●うっかりすると忘れそうになるが、2日からEAFF東アジアカップ2015が開幕。中国の武漢が開催地で、北朝鮮、韓国、中国を相手に3試合を戦う。カレンダーの都合上、国内組しか呼べないので、メンバーは新鮮。ハリルホジッチ監督が国内組代表を率いたときに、どんなスタイルで戦うのかという点でも興味深い。メンバーはこちら。
●マリノス者としてはぜひ言っておかねばならないのだが、GKの権田修一がコンディション不良のため、ベガルタ仙台から六反勇治が初招集された。しゅ、祝……。六反は昨年までマリノスにいたものの、榎本、飯倉のレギュラー争いの陰で第3キーパーに甘んじていた選手。3年間でリーグ戦の出場は2試合のみ。それが仙台に移籍するとレギュラー・ポジションを獲得、ハリルホジッチ監督の目に留まり代表にまで呼ばれることに。このパターン、なんども目にしている気がする。なんといっていいのやら。
●明日1日(土)22時からの拙ナビによる番組FM PORT「クラシックホワイエ」に、ギタリストの猪居亜美さんがゲスト出演。なんと、スタジオ内で生演奏までしていただいた。ありがたし! 現在フォンテックよりニューアルバム「猪居亜美/Black Star」が絶賛発売中。1日の夜はラジコ・プレミアムで「クラシックホワイエ」を聴いて、それからネットラジオでバイロイト音楽祭の「神々の黄昏」になだれ込むという流れでいかがでしょう。
2015年7月アーカイブ
ニッポン代表の東アジアカップ、「クラシック・ホワイエ」に猪居亜美さん
ジェレミー・ローレル&読響のオール・メンデルスゾーン・プロ
●29日はサントリーホールで新鋭ジェレミー・ローレル指揮の読響。コンサートマスターにダニエル・ゲーデ。オール・メンデルスゾーン・プロで「真夏の夜の夢」序曲、ヴァイオリン協奏曲(ヴェロニカ・エーベルレ)、休憩をはさんで後半に交響曲第4番「イタリア」。ジェレミー・ローレルは1973年生まれのフランスの指揮者。古楽オーケストラのル・セルクル・ドゥ・ラルモニーを創設して頭角を現した、というプロフィールから予想されるほどには斬新さを求めたアプローチではないが、清新で勢いのある「イタリア」を満喫。ヴァイオリン協奏曲ではエーベルレの濃厚なソロが見事。のびやかで流麗でありながら、しっかりとした芯の強い音。
●「真夏の夜の夢」序曲って、チューバが入ってるんすよね。チューバというか、当時はオフィクレイドか。この10分のために一人多く必要になってしまうのがぜいたくだけど、ツボでもあるので削って最適化するというわけにもいかない。
もっとDeep Dream
●昨晩はバイロイト音楽祭でのペトレンコの「ワルキューレ」。第1幕だけで寝る。バタリ。
●先日ご紹介したGoogleの人工知能Deep Dreamが描いた画像をもう一枚。水族館で撮った海藻系の写真がかなりいい感じになった。うーむ、グロ美しい。そして実に夢っぽい。元画像との比較はこちらで。
●もう一枚、海の生き物たち。それから、終演後のコンサートホールも。なにかがそこにいる。ワンちゃん?
バイロイト音楽祭ネット中継でキリル・ペトレンコの「ニーベルングの指環」
●先日よりバイロイト音楽祭が開催中(operacastによる放送予定)。「トリスタンとイゾルデ」「ローエングリン」と来て、いよいよ昨晩から「ニーベルングの指環」がスタート、指揮はベルリン・フィル次期首席指揮者として一躍脚光を浴びたキリル・ペトレンコ。バイロイトのネット中継は深夜になるので、いつもがんばっても第1幕しか聴けないのだが、「ラインの黄金」だったらもしかすると最後まで聴けるかもしれない……と思って、中継予定を確かめてみたところ、スタートが1550 GMTとなっているのではないの。日本時間JSTは+9だから、午前1時頃から開始? がっくり。他の公演より2時間も開始時刻が遅い。あきらめてさっさと寝るしか。
●今晩の「ワルキューレ」は1350 GMTくらいから放送開始。
●スペインのRTVEがアーカイブをオンデマンド配信してくれている。「ラインの黄金」はこちら。最初の16分くらいはアナウンスなので、気の短い方はそのあたりからスタートさせるのが吉。
「寄港地のない船」(ブライアン・オールディス/竹書房文庫)
●なぜか竹書房から刊行されたブライアン・オールディスの「寄港地のない船」。久々にSFらしいSFを読みたくなって、手に取ってみた。1958年の作品ながら、ようやく邦訳が出たということのよう。舞台となるのは世代宇宙船。つまり、何百年もかかる恒星間宇宙旅行を実現するために、自給自足可能な巨大宇宙船を建造して、乗組員たちはそのなかで何世代もかけて生き続けて、最初の乗組員の子孫たちが目的地に到達するという宇宙船。先例としてはハインラインの古典「宇宙の孤児」がある。
●しかし、長い年月を経て、乗組員たちはすでに自分たちが宇宙船の乗組員たちであることを忘却し、テクノロジーや科学知識もすっかり失い、半ば原始的な生活を送っている。宇宙船の内部にいくつかの部族や種族が共存し、どうやらなんらかの進化と適応が船内に起きていることが察せられるが、その全貌はわからない。主人公となる狩人の若者は自らの居住区を離れ、仲間たちとともに船内の未知の領域へと旅立ち、少しずつ真実へと近づいてゆく……。
●なにしろ半世紀以上前の作品なので、さすがに古びているし、粗削りな印象も受ける。読者対象も若年層向け。しかし根幹となるアイディアは秀逸で、ミステリー仕立てでたどりつく真相がなかなか味わい深い。あと船内に猛烈な勢いで繁殖する植物という設定が、後の「地球の長い午後」を連想させる。「ジャングルに覆われた宇宙船」というイメージの喚起力が最大の魅力か。
人工知能が見る夢、GoogleのDeep Dream
●少し前からネット上のあちこちで話題になっている、Googleの人工知能Deep Dream。これは画像処理のためのAIを用いて既存の画像から悪夢のような絵を作り出すというプログラムコードで、かなりインパクトのある画像を生み出してくれる。元画像に対して、AIが既知のパターンに似たなにかを認識して、それを学習済みのパターンに置換するというフィードバックをくりかえしているそうなのだが、これはたしかに「夢を見る」というメカニズムに似ているのかもしれない。このプログラムをウェブインターフェイスで実行してくれるサイトがあるので、自分も画像を投稿して試してみた。
●まずはこちら。首都圏の低山愛好家にはおなじみ、高尾山の薬王院で撮った一枚。元の写真に生物はなにも映っていないのだが、いたるところに謎の生命体が現れている(元画像との比較はこちらへ)。
●もう一枚。こちらは公園で日向ぼっこをしているオナガガモの一群を撮ったものだが、カモたちが別の生命体にトランスフォームしている。なにか妙に犬っぽくもあり、鳥っぽくもある。ただの枯葉にも命が宿っているっぽい(元画像との比較はこちらへ)。
●人間の顔がいちばんスゴいことになるのだが、気持ち悪すぎるかもしれないので控えておいた。関心のある方はお試しを。処理にはかなり時間がかかる。最初の一枚が処理されるには一週間くらいかかったが、その後、高速化が図られたようで最近投稿したものは二日くらいで処理してくれた。
国立競技場の思い出と理想のスタジアム
●旧国立競技場にはたくさんの思い出があるので、ほかのどのスタジアムより愛着がある。たとえばトヨタカップ。まだ自分も含めて日本人がサッカーをどう観戦すればいいのかわからなかった頃、ACミランのスター軍団を前にみんなほとんど黙って世界最高峰のサッカーを「鑑賞」していた。ラインを割ったボールを拾ってスローインしようとしたパパンに対して、だれかが「ジャン・ピエール!」と声をかけた。パパンは軽くガッツポーズを見せた。
●1993年、Jリーグの開幕試合も印象深い。異常なサッカーブームで日本中が沸き返る中、ヴェルディvsマリノスの一試合だけが新リーグ幕開けの試合として、他に先行して国立で開催された。ヴェルディ対マリノス(というよりは読売vs日産)は当時の黄金カードだったから。記念すべきJリーグ第1号のゴールにはカズか木村和司がふさわしいと思っていたが、マイヤーなる無名のオランダ人選手に決められてしまった。
●ワールドカップ予選もたくさん見た。なんといっても忘れられないのはフランスW杯の最終予選での対UAE戦。加茂監督が解任されコーチだった岡田武史が急遽監督に就任しての最終予選、勝たなければ絶望的という状況で先制するも追いつかれてしまいドロー、場内が険悪なムードになって、試合後に選手にイスまで投げられる事態に。超満員のスタジアムが一触即発の雰囲気になった。
●雨も記憶に残っている。スタジアムでは傘をささずにカッパを着て観戦していたが、雨には耐えられても寒さには耐えられないものだと知った。常に予想以上に冷え込む。Jリーグの試合で、あまりに寒くなってハーフタイムが終わっても客席にもどれずに外の通路でふるえていたことがあった。自分だけではなくたくさんの人がいたっけ。屋根はメインスタンドにしかなかったので、たいていの席は濡れる。ただし。ゴール裏の大きな電光掲示板、あれの下にほんのわずかに濡れずに済む狭い一角があって、そこで裏技的に雨宿りをしている人もいた。
●逆に酷暑での観戦もある。たぶん北澤豪の引退試合だったと思うが、あまりに暑くて熱中症になりかけたのだが、ソフトドリンクがすべて売り切れてしまっていてビールしかない(ワタシは飲まない)。会場内からビール以外の飲み物がなくなってしまった。ハーフタイムに入場口の係員に、どこかで水道水を飲ませてもらうか、あるいは一時退出して場外の自販機で飲み物を買わせてほしいと頼んだが、規則にないの一点張りでまったくらちが明かない。ゲートのすぐ外に自販機が見えているのに、こちらは暑さと渇きでぶっ倒れそうだ。場内には何万人もいる、このままでは何人倒れるかわからないと説得して、押し問答の末にようやくゲートを出て自販機にたどり着いた。試合のことより自販機のことしか覚えていない……。
●しかし、国立競技場はサッカー観戦に適したスタジアムではぜんぜんなかった。陸上トラックがあってピッチが遠いし、今の時代にふさわしい快適性や華やかさ、ホスピタリティを欠いていた。思い出深いけど、また行きたい場所ではない。唯一、圧倒的に優れていたのは交通アクセス。都心にあるので、試合終了後に「スタジアムを脱出するまでの長い待ち時間」がないのがよかった。たとえば、埼玉スタジアムなんかは、試合終了後から電車に乗るまでの間の待機時間がものすごく長くなるので、遠征するのが憂鬱になる。その点、新横浜駅まで歩ける日産スタジアムは楽なのだが、座席からピッチまでの距離が絶望的に遠く、生観戦しても遠くからテレビ画面を見ているような気分になってしまう。
●どんなスタジアムが欲しいかといわれたら、まず最優先は客席からピッチが近いこと。スタンドに十分な勾配があって後列でも試合が見やすいといい。陸上トラックの問題を解決する妙案がほしい。それから試合終了後の駅へのアクセス。一斉に何万人もの人が帰ろうとするので、安全で、なおかつ待ち時間が長くならないことが理想。売店等での飲食物の充実も必須。ハーフタイムにやたらと長い行列についた末に、おいしくもなく割高の食べ物を買わされると、うきうきした気分が萎えてしまう。
●雨に濡れずに済む屋根、寒い日のためのシートヒーター、十分な数のトイレも欲しい。それから、特別な機会のためのVIPルームのような個室観戦できるスペースもあったらうれしい。あるいは試合を観戦しながら食事を楽しめるレストランでも。託児やキッズ・エリアの必要性はないだろうか。あるいはシニア向けの配慮のあるエリアとか。試合がない日でも足を運びたくなる要素もあっていいんじゃないか(収益性にも貢献するかもしれないし)。熱心なファンのためのミュージアムやショップ、アミューズメント施設、普段は入れない場所も見ることができる見学ツアーなど。ピッチ上に立てるイベントなんかがあれば最高にワクワクする。練習体験とか、間近でのトレーニング見学とか。華やかで、モダンで、でもアットホームな雰囲気な場所だといい。上から眺めた形状に関心はない。鳥じゃないんだし。
たまたま「まいにち ツール・ド・フランス!」
●たまたまテレビをつけたら、NHK-BSで「まいにち ツール・ド・フランス!」という番組が放映されていた。「ツール・ド・フランス」のハイライト番組ということなんだが、これがなんだか危険な香りを放っている。つまり、とてもおもしろそうに見える。自転車競技というものに一切関心を持ったことがなく(自転車に乗ること自体もあまり好きではない)、ルールもさっぱりわからないのだが、視覚的に実に美しく、どうやら戦術的にも興味深そう。ひとまず翌日以降の放送分を録画予約してみる。
●それにしても、ぼんやり眺めていてもなにをしているのか、ぜんぜんわからない。レースをしているのは一目瞭然だが、マイヨ・ジョーヌとかステージ優勝とか次々とわからない概念が出てきて、いま目にしている順位と総合の順位が違うようだし、おまけに団体競技なんだか個人競技なんだかもよくわからなくて、だれがなにを狙ってレースを戦っているのかピンと来ない。これに比べればサッカーって、ずいぶんシンプルなゲームなんだなと思う。
●見ていてなんとなく察したのは、平地で速いタイプの選手とアップダウンがある場所に強いタイプの選手がいること、集団の先頭を走ると空気抵抗のために不利であることといったところか。わからないことは山ほどあって、なにがわからないのかもわからないくらいだが、とりあえずあんなに長時間走っていてトイレがどうなっているのかが気になる(休憩とかピットインみたいなのはない?)。
●NHK-BSの番組はハイライトだったが、J SPORTSの番組表を見ると1ステージあたり5時間とか6時間といった放送枠をとってレースを中継している。これを毎日見続けるというのは、サッカーのワールドカップを全試合見るよりはるかに困難だと思うのだが、ファンの方々はいったいどうやって楽しんでいるのだろうか。
いずみシンフォニエッタ大阪第35回定期演奏会へ
●久々に大阪遠征。18日にインタビュー取材一本といずみシンフォニエッタの定期演奏会があり、強行軍なら日帰りも可能だったのだが、それではあまりにキツキツで心配だなと思い前日のうちに大阪に移動して一泊することに。これが大正解で、17日は台風の影響で大阪のJRが止まりまくっていた。当日移動なら遅刻必至。夕方、いずみホールに到着した頃には写真のようにすっかり空は晴れあがっていた。
●曲目はヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ」第9番、同じく前奏曲第3番イ短調「バッハへの讃歌」、西村朗のギター協奏曲「天女散花」(以上ギターは鈴木大介)、坂東祐大「めまい」(委嘱初演)、ファリャ「恋は魔術師」(1915年版、林美智子メゾソプラノ、太田真紀ナレーション)。飯森範親指揮いずみシンフォニエッタ大阪。プログラムはもりだくさん、しかも一曲一曲の演奏のクォリティも高いという、ぜいたくな公演。
●坂東祐大作曲「めまい」は、ヒッチコックの映画「めまい」とバーナード・ハーマンの映画音楽「めまい」、それに実際の症例としての「めまい」に着想を得たという作品で、「耳鳴り」「痙攣」「集合体恐怖症」「過呼吸」「吐き気」「幻覚症状」の6つのセクションからなるという、説明を聞いているだけでも心身の不調を招きそうな一曲。それぞれの症状を思わすような直截な表現が続き、すっかり具合が悪くなる……というのはウソで、楽しく聴けた。ストレス性の症状が多そうなので、マレの「膀胱結石手術図」の神経衰弱バージョンを連想する。
●ファリャの「恋は魔術師」は通常の2管編成版ではなく、1915年版初稿の室内アンサンブル・バージョン。むしろこちらのほうが斬新に聞こえる。知らなかったのだが、この曲には大きな罠があって、初稿のほうは編成だけでなく、なんと、ストーリーまでぜんぜん違っている。テーマはフラれた女の情念か。歌は林美智子さんが歌い、ナレーションは太田真紀さんが担当するという形態。ナレーションのおかげで、どんな話なのかようやく知った。台本のテキストが欲しくなる。「恋は魔術師」って、この邦題だけだと萌え絵のついたライトノベルとかラブコメみたいなものを想像するが(しないか)、本当は怖い話だった。
●公演終了後、夜になっても若干ダイヤは乱れていたものの、おおむねスムーズに帰京。のぞみなのに車内にWi-Fiがないなあと思ったら、ぜんぶにあるわけではないみたい。
ノット&東響の「運命」
●16日はジョナサン・ノット指揮東京交響楽団へ(サントリーホール)。毎回ワクワクするようなプログラムを披露してくれるこのコンビ、今回は前半にストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲(1947年版)、バルトークのピアノ協奏曲第1番(デジュー・ラーンキ独奏)、後半になんとベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。
●ストラヴィンスキーの管楽器のための交響曲は、前回聴いたR・シュトラウスの23人の弦楽器のための「メタモルフォーゼン」とネガポジ反転になっているかのような選曲。バルトークのピアノ協奏曲第1番では打楽器群を管楽器よりも手前に置くという配置で、作品の「ピアノと打楽器のための協奏曲」的な性格がはっきり打ち出されていた。ラーンキもアンサンブルの一員として精悍なバルトークを聴かせてくれて好感度大。
●メモ。バルトークのピアノ協奏曲第1番の第2楽章は、シェーンベルク「6つの小さなピアノ曲」Op19の第2曲+ストラヴィンスキー「春の祭典」。
●弦楽器の配置はバルトークでもベートーヴェンでも対向配置、下手側に第一ヴァイオリン、チェロ、後列にコントラバス、上手側にヴィオラ、第二ヴァイオリンという、最近見かける機会が増えている歴史的な配置(パーヴォ&N響とかも)。この配置だと、内声部が上手側に偏る形になって、通常の配置と比べてなにがそんなにいいのか、正直ピンと来ていない(理屈の上では音域ごとにグラデーションで並ぶモダンな通常配置が有利そうな気がするんだけど……)。ただ、ベートーヴェンとかになると下手側でスペクタクルが起きている間、上手側が全員必死で刻んでいるみたいな瞬間が訪れるのは、視覚的に軽く萌える。
●で、「運命」は鋭い輪郭を持った鮮烈で硬質なベートーヴェン。圧倒的。細部まで彫琢したうえで、唸り声をあげながらノットが煽って本番で「気迫のベートーヴェン」を積みあげた感。定期公演で「運命」をとりあげるとなれば、ありきたりな演奏では満足できないといった雰囲気が客席に漂うが、期待通りに特別な演奏になったのでは。このコンビ、今すごく充実していると思うんだけど、客席が思ったほどには埋まらないのが謎。
続々々・ノートPC起動しない事件
●修理に出したVAIOだが、ようやく手許に帰ってきた。感動の再会(ひしっ)。結局、当初の予定よりも2週間余計に時間がかかり、3週間ぶりの帰還となった。こちらの見立て通り、ドライブの故障ということでSSDを取り換えることに。完全に初期状態のまっさらな状態で帰ってきたわけで、なんというか、「3年前の新品のWindows 8」を入手したという妙な気分になっている。世間がWindows 10で盛りあがろうというこの時期に。
●まずはWindows Updateを動かしてみると、160個超の更新プログラムをダウンロードしはじめた。3年間のWindowsの歩みを1日にして体感するタイムトリップ感を心ゆくまで楽しみたい。ウソ。
●一刻も早く環境を整えたいところだが、まずはともかくWindows Update、そしてDropboxのインストールから。データのダウンロードやらコピーやらやたらと時間のかかるプロセスがこの先に待っているかと思うと、正直意気は上がらない。一瞬、おニューのマシンをゲットしたかのような錯覚を覚えたりもしたのだが、どこからどう考えてもこれは錯覚。
ひとつの視点だけで交響曲を聴く
●サン=サーンス
交響曲第1番「オルガンなし」
交響曲第2番「オルガンなし」
交響曲第3番「オルガン付き」
●ベートーヴェン
交響曲第1番「合唱なし」
交響曲第2番「合唱なし」
交響曲第3番「合唱なし」
交響曲第4番「合唱なし」
交響曲第5番「合唱なし」
交響曲第6番「合唱なし」
交響曲第7番「合唱なし」
交響曲第8番「合唱なし」
交響曲第9番「合唱付き」
●シューベルト
交響曲第1番「完成」
交響曲第2番「完成」
交響曲第3番「完成」
交響曲第4番「完成」
交響曲第5番「完成」
交響曲第6番「完成」
交響曲第7番(旧第8番)「未完成」
交響曲第8番(旧第9番)「完成」
大井浩明/ピアノによるマーラー交響曲集第4回公演、他
●12日は渋谷の公園通りクラシックスで、大井浩明/ピアノによるマーラー交響曲集シリーズ。シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲(D・アンゾリーニによるピアノ独奏版・世界初演)、マーラーの交響曲第9番(A・ブライアーによるピアノ独奏版・全曲による世界初演)。このシリーズに足を運んだのは第2回のマーラー「復活」以来だけど、前回は2台ピアノ版だったのに対して、今回はピアノ独奏。2台ピアノ版よりもさらに骨格度の高いワイヤーフレームで描画されたマーラー。通常の管弦楽版の第9番に期待する物語性が希薄化され、思いのほかモダンな姿が浮かびあがった感。
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●昨日深夜、ウィーン在住の音楽ジャーナリスト、山崎睦さんが亡くなったと知った(asahi.com 訃報)。71歳。今年1月に日本でお目にかかったときは普段と変わらない様子だったが……。特にネット以前の時代には、ウィーンの音楽界情報といえばまずは山崎さんを頼りにするほかなかった。ご冥福をお祈りいたします。
ハーディング&新日フィルのマーラー「復活」
●10日はハーディング指揮新日フィルでマーラーの交響曲第2番「復活」(すみだトリフォニーホール)。マーラーの全交響曲のなかでも中二病的妄想をもっとも駆り立ててくれるのがこの「復活」だと信じているのだが、そんなこじらせた病を一瞬にして快癒させてくれるような、現世的でスタイリッシュで見通しの良いマーラーがここに。鋭い切れ味とコントラストの強調による体脂肪率8%くらいのマーラー。第1楽章の後にこそ一息入れたものの、第2楽章から後はほとんど間を入れずに最後まで一気に演奏した。あっという間に終わって、ハイドンの交響曲でも聴くかのようなコンパクトさ、高密度感。想像外の「復活」を聴けて満足。さらば、渦巻く巨大な妄念。ソプラノにドロテア・レシュマン、メゾ・ソプラノにクリスティアーネ・ストーティン、合唱は栗友会合唱団と声楽陣は強力。
●今年はマーラーの「復活」をたくさん聴ける年になるかも。8月のフェスタ サマーミューザKAWASAKIで秋山和慶指揮東響、10月にパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響も。
●じゃんじゃん復活しちゃってます!的な。なにが?
本日の「クラシックホワイエ」は22:10から
●お知らせ。本日11日(土)のFM PORT「クラシックホワイエ」は、前にJリーグ中継が入る関係でいつもより10分遅れの22:10から始まります。おしまいも10分遅れて23:10。内容は普段と少し趣向を変えて、いただいた質問に回答するQアンドAのスタイルで。
●ところで、先日よりApple Musicがあっさりと日本でもスタートして、いきなり定額制音楽ストリーミング・サービスの決定版が登場したかという雰囲気になっているのだが、まだ試せていない。というのもApple MusicのためにはiTunesを12.2にアップデイトしなければいけないのだが、このバージョンからWindows 7以降が必要になる。ウチの母艦はまだWindows Vistaだった! なぜワタシはそんな太古のOSを使っているのだろうか……。HDDをSDDに換装したり、電源ユニットを交換したり、メモリを増設したりと古いマシンをドーピングしまくったおかげでいまだに快適に使用できているのだが、OSは古いまま。Windwos10が出たらどうにかせねば。
●もう一台、ノートPCのほうはWindows 8なので問題なくApple Musicが使えるはずだが、不運にもこちらは今修理工場に旅立っている。うーん、悔しい。ソニーのMusic Unlimitedの後継サービスとして、Apple Musicは渡りに船なのだが。
チャールズ・ブチンスキー
●先日「テレビで途中から見る映画がやたらおもしろい現象(名称募集中)」で書いたように、うっかり映画「マジェスティック」を見て以来、なんとなくチャールズ・ブロンソンのことが気になって検索してみたところ、自分はこの人のことをなにも知らなかったということに気がついた。チャールズ・ブロンソンって、リトアニア系移民の家庭に生まれて、本名はチャールズ・ブチンスキーなんだとか。ブチンスキーって。チャールズ・ブロンソンだといかにも男臭くてカッコいい名前みたいに感じるけど、チャールズ・ブチンスキーだとずいぶんイメージが違ってくる。
●高校を出て炭坑夫などの職を経て、空軍に入隊、その後、役者になるがしばらくは本名を名乗っていたのだとか。チャールズ・ブロンソン名の誕生は1954年の「太鼓の響き」、33歳からということになる。しかし、古い映画をほとんど見ていない自分にとっては、出演作リストを眺めても、「これが自分にとってのチャールズ・ブロンソンだ!」という作品がどれなのか、ピンとこない。「荒野の七人」とか「大脱走」ではないはず。「さらば友よ」? いやあ、見ていないかも。「狼よさらば」はなにかの拍子でテレビで見ていると思うが、それだけではないだろう。作品数がたくさんあるうえに記憶があいまいで、どれがどれなんだかよくわからなくなっているが、とにかくタフで強くてカッコいい男としてのチャールズ・ブロンソン像はくりかえし植えつけられているはずである。
●もしかしたら、そのイメージの大半は大昔のCM「う~ん、マンダム」の一言によって作られたという可能性も否定できないのだが。
名盤の行方
●右のようなアイコンがいったいなぜ保存を意味するのか?という若者たちにとってのかねてよりの謎。これなに? たしかにフロッピーディスクなど今やどこにも見かけないし、説明されても用途が意味不明だろう。昔はインターネットがなくて、メールもなくて、わずか1.4MBしか入らないこの記憶媒体にデータを保存して、これを手渡しとかバイク便とかでやり取りしていたのだ……などというカビ臭い話はいいとして、このような「保存」アイコンは次第に使われなくなってきているはずである。
●で、だとすると、音楽における「ディスク」も遠からず死語になるのだろうか。これまではSPでもLPでもCDでもみんな平べったくて丸かったのでディスクには違いなかったが、これからはそうもいかない。定額制ストリーミング配信の世界で、「アルバム」という概念が生き残ったとしても(それも不確かだが)、「ディスク」の語が通用するとは思えない。
●となると、派生的に「盤」の運命も怪しくなる。「名盤」の「盤」は、今のフロッピー・アイコンのような存在になるのだろうか。「名曲」は永遠だが、「名盤」はそうでもなさそう、言葉として。
●むしろ「レコード」(記録)は配信時代になってもぜんぜん問題ない言葉なので、「レコード芸術」とかは古びようがない。たぶん。
チリvsアルゼンチン@コパ・アメリカ2015決勝
●南米チャンピオンを決める4年に1度のコパ・アメリカ(南米選手権)の決勝戦は、開催国チリvsスター軍団アルゼンチンに。これ以上はないという対戦カードが実現した。録画で観戦。
●コパ・アメリカの雰囲気は、なんとなくアジア・カップに似たところがある(そしてユーロに似ていない)。局所的な熱さ、欧州では見られない無軌道な個人プレイ、シーズンオフにやってくる罰ゲーム的延長戦の気だるさと代表のプライドをかけた真剣勝負との奇妙な混淆……。
●チリ代表を率いるのはビエルサ信奉者のサンパオリ監督。ビエルサ監督時代ほどの先鋭さは感じないものの、前線からのウルトラ精力的なプレッシングは健在。センターバックも含めて小柄な選手だらけだが、むしろ横幅はがっしりしていてパワフル。アレクシス・サンチェスやビダルといったスーパースターであっても、闘志をむき出しにしてファイトする。ぷんぷんと漂う南米的マチズモの香り。スタジアム内の雰囲気がすさまじく、技術ではなく気迫で(そして少々荒っぽいプレイで)アルゼンチン相手に完全にゲームを支配していた。全員攻撃全員守備のモダンな装いのなかで、10番のバルディビアがクラシカルなプレイメーカー風味を発散させる。
●アルゼンチンは相変わらずメッシ中心のチームなのだが、3トップがメッシ、アグエロ、ディ・マリアで、トップ下にパストーレという攻撃的な布陣を敷いても、まだベンチにイグアイン、テベス、ラベッシが余っている。ベンチの3トップでも世界制覇が狙えそうな異常なまでの余剰アタッカー陣。しかし前線の選手にいい形でボールが配給されることはほとんどない。むしろマスチェラーノでの守備での奮闘ぶりが目立つという展開だった。中盤までの激しい潰しあいによって、前線のタレントたちを孤立させるのはチリの狙い通りの形だろう。ディ・マリアが前半に負傷退場(ラベッシを投入)。
●0対0で延長に入ると、ラベッシやマスチェラーノの足がつってしまう。ずっとチリが押していたものの、アルゼンチンにも一度か二度の決定機はあっただろうか。でもほんとうにそれだけ。激しいバトルは満載だが、スペクタクルからはほど遠い120分のスコアレス・ドロー。PK戦はチリの一人目、フェルナンデスが直接ネットの天井に突き刺すようなとんでもなく強気のコースに決めて、チームを鼓舞した。アルゼンチンは一人目メッシが決めたものの、イグアイン、バネガが続けて失敗。チリは全員成功させ、最後の4人目アレクシス・サンチェスは相手GKロメロを嘲笑うかのようにタイミングを外したチップキック。中央にコロコロと転がったボールがラインを越えて優勝決定。実に南米らしい幕切れというか。アルゼンチンはワールドカップに続いて決勝で敗れた。開催国チリの初優勝は感動的だが、なんだか内向きな大会になってしまったなという印象も残る。
続々・ノートPC起動しない事件
●先日修理に出したノートPC(お気に入りのVAIO)はまだ帰ってこない。実は当初は先週末に戻ってくる予定だったのだが、電話がかかってきて「SSDの在庫がない」ということで、調達するのに一カ月くらいかかるかもしれないと言われてしまった。「一カ月」と聞いて絶句すると、先方は「とはいえ経験上、たぶんそんなにはかからない。一週間足らずで入荷することもあるし、一カ月かかることもあって、いつ入荷するかはなんともいえない」みたいな話だった。
●こういうときに、都合よく「じゃあ、一週間でなんとかなるんじゃないか」とまったく根拠レスな楽観論に傾いてしまう自分。こちらにできることはなんにもないので、「困っているので一日でも早く戻ってくることを願っている」といったようなことだけを伝えて、電話を切った。SSDなどその辺にいくらでも売っているわけだが、そこはいろんな諸条件があって、どうしても待たなければいけない事情があるんだろう。
●SSDを栽培している農場を想像する。日焼けした農場主のナイスガイがあらわれる。「いやー、こればっかりは気候次第だから、いつ収穫できるかはなんともいえないねえ。どんなに遅くとも一カ月以内には収穫できるはずだけど、こう天候不順が続くんじゃあ、なんとも……」。ワタシが、そして全世界のSSDが壊れてしまったPCユーザーたちが、収穫の日を待ち望んでいる。
テレビで途中から見る映画がやたらおもしろい現象(名称募集中)
●かねてよりの謎現象で、深夜にテレビをつけて途中から見始めた映画(それも少し古めの映画)がやたらおもしろくて、ついつい最後まで見てしまうというものがある。この現象になにか名前が必要だと思うのだが、なんと呼べばいいのだろうか。
●ポイントとしては「途中から見始めること」が必須。いきなりストーリーがもう動いていて、舞台設定やら登場人物のキャラクターやらなにもわからないまま、だんだん話が見えてくるというのがいい。だからあまりメジャーな映画だとこの現象は起きない。どんな話か知ってるから。
●最近、用もなくテレビをつけるなどということは皆無なので(しかも早寝してしまう)この現象とはごぶさただったが、たまたま用事があって平日昼間の仕事中にテレビをつけたところ、チャールズ・ブロンソンとアル・レッティエリ(「ゴッドファーザー」にも出てきた迫力のある悪役顔の人)がともに手錠をかけられ、護送車に乗っている絵が飛び込んできた。そこからドンパチが始まって二人は逃げ出すのだが、期待通りチャールズ・ブロンソンは正義のヒーローで、アル・レッティエリは悪の組織の大物なわけであって、いったいこの話はどう進むのかと思ったら気になってしょうがない。猛烈におもしろいぜ。
●しばらく見ていると、チャールズ・ブロンソンはスイカ農場を経営する元軍人だという設定がわかってきた。スイカ命のタフガイとは! スイカ大好き野郎である自分としては、ますます目が離せなくなったのだが、かといってそのまま映画を見続けるわけにもいかない。後ろ髪をひかれる思いで、その「マジェスティック」という映画を途中から録画して、〆切が迫る仕事に戻った。そう、気になるとも。チャールズ・ブロンソンとアル・レッティエリの男と男の対決が今そこに。だが続きは明日だ。
●そうして明日がやってきて、昼食をとりながら映画の続きを見た。物語は予想通りに進んでいく。カーチェイス、銃撃戦、ほんのりとしたロマンス、裏切りと復讐。最後に正義が勝って、安心する。すっかり気の抜けたぬるいコーラを飲み干した気分で。
ロト指揮読響のブーレーズ、ベルク、ハイドン
●1日はロト指揮読響へ(サントリーホール)。勇者ロトの冒険。ブーレーズの「ノタシオン」から第1、7、4、3、2番、ベルクのヴァイオリン協奏曲(独奏:郷古廉)、ハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」管弦楽版という攻めたプログラム。はじまりから終わりにしたがって編成が小さくなってゆく。
●前半は20世紀のオーケストラ、後半は18世紀のオーケストラとふたつの楽団を聴いたかのよう。ブーレーズはもう一段階緻密に整えられた色彩感を期待していたのだが、後半のハイドンはロトの独壇場。対向配置の弦楽器の後列に扇状に管楽器がほぼ一列に並び、ノン・ヴィブラート、オケは8型。細部まで彫琢されていて、この作品がこれほど表情豊かで雄弁だったとは、という驚き。長さをまったく感じないとまで言ってしまうとウソになるが、やはり傑作。
●「十字架上のキリストの言葉」という作品の根幹をなすコンテクストを抜きにしてこの曲を聴けるだろうか。聴ける、と信じたい。むしろ「地震」という表現が、どうしたって特定の地震を想起させずにはおかないので、ぜんぜんハイドンとは無関係の意味をくみとってしまうのが目下の問題。客席にハーディングが来場していたとか。
「美しき廃墟」(ジェス・ウォルター著)
●名作の予感がして手に取った一冊。「美しき廃墟」(ジェス・ウォルター著/岩波書店)。実在のハリウッド映画を軸としながら、1960年代のイタリアと現代のアメリカを舞台に、多彩な登場人物たちによる大小さまざまの物語が交錯する。なにもない辺鄙な農村にホテル経営の夢を見る男、運命に翻弄される新人女優、野心家の敏腕プロデューサー等々。60年代と現代を行ったり来たりしながら、読み進めるうちに次第に過去と現在がつながってゆく。大きなテーマとなっているのは、時の移ろいということになるだろうか。若さがもつ輝きや純粋さというのは、後になって振り返ってみて初めて気づくものでもあるが、同時にその小ささ、頼りなさも際立つというか。切なくて、可笑しい。