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2014年12月アーカイブ

December 31, 2014

よいお年を

●ときどき念のためにメールのスパム箱を除くのだが、この時期になると明らかにスパムメールは減る。これはスパム業者にもクリスマス休暇や正月休みがあるということを反映しているわけで、職場的には案外ブラックではないのかも。
●31日大晦日は新潟のFM PORTへ。ここ数年、恒例となっている年越し番組「GOODBYE2014 HELLO 2015~クラシックの世界へようこそ」(23:00~25:00)に生出演するため。ナビゲーターは松村道子さん。2014年を振り返りつつ、今年は広く「プリンセス」をテーマにリスナーの方からメールを募集。生放送なので、オンエア中に受信したメールに番組内から返事をできるというのがミソ。
●深夜の生放送なので一泊して帰京は元日に。日本海側が荒天となりそうで、新幹線が予定通り動いてくれるかどうかが気がかり。新潟県内の方は電波ラジオまたラジコで、それ以外の全国の方はラジコプレミアムでお聴きになれます。
●今年一年、お世話になりました。三が日は当欄も不定期更新で。よいお年をお迎えください。

December 30, 2014

「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著/文春文庫)

その女アレックス●これはなかなかおもしろそうだと思って買ったものの、しばらく積読状態にしてたら、「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれて書店にドーンと平積みになっていた、「その女アレックス」(ピエール・ルメートル著/文春文庫)。あわてて読む(笑)。フランス産ミステリー。評判通りのおもしろさ。
●若い女性がサイコ野郎に監禁されて、小さな檻に閉じ込められてしまう、男はどうやらとても残忍な方法で女性の命を奪おうとしている……というシチュエーションで物語ははじまるが、ストーリー展開は意外性に満ち、なんども予想を裏切る。で、筋立てはかなり緻密に作られていてそれだけで十分に楽しめるものなんだけど、むしろ警察官たちの人物造形など、サスペンス以外の部分に味わい深さを感じる。特に、主役となる警部が極端な小男と設定されているのがすごい。辣腕捜査官として、こんなにふさわしくない特質があるだろうか。でも、この不器用で頑固な男が実にいいんだ。共感を呼ぶ。
●作者は作品中でいくつかシンメトリックな構図を描いていて、たとえば警官側の4人のチームは、小男の警部に巨漢の上司がいて、部下には金持ちのイケメンと冴えないしみったれがいる。こういった設定も効いている。
こちら葛飾区亀有公園前派出所●しかし資産家のボンボンみたいな金持ち警官ってどうなのよ……と思ったが、はっと気づいた。それって「こち亀」の中川じゃん! ってことはこの小男の警部は「両さん」じゃないの。そう思ったら、もうどうやってもこの登場人物が両さんと中川にしか思えなくなる。いくら事件はパリで起きてるんだって自分に言い聞かせても、頭のなかには勝手に葛飾区亀有公園前派出所が浮かんでくる。実はピエール・ルメートルは「こち亀」の愛読者なんじゃないの?

December 29, 2014

ロト&N響の「第九」

●今年の聴き納めはベートーヴェン「第九」。27日、サントリーホールでフランソワ・グザヴィエ・ロト指揮N響。今にして思うと、2007年と08年のLFJでロト指揮レ・シエクルが早くも来日していた(でも早すぎたのかもうひとつ話題を呼びきれなかった)ということがスゴい。あの時点で、数年したらロトがN響の「第九」を振るという未来を思い描いていた人はまずいなかったんじゃないだろか。ていうか、今年はロト&レ・シエクルでレコード・アカデミー賞大賞っすよ!
●この日は「第九」の前にオルガン独奏で4曲。勝山雅世さんの独奏で、ラングレの「中世組曲」から前奏曲、バッハの小フーガ ト短調、コラール前奏曲「恵み深いイエスよ、われらはここに集まり」、ヴィドールの「オルガンのための交響曲」第6番より終曲。一見ばらばらの盛り合わせみたいに見えて、うっすらと4楽章構成が透けて見えるというか、これってミニ「第九」なんじゃないかと思う。
●で、ロトの「第九」、どこまで流儀を通すかと思ったら期待以上で、弦のノン・ヴィブラート、フレージングやダイナミクスへのこだわり、快速テンポなどロトの「第九」になっていた。ノリントンと多数共演してきたN響だからこそという背景はあるんだろうけど、アプローチは近くても、音楽の性格はノリントンとはまるで別物。インスピレーションの豊かさで聴かせるのではなく、造形さえきちんと仕上げればあとはおのずと作品が語ってくれるとでもいうかのよう。熱血「第九」を期待している向きには肩透かしだったかも。でも、客席の反応は悪くない。満喫。勇者ロトの伝説。ぼうけんのしょにきろくする。
●できればロトは定期公演で聴きたい気も。と思ったら、来年の6、7月に読響のほうに出演するのだった。ベルリオーズ「幻想交響曲」、ハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」等。

December 26, 2014

ヒーロー・インタビュー

キャプテン●「あざーっす。危ない場面もありましたけど、みなさんの応援のおかげで勝利を収めることができて、ほっとしてます。(戦いを振り返ってみて?)そうですねえ、序盤は五分五分の戦いだったと思います。向こうも齧歯類だけにチームとして組織力がありましたし、やはり簡単には勝たせてくれませんね。(キャプテン対決について?)やはり最後はそうなりますよね。向こうの大ボスは正直手強かったです。あの流れでいけば、こちらが負けていてもおかしくなかったんですが、結局勝敗を分けたのはスリッパですよね。助っ人の力で勝たせてもらいました。後で、うまい菓子でもごちそうしておきます。今日はありがとうございました。来年もまたがんばります!」

December 25, 2014

ユジャ・ワンを語らない

●こちらも日が経ってしまったけど、17日はサントリーホールでデュトワ&N響。ソリストはユジャ・ワン。前半にドビュッシー~ラヴェル編曲の「ピアノのために」から「サラバンド」、「舞曲」、ファリャの交響的印象「スペインの庭の夜」、後半にラヴェルのピアノ協奏曲、ストラヴィンスキーの「火の鳥」組曲(1919年版)。ユジャ・ワンがファリャとラヴェルの2曲を弾いてくれるのがうれしい。なんと、お色直しがあった(笑)。めったにないケースだけど、前後半でソリストに出番があると、そういうことが可能になるのかっ!
●しかし衣裳について説明しようとすると、表現のために必要なボキャブラリーがまったくなくて、手も足も出ないんだなこれが。前半は明るいグリーン、後半はブルー系。タイトミニは封印されていたけど、なんか背中ドバッみたいな感じでハッスルしてました(←投げやりすぎる)。トレードマークの左右非対称お辞儀は健在。しかもお辞儀の後にサクッと袖に引っこむんすよね。うーん、カッコいい。
●と、ピアニストなのに、延々衣裳等の周辺的な話をしてしまわなきゃならないというこの現象。これってアーティスト側の強い批評性を感じる。たとえば美人ヴァイオリニストがベルクの協奏曲で渾身の演奏を聴かせた後の休憩で素敵な感じのご婦人方が「あのドレス、本当にきれいだったわねえ」とため息交じりで語りあうような光景が一般にどこにでもあると思うんだけど、それを一段メタレベルに引き上げて、「決して語られることのない音楽を雄弁に奏でる」という逆説に満ちたポストモダンなアーティスト像を彼女は打ち建てようとしている。わけない?
●でもユジャ・ワンの衣裳と開演前のポゴレリッチのニット帽は、一見逆向きのベクトルながらどこかで通じているんじゃないかなあ。
●ユジャ・ワンが今のユジャ・ワンになる前の映像とか写真を見たことがある人ならわかってもらえると思うんだけど、あの外見的には目立たなくてどこか不安そうな顔つきの少女が、スーパースターのユジャ・ワンに変身したのだと思うと、もう応援したくてしょうがなくなる。「あのユジャ子が本当に立派になって……」みたいな仮想親戚的ポジションというか。

December 24, 2014

ポゴレリッチのリサイタル

●遡って14日はサントリーホールでイーヴォ・ポゴレリッチのリサイタルへ。なんだか自分のなかでうまく咀嚼できないまますっかり日が経ってしまった。前回以上に強烈な印象が残ったことはたしか。今回も開演前からニット帽をかぶってステージ上で気ままにピアノを弾いている、ときおり客席に視線をやってこちらを注意深く観察しながら。ポゴレリッチのリサイタルでは、開演前はピアニストがこちらを見るのだ。そして見られている客席の側は、普段の公演と何もかわらない様子で、「ポゴレリッチに見られている自分」をことさらに意識しない。
●今回もピアニストは祭司のようだった。かたわらに譜めくりのお兄さんが影のように寄り添うのも同じ。典礼がはじまる。前半はリストの巡礼の年第2年「イタリア」から「ダンテを読んで」、シューマンの幻想曲ハ長調。東京公演はアジアツアーのなかの一公演で、直前に上海で同じプログラムが披露されている。上海では極端な遅いテンポはほとんどなかったということなんだけど、幻想曲は聴いたこともないような遅いテンポの両端楽章と、猛烈なダイナミズムで演奏されていた。時間軸方向に迷子になるエクストリーム・シューマン。後半のストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」からの3楽章もやはりテンポが独特で、まったく聴いたことのない作品を聴いたかのよう。最後はブラームスのパガニーニの主題による変奏曲。こんな重量級のプログラムが実現するのもスゴいし、強靭なタッチは最後まで陰りも見せない。ピアノから出てくる音そのものからして苛烈かつブリリアントという非凡さ。
●弾いた後の楽譜をバサッと音を立てて無造作に床に放ったり、最後の曲を終えた後にもう弾くものはないといわんばかりに足で椅子をピアノの下に押しこんだりというふるまいは、ピアニストとしても祭司としても異様。
●好きかといわれたら、答えに窮する。でもまた聴きたいかといわれたら、聴きたいと即答できる。仮にまったく同じプログラムだとしても聴きたい。テンポだけに特徴があるわけではないのでそこを強調するつもりはないんだけど、でもあの(音楽の流れというよりは)時間の流れが引き延ばされてゆく眩暈の感覚というのは、まず彼の公演でしか体験できないものだから。

December 22, 2014

クソゲーの墓

●最近、心の琴線に触れたニュースといえば、「砂漠から発掘された伝説のクソゲー、スミソニアン博物館に収められる」。ニューメキシコ州の砂漠の埋め立て地に大量廃棄されたとウワサされていた米Atariの伝説のクソゲー「E.T.」が発掘され、これがスミソニアン博物館に収蔵されることになった。アタリショックの原因となりゲーム業界に暗黒時代をもたらしたともいわれるクソゲーだけに、その歴史的価値は高いと見なされたのだ。
超クソゲー1+2●家庭用ゲーム機の世界のスゴかったところは、新発売される商品のかなりの割合がクソゲーで(私見)、しかもそんなクソゲーが何万本単位で製造されてフツーに世に流通していたことだと思う。慎重にクソゲーの地雷原をくぐり抜けたところにあるわずかなゲームだけが傑作。残ってる曲は名作ばかりみたいなクラシック音楽の世界とは正反対の、なにひとつ淘汰されていないし、ほとんどは誕生する前から淘汰されてるも同然の現在進行形すぎる世界。名著「超クソゲー1+2」がKindle化されていたので久々に目を通して改めて感慨にふける。縦スクロールしかできないRPGとかなにそれ。洋ゲーについての「紙よりも 薄い人命 海外ゲーム」とか「誤差で生き 誤差で死にゆく 海外ゲーム」(←五七調)とか至言。
●今みたいにamazonのレビューとかがあったら、あんなワイルドなクソゲー文化は花開かなかったかも。

December 19, 2014

「通訳日記」(矢野大輔著/文藝春秋)

通訳日記●ニッポン代表について書かれたもので、これ以上おもしろい本というのが想像つかない。ザッケローニの通訳を務めた矢野大輔著「通訳日記 ザックジャパン1397日の記録」(文藝春秋)。常にザッケローニの身近にいて、その「声」となった(ときにはそれ以上の存在となった)著者が4年間にわたって見聞きしたものが日記として公開されている。選手となる夢を抱いて15歳でイタリアに渡ったという著者のスタンスはきわめて誠実で、露悪的なところも一切なければ、実態以上に賛美しようという姿勢もまったくない。ザッケローニがいかに人として魅力的で、なおかつ秀逸な指導者だったか、そして本田や長谷部をはじめとする中心選手たちがどれほど人間的に成熟しているかがよく伝わってくる。
●一読して感じたのは、ワタシらがメディアを通して知った代表と、この本で描かれる代表に、驚くほど差がないなということ。ザックがずっと3-4-3にこだわって、結局ものにできなかったのもその通りだし、ザックが日本での仕事に限りなく喜びを感じていたこともそうだし、外から見て「あの時期の代表はよかった」「あの時期は調子を落としていた」というのも内側から見てもその通りだったことがわかる。ザッケローニ・ジャパンって、スタートからずっと完璧な物語が進んでいって、最後の最後だけがバッドエンドだったんすよね。高い志を持ち、ロジカルに最善手を打ち続けたけど、肝心のところで主力選手たちが怪我や所属クラブでの出場機会の喪失によってコンディションを落とし、アンチクライマックスを迎えたんだなと思う。
●少し認識を改めた部分もある。ザック・ジャパンには「ポゼッション重視のつないで攻めるサッカー」という印象があって、たしかに試合の主導権を握ることにはこだわり続けたけど、後半はいくらかダイレクト・フットボール寄りの要素が強調されていたようでもある。たとえば、ある頃から言われるようになった「インテンシティ」。選手とのミーティングでその言葉がずばりと定義されている場面がある。

 このチームが目指すところは、スピードに乗った状態で、ハイテンポのリズムで、精度の高いプレーを展開すること。具体的には、攻撃の時にはオフザボールの動きを繰り返して前線を活性化させる。守備ではアグレッシブに行き、相手をはめ込む動きをする。これらをインテンシティと定義する。(p.136)

●あと、ザック・ジャパンの選手たちは固定化されていたようでいて、実はそうでもない。選手たちへの監督の評価はすごく高い。でもその高さにこたえてどんどん成長していった選手たちと、そうではなかった選手たちとの明暗がくっきりわかれている。一時の柏木とか家長に対する期待はすごい。家長に向かって「マジョルカ程度のチームで試合に出たり出なかったりする姿は見たくない。覚悟があればレアル・マドリーでもやれる」とか語っている。
●本田とザッケローニの間にあった結びつきも印象的。成長するためになにが必要か、本田は監督に話を聞きにいく。監督はアドバイスをしたうえで「将来、ビッグクラブに行きたいだろう? ビッグクラブでプレーするにはなによりパーソナリティが必要だ。それを君は持っているのだから」と励ます。本田は「こんなアドバイスをくれたり、叱ってくれるのは父親か監督しかいない」と感謝して、大喜びする。まさにその時点での本田の願いがミランで現実化しているのが今シーズン。
●ちなみにザッケローニのいうパーソナリティとは、「外的要因に左右されず、自分のやるべきこと、判断がブレずに、いつも通りのパフォーマンスができること」。それなのだよなあ、だれもが欲しているのは。なんだってそうだけど。

December 18, 2014

週末はデュトワ&N響からノット&東響へ

●少し日が経ったけど、先週末はすさまじいコンサート・ラッシュだった。13日はTwitterを見ていても、昼の公演と夜の公演をハシゴする人がたくさん。ハシゴのコースは人それぞれだったけど、目立ったのはオペラシティのヤルヴィ&ドイツカンマーフィル(15時開演)→サントリーホールのノット&東響(18時開演)コース。そのコースって、前者のアンコール等の時間も考えると、少し厳しいんじゃないかなと思ってたが、ちゃんと間に合ってたっぽい。
●で、自分はこの日はまずNHKホールでデュトワ&N響へ。武満徹「弦楽のためのレクイエム」、アラベラ・美歩・シュタインバッハーのソロでベルクのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」という、追悼から新天地へ至るプロ。滑らかで自然体なのがベルク、見知らぬ光景を見せてくれたのがドヴォルザーク。土臭さを感じさせない精妙で鮮麗な「新世界」へ。
●夜はジョナサン・ノット&東響へ。ワーグナーの「ジークフリート牧歌」とブルックナーの交響曲第3番「ワーグナー」第1稿というワーグナーつながりプロ。一曲目の「ジークフリート牧歌」から思いのほか豊潤な響きが聞こえてくる。ブルックナーの第3番は油断していたらよもやの初稿。なんというゴツゴツした手触りなの。粗削りで、制作途上の作品を聴いているという感覚がどうしてもぬぐえず。でも野心的でおもしろい。スケルツォなんて、どうしてこんなヘンテコなリズムなのかと思うけど、これを聴いた後で最終稿を聴いたらずいぶん物足りなく感じるにちがいない。強奏時にも十分重量感があって、しかも響きに柔らかさが感じられるブルックナーを満喫。
●ブルックナーの異稿を楽章よりさらに細かい単位でモジュール化して録音しておいて、「手軽に作れるマイ異稿」みたいなサービスがどこかにあるんじゃないかと夢想してみる。

December 17, 2014

新日本フィルの次期音楽監督に上岡敏之

新日本フィルの次期音楽監督に上岡敏之
●16日は東武ホテルレバント東京で新日本フィルの次期音楽監督発表記者会見。次期音楽監督がだれになるかというのは、会場に足を踏み入れた時点で登壇者のネームプレートを見てわかった。でも事前に予想していた方も少なくなかったのでは。少し前に、HMVの記事などで、上岡さんがヴッパータール市の音楽総監督およびオペラ・インテンダントのポストを2015/16年で早期退任すること、その際に日本でオーケストラのポストに着く考えがあることが伝えられていた。その直後、新日フィル次期音楽監督発表記者会見のお知らせを受け取ったので、「ということは?」。12月24日にソロ・コンサートマスター崔文洙&上岡敏之(ピアノ)デュオ・リサイタルが予定されているのも目をひいた。
●音楽監督就任は少し先で2016年9月から。また、2015年4月よりアーティスティック・アドバイザーに就任する。宮内義彦理事長は「アルミンクの退任後、音楽監督を探してきたが、次期監督の選定にあたっていちばん最初に名前が挙がったのが上岡さん。当初はドイツでのヴッパータールとの契約からとても無理ではないかと思ったが、こうして実現にいたって喜んでいる」。
●檀上は終始和やかでリラックスした雰囲気。「新日本フィルをはじめて指揮したとき、最初のリハーサルからとても準備されていて、日本にこんなオーケストラがあるんだと驚いた。僕にとっては日本のオーケストラで初めてのポスト。もうドイツのほうが長く、ドイツでの大学のポストもあるから帰国して日本に住むかどうかはわからないけど、とても光栄に思っている。いい方向に進んでいけたらと思う」「人に感動を与えられるオーケストラ、一音を聴いただけで新日本フィルとわかるオーケストラにしたい」(上岡さん、写真右)。「初共演の印象がすごく強くて、なんて引き出しの多い指揮者なんだろうと思った。言葉でいちいち説明しなくても理解しあえる、同じ方向性を共有していると感じた。こういう経験はめったにないこと」(崔さん、写真左)
●少し先の話だが、上岡さんは音楽監督就任に先立って、2016年3月16日のサントリーホール定期を指揮する。曲目は未定。
●今回の会見はUstreamで生中継されたが、反響はどうだったんだろうか。

December 16, 2014

アジアカップに臨むアギーレ・ジャパンのメンバー23人が決定したが

●アジアでもっとも大切な大会の代表メンバーが発表されたその日、リーガ・エスパニョーラの八百長疑惑についてスペイン検察庁がアギーレ監督らを告発した。疑惑の対象となっているのは2011年最終節のレバンテ対サラゴサ戦。当時、アギーレはサラゴサの監督で、あくまで報道によればだが、試合開始前にサラゴサ会長からボーナス名目でアギーレや選手の銀行口座に多額の振り込みがあり、それが現金でいったん会長に回収され、レバンテ側に渡されたという疑い。
●不自然なお金の動き自体があったことは確かなようで、当時サラゴサに所属していたガビは、8万5千ユーロほどの金額を振りこまれたことを検察に証言しているという。ただし、ガビは金をすぐに会長に返し、それがどうなったかは知らないとしている。選手たちに振り込まれた額は総額100万ユーロ以上だとか。妙なお金の動きはあったが、では果たして八百長があったのかどうかはこれから解明されることであって、アギーレは疑惑を否定している、というのが今の状況。
●で、代表入りした23名のリストだ。GK:川島(スタンダール・リエージュ)、東口(G大阪)、西川(浦和)、DF:長友(インテルミラノ)、森重(東京)、太田(東京)、内田(シャルケ)、吉田(サウサンプトン)、塩谷(広島)、酒井高徳(シュトゥットガルト)、昌子(鹿島)、MF:遠藤(G大阪)、今野(G大阪)、長谷部(フランクフルト)、香川(ドルトムント)、清武(ハノーファー)、柴崎(鹿島)、FW:豊田(鳥栖)、岡崎(マインツ)、本田(ACミラン)、小林悠(川崎)、乾(フランクフルト)、武藤(東京)。
●なんというか、ぐるっとあちこち一巡りして元に戻ってきた感、満載。結局、ザッケローニ時代からの長谷部、遠藤、本田が中心選手になるんだろうか。当初、アギーレ色を感じさせた中盤の細貝や田中順也といったハードワーカーは呼ばれず。一方、一度も呼ばれてない清武が復活した。柴崎や武藤はたしかに新戦力だけど、ザッケローニがそのまま留任していたとしても呼ばれる名前のような気も。最初の1試合ではっきり打ち出されたアギーレ色が、どんどん薄まって、最終的にはサッカー協会が選んだみたいなリストになってしまった。ていうか、ホントに協会が選んでるんじゃないのかって思うほど、前体制から継続性がある。
●しかし、「この監督、もしかして逮捕されるかもなあ……」と疑いながら選手たちはアジア・カップを戦うんだろうか。ザッケローニ時代の超ポジティヴで意識高い系の一体感とうってかわって、代表チームにダークな雰囲気が漂いはじめた。まあ、どす黒いイメージの代表チームってのもたまにはいいかな……って、いくないよっ!

December 15, 2014

R・シュトラウス「イノック・アーデン」

●「逆第九現象」(仮説)のおかげで猛烈なコンサートラッシュとなったこの週末。駆け込み的にたくさん見聞きしたが、ひとつ印象が鮮烈な内に。14日、汐留ホールでリヒャルト・シュトラウスの「イノック・アーデン」を聴いた。ピアノは鈴村真貴子、朗読は山下淳。アルフレッド・テニスンの詩「イノック・アーデン」の訳詩朗読に、シュトラウスの音楽が添えられるというメロドラマ・スタイルの作品。
シュトラウス●「イノック・アーデン」といえば、かつてグレン・グールドが録音してくれたおかげで知った作品。作曲は1897年。すでに大半の交響詩を書いた後、オペラ作曲家になる前の時代の作品ということになる。上演時間は訳詩や朗読次第ではあるんだけど、今回は正味95分程度、プラス間に15分の休憩。実は長い(グールドの録音よりずっと)。そして、ピアノが演奏している時間はかなり少なく、あくまでも朗読が柱になっている。物語が大きく展開する場面に音楽が添えられて盛り上げるというよりは、物語が大きく展開した後の心情のほうがピアノで掬い取られている感。これは当然といえば当然で、なにせ朗読であって歌唱ではないので、言葉と音楽を同時に強奏させるのは基本的に困難なので。
●テニスンの「イノック・アーデン」には、すごーくイヤな部分が2つある。1つは親子が離れ離れになる話であること、2つは赤ん坊が死ぬこと。でも、とてもよくできている。あらすじだけ紹介しておくと、登場人物は幼なじみの3人。船頭の息子で腕っぷしの強いイノック・アーデンと、粉屋の息子で気のやさしいフィリップ・レイ、そしてヒロインとなるアニー・リー。3人は仲良く子供時代を過ごし、やがて成長するとともに男子二人がアニーに恋するという、あだち充的な三角関係が発生する。アニーは二人の男子に複雑な気持ちを抱く。そして、もちろん、強い男イノックがアニーと結婚する。おとなしいフィリップは悲嘆に暮れる。
●イノックは船乗りになって懸命に働き、アニーとの間に子供たちを儲け、幸せな家庭を築く。ところがイノックがはるか遠い異国への船旅に出たところ、嵐に巻き込まれて船は難破し、イノックは漂流生活を送ることになる。夫からの便りもなく、アニーは寂しさと貧しさに耐える日々を送るが、そこに今や裕福な粉屋となったフィリップが救いの手を差し伸べる。フィリップはアニーの子の学費を賄い、実子同然に面倒を見る。だが、アニーとの間には一線を画して、イノックの帰りを待つ。
●そして10年の月日が流れた。子どもたちは育ち、フィリップはアニーに求婚する。ためらった末にアニーはフィリップを受け入れ、やがてフィリップとの間にも子供が生まれる。そこに、長い長い漂流の末に別人のように衰えたイノックが町に帰ってくる。腰は曲り、背も低くなり、だれも彼がイノックとはわからない。イノックはそっとアニーとフィリップの一家の幸せな様子を目にして、このまま気づかれないように身を引こうと決意する。体が弱り死を間近に迎えたイノックは、宿屋の女将にだけ自分の正体を明かし、自分の死後にアニーとフィリップ、子供たちに祝福の言葉とイノックはもうこの世にいないことを伝えてほしいと懇願し、息絶える。
●この話は一見、強い男イノックと控えめなフィリップの二人によるくっきりしたコントラストを描いている。しかし最後にひっかかりを残すのはイノックのふるまいだろう。イノックは自らの運命を受け入れて英雄的な行為に及ぶ。が、宿屋の女将の「イノックがもうこの世にいないことを知ればアニーはほっとするだろう」という言葉を聞いて、最後に自分の正体を明かしてしまうのはどうだろうか。イノックの死後、彼が町に帰ってきたことを知ったアニーやフィリップは、その事実のとてつもない重さに耐えて生きなければならない。そこで気づくのは、実のところ、強い男はフィリップのほうであって、イノックは弱い男だったんじゃないかということ。イノックは天運に身を任せるような生き方をして、その結果として過酷な道を歩んだ。一方、フィリップは自らの選択によって、アニーとイノックの子を育て、10年間を待った。子供たちは育つとともに、その姿に恋敵の面影を宿すようになったにちがいない。イノックの強靭な肉体はやがて朽ち果てたが、フィリップの不屈の意志は年月を経ても衰えない。
●もうひとつ、この話がシンボリックに描いているのは、マチズモの終焉だろう。イノックからフィリップへ。荒っぽい船乗りの時代から、粉屋の商人の時代へ。世紀の変わり目を迎えつつあったシュトラウスはこの物語のどんなところに共感を寄せたのだろうか。
●朗読者とピアノの二人で上演可能なこともあってか、この作品の上演機会は案外少なくない。でもワタシは今回が初めて。実演に接すると朗読パートはかなり持続力が必要なことがわかる。この物語、あまりにエモーショナルに演じられるとしんどいなと心配していたんだけど、山下淳さんの朗読も鈴村真貴子さんのピアノも節度と情感のバランスが絶妙だった。音楽はまぎれもなくシュトラウス。冒頭ピアノの悲劇的な予感を漂わせる「波」に、一瞬ブリテンの「ピーター・グライムズ」を連想する。
●ところで「イノック・アーデン」の物語のと同じ骨格を持った話はいくつもある。映画「シェルブールの雨傘」? いや、ワタシがまっさきに思い出したのはアメリカの人気ゾンビ・テレビドラマ・シリーズ「ウォーキング・デッド」。シリーズ1はまさにこの通りの話になっている。「イノック・アーデン」のなかで、故郷に帰ってきたイノックが「死んだ人間が生きて帰ってきた」と自分を表現する場面があるが、「ウォーキング・デッド」の脚本家はこれを読んで、テニスンの物語が未来のゾンビ禍を射程に収めていることに気づいたはずである。

December 12, 2014

パーヴォ・ヤルヴィ&ドイツカンマーフィルの「ブラームス・シンフォニック・クロノロジー」

●毎年12月上旬はものすごくコンサートが立てこむような気がする。そして下旬はぐっと落ち着く。心のなかでこれを「逆第九現象」(仮説)と名付けている。
●で、12月の目玉公演、東京オペラシティでのパーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツカンマーフィルの「ブラームス・シンフォニック・クロノロジー」。4公演にわたってブラームスの交響曲4曲+協奏曲4曲他を一挙に演奏。その初日(10日)と二日目(11日)へ。初日はピアノ協奏曲第1番(ラルス・フォークト)、交響曲第1番、二日目は「ハイドンの主題による変奏曲」、ヴァイオリン協奏曲(クリスティアン・テツラフ)、交響曲第2番。いずれも刺激的で鮮度の非常に高いブラームスだったが、特にインパクトがあったのは交響曲第1番。クリシェを排して再構築したら、生き生きとして、楽しげなブラームス像が浮かび上がってきたというか。極限まで精妙さや均質さを追求して響きの芸術を作りあげるスーパー・オーケストラたちとは、まったく逆の方向性で突きつめられたアンサンブルで、才気煥発とした個々のプレーヤーの集合体としての室内オーケストラという印象。あとテツラフの暴れっぷりが強烈。潤いレスで、切迫感あふれる崖っぷちのブラームス。
●両日ともアンコール2曲、一般参賀あり。会場の反応も鋭敏。中一日の休みを置いて、土日に後半が続くんだけど、ワタシは都合によりこの二日間のみ。大長編を前編だけで止めてしまうような悔しさもあるが、それでも十分にエキサイティングな体験だった。あとは、任せた……ぐふっ。

December 12, 2014

大野和士&都響のバルトークとフランツ・シュミット

●8日は大野和士&東京都交響楽団を聴きに久しぶりの東京文化会館へ。約半年間休館していた文化会館だが、大ホールは12月3日から再開。リニューアル後初めて足を運んだ。これってなにを改修していたんだっけ?と思い、文化会館のサイトを見てみると「大小ホール・ホワイエの天井その他建築改修」「舞台照明・音響・装置の更新・改修」「空調・給排水・電気設備等の更新・改修」が主な内容なんだとか。
●プログラムは前半にバルトークの「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」、後半にフランツ・シュミットの交響曲第4番という、1930年代プロ。貴重。バルトークの弦楽器を二群に分ける空間的な音響効果というのは、客席がある程度舞台から離れると水平角もあんまりなくなるし、直接音はそんなに届いてないだろうから効果はかなり限定的なんじゃないかという気もするけど(むしろチェロが後列に置かれることのほうが響きの違いを生んでるような?)、それでも作品が持つ力は絶大。ビバ、モダン。終楽章はスリリングで、熱っぽい迫真のバルトーク。
●バルトークから一転して、フランツ・シュミットの交響曲第4番は濃厚なロマンティシズムが横溢する作品。トランペットのソロで始まり、トランペットのソロで終わる。哀悼とノスタルジーの音楽で、情感豊か。作品世界に没頭できるか、たじろいで一歩退くのかという試金石を持たされた気分に。
トヨタAQUAのCMに登場する「ドラゴンクエストIII」の「冒険の旅」は、都響の演奏なんだそうです。一眠りしてヒットポイントもマジックポイントも全開する憧れの世界。DQ3はメインテーマも名曲。

December 10, 2014

東京交響楽団2015年度シーズン記者会見~ジョナサン・ノット、Season 2を語る

東京交響楽団記者会見 ジョナサン・ノット
●8日昼はミューザ川崎のホワイエで東京交響楽団2015年度シーズン記者会見。前日にマーラー「千人の交響曲」公演を終えたジョナサン・ノットが登壇。最初に大野順二楽団長の挨拶があった。「(昨日の公演を成功裏に終えて)今とても幸せな日々を過ごしている。楽員一同、音楽監督が来る前はそわそわする」と、ノットへの期待と共感が語られた。
●就任会見でも感じたことだけど、ノットの話は明快で、型にはまっていない。自分と楽団との旅の現在地点をまず語ることから始めたいとして、まずは前日の「千人の交響曲」のリハーサルについてから。「オーケストラの音楽作りには感銘を受けた。日本人音楽家たちの典型的な良さがあらわれていて、技術的に高く、だれもがリハーサルに集中して臨み、自分の要求にもすぐにこたえてくれる。次のリハーサルになっても、前回での指示をしっかりと覚えていてくれる。これらはヨーロッパの楽団にはない美質。そしてこのオーケストラでもっともすばらしいと感じたのは、感情的な表現についての成長ぶり。ひとつひとつの公演に情熱を持って取り組みたいし、コンサートは決して昨日のリハーサルの繰り返しであってはならない」「ゲネプロの前のリハーサルは技術的な精度も高く、音程も正確で、本当に音がそろっていた。しかし私にとっては、安全すぎる演奏でもあった。感情を伝えるより、音をそろえることが優先されていた。そこでゲネプロではいろいろなことを試してみた。するとオーケストラはばらばらになる。でもそこに生まれる強さ(インテンシティ)や集中度にこそ、まさに音楽がある」。
●「千人の交響曲」の公演を大成功だったと振り返りつつ、さらなる成長を続けるためのレパートリーを選んだとして、来季のラインナップが紹介された。年間パンフレット(PDF)にあるように、ノットは来年6月にR・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」+ブルックナーの交響曲第7番、7月にベートーヴェンの交響曲第5番他、9月にマーラーの交響曲第3番、11月にリゲティの「ポエム・サンフォニック」+ショスタコーヴィチの交響曲第15番他等を指揮。レパートリーの幅広さが反映されたプログラムで、それぞれにテーマ性なり意図なりが込められているが、全体としては「生と死」というテーマでゆるやかにくくられている。
●ノットが来季特に求めていきたいとして挙げたのは、ソノリティ(響き)、そしてヴィルトゥオジティ。ソノリティについてのひとつの例として、たとえば同種の管楽器間でのバランスについて、「1番奏者は大きく、2番奏者は少し小さく、3番奏者はもっと小さく演奏するという伝統的なヒエラルキーが順守されているけれど、その逆を求めた。すると演奏そのものががらりと変わった」という話が紹介されていた。
●ノットの会見って、中身の濃い「プレゼン」っていう感じがして、出席するかいがある。今にもパワポのスライドが出てきそうな勢いで。出てこないけど。

December 9, 2014

デュトワ&N響でドビュッシー「ペレアスとメリザンド」

●7日はNHKホールでデュトワ&N響によるドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」。歌手陣、オーケストラともに高水準の演奏で、得難い体験になった。音楽と言葉の結びつきが強い(らしい)うえに、数カ所を除いて延々とpとppの音楽が続くような作品とあって、録音ではなかなか聴き通せないんだけど、こうしてクォリティの高い実演に接すると作品に対するイメージがぐっと鮮やかになる。歌手陣はペレアスにステファーヌ・デグー、メリザンドにカレン・ヴルチ、ゴローにヴァンサン・ル・テクシエ、ジュヌヴィエーヴにナタリー・シュトゥッツマン、アルケルにフランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ他。万全。3幕の後に30分の休憩を入れて計3時間20分ほど。
ドビュッシー●作品について改めて感じるのは、これがドビュッシーによる「トリスタンとイゾルデ」であること。トリスタン、イゾルデ、マルケ王の三角関係は、ペレアス、メリザンド、ゴローの三者に移植される。第2幕第2場の間奏曲は、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」第3幕の前奏曲を思い出させずにはおかない。闇と官能の音楽。その後に続く洞窟の場面では、ドビュッシー自身の交響詩「海」がこだましている。
●登場人物ではゴローの苦悩に焦点を当てて見た。ペレアスとメリザンドは記号だけど、ゴローは実在。「フィガロの結婚」においてフィガロとスザンナがファンタジーで、アルマヴィーヴァ伯爵が現実であるように。
●メリザンドはウツボカズラみたいな女で、男を絡め取るためのワナを張って生きている。不幸になりたい女、不幸にしか生を感じられない女。割と世間でよくいるタイプかも(?)。そして、すぐになんでも失くす。君、水難の相が出ておるね。泉で冠を失くし、指輪をなくし、しまいに恋人を失くす。それも失くすべくして失くしている。不幸にしか生を感じられない女だから、わざと崖っぷちに立ってしまう。メリザンドの出自は最後まで語られないが、彼女はセイレーンの別形態というべきだろうか。ドヴォルザークの「ルサルカ」なんかと同系統のオペラともいえる。

December 8, 2014

週末フットボール通信~Jリーグ2014シーズン最終節

サッカー場●週末のJリーグは今季最終節。J1はまたしても最終節までもつれにもつれ、ガンバ大阪、浦和、鹿島まで優勝の可能性がある状態に。NHKが地上波で徳島vsガンバ大阪、BSの101で浦和vs名古屋、102で鹿島vs鳥栖を生中継してくれた。結果だけをいえば、優勝の可能性のある3チームすべてが勝てなかった! 浦和と鹿島が敗れた。ガンバ大阪は最下位の徳島に0対0で引き分けて、優勝を決めた。すべてのチャンネルから「ああ、オレたち勝てなかったんだあ……」という嘆きの声が聞こえてくるような異様な事態になっていたが、どういう展開になろうとも、どこかひとつは必ず優勝するんである(そりゃそうだ)。
●優勝をかけた上位チームと、大きな目標を失ってしまったチームが戦っても、簡単に予想通りの結果にならないのが今のJリーグ。ガンバの選手たちは、浦和戦の途中結果を知っていたのだろうか。名古屋は後半44分に浦和を逆転した。途中までガンバの選手たちは「絶対に勝たなければ」と焦って攻めていたはずだが、最後の最後には「リスクを取らずに、0対0で終わらせよう」のゲームに変質していたわけだ。これぞ最終節の醍醐味。それにしてもJ2から昇格してきて、しかもリーグ戦中盤までは降格ゾーンにいたチームが、終盤に勝ちまくって優勝してしまうとは!
●降格争い、最後の一枠は大宮に。最終節は勝利したが、清水が引き分けたため勝点1差で降格決定。毎年のように信じられない粘りを発揮してきたが、ついに大宮残留伝説が終焉。大宮、セレッソ大阪、徳島がJ2へ。
●味スタで開催されたJ2の昇格プレイオフ決勝は、千葉0-1山形で、山形がJ1昇格決定。リーグ戦6位の山形が3位の千葉に勝利して、またしても下剋上に。プレイオフでは引分けの場合はリーグ戦上位のチームが勝ち抜けとなる。そんな大きなハンディがあるにもかかわらず、プレイオフ制度が始まって以来3年連続でもっとも下位のチームが勝ち抜けることになった。これはなにか必然があってのことなんだろうか。私見では、単に確率的に低い事象が連続して起こったにすぎないと見ているのだが……。ともあれ山形サポのみなさん、おめでとうございます。準決勝のゴールキーパー山岸による伝説のヘディングゴールが無駄にならずよかった。
●J2とJ3の入れ替え戦は讃岐と長野の間で行なわれ、ホームアンドアウェイの2試合によって讃岐の残留が決定。これで来季はJ2でカマタマーレ讃岐vsツエーゲン金沢の試合が実現する。釜玉うどん由来の似非イタリア語風「カマタマーレ」もどうかと思うが、金沢弁で「強いんだよっ!」を意味する似非ドイツ語風「ツエーゲン」も地元民悶絶級の愛称なわけで、この最凶ネーミング対決がJ2の舞台で実現することに喜びを感じる。いずれはJ1の晴れ舞台でも!?

December 5, 2014

カンブルラン&読響でメシアン「トゥーランガリラ交響曲」、ヒューイットのタブレットPC

●4日はサントリーホールでカンブルラン&読響。酒井健治「ブルーコンチェルト」(世界初演)とメシアン「トゥーランガリラ交響曲」。「ブルーコンチェルト」は読響委嘱作品、「トゥーランガリラ交響曲」はカンブルランが2006年12月の読響との初共演でも演奏した作品。読響が満を持して取り組んだ公演で、同じプログラムが来年の3月の欧州ツアーでも演奏される。「トゥーランガリラ交響曲」のピアノはアンジェラ・ヒューイット、オンド・マルトノのシンシア・ミラー。ヒューイットはわざわざこの一公演のために来日したのだとか。会場内はTwitterのフォロワーのみなさんから業界関係者から、自分の知人が一斉にここに集まったんじゃないかと錯覚するほど。一方で空席もあるんだけど。
●本来「トゥーランガリラ」という作品の饒舌さ、濃厚さにはただただ圧倒されてたじろぐばかりなんだけど、この日は感じたのは明瞭さ。官能性はずいぶん後退して、代わって透明感、緻密な響きが生み出す愉楽みたいなものが一貫して感じられた。客席はわきあがった。
●で、本筋とは違う話なんだけど、目を奪ったのはヒューイットの譜面台。タブレットPCが置いてあった(iPadかどうかは知らない)。それ自体はもうそんなに珍しくはないにしても、オケと共演するのに使っているのを実演で見たのは初めてかも。画面にタッチして譜をめくっている様子がないので、なんらかのデバイスを無線でつなげているんだろうと思ったら、どうやらフットスイッチを使っていた模様(こんな感じでいろんな商品があるんだそうです)。たぶん左足で操作できる位置に置いていた。
●こんなふうにタブレットを使うときって、バッテリーの充電はもちろんのこと、事前に再起動しておくとか、予期せぬ動作を防ぐためにバックグラウンドで動作するアプリを最小限にするとか、いろんな運用上の工夫があるにちがいない。でもどんなアプリやOSを使うにせよ、落ちるときは落ちるわけで、フリーズしたり強制再起動がかかったりするトラブルはきっとあると思う。そういう事態になったとき、どうやって対応するのかなあというのは少し関心がある。

December 4, 2014

祝、松本山雅FCのJ1昇格

松本山雅FCvsロアッソ熊本@アルウィン
●今季、松本山雅FCはJ2を堂々2位で終えて、来季のJ1昇格を決めた。で、思い出したのが2年前の夏。サイトウ・キネンでオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が上演されるその日、なぜかワタシは松本を訪れてオネゲルには行かずにアルウィンで松本山雅の試合を観戦したのだった。いやー、あれは今思い出しても楽しかった。アルウィンみたいなコンパクトな専用競技場って、本当にサッカーを見るのに最適。サポーターは温かい雰囲気だし、遠くに山は見えるし、すごく気分がよくなる。アウェイの熊本サポに対して、「信州へようこそ」みたいなアナウンスが入って歓待するムードがあったのも痺れた。
●松本のサッカー熱は想像以上で、街を歩いていてもいたるところに山雅のポスターやらのぼりやらが目に入って、サイトウ・キネンよりはるかに存在感があった。地域密着度は文句なし。ただチームは反町監督のもとで組織的に戦ってはいるものの、まだJ1を目指すところまでは到達してはいないかなという印象だった。それが今や。
●で、少し前にBSで松本山雅と福岡の試合が中継されたので、録画してざっとではあるけど見てみた。すると反町イズムはさらに強まって浸透していて、カラッカラのモダン・フットボールを展開していた。なにせリーグ戦の得点の半分以上がセットプレイから。ハーフウェーラインより手前からのフリーキックでも、ゴール前に選手を置いてセットプレイでの得点を狙う。一方、守備は組織的で失点はすごく少ない。この試合しかチェックしてないからいつもそうなのかはわからないけど、3バックで、高い位置からのプレスが身上か。ボールを持った際には3バックからすぐに前線にボールを送ろうという意図が明確で、まず中央のフォワードに当てるか、それができなければ両サイドのどちらかのワイドに開いた選手を狙う。敵陣でスローインを獲得すると、どんどんロングスローを入れてきて、相手にとってはずっとセットプレイを守っているような嫌さ。この日は雨の日だったが、なんとタッチライン際にロングスロー用にボールを拭くためのタオルがビニール袋に入れて置いてあった!
●戦術の力が勝点に直結していることを痛感させるチームだったが、さてJ1に昇格するとなると、どういった戦い方になるのか。このスタイル、個の力で優位に立つ相手にもそのまま使えそうではあるけど、ハイプレスで相手がミスしてくれる頻度は格段に減るだろうから、選手たちのメンタル的にはいっそうのタフさが求められそう。

December 3, 2014

カンブルラン&読響で「ライン」「英雄」、ダン・タイ・ソン、USEN B68

●少し遡って、28日はサントリーホールでカンブルラン&読響。モーツァルトの「魔笛」序曲、シューマンの交響曲第3番「ライン」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」という変ホ長調プロ。「ライン」冒頭は3拍子を2拍単位で分割していて拍子がよくわからなくなる曲の代表だけど、「英雄」も第1楽章で同じように3拍子が2拍単位に分割されて強拍の位置がずれるパッセージが出てくる。こういったヘミオラの活用、キープレーヤーとしてのホルンなど、調以外にも共通項があって、練りあげられたプログラム。どの曲にも指揮者の意匠が凝らされていたと思うけど、特に楽しんだのは「英雄」。かなり速いテンポが採用され、冒頭からまるで軽快な舞曲のように響く。小気味よくスタイリッシュなベートーヴェン像が提示される一方で、たぶん、オケ側でナチュラルに持っているであろう重厚で気迫あふれるベートーヴェン像が混じりあって、両者のせめぎ合いから勢いのある生々しい音楽が生まれてきたという印象。
●27日は紀尾井ホールでダン・タイ・ソン。前半にプロコフィエフ「つかの間の幻影」抜粋、シューマン「ダヴィッド同盟舞曲集」、後半にラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」「ソナチネ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」「ラ・ヴァルス」。お目当てはシューマンだったけど、後半のラヴェルが期待以上にすばらしかった。端正で緻密な音楽をベースとしつつ、ライブならではの熱さ、ポエジーも。アンコールはショパンのノクターン ト短調op.37-1。
●告知をひとつ。USENのB-68チャンネル「ライヴ・スペシャル ~CLASSIC~」、今月のプログラムは、上旬と下旬で2回にわけて「VOCES8のクリスマス・コンサート」。2012年王子ホールでのライブ音源。ナビゲーター役を務めた。

December 2, 2014

2014年度レコード・アカデミー賞大賞はグザヴィエ・ロト&レ・シエクルによるストラヴィンスキー

グザヴィエ・ロトの「春の祭典」●2014年度第52回「レコード・アカデミー賞」(音楽之友社)が発表された。タワレコの受賞ディスク一覧はこちら。大賞は管弦楽部門のフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シエクルによるストラヴィンスキーの「春の祭典」「ペトルーシュカ」。1913年初演時にこの作品がどう響いたかを再現しようという、20世紀の時代楽器演奏として話題になった一枚。なんというか、大賞にふさわしい一枚があってよかったという安堵感みたいなものを感じる。
●受賞ディスクを眺めているとホントに往時とは様変わりしていて、大手レコード会社の盤が少なくなった。レーベルもActes Sud、HMF、グロッサ、ハイペリオン、フィー等々。この賞は原則として国内盤仕様でリリースされたディスクが対象になっていると思うのだが、今でもそのルールは変わっていないのだろうか。タワーレコードのページではそれぞれの盤に輸入盤と国内盤のCD番号が併記されているわけだけど、たとえばロトの「春の祭典」でいえば、輸入盤はASM-15という品番でオープンプライスで販売されているが、国内盤はKKC5401という品番で国内流通仕様で販売されており、価格もまったく違う。
●一昔前はこういう同じ音源に対して国内盤と輸入盤がそれぞれ別の場所や価格で売られている状況を煩雑だと感じたこともあったけど、音楽配信がスタートしてみたら、さらにダウンロードもストリーミングも加わって、しかもそれぞれ配信チャンネルが異なっていたりして、ますます複雑になってきた。ちなみにワタシはロトの「春の祭典」をどうやって聴いたんだっけなあと思って探してみたら、Amazonでダウンロード購入していた。
●ところでロトといえば、今年はN響の「第九」なんすよね。結構びっくり。

December 1, 2014

ロスタイムのコーナーキックがドラマを生む!?

●この週末のJリーグ、ロスタイムのコーナーキックからの目を疑うような展開が2度もあった。まず一度目は、土曜日のJ1、鳥栖vs浦和の一戦。一時はもう浦和の優勝は決まったものかと思っていたらどんどん失速して、背中にガンバ大阪が迫ってきたという状況。この日は浦和が1点リードして、なおかつ相手に退場者が出ているという有利な展開のなかで、ロスタイムへ。ところが、後半49分、鳥栖はコーナーキックを得る。長身キーパーの林彰洋も前線に上がる。コーナーキックのボールにあわせたのは小林久晃。見事なヘディングを決めて、まさかの同点に。そのままドローに終わり、浦和はついに得失点差でガンバ大阪に抜かれてしまった。この場面も印象的だったが、その翌日に起きたことはさらに強烈だった。
●日曜日のJ2は、J1昇格プレーオフ準決勝として磐田vs山形が開催。例によって変則的な一発勝負で、リーグ戦上位の磐田のホーム開催で、磐田は引き分けでも決勝に進出できるという有利なルール(のはずだが、このプレーオフが始まってからの2年間、上位チームはこの優位をまるで活かせていない)。1対1の同点で迎えた後半47分、磐田はほぼ決勝進出を手中に収めていたわけだが、山形にコーナーキックを与える。ここで山形はゴールキーパーの山岸範宏をゴール前に上げる。こういうロスタイムの捨て身の攻撃はときどき目にするが、Jリーグの歴史でこの形からキーパーがゴールを決めたことは一度もなかった、この日までは。石川竜也のコーナーキックのボールに対して、山岸が頭でボールをすらして(フィールドプレーヤーでもそうそうできないような絶妙なタッチ)、これがネットを揺らして、山形は決勝進出。磐田は来季もJ2に留まることが決定。名波監督の顔から血の気が引いているように見えた。現役時代の名波は最高の選手だったが、磐田の監督に就任して以降、これで2勝3敗5分。昇格を争ってるのか残留を争ってるのかわからない成績になってしまった。本来こんなものではないはず。
●で、こういう試合を立て続けに見ると、ロスタイムのコーナーキックって怖いなと思うじゃないすか。「ドーハの悲劇」以来、なんど繰り返されてきたことやら。でも、コーナーキックって1/40くらいの確率でしかゴールにならないんすよね、実際には。別にコーナーキックじゃなくても、敵陣深くでマイボールになれば40回に1回くらいはゴールになりそうなもので、そもそもコーナーキックそれ自体に優位性はないという統計もあるほど。
●それでも、「ロスタイムのコーナーキック」は怖いと感じる。仮説は2つあると思う。仮説1は、たまたまゴールが決まった1/40だけが印象に残り、39/40のどうでもいい場面は即座に忘れるから、なんだかコーナーキックは怖く感じる、という統計の「お約束」。仮説2は、たしかにコーナーキック全体での決定率は1/40なんだけど、ロスタイムに入るとなんらかの理由でディフェンスのマークが外れやすくなり(交代選手や疲労などの影響、あるいは攻撃側がキーパーを上げるなど極端なリスクを取るなど)、ゴールの確率が跳ねあがる。どっちがホントなのか、きっとだれかは計算している。

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