●7日は東京・春・音楽祭でワーグナー「ニーベルングの指環」~「ジークフリート」演奏会形式。ついに来た!という感じ。歌手もオーケストラもすべてにおいて満足できる公演で、自分的にはこの音楽祭の最高到達点に出会った気分。アンドレアス・シャーガーのジークフリートがスゴすぎる。輝かしい声、豊かな声量とスタミナに加えて、演奏会形式にもかかわらずこの役の少年性をこれだけ表現できるとは。第2幕で森の鳥の声を解せるようになって、自分のこれから進む道がパッと開けたという場面で、ガッツポーズ気味で「イェーイ!」って勢い込んで歌うじゃないすか。だよなあ。思わず笑ったけど、これこそ恐れを知らぬ若者って感じがする。ゲルハルト・シーゲルのミーメ、エギルス・シリンスのさすらい人、トマス・コニエチュニーのアルベリヒ、エリカ・ズンネガルドのブリュンヒルデ、シム・インスンのファーフナー、ヴィーブケ・レームクールのエルダ、清水理恵の森の鳥(5階席から歌った。鳥は空を飛んでいるのであった)。今回もゲストコンサートマスターにライナー・キュッヒルを迎えて、マレク・ヤノフスキ指揮N響。オケは精緻で、楷書体の凄味みたいなものを感じる。あと2幕のホルンコール(福川さん)は、舞台上でオーケストラの前に立ってソロで演奏するというスタイル。カッコよすぎ。オペラのカーテンコールでホルン奏者が歌手と並ぶという珍しいシーンを見ることができた。
●で、「ジークフリート」という作品。「指環」って最初は神話的な壮大さに惹かれるわけだけど、根幹はファミリードラマじゃないっすか、父と子、父と娘、夫と妻についての。「スター・ウォーズ」がそうであるように、あるいはそもそも神話がそういうものであるように。そうなると「ジークフリート」でいちばん同情してしまうキャラはなんといってもミーメ。卑しくて、利己的で、悪辣なミーメ。でも、こいつは男手ひとつでジークフリートを育てたんすよ! いかに自分勝手な目的だろうと、どんだけ大変なのよ、子育て。もう偉業だよ。この「指環」にはいろんな種類の家族関係が出てくるわけだけど、血縁はなくてもミーメとジークフリートというのも確かな親子にちがいない。でも殺し合いになるって? そう、指環の呪い、恐るべし。
●あと、ジークフリートはこの一作のなかで幼児から青年へと猛スピードで成長する。最初は幼児みたいなことを言ってる。自分の本当の親はだれなんだろう。お母さんに会いたい。でも母がすでに死んでいると知る。「人間の母親は子供を産むと死んでしまうのかな、だとしたら悲しいね」みたいな独り言をいう場面がうるっと来る。
●毎回思うけど、さすらい人とミーメのクイズ合戦も秀逸。自分の知らないことを尋ねればいいのに、知ってることばかりを尋ねてしまうミーメの愚かさ。でも人間ってそんなものかも。人間じゃないけど。
April 8, 2016