●生誕150年企画でこの時期に集中して来日するフィンランドの名指揮者たち。リントゥ、ヴァンスカ、さらにオッコ・カムも。オッコ・カムはラハティ交響楽団と3公演にわたってシベリウス交響曲サイクルを指揮。プログラム的には交響曲第5、6、7番にひかれるんだけど、その日は都合がつかず、27日の交響曲第3番、ヴァイオリン協奏曲(ペッテリ・イーヴォネン)、交響曲第4番へ(東京オペラシティ)。交響曲第4番で終わるというのが演奏会としてはどうなんだろうと思わなくもないが、番号順で三日間に分けるとこうなるのか。
●先日のリントゥ指揮フィンランド放送響に比べると、こちらのほうがローカリズムを感じさせるだろうか。第3番の冒頭がかなり意外性のあるニュアンスの付け方だったので、全編この調子で行くのかと思いきや、そうでもなくて大らかで伸びやかな好演。ヴァイオリン協奏曲はペッテリ・イーヴォネンが気迫のソロで、求心力のある音楽を聴かせてくれた。アンコールにイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第3番から「バラード」。後半はいつ聴いても暗鬱な気分になる交響曲第4番。さすがにこれでおしまいということはなく、アンコールは気前よく3曲も。「悲しきワルツ」、組曲「クリスティアン2世」より「ミュゼット」、「鶴のいる風景」。オケの退出後、オッコ・カムのソロ・カーテンコールあり。
●交響曲第4番→「鶴のいる風景」はワーグナーだなあ、って感じる。「パルジファル」→「トリスタンとイゾルデ」的な。
2015年11月アーカイブ
オッコ・カム指揮ラハティ交響楽団~シベリウス交響曲サイクル
マリナー指揮N響でブラームス他
●26日はマリナー指揮N響へ(サントリーホール)。当初メナヘム・プレスラーがモーツァルトのピアノ協奏曲第17番を演奏する予定だったのだが、健康上の理由によりキャンセル。代役はオピッツで、曲も同じモーツァルトの第24番に変更されてしまった。プレスラーのソロを聴けなかったのは実に残念。マリナーとの90代コンビを聴いてみたかった。
●後半はブラームスの交響曲第4番。うーん、すばらしく味わい深い。といっても、なにか特別なことをしている感はぜんぜんなくて、自然体のブラームス。もしこれを10年前に聴いていたら、はたしていいと思ったかどうかわからないが、今はこういう角の取れた温かみのある演奏を聴くと素直に楽しいと思える。細部まで仕掛け満載とか、作品観を更新するとか、そういった才気煥発とした演奏とは別種の音楽で、ときどきはこういう演奏も聴かないと息苦しくなる。鷹揚なように見えても緩んだ印象を与えないのは、大ベテランならではの核心を突いた至芸ゆえか。
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●今週末のテレビ朝日「題名のない音楽会」は、ゲストにピアニストの反田恭平さんとサクソフォン奏者の上野耕平さん。司会は五嶋龍さんで、スタジオ収録。なぜかワタシも同席している。許せ。
Jリーグ、リーグ戦日程を終えたところで
●さて、先週末、Jリーグは2015年のリーグ戦の日程を終えた。次はチャンピオンシップであるが、その前にどうしても確認しておきたい。今年のJ1年間勝点1位はサンフレッチェ広島だ。勝点74。これに勝点72で浦和レッズが続く。3位のガンバ大阪は63。複雑怪奇なレギュレーションによって、結果的にこの3チームで変則チャンピオンシップを戦うことになったわけだが、その結果がどうなろうと、年間1位は広島だったという事実に変わりはない。Jリーグの「正史」では、チャンピオンシップ優勝チームがチャンピオンだが、最強チームが広島だったという結果はすでに出ている。
●不条理な擬製チャンピオンシップに比べれば、降格・昇格争いはずっと明快。J1から降格したのは松本山雅、清水、山形。名門・清水の凋落が悲しい。逆にJ2から昇格してくるのは、1位大宮、2位磐田は決定、もう1チームは福岡、セレッソ大阪、愛媛、長崎のプレイオフに。名波監督率いるジュビロ磐田がJ1に帰ってくるのは喜ばしいが、3位福岡を得失点差で交わした末のギリギリの昇格で、もともと戦力も充実しているようだし、これは名波監督の成功なのか、それとも失敗なのか。ちなみに福岡を率いているのは井原正巳。
●で、熱いのはJ2からの降格争い。最下位の栃木FCがJ3に降格、21位の大分トリニータはJ3の2位、町田と入れ替え戦を戦う。かつてJ1にいた大分が、J3に落ちてしまうかもしれないという危機。一方、町田はJ2に返り咲くチャンス。チャンピオンシップより、こっちのホーム・アンド・アウェイのほうがおもしろいんじゃないか。ちなみにJ3で優勝を果たしたのは、まさかのレノファ山口。来季はJ2へ。このクラブの勢いはとんでもなくすごい。だって、2014年にJFLにやってきて、ワンシーズンでJ3に昇格し、さらにJ3も優勝してワンシーズンでJ2に上がるんだから、まるでおとぎ話。いったい山口でなにが起きているんだか。
●JFLでは横河武蔵野FCがすっかり下位に沈んでしまい、かつてのアマチュア最高峰の強さは微塵も感じられない低迷ぶり。にもかかわらず、今ごろになってJリーグ入りを目指すという発表が。うーん、あの強かった時代ならすぐ目の前にJ2があったのに、今やJ3入りから目指さなければならないとは。でも歓迎。東京都にFC東京とヴェルディ東京だけじゃ少ないと思うんすよね。都下のクラブとして、もうひとつあってもいい。あ、でも町田も東京か。
ジョナサン・ノット&東響のリゲティ~ショスタコーヴィチ
●23日はミューザ川崎でジョナサン・ノット指揮東響。完璧なプログラムというものがあるとすれば、これだろう。リゲティの「100台のメトロノームのためのポエム・サンフォニック」、バッハ~ストコフスキー編の「甘き死よ来たれ」、R・シュトラウスの「ブルレスケ」(エマニュエル・アックス)、休憩をはさんでショスタコーヴィチの交響曲第15番。テーマは生と死。
●入場すると、前半の3曲は拍手を入れずに切れ目なく演奏すると記された注意書きが手渡された。というか、開場の時点ですでにリゲティは始まっているんである。舞台上で100台のメトロノームが時を刻んでいた。リゲティのこの曲では、異なるテンポに設定された100台のメトロノームが一斉に動き、すべて止まった時点で曲が終わる。そもそもオケのレパートリーでもなんでもないのだが、東響は100台のメトロノーム(もちろん機械式の)をこの演奏会のために調達して、舞台上に並べた。まず会場に入ってなににびっくりしたかといえば、「えっ、100台ってこんなに少ないんだ」。なにせ舞台が広いので……。なんなら1000台くらい置けそう。舞台上には次の曲を続けて演奏するためにオーケストラの椅子や譜面台がすでにセットされ、左右のほんの一角に各50台のメトロノームが配置されていた。この左右に分けるというのが、ステレオ効果というか(席によっては)遠近感を作り出していた。
●多数のメトロノームが動いている間は、ざわざわとした不規則なノイズ(まるで排水管から出てきそうな音)だったのが、どんどんと動作台数が減るにしたがって、パルスになる。漸次的な変化、偶発的に生まれるリズムがおもしろい。リゲティの演奏中に、袖から静かに楽員たちとノットがそっと入ってくる。メトロノームの最後の一台が止まると、すぐに「甘き死よ来たれ」が奏でられた。もうゾクゾクする。無機物であるメトロノームの停止が、どうしたって生命の終わりにしか思えなくなる。ストコフスキ編曲の饒舌なロマン性がこれほど生かされる場面もない。機械の生命への陶酔的な祈り。
●狙い通り、客席からは拍手も出ず、そのままアックスの「ブルレスケ」へ突入。この諧謔性もすごい。死んだメトロノームがティンパニの動機になって生き返って来るかのよう。躍動する生。で、ソリスト・アンコールがブラームスの最晩年の間奏曲op118-2。アンコールまで全体のプログラムの流れに沿っている(前日のサントリーホール公演ではちがう曲だった模様)。後半、ショスタコーヴィチの最後の交響曲である交響曲第15番では、「ウィリアム・テル」序曲や「トリスタンとイゾルデ」が引用され、在りし日が追想される。終楽章最後のパーカッションの刻みは、この日の最初のリゲティへとつながって円環を閉じる。既存作品の配置から大きなテーマを創り出すという、コンサートの「編集」手腕の巧みさには脱帽するしか。
●ところで、ヤマハの100台のメトロノームはどうなったのか。2回の公演を終えて、地元川崎市の中学校に寄贈されることになった。終演後、ノットがメトロノームにサインして、代表となる中学生たちに手渡すという寄贈式が行われたのであった。ノットはすばやく着替えて登場、プレス関係者が招かれてプチ取材。新品のメトロノーム100台は、川崎の学校で本来の役目を果たす。
フェドセーエフ&N響、チョ・ソンジン
●21日はフェドセーエフ&N響へ(NHKホール)。三連休だからなのか、ほかのイベントが重なっていたのか、原宿駅はホームから駅の外に出るまでが大変なほどの混雑ぶり。のろのろと歩く。この日のプログラムの前半は、ショパン・コンクール最高位入賞者を迎えてピアノ協奏曲のどちらかを弾くとかねてより発表されていたもので、結果的に1位のチョ・ソンジンが出演してピアノ協奏曲第1番を演奏することに。いったいどんなピアニストが出てくるのか……と思っていたら、すでにN響定期にも出演歴のあるような実績豊富な人が出てきたという、逆サプライズ。
●ということは、前回同じシチュエーションでアヴデーエワが出演してからもう5年も経ってるのか!? うーむ。そしてあのとき緊張とぎこちなさを感じさせたアヴデーエワに比べると、チョ・ソンジンは堂々たるもの。協奏曲は淡々としすぎた感もあったけど、アンコールの「英雄ポロネーズ」は独特でおもしろい。ショパン・コンクールに優勝すると、ピアノ協奏曲を一年間で何回弾くことになるのだろうか。
●後半はフェドセーエフ節が炸裂。グラズノフのバレエ音楽「四季」から「秋」、ハチャトゥリアンの「ガイーヌ」抜粋、チャイコフスキーの序曲「1812年」という、一歩まちがえると空疎な音楽になりそうなプログラムなのに、受ける印象はまったく逆で、「1812年」ってこんなに胸を打つ曲だったのかと認識を改める。グラズノフの「秋」はもっと速いテンポの曲で爆走する感じの曲だと思ってたんだけど、そうではなくて、ひなびた味わいのある田舎の収穫祭なのであった。「ガイーヌ」は「レズギンカ」での煽りがスゴい。強烈なリムショット付きのスネアドラムに客席から大喝采。熱かった。
東京ヴェルディの「25万円でヴェルディの選手になれる商品」
●すっかりJ2に定着している東京ヴェルディだが、そういえば長らくヴェルディの試合に足を運んでいない。以前は味スタでのヴェルディ戦ってけっこう好きだったんだけどなあ、客席が空いてて。今はどんな雰囲気なんだろ。
●で、そのヴェルディが発売したサポ心をくすぐりまくるであろう新商品が「VERS(ヴェルズ)」と名付けられた高額サービス。25万円を払うとヴェルディの選手になれる。いや、なった気分を味わえる。12大特典というのがあって、主だったところを挙げると、自分の指定番号とネームが入ったユニがもらえたり、契約書調印式とか新入団会見を開いてもらえたり、ホーム開幕戦のビジョンで選手紹介してもらえたり(かなり恥ずかしいぞ)、スタジアム入りから選手入場までの疑似体験やらよみうりランド練習場で練習を疑似体験できたりする。どうだろう、お値段はともかく、なかなかいい線をいってるんじゃないだろうか。
●ただ、少し惜しいんすよ。ほとんど正解ルートのようでいて、微妙に隣のレールを走っている感、満載。で、もし自分だったらどんなサービスにクラッと来るかを考えた。まず、新入団会見とかビジョンで選手紹介とか、そういうプレスに取材してもらえる系とか他人様にアピールできる系の要素は不要。こういうのは人知れずこっそり浸りたい楽しみなのでは?
●逆にすごく惹かれるのは選手入場疑似体験とか練習疑似体験のほう。ここをさらに一段強化して、選手になりきりたい。まず、ロッカールームに自分の名前と背番号をいれてほしい。そこでジャージに着替えたい(もちろん自分の名前と番号が入っているヤツ)。そして、仲間たちといっしょにピッチに入場したい。子供たちにFIFAの黄色いフェアプレイ・フラッグを持って先導してもらう。FIFAのテーマが流れる。仮想でいいので対戦相手にも入ってきてもらう。エスコート・キッズと手をつないで入場する。そして、試合前の記念撮影だ。後ろの列で腕を組んで立ちたい。生涯最高に気合の入った顔で。
●そして、ピッチに入って、試合前の練習だ。本物のピッチで本物のボールを蹴りたいじゃないっすか。うわ、天然芝だ。フルコートだ。コーチにボールを転がしてもらってシュート練習だ。テンションがあがりまくって力んで右足を振り抜くと、ボールにカシュッってかすって、あらぬ方向にコロコロと転がる。そう、本物のユニを着て本物のピッチに立っているが、実際のオレはド素人のオッサンだ。だが、なにを気にするというのだ? とにかくなんでもいいからボールをゴールマウスに蹴りこむ。ボールがゴールマウスに収まったら、とっておきのゴールセレブレーションを披露する。長年にわたって脳内リハーサルを積んでいるだけに、レパートリーはほぼ無尽蔵にある。ここはオレの心のサンチャゴ・ベルナベウ。いや味スタか。まあいい、どっちでも。
●ぜひ仮想試合もしたい。前後半10分ハーフでいい(それ以上はムリだし)。本物の選手といっしょにチームを組みたいとまではいわない。スタッフや、同じサービスを申し込んだ仲間たちといっしょにチームを組む。ポジションはもちろんセンターフォワードだ。なりきりインザーギでオフサイドラインぎりぎりに立ち、狙うのはゴールのみ。知っている。実際にサッカーをすれば、最初の1分でイヤになる。フルコートってこんなに広いんだ。パスが来てもドヘタクソにはなにもできない。お願い、ボール来ないで、こっちに来ないで。チームスタッフのパス、強いよ、怖いって。ああ、せっかく夢のサンチャゴ・ベルナベウ(じゃない味スタ)に立てたのに、オレはなんて弱気になっているのだ。そしてなにひとつできないまま、ぜえぜえと息を切らせて10分ハーフの試合を終える。心の底から自分がどれほど無力かを痛感する。な? これがサッカーの醍醐味なんじゃね? 真の祝福の瞬間が訪れる。シャワーを浴びて、ロッカールームで着替えて、期待の新入団選手からただのオッサンに戻る。
●自分が考える、究極のサービスってこんな感じだ。
アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮フランクフルト放送交響楽団
●18日はサントリーホールでフランクフルト放送交響楽団。ウワサの気鋭アンドレス・オロスコ=エストラーダの指揮。1977年コロンビア生まれ。プログラムはグリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(アリス・紗良・オット)、ベルリオーズの幻想交響曲。
●先週、ユジャ・ワンの独奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番を聴いたところで、今週はアリス・紗良・オットで第1番。このふたり、いろんな面で対照的で、オシャレで若いという点以外ではぜんぜん重なるところがないと思っているんだけど、なんだかこんなふうにチャイコフスキーの2曲を立て続けに聴くと、なにかの陰と陽を目の当たりにしたかのような気になる。といっても、どっちが陰とも陽ともいいがたいんだけど……。アリス・紗良・オットはこの日も素足で登場。歩行しているというよりは、風にふわりと乗ってやってくるかのよう。これまでに聴いたなかでは、このチャイコフスキーがいちばんしっくりと来た。民族色がきわめて希薄で、軽やかでスタイリッシュなチャイコフスキー。ダサさは罪、という説得力。アンコールにシューマン「子供の情景」より「詩人は語る」。やや意外な選択。
●オロスコ=エストラーダのベルリオーズはアイディアが豊富で、メリハリの効いた明快な「幻想」。鮮烈だけど、熱さやパワーで押さないのが吉。オーケストラのサウンドはドイツ的な重厚さ以上に柔軟さを感じさせるもので、若い指揮者と一体となっている感あり。アンコールにブラームスのハンガリー舞曲第6番。これは思い切りがよく、しかも高精度。別プロで微妙な評判が目に入っていたんだけど、オロスコ=エストラーダにはかなり好印象。この名前を覚えておかなければ。「オロスコ」のところが覚えにくいので、10回くりかえしたい。オロスコ=エストラーダ、オロスコ=エストラーダ、オロスコ=エストラーダ……(以下反復)。
カンボジア対ニッポン@ワールドカップ2次予選
●先日のシンガポール戦に続く東南アジアでのアウェイ連戦。カンボジア対ニッポン。ハリルホジッチ監督は前の試合からメンバーをほとんど入れ替えるという、公式戦ではなかなか見られないような大胆な策に出た。チーム内競争という狙いに加えて疲労対策もあったのかも。今回も気温は30度超、おまけにピッチは人工芝。ワールドカップ予選で人工芝というのもがっかりだが、それ以上に人工芝としても品質に問題があるのでは。ボールを蹴った瞬間に下から真っ黒なゴムチップがぱっと飛び散る。というか軸足からも飛び散ってる。かなり乾燥もしているのだろう。ボールの転がり方に違和感を感じる。選手はミスキックを連発。お互い条件は同じとはいえ、サッカー以前の悪条件との戦いに打ち勝たなければいけないのがアジアの戦い。主審も問題大あり。
●メンバーはGK:西川-DF:長友、吉田、槙野、藤春-MF:遠藤航(→柏木)、山口-香川-FW:宇佐美(→本田)、岡崎(→南野)、原口。長友は右サイドバックでの起用。カンボジアは先のシンガポールvsニッポン戦を研究してきたようで、5バックを敷いて、ニッポンのクロスボールをファーサイドに入れて折り返すという攻撃パターンをケアしてきた。前半は工夫のないまま0対0に終わってしまうが、後半頭から投入された柏木が中盤後方からゲームを作って好機が増えた。岡崎の甘いPKは失敗に終わったものの、柏木のフリーキックにゴール前で岡崎が相手ディフェンスと競り合ってオウンゴールを誘発して先制。後半45分に左サイドを思い切り駆け上がった藤春の狙い澄ましたクロスから、中央ニアで本田がヘディングで追加点。0-2。後半途中から出場した本田はほとんどセンターフォワードの位置でプレイ。
●カンボジアは若い選手が主体。9番のラボラビーはスピードで吉田を振り切るなど、能力が高い。全体によく走って守っていたが、後半は何人もの選手の足がつっていた。
●しかし試合内容としてはまったく冴えない。人工芝のゴムチップが主役を務めていたようなもの。カンボジアのスタジアムの雰囲気は、自国の代表を応援する熱気とともに、テレビで見る有名選手たちを相手に迎えた興奮も入りまじっている。本田や香川らがいるニッポン代表はスター軍団なのだろう。歓声が妙なところであがり、明らかにサッカーを見慣れていないお客さんがたくさん来ている。これはまさにJリーグ黎明期の日本のスタジアムの雰囲気では。つまり新しいファンがどんどん増えているという証拠。きっと、これからカンボジアは強くなる。試合終了の笛とともに、カンボジアの選手たちが次々とニッポンの選手とユニフォーム交換を求めてきた。これにも既視感。
●同グループのライバルであるシリアはアウェイでシンガポールに勝利。グループ1位のニッポンと2位のシリアの差は勝点1のまま。最終節のホームでの直接対決までもつれることになりそう。
METライブビューイング「オテロ」
●16日はMETライブビューイングの今シーズン第2作「オテロ」へ(東劇)。バートレット・シャーによる新演出、指揮はヤニック・ネゼ=セガン。オテロにアレクサンドルス・アントネンコ、デズデモナにソニア・ヨンチェーヴァ、イアーゴにジェリコ・ルチッチ、カッシオにディミトリー・ピタス。高品質の本格的な「オテロ」にどっぷりと浸かったという充足感。演出はオーソドックスで、練られていて力強いもの。歌手陣は充実。ヨンチェーヴァのデズデモナは一見、食堂のおばちゃん風の庶民的な雰囲気があるんだけど、歌唱は見事の一語。ルチッチはイアーゴにしては老いているかも?(イアーゴのオテロに対する独占欲とカッシオへの嫉妬という三角関係は薄まる)。ネゼ=セガンはオーケストラから精彩に富んだ表情を引き出していた。
●で、「オテロ」だ。いやー、本当にすごい作品だなと思う。「オテロ」のテーマは「嫉妬」。人間のもっとも醜い部分を描く。まったく古びることのないテーマであるうえに、このオペラで題名役が発する第一声はなんだろうか。「喜べ! 傲慢な回教徒たちは海に沈んだぞ」。特に演出上で焦点が当てられている部分ではないが、このタイミングで目にするとドキッとする。
●シャーの演出にはこだわらずに、「オテロ」について感じるところをいくつか。オテロは勇敢な戦士かもしれないが、心が弱い、とても。イアーゴとはオテロの弱い心が生み出した幻影みたいなものじゃないだろうか。実在ではなくて。イアーゴの奸計がなくても、オテロはいずれ同じ道を通ったにちがいない。
●カッシオはナイスガイなんだろう。しかしデズデモナはとりなしを頼まれたくらいでなぜあんなにカッシオを気にかけてやらなければならないのだろう。実はどこかで(過去あるいは現在)デズデモナとカッシオは通じていたのかもしれない。裏側から見ると、「ペレアスとメリザンド」のような物語が見えてこないのだろうか。
●オテロはいう。「このハンカチの刺繍は魔女がしたものだ。呪いがかかっているので、あれを失くすと恐ろしいことが起きる」。呪いは口にすることで効力を発揮する。この瞬間まではただの豪華なハンカチにすぎなかったものが、ただちに呪いのハンカチとなって、ふたりを無残な死へと導く。ニーベルングの指環とデズデモナのハンカチはオペラ界の二大カース・アイテム。
●ネゼ=セガンの指揮が冴えている。終幕、「アヴェ・マリア」に続く、あの恐ろしいコントラバス。戦慄。緊迫感が最大限に高まる。オテロは凶行に及ぶ。舞台(というかスクリーン)に目が釘付けになる。しかし、いったん死んだと思ったデズデモナがしばらくするとまた歌いだすのはどうなのか。さっき、死んだじゃん! 生きてるんだったら救命処置くらい試みようよ。この手のゾンビ歌唱だけは禁じ手にしたいものだが、あの世のヴェルディに直してくれって頼むわけにもいかないしなー。せっかくまじめに見てるのに笑ってしまったじゃないの。
●11月20日(金)まで上映。
シンガポール対ニッポン@ワールドカップ2次予選
●遅ればせながら20日のワールドカップ2次予選、シンガポール対ニッポン戦を録画で。なんだかもう遠い過去の出来事のような気もするが、ハリルホジッチは金崎夢生や柏木陽介を抜擢して、鮮度の高いメンバーを起用した。香川と岡崎はベンチに。香川は欧州で絶好調だが、疲労を考慮した模様。W杯予選でそんなことができるんだから、まだまだ余裕があるともいえる。センターバックは吉田の相棒に森重が復帰。GK:西川-DF:酒井宏樹、吉田、森重、長友-MF:長谷部、柏木-清武(→香川)-FW:本田(→原口)、武藤(→宇佐美)、金崎。
●会場はシンガポール・ナショナルスタジアム。これがまるでJリーグのスタジアムみたいな整った場所で、テレビで見ると「あれ?ホームゲームだっけ」と錯覚する。ホームでは圧倒的に攻めながらまさかのドローに終わってしまったシンガポール戦だが、アウェイでもほとんどニッポンが攻め続ける展開に。前半20分、右サイドから本田がファーにクロスを入れると武藤が頭で折り返して、中央の金崎がゴールして先制。3トップのコンビでゴールを奪った。金崎は5年ぶり?に呼ばれた代表で、代表初ゴール。祝。
●早い時間帯に無事先制ゴールを奪えたので、あとはぐっと楽な展開に。前半の内に本田が2点目をゲット、後半は30度という暑さもあって格段に動きの質が落ちてしまったが、それでも終了直前に吉田のゴールが飛び出して、3ゴールを奪って完勝。最初のゴールは練習通りの形だったと思うが、サイドからファーにクロス、これを中央に折り返して、中に詰めた選手がシュートするというパターンが試合中に何度も見られた。シンガポールは守りを固めてくる割には、クロスに対するファーサイドのケアが足りないという事前のスカウティングがあったのでは。
●シンガポールはキーパーのイズワン・マフブドが今回も好セーブを連発。シンガポールではこの選手だけが違うレベルで戦っている感じで、まさに守護神だった。とはいえ、これくらいチーム力に差があると、ニッポンの新戦力がどれだけ今後も期待できるのかどうかはなんともいえない。ザッケローニ時代の水準にまでは戻ってきたという手ごたえも感じてはいるんだけど……。
グスターボ・ヒメノ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
●で、その来日中のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団だが、今回の指揮者はグスターボ・ヒメノ。ヤンソンスではなく。このオーケストラの元首席打楽器奏者ということで、お互いをよく知るチームでの来日ということになった。12日、東京芸術劇場の公演へ。
●前半はユジャ・ワンの独奏でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番。期待通りの俊敏で鮮烈なピアノ。第1番ではなく、第2番を選んでくれたのがうれしい。え、第2番ってそんなに傑作かって? いや、ぜんぜんそう思わない。第2番のどこがいいかと言われたら、第1番のセルフ・パロディのようなところ、って答えると思う。第1番は奇跡の名作。アンバランスなりにバランスがとれてしまったみたいに見える。第2番には、懸命に書けば書くほど前作に似てきてしまうみたいな作曲家の苦悩が透けて見えるようで(こっちの思い込みなんだけど)、そこがおもしろい。第2楽章では独奏ピアノも放置してヴァイオリン独奏とチェロ独奏が二重奏を始めるという破れかぶれな荒技まで飛び出す。これはスゴい。
●ユジャ・ワンのドレスは青。いつも薄着で風邪をひかないのかなと心配になるが、この日はロングだった。でもシースルー。高速ひねりお辞儀も健在。ユジャ・ワンはユジャ・ワンであり続けるために見えないなにかと戦い続けている……という物語性を喚起するのが秀逸。アンコールにスクリャービンの「左手のための小品」op9-1、チャイコフスキー~ワイルド編の「白鳥の湖」より「四羽の白鳥の踊り」。
●後半はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。これはユニークな演奏だったと思う。悲劇的な強い情動といったものを決して前面に出さず、洗練された美音で綴る音の芸術。ダイナミクスも控えめ。透明感があって、きらめくような「悲愴」というか。第3楽章と第4楽章はつなげて演奏(第3楽章の勇ましい終結部の真っ最中にヴァイオリン奏者が譜面をめくるのが目に入って、なんでそこで?と思ったら)。弦楽器は通常配置。ファゴットとクラリネットの位置が通常とは逆になるのはいつものことか。曲が終わると客席に完全な沈黙が訪れた。ヒメノもゆっくりとしか棒を下ろさないので、だれも拍手のタイミングがつかめずガマン大会みたいに(?)ずっと沈黙が続く。そうだな、今日はこのまま拍手をせずにみんなしめやかに帰宅するのも悪くない。と一瞬思うがそんなわけなくて、やがて盛大な喝采に続いてアンコールを2曲。シューベルトの「ロザムンデ」間奏曲、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」のポロネーズ。
映画「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」
●今まさに来日中のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団だが、2013年に行われたオーケストラ創立150周年ワールドツアーを題材としたドキュメンタリー映画が、1月に公開される。タイトルは「ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」。「オーケストラがやって来た」じゃなくて「やって来る」。
●一足先に見せてもらったが、これは傑作。監督はエディ・ホニグマン。オーケストラを扱うドキュメンタリーの定石として、華やかなステージの裏側が垣間見えたり、オフステージの楽員の素顔がとらえられていたりする。空港からホテルへ、コンサートホールへ、そしてまた空港へとツアーを続けるメンバー、異国のホテルの部屋で家族とスカイプで話をする姿など、出張ビジネスマンのような姿に共感を覚える人も多いだろう。でも、この映画はさらに先、オーケストラ(あるいはクラシック音楽)と社会の関わりといったところまでを視野に入れて、これをさりげなく描く。
●たとえば、アルゼンチンを訪れた場面で、ふたりの楽員がサッカーの話題でもりあがる。自分は(母国ウルグアイの)ペニャロールが好きだとか、ウチの息子は住んだこともないのにバイエルン・ミュンヘンのサポだとか。で、マーラー「巨人」の第3楽章が流れ出す。しばらくするとカメラは街の様子をとらえる。およそオーケストラとは縁遠いスラム街が映し出される。その後、パッと場面が変わって豪華なコンサート会場へ。すごいギャップ。でもこれをただの「告発の姿勢」で描いていないんすよね。
●いちばん印象に残ったのは、ブエノスアイレス公演のシーン。客席でパリッとした服装の紳士が、熱心にオーケストラの演奏に耳を傾けている。だれだろう、地元の名士かなにかなのかな、と思ったら、これがタクシーの運転手。彼はいう。「一日12時間も車に閉じ込められて仕事をしていると、優雅さを失ってしまう」。でもクラシックは優雅さを回復してくれる、だから聴く。仕事仲間の前では車に流れるクラシックを消すようにしている(よくわかる)。束の間、運転手の仕事から解放されてコンサートホールで音楽を楽しむ。音楽に心から慰められている様子がひしひしと伝わってくる。そうそう、みんな多かれ少なかれ、そういうことなんだよな……とジンと来る。
よく似た話 「ナックルズ」と「グーバーども」
●「街角の書店 (18の奇妙な物語)」(中村融編/創元推理文庫)はいわゆる「奇妙な味わい」の短編を集めたというオリジナル・アンソロジーだが、このなかのカート・クラーク(ドナルド・E・ウェストレイクの別名)作「ナックルズ」を読んだときは思わずのけぞった。これって、以前当欄でも触れたアヴラム・デイヴィッドスンの短篇集「どんがらがん」(殊能将之編/河出文庫)収載の「グーバーども」と同じ話じゃないの。同じ話というのはいいすぎかもしれないが、アイディアはいっしょ(オチにかかわるので具体的には書けないが)。さて、これはどっちが先に書かれたのだろう?
●カート・クラーク「ナックルズ」の初出は1964年1月号のF&SF誌。アヴラム・デイヴィッドスン「グーバーども」は1965年11月、Swank誌。うーむ、かなり近い。これだけ見ると、デイヴィッドスンがカート・クラークのアイディアを拝借した可能性を排除できない。もっとも同工異曲といっても、仕上がりにはずいぶん違いがあって、デイヴィッドスンのほうがはるかに洗練されていて、鮮やか。オリジナリティをどっちに感じるかといえば、むしろ後発のデイヴィッドスンのほうだ。才気を感じる。
●アイディアを思いつくより、それを形にして、人を唸らせるような作品に仕上げることのほうがずっと難しいのだと改めて思う。
2016年 音楽家の記念年
●恒例、来年に記念の年を迎える音楽家一覧を。純粋に音楽家に限るとやや渋いラインナップだが、隣の畑まで見わたせばシェイクスピアという超大物がいる。
●例によって100年単位でしか見ないが(だって50年単位でもOKだったら約25人に1人は生年か没年が該当するわけで)、一応、断っておくとサティ(1866-1925)の生誕150年というネタもありうる。いや、以下のランナップと比べると、「ありうる」どころではない存在感を放ちそうな気もするけど。
[生誕100年]
アンリ・デュティユー(作曲家)1916-2013
ミルトン・バビット(作曲家)1916-2011
アルベルト・ヒナステラ(作曲家)1916-1983
カール=ビリエル・ブルムダール(作曲家)1916-1968
石桁真礼生(作曲家)1916-1996
小倉朗(作曲家)1916-1990
柴田南雄(作曲家)1916-1996
ペレス・プラード(ピアニスト、バンドリーダー)1916-1989
エミール・ギレリス(ピアニスト)1916-1985
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリニスト、指揮者)1916-1999
モーラ・リンパニー(ピアニスト)1916-2005
ロバート・ショー(指揮者)1916-1999
ジュゼッペ・タッデイ(歌手)1916-2010
[没後100年]
パオロ・トスティ(作曲家)1846-1916
エンリケ・グラナドス(作曲家)1867-1916
マックス・レーガー(作曲家)1873-1916
エドゥアルト・シュトラウス(作曲家)1835-1916
ユリウス・フチーク(作曲家、軍楽隊指揮者)1872-1916
ハンス・リヒター(指揮者)1843-1916
[生誕200年]
河竹黙阿弥(歌舞伎作者)1816-1893
[没後200年]
ジョヴァンニ・パイジエッロ(作曲家)1740-1816
フランツ・ヨーゼフ・マクシミリアン・フォン・ロプコヴィツ(ハイドンやベートーヴェンのパトロン)1772-1816
[没後400年]
ウィリアム・シェイクスピア(劇作家、詩人)1564-1616
[生誕400年]
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー(作曲家)1616-1667
[没後500年]
観世信光(能役者、能作者)1450-1516
「骨と翅」(サイモン・ベケット著/ヴィレッジブックス)
●いつも外出するときは電車移動用になにか一冊持ち歩くんだけど、その日はどの本をカバンに入れればいいのかすぐにわからなかった。えーと、どうしよう、別にいらないかな? いや、でも待ち時間とかできちゃうかもしれないし、うーん、もう時間ないからなんでもいいやっ!と思ってその辺に積みあがってる文庫本から一冊抜き出したのが、サイモン・ベケットのミステリー「法人類学者デイヴィッド・ハンター」。で、そんな本に限って、ハマるんすよね。おもしろくて止まらなくなってしまい、シリーズ3作目の「骨と翅」まで、読み切った。続きはまだ出ないの?
●「法科学ミステリー」と謳われてて、主人公の法人類学者が科学捜査をするんだけど、雰囲気としてはテレビドラマのCSIシリーズ ラスヴェガス篇みたいな感じ。つまり、ほどよくサスペンスや謎があって、でもそんなにピリピリと緻密じゃなくて、いい意味でヌルく読めるのが吉。一見すると、イヤな感じの話なんすよ。だって、腐乱死体みたいなのが次々出てくるし、主人公の過去の境遇が受け入れがたい感じの設定だし、怖い犯罪が起きるし。でもガチガチじゃないテイストのおかげで救われている。人物造形も巧み。
●あと、3作に共通して「閉鎖的な集団で疎外される人物」がテーマになっていて、これが味わい深い。辺鄙な田舎での密すぎる人間関係とその怖さとか。シリアルキラーよりそっちのほうがよっぽど怖いぜ、みたいな冴えた筆。
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●遅れてお知らせ。11月1日の「日経スタイルマガジン」(日本経済新聞朝刊折込)にて、森麻季さんのインタビュー原稿を書いてます。「The Borderless Life 境界を越えて」というテーマで、各界でボーダーレスに活躍する人々に焦点を当てる特集記事でした。
フットボール系あれこれ~武藤、代表、ハーフナー・マイク
●先週末のブンデスリーガ、アウグスブルク対マインツで、マインツの武藤嘉紀がハットトリックを達成。録画でざっくり見る。試合は3対3で引き分けだったが、3点目はロスタイムでの同点弾。武藤がヒーローになった。この日はワントップの位置で起用され、1点目と2点目はほぼ「ごっつぁんゴール」、3点目はペナルティエリア内で思い切り振り抜いたシュートが相手ディフェンスに当たって微妙に角度を変えてゴール。幸運もあったがポジショニングがよくなければこうはならない。武藤はドイツでプレーしていてもフィジカルで見劣りしないのがスゴい。
●マインツには武藤がいたわけだけど、相手のアウグスブルクには韓国人選手トリオが所属していて、この日はク・ジャチョル、チ・ドンウォン、ホン・ジョンホとそろって先発。ク・ジャチョルも1ゴールを決めた。ほかのチームを眺めても感じるけど、ニッポンにしても韓国にしても、だいたい代表レベルの選手だったらドイツの1部相当でやれる程度の実力はあると思えるようになってきた。個別にチームにフィットするしないの差はあるにせよ。
●ハリルホジッチ監督が今月のW杯2次予選、シンガポール戦とカンボジア戦に向けてのメンバーを発表。キーパーが西川周作(浦和)、東口順昭(G大阪)、林彰洋(鳥栖)の3人。これまで3番手に入っていた仙台の六反(元マリノスの第3キーパーだ)が落選して、林彰洋が入った。マリノス者としては心情的に六反を応援せずにはいられないので、なんとかまた代表に帰ってきてほしい。
●で、本来の正キーパー、川島は所属クラブが決まらないまま宙ぶらりんになっていたが、報道によるとスコットランド1部のダンディー・ユナイテッドと契約寸前まで来ているらしい。あとは労働許可証が出るかどうかの問題。しかし欧州での川島のキャリアはベルギー→スコットランドということになりそうだが、どうなんすかね。イタリアとかドイツの1部でプレイしていてもおかしくない選手だと思っていたけど……。ドイツでこれだけ多くの日本人選手が活躍しているのを見ると、欧州へ渡る際の入口をどこにするかというのは、選手にとって考えどころだな、と。
●今回、代表入りが有力視されながら選ばれなかったのがハーフナー・マイク(彼もマリノス育ち)。所属するADOデンハーグで今季8ゴールと絶好調なのに惜しすぎる。マイクの場合は、Jリーグからオランダ→スペイン→フィンランド→オランダと渡り歩いている。スペイン1部のコルドバに移籍を果たしたと思ったら、チームの不調と監督交代であっという間にスペインを去り、なぜかヘルシンキに移って活躍して、またオランダに帰ってきた。オランダは両親の故郷だから変則里帰りみたいなもの? 気がついたらもう28歳。代表で大ブレイクすると信じているのだが、そろそろ……。
トゥガン・ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団
●ソヒエフ指揮ベルリン・ドイツ交響楽団へ。30日の東京芸術劇場、3日のサントリーホールと2公演。オーケストラのサウンドは十分に重厚で、芯の強い音が出てくるが、カラーとしては意外と明瞭。むしろソヒエフの求める音楽が重いのかも。
●30日はシューベルト「ロザムンデ」序曲、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(独奏:神尾真由子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。メンデルスゾーンのソロはかつてないほどドロドロとした情念が渦巻く演奏で、強烈。ベートーヴェンの7番はヘビー級。多くの演奏がスパッと歯切れよく演奏するところをテヌート気味に音価を保って、フレーズを大きくとらえる傾向があるところが独特。重量感のある物体がするすると滑らかに動くイメージ。
●3日はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番(独奏:ユリアンナ・アヴデーエワ)、ブラームスの交響曲第1番。ちょうど5年前、ショパン・コンクールに優勝した直後のアヴデーエワが来日してショパンを弾いたのを聴いたけど、あの頃の初々しさとはもはや別人で、堂々たるもの。硬質なタッチで雄渾なベートーヴェンを聴かせてくれた。アンコールにショパンの「雨だれ」。ブラームスの交響曲第1番はのびのびとした文句なしの好演。豊麗なサウンドがすばらしい。なんだかオケのメンバーの表情が和らいでいるなと感じたが、演奏終了後に今回で引退する(と思しき)ベテラン奏者に小さな花を贈呈するミニセレモニーがあった。アンコールに繊細なグリーグ「過ぎにし春」と、30日でも演奏したモーツァルト「フィガロの結婚」序曲。豪快。
シベリウス生誕150年記念交響曲全曲演奏会/ハンヌ・リントゥ&フィンランド放送交響楽団
●本来生誕「150」年なんていうキリの悪い数字でなにかが盛り上がるはずがない……と思っていたのだが、ちょうど100年とかちょうど200年にこれといった人がいないと消去法的に150年に光が当たってしまう場合がある、みたい。ドビュッシーのときもそうだったし、今年のシベリウスもそう。で、シベリウスは1865年12月8日生まれなんすよ。なので秋あたりからいろんなオケがシベリウスの交響曲を演奏してくれて、ハンヌ・リントゥ、オッコ・カム、オスモ・ヴァンスカといったフィンランドの名指揮者たちが続々と来日してシベリウスを指揮してくれるというお祭り状態に。まさか、こんなことになろうとは。
●で、すみだトリフォニーホールの企画で、ハンヌ・リントゥは新日本フィルの2公演とフィンランド放送交響楽団の1公演と合わせて3公演で交響曲全曲を指揮するという変則チクルス。新日本フィルのほうは聴けなかったのだが、第3回のフィンランド放送響(11月2日)のみ参戦。曲がいい。交響詩「タピオラ」、交響曲第7番、交響曲第5番。
●フィンランド放送響のクォリティの高さに瞠目。特に弦楽器のマットな質感はなんともいえない美しさ。こんなにすぐれたオーケストラだったとは。リントゥのダイナミックな指揮ぶりも好感度大。北欧情緒などという漠然としたローカリズムに寄りかかることなく、明瞭でスケールの大きなシベリウスを披露してくれて、スペクタクルもあり細部のニュアンスの豊かさもありで、充実。速めのテンポをとった交響曲第5番では、第1楽章コーダがスピード違反気味のスリリングな展開に。驀進するシベリウスってすばらしい。
●アンコールにシベリウスの「べルシャザール王の饗宴」から「ノクターン」と、「悲しきワルツ」。前者は冴え冴えとしたフルートのソロを聴かせる曲で、首席フルート奏者を務める小山裕幾さんのための選曲か。惜しいことに客席はかなり空席が目立っていたのだが、オーケストラが引き上げてからも拍手が鳴りやまず、しばらく経ってからリントゥが姿を見せてソロ・カーテンコールに。すでに着替えはじめていたところを呼び戻されたのだとか。
東京芸術劇場「ジョワ・ド・ヴィーヴル~生きる喜び」
●1日は東京芸術劇場開館25周年コンサート「ジョワ・ド・ヴィーヴル~生きる喜び」へ。鈴木優人さんがアーティスティック・ディレクターを務め、第1部「祈り」と第2部「希望と愛」の2部構成。第1部はバッハ・コレギウム・ジャパン他が参加して、マショーやスウェーリンク、バッハからリゲティ、ペルト、鈴木優人作品など古今の祈りの音楽、第2部では芸劇ウインド・オーケストラによる小出稚子「ウィンド・アンサンブルのための玉虫ノスタルジア」(バリトン・サクソフォン版世界初演)とストラヴィンスキー~R.アールズ編曲の組曲「火の鳥」吹奏楽版、そして東京交響楽団によるメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」(ピアノ:児玉桃、オンド・マルトノ:原田節)という二部構成。指揮はともに鈴木優人。これを一日で全部やってしまうという大胆な企画。
●で、本来なら全部聴いてこその企画ではあるけど、前半は都合がつかず第2部から。吹奏楽とオーケストラを同一指揮者の同一公演で聴くという珍しい体験。ピアノを含む14人の編成のために書かれた「玉虫ノスタルジア」は特殊奏法も活用しながら、多彩なニュアンスを生み出すチャーミングな作品。「火の鳥」はおなじみの1919年版組曲を吹奏楽用に編曲したというもので、原曲になじむ人にも違和感が少ないかと。芸劇ウインド・オーケストラは次世代のプロ演奏家を育成するためのアカデミーとして結成されたという団体で、さすがに巧い。吹奏楽もこの水準になると響き自体の美しさに魅了される。
●第2部後半、東京交響楽団とのメシアンの大作「トゥーランガリラ交響曲」は圧倒的な響きの洪水。作品の官能性と歌謡性がひしひしと伝わってくる。「トリスタンとイゾルデ」の延長上にある愛の音楽としての饒舌さを堪能し、この日のテーマが「ジョワ・ド・ヴィーヴル~生きる喜び」であることを思い出す。