●20日は東京芸術劇場コンサートオペラvol3、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」へ。サムソンにロザリオ・ラ・スピナ、デリラにミリヤーナ・ニコリッチ、大司祭に甲斐栄次郎、アビメレクにジョン・ハオ他。佐藤正浩指揮ザ・オペラ・バンド、合唱は武蔵野音楽大学。オーケストラは在京オケの奏者中心で編成。演奏会形式ではあるが、照明による演出などもあり上演形態に不足を感じさせない。もともとオラトリオ的な性格を持つ作品だということもあるだろうか。各幕の長さがコンパクトなのも吉。歌手陣の充実もあって、期待以上に楽しめた。
●で、サン=サーンスの「サムソンとデリラ」。このオペラって肝心の場面が描かれていないんすよね。サムソンの髪の毛について言及されてたっけ? 第2幕のおしまいでなにが起きているのか、このオペラだけを見てもわかるものなんだろうか。サムソンの怪力の秘密は髪の毛にあり。それをサムソンがわざわざデリラに明かしてしまうというのも謎すぎる。なんで惚れたからって自分の弱点を教えるのよ。それにわかったからといってどうやってデリラが髪を切ったのか。
●あと第3幕、怪力を失い、両目をえぐられてしまったサムソンが神に祈って、ふたたび力を取り戻して神殿を崩壊させてわが身もろともペリシテ人たちを葬る。これってサムソンは髪を切られたんだけどしばらくしてまた伸びてきたから怪力が戻ったという、ペリシテ人テヘペロ話だとワタシは解しているのだが、それでいいのだろうか。床屋はなにをしていたのか、みたいな。
●神殿崩落場面は映像と効果音を駆使して工夫されていた。にしても、この台本の唐突さはすごい。「台本的に納得いかない感+音楽的に聴きどころに次ぐ聴きどころ」というアンバランスさは、先日のビゼー「真珠採り」にも匹敵する。自分にとって、サン=サーンスの音楽の魅力は、上っ面感というか、職人的な醒めたところ。「バッカナール」とかまさにそう。宗教オペラなのにこの臆面のなさと来たら。第2幕終盤の嵐の音楽は、ワーグナー風というか、「ワルキューレ」の嵐を思わせる一方、激情的な幕切れはヴェルディ風味も。サン=サーンスって「愛に見放された天才」だと思ってるんだけど、これは真摯さよりもスペクタクルを追求する姿勢と表裏一体という感じがする。
February 22, 2016