●6日は新国立劇場でマスネの「ウェルテル」(新制作)。演出は前パリ・オペラ座総監督のニコラ・ジョエル。このプロダクション、指揮は最初はマルコ・アルミリアートで発表されていて、それがキャンセルになって代役がミシェル・プラッソンと発表されて「おお!」と思ったら、骨折のためキャンセルで代役の代役が息子のエマニュエル・プラッソンになった。ウェルテル役は当初マルチェッロ・ジョルダーニだったのに、交通事故で負傷したということでディミトリー・コルチャックになった。と、最初の予定からずいぶん変更があったのだが、結果的にとても見ごたえのある舞台になっていた。コルチャックはすばらしい美声で、マスネの甘美な音楽にぴったり。シャルロット役のエレーナ・マクシモワともども視覚的にも納得できる。息苦しいストーリーのなかで「一息つける」砂川涼子のソフィーが効いていた。オケは東フィル。みずみずしいサウンドで、マスネの美麗な音楽を堪能。ちゃんと幕ごとに場面が転換する舞台も吉。万人に受け入れられる「ウェルテル」だったのでは。
●で、「ウェルテル」だ。オペラを見るたびに「命を粗末にしてはいけません」と説教をしたくなる派としては、どうにもこうにもならないストーリーなのであるが、なにせ原作がゲーテの「若きウェルテルの悩み」なわけで、文句をいってもしょうがない。でも言うけど。ウェルテルって本当に近づきたくないヤツじゃないっすか。粘着質なストーカーみたいなモテない男で、シャルロットに婚約者がいるってわかっただけで「じゃあ死んでやる」って第2幕で言ってて、第4幕で勝手に死ぬ。思い込みばかりが強くて、他人への共感能力をさっぱり欠いていて「僕が、僕が」と自分のことばかり。他人にとって害悪にしかならない困った男である。
●でもこれってごく普通の青春の危機を描いているわけで、つまり若い男ってのはだれもがそんなもの。一方、恋敵のアルベールは男前だ。だって、恋にやぶれてショックを受けるウェルテルに対して、「君が公正で心ある男だと知ってるよ」って声をかける思いやりがあるんだから。やはりこうありたいもの。原作を外挿せずにオペラだけで見れば、若い男は最初はみんなウェルテルなんだけど、がんばってアルベールみたいな男前になろうよ、っていう話とも読める。そのためには心のなかに巣食うウェルテルを葬らなければならない。さらば、ウェルテル(とシンボリックに解しないとピストル自殺フィナーレは受け入れられない)。
●ウェルテルって第4幕の幕が上がる前にバーンって自分を撃ってるのに、そこから幕切れまで歌い続けるんだから、どんだけしぶとい生命力を持ってるのか。って話は前にも書いたか。絶命歌唱の最高峰だと思う。そう、ウェルテルはしつこい。執着心、嫉妬心、そして自分勝手な思い込みというものは、銃の一撃じゃ退治できないほどしぶといのだ。めざせ、アルベール。
April 7, 2016