●映画館で観るオペラ、METライブビューイングの新シーズンが開幕。今季第1弾はヴェルディの「マクベス」。アンナ・ネトレプコ(マクベス夫人)、ジェリコ・ルチッチ(マクベス)、ルネ・パーペ(バンコー)、ジョセフ・カレーヤ(マクダフ)というキャストで、指揮はファビオ・ルイージ。ネトレプコが圧倒的で、パワフルかつ禍々しい。幕間インタビューでネトレプコが見せた「クレイジーな地のキャラ」が、そのままマクベス夫人のキャラクターにどこかで通じているような。貫禄。そして、頼まなくてもご飯を大盛りにしてくれる食堂のオバチャン感は健在。11月7日(金)まで上映。
●ヴェルディの「マクベス」って、ハイテンションな場面が続いて、山あり山あり、なんすよね。原作の諸要素をオペラの枠内に収めようとして窮屈になったと見るべきなのか、もともとロマンス要素のない話なのでどうしてもこうなると見るべきなのか。しかし、なんといってもこれは「マクベス」。物語が聴衆を引きつける力は尋常じゃない。「女から生まれた者にはマクベスを倒せない」っていうあれはホントに鳥肌モノ。
●ネトレプコの鬼女っぷりが凄絶だからなおさら思うんだけど、この話で権力を渇望しているのはマクベス夫人だけなんすよね。夫をそそのかして王位につかせて、「ハハハ、これが王座だ!」みたいな勝ち誇ったことを歌うけど、王になったのは夫であって、マクベス夫人はどこまで行っても王にはなれない。だって女に生まれてしまったから。夫よりマッチョな女がマクベス夫人。マクベス夫人の男性性に屈して、マクベスは自らの手を汚したともいえる。そしてマクベスを倒すのはマクダフ。ヴェルディのオペラでは途中からいきなり出てきた唐突な役柄にも見えるんだけど、マクダフは帝王切開で生まれているので、女から生まれていない。母性を否定して(おそらく母体を犠牲にして)生まれたマッチョがマクベスを倒す。マクベスは男性性に二度殺されている。
●本来、魔女は3人だし、3人という人数には意味があると思う。でもヴェルディは魔女に合唱をあてたので、このオペラでは集団になる。ポランスキーの映画「マクベス」の3人の魔女のような、外道というか異界の存在という感じではない。ワーグナーのラインの乙女の3人とか、ノルンの3人みたいに3人で歌わせないで、合唱にしたっていうのはなにか明確な理由があったんすかね?
●魔女の予言はマクベスに向かって「お前はいずれ王になる」、バンコーに向かって「お前は王にならないが、子が王になる」。後者の予言の行方については、この物語のなかでは明示的に描かれていない。なので演出上で利用可能な設定になる。このエイドリアン・ノーブルの演出では、最後の場面で、ダンカン王の息子マルコム(原作と違ってもう一人の息子ドナルベインは登場しない、たぶん)が戴冠してハッピーエンドとなったところで、脇にバンコーの息子フリーアンス(ヴェルディのオペラでは名前はなかったかも)がいるのに気づいてギクリとして一歩退く、といった形になっていた。
●日本の魔女は少女になりがちだけど、西洋の魔女はたいてい老婆。
November 4, 2014