●16日はMETライブビューイングの今シーズン第2作「オテロ」へ(東劇)。バートレット・シャーによる新演出、指揮はヤニック・ネゼ=セガン。オテロにアレクサンドルス・アントネンコ、デズデモナにソニア・ヨンチェーヴァ、イアーゴにジェリコ・ルチッチ、カッシオにディミトリー・ピタス。高品質の本格的な「オテロ」にどっぷりと浸かったという充足感。演出はオーソドックスで、練られていて力強いもの。歌手陣は充実。ヨンチェーヴァのデズデモナは一見、食堂のおばちゃん風の庶民的な雰囲気があるんだけど、歌唱は見事の一語。ルチッチはイアーゴにしては老いているかも?(イアーゴのオテロに対する独占欲とカッシオへの嫉妬という三角関係は薄まる)。ネゼ=セガンはオーケストラから精彩に富んだ表情を引き出していた。
●で、「オテロ」だ。いやー、本当にすごい作品だなと思う。「オテロ」のテーマは「嫉妬」。人間のもっとも醜い部分を描く。まったく古びることのないテーマであるうえに、このオペラで題名役が発する第一声はなんだろうか。「喜べ! 傲慢な回教徒たちは海に沈んだぞ」。特に演出上で焦点が当てられている部分ではないが、このタイミングで目にするとドキッとする。
●シャーの演出にはこだわらずに、「オテロ」について感じるところをいくつか。オテロは勇敢な戦士かもしれないが、心が弱い、とても。イアーゴとはオテロの弱い心が生み出した幻影みたいなものじゃないだろうか。実在ではなくて。イアーゴの奸計がなくても、オテロはいずれ同じ道を通ったにちがいない。
●カッシオはナイスガイなんだろう。しかしデズデモナはとりなしを頼まれたくらいでなぜあんなにカッシオを気にかけてやらなければならないのだろう。実はどこかで(過去あるいは現在)デズデモナとカッシオは通じていたのかもしれない。裏側から見ると、「ペレアスとメリザンド」のような物語が見えてこないのだろうか。
●オテロはいう。「このハンカチの刺繍は魔女がしたものだ。呪いがかかっているので、あれを失くすと恐ろしいことが起きる」。呪いは口にすることで効力を発揮する。この瞬間まではただの豪華なハンカチにすぎなかったものが、ただちに呪いのハンカチとなって、ふたりを無残な死へと導く。ニーベルングの指環とデズデモナのハンカチはオペラ界の二大カース・アイテム。
●ネゼ=セガンの指揮が冴えている。終幕、「アヴェ・マリア」に続く、あの恐ろしいコントラバス。戦慄。緊迫感が最大限に高まる。オテロは凶行に及ぶ。舞台(というかスクリーン)に目が釘付けになる。しかし、いったん死んだと思ったデズデモナがしばらくするとまた歌いだすのはどうなのか。さっき、死んだじゃん! 生きてるんだったら救命処置くらい試みようよ。この手のゾンビ歌唱だけは禁じ手にしたいものだが、あの世のヴェルディに直してくれって頼むわけにもいかないしなー。せっかくまじめに見てるのに笑ってしまったじゃないの。
●11月20日(金)まで上映。
November 17, 2015