February 19, 2016

パーヴォ・ヤルヴィとブニアティシヴィリのシューマン&R・シュトラウス

●18日はパーヴォ・ヤルヴィ&N響へ(サントリーホール)。パーヴォ月間もこれでおしまい。前半にシュトラウスの「変容」、シューマンのピアノ協奏曲(カティア・ブニアティシュヴィリ)、後半にふたたびシュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」というお得感のある(?)プログラム。ゲスト・コンサートマスターにコンセルトヘボウ管弦楽団からヴェスコ・エシュケナージ。N響にはもう5回目ということで、おなじみの顔に。
●シュトラウスの「変容」は23人のソロ弦楽器のための作品だが、パーヴォは各パートを部分的に2人ずつで演奏するという46人編成を採用。倍管ならぬ倍弦とでも。おかげで格段に豊麗なサウンドの「変容」になった。たしかに2000人規模の大ホールで演奏するのならこれくらいのダイナミクスは欲しいかも。シューマンはジョージア生まれのソリスト、ブニアティシュヴィリ(ブニアティシヴィリ)が奔放な演奏を聴かせた。これがなんといったらいいのか……。若い美貌のピアニストで、半径50メートル以内のおじさんたちの鼻の下が一斉に伸びるというフェロモン効果を盛大に誘発するものの、自在なシューマンは好悪が分かれるところ。アンコールではドビュッシーの「月の光」を、まるで後期ロマン派の交響詩を奏でるかのように遅いテンポでたっぷりと弾いた。ああいうの、じれったくない? でもきらめくような弱音の美しさは見事。
●「ツァラトゥストラはかく語りき」は輪郭のくっきりした明快な演奏。シューマンでは珍しく弦楽器を通常配置にしていたのだが、後半からはパーヴォ流の対向配置に。この日、3曲ですべてコントラバスの配置が違っていたことになる。一曲目は中央後列、二曲目は上手、三曲目は下手。こんな演奏会も珍しい。特にシューマンとR・シュトラウスは、同じ指揮者で弦楽器の配置の違いの効果を聴き比べる貴重な機会を作ってくれたことになる。もう一度くらい同様の機会が欲しいけど。
●近年、どんどん名前の憶えづらい若い演奏家が台頭しているっていうのは、それだけ従来とは違った言語圏の人が出てくるようになったっていうことなんだろうけど、それにしてもブニアティシヴィリ。この人の名前も10回繰り返さないと。っていうか、「ブニアティシヴィリ」で覚えていたら、N響表記は「ブニアティシュヴィリ」でさらに一文字増えてるという試練が。10回+10回で20回発音したい。あと、自分でも本気で危険だなと思いつつあえて書くんだけど、ブニアティシヴィリとバティアシュヴィリを混同しないようにしなければ。カティア・ブニアティシヴィリ/ブニアティシュヴィリはピアノ、リサ・バティアシュヴィリはヴァイオリン。だ、大丈夫……たぶん。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「愛のメモリー増設」です。

次の記事は「東京芸術劇場コンサートオペラvol3 ~ 「サムソンとデリラ」」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ