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October 1, 2015

ハイティンク指揮ロンドン交響楽団のマーラー、ブルックナー

●28日(サントリーホール)と30日(ミューザ川崎)は、ハイティンク指揮ロンドン交響楽団へ。ともに前半はペライアを独奏に迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調、後半は前者がマーラーの交響曲第4番、後者がブルックナーの交響曲第7番。ペライアのモーツァルトだってもちろんすばらしいのだが、それぞれ後半のプログラムが圧倒的に強い印象を残した。
●どちらも弦楽器は対向配置で、第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの並びで、下手奥にコントラバスが並ぶタイプ。最近、パーヴォ&N響、ブロムシュテット&N響、ノット&東響など、このタイプの対向配置をひんぱんに目にするようになってきた。一見、上手側がヴィオラと第2ヴァイオリンだけで、なんだか左右にアンバランスに思えるけど、響きの面でバランスに問題を感じることはほぼない。ひょっとして(少なくとも客席側にとっては)どんな配置だっていいのかも。以前、パーヴォ・ヤルヴィはこの方式だといくつかうまくいかないレパートリーもあるというようなことを言っていたが……。
●マーラーは曲が進むにつれて焦点がぐっと合ってきて、最初は地続きの地上の音楽としか思えなかったものが、最後は天上の音楽として調和したといった感。ソプラノはアンナ・ルチア・リヒター。のびやかで清澄、言うことなし。ブルックナーはさらに集中度の高い演奏で、第2楽章アダージョが白眉。かなり明るいサウンドなんだけれど、芯があって、厚みも不足しない。重厚な暗褐色のサウンドじゃなくても、宗教的恍惚感みたいなものは備わるのだなあというのが発見。少しおもしろかったのは、上手側でトロンボーンと一緒に吹いていたテューバが、第2楽章だけはわざわざ下手側のワーグナー・テューバの傍らに移動していたことか。マーラーにしてもブルックナーにしても外見上の意匠の新奇さとは無縁のところで、みずみずしい音楽が生み出されていた。両日ともハイティンクのソロ・カーテンコールあり。
●この一年くらい、意識的にブルックナーの7番をたくさん聴いてきたけど、これでたぶん一段落。充足できたので、もう当分いいかも。

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