的な世界の枠を超えた大きな音楽が生み出されていた。
●スクリャービンの「24の前奏曲」はショパンの同様の曲集からインスピレーションを得た作品。なんだけど、スクリャービンに濃いショパン成分を感じるとなんとなく疎外感を覚えるという謎。
●この日の昼、久しぶりに須栗屋敏先生の仕事の打ち合わせに出向いた。シンクロニシティを感じる(感じません)。
2014年5月アーカイブ
ミハイル・プレトニョフ・リサイタル
広上淳一&N響のマーラー交響曲第4番
●28日は広上淳一指揮N響へ(サントリーホール)。前半にシューベルトの交響曲第5番、後半にマーラーの交響曲第4番(ローザ・フェオラのソプラノ)というプログラム。表情豊かで濃厚なマーラー。泣くときは泣き、笑うときは笑う人間味にあふれたマーラーで、開放的なサウンドが鳴り響いていた。
●一見明快な外見を持ちながらも、第4番はマーラーのなかでも特に一筋縄では行かない交響曲だなと改めて感じる。真摯さとアイロニーの混淆はマーラーの十八番ではあるけど、この第4番はその度合いが特に強い。第1楽章の冒頭、いきなり鈴がシャンシャンと鳴りはじめるのは、おとぎ話の前口上みたいなものなのだろうか。「むかしむかし、あるところに……」みたいな? 「むかしむかし、はるか彼方の銀河で……」は「スターウォーズ」か。第2楽章では、コンサートマスターが調弦を変えたもう一台のヴァイオリンを使う。グロテスクでコミカルな死神が、天上の前に待ち構える。
●第3楽章冒頭は、ベートーヴェン「フィデリオ」第1幕の四重唱序奏からのパクリ、というか引用だと思うが、「フィデリオ」の四重唱 Mir ist so wunderbar.. で歌われるのは、「想いのすれ違い」といったところか。事情の知らないマルツェリーネがレオノーレの愛を確信して幸福を歌い、レオノーレは「ヤバい、オレ本当は男なのに」と困惑し、ロッコは娘とレオノーレを似合いのカップルだとトンチンカンに喜び、ヤキーノは嫉妬する。第3楽章のおしまいには先取りされた輝かしいクライマックスが唐突に訪れるが、ここはもしかすると笑うべきところなのだろうか?
●第4楽章はソプラノが歌う清澄な「天上の楽しい生活」。天上といいつつも、この曲は三管編成ながら、神の声トロンボーンは使用されていないのであった。前作第3番ではあんなにソロで活躍させたのに。最後の終わり方は、静かに美しく終わると見せかけて、微かにバッドエンドを示唆する。あたかもホラー映画の結末で「ふ~、主人公は助かった」と思わせて、エンドクレジットで実はサイコ野郎はまだ死んでいなかったのだよフフフみたいな一コマが入るかのよう。続編は第5番第1楽章の葬送行進曲へ。やっぱりやられてたのね、とか。
ニッポンvsキプロス@親善試合
●ワールドカップ前に日本で開催される最後の親善試合となったニッポンvsキプロス。キプロスという相手は仮想ギリシャとか言われているけど、実際のところはそんなガチンコ対決になるわけもなく、本大会に向けての最終調整といったところ。今回のニッポン代表はいろんな面で不調な選手だらけ。ケガで長期離脱している選手や(内田、吉田、長谷部)、所属クラブで調子を落としている選手(清武、本田も?)、クラブで出場機会を失っている選手(香川)などで、まだら模様のチーム。逆に絶好調なのは岡崎、長友、大久保ら。まだらジャパン。
●なので、主力である内田や吉田、長谷部が万全の状態で使えるのかどうかが問題。吉田、長谷部はベンチスタートになった。本番ではどうなるのか……。GK:川島-DF:内田(→酒井宏樹)、森重、今野(→吉田)、長友(→伊野波)-MF:遠藤(→長谷部)、山口-岡崎(→清武)、本田、香川-FW:柿谷(→大久保)。大久保は第一選択肢としてトップ要員のようだけど、本田が使えないとなると大久保をトップ下に置くかもしれない。内田が先発できるのはありがたい。
●かなりハードな合宿をこなしたということなので、選手たちはみんな体が重そう。戦術確認の90分だったと思うが、ポゼッションは高く、前半43分の内田のゴールが決勝点となって、ニッポン 1-0 キプロス。
●4年前は大会直前になって岡田監督がチームをがらっと変えて、それが功を奏してグループリーグ2勝1敗の大躍進となった。アンカーに阿部を置くきわめて守備的な現実主義で成果を得たわけだけど、今回は選手のレベルが上がったこともあり、楽天的でスペクタクルな布陣のまま大会に臨むことになりそう。チームとしてはいったん完成されて下り坂という印象は変わらないし、個々のコンディションに難があるので、「実力は上がったけど、調子は悪い」という認識。
●いちばん気になるのはセントラルMFの2枚かなあ。ザッケローニのチームでは早くから遠藤と長谷部という最強コンビで固定されていたけど、年齢的な面からもブラジル大会までに代替わりするものと思っていたが……。本番でも遠藤+山口なのか、あるいは遠藤+長谷部に戻るのか、長谷部+山口なのか、まさかの青山+山口なのか(それはないか)。こうして考えるといちばんハードに守れそうな細貝が落選したことが謎。というか主張を感じる。
METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」
●METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」を東劇で。復活したレヴァインは健在で、オーケストラへの影響力は絶大。精彩に富んだ、そしてウルトラ・リッチなモーツァルトをたっぷりと堪能できた。幕間のインタビューにあるように、METのオーケストラもずいぶんメンバーが変わって新陳代謝が進んでいるらしいんだけど、聞こえるのは紛れもなくレヴァインのモーツァルト。歌手陣も見事。スザンナ・フィリップス(フィオルディリージ)、イザベル・レナード(ドラベッラ)、マシュー・ポレンザーニ(フェルランド)、ロディオン・ポゴソフ(グリエルモ)、ダニエル・ドゥ・ニース(デスピーナ)、マウリツィオ・ムラーロ(ドン・アルフォンソ)。第1幕終わりの六重唱なんて、鳥肌級の楽しさ。お目当てのドゥ・ニースは、デスピーナという役柄は少し違うかなという気もするんだけど、でもたしかに典型的デスピーナになりきっていた。音楽面では超強力。
●で、レスリー・ケーニッヒの古い演出はきわめてオーソドックスなものなので、最近の「コジ・ファン・トゥッテ」に求められるような、男女の関係についてのドキッとするような考察なんてものはない。4人の男女はあんなことがあったのに、最後は元の鞘にもどってしまう。なので、初めて「コジ・ファン・トゥッテ」を見るには最適ともいえるけど、踏み込みが足りず作品の魅力を伝えきれていないと感じる人も多いはず。
●ここからは「オペラになにを求めるのか」という話になるんだけど、もしオペラの持つストーリーにシリアスにつきあうなら、つまりすぐれた小説を読むのと同じように、傑作に触れた後は生き方が変わってしまったり、日々目にするものが違って見えるようになるべきだとするならば(ワタシはそう信じてるわけなんだけど)、演出家が絶えず作品を更新し続けない限り、作品は力を失っていく。「コジ・ファン・トゥッテ」に触れて、「ま~、これってモーツァルト時代の女性観だからね。現代の物語じゃないから、ハハハハハ」で済ませてしまうなんていうのは、ありえないんである、選択肢として。作品へのリスペクトは、ダ・ポンテやモーツァルトがなにを期待していたかを伝えることではなく、今のワタシたちに作品がどんな意味を持ちうるかという問いで表現されるべきと思っているので。
●じゃあ、こういう保守的演出は無価値で退屈であると片づけられるのかというと、それも違うんじゃないかって気もする。この場合、ボールは観客側にあって、なにか意味を読みとることを求められている。で、今回改めて感じたことは、この4人の男女は幼いっていうことなんすよね、実年齢が。デスピーナが「女も15歳になれば~」と歌うことからして、妹が15歳、姉が17歳とか、そんなイメージ。今、この作品は恋人の交換というテーマから「男」と「女」を描くことが前提になりがちだけど、「少年」と「少女」の物語でもあったはず。「女はみんなこうしたもの」というより「女の子はみんなこうしたもの」「少女はみんなこうしたもの」。そう思って、世間というところに一歩も足を踏み出していない女の子の姉妹(とバカなボーイフレンド)の物語として見ていると、うっすらと浮びあがってくるのは「少年少女時代への苛立ち」みたいなものなんじゃないだろうか。こまっしゃくれたガキども(=過去の自分であったり、自分の子であったりする)の救いがたいメンドくささ、未熟さへの嫌悪。そういうクソガキティーンどもへのイライラした気分を、ドン・アルフォンソやデスピーナの立場から共有するのが、このオペラの根っこにある醍醐味なのかもしれない。イライラを満喫するためのオペラ。大人向けだなあ。
レアル・マドリッドvsアトレティコ・マドリッド@チャンピオンズリーグ決勝
●今季の欧州フットボール界を締めくくるチャンピオンズリーグ決勝は、まさかのスペイン対決、というか、マドリッド対決。同じマドリッドの2クラブが決勝でぶつかった。決勝戦の開催地はリスボン。ここのところドイツ勢の躍進ばかりがやたらと目立っていたような気がするが、一気にスペインへと流れが戻ってきた。
●とはいえ、ここにバルセロナはいない。先週、スペインリーグの最終節はバルセロナvsアトレティコ・マドリッドの優勝を争うクラブ同士の直接対決だった。アトレティコは感動的な「魂のフットボール」を見せてくれたけど、バルセロナ寄りで見れば「ポゼッション・サッカーの敗北」だったわけで、喜ばしいとはいいがたい。で、チャンピオンズリーグ決勝はレアル・マドリッド対アトレティコ・マドリッドになった。どちらに勝ってほしいかと言われると微妙だが……。シメオメ率いるアトレティコが、国内リーグもチャンピオンズリーグも両方制してしまうのは、「行き過ぎ」のようにも思える。しかしアンチェロッティのレアル・マドリッドが魅力的かと言われると、どうだろうか。
●アトレティコはリーグ最終節で負傷退場したエース、ジエゴ・コスタを、まさかの先発で起用。ところがこれが完全に裏目に出て、わずか開始9分でアドリアン・ロペスと交代。この交代カードの消費が延長戦に大きく響いたと思う。レアル・マドリッドは前線にベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウド、ベイルと3枚を配置し、中盤はディ・マリア、モドリッチ、ケディラ。クリスティアーノ・ロナウドとベイルという規格外のスピードを持った選手が二人もいるので、超高速カウンターアタックの切れ味は恐るべきもの。しかしアトレティコは今日もディフェンスラインを深めに置き、全員で激しく守る。最終的に7枚もイエローカードをもらってしまったが、退場したのは延長後半18分の(つまり試合が終わるか終らないかのタイミングでの)シメオネ監督だけだ。
●前半36分、アトレティコがゴディンのゴールで先制したが、これはレアルのキーパー、カシージャスのポジショニング・ミスだろう。カシージャスは不思議なシーズンを送っていて、今季はリーグ戦の正GKの座をディエゴ・ロペスに奪われ、一方でカップ戦では守護神を務めている。ゴールキーパーのローテーションだなんて! どう考えてもリーグ戦のキーパーのほうが第1GKのはずだが、チャンピオンズリーグ決勝に出場できるのはカップ戦担当のカシージャスなわけだ。ディエゴ・ロペスはどう思っているんだろうか。こんな采配を通せるアンチェロッティ監督がスゴいともいえるが。
●後半14分からケディラをイスコに、コエントランをマルセロに交代して、攻撃的な布陣をとるレアルに対して、アトレティコは次第に防戦一方に。あとわずかで試合終了、アトレティコのベンチの選手やスタッフが歓喜の雄たけびをあげながらピッチに飛び出す準備を心のなかでしていた後半48分になって、コーナーキックからセルヒオ・ラモスの同点ゴールが生まれた。久々にサッカーの神様の底意地の悪さを見た。
●この流れで延長戦に入って、アトレティコが押し戻すのは至難の業。運動量も気力も保てるはずはなく、延長後半5分にベイルに逆転ゴールを奪われると、アトレティコの選手は極端に前がかりになり、マルセロの個人技で薄いディフェンスを破られてさらに失点。精根尽き果てて不要なPKまで与えて、クリスティアーノ・ロナウドに決められ、終わってみればレアルマドリッド 4-1 アトレティコ・マドリッド。点数は大差だが、90分の時点ではアトレティコの二冠が見えていたわけだ。
●ベイルのスピードも本当にスゴいが、レアルでいちばん切れていたと思うのはディ・マリア。なぜか他の選手に比べるとスーパースター扱いされないが、いつも「効いている」という印象がある。敗れたアトレティコのガビが「一年を通して獣のように戦ってきた。限界まで出し尽くした」とコメントを残している。アトレティコはだれもが同じ思いだろう。試合終了後のセレモニーでは、中央でカップを掲げるカシージャスの姿が。うーむ。
コンポージアム2014 ~ ペーテル・エトヴェシュの音楽
●というわけで、昨夜は東京オペラシティの「コンポージアム2014」へ。ペーテル・エトヴェシュ指揮N響でリゲティ「メロディーエン」、エトヴェシュ「スピーキング・ドラム」、リゲティ「サンフランシスコ・ポリフォニー」、エトヴェシュ「鷲は音もなく大空を舞い」「ゼロ・ポインツ」。エトヴェシュ作品はいずれも日本初演。
●圧巻は前半終わりに演奏された「スピーキング・ドラム ~ パーカッションとオーケストラのための4つの詩」。パーカッションのマルティン・グルービンガーが大暴れ。オーケストラの手前に6群の打楽器が配置され、これをグルービンガーひとりで操る。打撃音と発話の照応がテーマになっていて、まず中央に配置されたスネアドラムとフィールドドラムの膜面にスティックを垂直に自由落下させて音を出す。奏者はなにかを発話する。聴衆は奏者の発話を打楽器が模倣していることに気づく。奏者によって言葉?を教わった打楽器は、やがて猛烈な勢いで語りだす。グルービンガーの発話は絶叫に近いがゆえに半ばコミカルで、話者と打楽器は激高しながら対話を続ける。これは抱腹絶倒もの。グルービンガーは縦横無尽に舞台上を駆け巡る。あのフライパンと空き缶?を左右にかしずかせたぜいたく乱打無双はなんだ。いちばん右に配置されて「グォオーー」と唸るような低音を出していた楽器は、プログラムによればライオンズローア(ライオンの吠え声)。似たような音を最近聴いた気がする……クイーカ、かな?
●発話されていた言葉は2種類あって、ひとつは架空言語による詩。意味はない。もうひとつはサンスクリット語の詩をハンガリー語の発音に置き換えた詩ということで、事実上意味が伝わらないという意味でこれも架空言語みたいなもの。意味がないのに対話が成立し、しかもそれが猛烈に雄弁だというところに大ウケする。
ハッピーとドナルド
●「ラ・フォル・ジュルネ」の後しばらく演奏会の回数を控えめにしていたのだが、そろそろまたもとのペースに戻りそう。まず今夜は東京オペラシティの「コンポージアム2014」へ。ペーテル・エトヴェシュが自作とリゲティを指揮する。オケはN響。
●米国マクドナルドの新マスコット「ハッピー」に対して「怖い」など否定的な意見が多く寄せられているというニュースを読んだ。どんな姿をしているのかなと検索してみると、たしかに怖い。彼らには「かわいい」という概念はないのだろうか。
●とはいえ、先代の?あの人だって、結構怖かった。ピエロって基本的に怖いものじゃないすか。スティーヴン・キングの最高傑作(かもしれない)「IT」には、夜トイレに行けなくなるくらい怖い邪悪なピエロが登場するけど、あれ読んで頭の中に浮かんだ姿はあの人。その点、「ハッピー」が喚起するイメージは、ドラクエに出てくる宝箱モンスター「ミミック」くらいの怖さで済んでいる。
記者会見のネット中継
●先日のニッポン代表メンバーの発表といい、佐村河内守会見といい、最近、記者会見がリアルタイムでネット中継されることが増えてきた。従来は限られたメディア関係者しか招かれることがなかった会見の場を、そのまま生の形でだれもが見ることができる。クラシック音楽関係でも来日アーティストなどでいくつか同様の試みがあったと思う。
●で、ああいう会見って、どうすかね、見てて。案外退屈というか、かったるいものだと感じた人が多いのでは。最初のしばらくは興味深いけど、1時間丸々見る人は少数派なんじゃないかな。無編集の会見を見ると、やっぱりニュース映像とかワイドショーとか編集済みの映像はよくまとまってるんだなと感じる。生の映像には「見出し」や「章立て」がないから。無編集の映像=最弱コンテンツ理論。
●なんの会見だったか忘れたけど、以前、自分が取材しに行った会見でもネット生中継が入っていたことがあった。そのとき「質問しないんだったら(実際質問しなかった)、これウチでネットで見てても同じだし、そのほうが往復の移動時間を節約できたなー、着替えもしなくてよかったし」とか、ふと怠惰なことを思ってしまった(笑)。いや、実際はそんなものじゃないはずなんだけど。
EUフィルムデーズ2014
●今年も開催される「EUフィルムデーズ2014」。東京では5月30日(金)から6月22日(水)まで東京国立近代美術館フィルムセンターにて、EU加盟国大使館&文化機関が提供する各国の映画が一堂に会する。他に金沢、高松、岡山、福岡への巡回もあり。
●全23作のラインナップを眺めていると、どれもすごくおもしろそうに見えてくる。作品紹介を読んで、傑作の予感が漂うものから、「なんじゃそりゃ」と見る前から脱力してしまいそうな作品まで、実に多彩。連日一日に2または3本が上映されて、料金は一本520円。通いつめたらさぞおもしろいだろうと毎年思うのだが、そうそううまく都合がつくはずもなく、ぜんぜん足を運べていない。せめて1、2作くらいは見てみたいもの。
バルセロナvsアトレティコ・マドリッド@スペインリーグ最終節
●スペイン・リーグの今季最終節はともに優勝を争うバルセロナvsアトレティコ・マドリッド。この試合に勝ったほうが優勝(引分けならアトレティコ・マドリッド優勝)という劇的な展開になった。最後の一節で優勝争いの直接対決が実現するのは約60年ぶりなんだとか。バルセロナとレアル・マドリッドの二強以外は予算規模に差がありすぎて蚊帳の外というスペイン・リーグで、今季はアトレティコが大躍進を遂げた。この後、控えているチャンピオンズリーグの決勝はアトレティコ・マドリッドvsレアル・マドリッドのマドリッド・ダービー。こんなことは二度とないだろうっていうくらいのまさかの展開。
●もっともこうなったのもリーグ戦終盤で三強が失速しまくったから。バルセロナにチャンスはもうないと思っていたら、アトレティコもレアルもお付き合いで星を落として、最後の最後に「勝てば優勝」という幸運なシチュエーションが巡ってきた。マルティーノ監督のクビがとっくに決まってるかのような空中分解寸前のチームに、こんなチャンスが来ようとは。これに勝って優勝してもマルティーノはけちょんけちょんに批判されるんだろうか? 少なくともレアル・マドリッドを上回っているのに?
●一方のアトレティコ・マドリッドの監督はシメオネ(おっと、監督はともにアルゼンチン人だったわけだ)。選手時代はワールドカップでベッカムを罠に陥れて退場処分にした事件を始め、常に狡猾なプレイとハードタックルで対戦相手を苛立たせてきたあのシメオネ。いまや名監督だ。テレビの画面を通してもありありとカリスマぶりが伝わってくる。選手たちはすっかり心酔しているようで、冷めた空気が漂うマルティーノとは対照的。
●アトレティコは前半からいきなり負傷で主力二人ジエゴ・コスタとアルダ・トクランがピッチを退くという不運に見舞われる。序盤からラインがコンパクトではなく、十分にスペースがあったが、しかしバルセロナもかつてのような「ウイイレ名人」的なパス回しはできず。数値上のポゼッションではバルセロナが圧倒していたかもしれないんだけど、実際にはアトレティコの出足のよい守備に苦労して、出しどころを見つけられず苦し紛れのパスが多かった。アトレティコは終盤までずっと球際が厳しく、全選手がハードワークするというスタイル。バルセロナを応援して見ていたのだが、アトレティコの魂のフットボールには胸が熱くなる。
●試合が動いたのは前半33分で、バルセロナのアレクシス・サンチェスが、普通ならまず入らないという右サイドの浅い角度から、豪快なシュートを打って相手キーパー、クルトワのニアサイド上をぶち抜いた。これが決勝点だったら十分に伝説のゴールだったはず。しかし後半4分、アトレティコはコーナーキックから巧みにマークを外したゴディンが頭できれいに決めて1対1の同点に。試合はそのまま1対1から動かず、アトレティコ・マドリッドが悲願の優勝を果たす。終了直前はさすがに疲労が濃く、防戦一方になりつつあったが。
●バルセロナはメッシ、ペドロ(→ネイマール)、アレクシス・サンチェス、イニエスタ、セスク・ファブレガス(→シャビ)と名手をそろえていたのに、攻撃のアイディアが乏しく、せっかくサイド深くに侵入できても、クロスをあげるだけという非効率な攻めが目立った。局面ではうまいけど、意外性もないし、個人の爆発的なスーパープレイも見当たらない。なるほど、たしかにこれでは「ひとつのサイクルが終わった」と嘆かれるのも無理はないか……。あるいは彼らは単にマルティーノのもとでプレイする情熱を一時的に失っているだけなのかもしれない。ワールドカップでの彼らのプレイを見れば、その答えがわかるのかも。
●試合終了後、どれだけスタジアムが荒んだ雰囲気になるのかと思えば、意外にも客席も選手たちもみんなでアトレティコを讃えるムードになった。勝者への敬意のこもった拍手が続く。バルセロナが敗れたことよりも、アトレティコのようなチームが優勝を手にしたことのほうが、ずっと大きな意味のある出来事だとみんなが認めていた。
「オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識」(長岡英著/アルテスパブリッシング)
●入門書とは「なんにも知らない人に初歩の初歩」を教える本ではない。本当になんにも知らない人は、その本を決して手に取ってくれない。そうではなく、「すでに興味を十分持っていてその分野にある程度親しんでいる人に、知っておくべきことを教えてくれる」のがいい入門書。その意味で、これは最良のオーケストラ音楽の入門書だと思う。「オケ奏者なら知っておきたいクラシックの常識」(長岡英著/アルテスパブリッシング)という書名ではあるけど、オケ奏者でなくとも非常にためになる一冊。
●ここで教えてくれる「クラシックの常識」がなにかというと、帯に「シンフォニーは開幕ベルの代わりだった!?」という惹句が載っていることからも察せられるように、実は音楽史の基礎知識。オケの入門書である以上に音楽史の入門書なのだ。交響曲がコンサートの最重要ジャンルになったのはそう昔の話ではなくて、かつては演奏会の開幕ベルのような前座の演目で、オペラ・アリアや協奏曲のほうが主役だったこと、そしてやがて時代とともに交響曲中心のプログラムが組まれるようになったこと等々が、読み進めるうちにするっと腑に落ちるように書かれている。古典派初期にはフルートはオーボエ奏者が持ち替えで演奏していたとか、ハイドン時代のエステルハージ家のオーケストラでファゴット奏者がティンパニやヴィオラも担当したとか、そういうのって単なる豆知識じゃないんすよね。当時、音楽作品を演奏するという職務がどんな性格のものだったのかについて、歴史的な視点を与えてくれる。
●ひとつひとつの章は短く簡潔で、すらすら読める。文体は「です・ます」。このわかりやすさは驚異的。平易に書かれているんだけど、中身は本格派。クリスチャーノ・ロナウドの大腿四頭筋級の力強さでオススメしたい。
KUSCのLAフィル、KDFCのサンフランシスコ響
●ふと思い立ってKUSCの Los Angeles Philharmonic in Concert にアクセス。ちょうど公開されていたドゥダメル指揮LAフィルのブラームスの交響曲第2番を再生してみる。熱風みたいなブラームスがどっと耳に流れ込んできて、一瞬聴くだけのつもりが、最後まで聴き通してしまった。この輝かしさ、豊かさ、饒舌さ。ドゥダメルの音楽はフォントにたとえるなら極太明朝体みたいな感じかなと思いつく(←どんなたとえだ)。
●ドゥダメルは今秋ウィーン・フィルと来日し、さらに来年はLAフィルとやって来る。いよいよ真価が発揮される、はず。そしてロサンゼルス・フィルの略称はそろそろ「ロス・フィル」から「LAフィル」に変わってくれてもいい気がする。
●ついでに備忘録的にKDFC OnDemand をリンク。サンフランシスコ交響楽団のライブ音源。ビバ・ラジオ。
ワールドカップ2014ブラジル大会のニッポン代表メンバーが決定
●14時からのネット中継を見た。サプライズは大久保嘉人の選出。この人は本当にW杯に縁があるという気がする(逆に実力があっても巡りあわせで縁遠い選手もいるわけで)。
●後で見たときのために、所属チームも含めて書いておこう。MFとFWの区分けは自分流で。
GK:川島永嗣(スタンダール・リエージュ) 西川周作(浦和) 権田修一(FC東京)
DF:今野泰幸(G大阪) 伊野波雅彦(磐田) 長友佑都(インテルミラノ) 森重真人(FC東京) 内田篤人(シャルケ) 吉田麻也(サウサンプトン) 酒井宏樹(ハノーファー) 酒井高徳(シュトゥットガルト)
MF:遠藤保仁(G大阪) 長谷部誠(ニュルンベルク) 青山敏弘(広島) 山口蛍(C大阪) 本田圭佑(ACミラン) 香川真司(マンチェスター・ユナイテッド) 清武弘嗣(ニュルンベルク) 岡崎慎司(マインツ)
FW:大久保嘉人(川崎) 柿谷曜一朗(C大阪) 齋藤学(横浜Fマリノス) 大迫勇也(1860ミュンヘン)
●先日の自分の予想と比べると、微妙に「オフェンス優先」側にずれて、3名が違っていた。でも選手選考の考え方というか、道筋はザッケローニ監督も同じようなところで悩むんだなというのがわかって、興味深い。「特に悩んだのがセントラルMFを4人にするか、5人にするか」とザッケローニも言ってて、これはすごく納得。ファン目線で見ても悩む。遠藤、長谷部、山口までは決まりとして、これに守備に強い細貝とプレイの幅が広い青山を加えて5人だったら万全だが、ここに5人は多すぎる。じゃあ4人にするとして、ワタシはそこで守備の強い細貝を採用して、その代わりに中盤で前も後ろもできる中村憲剛を入れて、4.5人にするのかなあ、と予想したわけだが、結果は青山を採用して、なおかつ中村憲剛ではなく大久保を入れるというオフェンス寄りの人選になった。
●あと、清武のサプライズ落選(笑)はなかったので、工藤も入らなかった。GKとディフェンスは予想通り。唯一J2から選出された伊野波のところだけが微妙だと思ったが、やはり実績を重視した模様。
●海外組の人数は過去最高。しかしそれでも半分くらいなんすよ。今の代表は海外組だらけで、Jリーグ勢は実質B代表みたいなもの的な見方も世の中にはあるんじゃないかと思うけど、こうして見ると決してそうでもない。欧州で実績を残していても、細貝やハーフナー・マイクや乾みたいに選ばれない選手もいる。その一方でJリーグ勢でも何人かは主力として試合に出ることになりそう。
●ザッケローニのチームって、いったん熟成しきって完成形までたどり着いた後、ずっとそこからピークを下っているようにも見えるんすよね。長く主力としてプレイしてきた選手のうち、かなりの人数が現時点でケガなどでコンディション不良だし、ケガでなくても調子を落としている選手もいる。だから、本大会での先発メンバーはやむを得ず案外フレッシュなものになるんじゃないだろうか。たとえば、大久保が全試合に先発しても驚かない。
●ニッポン代表のW杯メンバーにACミランとインテルミラノとマンチェスター・ユナイテッドの選手の名前があるんですけど! これどんなサッカー・マンガ? てか、現実!?
グラゼニ 第14巻 (森高夕次、アダチケイジ著)
●すっかりハマってしまった「グラゼニ」(森高夕次、アダチケイジ著)の最新刊。もう第14巻にもなるというのに、新たな展開が見えてきて、だれるどころかますますおもしろくなっている。野球マンガでありながら、試合ではなく、「職業としての野球選手」について描くというそもそものアイディアの秀逸さが、この段階になっても効いている。スタート地点に立つために並はずれた才能が求められるにもかかわらず、超絶格差があってほとんどの人は数年でクビになり、しかも辞めた後の展望がまるで見えない業種という、特殊自営業者の世界の物語として読める。
●ところで、これは自分が野球を見ないから感じることなのかもしれないんだけど、投手の成績を語る上で「何勝何敗何セーブ」といった数字が使われるのが納得できない。勝ち星は味方打線の援護や対戦投手の質に大きく左右されるし、「勝ち投手の権利」の定義もスマートには見えない。また、先発投手と救援投手を同じ指標で比較できない。これに比べると「防御率」はまだよさそうだが、自責点についての定義がもうひとつすっきりしないし、味方の野手の守備力に左右されてしまうのもどうかと思う。
●で、知ったのがDIPS(Defense Independent Pitching Statistics)という考え方。守備の影響から独立した投手の成績を評価するために、奪三振、与四球、被本塁打という野手とは無関係の数値から指標を作ろうというアイディアはなかなかいい。特にFIP(Fielding Independent Pitching)という指標はこれらの数値から防御率相当の数値を算出する方法として、実用性が高そうだ。
●さらにこの考え方を一歩進めたtERA(真の防御率)という指標もあって、これがもっとも精度が高そうに思える。本塁打を外野フライに数えてしまうという考え方がいい(一見ラディカルだが、常に外野フライの一定割合が本塁打になるものとみなしてしまう。これなら本拠地球場のサイズの大小が問題にならない)。ただ、tERAの算出のためには、打球をゴロ、内野フライ、外野フライ、ライナーで区別した記録が必要になるというのが煩雑で、理屈はいいんだけど実用性ではやや難ありか。
ワールドカップ2014日本代表メンバー予想
●6月13日、いよいよ4年に1度のワールドカップがやって来る。まずはその前にニッポン代表のメンバー23名の発表だ。運命の日は3日後の5月12日。お隣の韓国はすでに代表メンバーを発表している。韓国代表は欧州組も多いけど、アジア組(日本と中国)も結構いるんすよね。新潟のキム・ジンス、広島のファン・ソッコ、柏のキム・チャンスとハン・グギョン。Jリーグ勢は後ろのポジションの選手が多いのだなあ。
●もうすぐに正式発表されるのになんだが、ファンの楽しみとして、ニッポンの23名を予想したい。23名を選ぶっていうことは、これまで代表に呼んできた大勢の選手を落とすということ。選ぶより落とすほうが難しい。外れるのは三浦カズ、カズ、カズ……。
●まずGKから。こちらは唯一迷わないポジション。川島永嗣、西川周作、権田修一。
●DFはセンターバックが難しい。吉田麻也、今野泰幸の二人に加えて森重真人は当選確実と見て、吉田のコンディションや3バックの採用を考慮するともう一枚必要になるはず。実績なら伊野波雅彦だけど、もしかするとここに4月の国内合宿組からの抜擢があるかもしれない。やや人材難のセンターバックに比べると、サイドバックはむしろ多すぎなくらいで、長友佑都、内田篤人の左右に、右の酒井宏樹と左右両方できる酒井高徳が加わるだろう。これで人数が足りるとすると、お気に入りの駒野友一が落ちてしまうが……。
●MFは、セントラルの遠藤保仁、長谷部誠が鉄板だが、コンディション面の問題もあって信頼できるオプションが必要になりそう。山口蛍は確実として、もう一人は細貝萌か青山敏弘か。長谷部は使えないかもしれないことを考えると両方選んでおきたくなるが、そうするとセントラルMFに5人は多すぎる。オフェンスの3枚は本田圭佑、香川真司、岡崎慎司は決まりで、順当なら次の選択肢は清武弘嗣だが、調子を落としているので落選すると大胆予想。清武弘嗣も乾貴士も入らないとしたら、だれが来るだろうか。ここに一枚、途中出場ドリブラー要員として齋藤学を入れ、あと一枚はどこでもできて実績のある選手ということで、唯一ベテランのサプライズ招集として中村憲剛を入れる。憲剛が入れば、細貝萌と青山敏弘はどちらかの選手だけでいい。となると細貝?
●で、FW。柿谷曜一朗は決まりとして、サブに大迫勇也か。あと一人は個人的にはオランダリーグで好調なハーフナー・マイクを押したいところだが、ザッケローニの好みで工藤壮人と見た。
GK:川島永嗣、西川周作、権田修一
DF:吉田麻也、今野泰幸、森重真人、伊野波雅彦、長友佑都、内田篤人、酒井宏樹、酒井高徳
MF:遠藤保仁、長谷部誠、山口蛍、細貝萌、本田圭佑、香川真司、岡崎慎司、齋藤学、中村憲剛
FW:柿谷曜一朗、大迫勇也、工藤壮人
●さて、どうなることか?
LFJ2014落穂ひろい
●LFJ落穂ひろい、というか、雑感。
●東京のLFJ、全プログラム終了後の開催報告によるとチケット販売数は151,001枚(147公演)、販売率は90.2%だったとか。集客面では昨年に続いて大成功だった。この販売率っていうのは、そりゃ高いほうがいいわけだけど、あまり高すぎると当日あるいは直前にチケットがなにも買えないというかつての嘆きが再現されるわけで、ほどよいバランスがあると思う。今年取材したナントのLFJは97%という驚異の販売率で、ここまで高いとぶらりと出かけるというわけにはいかない。
●ワタシらはついつい年ごとのテーマと集客に相関を見出そうとするんだけど、実際のところは天気とかカレンダー上の連休の並びとかの影響のほうが大きいのかもなあ……と思わんでもない。サンプル数が少ないので、なんともいえないけれど。
●今回、チケットの券売でホールAでいち早く完売したのが、ベレゾフスキーとリス&ウラル・フィルのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。かなり早い段階からチケットがよく動いていたようで、一瞬「さすがベレゾフスキーは人気があるなあ」と思ったのだが、よくよくほかの公演などの販売状況も見ると、どうやらラフマニノフのピアノ協奏曲第2番という作品への人気が高かった模様。これはラフマニノフのピアノ協奏曲第2番だからであって、同じラフマニノフでも第3番だとそうは行かないし、たとえばチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番でもそんなに売れたりはしないわけだ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番最強伝説はまだまだ続く。
LFJ2014を振り返る
●さくっと振り返っておきたい今年のLFJ2014。
●アルゲリッチとクレーメルは本当に来た。また新たな伝説が。LFJ公式レポートブログからアルゲリッチ関連のエントリーをいくつか拾っておこう。「アルゲリッチ!アルゲリッチ!アルゲリッチ!」「マルタ・マルタン・タタルスタン」「サインをするマルタ・アルゲリッチさん発見!!」「アルゲリッチV.S.ケフェレック!?」。
●といいつつ、実はアルゲリッチの公演は聴かなかったのだが。自分が聴いたなかで特に印象に残ったのは広瀬悦子さんのピアノによるアメリカ・プロ(ビーチ、コープランド、バーンスタイン、ゴットシャルク、アイヴズ、ボルコム)、ゲニューシャスと鈴木優人指揮横浜シンフォニエッタの共演、スラドコフスキー指揮タタルスタン国立交響楽団。スラドコフスキーは軍隊の出身だとか。いいオーケストラだった。
●最終日の記者懇談会での要点は二つ。まず、とても盛況であったこと。有料公演のチケット販売率は90%を超える見込み。昨年よりいい。昨年の数字は一昨年(悪かった)より大幅によくなった数字だったと思う。その昨年を上回ったんだから、大人気だったことになる。「10回記念 祝祭の日」という総集編的な漠然としたテーマはどうかなと危惧していたんだけど、杞憂だった。もう一つは来年のテーマ。具体的なテーマ発表は6月末まで待ってほしいということだった。どうやら作曲家を起点にするテーマはもうこのあたりで一段落させて、今後はもっと抽象的なテーマを掲げたい模様。そして、「2020年の東京五輪までを視野に入れたテーマを考えたい」ということだったので、あっと驚くようなものが設定されるかもしれない。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「10回記念 祝祭の日」開催中
●天候にも恵まれて、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「10回記念 祝祭の日」開催!
●前夜祭の公演で印象的だったこと。小曽根さんの「ラプソディ・イン・ブルー」を聴いたのは今年3回目。今回のアドリブがいちばん楽しかった。ポーランドのオーケストラの「スターウォーズ」を聴いた。カスタネット奏者の一般参賀を見た。
●期間中はLFJ公式レポートブログをごらんください。
メストレ、マンゼ&N響のオーチャード定期
●29日はオーチャードホールでアンドルー・マンゼ&N響。バロック・ヴァイオリンで知られるマンゼだが、今はもうヴァイオリンを弾かず指揮活動に専念しているのだとか。N響とは以前のN響「夏」でも好演を聴かせてくれた。今回はエルガー「序奏とアレグロ」、元ウィーン・フィルのハープ奏者グザヴィエ・ドゥ・メストレの独奏でモーツァルトのピアノ協奏曲第19番へ長調のハープ版、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。最初のエルガーから気迫のこもった演奏で、N響の弦がメラメラと白熱していた。マンゼのイギリス音楽をもっと聴いてみたくなる。
●メストレのモーツァルトは想像したよりは無理のないモーツァルトで、ダイナミクスも案外ある。スタイルとしては典雅で優美なモーツァルト。セクシービーム大放出(←なにそれ)。アンコールに「ベニスの謝肉祭」。「田園」は雄弁。対向配置にもしないし、ヴィブラートも普通にかかってて、弦の編成も十分大きくて、外観としてはまったくのモダン・オケ仕様ながらも、ところどころ独自の語り口を感じさせる、非ロマン的男前ベートーヴェン。傍目にはノリントンがいつもあれだけやってるんだから、マンゼだってその財産?を活用していろいろできそうにも思えるけど、限られた時間のなかでエネルギーを注ぐべき場所はそこではないということなのか。アンコールにロッティ~マンゼ編「十字架につけられ」。
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●さて。いよいよ明日からラ・フォル・ジュルネ。というか、本日夜の前夜祭で実質的に開幕する。昨年の「ボレロ」大会に続いて、今回は「みんなで第九・歓喜の歌」という自由参加型イベントが地上広場で開かれる。カオスの予感。
「運命と呼ばないで~ベートーヴェン4コマ劇場」(NAXOS JAPAN、IKE著/学研パブリッシング)
●これは名作って呼んでいいんじゃないかな。Naxosのウェブサイトで連載されていた漫画が「運命と呼ばないで~ベートーヴェン4コマ劇場」(NAXOS JAPAN、IKE著/学研パブリッシング)として書籍化された。大変おもしろくて、クォリティが高い。ベートーヴェンの物語ではあるんだけど、弟子のフェルディナント・リースに着目して、彼の視点で描くという基本設定が秀逸。リースの「伝記的覚書」他の文献をもとに史実とギャグをバランスよく交えて物語が進められる。登場人物のキャラクター造形も見事で、「現役JK(女子貴族)☆ジュリエッタ」ことジュリエッタ・グイチャルディ嬢がJK口調(?)でしゃべるのとか、むちゃくちゃ笑える。チェルニー少年のこまっしゃれくた感じもホントに雰囲気出てるなあ。背景にあるベートーヴェンが生きた時代、つまり音楽家が宮廷の使用人から自立する芸術家になりつつある時代というのが効いている。4コマのギャグ漫画っていう形態で、これだけストーリー性のあるものを描けるというのも感動。
●実はウェブでの連載時は最初の数回しか読んでいなかったんだけど、書籍になって通して読んで初めてこの連載がどれだけ周到に作られているのかがわかった。あと、これだけ作家性の強い作品の原作者(ネーム担当者)がNAXOS JAPANっていう法人になってるところもいろんな意味でインパクトあり。