●METライブビューイング、今週はチャイコフスキーの「イオランタ」とバルトークの「青ひげ公の城」という2本立て。「イオランタ」はなんとMET初演。バルトークも新演出。どちらもマリウシュ・トレリンスキ演出、ゲルギエフ指揮。
●これはもう、あまりに鮮やかな2本立て。「イオランタ」って、盲目のイオランタ姫が父親である王さまによって隔絶された世界で育てられるっていう話なんすよ。イオランタは自分が普通とは違うということを知らないまま育てられている。だれもイオランタの前で光について語ることは許されない。父にとって、それが愛の形。そこに王子さまがやってきて、イオランタは恋をして、これをきっかけに視覚を取り戻してハッピーエンドに至る。チャイコフスキーの音楽はすばらしいんだけど、台本は話の運びがもうひとつで、ストーリーを前に進める原動力に乏しく、平板な予定調和に終わっている。同じように「娘を守ろうとかごの鳥みたいに育ててしまった父親」を描いたオペラに「リゴレット」があるが、「リゴレット」にはあらゆる登場人物にそれぞれの立場からの真実があるのに対し、この「イオランタ」の登場人物には奥行きが感じられない。なるほど、これではMETで100年以上も演奏されなかったわけだと思う。ところが。
●「イオランタ」の後に「青ひげ公の城」を続けることで、一転してこれが真実味のある物語に変貌してしまうんである。演出のトレリンスキは、イオランタの後日譚を「青ひげ公の城」のユディットに見た(!)。鋭すぎる。ユディットが青ひげに「薔薇も婚約者も捨ててきた」って話すのが見事に「イオランタ」のストーリーに呼応してて戦慄。つまり、これは闇の世界で生まれた少女が光を得たことで、また闇の世界に帰る話になっている。光を得た、すなわち世間を知った姫が、次にすることといったら闇を探すことしかない。
●「青ひげ公の城」で描かれる闇はあまりに深い。なんだかアル中の暴力父のもとを逃げ出した娘が、アル中の暴力夫を迎えたみたいな話を思い出す。
●裏を返して、「青ひげ公の城」で語られないユディットの前日譚を、ほのぼのハッピーエンドの「イオランタ」に見出したと考えるとますます強烈(実際には先に「イオランタ」ありきだったにしても)。イオランタはネトレプコ、ヴォデモンはペチャワ。青ひげ公はミハイル・ペトレンコ、ユディットはナディア・ミカエル。「青ひげ公の城」では各部屋を巡るのをエレベーターで下へ下へと移動する形で表現していて、閉塞感がいっそう強まっていた。
March 31, 2015