July 15, 2014

ロリン・マゼール(1930-2014)

●昨日、ワールドカップ決勝戦が終わった直後、ロリン・マゼールの訃報が。7月13日、肺炎による合併症のためアメリカ・バージニア州の自宅で逝去。体調不良が伝えられていたが、年齢をほとんど感じさせない人だったので、またすぐに復帰するものだと思っていた。最後に生で接したのは一昨年のN響定期だったか。80代になってさすがに歩き方などはゆっくりしていたが、強烈なオーラは健在だった。
マゼールのレスピーギ●マゼールはたぶん録音でもっともよく好んで聴いている指揮者のひとりなので、思い入れが強すぎてなんと言うべきかわからないが、彼の音楽になぜ引きつけられるのかを言葉で表現すると、きっとネガティブな言葉がたくさん並ぶことになる。端的にいえば「華麗なる変態性」なんだけど、それに加えて有り余る才能を持てあましている感というか、サッカークラブにたとえると(←なんだそれは)きわめて潤沢なリソースを有しながら結果主義を徹底できず予算の無駄遣いをしながら6位くらいでリーグ戦を終えてしまうクラブが強い愛着を誘発するのに似ているというか。ウィーン・フィルと来日した際のマーラーの交響曲第5番を放送で聴いたのがきっかけとなって聴くようになったんだけど、その後ディスクを聴いていちばんスゴい!と思うのは、その多くが最初に知った時点より過去に遡ったものばかりで、クリーヴランド管弦楽団時代とさらにその前の録音を聴いて震撼し、ウィーン・フィルとの演奏に多少の違和感を感じつつも納得し、その後は予測不能なまだら模様を描く軌跡を追いかけることになり、じゃあもういいかなと思うと、突然まばゆい光彩を放つ。
●雑誌のインタビューなどを読んでも、言っていることが立派すぎて、ぜんぜんおもしろくない。実際にやってることは痛快このうえないのに、そんなお題目を並べられてもなあ、みたいな。
マゼールのマーラー●指揮棒の持ち方が独特なのもカッコよかったし、風貌にも才気が滲み出ていた。ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートを指揮したときのシャープで鮮やかなウィンナワルツを放送で聴いて、こんな曲でも自分の思い通りにしてしまうんだと驚愕した。そうえいば、N響で「ボレロ」を指揮したとき(伸縮自在のマゼール節が炸裂した)、演奏が終わった後管楽器奏者たちをひとりひとり立たせる場面で、なぜか肝心のトロンボーンを忘れて袖に引っこんでしまい、次にあらわれたときに人差し指を一本立てながら「ゴメン、一人忘れてたわ~」みたいなポーズをとっていたのを思い出した。この人でも「うっかりする」ことがありうるんだ。
●ご冥福をお祈りいたします。

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