●遅ればせながら、3日の日本フィル記者会見について(ANAインターコンチネンタルホテル東京)。首席指揮者アレクサンドル・ラザレフ、平井俊邦専務理事他が登壇して、9月から始まる新シーズン「ラザレフが刻むロシアの魂 Season3 ショスタコーヴィチ」について抱負を語った。ラザレフと日本フィルはすでに3月にショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を演奏しているが、これに続くショスタコーヴィチ・シリーズとして、10月には交響曲第4番、来年3月にピアノ協奏曲第2番(イワン・ルージン)と交響曲第11番「1905年」、来年6月に交響曲第8番が演奏される。「交響曲第15番までの交響曲がすべて詰めこまれている」という先見的な交響曲第4番、「プロパガンダの音楽ではなく他の傑作同様、深い音楽である」という交響曲第11番「1905年」、前作第7番とは異なり「オプチミズムも勝利もない」交響曲第8番という3作の選択が興味深い。
●「交響曲第4番は(演奏が)難しい作品。難しいというか、超難しい。しかし日本フィルはリハーサルが大好きなのです。私がもう今日はこのくらいにしたいといっても、楽員たちはお願いだからもっとリハーサルをしてくださいと懇願するのです」と語って笑いを取るラザレフ。ラザレフは一分もムダにしない精力的なリハーサルで知られている。
●質疑応答のなかで披露されたラザレフの昔話がおもしろかった。「モスクワ音楽院の学生だった頃、ショスタコーヴィチは音楽院の近くに住んでいた。学生たちはだれもがショスタコーヴィチを深く尊敬していたけれど、ベートーヴェンのような遠い存在ではなく、いつもそこにいる身近な存在だった。音楽院のホールでは前から6列目にショスタコーヴィチの指定席があった。5列目と6列目の間の通路は広かったので、大柄なショスタコーヴィチも足を伸ばして座ることができた」
●「60年代に、カラヤンとベルリン・フィルがモスクワにやってきて、ショスタコーヴィチの交響曲第10番を演奏した。チケットの入手はきわめて困難。チケット売り場に長蛇の列ができていたが、先頭に割り込んで、無理やりお金を渡してチケットを奪った。後ろからものすごい力で引っ張られて、振り返ると大柄な女性だった。君はすごい力持ちだねと称えつつも、チケットは手放さなかった」
●「ゲネプロを見学していると、ショスタコーヴィチ本人があらわれた。ベルリン・フィルの団員たちはリハーサルそっちのけで、ショスタコーヴィチと写真を撮り始めた。ラザレフにとってはいつも見かける姿なので、なぜそんなに撮影するのか不思議に思った。ベルリン・フィルはすばらしかった。オーケストラの演奏の質は高い。しかし、カラヤンのドラマトゥルギーは細切れであまりよくなかった。演奏会は拍手喝采で終わった。全員が立ち上がってショスタコーヴィチに向かって拍手をすると、カラヤンはショスタコーヴィチをステージに上げた。客席の反応はすさまじく、今までに見た一番の成功だったが、演奏はムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルのほうがおもしろかった。そこが音楽の興味深いところだ」
June 10, 2014