June 26, 2014

春の祭典の祭典。アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノ、フルシャ指揮都響

●春じゃないけど「春の祭典の祭典」ということで、二日連続でストラヴィンスキーの「春の祭典」を聴く、2台ピアノ版とオーケストラ版で。
アリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノ●24日はアリス=紗良・オット&フランチェスコ・トリスターノのピアノ・デュオ・リサイタル(すみだトリフォニーホール)。ラヴェルの「ボレロ」(トリスターノ編)と「ラ・ヴァルス」、トリスターノ自作、ストラヴィンスキー「春の祭典」他のプログラム。公演ポスターや二人の新譜「スキャンダル」のジャケ写を見ても伝わるように、この二人、猛烈にカッコいい。なので会場内のお客さんにもイケてる感じの若者たちが大勢。実際、カッコいいんすよ、二人とも。ステージでのふるまいも通常のクラシックとは一味違うカジュアルさがあって、そうだよな、われわれが普段聴く公演はセレモニーで過剰に埋め尽くされているのかもしれないよなと痛感。生のステージなんだから、アーティストのスター性を目にしたいと思うもの。逐一カーテンコールを繰り返さないのも吉。
●「ボレロ」はトリスターノがいきなり内部の弦をはじいてリズムを刻みだして意表をつかれる。えっ、それずっと一人がやってるのはもったいなくない?と思うが、さすがにそんなことはなく。トリスターノの自作は「ア・ソフト・シェル・グルーヴ」組曲。今日的「ラデツキー行進曲」と呼びたい観客参加系。2台ピアノの「春の祭典」は、五管編成の原曲から厚塗りの色彩と極大のダイナミズムをはぎ取ったワイヤーフレームの「ハルサイ」。意匠を凝らすというよりは、直線的な推進力で一気呵成に弾き切る、眩しく勢いのある「春の祭典」で、会場はわきあがった。アンコールに連弾でモーツァルトの4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調の第2楽章。ちなみに二人ともずっと譜面を自分でめくっていて、ところどころ非常にスリリングな早業でめくることになるんだけど、これもステージの一部なんだよなと感じる。譜面は置くけど、譜めくりは置かない、というのが大吉、広く一般に。
●その翌日、25日はヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団(東京芸術劇場)。オネゲルの「パシフィック231」、バルトークのピアノ協奏曲第3番(ピョートル・アンデルシェフスキ)、ストラヴィンスキーの「春の祭典」という魅力的なプログラム。前半のアンデルシェフスキがすばらしすぎる。綿密にうたわれた清冽なバルトークだけでも充足できたが、アンコールにバルトークとバッハの2曲を演奏して、あたかもリサイタルのような雰囲気に。フルシャもオーケストラの中で座ってじっと聴き入っていた。やはり現在活動するピアニストのなかでもこの人は特別な存在なんだなと感じる。後半「春の祭典」は都響の機能性が最高度に発揮された緻密な演奏で、オーケストラの巧さに圧倒される。洗練されたサウンドだけど、コントラストの強い鮮烈な表現で、この作品を聴く喜びを存分に満喫。一公演で二公演分、楽しんだような気分。

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