●先日の「殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow」を読み終えて充足しつつ、やはりこれが読書日記である以上、ここで触れられているなにかを続いて読まなければおもしろくない。が、ポール・アルテにはどうしても食指が動かず、ひとまず未読だったジーン・ウルフの中短篇集「デス博士の島その他の物語」(国書刊行会「未来の文学」)を手に取る。傑作であることは承知していても、そう簡単には読む気になれないのがジーン・ウルフ。華麗とされる原文体や巧緻を極めた物語構造といった評判に身構えつつも、今さらながら。
●表題作「デス博士の島その他の物語」がすばらしい。主人公の少年は離婚した母親とともに暮らしている。少年は「デス博士の島」という、どうやらH.G.ウェルズの「モロー博士の島」をモデルにしたような冒険小説を読んでいる。少年の空想は小説内の登場人物たちを次々と現実世界に呼び寄せる(それが見えるのは少年だけ)。少年の空想を通してだんだん現実世界の様子が読者にも伝わってくるが、母親はドラッグ中毒のようだ。少年は目の前に起きていることと「デス博士の島」の物語世界を行ったり来たりしながら、現実を認識する。
●悪役であるデス博士に魅了されている少年は、最後に本を放り出そうとする。少年はデス博士に向かって、最後はもうデス博士が死ぬとわかっているから読みたくないという。デス博士は少年にやさしく微笑む。「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ」「きみだってそうなんだ。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」。デス博士のあいまいな一言で物語は終わる。どうとでもとれるが、ひとまずは物語内物語の存在であるデス博士が、少年に向かって、少年自身も物語内存在であることを指摘するというメタフィクション的な仕掛けになっている。本を読み終えるのが惜しいという読書体験の普遍的な喜びを、そのまま物語内世界に組み込んだものともいえる。
●一種の言葉遊びみたいなものだが、この本には表題作「デス博士の島その他の物語」のほかに、「アイランド博士の死」「死の島の博士」という短篇が収録されている(それぞれ直接的なつながりはない)。さらに念入りにも、前書きのなかで「島の博士の死」という前書き内ショートストーリーまで登場する。とすると、この本を読んだ後に聴くべき音楽といったら、ラフマニノフの交響詩「死の島」しかないだろう。これでラフマニノフが「ドクター」の称号を持っていれば、「博士の死の島」となって完璧なのだが……。
2015年8月アーカイブ
「デス博士の島その他の物語」(ジーン・ウルフ著)
「チェリビダッケ、ベルリン・フィルへの帰還」
●ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホール(DCH)でドキュメンタリー「チェリビダッケ、ベルリン・フィルへの帰還」が公開されている。なんと、日本語字幕付き。これは過去にもパッケージで発売されていたものなので見たことがある方も多いかもしれないが、DCHのチケットで手軽に見られるのは朗報。
●で、これが抜群のおもしろさ。かつてカラヤンとシェフの座を争った末にベルリン・フィルと袂を分かったチェリビダッケが、1992年にドイツ大統領が主催したチャリティ演奏会のために38年ぶりにこのオーケストラに帰還した。曲はブルックナーの交響曲第7番。リハーサル映像と関係者のコメントによって構成されている。天下のベルリン・フィルに向かって、チェリビダッケは「君らはブルックナーを知らないから、教えてしんぜよう」的な尊大な態度で立ち向かう。一小節と進まないうちにオーケストラを止めて、講釈を垂れる。長々と講釈をして棒を構えてやっと振るかと思ったら、そこでまた違う話を始める。指揮が始まったら始まったで、馬に鞭でも入れるかのように大声で叫ぶ。「ヴィオラ! ヴィオラ!! ヴィオラ!!!」(←だんだん大声で)。こんなにオーケストラから嫌われそうなリハーサルがあるだろうかと思うほど。でも出てくる音はすさまじい。
●オーケストラへの指示は、ときに細かく実践的で(どうしてそんなにヴィブラートをかける? 君たちはベルリン・フィルだから?)、ときに抽象的で衒学的だ。「音に音符以上の意味を持たせなければいけない」「最後の一音は最初の一音の論理的な帰結でなければならない。終わりは始まりのなかにある」「美ではない、美は一時的だ。しかし美は真実に到達する」。うん、きっとその通りなんだろう。でもそれっていったいどうやって弾けばいいのよ? カメラは楽員の表情をとらえる。うんざり顔、ナーバスになっている顔、苦笑する様子……。ピリピリとした張りつめた空気が、どんよりと流れつつも、進むにつれてやがてリラックスした表情も増えてくる、と見えなくもない。にこやかな場面の後に唐突に終わる。
●古参団員たちの証言もおもしろい。終戦直後の混乱期、ベルリン・フィルは自分たちとともに歩んでくれる指揮者を見つけられず、音大を出たばかりで指揮の経験がわずかしないチェリビダッケに白羽の矢を立てる。フルトヴェングラーの信奉者チェリビダッケは大きな成功を収める。チェリビダッケはベルリン・フィルをしごきまくった。やがて、チェリビダッケの要求を満たせない年長団員たちとの軋轢が生じた。オーケストラはフルトヴェングラー支持のベテラン勢と、チェリビダッケ支持の若手勢に二分されることになった……。
●映像ドキュメンタリーの常として、作り手は自分の見せたいストーリーを見せることができる。この作者はだれなんだろう。
●本番の映像もDCHで見ることができる。パッケージでほしいという方はDVD等でも入手可能。
Bunkamuraザ・ミュージアムで「エリック・サティとその時代展」
●ようやくBunkamuraの「エリック・サティとその時代展」へ。作曲家を題材とした展覧会ってどうなのか……と思いきや、展示物が驚くほど多彩で、期待以上に見ごたえあり。ロートレックの「ムーラン・ルージュ」ではじまり、ピカソ、コクトー、ジョルジュ・ブラック、マン・レイら、多数の登場人物があらわれてその時代の空気を伝えてくれる。もちろんサティ本人の自筆譜や手紙もある。さらには山高帽、杖も。
●「パラード」に関する展示が豊富にある。ピカソの「パラード」の幕のための下図や舞台装飾のための習作、ラハマンの撮影した写真、コクトーの覚書きと素描、サティの素描付きの書簡等々。再現公演から3分ほどの映像もある。この映像だけを文脈から切り取って見ると、これがどうして騒動になったのかとも思うが。
●もうひとつ焦点が当てられているのは、ピアノ小曲集の「スポーツと気晴らし」。これも音だけを聴くとなんだかよくわからない曲だが(曲名と曲想が結びつかない曲が案外多い)、先に書かれているシャルル・マルタンの挿画と、サティが楽譜に添えたコメントを読むと、どんな情景が題材になっているのかがわかる。楽譜自体にも絵画的な作品性が漂う。さらに映像コーナーでは音と日本語字幕付きでこの曲集を鑑賞できるようになっていて、ありがたし。
●もうあと数日しかなくて、30日(日)までの開催。
ドルトムントの香川真司が今季リーグ戦初ゴール
●録画でFCインゴルシュタットvsボルシア・ドルトムント@ブンデスリーガ。昨シーズン、一時はまさかの残留争いにまで巻き込まれたドルトムントだが、今季は監督をクロップからトゥヘルに交代して、出直しのシーズンに。選手に大幅な入れ替えはなかったものの、はたして香川真司はポジションを獲得できるのかと案じていたが、がっちりとトップ下のポジションを確保している模様。香川は三日前のヨーロッパリーグ予選から引き続いて先発。フィジカル・コンディションも非常によさげで、完全に中心選手のひとりになっている。
●香川のゴールは後半39分の3点目。ペナルティエリア直前で右サイドからパスをもらい、背後からのディフェンスを背中でブロックしながら中に切れ込み、前方に詰めてきたディフェンスの股の間を抜いてゴール隅に流し込むというテクニカルなゴール。ドイツの屈強なディフェンス陣と当たり前に渡りあえるのがスゴい。試合を通じてのボールタッチ数も多く、ロイスらチームメイトとの連携もスムーズ。
●トゥヘル新監督がどんなサッカーを目指すのかは気になるところ。マインツでは岡崎慎司に活躍の場を与えてくれた。1973年生まれの若い監督で、選手としては2部リーグまでの経験しかなく、20代前半に引退して指導者の道を目指したという今風の戦術家タイプ。この試合は昇格組のインゴルシュタットが相手とあって、ドルトムントがポゼッションで圧倒していたが、クロップに似たタイプなのかなという印象を受けた。クロップは「ゲーゲンプレス」、つまり攻撃時に相手陣内でボールを失った際に、そこで守備陣形を整えるのではなく、逆に強烈なプレスをかけてボールを奪い返そうというスタイルで一世を風靡した。トゥヘルも同様の積極的なプレスを求めるタイプっぽい。強豪相手の試合での戦いがどうなるのかが楽しみ。今のところ選手を固定して戦っているが、90分を通してのハードワークが前提となるとコンディション的に選手の負担は大きいはずなので、どこかで攻撃の選手はローテーションさせていくつもりなのかも。
サリエリの「ダナオスの娘たち」
●Naxos Music Libraryにアクセスしたら、新レーベルとしてEdiciones Singularesが加わったというお知らせがあって、サリエリのオペラ「ダナオスの娘たち」の音源が載っていた。クリストフ・ルセ指揮レ・タラン・リリクの演奏。なにげに再生してみると、ドラマティックで躍動感あふれる序曲をはじめ、生気に富んだ音楽が次々と飛び出してきて、耳を奪われる。そういえば、「ダナオスの娘たち」って前にもなにかで話題にしたような……。で、思い出した。
●サリエリの評伝「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」(水谷彰良著/音楽之友社)に出てきたのだった。というか、この本に出てきたベルリオーズの回想録からの引用のなかで出てくる。若き日のベルリオーズはパリ・オペラ座で「ダナオスの娘たち」の上演を目にして、感激のあまり忘我の境地に至る。引用の引用になってしまうが、こんな一節。
ある晩、私はオペラ座へ行った。サリエリの「ダナオスの娘たち」が上演されていた。そこには荘厳、舞台の輝き、オーケストラと合唱団の壮大な響き、ブランシュ夫人の悲壮な演技と見事な声、デリヴィスの崇高な荒々しさがあった。(中略) 私が混乱と興奮で陥った忘我状態は言葉で表せそうにない。山奥の湖で小舟しか見たことのなかった船乗り志望の若者が、大海を進む三層ブリッジの大型船に突然乗せられたようなものなのだ。その夜は一睡もできなかった。
●少なくとも「中身のない音楽ばかりを書いて権謀術数だけでのし上がった作曲家」というイメージは払拭されるのでは。モーツァルトといったいなにが違うんだろうと思う、ルセの演奏を聴きながら。
アットホーム presents N響 Special Concert
●21日はサントリーホールでアットホーム presents N響 Special Concert。フィンランド出身のヨーン・ストルゴーズ指揮によるオール・ベートーヴェン・プロ。「エグモント」序曲、ピアノ協奏曲 第3番(アリス・紗良・オット)、交響曲第5番「運命」という王道のプログラム。ずしりとした手ごたえのあるオーソドックスなベートーヴェンを堪能。
●アリス・紗良・オットがステージにあらわれた瞬間に、客席のオッサンたちがどよめいた(ような気がする。実際に音はしてないけど)、美しすぎて。曲が終わると盛大なブラボー。アンコールにシューマンの3つのロマンスOp.28から第2曲。
●ベートーヴェンの「運命」は、第4楽章のリピートをしてくれてうれしい。あんなにカッコいいリピートを省略する手はないと思う。2回目を聴いているときも、「なんならもう一回リピートして3周目に入ってくれてもいいんだけどなー」と思うが、3回繰り返してくれた人はいない(そりゃそうだ)。
●「運命」の後に、アンコールでシベリウスのアンダンテ・フェスティヴォ。これが絶品。弦楽合奏に最後にティンパニが加わる。この曲にティンパニなんて入ったっけ?と思って、帰ってから確かめてみたらad lib.(随意に)で入っていた。
20周年と10周年
●本日は当サイトCLASSICAの開設記念日。ちょうど本日で20周年を迎えた。20年前といえば、まだ商用ウェブサイトなどというものがほぼなく、大学の研究室と一部個人サイトが日本語ウェブを形成していたというインターネット黎明期。当時、勤め人だったワタシは夏休みの三日間ほどを費やして、まだきわめてシンプルだったHTMLの書き方を書店にあった参考書で学び、ほんの数ページからなるサイトを作って公開した。ほんの思いつきで突発的に夢中になって作ったものが、形やスタイルを変えつつも20年も続いてしまったのだからわからないもの。
●しかし個人制作のウェブサイトなどというものはとうにピークを過ぎている。ブログ的なコンテンツも今ならSNSで展開する方がはるかに手っとり早いし、ネット上のプレゼンスもずっと容易に得られる。ただ、唯一決定的に違うのは、自分のサイトは自分のもので、自分が続ければ続くし、止めれば終る。SNS上のものは(感覚的には)中身は先方のもので、先方がサービスを止めれば終るし、先方が三角のものを四角にすると決めれば四角になる。その辺の感覚がだいぶ違っていて、なので自分でサーバーを借りて、自分でCMSをインストールして、自分で記事を書くデジタル小作農みたいな感じになってるわけだ。もっとも、技術的なところはもう自分でやる余力がないので(以前は多少は関心があった)、本音をいえばアウトソースしたいんだけど、個人サイトとしてはそれもなあ……。
●もうひとつ、個人的なことでいえば、先日、独立10周年を迎えた。つまり、会社を辞めて個人事業主となって10年が経過した。この10年間は驚きの連続で、その濃密さはとても一言では語れない。まだ10年とは。以前は一年は年々短くなると感じていたのに、今はかなり長い。10年前の時点でもそれなりに社会経験を積んだつもりだったが、同じ世界を別のサイドから見ることになったら風景が一変した。なんというか、編集者/企画者/出版社/依頼者サイドに立つのと、著者/請負者サイドに立つのとでは、こんなにも同じ事象が違って見えるんだ、みたいなことかな。まあ、どっちにしても、井の中の蛙が向いてる方角を変えた程度の狭い世界での話なのは承知してる。
●たいていの仕事はそうだろうけど、自分一人でできることなんてささいなことなので、しかるべきタイミングでしかるべき方々と出会えていることに感謝するほかない。社交性ゼロの人間なのに。そのありがたみは心に刻んでおきたい。
「ソーラー」(イアン・マキューアン著/新潮社)
●ぜんぜん新刊ではなくて、2011年の夏に刊行された本なのだが、今ごろ読んで身震いした。イアン・マキューアン著の「ソーラー」。世の中には気持ちが悪いほどタイムリーに世に出る本があるのだなあ。2011年は3月11日以来しばらくの間まったくフィクションを読む気になれなかったので、この本もスルーしてしまっていたのだが、もしあの年に読んでいたら、とてつもない破壊力があった。
●「ソーラー」とは太陽光発電のことを指している。主人公は若い頃にノーベル賞を受賞した物理学者ビアード。この物理学者がモラルのかけらもないような人物で、とことん打算的で、欲深く、好色で見境がない。ひたすら欲望に忠実に生き、かつてノーベル賞を受賞したという栄誉に自己満足を抱きつつ、名声を巧みに利用して世の中を渡り歩く。そんなビアードが、ひょんなことから同僚から新方式の太陽光発電についてのアイディアを盗み、大儲けを狙う……。この人物像が実に魅力的で、インテリの世界の描かれ方も秀逸。表層のストーリーだけでも抜群におもしろい。
●が、マキューアンのこと、それだけにはとどまらない。この本で冴えまくっているのは「ポストモダンな連中」に対するイジワルな視線。マキューアンだって現代の創作者であるので、これまでの作品に「書くことについて書く」といったようなポストモダン的視点を盛りこんできたわけだが、本書では主人公を物理学者に設定して、人文系の一部の困った人たちへのとまどいを語らせる。
ビアードは、一般教養課程では奇妙な考えが幅をきかせているという噂を聞いていた。人文科学科の学生たちは、科学は単にもうひとつの信念の体系にほかならず、宗教や占星術以上にあるいは以下に真実であるわけではない、と常日頃から教えられているというのだが、これは文科系の同僚に対する誹謗中傷にすぎない、と彼はずっと考えていた。結果を見れば、何が真実なのかはあきらかなのだから。だれが司祭が考え出したワクチンを接種しようとするだろう?
あるセミナーで社会人類学出身のフェミニストの女性科学者に対して、ビアードはまるで本人はそうと意識せずに失言して、彼女を激高させる。するとビアードの耳元で量子重力理論の専門家がささやく。
「まずいことになりましたな。彼女はポストモダンなんですよ、空っぽの酷評者、強烈な社会構成主義者です。連中はみんなそうですがね」
別の場面、機関投資家向けの温暖化対策の会議では、レセプションみたいなシーンで都市研究と民俗学の専門家がビアードに話しかける。
「じつは、気候科学によって産み出される物語のかたちに興味をもっているんです。これは、もちろん百万人の作者による、一種の叙事詩ですからね」
ビアードは警戒心を抱いた。(中略)物語性を云々する連中は、現実について歪んだ見方をしており、しかもすべての見方が等価値だと信じている。しかし、ビアードは「それはなかなか興味深いですね」と言う必要さえなかった。みんなが一斉にカップとソーサーを置いて、あわてて自分の席を探しはじめたからだ。
爆笑。これを書いているのが自然科学の人ではなく、小説家だというアクロバティックな構図がキモ。どうしてマキューアンはこんな視点で話を書けるんだろう。
●貪欲さがそのまま人間になったような主人公像が、際限なく消費するわたしたちの社会の比喩となっているのはたしかだろう。でもマキューアンなので、それをたしなめるような話にはなっておらず、むしろ底なしの欲望こそが真に問題解決に近づけるという、どちらかといえば市場主義の効用のほうを描いている。そして、おしまいまで読むと、本当に最後の最後の段階で仰天するのだが、どこから見てもそんな話のようには見えなかったのに、この話は「愛の物語」に着地している。この巧みさには舌を巻くしか。
歌劇
●電車で隣の女子が月刊誌「歌劇」を熱心に読んでいた。オペラ専門誌ではない。トップスター特集とか座談会とか楽屋取材とか公演評とか、目次の作りはそのまま生かせそうな気もするけど。
●だれか月刊「楽劇」を創刊してみては。
岡崎慎司プレミアリーグ初ゴール
●祝、岡崎慎司プレミアリーグ初ゴール。レスターシティは開幕戦に続いて第2節のウェストハム・ユナイテッド戦でも勝利を収めた。残留争いをすると思われたレスターが、開幕2連勝というのもスゴい。反動が怖いくらいに好調。
●岡崎のゴールは前半27分。2トップの相棒、ヴァーディが左サイドから入れたクロスに対して飛び込んで右足でボレー、これをキーパーが弾くものの、浮き上がったボールに対してふたたびヘディングで押しこんで決めるという、岡崎らしいゴール。2点目でも攻撃の起点になっていた。第1節では内容はよかったもののゴールに絡めなかったが、今節ははっきりとゴールという形で貢献できたのが吉。これでラニエリ監督は当分はヴァーディと岡崎の2トップ、その下にマレズという形で行くしかない。
●後半17分、岡崎は中盤の選手と交代。控えフォワードのウジョアとクラマリッチはこの日も出番なし。開幕までは2トップの一角は岡崎でもウジョアでもクラマリッチでもおかしくなかったと思うが、結果的に岡崎がチャンスをつかんでポジションを勝ちとったということになる。このチームのフォワードのポジション争いは相当厳しい。
9月11日問題
●一時期に特定の作品の演奏が集中するとか、別のオーケストラで演奏曲目が重なるということはよくあって、その主たる原因は「偶然」で説明が付くと思うのだが(乱数列を人間の目で見ると案外とパターンや重複が目についてしまうのと同じように)、それにしても9月11日のコンサート・カレンダーを見たときは一瞬目を疑った。この日の読響はカンブルラン指揮で、ムソルグスキーの交響詩「はげ山の一夜」(原典版)、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(小曽根真)、ムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」。一方、東フィルはバッティストーニの指揮でヴェルディの「運命の力」序曲、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(反田恭平)、ムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」。
●一曲目こそ違うが、「パガニーニの主題による狂詩曲」と「展覧会の絵」がそっくりかぶっている。どうせなら一曲目も同じだったらもっとおもしろかったのだが、さすがにそれはないか。カンブルランの「はげ山の一夜」(原典版)は、ムソルグスキーのオリジナルと、ラヴェル化されたムソルグスキーを対比する納得の選曲。バッティストーニの「運命の力」序曲は一見、なんで?と思うが、マリインスキー劇場で初演されたオペラということで、変則ロシア・プロになっているっぽい。
プレミアリーグ開幕、レスターシティの岡崎慎司など
●イングランドのプレミアリーグって、8月8日には開幕して第1節が行われているんすよね。早い! で、今週末はもう第2節になるわけだが、その前に第1節の雑感など。
●まずはドイツから移籍した岡崎慎司。レスターシティにやってきた。Leicesterと綴って「レスター」。よ、読めない……。で、岡崎慎司のハードワークを厭わない熱いプレイスタイルが見込まれて移籍したはずだったが、なんと、移籍後に監督が電撃解任され、代わってイタリア人のラニエリが監督に就任した。うーん、ラニエリとは。正直、まったくいい印象はないのだが、ビッグクラブを渡り歩いていてキャリアは立派なんすよねえ。こういう残留争いをするクラブを率いたときに果たしてどうなることやら。
●で、岡崎のポジション獲得はかなり不明瞭と思えたのだが、第1節サンダーランド戦は無事に先発フル出場! ラニエリは4-4-2を採用、イングランド代表のジェイミー・ヴァーディとともに2トップを組んだ。ベンチにクロアチア代表のクラマリッチ、昨季のチーム最多得点者であるアルゼンチン人の長身FWウジョアを置いて、岡崎堂々の先発。試合は得点の奪い合いになって、レスターが4対2でサンダーランドを下した。プレイメイカーのマレズ(アルジェリア代表)が足元でこねるタイプのテクニシャンで、独特のリズムを持っている。マレズとヴァーディが大活躍、岡崎はゴールもアシストもなし。ただ、存在感はあった。前線からの精力的な守備は効いていたし、サポーターにもファイトできる選手という印象を与えたはず。これをどう評価するかは視点によるが、ラニエリにはチームプレイヤーとしての必要性を認めてほしいものである。15日のウェストハム・ユナイテッド戦では先発できるだろうか。
●ところでレスターのゴールキーパーはカスパー・シュマイケル。え、シュマイケル? マンチェスター・ユナイテッドやデンマーク代表で活躍したあの名ゴールキーパー、ピーター・シュマイケルの息子さんなんだとか。いやあ、親父のほうはよく覚えているが、息子がもう28歳ってどういうことよ。ついでいうと控えのキーパーは元オーストラリア代表のマーク・シュウォーツァー。ニッポン代表とはさんざん対戦しているあのキーパーだ。
●対戦相手のサンダーランドは監督がディック・アドフォカート。レスターのラニエリといい、プレミアリーグはこのクラスのクラブでもこんな有名な監督と契約できるのかと思うと、なんというか、経済規模の違いを痛感する。
Windows 10とWindows 7へのアップグレード
●最近、Windowsのインストールばかりしている気がするが、サブマシンとして利用しているVAIOのノートPCをWindows 10にアップグレードした。意外と時間もかからずスムーズ。これは先日、SSDが壊れて修理に出したマシンで、その際、完全に初期化されてしまったもの。もともとWindows 8が入っていた機種なので 8→8.1→10と2段階アップグレードしたことになる。
●まだ使うというほど使っていないのでなんともいえないけど、最初の印象としてはとてもよさげ。タスクバーやスタートメニューまわりが改善されているのが気に入った。少なくとも8や8.1と比べて、アップグレードしない理由は見当たらない感じ(無料だし)。まあ、どんな罠があるかわからないので、まだ油断はできないが……。
●さて、メインマシンのデスクトップだが、こちらは古いマシンなので、先日、VistaからわざわざWindows 7にアップグレードしたわけだ。これを次の買い替えまで7のまま使い続けるか、さらに10に引き上げるかは悩みどころ。
●ひとつ備忘録として書き留めておくと、7に上書きアップグレードした際に、シンボリック・リンクの設定が解除されてしまっていたのが誤算といえば誤算だった。これはなんのためのものかというと、クラウドに写真データを保存しようと思って(Copyを使用)、Copyフォルダの配下に写真フォルダへのシンボリック・リンクを置いていた。ところが、7にアップグレードした際にリンクが外れてしまい、ローカルのCopyフォルダが空になってしまった。すると、クラウド上も空になるんすよね。そりゃまあそうだが、意図せずに数十GBのデータをクラウドから削除してしまったわけだ。もちろんリンク元にファイルはあるので、リンクを貼り直せば済むこと。管理者権限でコマンド・プロンプトを開いて(MS-DOS以来の長い付き合いがまだ続いているとは)、mklinkコマンドでリンクを貼り直して、もう一度数十GBをクラウドに送り直すことになった。もっとも、あわてていたので気がつかなかったが、よく見るとクラウド側のゴミ箱に元の写真データは残っていたので、もっとスマートな回復方法があったのかもしれない。
●↑うっかり見落としがちの点なので、書いておいた。だれに向けて書いてるかって? それはWindows 7から10にアップグレードするかもしれない近い将来の自分に向かってだ!
「殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow」(講談社)
●ようやく読んでいる、「殊能将之 読書日記 2000-2009 The Reading Diary of Mercy Snow」(殊能将之著/講談社)。中身は殊能将之のMercy Snow Official Homepage(もう今はない)にあった読書日記をまとめたもので、すでにほとんどはリアルタイムで読んでいたものだが、こうして本になったものを手にすると、改めてその鋭才に驚嘆する。ミステリ作家殊能将之は2013年に急逝した。いまだにそのことを信じ切れていないのだが……。
●殊能将之、というか学生時代から彼を知る者にとってはTさんであるわけだが(ワタシの一学年上だった)、Mercy Snowでの文体や、さらに後にTwitterでの話しぶり、口ぶりは学生時代の頃のそれとほとんど変わっていない。映画とか音楽の話だとか、料理の話なんかは、当時のしゃべっている口調や表情を今でも明確に思い出すことができる。最後の長篇となった「子どもの王様」を発表する前、「次の長篇の参考資料としたいからワーグナーの『パルジファル』でおすすめのCDがあったら教えてほしい」というようなメールをTさんからもらったことがある。「すごいよ、これは。パルジファル仮面が出てくるんだぜー」というのだが、そうだなー、でも「パルジファル」って殊能将之読者のいったい何パーセントに通じるネタなんだろうかと心配になったような記憶が。出版された本では「パルジファル仮面」じゃなくて、「神聖騎士パルジファル」になってたかな、テレビ番組のヒーローとして。Tさんは博覧強記の人なので音楽についても詳しかったが、クラシックでいえばロマン派のレパートリーには一切興味を示さず、バルトークやクセナキスといった20世紀音楽の一部を好んでいたと思う。もう彼が「殊能将之」として世に出た後だったと思うけど、なにかの機会に東京で会ったときにヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」がカッコいいというような話をしたことがあったっけ。基本、クラシックの人ではないんだけど。
●で、この「殊能将之 読書日記」はささっと読むということがどうにもできず、まだ序盤を読んでいるにすぎないのだが、今、延々とフランスのミステリ作家ポール・アルテのあらすじを読まされていて、さすがに「もうアルテはいいんじゃないのか」という気になっている(笑)。ごめん、アルテ、一冊も読んでない。それにしてもこれは氏の恐るべきところの一例に過ぎないんだけど、ささいな用事があってフランス語の文法書と辞書を買ったというところから始まって(そのなにげなさがポーズであったとしても)、フランス語の原書でアルテの未訳長篇を次々と読破して、その梗概をウェブで公開してくれているわけだ。信じられない。その後、アルテはいくつも邦訳が出ていて、今ならこれらの多くを日本語で読めるのだろうが……。ディクスン・カーすら読んでいない自分のような者には、いくつも奇抜なあらすじを読んで「この人ってフランスの島田荘司みたいな人かな」ととりあえず思ったわけだが、どうしよう……。一冊くらいは読んでみるべき?
●Tさんが殊能将之として「ハサミ男」でデビューしたときは、心底びっくりしたっけ。書店で手に取って、献辞のところ(別の知人のペンネームが書いてある)を見て、くらっと来た。恐ろしいほどの才能を持った人だったので、学生の頃からいずれ世に名前が出るはずの人と認識していたけど、それはたぶん批評か編集か翻訳の分野だと思い込んでいたので、よもや創作、しかもミステリ畑に行くとは思いもしなかったもの。
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2015~秋山和慶&東響「復活」篇
●9日はフェスタサマーミューザの最終日。秋山和慶指揮東響によるマーラーの交響曲第2番「復活」(ミューザ川崎シンフォニーホール)。ソプラノに天羽明恵、メゾ・ソプラノに竹本節子、合唱は東響コーラス。この音楽祭に足を運ぶようになってもう何年も経つけど、フィナーレコンサートを聴いたのは今回が初めて。前にも書いたけど、今年はマーラーの「復活」イヤーなので、ぜひ聴いておきたかったので。客席は満席。
●ゆったりとしたテンポで悠然と開始された堂々たるマーラー。自分の分類では最強の中二病名曲なんだけど、過剰な演出で煽り立てることのない健全かつ妄念レスな「復活」。それでも楽曲のサイズが作り出すスペクタクルは十分。ミューザの空間を豊麗なサウンドが満たしたのは爽快だった。合唱もすばらしい。
●サマーミューザで配布されている総合プログラム、今年は表4(裏表紙)から開くと、「川崎1dayトリップ ぶら~り♪のんびり 大師線の旅」という特集記事が載っていた。そういえば京急大師線って乗る機会がないし、川崎大師も一度も行ったことがないなあと思って眺めていたら、鈴木町駅に「味の素グループうま味体験館」がオープンしたという記事が。味の素瓶封入体験とか発酵タンク見学とか、なかなかおもしろそう。思わず気になって、味の素の基礎知識をサイトで眺めていたら、うま味体験館もさることながら、むしろ味の素そのものが欲しくなってきた。うま味上等。
中国vsニッポン@東アジアカップ2015
●東アジアカップ2015、1敗1分で迎えることになった第3戦はホームの中国が相手。アウェイでの中国戦はいつも厄介だが、案じていたよりは正常な試合になっただろうか……いやいや、どこに基準を置いているんだか。1対1の引分けで、3試合して勝点2でニッポンは大会の最下位に。その前のワールドカップ2次予選のシンガポール戦から数えて、4試合連続アジアの戦いで勝利がないという異常事態。うーむ、ハリルホジッチという最高の監督を選んだはずだったのに、よもやこんな低調な試合が続くことになるとは。ハリルホジッチについては「ツキがない」という気もしているが、Jリーグ勢のプレイ精度の低さについては一朝一夕でどうなるものでもない。
●メンバーはキーパーと両サイドバックが新鮮。遠藤航を右サイドバックではなく中盤で起用した。GK:東口-DF:米倉恒貴、森重、槙野、丹羽大輝-MF:遠藤航、山口蛍-永井(→浅野拓磨)、武藤雄樹(→柴崎)、宇佐美-FW:川又(→興梠)。開始早々はニッポンがボールを回し、宇佐美のバーに当たる惜しいシュートがあったが、前半10分にさっそく失点してしまう。ウー・レイのミドルがディフェンスにあたってコースが変わってゴールに吸い込まれるという、やや不運な形。同点ゴールは前半41分。これはたぶん練習から狙っていた形なんじゃないかと思うが、センターライン付近から槙野が左サイドに走りこんだ米倉に長いスルーパスを出して、米倉がワンタッチでグランダーのクロスを送り、ニアで武藤がドンピシャで合わせてゴール。このシーンは美しくて、しかも効率的だった。後半の終盤からは互いに運動量が落ちて、どちらが決勝ゴールを奪ってもおかしくない展開だったが、そのままドロー。ニッポンは相手ゴール付近でプレイの正確性を欠くという従来から指摘される問題点が一段と目立った感じ。しかし中国のパフォーマンスも褒められたものではなく、相変わらず雑というかラフというか。
●Jリーグ勢のなかでも実績のあるベテランを呼ばずに新戦力の台頭を期待して臨んだハリルホジッチだが、結果としては山口や宇佐美ら実績のある人がやっぱり上手いということがわかったという気も。アジアのレベルでも、前からプレッシャーをかけられたときに落ち着いてプレイできる選手は少ない。大事に使ってもらった川又、永井ははたしてこれからも呼ばれるかどうか。遠藤航や武藤雄樹は収穫だった。
フェスタサマーミューザKAWASAKI 2015~大野和士&都響篇
●例年はもう少したくさん足を運んでいるのだが、今年は日程がなかなか合わず、ようやく5日にフェスタサマーミューザへ。大野和士&都響(ミューザ川崎シンフォニーホール)。首都圏のオケが集うこの音楽祭、どんな演目を組むかもそれぞれの楽団次第で、ファミリー・コンサート的なプログラムも目立つ中、都響は本格路線。プロコフィエフのバレエ音楽「シンデレラ」組曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」。
●で、この日は15時半から公開リハーサルがあるということで、まずはそちらから見学。せっかく川崎まで足を延ばすんだから、フルコースで参加しないと、と思いつつ。この日は頭からおしまいまで全部通した後で、わずかな指示があったのみ。もうしっかりとできあがっている。分解能が高く、精緻で輝かしいサウンド。特にショスタコーヴィチの完成度が高くて、もうかなり充足してしまったというか、ネタバレ気味になったというか、「もうこのまま帰っちゃってもいいんじゃないの」的なおかしな考えが頭を一瞬よぎったわけだが、もちろん、そんなわけない。本番になるとやっぱりリハーサルとは違っていて、事前にきちんと形を作っておいた入れ物のなかに生命が吹きこまれるというか、魂が宿るというか、一段階も二段階も積み上げがあって、ほぼ満席の客席をわかせた。
●リハーサルからどれくらいのお客さんが来ているのか、気になって目視で測ってみた。ざっくりした推測値で300人くらいじゃないだろうか。2000人中の300人ほどが平日昼間の公開リハーサルにやってくる。これは熱い。
ニッポンvs韓国@東アジアカップ2015
●うーむ、またしても苦しい試合になってしまった。東アジアカップの第2戦、ハリルホジッチ監督は初戦からメンバーを何人か入れ替えてきた。前の北朝鮮戦がひどかったこともあるだろうが、選手の消耗度を考えても替えるしかないのか。気温はかなり高そう。継続的な前線からのプレスをあきらめて、しっかりと守備ブロックを整えて守る姿勢が目立ったが、アジアの大会でボール支配率36%のニッポン代表を目にすることになろうとは。
●GK:西川-DF:遠藤航、森重、槙野、太田-MF:山口蛍、藤田直之-永井謙佑(→浅野)、柴崎、倉田(→川又)-FW:興梠(→宇佐美)。鳥栖の藤田とガンバ大阪の倉田は代表デビュー、かな。前半26分、森重のエリア内でのハンドがありチャン・ヒョンスがPKを決めて韓国が先制。これはまたしても……と思ったが、前半39分に山口蛍の鮮やかなミドルで1-1の同点に。後半、ニッポンは攻撃の選手を交代しつつ、前線の選手の並びをさまざまに入れ替えるが、このまま引分けに。韓国のトップに2m近い選手がいたので、前の試合と似たような展開にならないかと、終盤はひやひやさせられた。
●守ったために支配率が下がるのは悪いことではないにしても、パスミスがあまりに多かった。カウンターのチャンスがかなりあったにもかかわらず、決定機にまで至らない。足元にボールが収まる選手も少ない。永井、興梠にもう少し確実性があれば。永井に代わった浅野も絶好の形でペナルティエリア内にまで侵入しながら、決断力を欠いてチャンスをふいにしてしまった。
●日程面から準備が不足しているからなのか、国内組にタレントが不足しているのか。3戦目の中国戦は内容が問われるところだが、なにしろ相手のホームゲーム。荒れた試合にならないことを願うばかり。
映画「ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏」
●ニック・リード監督の映画「ボリショイ・バビロン 華麗なるバレエの舞台裏」のプレス試写へ。よくこんな映画が実現したなと感心するほかない。ボリショイ・バレエ団を題材としたドキュメンタリーだが、なにしろ2013年に起きた元スターダンサーにして芸術監督のセルゲイ・フィーリン襲撃事件がきっかけとなって作られているので、ただ事では済まない。セルゲイ・フィーリンは何者かに硫酸を顔にかけられて失明の危機に瀕する重傷を負った。その後、襲撃を仕組んだとしてダンサーのパーヴェル・ドミトリチェンコが逮捕される。劇場内はフィーリンを支持する者とドミトリチェンコを擁護する者に分かれる。
●これだけでも衝撃的な事件だが、この映画で追いかけられているのは、むしろその後の劇場内の対立のほう。フィーリンはドイツで治療を受けて、劇場に帰ってくる。事件後に劇場総裁としてウラジーミル・ウーリンが招かれるが、ウーリンとフィーリンの間には過去に遺恨があり、互いに犬猿の仲であることを隠そうともしない。フィーリン、ウーリン、ダンサーたちなど劇場関係者の歯に衣着せぬインタビューが集められており、劇場内部に渦巻いている相互不信が赤裸々に伝わってくる。
●同じ劇場で働いている人たちなのに、こんなに堂々と公開映像を通じて相手を批判しあうというのも驚きだし、だれもが率直に語っているようでいて、実のところポジショントークをしているだけではないかという疑いもぬぐえない。ロシアでは権力を持つものとそうでない者との関係性が、ワタシらの知る世界とはずいぶん違うんだなという印象を受ける。こんなに刺々しい人間関係のなかで、いったいどうやって良い舞台を作っていけるというのだろうかと思うが、これらの証言の合間にさしはさまれるバレエの舞台映像は皮肉なほど美しい。
●ダンサーたちを集めた内輪のミーティングで、総裁のウーリンが演説をはじめると、フィーリンが噛みついて険悪になるシーンなんかも入っている。そこでウーリンが「今この劇場は音楽的な水準が低い。シーズン中なのに異例のことだが音楽監督を解任する」みたいなことを唐突に言い出して唖然とする。ていうか、その音楽監督ってヴァシリー・シナイスキーのこと? なんだかなあ。
●映画はだれの立場にも肩入れしていない。主要な登場人物のだれにも好感を持てないというドキュメンタリー。監督は「フレデリック・ワイズマン監督風」の撮り方を取り入れたといっている(ワイズマンよりずっと観客にフレンドリーな仕上がりだとは思うが)。しかし、こんな作品をボリショイ劇場側に見せたら、激怒されたんじゃないか、なぜ公開が許されたのだろう……と不思議に思っていたら、プログラムによればウーリン総裁は最終版を見て「妥協していない作品だと認めて、非常に気に入ってくれた」とか。むむ。そう聞くと、案外懐の深いヤツじゃないかと思えてくる。
●公開は2015年9月19日(土)より、Bunkamuraル・シネマほかで。全国順次公開。
Windows 7への華麗なるアップグレード
●世間はWindows 10で盛り上がっているのに、なんということであろうか、メインで使用しているPCのWindows Vistaを今さらながらWindows 7へとアップグレードしたのだっ! 6年前にリリースされたOSに、いま新鮮な感動を味わっている。Windows 8や8.1にはない枯れた味わい、しっくりと来るまとまりのよさ。うーん、やっぱりWindowsはいいな! Windows愛がじわじわと高まってくるのを感じるぜ!
●といっても気まぐれでバージョンアップしたわけではなく、熟慮の末にこれが必須だと考えて敢行した次第。理由は3つほどある。1つ。Windows VistaではApple Musicを利用できない。SONYのMusic Unlimitedなき今、これは業務上必須。2つ。Vistaから8や10にアップグレードした場合、上書きインストールができず、新規にセットアップすることになってしまう。どのみち近く買い替えが必要な古いPCに一から環境構築する手間をかけたくない。唯一、Windows 7になら現在の環境を保ったままアップグレードできる(ただし、32bit版は32bit版のままで)。その3。いったんWindows 7以上にしてしまえば、無償でWindows 10にアップグレードできる。お得すぎる。10に移行するかどうかは考えどころだが……。
●そんなわけで、Windowsのアップグレードをドキドキしながら見守るという体験を久々にしたわけだが、ほぼ期待通りのスムーズさで移行完了。予想外だった部分もあるにはあるが、ここに6年前のOSへのアップグレードについてノウハウを書いたところで、だれの役にも立たないだろうから止めておく。
●今回用いたOSは Microsoft Windows7 Home Premium 32bit Service Pack 1 日本語 DSP版 というもの。ちゃんとまだ販売されていてえらい。もちろん正規品だが、サポートはない。DSP版は32bit版と64bit版が別の商品として販売されているので、これから買う人はまちがえないように(買いません)。
北朝鮮vsニッポン@東アジアカップ2015
●東アジアカップ2015が開幕。開催地は中国。初戦はどうもここのところ分が悪い北朝鮮。ハリルホジッチ体制になったところで、ここらで実力差を見せつけておきたいところ……と思っていたら、逆転負けしてしまった。しかもあんな長身選手にロングボールを放りこむだけの形で2点も。がっくり。しかし、失点シーン以上に90分通しての内容が悪かったほうが問題。
●ニッポンはかなりフレッシュな陣容。日頃Jリーグを見ていないと、知らない選手だらけなのでは? フォーメーションは4-2-3-1の形。GK:西川-DF:遠藤航、槙野、森重、藤春-MF:谷口彰悟、山口蛍-永井謙佑(→浅野拓磨)、武藤雄樹、宇佐美(→柴崎)-FW:川又(→興梠)。
●前半3分、右サイドから遠藤航が低く鋭いクロスボールを入れ、走りこんだ武藤雄樹(今話題の武藤じゃないほうの武藤。レッズの武藤)がディフェンスと競りながらドンピシャで合わせて先制ゴール。どちらも初代表の選手で点を獲ったということで、これ以上はない立ち上がり。特に遠藤航。所属の湘南ではセンターバック、U22代表ではボランチの選手で、右サイドバックはやったことがないという選手。ハリルホジッチは大胆にも代表デビュー戦でこのポジションをやらせたわけで、この時点では策が的中した感があった。どうしてこうなるかといえば、Jリーグで3バックのチームが増えてきて、そうするとサイドバックというポジション自体がなくなる。でも代表はずっと4バックなので国内組だと「本職サイドバック」の対象者がそんなにいない、ということなんだろう。
●ピッチコンディションがよくわからなかったが、ニッポンも北朝鮮もよくボールを失う。前半から互いにチャンスを創出したというよりは、互いにミスからピンチを招きすぎた、という印象。ただ、どちらも決定機を生かせない。特に川又、永井が決定力の点で物足りない。川又はポストプレイもできていないし、簡単にボールを失いすぎで、まったく持ち味を発揮できず。北朝鮮はいつのものようにシンプルだが力強いサッカーで、11番のフォワード、チョン・イルグァンが脅威に感じた。
●後半、まず宇佐美を柴崎に交代。ここまでボールが足に付いているのは宇佐美くらい、という状況だったのだが、中盤の構成を変えるための戦術的な交代。続けていいところなしの川又を興梠に。3枚目のカードは終盤に永井を同じくスピードのある浅野に交代。しかし戦術面でも運動量の面でもハリルホジッチ采配はあまり効果的だった感じはない。
●一方、北朝鮮の采配は恐るべき効力を発揮した。後半21分に2メートルくらいあろうかという長身フォワードのパク・ヒョンイルを投入。まさにこれが無慈悲な鉄槌をニッポンに食らわせることになった。後半33分、北朝鮮は自陣から山なりのロングボールをニッポンのゴール前に。これをパク・ヒョンイルが森重に競り勝って頭で落としたところに、リ・ヒョクチョルが蹴りこんで同点ゴール。なんじゃそりゃ。さらには後半43分に左サイドから上がったクロスにまたもパク・ヒョンイルが槙野に競り勝って、ヘディングで逆転ゴール。もう戦術もへったくれもない。通常、パワープレイに対してはボールの出どころにプレッシャーをかけるなどの対応が求められるわけだが、1点目なんて自陣から山なりで蹴りこんでる。競り負けた森重と槙野にもがっかりだが、こんな攻撃を通用させてしまったということが、サッカーの神様に対して申しわけない。
●暑かったようだが、アジアの戦いでは珍しいことに後半途中からニッポンが走り負けていた。シーズン真っ最中のJリーグ勢で戦っているのに、フィジカル・コンディションで負けてしまうとは。北朝鮮はこの試合のために相当入念なトレーニングを積んできているとしか。北朝鮮 2-1 ニッポンで完敗。
●韓国、中国とさらに難敵が続くが、このまま低調な試合内容が続くと、代表の問題というよりJリーグの選手たちのクォリティが疑われかねない。この大会で本当に問われているのはハリルホジッチでもニッポン代表でもなく、Jリーグの質なんじゃないかという気すらする。