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2014年10月アーカイブ

October 31, 2014

ドヴォルザークの交響曲第6番

●30日は下野竜也指揮N響へ(サントリーホール)。前半にヤン・リシエツキのソロでショパンのピアノ協奏曲第1番、後半にドヴォルザークの交響曲第6番。ドヴォルザークの交響曲でいちばん楽しいのはこの曲と信じているのだが、重厚で緊密、そしてよく鳴るパワフルなドヴォルザークを満喫。この曲、全般にブラームス風なんだけど、特に第1楽章の田園的な雰囲気や第4楽章の冒頭はブラームスの第2番にかなり似ている。でも第3楽章は思いっきりスラヴ舞曲していて、急にこの楽章だけ丸裸になったドヴォルザークが出てくるみたいなところが魅力。
ドヴォルザーク●ドヴォルザークの交響曲第6番は、当初は交響曲第1番として出版されたのだとか。言われてみれば、この清新さは「第1番」にふさわしいような気がする。これが本当は第1番でなかったのが惜しいくらい。で、それで思い出したんだけど、昔は「新世界より」が交響曲第5番だったはず(大昔のLPレコードに第5番「新世界より」と書いてあった記憶あり)。しかし現第6番が旧第1番で、現第9番が旧第5番だったとすると、計算が合わないような……。
●どうやらこれは現行の6番、7番に続いて第5番を掘り起こしてきて出版したということのよう。ということは、旧第1番=現6番、旧第2番=現第7番、旧第3番=現第5番、旧第4番=現第8番、旧第5番=現第9番「新世界より」という理解で合っているだろうか? いつ頃から今の番号に変わったんだろう。
●シューベルトの旧第8番=現第7番「未完成」、旧第9番=現第8番「ザ・グレート」問題もそのうちすっかり過去のものになるのか。

October 30, 2014

先週のコンサート、今週末の告知

●備忘録として遡って、24日はノリントン&N響のシューベルト・プロへ(NHKホール)。前半は「未完成」。弦楽器は8型、だったかな。NHKホールの巨大空間に、室内楽の延長のような小さな編成のシューベルト。この日もノリントン指揮の公演ではおなじみの特設反響板が設置されていた。弦楽器は下手から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンと対向配置で並び、コントラバスは最後列に横一列。ティンパニが上手端に置かれて、存在感を放っていた。第2楽章冒頭のリズムが特徴的。後半は「ザ・グレート」で、こちらは倍管仕様で弦楽器も大編成。最後列のコントラバス8台の真ん中に割って入る形でトロンボーンを置いた。聴覚以上に視覚的にトロンボーンに焦点があたる。第1楽章冒頭のホルンから独特のフレージング。第2楽章が速くて、ほとんど舞曲的。終楽章はじっくりと壮大に。豊麗な一方で、どこか枯れた味わいも。
●25日はモザイク・クァルテット(トッパンホール)。プログラムがモーツァルトの弦楽四重奏曲第17番「狩」、シューベルトの弦楽四重奏曲第10番変ホ長調、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番ト長調。シューベルトも簡潔な作品なので、様式的に一定の枠をはみ出さない古典的なものを、ということなのかもしれないんだけど、それにしても思い切った選曲。4人の奏者がひとつになるという意味では恐るべき成熟度。アンコールにモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調の第3楽章。もっとモーツァルトのハイドン・セットを聴きたくなる。やはり作品の力が違うというか。
●今週土曜日、11月1日22:00からのFM PORT「クラシックホワイエ」では、大活躍中のソプラノ、安藤赴美子さんをゲストにお迎えしている。新しくリリースされたCDのことなど、楽しくお話をうかがった。新潟県内の方は電波またはラジコで、それ以外の全国の方はラジコプレミアムで聴くことができます。

October 29, 2014

モウリーニョとファン・ハール

●週末のプレミアリーグにマンチェスター・ユナイテッドvsチェルシーの大一番があった。録画だけして試合はまだ見ていないのだが、キックオフ前の映像でチェルシーのモウリーニョ監督がユナイテッドのダッグアウトをわざわざ訪れて、ファン・ハール監督に挨拶して抱擁する場面が映っていた。今や世界最強の監督となったモウリーニョだが、ファン・ハールはかつての師匠。ファン・ハールがバルセロナの監督だった頃、モウリーニョはアシスタントコーチを務めていた。だから、まあ、挨拶に行くのは当然かなと思う。
●が、J SPORTSの番組「Foot!」でベン・メイブリーさんが看破していたが、これは完全にテレビのため。実はその一時間も前に二人はテレビ向けインタビューの際に挨拶しているし、入場時にトンネルのなかでも何分も立ち話をしている。モウリーニョはわざわざカメラに映るタイミングでファン・ハールのところまで出向いて、ファン・ハールとひしっと抱擁したわけだ。確認のため録画で該当場面を再生してみると(笑)、にこやかに抱擁した直後のファン・ハールの顔は光の速さで仏頂面に変わっている。
●こういうところが好き、モウリーニョの。監督はこうであってほしい。

October 28, 2014

古都のオーケストラ、世界へ! オーケストラ・アンサンブル金沢がひらく地方文化の未来(潮博恵/アルテスパブリッシング)

古都のオーケストラ、世界へ!●「古都のオーケストラ、世界へ!  オーケストラ・アンサンブル金沢がひらく地方文化の未来」(潮博恵著/アルテスパブリッシング)を読む。同じ著者の「オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦」と同様の視点、そして綿密な取材によってオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)のたどってきた道のりと現在地を記したノンフィクション。ほとんど下地のなかった土地でどうしてOEKが誕生し、地域との結びつきを深めながらも、国内外で膨大な数のツアーを敢行し、成功を収めることができたのか。よく知られていることも、今まで知らなかったことも、この一冊にしっかりとまとまっている。やはり草創期のエピソードがおもしろい。
●読んで改めて思うのは生みの親である岩城宏之さんの先見の明と実行力。こんなに一人の指揮者のヴィジョンがそのまま形になったオーケストラ(しかも自治体のオーケストラ)なんてないんじゃないかな。なんといっても最初の第一歩として「はじめるからには日本一になれるように」と室内オーケストラというサイズで始まったのが大きい。数多くのツアーもこのサイズゆえの機動力あってこそ。発足にあたって、地元の市民オーケストラを母体にしない、国籍不問で優秀な奏者を集める等、いろんな方針が打ち立てられているけど、特にスゴいと思うのは名称を「オーケストラ・アンサンブル金沢」に定めたことだと思う。自治体の補助は石川県が60%で、金沢市が40%という割合なのに、岩城さんが当時の中西知事に対して「申し訳ないけど石川なんて誰も知りません。買いかぶりかもしれないけど、金沢っていうと日本中の人が文化のイメージを抱いている。石川ではだめです」って主張したっていうんすよね。逆にいえばそれを受け入れた県も懐が深いというか。岩城さんのアイディアを実現するために、現場でずいぶん多くの人が奔走したにちがいない。
●あと、このオーケストラは本拠地として県立音楽堂っていう立派なコンサートホールがあるんだけど、ホールがあってオーケストラができたわけではなくて、オーケストラが先にあってその後でホールができたというのも、なかなかないことだろう。
●この一冊は芸術的な成果だけではなく、財務面にも目を向けているのが特徴。第6章の「オーケストラの持続可能性(サステナビリティ)とは」で明らかにされているように、自治体の補助があっても中規模の地方都市でオーケストラを維持していくことはなかなか大変。2010年度から3期続けて赤字を計上したけれど、2013年は辻井伸行&アシュケナージの全国ツアーが全公演完売になったおかげでリーマンショック以降の最高益を記録したなんて書いてあるのを読むと、まさしく興行以外のなにものでもないわけだ。そこでサステナビリティの観点からなにが必要かという点に対して用意される著者の提言は着実な正攻法というべきものだが、特にブランディングとマーケティングの重要性に言及されているのが興味深かった。

October 27, 2014

秋の狭山公園

狭山公園
●まだ紅葉には早いのだが、狭山公園へ(ゾンビは出てきません)。雑木林があって多摩湖があって広場がある広々とした公園。なにがいいかといえば電車でのアクセスの容易さ。都内でもっとも手軽に見晴らしの良さを楽しめるスポットということで何度も訪れている。散歩上等。
多摩湖
●多摩湖の堤防部分と公園部分に高低差があるので、上を歩いて多摩湖を眺めて、帰りは下を歩いて林を楽しむといったルートがとれるのが吉。もっとしっかり歩きたい場合はこの公園だけではなく、多摩湖の周囲をぐるりと周回するコースも悪くない。多摩湖、といってもホントの湖ではなくて貯水池なんだけど。
●原っぱを歩くと、やたらとぴょんぴょんと跳ねたりヒューンと飛翔したりする昆虫がいるんすよ。大きいのとか小さいのとか、緑色のとか茶色のとか。あ、バッタでかい! 殿様バッタ?とか思うんだけど、本当の名前は知らない。ていうか、バッタなのかイナゴなのかキリギリスなのか、それすらよくわからなくて検索してバッタ目の様々な種について写真を見たところ、昆虫関係に特に詳しくはなりたくないという結論に落ち着いた。

October 24, 2014

錦織健プロデュース・オペラ Vol.6 モーツァルト「後宮からの逃走」記者懇親会

錦織健プロデュース・オペラ 「後宮からの逃走」記者懇親会
●23日は銀座で錦織健プロデュース・オペラ Vol.6 モーツァルト「後宮からの逃走」の記者懇親会。テノールの錦織健さんがプロデュースするオペラ・シリーズ、今回は「後宮からの逃走」が2月22日から3月24日にかけて、全国各地で8公演にわたって上演される。会見には池田直樹(太守役)、市原愛(ブロンデ役)、佐藤美枝子(コンスタンツェ役)、プロデューサーでもある錦織健(ベルモンテ役)の各氏が出席(写真左より)。
●少しでも多くの人にオペラに親しんでもらおうというのがこのシリーズの趣旨。錦織さんによれば「コンセプトは旅のオペラ一座。オペラのマーケットは小さい。でも無理やりにでもオペラを見てくれる人の数を増やしたい」。演目は毎回喜劇。スポンサーの協力を得ながら首都圏だけではなく各地での公演を実現している。
●錦織さん自らが「ハーレムから助け出せ!」という副題を付けていて、これには納得。今どき「後宮からの逃走」じゃ、オペラ・ファン以外にはなんの話だか意味不明だもの。
●このシリーズ、これまでは原語による上演だったが、今回歌唱は原語、台詞のみ日本語が用いられる。「今の日本では、台詞のみ日本語というのがトレンディ。かつてはイタリア・オペラを日本語で歌っていた時代もある。今から見れば滑稽に思えるだろうが、訳詞だったからお客さんからのダイレクトな反応が返ってきた。またそういう時代が来ないともかぎらない。もし劇団四季が英語で歌っていたら、あれだけのロングランはできないでしょう? レチタティーヴォ・セッコを日本語で歌うとなれば軋轢も生じるだろうが、台詞だけを日本語でということなら受け入れられやすい」(錦織さん)。「字幕だと舞台より先に客席から笑いが起きてしまうことも。日本語でお客さんにリアルタイムでお芝居を楽しんでほしい」(池田さん)。
●そういえば、大昔に自分が初めて生で観たオペラは日本語歌唱だった。でもその頃は字幕装置なんてものがなかったんすよね。特に高額な外来オペラを見に行くときは、当然原語上演だから、あらかじめ対訳を見ながらレコードで予習して、「どこでなにが起きているかを直前に記憶しておく」ということをしてから生の舞台に臨んでいたと思う。試験前の一夜漬けみたいな感じで、なんだかおかしいんじゃないかと思いつつもしょうがなく。字幕もないのにイタリア語のギャグでちゃんと客席から笑いが起きるのを目にして驚愕した記憶が。それに比べれば今は天国。どこでも字幕はあるから、予習ゼロで行ってもストーリーがちゃんとわかる。ましてや台詞が日本語だったら、なおさら。

October 23, 2014

ゾンビとわたし その31:「火星の人」(アンディ・ウィアー著/ハヤカワ文庫SF)

●地上がゾンビたちで埋めつくされようとしている今、いったいワタシたちはどこに逃げればいいのか。この不定期連載「ゾンビと私」では、これまでに山、海、荒野等、さまざまな場所に逃れの地の可能性を探ってきたが、これまでの30回にわたる連載で一度も検討してこなかった領域がある。ずばり、宇宙だ。地球外。ゾンビどころか人っ子一人いない、いやそれどころか微生物も細菌もいない、ノーゾンビ、ノーライフな土地。そう、たとえば火星なんてどうだろう?
火星の人●そこで両腕に力こぶを作ってオススメしたいのが、アンディ・ウィアー著の「火星の人」である。この小説、一言でいえば火星版ロビンソン・クルーソー。舞台設定はこうだ。NASAによる3度目の有人火星探査が行なわれたが、火星到着後、激しい砂嵐により急遽クルーは火星を離脱することになる。しかし、その一人が不運な事故により、やむをえず火星に残されてしまう。もちろん、人は火星では生きられない。酸素も水も食糧も手に入らない。彼はすぐに死ぬ……と思いきや、そこから驚くべきサバイバルが始まる。
●この小説はSFではあるが、あくまでもリアリズムにのっとって描かれている。火星に残された主人公は、この苛烈な土地で少しでも生き延びようと孤独な戦いに挑む。条件としては、あらかじめ火星に持ち込んだ様々な機材や物資、限られた糧食がある。スペーススーツ、移動用のローバー、酸素供給器、水再生器、動力源の太陽電池パネル。水や酸素は限られた量しかないが、火星の薄い大気のほとんどは二酸化炭素。二酸化炭素は供給できる。酸素は二酸化炭素から得ることができる。あとは水素があれば、酸素を加えて燃やすことができれば水が手に入る。では水素はどうするのか。そして食糧はどうするのか、生産できるのか。さらに奇跡的に食糧を得たとして、生存日数を増やしたところで、それでどうなるというのか。地球との通信手段はどうするのか。仮に救助してもらうにしても何年かかるのか……。
●どう考えても絶望しかないという状況のなかで、主人公の宇宙飛行士は恐るべき知恵と工夫、創意と冷静さによって、ひとつひとつ試練に立ち向かう。これがまあ、あきれるほどおもしろい。発生する問題とそれに対する解答のバリエーションの豊かさ、それに加えてどんな状況でもユーモアの精神を忘れない主人公の人物造形がキモだろうか。
●しかし「火星の人」は不慮の事故によって火星に取り残されたのである。もし、前もって火星で生きるという前提のもと、人間が入植するのであれば、この主人公よりはるかに有利な条件で火星生活をスタートさせることができるはず。エンジョイ、火星ライフ。この物語は最上級のエンタテインメントであると同時に、来たるべきZdayに対するかつてないもっとも射程の長い解決策を示唆している。そういえば、しばらく前に、人類初の火星コロニー建設を計画するプロジェクトとして、火星への片道旅行に各国から応募が殺到したというニュースがあった。なにをバカな、そんなにも危険な、そしてどんなにうまくいったとしても火星で生涯を終えなければいけない夢物語になど、1ミリも現実味を感じない……と思ったものだが、なるほど、彼らは夢を見ているのではなく、違った現実を見ているのかもしれない。地球がヤツらでいっぱいになる現実を。

>> 不定期終末連載「ゾンビと私
October 22, 2014

トリフォノフのベートーヴェン&リスト

●21日は東京オペラシティでダニール・トリフォノフのピアノ・リサイタルへ。今まで録音で少し聴いただけだったんだけど、こんなに強烈なキャラクターの持ち主だったとは。怪物的。前半にバッハ~リストの幻想曲とフーガ ト短調BWV542、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第32番、後半にリストの超絶技巧練習曲集から10曲を独自の順序で。とくにベートーヴェンの奔放さに絶句。ステージの袖からピアノめがけて一直線にすたすたと歩き、座るやいなや憑かれたかのように没入して鍵盤と格闘する。猛烈に速いテンポや極端なピアニシモを採用した陶酔的なベートーヴェン。あまりにエキセントリックでほとんど戯画的なくらいで、並の演奏なら逃げ出したくなるところなんだけど、ここまで突きつめればもうすべて受け入れられるというか、規範の外側からしか伝えられない領域があると納得できるというか。なにしろ弾ける。アンコールで自作2曲に続いて、自ら編曲した「こうもり」序曲を弾いてくれて、ヴィルトゥオジティ大爆発。客席から思わずあがる女子ブラボー。センセーショナルだった。
●大芸術家の世界とプロレス的大技の世界って背中合わせだと思うんすよね。琴線に触れるのはそのあたりかな、と。

October 21, 2014

ブラビンズ&都響のイギリス音楽プロ

●20日はマーティン・ブラビンズ指揮東京都交響楽団へ(サントリーホール)。ブラビンズは一昨年の名古屋取材で名フィルのバックス、ウォルトン、ラフマニノフというプログラムを聴いて以来だが、都響でオール・イギリス音楽プロを聴けようとは。ヴォーン・ウィリアムズのノーフォーク狂詩曲第1番、ブリテンのピアノ協奏曲(スティーヴン・オズボーン)、ウォルトンの交響曲第2番。めったに生で聴けない曲ばかり、月曜ということもあってかさすがに空席も目についたが、客席の反応は上々。すっきり明快で、響きのバランスがていねいに制御された演奏を聴けた感。ブリテンではスティーヴン・オズボーンが気迫のソロを披露。ときにはオケの大音量に立ち向かう無理ゲーに果敢に挑みつつ。
●ブリテンのピアノ協奏曲は「未ブリテン」的なところが魅力だったりそうでなかったりする作品という気がする。第1楽章や第4楽章にはプロコフィエフ流の乾いたリリシズムとユーモア、あるいはラヴェル風の機知があって、第2楽章の歪んだワルツはラヴェルの「ラ・ヴァルス」風(ウィンナワルツのパロディのパロディ?)。第3楽章のパッサカリアがいちばんブリテンらしい楽章か。ブリテンの音楽の剥き出しの苛烈さが苦手な向きには聴きやすい一方で、まだこの先の向こう側に沃野が広がっているという手探り感も残しているというか。
●もっと何度でも聴きたいと思わされたのはウォルトンの交響曲第2番。第1番の熱いヒロイズムとは違った手ざわりで、ぐっと洗練されている。でも第3楽章の「怪獣が出てきそう感」とか、むちゃくちゃ楽しい。ブラビンズが第1番を振ったらどうなるか、それは続く11月4日の公演でわかるわけなんだけど、こちらはあいにく都合がつかず。盛りあがること必至。次の公演まで日が空いているが、この間にブラビンズは常任指揮者を務める名フィルを振る。

October 20, 2014

ウルバンスキ&東響の東欧プロ、ノリントン&N響のベートーヴェン

●18日はウルバンスキ&東響へ(サントリーホール)。キラルの交響詩「クシェサニ」、ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(庄司紗矢香)、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」というプログラム。「クシェサニ」が痛快。民謡風メロディの反復に混沌とした響きが重畳されるクライマックスが楽しすぎる。カオスなんだけど、秩序だった響きの美しさが感じられたのが吉。ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」も快演。この曲がこれだけ整然として響くとは。バロック的な装いを明確に打ち出した作品にふさわしい愉悦。
●ウルバンスキの力みのない指揮ぶり、指揮台でムーンウォークしてるみたいなスムース平行移動など、あらゆる所作が独特すぎてカッコいい。いや、イケメンだからなにをやってもカッコいいのかも。ぜんぜんカッコよくないオッサンが同じ動作をしているケースを想像してみて、カッコいいとキモいは紙一重で隣り合っているということを思い出す。
●19日はノリントン&N響へ(NHKホール)。今回も特設の反響板を舞台後列に並べ、ヴァイオリンは対向配置、コントラバス最後列、ホルンとトランペットを左右両翼に置く独特の配置。ノン・ヴィブラートのピュアトーン仕様によるオール・ベートーヴェン・プロ。一曲目の「レオノーレ」序曲第1番の最後の一音とともに回転して客席に向かってドヤ顔を決めるノリントン翁。おかしすぎる。ピアノ協奏曲第1番の独奏はピエモンテージ。これまで協奏曲ではオケのなかに立って指揮したりかなり特異な配置があったけど、今回は指揮者もソリストも通常のポジション。ピエモンテージの鋭利でメリハリの効いたソロがすばらしい。アンコールでドビュッシー「花火」。後半、ベートーヴェンの交響曲第7番は倍管で。これまでシリーズで聴いてきたほかの交響曲と同様、意表をついたダイナミクスやフレージングがあちこちにあって、即興性やユーモアにあふれている。第2楽章が快速アレグレット。この曲に緩徐楽章はない。ブラボーは盛大。やはり真摯な音楽には笑いがないと。
●カーテンコールが終わると、ノリントンは舞台の端に立って、ベンチで選手たちを迎えるサッカーの監督みたいに楽員たちをひとりひとり迎える。拍手がいったんほぼ止んでお客さんが帰りはじめても、まだノリントンが舞台上に見えているから、また最後に自然と拍手がわきおこってマエストロを讃える。こういうソロカーテンコール?もありうるのか。

October 17, 2014

ニッポンvsブラジル代表@シンガポール・ナショナル・スタジアム

ブラジル●14日の試合をようやく見る。録画を再生したらあまりに酷いピッチが映っていてのけぞった。豪華スタジアムの中心に荒川の河川敷にありそうなはげた芝と砂だらけのサッカー場が。
●そしてブラジル代表を相手に、ほとんど代表歴のない選手だらけのチームを先発させたことが最大の驚き。2試合親善試合があって、ジャマイカ戦でほぼベストメンバーで戦い、ブラジル戦で経験の少ない選手たちで戦うという謎。先発だけ書いておくと、GK:川島-DF:太田宏介、森重、塩谷司、酒井高徳-MF:田口泰士、柴崎岳、田中順也、森岡亮太-FW:岡崎、小林悠。新鮮すぎる。
●まず新横浜でも埼玉でもなくシンガポールで試合が開催されたこと。これはいいと思ったんすよ。まったくの第三国シンガポールでブラジルの相手を務められるくらいニッポン代表の存在感が高まっている、っていうか現地でそれなりに人気があるから、こういう「興行」が成立する。ありがたいこと。でもシンガポールのお客さんはサッカーに慣れてなくて、歓声の上がり方もヘンだし、ピッチはむちゃくちゃだし、リスペクトは感じられるんだけどなんだかシラッとした空気も漂っていて、これはなんだかよく知ってる光景じゃないかと思った。ずばり、昔のトヨタカップがこんな感じ! そっくり。よほどのマニア以外は海外サッカーのことなんか知らなくて、ワールドカップも手の届かない遠いところにあった時代の国立競技場で、ACミランとかボカ・ジュニオールズを観戦してる雰囲気。きっと現地のテレビ中継には、シンガポールの明石家さんまみたいな人がゲストで招かれて、いかにネイマールがスゴいかを熱弁してくれたにちがいない。
●で、ピッチがあんな感じなので、試合もバトルというよりは興行モードにならざるをえなくて、キックオフ直後からすっかりラインが間延びして、スペースがたくさんある。0対4という結果よりも、果たしてこんな条件で、しかも相手がブラジルで、選手選考になったんだろうかということのほうがよほど心配。前の試合でも書いたけど、アギーレ監督は試合をするたびに使える選手を見つけているのではなく、使えない選手を見つけているだけなんじゃないかという気がしてしょうがない。
●これはサポの勝手な言い分だけど、アギーレは初勝利が欲しくてジャマイカでベストメンバーを組みたかったんじゃないかな。そうなると日程の都合もあってブラジル戦はこうなった、と。実際、シンガポールの悲惨なピッチコンディションまで見通していたのだとしたら、正しい判断かもしれない。あの状態で実績豊富な選手たちに試合をさせてもリスクの割には得るものは少ない、だったらこのレベルの選手と普段戦う機会のない選手たちをたくさん出そう、とか?
●アジアカップに向かって一歩も前進している感がないアギーレ・ジャパン。傍目には貴重な親善試合の機会を空費してしまっているように見えるわけだが、どうなんだろう。われわれの代表はこれまでどれだけ名将に恵まれてきたのかと感じ入る一歩手前まで来ているのだが、まだ希望は持っている。

October 16, 2014

TDKオーケストラコンサート2014~ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の学生向け公開リハーサル

●15日夕方はサントリーホールでゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の公開リハーサルへ。これは協賛のTDK株式会社が社会貢献活動の一環として、音楽を学ぶ学生さん200名を招待するという企画。同日は午前中に都内の中学校を訪問するアウトリーチ活動も行われたのだが、そちらは都合がつかなかったので、公開リハーサルのみを取材。
朝岡聡さんによるプレレクチャー
●17時からのリハーサルに先立って、16時15分からまずフリーアナウンサーの朝岡聡さんによるプレレクチャー。ゲネプロとはどういうものなのかということから、ゲルギエフとオーケストラの来歴、作品の基本的な紹介まで30分ほどかけて、堅苦しいレクチャーではなくざっくばらんとしたスタイルで。巧みな話術はさすが。
ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の公開リハーサル
●で、ゲネプロがはじまったわけだが、この日は19時から本番でストラヴィンスキーの三大バレエ。すでに来日ツアーのなかで同じプログラムの本番も行なわれているので、要所要所の確認をしてささっと終わるのかなと思いきや、「火の鳥」の冒頭から入念なリハーサルが始まった。ゲルギエフから次々とリクエストが発せられ、細かく止めて何度でもやり直しながら進めていく。朝岡さんのプレレクチャーで「1時間の予定ですが、ゲネプロだからあっさり早く終わることもありえます」みたいな話があったが、あっさりどころか予定の18時になっても終わる気配なし。見学者は予定通りに18時で全員退出。
●ところでワタシはストラヴィンスキーの「三大バレエ」だと聞いていたから、てっきり「火の鳥」は組曲版(1919年版)を演奏するのだろうと思いこんでいた。ところがリハーサルが始まったら全曲版で「えええ??」。うーん、いったいこれはどういうことなんだろう、まさか「火の鳥」全曲版を含めて「三大バレエ」全曲やるのかなあ、いやいやそんな長いプログラムなわけないか……と思って前日の公演プログラムを開いて確かめてみたら、その「まさか」だった(笑)。恐るべし。
●この日、本番は聴けず。すぐに紀尾井ホールに移動して、レ・ヴァン・フランセの公演へ。こちらはソニー音楽財団主催の「10代のためのプレミアム・コンサート」のシリーズ第4回。偶然、若者向け企画を続けて取材することになったわけだが、「若者ばかりのサントリーホールと紀尾井ホール」を一日で目にするという貴重な体験ができた。わわ、若者ってこんなにたくさんいたんだ……みたいな。そりゃいますとも。

October 15, 2014

ゲルギエフ指揮マリインスキーのショスタコーヴィチ交響曲第8番

●ニッポン代表のブラジル戦は録画で観戦することにして、14日はサントリーホールでゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団。前半にネルソン・フレイレ独奏によるブラームスのピアノ協奏曲第2番、後半にショスタコーヴィチの交響曲第8番。今回のツアー、9日から18日まで、13日を除いて連日公演があるのだが、ショスタコの8番はこの東京公演のみ。今日は気合を入れて鬱になろう!と背筋を伸ばして臨む。
●前半はフレイレのソロが聴きもの。十分にパワフルでありながら明るく華やか。アンコールにグルック~ズガンバーティ編曲の「オルフェオとエウリディーチェ」から「精霊の踊り」。オケは後半から本調子に。ダイナミズムにあふれた雄弁な語り口に、ペシミスティックな作品世界を存分に堪能。管楽器のソロも好調。期待通りに鬱。ほのかに光がさす第5楽章にも救いは感じられない。息苦しい終末感とともに曲を終えると客席全体が沈黙。一分以上の静寂が続いたんじゃないだろうか。この沈黙もやりすぎると「いったいだれが最初に拍手するんだ問題」が発生するわけだが、この曲であれば拍手したくなくなるのもわかる。そのまま拍手せずに静かに解散……とはさすがにならなくて、アンコールにワーグナーの「ローエングリン」第1幕への前奏曲。
ショスタコーヴィチ●譜面台にアンコール用の楽譜が配られていたのでなにかを演奏するのはわかっていたが、はたしてショスタコーヴィチの8番の後になにを演奏できるのか?と思っていたら、まさかこんな選択肢があったとは。これがとても効果的でゾクッと来る。リアリズムに即して描かれた希望なき世界の果てに、白鳥の騎士のファンタジーがやって来るという展開が最強に鬱。そういえば、第1楽章の長大なイングリッシュホルンのモノローグに「トリスタンとイゾルデ」第3幕を思い出したのだった。第3楽章は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第2幕終場の暗黒版ではないだろうか。
●終演は予想外に遅く、21時50分。ゲルギエフの指揮棒は短いけど爪楊枝よりは長くて、串くらいの感じだった。ていうか、どう見ても串。指揮串。
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●先週末はNHK Eテレ「らららクラシック」のQ&Aコーナーにふたたび出演させていただいた。剛勇。

October 14, 2014

ニッポンvsジャマイカ@キリンチャレンジカップ

ジャマイカ●10日の試合を今頃あれこれ書くのもなんだけど、アギーレ新監督初勝利なので記録として。会場は新潟。相手のオウンゴールで1対0という結果だけを見ると前途多難という印象だが、録画を見ると内容は悪くない。地力の差がかなりあったので、ニッポンが次々と相手ディフェンスを崩していて、1点だけで終わったのはアンラッキーだっただけ。気になるのは試合内容よりメンバー選考かも。
●GK:西川-DF:酒井高徳、塩谷、森重、長友(→太田宏介)-MF:細貝、柴崎、香川(→田口泰士)-FW:本田、武藤(→柿谷)-岡崎(小林悠)。センターバックに吉田が呼べなかったため、これまでアンカーで起用していた守備のキーマン森重がもとのセンターバックに戻った。で、それに伴って、アンカーの前にいた細貝が本来のアンカーの位置に下がった。センターフォワードは岡崎。もともとここが本職だが、ザッケローニ時代はもっぱらサイドで起用されていた。つまり、全般に「本職のポジション」で戦った感あり。岡崎はともかく、森重や細貝は吉田が復帰したらどうなるのだろうか。
●もうひとつ感じたのは、大きなミスをした選手や期待外れだった選手はあっさり呼ばれなくなるのかな、という傾向。新しい選手がどんどん呼ばれていて、試合の度に代表初キャップを記録する選手がいるというのは、新監督のもとでは納得できること。でもそれによって「呼べる選手が増えている」のか、「呼べない選手が増えている」のか、微妙なところにある気がする。試行錯誤した結果、新しい選手が消えて、どんどん実績のある選手が戻ってくる、なんてことにならなければいいんだけど……。
●もっとも前監督ザッケローニの場合は、序盤からうまく行きすぎて、あまりにもあっさりと中心選手が固定されてしまった記憶もある。4年目になって新陳代謝が必要になるというのも考え物か。問題は来年早々のアジア・カップのメンバー。この調子でいけば、森重、細貝、武藤らが新たなレギュラーポジションを確保しそう。
●今晩のブラジル戦では6人を入れ替えるとか。ずいぶん大幅に変わるが、この人選と布陣にアギーレの色がかなり出るはず。

October 10, 2014

スクロヴァチェフスキ指揮読響のブルックナー&ベートーヴェン

●9日はサントリーホールでスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮読響。ブルックナーの交響曲第0番とベートーヴェンの交響曲第7番というプログラム。ブルヌルとベトシチ、と書くとなんだか粘っこくてばっちいが、前半のブルックナーからブラボーの声が多数あがるほどの盛況ぶり。後半のベートーヴェンは楽章間の間をとらずに一気呵成に驀進(少し前に聴いたデュトワもそうだったっけ)。燃焼度が高く、かつ独自性も感じられ、客席は盛大にわきあがった。さすがに91歳のスクロヴァチェフスキになんどもカーテンコールさせるのは酷ということなのか、早めに客電がついて舞台から楽員が退出したが、これだけの熱演に拍手が収まるはずもなく、当然のごとく一般参賀に。コンサートマスターは今月から就任の長原幸太さん。
●ブルヌル、やっぱり変な曲だと思う。ブルックナーは交響曲第2番以降はすべて傑作だと思ってるんだけど、0番はどうしても制作途上の作品だと感じてしまう。0という数字からくる先入観ではないと信じるが……。ちなみにゼロはドイツ語で「ヌル」なんだそうだけど、「ヌル」はデジタル系の用語として日本語に定着しつつあるから、ぜんぜん違う方角からやってきた言葉が思わぬところでばったり出会った、みたいな感あり。
●休憩時、男性側トイレにブルックナー行列ができていた。参加する。ブルックナー開始、ブルックナー休止、ブルックナー・リズムなどと並ぶ、ブルックナーの大きな特徴がこのオッサンだらけの行列である。

October 9, 2014

ピエール=ローラン・エマールのバッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻

●一昨日に続いて紀尾井ホールへ。ピエール=ローラン・エマールによるバッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲。強烈な印象を残す演奏会だった。予想していたより、ずっと自由で、なおかつ気迫のこもった「魂のバッハ」。もちろん、モダンピアノで弾く以上、ダイナミクス等で一定の抑制はあるわけだけど、自分の設定した枠を目いっぱい使って迫真のドラマを描き出したという感。この曲集、演奏会で前から順番に全曲を聴くための作品だとはまったく思えないし、一回の演奏会には少し長すぎるかなと危惧していたんだけど(休憩はあった)、実際に聴いてみると後半に入って残りが一曲少なくなるにしたがって「もう終わるのか」と惜しい気持ちになった。骨太かつ綿密。明晰さを保ったままであれだけ多彩で力強い情感を表出できるとは。長さも厳粛な儀式の雰囲気を作り出すという点で有効に働いていた。
●エマールは知的なピアニストという分類だけど、思えば実演で接したのはみんな「魂のバッハ」「魂のアイヴズ」「魂のラヴェル」だったような気がする。
●この日の夜は皆既月食。満月が地球の影に入る。開演前、多く人がホールの前で夜空を見上げていた。その様子を見て、へー、だれか有名人でもいるの?それともクリスマスツリーでも飾ってあるの?とか思った自分はどうかしている。

October 8, 2014

デスクトップPCのハードディスクをSSDに換装

Crucial MX100 2.5インチ内蔵型SSD●先日、デスクトップPCの不調に対処した際から迷っていたのだが、一念発起して内蔵ハードディスクをSSDに換装することにした。現在使っているマシンはWindows Vista搭載のミニタワー。今年で丸4年目だったかな、基本的には年末に買い替えるつもりだったのだが、次のWindowsが来年後半リリースと聞いて、それまで粘りたくなった。で、延命策として唯一効果的と思われたのが、HDDと比べて圧倒的に読み込み速度のすぐれたSSDの導入。一昔前に比べるとずいぶん安価で性能の高いものが出回っているらしい。評判の良いCrucial MX100を導入することにした。一から環境構築するのは面倒すぎるので、HDDのクローンを作って、置き換える作戦に。
●手順としては、1.取りつけ 2.クローン作成 3.起動ドライブの設定といったイメージ。1.の取り付けが苦手科目なのだが、各種サイトを参考にして、冷や汗をかきながら敢行。SSDは2.5インチ内蔵型なので、これを3.5インチベイに設置するためにマウンタとSATAケーブルも必要になる。マウンタについていたネジがどう考えても合っていなかったのだが、適当なネジを拾ってきて力技で対処。SATAケーブルをマザーボード側に差し込むのに少し苦労した(そしてウギュ!と力を入れて差したらもう抜けなくなってしまったっぽい。まあ、もう永遠に抜かないってことでも困らないと思うけど)。
●SSDを取りつけてからOSを起動して、Windowsの「ディスクの管理」で確かめると、ちゃんと未フォーマットながら認識されている。ここからHDDの中身をまるごとSSDにクローンするわけだが、Crucial MX100にはそのためにAcronis True Imageの使用権が付いていた。当初は同様の機能のフリーソフトを使うつもりだったが、もらえるものはもらっておこうということでAcronis True Imageをダウンロードしてインストール。クローンを作る前にSSDをOS側でフォーマットする必要があるのかどうか迷ったが、フォーマットしなくてもAcronis True Imageのクローン作成で全部できた(こちらを参考に)。何時間もかかるかもと覚悟したものの、あっけなく数十分で完了。
bios setup●で、次にSSDを起動ドライブに設定してやる必要がある。PCのマニュアルには、起動ドライブはSATAポートの0番につなげと書いてある。だとするとHDDとSDDを入れ替えてやる必要があるわけだが、「そんなことしなくてもBIOSの設定だけで大丈夫なのでは?」と期待して、再起動。BIOSセットアップから、起動ドライブをSSDに設定すると、問題なくWindowsが立ち上がってくれた。ほっ。
●OSの起動に関してはSSDの効果は絶大。あっという間に立ち上がる。まさかの高速Vistaの誕生だ。Photoshopなど重いアプリもさくっと起動して、実に快適。ただし、速くなったといってもディスクへのアクセス速度が速くなっただけで、演算能力とか描画速度は一切変わっていないわけで、タスクマネージャーを見るとCPUは青息吐息って感じ。でもとにかく体感的には別世界の快適さが実現したので、これならあと1年半くらいは現役で行けそうな気がする。そして、次にWindows 10マシンを導入する際は、このSSDを再利用すればいいわけだから、手間さえ厭わなければムダにならない。
●ただし、ひとつ予期せぬ落とし穴が。換装後、マシンは快適に動作していたのだが、なぜかWindows Updateが動作しなくなった(Microsoft Security Essentialsの定義ファイルも更新されなくなる)。かなり焦ったが、検索してみると、SSDであれHDDであれ、元のドライブと違うサイズのドライブに換装した際に起きやすいトラブルだと判明。こちらの対処方法に従って、IntelのRapid Strage Technologyをダウンロードしてドライバを更新すると、無事に問題解決した。これはまず自力では解決できないトラブルだったので、ありがたし。
●だれかの役に立つかもしれないので、一通りの手順を記録しておく。
●特にVistaに愛着はない。

October 7, 2014

ピエール=ローラン・エマールの「カーターへのオマージュ」

●6日は紀尾井ホールでピエール=ローラン・エマールの「カーターへのオマージュ」。2012年に103歳で亡くなったアメリカの作曲家エリオット・カーターの作品のみを集めたプログラム。
●前半がチェロ・ソナタ(チェロはヴァレリー・エマール。エマールの妹さんで顔がそっくり)と、短いピアノ曲を並べて「再会」「90+」「カテネール」、後半にヴァイオリンとピアノのためのデュオ(ヴァイオリンはディエゴ・トジ)、トリオのために書かれた「12のエピグラム」(アジア初演)。このなかでは初期の作品である最初のチェロ・ソナタがもっとも明快というか親しみやすい作風。続く「再会」「90+」「カテネール」の流れが唯一エマールのソロを聴けるところで、やはりこれは聴きもの。「カテネール」ではジェットコースター的なスリルを満喫。後半のヴァイオリンとピアノのためのデュオは身振りの小さな作品で、自分にはおもしろさを受けとめられず。「12のエピグラム」はエマールのために書かれた2012年の遺作で、ミニチュア的作品の集積。こちらも静的だが、表現の振幅の大きさと一曲の短さという点では近づきやすく、多彩、しかもアンコールで再度演奏してもらえたのが吉。ウィットがあって、上品。カーターのみのプログラムとあって、さすがに客席は埋まらないが、同じプログラムが前日に青森の六ヶ所村でもあって、そっちはどれくらいのお客さんが来場したんだろうか。明日、8日は同じ紀尾井ホールでエマールのバッハ「平均律」第1巻全曲。こちらも楽しみ。
●技術も突きつめればやさしさになる。エマールから立ち昇る香気の甘さ、素材を選ばない自在さ、いかなるときも型崩れしない高機能性。心が洗われる。繊維の奥から匂いも汗もすっきり。

October 6, 2014

「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」(ジェーン・スー著/幻冬舎)

貴様いつまで女子でいるつもりだ問題●もう書名だけでも読むしかないと思わせる秀逸な一冊。人気ブログが書籍化された、ジェーン・スー(←まるっきり日本人です)の「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」(幻冬舎)。そう、それなんすよ! と思わず膝を連打。最初に目にしたときはいくらかひっかかりを感じた「30代女子」なんて言葉はすでになんの違和感ももたらすことなく、いまや「40代女子」にもまったく抵抗がない(少なくともワタシは)。「還暦女子」もぜんぜんあり。でもさ、どうしてこういうことになったんだっけ? カバー裏に引用された一文がステキすぎる。

理屈より気分を優先する女子メンタリティは、社会的弱者に宿るからこそ輝くもの。社会経験とコズルイ知恵と小金を備えた女たちが「女子! 私たちはずっと女子」と騒ぎだしたら、暴動みたいなものです。

●書名は最初の一章の見出しにすぎないんだけど、ほかの章も傑作。「ていねいな暮らしオブセッション」とか「私はオバさんになったが森高はどうだ」など、見出しも内容も鋭い。一冊のテーマとしては、女子の生き方&働き方なので女性読者が多いと思うけど、男性側から見てもうなずけるところ多数。
●もう一昔前の話だけど、業界のとある大先輩が「元気で仕事ができるのは若い女性ばかり。なんで若い男はみんなダメなの?」と、当時若かった会社員時代のワタシに問いかけてきたことがあった(笑)。「とあるゲームの攻略法」の一章を読むと、その現象を生むメカニズムが見事に解き明かされていて笑うしかない。30代独身女子の無敵っぷりに対して、勤労意欲のあるんだかないんだかわからない男たち。「頼りない男連中にイライラする時間がなくなれば、もっと楽しく生きられるのに……」と感じたっていうんだけど、ホント、これって容易に目に浮かぶ光景なんすよね。それは会社員の世界で男女が違うゲームをプレイしているから、という話なんだけど。

October 3, 2014

休憩なし/休憩あり

●今日と明日のメッツマッハー指揮新日本フィルの公演だが、ツィンマーマンの「静寂と反転」、ベートーヴェンのミサ・ソレムニスを、指揮者の強い希望により途中休憩なしで演奏すると告知されている。「一貫してD音がキーワードになる」両作品ということだが、内容的にはともかく、休憩なしとなると気になるのが遅刻とトイレ。電車は余裕を持つのが吉。仮にツィンマーマンが10分くらい、ベートーヴェンが80分くらいとすると、トイレのほうは大丈夫か。
●一方、10/8のピエール=ロラン・エマールのバッハ/平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲は、当初休憩なしと発表されていたのが、演奏者の強い希望により途中休憩が入ることに。これは大歓迎。全曲通すと2時間程度だろうか。長い。もともと全体を前から順番にひとつながりで聴くための曲という気がしないし、休憩があったほうが聴く側の集中力という点では救いかと。
●逆に休憩なしの利点を挙げるとすると、夜が遅くならなくて済むところか(関連記事:平日夜の19時開演)。

October 2, 2014

メッツマッハー指揮新日本フィルのツィンマーマン&ベートーヴェン

●29日はサントリーホールでインゴ・メッツマッハー指揮新日本フィルへ。前半がベルント・アロイス・ツィンマーマンの「フォトプトシス」と「ユビュ王の晩餐のための音楽」(語り:長谷川孝治)、後半がベートーヴェンの交響曲第7番という魅力的なプログラム。メッツマッハーのツィンマーマン+ベートーヴェンはシリーズ化されていて、7月のツィンマーマン「私は改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た」は大評判になっていた(が、聴けず)。「ユビュ王の晩餐のための音楽」は少し前に同じ新日フィルで大野和士がとりあげているにもかかわらず、今回また演奏されることに。ただし今回は語り入り。「上演される国の政治的、文化的状況について」を語るということで、弘前劇場の長谷川孝治が書き下ろしのテキストを読んだ。
●過去の作品の引用だらけの2曲が並んだが、特に「フォトプトシス」で描かれる精緻な響きの移ろいが見事。「ユビュ王の晩餐のための音楽」は歪んだ笑いにあふれた音楽だと思うが、テキストのほうはややテイストの異なる直接的な批評性を持ったもの。趣旨としてはこれで正しいのかもしれない。ただ、もう一段階抽象化された内容、あるいは寓話風のものを予想していた。
●後半のベートーヴェンは随所に仕掛けが施された新鮮な演奏で、弾性に富んだリズムが作品にいっそうの推進力を与えていた。完成度という点では微妙なところもあったかもしれないんだけど、聴きごたえは十分。ただし、思ったほど客席はわかず。というか、空席が目立った。前回のツィンマーマン+ベートーヴェンではそんなことはなかったそうなんだけど。

October 1, 2014

ナクソス・ミュージック・ライブラリーに旧EMIと旧Virginの音源が追加

●本日からナクソス・ミュージック・ライブラリー(以下NML)に、旧EMIと旧Virginの音源が多数追加されている。本日公開分で500タイトル以上。
●以前にもお伝えしたように、EMI傘下だったParlophoneレーベル・グループは、ワーナーに譲渡されている。Parlophoneの一員だったEMIクラシックスはいったんユニバーサルに渡った後で、すぐにワーナーに移るという仰天の展開があったわけなんだけど、ワーナーに移った時点で旧EMIおよびVirginの音源がNMLに入ることは予想されていたと思う。すでにワーナーはNMLに参加していたので。
●今回のNMLへの追加にあたっては、レーベル名が一工夫されていて、旧EMIの音源は Warner Classics - Parlophone 、旧Virgin Classicsの音源は Erato - Parlophone という名前になっていて、従来からの Warner Classics および Erato と区別がつくようになっている。これは実用的。いずれ、旧ワーナーの録音だろうが旧EMIの録音だろうがそんなことはだれも気にしなくなるのだろうが、今のところは分けてくれないと混乱する。
●いや、どうかな。音楽配信において「レーベル」なんて概念は生きているんだろうか。ジャケットのサムネイルの片隅の小さな場所に見えるか見えないかのマークでしかないわけで。
●ラトルをはじめ旧EMI音源が加わったことで、NMLにおけるメジャーレーベル音源の厚みがぐっと増してきた。今後もどんどんタイトル数が増えることを期待。NMLに入っていないメジャー、ユニバーサルやソニーの音源を聴きたいという方には、ソニーのMusic Unlimitedという選択肢もある。併用するといい感じにカバーできる。

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