July 25, 2016

兵庫県立芸術文化センターのブリテン「夏の夜の夢」

●22日は兵庫県立芸術文化センターへ。この日、東京は肌寒いほど涼しかったのに関西はカンカン照りで猛暑。最高気温が10度ほど違っていた。佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2016として取りあげられたのは、なんとブリテンの「夏の夜の夢」。この日が初日だったが、それにしてもこの演目で6回も上演されるとは。感嘆するしか。これは貴重な機会だと思い新幹線に乗ってはるばる訪れたわけだが、いざ現地に着いてから「実はブリテンじゃなくてメンデルスゾーンだったらどうしよう」と急に自分の勘違いが怖くなって(まさか)ポスターかなにかを見たら、小さくBrittenって書いてあって安堵。
●演出・美術はアントニー・マクドナルド。オーベロン役のみダブルキャストでこの日は彌勒忠史(2公演のみ藤木大地)。森谷真理(ティターニア)、森雅史(シーシアス)、清水華澄(ヒポリタ)、クレア・プレスランド(ハーミア)、イーファ・ミスケリー(ヘレナ)、ピーター・カーク(ライサンダー)、チャールズ・ライス(ディミートリアス)、塩谷南(パック:語り役)、アラン・ユーイング(ボトム)、アンドリュー・ディッキンソン(フルート)他の歌手陣、佐渡裕指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団、ひょうごプロデュースオペラ児童合唱団。舞台は私たちが「妖精譚」と聞いてまっさきに思い浮かべるような、幻想的で装飾的なもの。とても美しい。3面の回り舞台を駆使。おもしろかったのは、妖精たちは日本語で歌い、人間たちは英語で歌うというアイディア。これは昨年の野田秀樹演出の「フィガロの結婚」を思い出させる。外国人歌手に日本語で歌わせるのは難しいが、日本人歌手はどちらでも歌えるという言語の非対称性が背景にあるにしても、作品内世界で筋が通った言語の使い分けになっている。人間たちの言葉である英語から見れば、日本語は超自然的な言語に聞こえるのかも。日本語歌唱に対しても、字幕は付く。この仕組みだと堂々とパックに日本語で語らせることができるのが効果的。歌手陣は歌えてなおかつ役柄にもあっている人たちがそろっていて、オペラにつきものの脳内置き換えをしなくても、ちゃんと若い恋人たちは若い恋人たちに見える。すばらしい。
●で、歌手、オーケストラ、舞台美術といずれもワタシは満喫したんだけど、ひとつ根本的なところで自分のなかで消化できていないのは、「夏の夜の夢」という物語そのものなので、以下、思いつくままに記しておこう。この話そのものはメンデルスゾーンの音楽もあるし、決してなじみのないものではないが、一筋縄ではいかない。妖精の王様と女王様がケンカして、人間の恋人たちをめぐるドタバタがあって、職人たちのヘッポコ劇団が出てきて、最後はみんな仲良くなってハッピーエンド。それだけのふわふわとしたラブコメだったら、ブリテンはオペラにしようなんて考えないだろう。つまるところ、なにがおもしろいのか。
●たとえば、物語の発端のひとつに、オーベロンとティターニアがインドの小姓を奪い合うというのがある。なんでそんなインドの小姓ごときで話が大事になるのか。オペラで小姓といえばケルビーノ。ケルビーノみたいな美しい少年だとすると、ティターニアがかわいがるのはわかるが、どうしてオーベロンが欲しがるのか。そのあたり、自分なりにでもなにか答えがないとこの話は厳しいんじゃないだろうか。ここで小姓とされているものは、ケルビーノの小姓とは意味が違っているはずで、この子はChangeling、「とりかえ子」と呼ばれることも多いようだ。とりかえ子とは人間側から見ると、本来の子供が妖精などにさらわれて、その代わりに置いていかれる妖精の子供のことで、ときには醜かったり発育不全だったりする。人の側からすると「この子は、本当は化け物の子で、本物のわが子は連れ去られたのだ」的な都合のいい解釈ができる存在なのだと思うが、妖精側からするとさらってきた完全で健やかな子供のほうが「インドの小姓」になっている(そしてインドには醜い子供が身代わりになっているはず)。で、だったらどうなんだってことではあるのだが……。
●シェイクスピアの「夏の夜の夢」が結婚式のために書かれたものだとすると、この話は結婚を祝う以上に、今でいえば「結婚式の二次会」みたいなものへの期待を煽っている。奔放な性愛をテーマとした話なので。目が覚めた時に初めて見た者を好きになる秘薬というのは媚薬そのもの。ティターニアはロバ頭に変身させられた職人に求愛する。このロバを性的な旺盛さのシンボルとする見方もある。そうでなくても4人の若者たちでカップルの組合せがゆらぐというのは(モーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」のカップル入れ替えの話もそうだけど)、放埓でドキッとさせる話。しかもヘレナとハーミアが女学生的な結束を確認する場面なんかも、なんだかきわどい要素をはらんでいる。
●第1幕の頭から登場する弦楽器のポルタメントを使って、妖精たちの異世界を表現するところが、なんだか「ニャ~ン」って猫が鳴いているみたいでかわいい。妖精の表現としては、メンデルスゾーンが弦楽器をちらちらとピクシーが飛翔するみたいにせわしなく扱うのが得意だけど、別の方法でやるとするとこんな感じか。第3幕、職人たちの劇中劇の場面で、ブリテンは遊びまくっている。イタリア・オペラのパロディ調。しかし、イマイチ笑えないギャグに付き合わされている感も。ピーター・ピアーズが職人フルートの役を歌っていたというのが興味深い。いちばん最後にパックの有名な口上が出てくる。「お気に召さなければ、これは夢だと思ってお許しを」みたいな言葉。オペラだとなんだか危険な口上にも聞こえるのはなんでだろう。レオンカヴァッロ「道化師」の幕切れを連想する。あちらはリアリズムの手法でファンタジーを描いているけど、こっちはファンタジーのタッチでリアルを描いているのかも。

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