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September 2, 2014

リディア・デイヴィスの「グレン・グールド」

リディア・デイヴィス ほとんど記憶のない女●ピアニストの名前がそのまま題名になっている短編小説がある。リディア・デイヴィスの「グレン・グールド」(岸本佐知子訳/白水uブックス『ほとんど記憶のない女』収載)。ほんの数ページの短い小説で(といってもこの短編集のなかでは長いほうなのだが)、ストーリーらしいストーリーはなく、なにもない静かな田舎町で、赤ん坊といっしょに主婦が退屈な一日を過ごしている様子が描かれている。彼女は毎日夕方になるとテレビのコメディ「メアリー・タイラー・ムーア・ショウ」を見ている。そんな日常はどうかなと内心思っていたはずなんだけど、あのグレン・グールドも「メアリー・タイラー・ムーア・ショウ」を好きだったということを知って、心底驚き、喜んでいる。あの憧れのピアニスト、知的でエキセントリックなピアニストが、この番組を見ていたなんて!
●主人公はグールドに思いを馳せる。

演奏のために家を留守にするとき、あるいは演奏をやめたあと、レコーディングやその他の理由で家を空けるとき、彼はこの番組を見のがさないように録画していただろうか。それとも観ながら同時に録画して、この番組の完璧なライブラリを作っていただろうか。

●可笑しい、かなり。短い話なのについつい急いでページを先に繰りたくなるのは、「赤ちゃんが生まれて、社会から取り残されたようになってしまっている自分」という、じんわりとした焦燥感が滲み出ているからにちがいない。