●地上がゾンビたちで埋めつくされようとしている今、いったいワタシたちはどこに逃げればいいのか。この不定期連載「ゾンビと私」では、これまでに山、海、荒野等、さまざまな場所に逃れの地の可能性を探ってきたが、これまでの30回にわたる連載で一度も検討してこなかった領域がある。ずばり、宇宙だ。地球外。ゾンビどころか人っ子一人いない、いやそれどころか微生物も細菌もいない、ノーゾンビ、ノーライフな土地。そう、たとえば火星なんてどうだろう?
●そこで両腕に力こぶを作ってオススメしたいのが、アンディ・ウィアー著の「火星の人」である。この小説、一言でいえば火星版ロビンソン・クルーソー。舞台設定はこうだ。NASAによる3度目の有人火星探査が行なわれたが、火星到着後、激しい砂嵐により急遽クルーは火星を離脱することになる。しかし、その一人が不運な事故により、やむをえず火星に残されてしまう。もちろん、人は火星では生きられない。酸素も水も食糧も手に入らない。彼はすぐに死ぬ……と思いきや、そこから驚くべきサバイバルが始まる。
●この小説はSFではあるが、あくまでもリアリズムにのっとって描かれている。火星に残された主人公は、この苛烈な土地で少しでも生き延びようと孤独な戦いに挑む。条件としては、あらかじめ火星に持ち込んだ様々な機材や物資、限られた糧食がある。スペーススーツ、移動用のローバー、酸素供給器、水再生器、動力源の太陽電池パネル。水や酸素は限られた量しかないが、火星の薄い大気のほとんどは二酸化炭素。二酸化炭素は供給できる。酸素は二酸化炭素から得ることができる。あとは水素があれば、酸素を加えて燃やすことができれば水が手に入る。では水素はどうするのか。そして食糧はどうするのか、生産できるのか。さらに奇跡的に食糧を得たとして、生存日数を増やしたところで、それでどうなるというのか。地球との通信手段はどうするのか。仮に救助してもらうにしても何年かかるのか……。
●どう考えても絶望しかないという状況のなかで、主人公の宇宙飛行士は恐るべき知恵と工夫、創意と冷静さによって、ひとつひとつ試練に立ち向かう。これがまあ、あきれるほどおもしろい。発生する問題とそれに対する解答のバリエーションの豊かさ、それに加えてどんな状況でもユーモアの精神を忘れない主人公の人物造形がキモだろうか。
●しかし「火星の人」は不慮の事故によって火星に取り残されたのである。もし、前もって火星で生きるという前提のもと、人間が入植するのであれば、この主人公よりはるかに有利な条件で火星生活をスタートさせることができるはず。エンジョイ、火星ライフ。この物語は最上級のエンタテインメントであると同時に、来たるべきZdayに対するかつてないもっとも射程の長い解決策を示唆している。そういえば、しばらく前に、人類初の火星コロニー建設を計画するプロジェクトとして、火星への片道旅行に各国から応募が殺到したというニュースがあった。なにをバカな、そんなにも危険な、そしてどんなにうまくいったとしても火星で生涯を終えなければいけない夢物語になど、1ミリも現実味を感じない……と思ったものだが、なるほど、彼らは夢を見ているのではなく、違った現実を見ているのかもしれない。地球がヤツらでいっぱいになる現実を。
October 23, 2014
ゾンビとわたし その31:「火星の人」(アンディ・ウィアー著/ハヤカワ文庫SF)
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