April 28, 2016

ミハイル・プレトニョフ指揮東京フィルの「ペール・ギュント」全曲

●27日はプレトニョフ指揮東フィルで劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲。字幕・語り付き。石丸幹二の語りに、ソールヴェイ(ソルヴェイグ)にソプラノのベリト・ゾルセット、ペール・ギュントにバリトンの大久保光哉、アニトラにメゾ・ソプラノの富岡明子、新国立劇場合唱団という歌手陣。「ペール・ギュント」といえば組曲版が名曲の宝庫で聴く機会が多いが、全曲を語り付きで聴ける機会は貴重。組曲版の曲想から受ける抒情的なイメージと、本来イプセンの「ペール・ギュント」が持つ奇天烈さとか風刺性との間には大きな距離がある、ということは認識してはいたけど、やはり実際に見てみないと。
●語りは声の調子を変えながら一人何役もこなして、物語世界を立体的に浮かび上がらせる。休憩込で2時間45分級という長丁場で、語りの比重が非常に大きいにもかかわらず、最後まで微塵も疲れを感じさせない。この安定感は驚異的。とはいえ、こんなに語りのワード数が多いとは。そしてこの台本の文体と語り手の話体がかなりの程度、舞台のトーンを決定するのだなと実感。オペラにおける演出と同等というか。
●で、組曲版だとわからなかった全貌が全曲演奏だとすっきりと見えるのかというと、必ずしもそうでもなくて、むしろコンテクストの喪失を感じさせる。当時のノルウェー人なら言わずともわかるところが、(少なくともワタシは)ピンと来ていないんだろうなーと思うもの。それはこの劇音楽に限らず、オペラであっても、もっといえば交響曲やピアノ・ソナタだってそうやって意味が失われていくものであるにしても。そこで台本にどれだけ現代性を持たせるかは悩みどころか。以前、別の楽団で全曲演奏をした際に用いられた台本原稿が手元にあったので帰宅してから開いてみたら、ずいぶんトーンが違っていて、いろいろな可能性を感じる。
●ソールヴェイ役のベリト・ゾルセットが歌うと場内の空気が変わる。清澄。出番は数曲に限られるけど、すごく効いている。オーケストラは厚みのある豊麗なサウンド。プレトニョフもノット&東響やパーヴォ&N響と同様の並びの対向配置を採用していた。
●第5幕冒頭の嵐の音楽は「さまよえるオランダ人」へのオマージュとでもいうべきか。バイロイトの「指環」初演にも立ち会ったグリーグのワグネリアンぶりを垣間見た思い。ベートーヴェン「田園」、ロッシーニ「ウィリアム・テル」序曲、メンデルスゾーン「フィンガルの洞窟」、ワーグナー「さまよえるオランダ人」、ベルリオーズ「トロイ人」~「王の狩と嵐」……と脈々と連なる嵐の音楽の系譜がここにも。

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