●27日はプレトニョフ指揮東フィルで劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲。字幕・語り付き。石丸幹二の語りに、ソールヴェイ(ソルヴェイグ)にソプラノのベリト・ゾルセット、ペール・ギュントにバリトンの大久保光哉、アニトラにメゾ・ソプラノの富岡明子、新国立劇場合唱団という歌手陣。「ペール・ギュント」といえば組曲版が名曲の宝庫で聴く機会が多いが、全曲を語り付きで聴ける機会は貴重。組曲版の曲想から受ける抒情的なイメージと、本来イプセンの「ペール・ギュント」が持つ奇天烈さとか風刺性との間には大きな距離がある、ということは認識してはいたけど、やはり実際に見てみないと。
●語りは声の調子を変えながら一人何役もこなして、物語世界を立体的に浮かび上がらせる。休憩込で2時間45分級という長丁場で、語りの比重が非常に大きいにもかかわらず、最後まで微塵も疲れを感じさせない。この安定感は驚異的。とはいえ、こんなに語りのワード数が多いとは。そしてこの台本の文体と語り手の話体がかなりの程度、舞台のトーンを決定するのだなと実感。オペラにおける演出と同等というか。
●で、組曲版だとわからなかった全貌が全曲演奏だとすっきりと見えるのかというと、必ずしもそうでもなくて、むしろコンテクストの喪失を感じさせる。当時のノルウェー人なら言わずともわかるところが、(少なくともワタシは)ピンと来ていないんだろうなーと思うもの。それはこの劇音楽に限らず、オペラであっても、もっといえば交響曲やピアノ・ソナタだってそうやって意味が失われていくものであるにしても。そこで台本にどれだけ現代性を持たせるかは悩みどころか。以前、別の楽団で全曲演奏をした際に用いられた台本原稿が手元にあったので帰宅してから開いてみたら、ずいぶんトーンが違っていて、いろいろな可能性を感じる。
●ソールヴェイ役のベリト・ゾルセットが歌うと場内の空気が変わる。清澄。出番は数曲に限られるけど、すごく効いている。オーケストラは厚みのある豊麗なサウンド。プレトニョフもノット&東響やパーヴォ&N響と同様の並びの対向配置を採用していた。
●第5幕冒頭の嵐の音楽は「さまよえるオランダ人」へのオマージュとでもいうべきか。バイロイトの「指環」初演にも立ち会ったグリーグのワグネリアンぶりを垣間見た思い。ベートーヴェン「田園」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ワーグナー「さまよえるオランダ人」、ベルリオーズ「トロイ人」~「王の狩と嵐」……と脈々と連なる嵐の音楽の系譜がここにも。
2016年4月アーカイブ
ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルの「ペール・ギュント」全曲
波ダッシュ効果について
●「~」によって表現に気持ちがこもる例。
あったか~い
つめた~い
ベ~ト~ヴェン
ジョナサン・ノット&東響の「ドイツ・レクイエム」他
●24日はジョナサン・ノット指揮東京交響楽団(サントリーホール)。今回もプログラムがすばらしい。前半にシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」とベルクの「ルル」組曲、後半にブラームスのドイツ・レクイエム。死の匂いが立ち込める前半と、死者を悼む後半。ナチスのユダヤ人虐殺が題材のシェーンベルク作品と、「ドイツの」レクイエムの組合せは、プログラムノートでノットが語るように「聴く者に和解の想念を抱かせる」。ソプラノはチェン・レイス、バス・バリトンと語りはクレシミル・ストラジャナッツ、東響コーラス。前半2曲のそれぞれの歌手が、後半に独唱者となって集うのは視覚的にも劇的で、プログラムのストーリー性を際立たせる。チェン・レイスは前半に深紅の衣装、後半は黒で登場。
●ドイツ・レクイエムは全般にゆっためのテンポがとられ、豊麗で、追悼というよりは希望の歌に聞こえる。ヴァイオリンが用いられない第1曲のくすんだ色調もあって地味な作品だと思っていたけど、少し印象を改めさせられた。この曲、なんというか、どん臭いところが好きなんだけど、ぜんぜんカッコいいではないの。
●「ルル」組曲って、ソプラノが第3曲で歌うときは魔性の女ルルを歌うんだけど、第5曲で歌うときはゲシュヴィッツ嬢になって「ルル、わたしの天使……」って歌うんすよね。オペラ本編を見てないとわけがわからなくなりそう。第5曲ではルルは切り裂きジャックに殺されているという謎展開。
●ノットと東響のコンビは毎回の公演が本当に充実している。いつも新鮮な感動があるんだけど、これはいつまで続くんだろう。
ピエタリ・インキネン&日本フィルの「惑星」他
●22日はインキネン指揮日フィルへ(サントリーホール)。ブリテンのヴァイオリン協奏曲(庄司紗矢香)とホルストの組曲「惑星」という、イギリス音楽プロといえばイギリス音楽プロ。ブリテン作品を聴けるのがありがたし。ヴァイオリン協奏曲は1939年、25歳で書かれた作品。この曲、自分の感じるところではブリテン度が薄いというか、ブリテンにしては少し乾いている。そこが魅力。鮮やかなソロに息をのむ。アンコールにスペイン内戦時軍歌「アヴィレスへの道」。
●「惑星」は、スペクタクルを追い求めず、むしろ端然として澄んだ演奏で、この曲が天文学的壮大さではなく占星術的な世界観に依拠することを思い出させてくれる。CM等でさんざん消費されているはずの「木星」中間部を聴いて、ぐっとくる。「海王星」おしまいの消えゆく女声合唱はP席上方の扉の向こうから。やがて扉が閉められ、(たぶん)合唱が移動して遠ざかりながらの念入りなディミヌエンド。もう終わらないんじゃないかと心配になった。そのままカイパーベルトまでずっと旅するんじゃないかっていうくらい。
●平日夜公演だったが、終演後に「アフタートーク」があって、インキネンが登場してソロでトーク。庄司紗矢香さんとは20年来の知り合いだそうで、ともにケルンにてザハール・ブロン門下でヴァイオリンを学んだ間柄なんだとか。「その頃はまだ庄司さんは14~15歳だったと思うが、すでにすぐれたヴァイオリニストだと思っていた、その後、自分はシベリウス・アカデミーで指揮を学び、ヘルシンキ・フィルで庄司さんと共演する機会があった。今回ついに東京での共演が実現できてうれしい」。今回の演奏会が首席客演指揮者としての最後の登場で、これからは首席指揮者として日フィルを率いる。
Google Play Music vs Apple Music 2016年春
●定点観測みたいなものだが、またもGoogle Play MusicとApple Musicを比較してみる。定額制ストリーミング・サービスとして、どちらもほぼ同じような音源を提供していて、価格も似たようなものだが、クラシックを聴くにはどちらがいいのか。
●以前はそうじゃなかったと思うんだけど、Apple Music (Windows版を使用)にも「作曲家名」のフィールドが表示されるようになったみたい。複数の作曲家の曲を収めたアルバムの場合、Google Play Musicだと個別トラックの作曲家名がわかるのに、Apple Musicだとわからないという不満がこれまであったのだが、これでこの問題はおおむね解消された模様。
●あと音源について。やっぱりApple Musicのほうが多くカバーしている印象がある。でも、これも微妙なところで、たとえば、Kazuki Yamada で検索してみると、こんな感じでヒットする。以下、レーベル別のアルバム数。
Apple Music:
Pentatone 3点、Exton 6点、Creston 2点、Aeon 1点、Fontec 2点、Denon1点、Mirare 1点
Google Play Music:
Pentatone 1点、Exton 8点
と、いったようにApple Musicのほうが国内レーベルでも海外レーベルでも広くカバーしている。特にPentatoneでの山田和樹指揮スイス・ロマンド管弦楽団との録音は、Apple Musicは最新アルバムまで3点全部聴けるのに、Google Play Musicは最初のビゼーしか聴けなくてがっかり。ただし、ExtonはGoogle Play Musicのほうがたくさんヒットするので、Apple Musicさえあればいいとは言えない。
●ま、金額的には両方とも契約したってCD1枚分くらいなんだから、どっちも使えばいいっていう結論はとっくに出ているのだが、どっちをメインで使うのかという問題。
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●あと番外編として、NMLは前にも書いたように日本語化がしっかりしているという点で、相変わらず独自の価値がある。これは単に「翻訳してあるからありがたい」っていうだけじゃないんすよ。むしろ表記に一貫性があることに意味がある。つまり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を探すときに、The rite of spring と Le sacre du printemps で2回検索しなくても、ただ「春の祭典」と検索すれば済む。この一覧性はApple MusicにもGoogle Play Musicにもない。
小林愛実ピアノ・リサイタル~ポーズ・デジュネ シリーズ Vol.1
●20日は東京オペラシティで小林愛実ピアノ・リサイタル。「ポーズ・デジュネ」と題されたシリーズの第1回で、平日昼11時半から約60分のコンサート。小林愛実さん、以前に聴いたときはまだ子供だったのに、いつのまにか大人になってて(といってもようやく20歳)、いまやショパン・コンクール・ファイナリストに。子供から若者になるのって、あっという間なのだなあ……。
●プログラムはモーツァルトのデュポールのメヌエットによる9つの変奏曲、ドビュッシーの「版画」、リストの「巡礼の年第2年 イタリア」から「ペトラルカのソネット」第123番とソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」。情感たっぷりでロマン的な潤いの感じられるモーツァルトとドビュッシーに、渾身のリストが続く。アンコールにショパンのノクターン嬰ハ短調(遺作)。この一息で聴ける長さはいいっすね。これ以上長いとキツいし、これ以上短いと物足りない。
●おもしろかったのは、終演後に出演者によるフォト&サイン・セッションが用意されていたこと。サイン会はおなじみだけど、出演者と一緒に写してもらえるフォト・セッションがあるとは。これはお土産として秀逸かも。
●で、客席を見て思ったのだが、「平日昼の公演がリタイア層向け」だなんていうのはただの先入観にすぎないんじゃないだろか。若い人がたくさん来てるもの。年齢分布は上下にバランスよく広がっている感じで、普段のオケ定期よりよっぽど若いくらい。女性多め。現役世代の場合、昼は仕事さえ休んでしまえば自由に出かけられるけど、夜は子育て等で外出のハードルがうんと高くなるという人も多いはず。あるいは、昼だろうが夜だろうが関係なく、そのアーティストの客層が足を運ぶだけ、という可能性も否定しがたい。
レスターの奇跡まで、あと4節
●いよいよプレミアリーグで岡崎慎司所属のレスター・シティが優勝する可能性が高まってきた。どう見ても降格争いをすると思われていた小さなクラブが、マンチェスター・ユナイテッドやマンチェスター・シティ、アーセナル、チェルシーといったビッグクラブがひしめくイングランドで優勝する。これはおとぎ話だろう。開幕前、ブックメーカーのオッズではレスターの優勝は5000倍だったとか。もしそこに1万円でも賭けていたら……いやいや、あなた、千円だって絶対賭けなかったでしょうが、レスターに。ありえないもの。
●落ち着いて順位表を眺めてみよう。残すところあと4試合。レスターはスウォンジー(ホーム)、マンチェスター・ユナイテッド(アウェイ)、エヴァートン(ホーム)、チェルシー(アウェイ)と戦う。マンUとチェルシーの両アウェイ戦を残しているという点で、実はなかなか厳しい。前節、ウェストハム・ユナイテッドと引き分けた際に絶対的エースのヴァーディがレッドカードをもらってしまったのもかなり痛い。
●レスターを勝点5の差で追うのはトッテナム・ホットスパー。これも予想外の大健闘で、レスターがこんなことになっていなければ、トッテナムの大躍進が話題になっていたはず。トッテナムには韓国のソン・フンミンもいる。トッテナムの対戦相手は、WBA(ホーム)、チェルシー(アウェイ)、サウザンプトン(ホーム)、ニューカッスル(ホーム)。うーん、こっちもアウェイのチェルシー戦があるとは。いや、チェルシーにしてみれば目標を失った終盤で、優勝争いをする2チームと対戦しなければいけないわけで、しんどいのはチェルシーのほうかも。勝点5差は小さくないものの、いくらかトッテナムのほうが対戦相手に恵まれているだろうか。レスターが連敗してトッテナムが連勝すれば、わずか2節で逆転してしまうのだから、これだけレスター旋風が吹き荒れた結果、最後の最後でトッテナムが笑っているという展開だってぜんぜんありうる。
●実際、トッテナムは優勝にふさわしい。得失点差は+39で、これは続くシティの+28をぶっちぎりで引き離してリーグ1位。普通だったら文句なしで優勝だろう。レスターは+26。ほとんどの試合でボール支配率で相手を下回るが、疲れ知らずのプレスをかけ続け、高速カウンターアタックで相手を仕留めるパターンが多いという印象だ。内容的にはまるで魅力的ではないのだが、それでもレスターに優勝してほしいと思えるのは、予算の小さなクラブが奇跡を起こすところを見たいということと、岡崎慎司がなんとかポジションを獲って奮闘しているからということに尽きる。
「地図と領土」(ミシェル・ウエルベック著/ちくま文庫)
●気になりつつも遠ざけていたウエルベックだけど、昨年「地図と領土」(ちくま文庫)が文庫化されたのでゲット、ようやく読む。おもしろい。現代美術のアーティストを主役にした物語で、序盤は煮え切らないアーティストの卵みたいな若者が、とびきりの美女と出会って、美術界で大躍進するという成功譚。なんだけど、主人公は時の人となっても変わらず淡々とした生き方を続けるばかり。クリスマスになれば実家の老いた父親とふたりで静かに過ごすのが年中行事。やがて主人公は絵画に新境地を開き、新作は次々と途方もない価格で売れ、巨額の富を手にする(アートとマネーの関係性もこの物語の副次的なテーマ)。それでも、主人公の無感動な態度に変わりはない。これ、話はどこに向かうんだろう……?
●と半分以上読み進めたところで、ようやく本の裏表紙に書かれている「あらすじ」の事件が起きる。主人公は有名作家ミシェル・ウエルベック(この本の著者である)に個展用の原稿を頼むが、しばらくするとウエルベックは惨殺死体で見つかる。事件発生、いったいだれがなんのために? 急にミステリー調になってお約束の刑事コンビが登場して、事件を捜査する。型通りのミステリーが挿入されるのが楽しすぎる(しかもよくできている)。
●で、小説内に作者自身を登場人物として登場させるという、まさしく自己言及的な仕掛けもそうだが、この本は「書くことについて書く」本でもある。しかも「描くことについても描く」。主人公が成功を収めた架空の写真や絵画作品について、それをどう描いたかが描写されている。主人公は肖像画の成功で富を手にするが、そこに作者は物語内に自分を登場させる。物語外では作者が小説として自画像を描いている一方、物語内では主人公が作者の肖像画を描くという並行関係がおもしろい。
●ところで主人公が物語内作者に対して依頼する展覧会のカタログ原稿なんだけど、原稿料は1万ユーロだっていうんすよ。ふーん。
東京・春・音楽祭「ポリーニ・プロジェクト~ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン」
●14日は東京・春・音楽祭「ポリーニ・プロジェクト~ベリオ、ブーレーズ、ベートーヴェン」(東京文化会館小ホール)。ポリーニ・プロデュースによる室内楽の第一夜。前半が現代音楽でベリオの「セクエンツァ」からⅠ.フルートのための(工藤重典)、II.ハープのための(篠﨑和子)、Ⅵ.ヴィオラのための(クリストフ・デジャルダン)、ブーレーズの「弦楽四重奏のための書」よりIa Ib II IIIa IIIb IIIc(ジャック四重奏団)。後半はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第10番「ハープ」。ベートーヴェンはかなり荒っぽい演奏。凝縮されたフルートおよびヴィオラの「セクエンツァ」を満喫。
●こういう前衛+古典みたいな組合せのプログラムになにか適切な名称はないかと思っているのだが、ひとまず「柿ピー」プロと呼んでみる。柿の種を食べると、ピーナッツが食べたくなる。ピーナッツを食べると柿の種を食べたくなる。という補完的欲望の真理。「ピーナッツ50%!」みたいにピーナッツ度の高さを売りにする「柿ピー」もある一方で、柿の種100%という純度の高さを売りにするものもある。亀田製菓によれば「柿ピー」は柿の種60%ピーナッツ40%の比率で調節しているっていうんだけど、この日のプログラムがそんな感じだったんじゃないだろうか。
LFJ2016公式本「ナチュール 自然と音楽」(エマニュエル・レベル著/アルテスパブリッシング)
●毎年、ラ・フォル・ジュルネでは公式本が作られるのだが、今年はこれまでとはがらりと雰囲気を変えた一冊が登場した。エマニュエル・レベル著の「ナチュール 自然と音楽」(西久美子訳/アルテスパブリッシング)。これは日仏共通のオフィシャルブックという扱いで、ナントでも販売されている本の邦訳。新進気鋭の音楽学者による書き下ろしなのだとか。従来の公式本は日頃クラシックを聴かない人も読めるような本が企画されていたが、今回は純粋に「自然と音楽」を題材とした音楽書になっている。音楽祭のためのガイドブックにはまったく留まっていなくて、音楽祭後も読まれるべき一冊。
●前半を読んでいておもしろいと思ったところをいくつかメモ。ヴィヴァルディの「四季」について。これはすごく描写的な音楽だけど、作曲家がこの曲で描いたのは、ヴェネツィアの四季ではなく、どこにも存在しない理想化された四季という話。「ヴィヴァルディは音楽から特定の場所を示唆するような描写的要素をすべて排除している」。
●一方、ベートーヴェンの「田園」について。これはヴィヴァルディとは逆で、理想化された田園じゃなくて、本当にその辺に歩いて行けるところにある自然。その点で「過去のパストラーレとは一線を画している」。あと、「田園交響曲」はベートーヴェン以外にもたくさんの作曲家が書いているんだけど(今となっては無名の作曲家によって60作以上も書かれたとか)、そのなかで嵐のエピソードが挿入されているのはすごくまれで、ベートーヴェン以外にはシュターミツとクネヒトなんだとか。クネヒトの「自然の音楽的描写」は今回のLFJの目玉作品のひとつだと思うんだけど、これってヴィヴァルディの「四季」並みに詳しいストーリーが添えられているんすよね。ますます聴くのが楽しみになってきた。
ワールドカップ2018ロシア大会最終予選の組み分け
●一昨日に抽選会が行なわれて、ワールドカップ2018ロシア大会最終予選の組み分けが決定した。ドキドキ。アジアの出場枠は4.5なので、各グループで2位以上になれば本大会出場決定、3位ならばプレイオフへ。
B組:オーストラリア、日本、サウジアラビア、UAE、イラク、タイ
●正直なところアジアに4.5の枠はかなり甘いわけだが、それでもどうだろう、こうして見ると難敵ばかりがそろっている。B組最強の敵はオーストラリアだとしても、近年復活しつつあるというサウジアラビアがいて、元アジア・チャンピオンのイラクがいる。UAEはアジア・カップ2015の準々決勝でPK戦で敗れた相手。つまり、このグループにはアジア・チャンピオン・クラスが日本も含めて4か国、プラス難敵のUAEと、唯一東南アジアから勝ち上がってきたタイがいる。やや厳しいグループに入ったなという実感あり。
●とはいえ中国と同組にならなかったのはよかったかも。アウェイの中国戦は難関なので。
●1位になってもおかしくないし、4位でもまったく驚きはない。それくらいの実力差か。ただ日程を見ると、前半のほうが楽なんすよね。中東アウェイが後半に偏り気味。そう考えると最初の3戦、ホームのUAE戦、アウェイのタイ戦、ホームのイラク戦あたりは3連勝しておきたいところ。序盤にリードして、後半にだんだん苦しくなるけどアウェイで勝点1をもぎ取りながら逃げ切れれば、という展開を予想している。
北村朋幹のブラームス、ベートーヴェン、シェーンベルク他
●12日はトッパンホールで北村朋幹リサイタル。いつもながら、プログラムが凝っている。前半はベートーヴェンの6つのバガテル op126、シェーンベルクの6つの小さなピアノ曲 op19、ブラームスの幻想曲集op.116、後半にリストの悲しみのゴンドラ第1とブラームスのピアノ・ソナタ第3番。
●前半はミニチュア的な作品の集積で、なんというか、円熟したピアニストがアンコールにでも弾きそうな曲が集まっていて、25歳の若者が弾くものとは思えない。でもこれがなんとも詩情にあふれて味わい深い。特にシェーンベルクの語り口の豊かさ(官能性、ユーモア、瞑想的)が印象的。後半は趣が変わるが、どちらもフォンテックからリリースされた最新アルバム「黄昏に ブラームス、リスト、ベルク作品集」に収録されている曲。25歳で出すアルバムが「黄昏に」。爺さんになったらどうするの!? と一瞬思うが、これはブラームスからリスト、ベルクへと至る「ロマン派音楽の黄昏」というコンセプトなのだった。
●ブラームスのピアノ・ソナタ第3番って20歳の若者が書いた曲なんすよね。全5楽章からなる大作にして野心作。はるか遠くに交響曲を予見させるという以上に、むしろシューマンのエコーが聞こえてくる。「クライスレリアーナ」とか「幻想曲」の向こうにある「超シューマン」。前半が小さな閉じた世界の集合体だとすれば、後半は過去にも未来にも開けた世界を堪能したという感。熱狂しながらも端正なフィナーレも見事。アンコールは2曲。ショパンのマズルカ第13番イ短調op17-4 とモンポウの「歌と踊り」より第1番。最後、モンポウだったとは。
東京武蔵野シティFCvsアスルクラロ沼津@JFL
●10日は武蔵野陸上競技場でJFLの東京武蔵野シティFC(旧・横河武蔵野FC)vsアスルクラロ沼津。「J3を目指す!」としてチーム名から企業名を外し「東京武蔵野シティFC」という都会なんだか田舎なんだかぜんぜんわからない名前に生まれ変わったのはいいとして、ここまで2分3敗と勝ち星なし。昇格どころか降格の可能性が見えている。かつて最強アマチュアチームとしてJリーグを目指すクラブを次々と屈服させて、「門番」と恐れられていた時代もあったというのに。
●で、このチーム、ワタシが観戦した時の勝率は異常に低い。おまけに相手はこの時点でリーグ2位の沼津とあっては、まるで勝てる気がしない。それなのに、だ。なんと、今季初勝利を収めたのである。この日の武蔵野はもともとの堅守に加えて、攻撃が機能していた。前半から沼津相手にゲームを支配し、サイド攻撃からなんども決定機を作り出していた。特にこの日は長い距離のパスの精度が高く、一本のパスから局面を大きく展開するという見ごたえのある場面が続出。沼津のキーパー石田良輔がファインセーブを連発したため、前半はスコアレスに終わったが、予想外の武蔵野ペースでゲームが進んだ。後半は次第に相手に押し返される展開となったものの、74分にカウンターから交代出場の若狭友佑が鮮やかにゴールを決めて先制。その後は沼津のロングボール攻撃を耐えきって、1対0で勝点3をゲット。有料観客数は1117名と、かなりの盛況だった。ギリギリ花見シーズンでもあったので。
●武蔵野はいつのまにか3バックになっていた。なんだかがっしりと目方のありそうな選手が増えてきたような印象も。ちなみに本田圭佑選手は健在で、先発フル出場(ACミランの10番と同姓同名の選手がいるのだ)。あと、アスルクラロ沼津にはまさかの現役復帰を果たした中山雅史が所属しているのだが、ベンチにも名前なし。さすがに48歳で公式戦出場は容易ではないか。ちなみに両チームとも平均年齢は26歳。
IIJとベルリン・フィルがストリーミングパートナー契約を締結、ハイレゾ配信がスタート
●8日はIIJとベルリン・フィル・メディアの共同記者会見へ(東京文化会館大会議室)。ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホール(DCH)における技術協力を目的として、IIJ(株式会社インターネットイニシアティブ)が「ストリーミング・パートナー」となるスポンサーシップ契約が締結された。で、この日からさっそく、DCHでハイレゾ・ストリーミング・チャンネルがスタート。ラトル指揮ベルリン・フィルのシベリウス交響曲全集など、すでに自主レーベルにて発売されているタイトルが、最高192kHz/24bitのハイレゾ音源で配信されている。これはDCHの加入者なら追加料金なしで楽しめる(プラグインや専用ソフトウェアのインストールも不要)。ワタシも帰宅してからさっそく聴いてみた。簡単に聴ける。ありがたし!
●さらにIIJのハイレゾ音源ストリーミングサービス PrimeSeat にて、4月16日より新番組「ベルリン・フィル・アワー」が配信開始される。こちらはベルリン・フィル定期を48kHz/24bitのハイレゾ音源で配信するというもので、第1回は4月16日の19時よりラトル指揮でベートーヴェンの交響曲第4番とマーラーの交響曲第1番「巨人」。専用ソフトウェアのインストールが必要。
●会見には写真左よりIIJの鈴木幸一会長、ベルリン・フィルのソロ・チェロ奏者でベルリン・フィル・メディア取締役でもあるオラフ・マニンガー、ベルリン・フィル・メディア取締役ローベルト・ツィンマーマン各氏他が出席。鈴木会長は「音だけで大量の帯域を使用する画期的なサービス。会場のノイズなども含めた、まさにそこにいるかのような高品質のサウンドを配信したい」。マニンガー「ベルリン・フィルは以前から可能な限りその時代の最新技術を活用してきた。ソニーの大賀さんとのCDやカラヤンとの映像など。さらに時代が進み今はDCHで定期演奏会を配信している。われわれはライブでもメディアでも常に最高の品質で音楽を届けることを目指している。今回、IIJとパートナーシップを組めたのは幸運なこと。IIJといっしょにストリーミングの未来を考えたい」。
●さらに日本でまっさきにハイレゾ配信が実現したことについて。マニンガー「日本の聴衆は常にクォリティに対して高い要求をする方々。そして、ドイツとは比較にならないほどネット環境が整っている。光ファイバーの普及率はドイツでは5%だが日本では60%にもなると聞いている。また日本にはベルリン・フィルを大切に思ってくれるファンがいる。わたしたちは今回のことをスペクタクルだと思っているのだが、日本の聴衆にもそう思ってもらえるのかどうか、注目している」。
●といった次第で、ベルリン・フィルのDCHがますます充実することに。スタートしたばかりの頃はコンテンツの量がごく限られていたDCHだけど、その後、同じ料金のままどんどんコンテンツが増えて、なおかつハイレゾ配信まで始まった。なんというか、だれも背中が見えないくらいのぶっちぎりの独走状態というか。
●最後の質疑応答の中で、どんなに配信技術が進化してもそれが生の演奏会の代わりになるものではないといった文脈から出てきた一言。オラフ・マニンガー「実際にライブを聴いたことがある人がハイレゾ配信を聴くときと、そうでないときでは受容の仕方がちがってくると思う。これはサッカーのようなスポーツでも同じ。いつもスタジアムに足を運んでいる人が、たまにテレビを見るのと、テレビでしか見ない人では感じ方が違ってくる。ライブで体験していれば、メディアを通してもそこに実際の会場の雰囲気などを感じ取ることができる。この本質はどんなに技術が進んでも変わらないだろう」。ツィンマーマン「未来にはさらに技術が進むだろう。3Dのバーチャルセット等々。それらがライブの代わりになることは未来永劫ない。しかし技術は進んでいくものであり、そのクォリティをわたしたちは上げていきたいのだ」。
東京・春・音楽祭「ジークフリート」
●7日は東京・春・音楽祭でワーグナー「ニーベルングの指環」~「ジークフリート」演奏会形式。ついに来た!という感じ。歌手もオーケストラもすべてにおいて満足できる公演で、自分的にはこの音楽祭の最高到達点に出会った気分。アンドレアス・シャーガーのジークフリートがスゴすぎる。輝かしい声、豊かな声量とスタミナに加えて、演奏会形式にもかかわらずこの役の少年性をこれだけ表現できるとは。第2幕で森の鳥の声を解せるようになって、自分のこれから進む道がパッと開けたという場面で、ガッツポーズ気味で「イェーイ!」って勢い込んで歌うじゃないすか。だよなあ。思わず笑ったけど、これこそ恐れを知らぬ若者って感じがする。ゲルハルト・シーゲルのミーメ、エギルス・シリンスのさすらい人、トマス・コニエチュニーのアルベリヒ、エリカ・ズンネガルドのブリュンヒルデ、シム・インスンのファーフナー、ヴィーブケ・レームクールのエルダ、清水理恵の森の鳥(5階席から歌った。鳥は空を飛んでいるのであった)。今回もゲストコンサートマスターにライナー・キュッヒルを迎えて、マレク・ヤノフスキ指揮N響。オケは精緻で、楷書体の凄味みたいなものを感じる。あと2幕のホルンコール(福川さん)は、舞台上でオーケストラの前に立ってソロで演奏するというスタイル。カッコよすぎ。オペラのカーテンコールでホルン奏者が歌手と並ぶという珍しいシーンを見ることができた。
●で、「ジークフリート」という作品。「指環」って最初は神話的な壮大さに惹かれるわけだけど、根幹はファミリードラマじゃないっすか、父と子、父と娘、夫と妻についての。「スター・ウォーズ」がそうであるように、あるいはそもそも神話がそういうものであるように。そうなると「ジークフリート」でいちばん同情してしまうキャラはなんといってもミーメ。卑しくて、利己的で、悪辣なミーメ。でも、こいつは男手ひとつでジークフリートを育てたんすよ! いかに自分勝手な目的だろうと、どんだけ大変なのよ、子育て。もう偉業だよ。この「指環」にはいろんな種類の家族関係が出てくるわけだけど、血縁はなくてもミーメとジークフリートというのも確かな親子にちがいない。でも殺し合いになるって? そう、指環の呪い、恐るべし。
●あと、ジークフリートはこの一作のなかで幼児から青年へと猛スピードで成長する。最初は幼児みたいなことを言ってる。自分の本当の親はだれなんだろう。お母さんに会いたい。でも母がすでに死んでいると知る。「人間の母親は子供を産むと死んでしまうのかな、だとしたら悲しいね」みたいな独り言をいう場面がうるっと来る。
●毎回思うけど、さすらい人とミーメのクイズ合戦も秀逸。自分の知らないことを尋ねればいいのに、知ってることばかりを尋ねてしまうミーメの愚かさ。でも人間ってそんなものかも。人間じゃないけど。
新国立劇場「ウェルテル」
●6日は新国立劇場でマスネの「ウェルテル」(新制作)。演出は前パリ・オペラ座総監督のニコラ・ジョエル。このプロダクション、指揮は最初はマルコ・アルミリアートで発表されていて、それがキャンセルになって代役がミシェル・プラッソンと発表されて「おお!」と思ったら、骨折のためキャンセルで代役の代役が息子のエマニュエル・プラッソンになった。ウェルテル役は当初マルチェッロ・ジョルダーニだったのに、交通事故で負傷したということでディミトリー・コルチャックになった。と、最初の予定からずいぶん変更があったのだが、結果的にとても見ごたえのある舞台になっていた。コルチャックはすばらしい美声で、マスネの甘美な音楽にぴったり。シャルロット役のエレーナ・マクシモワともども視覚的にも納得できる。息苦しいストーリーのなかで「一息つける」砂川涼子のソフィーが効いていた。オケは東フィル。みずみずしいサウンドで、マスネの美麗な音楽を堪能。ちゃんと幕ごとに場面が転換する舞台も吉。万人に受け入れられる「ウェルテル」だったのでは。
●で、「ウェルテル」だ。オペラを見るたびに「命を粗末にしてはいけません」と説教をしたくなる派としては、どうにもこうにもならないストーリーなのであるが、なにせ原作がゲーテの「若きウェルテルの悩み」なわけで、文句をいってもしょうがない。でも言うけど。ウェルテルって本当に近づきたくないヤツじゃないっすか。粘着質なストーカーみたいなモテない男で、シャルロットに婚約者がいるってわかっただけで「じゃあ死んでやる」って第2幕で言ってて、第4幕で勝手に死ぬ。思い込みばかりが強くて、他人への共感能力をさっぱり欠いていて「僕が、僕が」と自分のことばかり。他人にとって害悪にしかならない困った男である。
●でもこれってごく普通の青春の危機を描いているわけで、つまり若い男ってのはだれもがそんなもの。一方、恋敵のアルベールは男前だ。だって、恋にやぶれてショックを受けるウェルテルに対して、「君が公正で心ある男だと知ってるよ」って声をかける思いやりがあるんだから。やはりこうありたいもの。原作を外挿せずにオペラだけで見れば、若い男は最初はみんなウェルテルなんだけど、がんばってアルベールみたいな男前になろうよ、っていう話とも読める。そのためには心のなかに巣食うウェルテルを葬らなければならない。さらば、ウェルテル(とシンボリックに解しないとピストル自殺フィナーレは受け入れられない)。
●ウェルテルって第4幕の幕が上がる前にバーンって自分を撃ってるのに、そこから幕切れまで歌い続けるんだから、どんだけしぶとい生命力を持ってるのか。って話は前にも書いたか。絶命歌唱の最高峰だと思う。そう、ウェルテルはしつこい。執着心、嫉妬心、そして自分勝手な思い込みというものは、銃の一撃じゃ退治できないほどしぶといのだ。めざせ、アルベール。
BISレーベル、無音の30秒
●スウェーデンのBISレーベルのCDには、最後のトラックのおしまいに30秒ほどの無音部分がある。全部が全部そうなのかどうかは知らないが、ワタシが聴いた限りではどれもそうなっている。これは最後のトラックを再生し終えた直後にCDプレーヤーの「シャー!」の音が鳴ってしまうと余韻が壊されるから、わざわざ余白を入れるようにしているという話だったと思う(ですよね?)。
●で、音楽配信時代が到来した今、BISの音源はどうなっているか。Apple Musicとかのストリームで再生しても、ダウンロードしてデータを購入しても、やっぱり30秒間の無音が入っている。そりゃまあ、CDと同一データを置いたらそうなるか……。でもCD体験のない若い世代にとっては、この無音の30秒間は謎の空白なんじゃないだろうか。たとえばバッハのロ短調ミサのようにCDで2枚組だったアルバムを聴くと、グロリアのおしまいに思わせぶりな30秒間の静寂が訪れる。
●だれかBISでジョン・ケージのアルバムを出すときは、最後のトラックに「4分33秒」を置いてみてはどうか(←無駄にややこしい)。
ハンガリー大使館で金子三勇士CD発売記念レセプション
●3月30日、ハンガリー大使館での金子三勇士CD発売記念レセプションへ。金子三勇士さんは1989年生まれで、お父さんが日本人でお母さんがハンガリー人。6歳からハンガリーに渡ってピアノを学び、2006年に日本に帰国して大活躍中。今回、ユニバーサルミュージックより「ラ・カンパネラ~革命のピアニズム」がリリースされた。
●すでに実演では何度か演奏を聴いていて、礼儀正しい好青年だなとは思っていたけど、実際にお会いしてその印象はさらに強まった。もう、ホントにさわやか。おまけに話術がすごく達者。特に印象的だったのはリストの「ラ・カンパネラ」の話かな。ハンガリーにいたころは「ラ・カンパネラ」なんて練習曲にすぎないと思っていたのに、日本に帰国したら「リストといえばラ・カンパネラ」みたいにこの曲が愛されていて仰天したのだとか。で、その頃はまだぎりぎり反抗期が残ってたから「そりゃ違うんじゃないのかなあ」と思ってたけど、その後、本格的にこの曲に取り組むようになり今回のアルバムでもチャレンジした、と。大使館内のピアノでショパン「革命」、リストのハンガリー狂詩曲第2番他を演奏。残響のまったくない室内での演奏ではあったが、端正な音楽作りが伝わってきた。CDにはこれらの超名曲が収められていて、まさに珠玉の小品集。
●ところで、この日はサマーミューザの記者会見の後で取材用のカメラも持参していたのだが、レセプションということで一式詰め込んだカバンといっしょにうっかり受付に預けてしまった(両手が開いていないと、立食のときになにかとカッコ悪いことになるじゃないすか)。なので、撮影できず。男子も小さなハンドバッグがあるといいのにと思うのはこういう場面っすね。
満開の桜、エガー&紀尾井シンフォニエッタ東京
●週末の東京は曇り空。桜は満開だが期待したほど気温も上がらず。近所の公園でちらっと花を眺めるも、やはり晴れてくれないと。
●1日は東京・春・音楽祭で上野へ。といっても上野学園石橋メモリアルホールのほう。反対側の出口が花見客でごった返していたのに比べればこちらは平和。リチャード・エガーが紀尾井シンフォニエッタ東京を指揮。阿部早希子のソプラノ、藤木大地のカウンターテナー。前半はヘンデルの「シバの女王の入城」、パーセルの「妖精の女王」からエガーが選曲して組曲に仕立てた「ソプラノと管弦楽のための大組曲」、後半はヘンデルの組曲「水上の音楽」(第1~第3組曲からエガーが選曲した10曲)、ヘンデルのオペラ・アリア集。エガーはチェンバロを弾きながらの弾き振り。エネルギッシュで筆圧が強く、推進力にあふれていた。モダン楽器なのでトランペットとホルンが加わったときの強度が猛烈。
●後半、アリア集に入るとやや生まじめな雰囲気からぐっと開放的で華やかな空気に。「リナルド」から「私を泣かせてください」、「ジュリアス・シーザー」の「海の嵐で難破した小舟は」、「セルセ」から「オンブラ・マイ・フ」、「リナルド」から「風よ、旋風よ」と二重唱「あなたの面差しは優美に溢れ」。これまで機会を逸してばかりだったんだけど、藤木大地さんをようやく聴けて大満足。テノールからカウンターテナーに転向して、2012年の日本音楽コンクール声楽部門で史上初めてカウンターテナーとして第1位を獲得して話題を呼び、以来飛ぶ鳥を落とす勢いで大活躍中。歌唱そのもののすばらしさに加えて舞台上から陽性のオーラが発せられていて、なんというか、「スター」だと実感。
使いどころのない自分メモ
●amazonミュージックストア内でタローを検索したところ、1位と4位にアレクサンドル・タロー、2位と3位にキダ・タローのアルバムが表示される熾烈なタロー・バトル。
●毒蝮三太夫みたいなキャラのパパゲーノ。パパゲーナに向かって「なんだこのタニシみたいな顔したきたねえババァは」とか、やたらと口が悪い。
●「トスカ」でアンジェロッティの隠れ家が古井戸の中だと聞くたびに、スライムみたいなヤツだと思う。
●ノーベル平和賞にノーベルでどうか。ノーベル平和賞に多大なる貢献を果たしたことの功績をたたえてノーベルに授与。
●子供が公園の池に向かって大声で叫んでいた。「あ、人面魚いるー! 人面魚だー、人面魚だー」。大人たちが近寄ってきた。「本当だね、今日もいたねえ、人面魚」「この人面魚、長生きしてますよね、10年以上前からいますよ」。えっ、いるんだ!?