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2016年2月アーカイブ

February 29, 2016

バッハ・コレギウム・ジャパンの世俗カンタータ・シリーズvol.7

●26日はバッハ・コレギウム・ジャパン定期演奏会へ(東京オペラシティ)。バッハの世俗カンタータ・シリーズvol.7ということで、オルガン協奏曲ト長調BWV592(鈴木優人)、「汝の果報を称えよ、祝福されしザクセンよ」BWV215、「静かに流れよ、たわむれる波よ」BWV206。鈴木雅明指揮、ハナ・ブラシコヴァ(S)、青木洋也(A)、チャールズ・ダニエルズ(T)、ロデリック・ウィリアムズ(Bs)。愉悦に満ちた充実のひととき。
●曲だけを聴いていてももちろん楽しいのだが、作品成立の背景が詳細に記されたプログラム冊子(デザインも含めてものすごくよくできている。すべてが完璧)を読むと一段と楽しめる。逆に言えば歌詞対訳だけをぼんやり見ても成立当時に共有されていた背景はまずわかりそうにないというか。特におもしろいのはBWV206で、バス、テノール、アルト、ソプラノが、ヴァイクセル川、エルベ川、ドナウ川、プライセ川という4つの川の役柄を担っている。で、この4つの川がそれぞれポーランド、ザクセン、オーストリア、ライプツィヒの隠喩になっていて、川と川が対話をするという擬人化プレイ。なんだか、川をキャラに仕立てていると思うと妙に現代っぽい。

ヴァイクセル川「アウグストゥスさまは私のものだお!」
エルベ川「アウグストゥスさまは手放さないんだから!」
プライセ川「みんなケンカしないで~」

とか。今だったら「ドナウ川たん」みたいな萌えキャラが登場しそう。

February 26, 2016

知られざる作品を広める会~アレンスキー没後110年記念コンサート

●25日はロシアの作曲家アントン・アレンスキーの命日。没後110年記念コンサートとして、杉並公会堂小ホールで午後の部/夜の部と2公演にわたって、アレンスキーのピアノ作品が演奏された。主催は「知られざる作品を広める会」。これは谷戸基岩さんが2002年以来、開催しているコンサートで、今回で10回目を迎える。以前、第8回のアルカン生誕200周年コンサートを当欄でご紹介したことがあったけど、演奏機会が少ない(あるいはほぼない)知られざる作品を取り上げてくれる。
●今回のアレンスキーは午後の部のみを聴いた。プログラムは「24の性格的小品」op36の前半(後半は夜の部に演奏された)、カノン形式の6つの小品op1、フゲッタ ニ短調、3つの小品op19、雑記帳op20、6つの小品op5。上野優子、内門卓也、山本恵利花、石岡千弘、4人のピアニストによる演奏。どれも初めて聴く曲ばかりだったが、それぞれ真摯な演奏で作品の魅力を伝えてくれた。っていうかアレンスキーというだけでも聴く機会は少ないのに、さらにそのなかでも録音もないような作品がたくさんあって、谷戸さんですら試演会でようやく初めて聴けたみたいな曲があるという、まったくもって未知との遭遇。これは得難い体験。
●で、どれも小品なので、作品としてはサロン的な雰囲気の曲が多いんだけど、一見つるんとした容貌を見せながらも、ところどころに意表を突くような曲があるのがおもしろい。谷戸さんの解説によれば、作曲者生前の一番の人気作だったのは、6つの小品op5の第5曲「バッソ・オスティナート」(でも今では編曲バージョンを除いて録音がひとつもない)。5拍子好きのアレンスキーは作品5の第5曲に5拍子の曲を書いた。でも左手のバスは6拍子で右手のメロディが5拍子みたいな迷子になるような曲。変な人だなあ。この曲を別にすると、もう一度聴いてみたい度が強いのは、多様性に富んだ「24の性格的小品」かな。前半しか聴いていないわけだけど……。帰宅してから気になって、NML, Apple Music, Google Play Musicを一通り検索してみたが、ごくわずかな抜粋のみ。
●ひとつ惜しいのはこの会のウェブサイトがないこと。検索エンジンが拾ってくれるように、せめてこれまでの演奏記録と、プログラムのPDFだけでも置いてあれば、知られざる作品を広めるという趣旨からいって、ものすごく有効だと思うんだけど、どうなんでしょう。

February 25, 2016

「真田丸」に思う

●大河ドラマはおろか、日ごろテレビドラマというものに縁がないのだが、今年の「真田丸」だけは初回から欠かさず見ている。おもしろい。テーマ曲がNHK交響楽団の演奏なのは納得として、独奏ヴァイオリンが入ってくるというのがなんだか時代劇っぽくなくて斬新な感じ。ヴァイオリンは三浦文彰。「真田丸」オリジナル・サウンドトラックに三浦文彰、辻井伸行、下野竜也といった名前がクレジットされていて身近に感じる。
●ところでこういうテレビドラマって、史実に即して物語が進んでいくものと決まっているのだろうか。ワタシは日本史に疎く、この後、真田の一族がどうなるのかぜんぜん知らないのでワクワクドキドキしながら見ている(だからうかつに史実を知ってネタバレしたくない。だれも教えないで!)。とはいえ徳川家康はこの時点ではなにがどうなっても絶対に死なないわけだし、織田信長は本能寺の変で確実に死ぬ(ていうかもう死んだ)っていう前提があるってことでオッケー? なにかの拍子に家康があっさり死んだり、実は信長は生きていたみたいなパラレルワールド展開は禁じ手なのだろうか。もしそういう可能性が残されているのなら、「遺体が見つからない」のはフツーに考えると信長が生きていたという伏線であって、フィクションとしてはゾンビ化している可能性までありうると心の準備をしているのだが(真の乱世はこれからだ!)、大河ドラマの見方としてまちがっているのだろうか。
●あと、オープニングテーマに「シブサワ・コウ」の名がクレジットされているのに軽く感動した。ワタシは「信長の野望」はプレイしていないのだが、コーエーの麻雀ソフトでよくこの人のキャラと対戦した記憶がある。

February 24, 2016

ラモン・オルテガ・ケロのオーボエ・リサイタル

●23日はトッパンホールでラモン・オルテガ・ケロのオーボエ・リサイタル。前半はシューマンで、アダージョとアレグロ、3つのロマンス、オーボエ・ソナタ第1番(原曲はヴァイオリン・ソナタ第1番)。後半はラヴェル(C.シュミット編)の組曲「クープランの墓」、パスクッリのドニゼッティ/歌劇「ポリュート」の主題による幻想曲。ピアノは島田彩乃。前半はじっくりとシリアス・モードでシューマンを聴き、後半はオーボエの名技性を存分に楽しめるという好プログラム。
●シューマンのエッセンスが詰まったような、アダージョとアレグロ、3つのロマンスの2曲は王道として、ヴァイオリン・ソナタ第1番をオーボエで演奏するという手があったとは。原曲にある鬱屈した情熱とか焦燥感みたいなものとオーボエの音色は遠いような気もしたのだが、こうしてケロのみずみずしい音色で聴くと、また違った魅力がクローズアップされてくる。原曲よりずっとのびやかな音楽に聞こえてくる。
●ラヴェルの組曲「クープランの墓」をオーボエ用に編曲するというのは発明だと思う。ラヴェル本人編曲の管弦楽版におけるオーボエの活躍ぶりから逆算して生まれたアイディアというか。6曲ぜんぶあり。編曲者はフランスのオーボエ奏者のクリスティアン・シュミットという人なのだとか。最後のパスクッリはこれぞヴィルトゥオジティという華やかな技巧を聴かせるための作品で、鮮やかに吹き切った。縦横無尽。アンコールはラヴェルの「ハバネラ形式の小品」。このオーボエ・バージョンも異国情緒大盛りといった感で吉。

February 23, 2016

リヴィング・プレゼンス

●ある曲の音源を聴こうと思って配信サービスで検索したところ、たまたまマーキュリー・リヴィング・プレゼンスの音源がヒットして聴いてみたのだが、やはりこのレーベルのサウンドは独特だと感じる。ステレオ初期の古い録音なのに、ものすごくシャープでクリア。あまりにすっきりと整理された音で、かえって落ち着かなくなるくらい。
●ところで、この Mercury Living Presence という言葉の由来はどれくらい知られているものなんだろうか。ワタシはつい先日知った。アレックス・ロスの「これを聴け」(みすず書房)をぱらぱらと眺めていたら、こう書いてあった。

ハワード・トーブマンはマーキュリー・レーベルのLPレコードについてこう書いた。「オーケストラの音はとても真に迫っているので、生きた存在を聴いているように感じるのである」(マーキュリーはすぐに「生きた存在」[リヴィング・プレゼンス]をそのスローガンとして採用した)。(p.87)

あ、そういう意味だったんだ、リヴィング・プレゼンスって。ハワード・トーブマンはニューヨーク・タイムズなどで批評を書いていた人。批評文をチラシなどの宣伝に使うのは今でもよくあることだが、これがあのジャケットに印刷され続けてきた Mercury Living Presence の由来だったとは。
●ところで、マーキュリーよりもさらによく目にしてきたのは、RCAのリヴィング・ステレオのほうだと思う。こちらはマーキュリーほどには特徴的なサウンドと感じないものの、Living Stereoのロゴ・デザインはとても秀逸で、今見てもカッコいい。意味合いとしてはリヴィング・プレゼンスと同様、生々しいステレオ録音ということなんだろう。
●で、リヴィング・プレゼンスとリヴィング・ステレオはどっちが先なんすかね。先のエピソードを考えるとリヴィング・プレゼンスは偶発的に生まれたキャッチということになるが、じゃあリヴィング・ステレオはリヴィング・プレゼンスの二番煎じみたいなキャッチなのだろうか。それともなに別の由来があるの?

February 22, 2016

東京芸術劇場コンサートオペラvol3 ~ 「サムソンとデリラ」

東京芸術劇場
●20日は東京芸術劇場コンサートオペラvol3、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」へ。サムソンにロザリオ・ラ・スピナ、デリラにミリヤーナ・ニコリッチ、大司祭に甲斐栄次郎、アビメレクにジョン・ハオ他。佐藤正浩指揮ザ・オペラ・バンド、合唱は武蔵野音楽大学。オーケストラは在京オケの奏者中心で編成。演奏会形式ではあるが、照明による演出などもあり上演形態に不足を感じさせない。もともとオラトリオ的な性格を持つ作品だということもあるだろうか。各幕の長さがコンパクトなのも吉。歌手陣の充実もあって、期待以上に楽しめた。
●で、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」。このオペラって肝心の場面が描かれていないんすよね。サムソンの髪の毛について言及されてたっけ? 第2幕のおしまいでなにが起きているのか、このオペラだけを見てもわかるものなんだろうか。サムソンの怪力の秘密は髪の毛にあり。それをサムソンがわざわざデリラに明かしてしまうというのも謎すぎる。なんで惚れたからって自分の弱点を教えるのよ。それにわかったからといってどうやってデリラが髪を切ったのか。
●あと第3幕、怪力を失い、両目をえぐられてしまったサムソンが神に祈って、ふたたび力を取り戻して神殿を崩壊させてわが身もろともペリシテ人たちを葬る。これってサムソンは髪を切られたんだけどしばらくしてまた伸びてきたから怪力が戻ったという、ペリシテ人テヘペロ話だとワタシは解しているのだが、それでいいのだろうか。床屋はなにをしていたのか、みたいな。
●神殿崩落場面は映像と効果音を駆使して工夫されていた。にしても、この台本の唐突さはすごい。「台本的に納得いかない感+音楽的に聴きどころに次ぐ聴きどころ」というアンバランスさは、先日のビゼー「真珠採り」にも匹敵する。自分にとって、サン=サーンスの音楽の魅力は、上っ面感というか、職人的な醒めたところ。「バッカナール」とかまさにそう。宗教オペラなのにこの臆面のなさと来たら。第2幕終盤の嵐の音楽は、ワーグナー風というか、「ワルキューレ」の嵐を思わせる一方、激情的な幕切れはヴェルディ風味も。サン=サーンスって「愛に見放された天才」だと思ってるんだけど、これは真摯さよりもスペクタクルを追求する姿勢と表裏一体という感じがする。

February 19, 2016

パーヴォ・ヤルヴィとブニアティシヴィリのシューマン&R・シュトラウス

●18日はパーヴォ・ヤルヴィ&N響へ(サントリーホール)。パーヴォ月間もこれでおしまい。前半にシュトラウスの「変容」、シューマンのピアノ協奏曲(カティア・ブニアティシュヴィリ)、後半にふたたびシュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」というお得感のある(?)プログラム。ゲスト・コンサートマスターにコンセルトヘボウ管弦楽団からヴェスコ・エシュケナージ。N響にはもう5回目ということで、おなじみの顔に。
●シュトラウスの「変容」は23人のソロ弦楽器のための作品だが、パーヴォは各パートを部分的に2人ずつで演奏するという46人編成を採用。倍管ならぬ倍弦とでも。おかげで格段に豊麗なサウンドの「変容」になった。たしかに2000人規模の大ホールで演奏するのならこれくらいのダイナミクスは欲しいかも。シューマンはジョージア生まれのソリスト、ブニアティシュヴィリ(ブニアティシヴィリ)が奔放な演奏を聴かせた。これがなんといったらいいのか……。若い美貌のピアニストで、半径50メートル以内のおじさんたちの鼻の下が一斉に伸びるというフェロモン効果を盛大に誘発するものの、自在なシューマンは好悪が分かれるところ。アンコールではドビュッシーの「月の光」を、まるで後期ロマン派の交響詩を奏でるかのように遅いテンポでたっぷりと弾いた。ああいうの、じれったくない? でもきらめくような弱音の美しさは見事。
●「ツァラトゥストラはかく語りき」は輪郭のくっきりした明快な演奏。シューマンでは珍しく弦楽器を通常配置にしていたのだが、後半からはパーヴォ流の対向配置に。この日、3曲ですべてコントラバスの配置が違っていたことになる。一曲目は中央後列、二曲目は上手、三曲目は下手。こんな演奏会も珍しい。特にシューマンとR・シュトラウスは、同じ指揮者で弦楽器の配置の違いの効果を聴き比べる貴重な機会を作ってくれたことになる。もう一度くらい同様の機会が欲しいけど。
●近年、どんどん名前の憶えづらい若い演奏家が台頭しているっていうのは、それだけ従来とは違った言語圏の人が出てくるようになったっていうことなんだろうけど、それにしてもブニアティシヴィリ。この人の名前も10回繰り返さないと。っていうか、「ブニアティシヴィリ」で覚えていたら、N響表記は「ブニアティシュヴィリ」でさらに一文字増えてるという試練が。10回+10回で20回発音したい。あと、自分でも本気で危険だなと思いつつあえて書くんだけど、ブニアティシヴィリとバティアシュヴィリを混同しないようにしなければ。カティア・ブニアティシヴィリ/ブニアティシュヴィリはピアノ、リサ・バティアシュヴィリはヴァイオリン。だ、大丈夫……たぶん。

February 18, 2016

愛のメモリー増設

●さて、先日導入したおニューのPCであるが、おおむね元気よく稼働している。Windows 10は快適で、感じがいい(Windowsはおおむね感じのいいOSと感じの悪いOSが交互に出てくる気がする)。最初からドライブ関係を「えいやっ」と増設したので、これで不足はないはずなのだが、強いて言えば古いメモリを載せられなかったのが惜しいといえば惜しい。搭載されているのは4GB一枚のみ。タスクマネージャーを見ていると、通常の使用環境であればだいたい4GBあれば足りるっぽい。ウィンドウやアプリをたくさん動かしてもそうそう4GBまではいかない。でもな。足りているんだけど物足りないっていうことがあるじゃないすか。さっきご飯をお腹いっぱいに食べたんだけど、なんだかデザートが欲しくなる、みたいな?
まるで血管のようにケーブルが這うPCの内側●そこで、もう4GB、メモリを積んでみることにした。PC4-2133 DDR4のメモリが必要で、調べてみると3000円以下で買える。これをもし購入時に取り付けてもらっていたら1万円近くかかっていたのだが、自分で買って自分でメモリスロットに挿せば3000円以下で済むわけだ。お得。PCのケースを開けて、マザーボード上のメモリスロットに挿すというのはメンドくさいといえばメンドくさいし、どっちかといえば憂鬱な作業ではある一方、少し楽しいなっていう気分もあるわけで。
●ま、前のマシンでは何度もやってるんだしと思って、気楽な気分で挿すと、これがなんだか入ってくれなかったりする。あれ、バキッって手ごたえがあるはずなんだけどなー、とマザーボードがたわみそうなくらい力を込めてググッとメモリを押し込むが、なんか違う。向きをまちがえたかなと思って慎重に確認するけど、まちがえていない。で、もう一回、冷や汗をかきながら押し込む。やっぱり、バキッて来ないぞ、あれ、でも両端のレバーはちゃんと上がってない? 上がってる気がする。もしかして、これもう入ってるの? 電源入れてみよう、ポチ。
●ちゃんと8GBで認識されてたし、デュアルチャンネルで動いていた。なんかイマイチしくじってる感が残ってるんだけど、動いているからいいのか、これで。メモリが倍になったからと言って、特に速くなったり便利になったりしたわけではない。だって、もともとほとんど不足していなかったんだし。これは利便性ではなく、愛の問題。無償の愛。いや、3000円の愛。愛のメモリー増設。Windowsは愛の力で動くってビル・ゲイツも言ってた(ウソ)。

February 17, 2016

ティル・フェルナー~シューマン・プロジェクトI ソロ

●16日はトッパンホールでティル・フェルナーのリサイタル。シューマンの「蝶々」、ベリオの「5つの変奏曲」、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第13番「幻想曲風ソナタ」、休憩をはさんでシューマンの「幻想曲」。プログラムのテーマとしてはまずはファンタジー、そして変奏曲がベリオからベートーヴェンを滑らかにつなぐ架け橋となっている。シューマンの幻想曲では、流麗ともきらびやかとも言いがたい質朴とした音色を最大限に生かした真摯な音楽が紡ぎだされた。思いのほかマッチョな演奏で、第2楽章はまさに「どこまでもエネルギッシュに」。続く深々とした第3楽章を聴いて、ほとんどブルックナーの交響曲を聴いたかのような充足感に浸る。アンコールはシューマンの「謝肉祭」より「オイゼビウス」。
●「シューマン・プロジェクトI」と題されているのは、テノールのマーク・パドモアとの共演でIIが続くから。ワタシは行けないんだけどこちらは18日開催で、シューマンの「幻想曲」で引用されているベートーヴェンの連作歌曲「遥かなる恋人に寄す」や、シューマン「詩人の恋」他が演奏されるという道筋が用意されている。

February 16, 2016

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2016 記者発表

LFJ2016記者発表
●2月15日は東京国際フォーラムでラ・フォル・ジュルネ2016の記者発表。今年もゴールデンウィークの5月3日~5日にかけて開催される。今回のテーマは「la nature ナチュール - 自然と音楽」。昨年が「パッション」というあれこれと説明が必要なテーマだったのに対して、今回は「自然」。すごく明快だ。自然からインスピレーションを受けた作品となれば、古楽から現代作品まで題材に事欠かない。すでに有料公演のタイムテーブルが発表されているが、個人的にはここ数年間のLFJでいちばん興味深いプログラムになったと感じている。なにしろ、普段聴けない曲がたくさん演奏されるので。もちろん、ベートーヴェンの「田園」とかヴィヴァルディの「四季」といった有名曲もたくさん演奏されるので、入門者にフレンドリーな音楽祭であることには変わりない。
プログラム概要について語るルネ・マルタン
●今回からチケット価格が整理されていて、ホールAのS席はおおむね2800円、A席1500円とシンプルに。ホールB7やホールCもほとんどが2800円。また、フレンズ先行販売だとチケット1枚ごとに必要だったシステム手数料216円が無料になる(発券手数料の108円は必要)。
●会場一覧からよみうりホールがなくなっている。ビックカメラの上階というアクセスの難、デッドな音響と環境的になかなか厳しい会場だったので、これは歓迎。一方、今回新たに日比谷野音で2日間4公演が開催される。場所がやや離れている(徒歩20分程度とか)のだが、野外という開放感には惹かれる。
●気になる曲目をざっと挙げてみると、クネヒトの「自然の音楽的描写」、フィールドのピアノ協奏曲第5番「嵐のなかの火事」、フィビヒの交響詩「嵐」、フィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」、ラウタヴァーラの鳥と管弦楽のための協奏曲「カントゥス・アルクティクス」、メシアンの「鳥のカタログ」(エマールが弾く)、グラズノフの「四季」、マックス・リヒターのヴィヴァルディ「四季」リコンポーズドあたりか。民族音楽系ではアフリカからやってくるドラマーズ・オブ・ブルンジ。まあ、実際には例年とも聴きたい公演の半分も聴けないのだが。

February 15, 2016

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のニールセン

●今週はパーヴォ・ヤルヴィ週間、すっかりと。13日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ&N響によるブラームスのヴァイオリン協奏曲(ジャニーヌ・ヤンセン)とニールセンの交響曲第5番。なんと、このプログラムでNHKホールが完売、当日券が出なかった。
●前半はジャニーヌ・ヤンセンの堂々たるブラームス。思った以上にパワフル。パーヴォのブラームスはN響ではなかなか聴くチャンスのないレパートリーだけど、至るところで慣習的ではない解釈が聴けたのと、全般に管楽器のバランスが強めなのがおもしろい。 ドイツ・カンマー・フィルとのブラームスとはまったく別物であるにしても、重厚でドイツ的なブラームスとは一線を画している。
カール・ニールセン●で、やはりお目当てはニールセンの5番。このすばらしい作品を高水準の演奏で聴けて、もう喜びしか感じない。スコアにないコントラファゴットが加えられていた。この曲には特に標題はないわけだけど、自分なりに自然と人間の対峙みたいなものがテーマになっているのだと解している。第1楽章の前半は海とか波、舟の表現で、ほんの少しドビュッシーの「海」も連想させる。後半にスネアドラムが入ってくるところは軍楽隊。第2楽章のコーダがただでさえカッコいいんだけど、ラストは弦楽器のフリーボウイングで視覚的なインパクトも大。なんという輝かしさ。

February 12, 2016

パーヴォ・ヤルヴィ&N響記者会見


●2月8日は高輪のN響練習場でパーヴォ・ヤルヴィとN響の記者会見&懇親会。しばらくぶりにこの場所を訪れたら、すっかりきれいに改装されていてびっくり。会見の内容は、まず2016/17シーズンの定期公演プログラムや特別演奏会について、そしてパーヴォ・ヤルヴィの語る来シーズンに向けての抱負。すでに「ぶらあぼ」WEB版にレポート記事を書いてしまったので、当欄では個人的な視点で思ったことなどをつらつらと。
●まず、来季の定期公演なんだけど、サントリーホールが休館する時期のBプロはどうなるのかなあと思っていたら、休止になった。2017年2月から6月はお休み。で、B定期はお休みなんだけど、その間に特別公演が横浜みなとみらいで1公演、NHKホールとミューザ川崎で各3公演が開催される。目を引いたのはミューザ川崎の公演がぜんぶ平日の午後3時開演というところか。都響のラインナップにも一部あったけど、平日昼公演はもう珍しいものではなくなりつつある。これって、リタイア層が多いことはもちろんあるんだけど、決してそれだけの需要じゃないと思うんすよね。新国の平日昼公演なんかでも感じるけど、現役世代が特別少ないって感じでもないような。一言でいえば、夜遅いのは困るっていう気分/事情というか(終電とかではなくて)。
●パーヴォ・ヤルヴィは大活躍。シーズン幕開けのN響創立90周年記念演奏会である9月のマーラー「千人の交響曲」をはじめ、特別公演でマーラーの3番、6番もあって、予想外にハイペースでマーラー・チクルスが進む感じ。一方、次のブルックナーは2番。こちらはゆっくりと進行するみたい。
●会見ではまず来季は没後20周年の武満徹と、エストニアの作曲家でともに親しい友人でもあるトゥールとペルトの作品を取り上げるというところから話がスタート。トゥールはアコーディオンと管弦楽のための「プロフェシー」という作品で、アコーディオン・ソロがクセニア・シドロヴァというラトヴィアの人。パーヴォ、トゥール、シドロヴァのバルト海コネクションだ、みたいな話も。N響との関係については「相互理解がいっそう深まってきた。オーケストラもどういう点が私にとって大切で、どういう点がそうではないのか、ということがわかってきた。とても健全な関係が築けている」。
●来年の2月から3月にかけては、ヨーロッパ7都市を巡るツアーが行われるそう。もちろんパーヴォの指揮。ソリストはジャニーヌ・ヤンセン。武満徹の「弦楽のためのレクイエム」、マーラーの6番、ショスタコーヴィチの10番などを演奏。武満については「国外では『弦楽のためのレクイエム』がもっともよく知られている。知的な語法を用いている点で、特に初期の作品に親しみを感じる」。会見後の懇親会で、今後のN響での目標について尋ねると、「各自がよりお互いを聴き合う室内楽的なアンサンブルを目指したい」と答えてくれた。

February 10, 2016

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のブルックナー第5番

●6日の夜はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団。 マーラーの「亡き子をしのぶ歌」(マティアス・ゲルネ)、 ブルックナーの交響曲第5番というプログラム。なるほど、マーラーとブルックナーを一公演で演奏しようと思ったらこういうプログラムを組めばいいのか。
●ブルックナーのなかでもっとも好きな曲を挙げよといわれたらこの曲。交響曲第5番。第1楽章の序奏から終楽章のフーガまでホント、カッコいい。で、これをパーヴォが振ったらどうなるか。期待通り、体脂肪率10%未満の筋肉質で引き締まったブルックナーに。強靭で、クリア、神秘性が剥奪されて現前したモダン建築仕様の大伽藍。ブルックナー像を鮮やかに更新してくれた。第2楽章と第3楽章はアタッカで。そしてパーヴォが指揮したときのN響のサウンドは格別。逆の意見のほうが多いっぽいんだけど、マーラー以上にブルックナーを振ってほしくなる。次のブルックナーは9月に第2番。こちらも楽しみ。
●休憩時の例の行列はまた一段と長かった。なにせ5番だし、NHKホールだし。どこまでも、どこまでも、果てしなく続く男たちの列。どこまでも、どこまでも、地平線の彼方まで……(なわけない)。前半終わったらまっしぐらが常。
●8日にはパーヴォ・ヤルヴィ登壇のもと、NHK交響楽団の来シーズンについて記者会見と懇親会が開かれた。そちらのレポートは近日中に改めて。

February 9, 2016

METライブビューイング「真珠採り」

●東劇でMETライブビューイング、今週はビゼーの「真珠採り」。ペニー・ウールコックの新演出。美しい音楽にあふれているにもかかわらず、舞台での上演は少ない「真珠採り」だが、METでの上演はなんとカルーソーの出演以来となる100年ぶりだとか。
●恋することを禁じられた巫女と、かつて彼女を愛した海の男ふたりによる、愛と友情の物語。巫女役にディアナ・ダムラウ、真珠採りの男ふたりにマシュー・ポレンザーニとマリウシュ・クヴィエチェン。指揮はジャナンドレア・ノセダ。歌手陣といい、豪華な演出といい、最高のリソースを投じたプロダクションを見て納得。なるほど、これは完璧なオペラじゃないか、台本以外は。若きビゼーが書いた渾身の音楽は見事の一語。最高の音楽と納得できない台本が融合されたウルトラ・アンバランスなオペラが「真珠採り」なんだと思う。そういう意味では並の作品よりぜんぜんおもしろいのかも。
●聴きどころはふんだんにあって、一幕のテノールとバリトンの二重唱をはじめ、これでもかというくらい抒情的で詩情豊かなメロディが登場する。不滅の傑作「カルメン」はビゼー最後のオペラなのでこれよりもずっと先に書かれることになるわけだけど、でも未来の「カルメン」を予告している瞬間はいくつかあると思う。2幕の頭の合唱はなんとなく「カルメン」の子供たちの合唱を連想させるし、3幕でレイラがズルガの目の前でその場にいないナディールに思いを寄せる場面は、カルメンがホセの目の前で遠くから聞こえたエスカミーリョの闘牛士の歌にときめく場面を思わせる。
●「真珠採り」のいいところは、コンパクトなところ。長くない。で、ドラマとして弱いなと思うのは、ナディールとレイラが禁忌に触れたのがそんなに重大事なのが(説明はされてるけど)納得できないというのと(そんなんで死刑かよ?みたいな)、結末へと至るズルガの葛藤の描かれ方が不十分なのか、エンディングがやたら唐突なところ。「真珠採り」の結末には2種類があるようだが、このプロダクションではズルガが策略によってふたりを救ったところでおしまいとなる。え、今の終わったの? 終わってないじゃん。でもこの後、ズルガの裏切りが明るみに出て、殺されるというパターンならいいかというと、それもかなり蛇足感があるような。だいたいあれでふたりを救ったとしても、火事で村人に犠牲者が何人も出たらどうするのよ。オペラはいくら曲が美しくても、台本が弱いとどうしたって冴えない……いやいや、これは真っ赤なウソだな。だって敵の赤ん坊とまちがえて自分の赤ん坊を火にくべるっていう台本からでも傑作が生まれてくるのがオペラなんだから。オペラ、謎すぎる。
●あと「真珠採り」の舞台はセイロン島ってことになってるらしいんだけど、てっきり未開の文明みたいなところで話が起きているんだと思ったら、第3幕になってズルガのオフィスにテレビと冷蔵庫に加えてノートパソコンまで置いてあって、どうやら90年代前半っぽい設定になっている。そんな現代で宗教的禁忌に触れて死刑になる文明っていったいどんな社会よ? それともあそこでタイムスリップでもしていたのか。あるいはこの話は現代人ズルガの脳内で起きている古代幻想にすぎなく、この話の真の登場人物は実はズルガただひとりという演出なのであろうか。これって、筋の通った解釈ができるの? うーん、だれか教えてほしい。

February 8, 2016

有田正広指揮クラシカル・プレイヤーズ東京のメンデルスゾーン

●6日は東京芸術劇場で有田正広指揮クラシカル・プレイヤーズ東京。メンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」(ローマ版第2稿)、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番ト長調(フォルテピアノ:上原彩子)、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」(1842年稿)。ホグウッドの校訂によるメンデルスゾーンの2曲がともに聴き慣れた最終稿とは違っていて、新鮮な驚きがあった。
メンデルスゾーン●たぶん、どちらも純粋に初めて聴いたわけではないと思うんだけど、でもやっぱりおもしろい。「フィンガルの洞窟」は特に終結部、「スコットランド」は第1楽章の終結部と終楽章の後半あたりが大胆に違っていて、粗削りな印象を受ける。これ、慣れの問題じゃないと思うんすよね。メンデルスゾーンの超名曲を初めて聴いて、ゴツゴツした手触りを感じたことなんて遠い記憶を探ってみてもないもの。天衣無縫、神様の鼻歌を採譜したのがメンデルスゾーン。それくらいに信じていたのに、こうして最終稿に至る前のバージョンを聴くと、苦心惨憺して少しでも作品の完成度を上げようとする汗まみれの職人の姿が思い浮かぶ。
●あと「フィンガルの洞窟」も「スコットランド」もすこぶる描写的な音楽なんだなと改めて実感。

February 5, 2016

おニューのPC

●恐ろしいことに8年も前に買ったデスクトップパソコンをドーピングしながらずっと使っていたのだが、ようやく引退してもらうことにした。購入以来、メモリ増設やら電源ユニットの取り換えやらOSの再インストールやらHDDからSSDへの換装などをしてきたわけで、特に昨年思い切ってSSDに換装してからは劇的に高速化して、性能的にはまったく不満はなかった。ただ、とある処理をさせるとほとんど毎回のように強制再起動がかかるという不具合が出てしまい、ついにあきらめることに。
PCの内部●で、後継機のためにあちこちのBTOパソコンを比べてみたのだが、結局、前回と同じエプソンダイレクトに発注。仕事のメイン機なので、サポート体制や信頼性を考慮すると、ここかなと。悩んだのは旧PCからなにを引き継ぐか。たとえば、旧PCのSSDをそのままOSごと新しいPCに引き継ぐという選択肢もある。自分的には割と荒技。でもなんだかヘンな不具合まで引きずっても嫌だしとか、あれこれ悩んだ結果、新しいPCには素直にOSインストール済みのSSDを新規導入することにした(もうHDDには戻れない)。
●とはいえ、古いマシンのSSDを使わない手はない。これも新しいPCに増設してしまうことに。おニューのPCの筐体を開いて、空いている5インチベイに旧SSDをつなげることにした。本来こういう作業は苦手なので、SATAケーブルやら電源ケーブルやらを抜き差ししたり、ドライバであちこちのネジをはずしたりすると、それだけで緊張して手が汗ばむ。だいたい旧PCでもそうだったのだが、5インチベイにSSDを取り付ける際にいいかげんなマウンタを使ったらネジ穴の位置がジャストじゃなかったりして、なんだか妙な取り付け方になってしまったのだった。今回も適当なネジの締め方になってしまいうまく固定できず、でもこれって要は動かなきゃいいんだから、ガムテープとかで貼り付けてもいいよね? なんて思いながら、増設したんである。バックアップ専用に内蔵HDDも一台入れたので、いきなり内部が賑やかなことになった。
●で、これで電源入れてちゃんとWindows 10が起動してくれなかったら悲惨なことになるわけだが、ちゃんと無事に立ち上がってくれた。増設ドライブも認識してくれている。この方法のいいところは、古いデータを新しいPCに移す必要がないってこと。ドライブごと持ってきているんだから、最初からそこにある。多少OS側の設定を変更すれば、昨日までと同じように即データを使える。アプリケーションは一通りインストールが必要だけど……。
●あと、メモリも古いマシンから移そうかなと思ってたんだけど、それはムリってことがわかった。前のマシンのメモリはDDR3。でも、インテル第6世代Coreプロセッサー SkylakeではDDR4メモリを使うんだとか。ピン数から違うから、そもそも物理的に刺せない。チップセットはH170。DDR3も使えるマザーボードもあるらしいんだけど、これはDDR4オンリーだった。使えりゃ儲けものくらいに思っていたから、まあ、いいか。

February 5, 2016

玉突き

●最近、METライブビューイングみたいに映画館でオペラを見る機会が増えてきたなと思っていたら、先日は新国立劇場で映画を見たわけで、なんだかこのあべこべ感がおかしい。
●サッカー四方山話。まだシーズン中なのに、バイエルン・ミュンヘン監督のグアルディオラが来季からマンチェスター・シティの監督に就任すると発表されてびっくり。シティの現監督ペジェグリーニはどんな気分なんだろう。シティにしてもバイエルン・ミュンヘンにしても、選手たちが現監督が来季にはいなくなると知ったうえで優勝争いを戦うわけで、なんだかロッカールームの雰囲気が微妙なことになるんじゃないかと心配になる。逆に言えば、今発表しておかないと、どんな形ですっぱ抜かれるかわかったものじゃないということなんだろうけど。
●こうなると迷走するマンチェスター・ユナイテッドの来季監督人事が気になってくる。アンチ・ファン・ハールとしてはユナイテッドの低迷は納得なのだが、部外者的には次はチェルシーを追い出されたモウリーニョがやってきて名門を立て直すという展開がいちばんおもしろい。あるいはグアルディオラに追い出されたペジェグリーニがチェルシーあたりを率いて、優勝するとか? もっともどんな空想上のストーリーも、現時点で今シーズンの首位が岡崎所属のレスターであるという事実ほどには驚きをもたらさないのだが。

February 3, 2016

映画「白いたてがみのライオン」上映会~新国立劇場「イェヌーファ」上演記念

白いたてがみのライオン●まもなく新国立劇場で今シーズン最大の注目作、ヤナーチェクのオペラ「イェヌーファ」が上演されるが、それに先立って2月2日、映画「白いたてがみのライオン~大作曲家ヤナーチェクの激しい生涯」上映会が開かれた。入場無料で事前申込不要、しかも14時と19時の2回上映というありがたさ。夜の回に足を運んだが、中劇場がまずまずの盛況ぶり。みんなヤナーチェクのことをもっと知りたい感、満載。
●で、この映画、「イェヌーファ」が上演されるまでのすったもんだも描かれていて、今このタイミングで見るには最適の選択。これ、「イェヌーファ」を見ようっていうプロモーションだから、ここでこの映画について紹介してもしょうがないだろって気もするんだけど、でもおもしろかったから紹介する。
●監督はチェコのヌーヴェル・ヴァーグを代表する映像作家とされるヤロミル・イレッシュ(1935-2001)。ほかにも、マルティヌーやドヴォルザークなど、音楽家を題材とした映画やドキュメンタリーをいくつも監督しているのだとか。「白いたてがみのライオン」は1986年作品。映像を見ていると、画質も演出も80年代後半よりももっと古い時代に思えてしまうのだが。
●で、ストーリーは期待通り、ヤナーチェクの波瀾万丈の生涯を描いたもので、「イェヌーファ」の作曲に苦心して取り組んでいる頃から物語は始まる。ざっくりとヤナーチェクの生涯について知っていればなにが起きるかはあらかじめわかっているわけだけど、最初のシーンがきついんすよね。ヤナーチェク夫妻は長男に続いて長女を病で失う。「イェヌーファ」の物語にも赤ん坊の死という題材があって、それと並行して過酷な運命が夫妻を襲うことになる。こうして映像で見せられてしまうとかなりしんどいわけで、「イェヌーファ」の舞台に立ち向かう勇気が挫かれてしまいそうなくらいに序盤のシーンはこたえる。
●が、ヤナーチェクが本領発揮するのはここからだ。なんと、この後は色ボケ爺さん大爆発という展開へ。38歳年下の子持ち人妻カミラとのロマンスをはじめ、若い女性への燃え上がるような思いを創作活動に昇華させ、「グラゴル・ミサ」「シンフォニエッタ」「ないしょの手紙」等々、晩年の傑作群が生み出される。奥さんも世間体ももう完全にどうでもよくなった、つやっつやの恋する爺さん力。このダメ男っぷりはすごい。えっと、「イェヌーファ」って愛をテーマにした崇高な話なんじゃなかったっけ。でも、これもまた人生の真実なのか。
●あ、あとヤナーチェクがドヴォルザークの幻と対話するシーンもよかった。どう見てもルーク・スカイウォーカーとオビ=ワン・ケノビ。

February 2, 2016

映画「偉大なるマルグリット」

映画「偉大なるマルグリット」●プレス試写で映画「偉大なるマルグリット」(グザビエ・ジャノリ監督&脚本)を拝見。なんと、あの伝説の迷歌手ジェンキンス夫人ことフローレンス・フォスター・ジェンキンスをモデルとした映画なのだ。ジェンキンス夫人の迷唱ぶりについては古くからレコード・ファンには有名である。オペラ歌手を夢見るとてつもない富豪なんだけど、歌唱能力を完全に欠落していた人で、にもかかわらず「魔笛」の「夜の女王のアリア」をはじめとする名曲を録音し、カーネギーホールでリサイタルまで開いてしまったという奇人。あまりにも歌えていないがために、かえって人気が出て、レコードは世紀の迷盤としてヒット作になった。今でもちゃんと売っている。
●で、映画「偉大なるマルグリット」では、このジェンキンス夫人をモデルとしたマルグリット(カトリーヌ・フロ)を主人公に、自由にフィクションを交えながら、主人公とその夫、友人たちとの関係が描かれる。自分の館をサロンにしてそこでリサイタルを開くんだけど、集った人たちはみんな「うわー、こりゃ聴いてられない」と内心思いつつも、みんな主人公を口々に称える。なにしろお金持ちなので。主人公は歌うだけじゃない。撮影も大好き。ワルキューレとか、オペラの登場人物の衣装をまとって、自分がオペラのスター歌手になりきった写真を撮らせる。この人物像がなかなかいいんすよね。オペラに魅入られている愛すべき富豪のおばちゃんであり、一方で夫から疎んじられている寂しい人物でもある。1920年代のフランスを舞台とした豪邸やサロンの様子も見もの(実在のジェンキンス夫人はアメリカ人だけど)。
●この題材でおもしろくならないわけがない。実におかしくて、でも物悲しい。ただ、ストーリーの結末部分については賛否が分かれるんじゃないだろうか。物語上必要な幕切れなのか、蛇足と見るか。ワタシはあまり納得できなかったんだけど、それを差し置いても見る価値のある秀作だと思う。2月27日、シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほかで公開。
●なかにはこれを機に本物のジェンキンス夫人の歌声を聴きたくなる方もいるかもしれない。「人間の声の栄光(???)」としてCDも出ているし、各種音楽配信でも聴ける(フツーの人は聴きたくないと思うけど)。この翼を付けたジャケット写真がまたなんとも。

February 1, 2016

韓国U23vsニッポンU23@リオデジャネイロ五輪アジア最終予選・決勝

ニッポン!●すでに両者とも五輪出場権を獲得した後の決勝戦だが、日韓戦になったこともあって注目度の高い試合になった。なにしろ(すっかり忘れていたが)ロンドン五輪は3位決定戦が日韓戦になってしまい、これにニッポンは負けて銅メダルを逃したのだった(あの試合、韓国U23は銅メダルと兵役免除を賭けて戦っていた)。で、手倉森監督は前の試合にあえてベンチに置いた岩波をセンターバックに復帰させ、中盤を遠藤、大島、中島、矢島で構成した(南野は準決勝終了後に所属のザルツブルクに帰った。しかも即フル出場したとか。この大会はインターナショナルAマッチに該当しないので、もともと所属クラブ側に選手を供出する義務はない)。2トップは久保とオナイウ。鈴木武蔵がやはりケガで使えないようで、代役にオナイウ。結局、浅野は一度も先発に起用されないことになってしまったが、セットプレイ時のディフェンスなども考えると、ここにはどうしてもフィジカルの強い選手を置きたいということなのか。GK:櫛引-DF:室屋、植田、岩波、山中-MF:遠藤航、大島(→浅野)、矢島(→豊川)、中島-FW:久保、オナイウ阿道(→原川)。
●さすがに韓国は鍛えられている。もともとパワーや個の突破力などは高い印象だが、このチームは足元の技術が非常に高くて、パスをつないで相手ディフェンスを崩してくる。逆にニッポンのほうが守りから攻めへの展開を速くしようとする意識が強くて、ゴールに直結するパスを狙う形が目立つ。前半はこの狙いがうまく機能せず、結果的に韓国のボールキープが長くなる苦しい展開に。前半20分、韓国が左サイドを深くえぐってクロスを入れ、中で頭で落としたところにクォン・チャンフンが倒れこみながらボレー、これが不運にもディフェンスに当たってコースが変わってゴール。当たらなければ櫛引が問題なくセーブできたコースだったのでツキがないといえばないが、一方でしっかりと守備を崩された感もあって、やっぱりここまでの相手とはクォリティが違う。韓国はときどき両サイドバックが高い位置をとって、代わりにボランチの選手がセンターバックふたりの間に入って3バックみたいな布陣で攻めてくるのが特徴的。
●後半開始早々から、ニッポンはトップのオナイウを下げて中盤の原川を投入。この手倉森采配がものの見事に失敗する。オナイウでは前線にボールが収まらない。だったら苦しい中盤を厚くしてしまおうということで、3ボランチにして(あるいは遠藤をアンカー気味に下げて?)4-3-2-1(あるいは4-3-3)の布陣を取る。理屈の上では納得の采配だと思うのだが、後半2分、韓国は細かいパス交換から右サイドを攻め上がり抜け出したイ・チャンミンから中央へ。これを受けたのチン・ソンウが見事な反転から左足でゴールに叩き込んで2対0。3ボランチにしてすぐに2点差になってしまった。こうなるとニッポンは冷静さを欠き、さらに守勢に回ることに。韓国に3点目が生まれかねない勢いだったが、後半15分、中盤の大島を下げて前線の浅野を投入してふたたび2トップに。後半22分、矢島のスルーパスに浅野が猛スピードで抜け出して、落ち着いてゴール右隅に決めて一点差に。その1分後、左サイドからのクロスに中央に走りこんだ矢島が頭で合わせてまさかの同点ゴール。圧倒的な劣勢に立たされていたはずが、たった2分で追いついてしまった。どちらも韓国のディフェンスが振り切られての失点。後半が進むにつれて、ニッポンのコンディション面での優位が目に付くようになってきた。
●後半36分はニッポンのカウンター。中島から浅野へのパスに対して、浅野がまたもスピードを生かしてラインの裏へと抜け出し、キーパーとの一対一に。これを落ち着いてゴール右隅に流し込んでよもやの逆転。2点差をひっくり返してしまった。喜ぶ浅野はジャガー・ポーズでゴール・セレブレーション。ガオー!と笑顔で咆哮。韓国は足が止まり、ここから有効な反撃をすることができず、ニッポンが3対2で勝利した。アジアの大会で優勝するのはいつ以来だっけ。やはり優勝できると気分はいい。
●この韓国戦が最たるものだけど、今回のニッポンは試合の終盤に強かった。やはりグループリーグから選手を大胆にローテーションして、コンディション面で優位に立てたのが効いていたんだと思う。浅野をずっと先発させなかったのも成功。正直、チームの地力は韓国のほうが高かったと思うが、大会を通じた戦い方でニッポンが上回った感。手倉森監督は勝負師だなあと思う。岡田武史監督をほうふつとさせる。

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