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2016年8月アーカイブ

August 31, 2016

サントリー芸術財団サマーフェスティバル 2016 サーリアホ 管弦楽

●30日もサントリー芸術財団サマーフェスティバルで、サントリーホールへ。今年の国際作曲委嘱シリーズのテーマ作曲家はサーリアホ。別途室内楽公演があって、この日は管弦楽。前半にシベリウスの交響曲第7番、サーリアホの「トランス(変わりゆく)」世界初演(ハープにグザヴィエ・ドゥ・メストレ)、後半にゾーシャ・ディ・カストリ(1985-)の「系譜」日本初演、サーリアホの「オリオン」。エルネスト・マルティネス=イスキエルド指揮東京交響楽団。
●響きは美しいんだけど、うねうねしてて文脈がわかりづらくて長い……ということでいえば、この日で筆頭にあがるのがシベリウス。シベリウス、難しい! 返す返すも交響曲第8番が幻に終わったのが惜しすぎる。あるいはその空想上の延長線をサーリアホに結びつければいいのだろうか。サーリアホの「トランス(変わりゆく)」はハープ協奏曲。3楽章構成で、急─緩─急というか、アレグロ─アンダンテ─プレストみたいになっている。ハープのようなすぐに減衰してしまう音をどうソロに使うか。第1楽章でオーケストラの多彩な音色を用いて、独奏ハープの音を引きとるというか、受け渡す、あるいはエコーするようなやりとりがおもしろい、か。しかし急速な終楽章も含めてダイナミズムや推進力を感じさせる音楽ではなく、むしろ細部まで描き込まれた静物画を眺める気分。後半の「オリオン」のほうが動と静の対比がはっきりしていて聴きやすい。終楽章はもう少し熱狂的な音楽をイメージしていた。ゾーシャ・ディ・カストリの「系譜」は楽しくて吉。カラフルな響きで、みずみずしく、活発。

August 30, 2016

サントリー芸術財団サマーフェスティバル 2016 板倉康明がひらく〈耳の愉しみ〉ウツクシイ・音楽

●29日はサントリー芸術財団サマーフェスティバルで、サントリーホールへ。この日は大ホールで、板倉康明指揮東京都交響楽団。前半にブルーノ・マントヴァーニ(1974-)の「衝突」委嘱初演、リンドベルイのピアノ協奏曲第2番(小菅優)、後半にゲオルク・ハース(1953-)の「ダーク・ドリームズ」日本初演、ドビュッシーの「海」。この日も25日の小ホールと同様に、長大で晦渋な作品がなく、比較的フレンドリーな選曲。精緻な響きの美しさを楽しめる作品が中心。
●一曲目のマントヴァーニの「衝突」、作者のプログラムノートによれば、第1部が「ビッグバンドの響きを」、第2部が「子守唄を思わせる」。そうなんだ。ワタシは冒頭の木管楽器群の動きは「せせら笑い」と受けとって、これにシリアスな弦楽器群の対立が「衝突」するというストーリー性を思い描いて聴いていた。漠然と、参照点不明のセルフパロディ的な香りをかいだような気もするんだけど……オレたち、分かり合えないね! 2曲目のリンドベルイのピアノ協奏曲第2番は、臆することなくラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲に触発された曲で(作曲者自身がそう言ってる)、もう思いっきりラヴェル特盛版。21世紀にパワーアップしてよみがえった「シン・ラヴェル」(両手だけど)。ピアノは気迫のソロで圧倒的。
●この日の白眉はハースの「ダーク・ドリームズ」。これはラトルとベルリン・フィルのために書かれた曲で、緻密な響きの移り変わりが聴きどころ。なにせ曲名が「ダーク・ドリームズ」と中二病全開で、やたらとカッコいい。続くドビュッシーの「海」で描かれる光と波の世界のネガポジ反転版というか、ダークサイド・バージョンというか。妖しく美しい。フォースだ、これはきっと。

August 29, 2016

ベルリン・フィル・デジタル・コンサートホールの新シーズン

●ベルリン・フィルは8月26日のブーレーズ「エクラ」&マーラーの交響曲第7番で開幕。指揮はもちろんサイモン・ラトル。で、いつものように公演の模様はベルリン・フィル・デジタル・コンサートホール(DCH)で生中継されたわけだが、これからのライブ中継の予定を眺めてみると、なんと、定期演奏会以外のプログラムもいくつか並んでいるではないの。この後、9月2日はBBC Promsでの上記と同じブーレーズ&マーラーが演奏されるのが中継され(ロイヤル・アルバート・ホールでもあのクォリティのカメラワークが実現できるのだろうか)、さらに9月3日以降はベルリン・ムジークフェストの公演が続々登場。ハーディング指揮バイエルン放送交響楽団によるリーム「トゥトゥグリ」、ジョン・ウィルソン・オーケストラの「30~50年代のミュージカル映画音楽集」、ゲルギエフ指揮ミュンヘン・フィルによるウストヴォリスカヤの交響曲第3番「メシア、イエスよ、我らを救いたまえ」&ショスタコーヴィチの交響曲第4番、イヴァン・フィッシャー指揮ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のヘンツェ「ヴィタリーノ・ラッドッピアート」&ブルックナーの交響曲第7番、さらにドゥダメル指揮シモン・ボリバル交響楽団やキリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団、ジョン・アダムズ指揮ベルリン・フィル、等々。なんという大盛り感。
●ベルリン・フィル以外のオーケストラまでこんなに聴けちゃっていいんだろか、ということに加えて、いちいちプログラムが攻めているのにも驚く。この先のDCH中継予定のシーズン・プログラムを見ても、この調子で意欲的なプログラムがたくさん並んでいて、迫力がある。なんというか、メジャーレーベル先導のCD時代が終わった今だからこそできることをオレたちはやるのだという力強い宣言を目の当たりにする気分。
●Apple Music等ストリーム配信だけでも無尽蔵に音源があって、さらにDCHもあればネットラジオもあり、おまけに毎日たくさんの本物のライブまであって、ありとあらゆる種類の音楽が聴衆の限られた時間を激しく奪い合っているように感じる。

August 26, 2016

サントリー芸術財団サマーフェスティバル 2016 板倉康明がひらく〈耳の愉しみ〉スバラシイ・演奏

●25日はサントリー芸術財団サマーフェスティバル(サントリーホール ブルーローズ)。板倉康明指揮東京シンフォニエッタで、ブーレーズの「デリーヴ1」、メシアン「7つの俳諧」、ベネト・カサブランカスの「6つの解釈 セース・ノーテボームのテクストによせて」(日本初演)、リゲティのヴァイオリン協奏曲というプログラム。日本初演のカサブランカス作品を除けば、現代音楽のクラシックというようなラインナップで、しかもカサブランカスも短い部分の連なりからなる曲ということで、どの曲をとっても「長さ」とバトルしなくて済むという、一見コワモテそうで実はフレンドリーな選曲。そしてブーレーズ以外はユーモアとか機知の要素が感じられるのも吉。
●予想以上に効いていたのはブルーローズ(小ホール)という空間のコンパクトさ。あえて最後列に座ってみたけど(自由席)、それでも音像が間近に迫る感じで、生々しい。これだったらブーレーズとも少しは仲良くなれるだろうか……。でもやっぱり後半のほうが楽しめたことはたしか。
●リゲティのヴァイオリン協奏曲をブルーローズで聴くというぜいたく。独奏は神尾真由子さん。強烈な存在感ですばらしい。近年なんどかロマン派の協奏曲を聴いて、あまりに濃厚な表現にたじろぐこともあったんだけど、リゲティだと別世界が開かれている感じ。特に第2楽章のたっぷりとした野太いヴィブラートが印象的。土の香りが立ち上るかのよう。

August 25, 2016

Gramophone Classical Music Awards 2016

●英Gramophone誌の Classical Music Awards 2016 の各部門賞が発表されている。さらに9月15日にロンドンのセレモニーで Recording of the Year、Artist of the Year、Young Artist of the Year等が発表されるという流れ。各部門賞の見出しが Disc Awards 2016 となっているが、イギリスではまだCDショップは健在なのだろうか。ともあれ、ストリーム配信に移行しても、こういった賞が(主に売る側に)必要とされ続けることに変わりないはず。
●部門賞の一覧は本家のサイトよりも、そこからリンクされているPresto Classicalの一覧を見るほうが手っ取り早い。このサイトはCDもデータも販売しているのだが、価格が円建てで購入できるのが吉。ワタシがダウンロード購入するときの第一選択肢としているのが、実はこのサイト(いろんな理由で、ストリームで聴ける音源であってもわざわざダウンロードで購入するというケースがある)。ただし、この受賞音源一覧だと、「日本からダウンロードでは購入できません」というタイトルがいくつかあって、少しがっかり。メジャー系の新譜だといまだにそういう国境の壁が存在する。その一方で、そもそもダウンロード販売もストリーム配信もしてくれないレーベルもまだある。そういうレーベルはどうしても相対的に視野に入る機会が少なくなってしまうのだが……。
●英Gramophone誌はがんばってるなあと思う。授賞セレモニーやったり協賛とったりとか、やるとなったらなかなか大変なこと。デジタル化もとっくに進めてて、上記Gramophone誌のページの下のほうにあるように、紙の定期購読のほかにデジタル・エディションだのデジタル・アーカイブだのレビュー・データベースだのといろんな種類のサービスがあって、価格体系が細かく設定されている。紙からデジタルからぜんぶ一式だと年間103ポンド。今ポンド安で133円くらいなので(マジで)、年間13700円ほど、月あたりだと1140円くらい。さすがにかなり安く感じる。でもこれが1ポンド240円とかの頃だったら、まるで違った感想になるわけで、恐るべし、為替レート・マジック。
●あ、受賞音源についてあれこれ書こうと思ってたのに紙幅が尽きた。ん、紙幅?

August 24, 2016

ヴァイグレ指揮読響のリヒャルト・シュトラウス

●8月下旬に入り、コンサートは夏のオフシーズン・モードが終了、これから一気に秋のハイシーズンへ。23日はサントリーホールでセバスティアン・ヴァイグ指揮読響のリヒャルト・シュトラウス・プロ。交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、4つの最後の歌(ソプラノはエルザ・ファン・デン・ヘーヴァー)、家庭交響曲の満腹コース。鳴りっぷりのよい音の饗宴を楽しむ。流麗精緻な響きの芸術というよりは、語り口の豊かなシュトラウスというべきか。「ティル・オイレンシュピーゲル」の冒頭、「むかしむかしあるところに……」でニュアンス豊かな柔らかい弦楽器を聴かせ、本編ではティルがヤンチャにあばれて説話の型をはっきり伝える。ヘーヴァーの声はまろやか。「家庭交響曲」は爽快。コンサートマスターは日下紗矢子さんで、絶品のソロ。
●「ティル」も「家庭交響曲」もざっくり言えば「ほら話」なんだと感じる。音響としてはカッコいいんだけど、話の中身はそんなに垢抜けたものじゃなくて、「ドン・ファン」でも「英雄の生涯」でもおおむねみんなそうなんだけど、赤ら顔のおっさんが話を盛っている感が楽しいというか。自分のなかでのシュトラウス作品の分類は、ひとつは「ほら話」系で、もうひとつは「おとぎ話」系。後者の系譜は「ばらの騎士」「アラベラ」「影のない女」等々。散々「ほら話」をやりつくしたら「おとぎ話」をしたくなった、みたいなイメージ。「サロメ」は「おとぎ話」の形をした「ほら話」かな。境目は笑いの要素で、「7つのヴェールの踊り」は笑う場所だと思う。

August 23, 2016

キング・オブ・スポーツ

●今回はオリンピックをぜんぜん見ていないことを思い出し、ふとテレビをつけてみるともう大会が終わろうとしているではないの。チャンネルを回してみると(死語)、かろうじて映っていたのが近代五種。フェンシングで熱い戦いが繰り広げられていた。見てもどっちが勝ったのかぜんぜんわからない。で、近代五種っていうからには残り4種があるわけだが、残りはなんだっけ? と思い、検索してみたところ、馬術、水泳、射撃、ランニングなんだとか。日本近代五種協会のサイトによれば「ヨーロッパにおいては非常に人気があり、王族・貴族のスポーツとも呼ばれ、クーベルタン男爵にしてスポーツの華と呼ぶ競技」であり、別名は「キング・オブ・スポーツ」。キングなのだ。
●近代五種があるんだったら、古代五種はないのかと思ったが、ちゃんと本当にあったそうで、幅跳び、短距離走、円盤投げ、やり投げ、レスリングの五種目。現代でも種目として残っているものばかりで驚く。むしろ古代五種のほうが近代五種よりメジャー感があるのでは?
●そう考えると、そろそろ近代五種の次期バージョンがあってもいいのかもしれない。2020年の東京オリンピックでは野球・ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの5競技が新種目として追加されたそうなので、これを全部まとめて一人で競う現代五種でどうか(ムリ)。
●ポストモダン五種とかもあっていいかもしれない。種目は、秘孔突き、かめはめ波、ヨガファイア、フォース宇宙船挙げ、ノコノコ踏み無限1UPの五種。

August 22, 2016

着色された大作曲家たち その2

●前エントリーの「着色された大作曲家たち」について、もう少し書いておこう。古いモノクロを写真をディープラーニングでカラー化できると知って、最初に思い浮かんだのはもっと古い時代の写真だった。まっさきに試したのは、ブラームスとヨハン・シュトラウス2世がいっしょに写っているよく知られてたこの一枚。
ブラームスとヨハン・シュトラウス2世
●とまあ、こんな感じで、背景の緑は比較的うまくいくものの、肝心の人物がカラーになっていない。一応、色は付くのだが、グレースケールが赤みを帯びただけというか。このパターンは割と多くて、人の顔や肌は同じようなグレースケールの写真であっても、その情報量に依存するようで、極端に古い写真はやっぱり難しい。ほかにもラフマニノフとかベルクとかバルトークとか、いろいろ試してみたのだがうまくいかない例も多かった。ブラームスで比較的うまくいったのはこれ。
ブラームスとアデーレ・シュトラウス
●左はアデーレ・シュトラウス。ヨハン・シュトラウス2世の3番目の奥さん、だっけ。上の写真と同じタイミングで撮ったものなんだろう。
●元の写真がもうひとつなのに、それなりに色が付いたのは以下のサイドカーに乗るプッチーニ。まず先にモノクロ写真を。
プッチーニとサイドカー 使用前
●これをカラー化すると以下のようになる。
プッチーニとサイドカー 使用後
●なんだか絵画っぽい? 映画館に掲げられる昔のポスターみたいになった。

August 19, 2016

着色された大作曲家たち

●少し前に、ディープラーニングによってグレースケール画像に自動的に着色する手法が話題になった。学習データに基づいてモノクロ写真から本来の色彩を推定させて、カラー写真に変換する。写真によってうまくいったりいかなかったりするのだが、ふと、これで昔の大作曲家のモノクロ写真を着色したらどうなるだろうと思いついた。以下、その作成例を。いずれも前述のサービスで自動着色させたもので、明暗のバランスのみ当方で補正している。
●まずは晩年のサー・エドワード・エルガーから。いかにも英国紳士。
着色エルガー

●続いて、ジャン・シベリウス。コワモテ。飲むと手が付けられない感じの頑固オヤジ系。
着色シベリウス

●イーゴリ・ストラヴィンスキー。顔色が悪くなってしまったが、光と影のコントラストがいい感じ。エキセントリックな人物像を想像させる。
着色ストラヴィンスキー

●モーリス・ラヴェル。これがいちばんうまくいったかも。ドキッとするくらいリアル。なんか、生きているっぽいし。
着色ラヴェル

●ドミトリー・ショスタコーヴィチ。こちらは元がモノクロとは思えないくらいだが、どうやら野外の風景がいちばん上手に着色できる模様。人の顔だけじゃなく風景や物などがいっしょに写っている写真がオススメ。
着色ショスタコーヴィチ

August 18, 2016

FM PORT番組「クラシックホワイエ」が通算300回目の放送

クラシックホワイエ●拙ナビによるラジオ番組「クラシックホワイエ」が今週土曜日、8月20日の放送で通算300回を迎える。これは新潟の民放ラジオ局FM PORTで放送している番組で、当初は新潟県内からしか聞けなかったのだが、ラジコプレミアム(有料)がスタートしたおかげで全国からネット経由で聴取可能になった。毎週、ワタシが自分で構成とナビゲートを務めており(かなり楽しい)、基本的にひとりでしゃべっているのだが、たまに新譜情報コーナー等でゲストを招くことも。収録は東京のスタジオで行ない、毎回ディレクターさんに新潟から来ていただく方式。ありがたし。
指揮棒●で、普段は土曜の22時スタートなのだが、今週末は前の時間帯にJリーグ中継が入る影響で、いつもよりぐっと遅く23時10分からのスタートとなる。せっかくの300回記念なので賞品付きのクイズも開催。イントロ当てクイズ2問とアウトロ当てクイズ1問の計3問(アウトロ=イントロの逆、そんな言葉があるんすね)。一般のラジオリスナーには難問だが、熱心なクラシック・ファンにとっては楽勝か。リスナー層がかなり多様なようなので、このあたりのさじ加減が難しいところ。賞品は番組ロゴ入りの特製指揮棒(!)を3名様に(正解者多数の場合は抽選)。写真を載せようと思ったら、まだ制作中で実物がないそう(←追記:できあがったので写真を載せました)。応募が多数ありますように。


August 17, 2016

プレミアリーグ2016/17シーズン開幕

●はっ。気がついたらイングランドのプレミアリーグが開幕しているではないの。オリンピックの陰に隠れてしまったのか、ぜんぜん話題になっている感じがしない。しかし東京は最高気温36度とか言ってるのに、もう開幕とは。
●しょうがないので結果だけチェックしておく。まず気になるのは昨季奇跡の優勝を果たした岡崎慎司所属のレスター。カンテが引き抜かれたが、ヴァーディ、マフレズは意外にもチームに残留。第1節のハルvsレスター戦では、岡崎はベンチスタート。ヴァーディの相棒は新たにCSKAモスクワから移ってきたナイジェリア人のムサ。クラブレコードの移籍金で獲得した選手なので、レスターとしては定位置確保が前提だろう。岡崎は後半途中から出場。やはり今季は昨季以上にポジション争いが厳しくなりそう。で、試合は昇格組のハルが2-1で勝利するという番狂わせ(なのか)。一試合だけではなんともいえないが、レスターが「魔法が解けた」状態にならないことを願うばかり。
●サウザンプトンの吉田麻也はセンターバックで先発フル出場した模様。ワトフォード相手に1-1のドロー。
●モウリーニョが監督に就任して、さらにイブラヒモヴィッチがやってきたマンチェスター・ユナイテッド。伝統と格式のクラブから一気に悪役キャラに変貌した感あり。ボーンマス 1-3 マンUで快勝。マタ(意外にも先発)、ルーニー、イブラヒモヴィッチのゴール。ドルトムントから移籍のムヒタリアンはベンチスタート。
●新監督ではグアルディオラ率いるマンチェスター・シティ、コンテ率いるチェルシー、ともに開幕戦を勝利。コンテはイタリア代表監督からの転身で、EUROでも大健闘だったので期待大。今季のプレミアリーグはモウリーニョ、グアルディオラ、コンテ、クロップと監督に役者がそろった(あとはヴェンゲルとラニエリも)。監督同士のバトルが熱い。スペクタクルを期待するならグアルディオラなんだろうけど、チーム力の拮抗するプレミアリーグでどれだけ流儀を通せるのかが見どころか。

August 16, 2016

練馬区立美術館~しりあがり寿の現代美術「回・転・展」

しりあがり寿の現代美術「回・転・展」しりあがり寿の現代美術「回・転・展」へ。練馬区立美術館(9月4日まで)に続いて、愛知の刈谷市美術館、兵庫の伊丹市立美術館でも開催予定。マンガの原画の展示から、墨絵インスタレーション、回転作品等が並ぶ。メインの回転作品は、本当にいろんなものが回っているだけという潔い脱力感。ときどき回転するヤカンがあって、「このヤカンは回転している間だけ芸術になります」と記されている。回りだすと音まで出てうるさい。ダルマとか静物画とかやたらと回転しているのだが、「まわる白昼夢」と題された回転物は、パンツとか領収書とか古いカセットテープとか(ホルストの「惑星」があった)、どうでもよさそうなものが大量に回っているだけというナンセンスさ。楽しい。
●原画を見てると、初期のパロディ作品とか数ページだけでも切れ味が鋭くて、本当におかしい。そして、この自由自在な空間の中で「地球防衛家のヒトビト」だけがやたらと窮屈そうに見えて、妙に突き刺さる。
●ところで練馬区立美術館には初めてだったんだけど、ここの緑地はいいっすね。ゾウとかカメとかキリンとか、いろんな動物のカラフルな彫刻群がいる。看板のところのクマもいい。深夜にこっそり動いていそう。

August 12, 2016

「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督)

●ようやく映画館で「シン・ゴジラ」。おもしろい。映画館でいったん充足して、でも帰宅してしばらくすると「もう一回見てもいいんじゃないか」という気持ちがわいてくる。以下、これから見る人向けにそれなりに配慮しつつ書くけど、でも一切なにも知りたくない人はスルー推奨。
●あれこれと語られやすい映画だとは思うんだけど、自分がいちばんいいなと思ったのはゴジラの造形とか動き、破壊シーンの迫力といった、純然たる怪獣映画としてのおもしろさ。最初に姿を見せるときの「えっ、これって?」感とか、本当にすばらしい。そして、ゴジラは怖かった。いろんな面で現代的なリアリズムが反映されているわけだけど(昭和時代のゴジラだったら、怪獣が上陸しただけで即座に自衛隊がやってきてピュンピュン!って攻撃したじゃないすか。でも現実の民主国家ではそうはいかない)、その一方で正調怪獣映画からは外れていない。ロマンスとか人間の愛憎劇をドラマの軸に置かず、焦点が当たっているのはずっと怪獣。あとは乗り物とか。少し機械とか工場とか。そうこなくちゃ。
●で、これって災害映画でもあるじゃないすか。もともと怪獣映画は昭和時代からずっと、災害映画であり自衛隊映画であったわけだけど、311以降のワタシたちにとって生々しい光景が描かれていて、しかもそれを市井の人々ではなく官僚・政治家側の視点から見せたところが特徴。やっぱり「エヴァンゲリオン」を連想する。使徒としてのゴジラ。
●役者の演技は今風のテレビドラマそのものだと思う。そこはもうしょうがないのかな、様式ということで。みんなすごく早口。これは吉。こちらに代わって先方が早回しをしてくれている感。
●伊福部昭の音楽もリスペクトされていて、ぐっとくる瞬間あり。ところで自分が子供のころに映画館で観た「ゴジラ」って、どれもゴジラは正義の味方で、われらがヒーローだったんすよね。キングギドラとかメカゴジラとかと戦ってくれて、ときには「シェー!」のポーズとかとってくれる愛嬌のある怪獣。子供はミニラだった。あー、今にして思うとずいぶんのんきだったなー、昭和のゴジラって。

August 10, 2016

映画「ストリートオーケストラ」(セルジオ・マシャード監督)

映画「ストリートオーケストラ」●8月13日より公開される映画「ストリートオーケストラ」(セルジオ・マシャード監督)。一足先にプレス試写で見た。実話を題材とした映画で、背景にあるストーリーはこう。スラム街で荒んだ暮らしをする子供たちが、楽器を手にして、やがてエリオポリス交響楽団が誕生する……というと、ベネズエラの「エル・システマ」を思い出すが、こちらはブラジル、サンパウロでのお話。ブラジル版「エル・システマ」とでもいうべきか。
●で、映画で焦点があてられるのは、オーケストラ設立の話ではなく、そのもっと前の段階。主人公はヴァイオリニストで、サンパウロ交響楽団(これはブラジルの名門オケ)のオーディションに落ちてしまう。生活のためにやむをえずファヴェーラ(スラム街)の学校で音楽教師をすることを引き受ける。行ってるみると、そこにいるのは楽器の持ち方も知らないガキどもで、授業中でもスナック菓子を買うわ携帯で話すわと無法地帯。一方にサンパウロ交響楽団のエリートの世界があり、一方でギャングが支配するスラムの世界がある。そんなブラジルの階層社会を背景に、主人公と子供たちの交流が描かれる。
●本当の意味での主役は子供たちで、やっぱりファヴェーラだから普通の家庭環境じゃぜんぜんない。そんななかで子供たちなりに必死に生きている姿が心を動かす。(以下、多少話の筋に触れます)。この映画でいちばん好感を持てたのは、都合のよい希望と感動の物語にまとめていないところ。こういうのってどうしても前宣伝なんかでは「感動実話」に閉じ込められてしまいがちだけど、この映画そのものは音楽が世界を救うみたいなことはちっとも言ってない。だって、話の結末がそう。ファヴェーラの子供たちはファヴェーラから抜け出せないし、主人公のヴァイオリニストはエリートの道に戻って願いをかなえる。むしろ厳しい階層社会の現実を直視したのがこの映画で、ふわふわした音楽の夢なんかに頼っていない。
●クラヲタ向けポイントとしては、サンパウロ交響楽団の首席指揮者マーリン・オルソップが出演しているところ。指揮をしているだけではなく、主人公とセリフのやり取りもワンシーンだけあってびっくり。

August 9, 2016

リオデジャネイロ・オリンピックのU23ニッポン代表、第2戦まで

●いつの間にか始まっているオリンピック。サッカー男子、U23ニッポン代表はナイジェリア戦、コロンビア戦の2試合を終えて1分1敗。今のところ冴えない結果が続いているが、試合内容はとんでもないドタバタ劇になっている模様。
●初戦は5対4でナイジェリアが勝利。結果だけ見ると大乱戦の末に競り負けたという感じだが、試合展開はそうでもなく、いったん5-2の大差になったところから2点返した、と。1点取られたら1点返し……で、前半12分で2対2になっていたという、この世のものとも思えない点が入るサッカー。ナイジェリアの5得点の内、4得点はエテボ。いったいどうやったら同じ選手にそこまでやられるのか。狂乱のフットボール。
●続くコロンビア戦でもその余波が続いていたようで、後のないニッポンは序盤から華麗な攻撃を展開してコロンビアを驚かせるが、最後の最後で迫力を欠いて得点に至らない。なんだか線の細いサッカーだなと思ったら、後半にドカーンとグティエレスにゴールを決められ、守備が腰砕けになったところで藤春のミスでオウンゴール。あっさりと2失点してしまった。これで試合が壊れるのが一昔前のニッポンだが、このU23は「やられたらやり返す」だけは驚異的にできるチームで、即座に浅野のゴールで1点を返し、さらに中島の華麗すぎるミドルが決まって2対2に追いついた。これで引き分け。
●どちらの試合も現代サッカーとは思えないくらい派手に失点し、得点するという展開で、はたから見ればおもしろいだろうけど、当事者としては少々恥ずかしい感じ。そもそも選手たちの所属クラブの水準を考えれば、このU23に多くを求めてもという気はする。
●前々から感じることだけど、U23になってもニッポンはまだ海外諸国に比べて若いというか、幼いくらいの雰囲気なんすよね。相手は完全に大人になってる。もし逆に、サッカー界にO50とかあったら、ニッポンはその若々しさで欧州・アフリカ勢を圧倒できるのかもしれない。だって、カズなんてあと1年でO50に入れるのに、2日前に横浜FCでゴール決めてるんですよ!(ハイライト動画:2分20秒あたり~)。O50代表なら確実に怪物的存在。ていうか、オリンピックなんてサッカー界の超過密スケジュール内ではまったく困った存在なので、もうU23じゃなくてシニアの大会にしちゃったらどうなんだろう。

August 8, 2016

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2016、川瀬賢太郎指揮神奈川フィル

●5日はミューザ川崎のフェスタサマーミューザKAWASAKI 2016で川瀬賢太郎指揮神奈川フィル。この音楽祭ではときどきある平日昼の公演。さすがに客席は空くが、その代わり日ごろ夜や週末の公演に足を運びにくい人たちには貴重な設定になっている……と願う。プログラムは前半がモーツァルトで「フィガロの結婚」序曲とヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(﨑谷直人、大島亮)、後半がリヒャルト・シュトラウスの歌曲集(髙橋維)で「明日には!」「万霊節」他、「ばらの騎士」組曲。モーツァルトへのオマージュ・プロ。
●指揮者のみならずオーケストラも全般に若々しくフレッシュ。よもや「フィガロの結婚」序曲で指揮台からジャンプする指揮を目にしようとは。とはいえ、これは終盤のティンパニの強打をうんと強調したことへの視覚的なガイドみたいな効果もあって、明快であり楽しくもあり。協奏交響曲は奇跡の名曲。対話性に富んだソロが見事。うまくて、清新。後半の「ばらの騎士」でも思い切りのよい指揮ぶりが炸裂。本編でさんざん盛り上げておいて、アンコールで曲のおしまいの部分をもう一度、今度はさらに大胆に表情をつけて煽り立てる演出が心憎い。オーケストラは精密なんだけど、かなり上品というかさっぱりしたサウンドなので、これくらいのヤンチャ成分が注入されてバランスがとれるのかも。
●神奈川フィルは横浜を本拠とするオーケストラで、一方ミューザ川崎を本拠とするのは東京交響楽団。川崎にとっての神奈川フィルの地元感とか、神奈川フィルから見たミューザ川崎の地元感ってどれくらいあるんだろうか。外から見るとよくわからん、と一瞬思ったが、マリノスとフロンターレの関係と理解すればいいのかと思い当たった。

August 5, 2016

飯森範親指揮東京交響楽団のポポフ

●4日はサントリーホールで飯森範親指揮東響へ。ポポフ(ポポーフ)の交響曲第1番日本初演という貴重な機会。平日夜にこんな珍曲で大丈夫なのかと思いきや、客入りはまずまず。前半はまずは超名曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。ソリストはオルガ・シェップス。ソニーから録音を出している人で、モスクワ生まれのドイツ育ち。長身でビジュアル的にも華やか。ていねいというか、入念に歌いこむラフマニノフ。アンコールにはサティの「ジムノペディ」。これがダイナミクス、フレージング、音色の変化など、ねっとり濃厚な表情が添えられた「ジムノペディ」で、アンチ「アンチ・ロマン」的というか。最新アルバムがサティだからという大人の事情による選曲ではあるんだろうけど、結果的に意外なところでラフマニノフにつながっているのかも。しかも、アンコールがもう一曲で、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番終楽章。客席は沸いた。メイン・プログラムの前に予想外の満腹に。
●後半は未知の作曲家ポポフ。ざっくりとした印象でいえば「ショスタコーヴィチになれなかった男」。同じ時代と国を生き、同じように当局から批判され、同じように体制に適応した。交響曲第1番は当局から槍玉に挙げられたほうの作品で、ホルン16本(倍管仕様)を含む総勢120人超の大オーケストラが舞台を埋め尽くすという、ステージを見ただけで轟音が聞こえてきそうな怪作。苛烈な音楽を覚悟して臨んだ。
●で、たしかに轟音なんだけど、音楽的にはむしろショスタコーヴィチよりもフレンドリーなんじゃないだろうか。というか、ショスタコーヴィチほどの厳しさはなく、屈折した二枚舌の音楽でもない。むしろのびのびと荒くれているというか。第3楽章はマシーンの音楽、工場の音楽だと思った。でも最後はなぜか思い切り官能的になって、この終わり方ってスクリャービンそっくりじゃないのというエンディングであっけにとられる。うーむ、おもしろすぎる。激烈な音楽でありながら予想以上のエンタテインメント性で、これは日本初演したかいがあったのでは。なんなら、レパートリー化されてもいいんじゃないかと思うくらい。また聴きたい。

August 4, 2016

東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサートvol.15 小林英之&山本英助

●3日は東京芸術劇場ナイトタイム・パイプオルガンコンサートへ。以前から気になっていたこのシリーズに、ようやく足を運ぶことができた。小林英之のオルガンにトランペットの山本英助が共演。19時半に開演して、休憩なしで20時半頃に終演するという、平日夜向けのフレンドリーな設定。これは余裕があって気楽。おまけに全席指定で1000円と格安。お客さんはしっかり入っていた。
●芸劇のオルガンって、ふたつの顔があるじゃないすか。いかにも格調高いクラシックな雰囲気のデザインと、シルバー基調の流線形みたいなモダンなデザインと。あれって、ゴゴゴってオルガンが回転して変わるんすよね。で、顔が違うだけではなくて調律も違っている(→参照:東京芸術劇場 パイプオルガンの魅力)。なので、このコンサートでも前半はクラシック面でスタートして、パーセル、バッハ他を演奏して、後半はモダン面に変更してホヴァネス、大関民弘、コッホ、レーガー他を作品するという、作曲年代に応じて使用面を変更するという趣向。「ただいまより、オルガンを回転しますので、その場で3分ほどお待ちください」ってアナウンスが入って回転するんだけど、これが巨大ロボの合体変身シーンを見るかのよう。マシーン好きは萌える。
●細かなところの工夫も効いていて、曲と曲の合間にこれから演奏する曲名を字幕で投影してくれるのが親切。あと、照明演出が想像以上に効果的。
●演奏曲ではホヴァネスの「聖グレゴリーの祈り」をトランペット+オルガンで聴けたのが嬉しい(原曲はトランペット+弦楽アンサンブル)。素朴な美しさとキッチュさの同居がカッコいい。コラール「静かな喜び」をボルネフェルト、ペッピング、ディストラー3人の作品で聴けたのも吉(どれも20世紀の作曲家の手によるもの)。つなげるとひとつの変奏曲を聴いている気分になる。レーガーは「序奏とパッサカリア」ニ短調で重厚絢爛。アンコールに同じくレーガーの「ロマンツェ」。このシリーズはまた行きたい。

August 3, 2016

この夏のイベント

●うーむ、SNSという狭い窓を通して見ると、世間は「シン・ゴジラ」一色なんである。脚本・総監督は「エヴァンゲリオン」の庵野秀明。映画館で予告編は見たときはそれほどでもなかったんだけど、見た人がみんな傑作だっていうからどうしても見たくなってきた。しかも「ネタバレ禁」みたいな雰囲気がまだ今のところはあって、これはどうやら早めに見ないと知りたくないことを知ってしまいそうな勢い。
●いったいなんだろうネタバレって。「シン・ゴジラ」は真ゴジラであり新ゴジラなんだろうけど、ひょっとして全然違うのか。神ゴジラとか。それとも森ゴジラとか。エヴァンゲリオンみたいなことになるのか。いやいや、考えるのはよそう。映画館で驚きたい。まだもう少し待たなきゃいけない感じなんだけど、もうしばらく「シン・ゴジラ」情報をシャットアウトするにはどうしたらいいのか。
●あと、すっかり忘れていたけど、オリンピックのサッカーがもうすぐ始まるのだった。男子は8月5日(金)、8日(月)、11日(木)と続くのだが、すべて平日の午前中ということで、盛り上がりようがない感じ。もともとサッカーにとってオリンピックはどうにも中途半端な位置づけの大会なので、関心度は正直高くはないのだが、手倉森監督の采配は気になる。

August 2, 2016

シューマンのフンメル評

●シューマン著の「音楽と音楽家」(吉田秀和訳/岩波文庫)に出てくる一節。

音楽の発展の速いことは、実際ほかの芸術の比ではなく、比較的よいものでも、十年もたってなお世間の人の口にのぼるものは、ほとんどないといってもよいくらいである。

●これはフンメルのピアノ練習曲op125に対する評のなかで、「この老大家の新しい曲にしても、あらゆる力が調和して働いていた作品60から80台までの曲の美しさと同列に並べてみようというのは、まちがいだろう」と切り捨てた後に出てくる言葉。ギュンギュンと時代が猛スピードで進んでいく様子が伝わってくる。10年も経ったらすっかり過去。半世紀前に書かれた曲を現代音楽と呼ぶ現代人に比べると、19世紀人はずいぶん気が短い。
●あるいは高度に情報化が進み、情報の蓄積や共有化が容易になったおかげで、19世紀だったらあっさり忘れ去られていたものが、現代では延々と吟味され続けるようになったともいえるのかも。
●で、せっかくだからフンメルの作品60から80台のどれかを聴いてみる?

August 1, 2016

「ハイ・ライズ」(J.G.バラード著/創元SF文庫)

●J.G.バラードのなかでも屈指の名作だと思うのが「ハイ・ライズ」(創元SF文庫)。大昔にハヤカワ文庫で読んでいるし、新訳でもないのだが、映画化をきっかけに創元から復刊したということで欣喜して再読。すごく好きなのだ。初読時は自分が若すぎてピンと来ていなかった部分がたくさんあったと気づく。古ぼけてぼんやりしていた映像がフルHDで鮮明に蘇ったかのような感動。
●舞台はロンドンにそびえたつ新築の40階建1000戸からなる巨大高級マンション。この本が書かれた1975年時点ではこの高層マンションの存在が空想上の産物だったのだろうが、今読むともはやSFでもなんでもなくて、完全に普通小説。外部から独立性の高いひとつの閉鎖的な街のような高層マンションのなかで、(文字通りの)階層によってヒエラルキーが生み出され、そこに住む専門職を中心とするエリートたちの間で鋭い対立が起きる。住民たちはやがて階層ごとにグループを作りだし、グループ間の抗争へと発展する。そして、断絶した閉鎖空間のなかですくすくと狂気が育まれ、人々はその異常な事態に目を輝かせる……。
●バラードの先駆性があちこちに感じられるのだが、たとえば同じバラードの傑作「コカイン・ナイト」では、高級リゾート地を舞台として、富める都市生活者が快適性を追求した結果として手に入れるのが「停滞したリゾート地で引きこもって眺める衛星テレビ」であると描かれていた。これ自体、かなり辛辣だと思うのだが、「ハイ・ライズ」の高層マンション住民たちも社会的地位の高さの報酬として退屈を手に入れている。だからこそ住民たちは互いに暗黙のルールを共有しながら常軌を逸した対立を渇望するようになる。この対立はやはりバラードが「楽園への疾走」でも描いていた、大人たちによるゴールディング「蝿の王」といったテーマを想起させる。
●テーマについては古びていないどころか、むしろ今の時代にこそ鮮烈に訴えかけてくるものだと思うが(だから映画化されたんだろう)、ただもし現代の人気作家がこの話を書いていたら少なくとも2倍以上の長さに膨れ上がっていたはず。それぞれの登場人物たちのキャラクターや背景やら内面やらが入念に書き込まれた分厚い長篇になっていてもおかしくない。でも、バラードはそっけないくらい簡潔。そこがまたいいんじゃないかな。

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