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2016年9月アーカイブ

September 30, 2016

Spotifyがスタート/ラジコのタイムフリー聴取機能

●日本に上陸する、もうすぐ上陸する……となんど聞いても始まらなかったSpotifyだが、ついに本当に上陸した。まずは招待制でスタートしたようで(メールアドレスを登録すればOK)、以前に登録してあったワタシのところにはさっそく招待コードが届いた。で、ひとまず登録して、クラシックの音源がどれくらいあるか、ざっと確認してみた。
●数人のアーティストについて調べてみただけだが、現時点ではまあまあといったところだろうか。Apple Musicにははっきりと及ばない。Google Play Musicとはいい勝負か、少し弱いか。わざわざAppleやGoogleから乗り換えたいと思うようなところは見つからない。
●が、実はSpotifyには超強力な売りがひとつある。無料でも聴けるのだ。有料サービスに比べるとビットレートはたぶん劣ると思う。今ワタシが試しているのは無料サービスなのだが、せっかくの機会なので同じ音源をSpotify無料、Apple、Googleで聴き比べてみた。比較すれば音質の違いはあることはあると思うが、だからといって音楽を楽しめないかといえばそんなはずはない。一瞬、これは大変なことになるかなと思った。
●でも、しばらくして、納得。なんと、無料だとときどきトラックの合間にCMが入る! ストラヴィンスキーの「春の祭典」みたいにトラックが細かく分かれていると、音楽の切れ目がないところでもボーン!と容赦なくCMが入る。爆笑。でも正直なところ安堵した。やはりこの種のサービスは有料じゃないと、なにかがまちがってると思うもの。
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●もうひとつ、ニュースを。radiko.jpで「タイムフリー聴取機能」が10月11日よりスタートする。過去1週間に限り、いつでも後から番組の聴取が可能になるのだとか。これはありがたい。私がナビゲートしているFM PORT「クラシックホワイエ」もその対象になるという理解でよいのだろうか。
●ついでなので宣伝しておくと、FM PORT「クラシックホワイエ」は毎週土曜日、夜10時からの1時間番組。今週末のお題は「魚類のクラシック」。新譜情報コーナーでは、大活躍中のハープ奏者、山宮るり子さんをスタジオにお招きしてお話をうかがっている。山宮さんの新譜「スパイラル」は、編曲作品を一切含まない純然たるハープ独奏のための曲だけを集めたという志の高いアルバム。この回はまだタイムフリー聴取機能が始まる前なので、リアルタイムでどうぞ。

September 29, 2016

Jリーグの行方

●肝心の試合をちっとも見れていないのだが(ら抜き)、久々にサッカー話。Jリーグがあまりにお金がなくて、昨季からプレイオフのテレビ中継のスポンサー料を得るために2ステージ制になってしまったわけだが、ひょっとすると来季から通年制シーズンへ戻るんじゃないかという話が浮上している。というのも、イギリスのパフォーム・グループがJリーグとドカンと10年総額2100億円の放映権契約を結んだから。チェアマンの話からはいろんなニュアンスが伝わってくるけど、たいていのサポーターはこう思ってるはず。せっかくお金ができたんだから、いやいややってた2ステージ制なんてとっとと止めれば?
●ほんと、現行の2ステージ制はわかりづらい。プレイオフ進出条件があまりにも複雑すぎるのもイヤなんだけど、なにがイヤってスポーツニュースなんかに今だったらセカンドステージの順位がまず出るじゃないっすか。でもセカンドステージなんて、優勝かゼロかしかない。2位以下は何位だって同じというシステムだ。むしろワタシらは通年の順位を知りたい。年間の順位、つまりわがチームが本当の意味で何位なのかを知るためにも。あるいは降格争いがどうなっているのかを知るためにも。2つの順位表があることで、すっかり今リーグ戦がどうなっているかが見えづらくなってしまった。そもそもこれを言ってはおしまいだが、たっぷりワンシーズンかけて完璧な信頼性を持つ順位が出た後に、わざわざプレイオフをするという不条理が耐えがたい。最強のチームが優勝できないスポーツってなんなの?
●イギリスのパフォーム・グループがどんな企業なのかぜんぜん知らないんだけど、これで通年制シーズンに戻れるんだったら、動画配信でもなんでも好きなようにやってくれっていうのが今の気分。現在、このパフォーム・グループが日本でサービス展開しているのは、DAZNというスポーツ専門の有料動画配信。サッカーだけでなく、野球、F1、バスケ、格闘技などなどぜんぶ取り扱う。来年からはJ1、J2、J3を全試合生中継すると発表されている。オンデマンドではどの程度見られるのかとか、中継のアナウンサーや解説者はどうなるのかとか、知りたい事柄は山ほどあるが、ともあれまずは2ステージ制がどうなるかに注目するしか。
●スカパーの中継はどうなるんでしょね。

September 28, 2016

ネットで聴けるキリル・ペトレンコ

●ベルリン・フィルの次期首席指揮者に指名されて時の人となったキリル・ペトレンコだが、日本に来たこともなければ、録音もほとんどないとあって(ないわけじゃないけど、きわめて限定的)、話題の割には「聴けない」指揮者になっている。ベルリン・フィルのDCHにアーカイブされているペトレンコ指揮の2公演に頼る状況が続いていた。
●が、ここでキリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団の2公演を。ひとつは音声のみで無料でオンデマンド配信されているバイエルン放送のライブ中継。リゲティ「ロンターノ」、シュトラウス「4つの最後の歌」(ディアナ・ダムラウ)、チャイコフスキーの交響曲第5番というプログラム。ひとまずチャイコフスキーだけ聴いたのだが(1時間8分あたりからスタート)、これは聴きもの。おなじみの名曲とあって、ペトレンコへの印象がはっきりとするのでは。それにしてもバイエルン国立管弦楽団、本当に美しい響きを持ったオーケストラで聴きほれてしまう。特にこの弦楽器の質感。これだったら、別にベルリン・フィル、要らないのでは、とつい思わんでもない(そんなことないけど)。あと、終楽章のコーダ直前の休止でドンピシャのタイミングでくしゃみをしたオバサン(?)が絶妙すぎる。ペトレンコの演奏を渇望する全世界のクラヲタに捧げる華麗なるハクション。
●もうひとつ、ベルリン・フィルの有料映像配信DCHにも一公演があがっていて、こちらはキリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団のベルリン・ムジークフェストでの公演(ベルリン・フィルじゃないけど配信されている)。やはりリゲティ「ロンターノ」ではじまり、バルトークのヴァイオリン協奏曲第1番(フランク・ペーター・ツィンマーマン)、シュトラウス「家庭交響曲」、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲と続く。トレイラーあり(高画質)。

September 27, 2016

パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響&フォークト

●24日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響。プログラムはモーツァルトのピアノ協奏曲第27番変ロ長調とブルックナーの交響曲第2番。モーツァルトでソロを務めたのはラルス・フォークト。譜面台を立てずに楽譜を置いて、セルフ譜めくりスタイルで。以前に協奏曲を聴いたときもそうだったけど、フォークトはソロの出番がないところでもしばしばオケに顔を向けてアイコンタクトをとる。一小節一小節に丹念に表情が付けられた、ニュアンスに富んだモーツァルトで、オケもこれに寄り添って対話が繰り広げられるという、まさに室内楽の延長のようなモーツァルト。すごい説得力。とはいえ、こんなにもエモーショナルなモーツァルトに共感できるかと問われたらどうだろうか。第2楽章の終盤だったかな、独奏ピアノとフルートにヴァイオリンがソロで加わるところがあって、新鮮な趣向。アンコールにシューベルトの「楽興の時」。偶然にも前日のOKEでオケ版でアンコールを聴いた曲だった。客席にはその前日にモーツァルトを弾いたバウゼの姿があったそうだけど。
●後半はブルックナーの交響曲第2番。休憩中にできる例の行列(1階)はワタシが見たときは奥の売店のあたりまで続いていた(そんな情報いらない)。で、この曲、ライヴでは以前にムーティ&ウィーン・フィルが取りあげてくれて大感激した記憶が残っているのだが、それとはまた違った味わいで、ぐっとマッチョできびきびとしたブルックナー。作品についてこの日の感触で言えば、第1楽章が記憶にあるよりゴツゴツとして粗削りな感じなんだけど、後半のスケルツォとフィナーレはぐんと成熟度を増してブルックナー完全体の様相。肥大化していない分、過度の儀式性から自由になれて、すがすがしいくらい。そして充実のブラスセクション。

September 26, 2016

アシュケナージ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢&バウゼ

●23日は紀尾井ホールでオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の東京公演。名古屋、金沢、島根、大阪と巡る秋の全国ツアーの一公演で、指揮はたびたび共演するアシュケナージ。前半にプロコフィエフの「古典交響曲」、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番ト長調(ジャン=エフラム・バヴゼ)、後半に武満徹「弦楽のためのレクイエム」、シューベルトの交響曲第5番。コンサートマスターはヤングでもブレンディスでもなく松井直さん。
●バヴゼのモーツァルトが楽しい。軽快、流麗。第1楽章で、てっきりモーツァルトのカデンツァを弾くものだと思い込んでいたら、モーツァルト・スタイルを逸脱する聴いたことがないカデンツァが始まった。自作なんだろうか。帰宅して調べてみると、シャンドスの録音でも使っている自作っぽい。おもしろい。アンコールにドビュッシー「映像」第1集から「水の反映」。こちらは水を得た魚のよう、水も漏らさぬドビュッシー、水を打ったような静けさで聴き入る客席。
●「弦楽のためのレクイエム」は静謐というよりは雄弁。OEK得意のシューベルトは、アシュケナージの大らかさ、円満さが相まって快演。白眉は第2楽章アンダンテ。優しさ、のびやかさを堪能。客席の喝采にこたえて割とすぐにアンコールが演奏され、シューベルトの「楽興の時」第3番の管弦楽版。この編曲はどなたなんでしょね。

September 23, 2016

「ピアニストは語る」(ヴァレリー・アファナシエフ著/講談社現代新書)

●ヴァレリー・アファナシエフ著の「ピアニストは語る」を読んでいる。表紙にはクレジットされていないが(どうして?)、青澤隆明さんのインタビュー&構成による一冊。インタビューで本一冊分ができるほど語るべき事柄を持っているピアニストは決して多くない。鬼才アファナシエフのこと、衒学的で難解な話が続くのかと思い身構えて読み始めたが、思いのほか読みやすく、おもしろい(特に前半)。
●前後半で二部構成になっていて、前半は「人生」、後半は「音楽」。前半はこれまでの生涯を振り返っているのだが、ソ連時代の逸話の数々が興味深い。そう、もうすっかり忘れていたけど、アファナシエフはソ連の教育システムで学び、コンクール(特にエリザベート王妃国際コンクール)で世に出た人だったんすよね。ハイライトはソ連からベルギーへと政治亡命するくだり。
●自由に出国することができず、国外へと出るときは国内にだれか身内を人質として置いていなければならず、モスクワにいてすら新鮮な肉が手に入らずやっとハンガリー産の冷凍肉が買えたという「なにもかも馬鹿げていた」ソ連。そこから逃れようと思ったら、外国人との結婚か亡命の二者択一しかないという状況で、いったいどうやって国を出るか。そのプロセスがなかなか強烈。エリザベート王妃国際コンクールにソ連代表として(そういう制度だった)参加できることになったところ、KGBに「アファナシエフは亡命したがっている」という匿名の告発の手紙が届く。出発前日に役所に出向いても一向にパスポートが受け取れず、文化大臣に一筆書いてもらって、それから絶望的な気分で何時間もやきもきしながら待ち続けてようやく受け取れたというあたりは印象的。結局このときは母親が病気だったため帰国するのだが、母が亡くなった後にふたたびベルギーに演奏旅行するチャンスが訪れて、アファナシエフはそのチャンスに賭けた。実のところソ連国内で迫害を受けていたわけでもない若いピアニストに政治亡命できる理由などはなかったのだが、それでも幸運と他人の助力に恵まれて、紙一重のところで亡命がかなう。ほんのささいなことで人の運命がどれだけ左右されることかを痛感する。大使館に拉致され、睡眠薬で眠らされ、目が覚めたときには精神病棟の中だったということだってあり得た、というのだから。
●アファナシエフは個人的にも恩恵を被っていたギレリスのことを敬愛する一方で、リヒテルに対してはずいぶん醒めた見方をしているのも興味深い。あと、ショスタコーヴィチに対する見方も。

「私にとってショスタコーヴィチは典型的なソ連の作曲家──ほかの作品はともかく、その交響曲たるやあまりにも素朴すぎです」
「ソ連のことを知らずには、ショスタコーヴィチの交響曲は決して理解することはできません。私はしょっちゅうコンサートに行っていましたが、それでもショスタコーヴィチの初演には行ったことがありませんでした。初演に臨席するソ連のお偉方たちに我慢がならなかったからです。ソ連の作曲家や演奏家は国家の宝だと言われていました。しかしすべてはソ連というコンテクストに則っていた以上、私は彼らを嫌悪していました」

●アファナシエフの芸術に深く共感する人にはきっと第2部が示唆に富んでいることだろう。「人生とは絶え間なくハーモニーを探求すること。そして完全なるハーモニーとは死だけです」といったアファナシエフ節が全開になっている。

September 21, 2016

Apple Music vs Google Play Music 2016年秋

●当欄ではストリーム音楽配信定点観測として、ときどきApple MusicとGoogle Play Musicを比較しているのであるが、先日のiTunesのバージョンアップでApple Musicが悲惨な画面デザインになってしまった。なにしろ、日本語フォントがこんなことに(Windows 10)。
iTunes 12.5.1.21
●これ、日本語じゃないでしょ? よく見ると「放送交響」と「楽団」でフォントが違うという謎。Appleに限ったことではないが、IT系のサービスはよく日本語を忘れる。ほかにもフォントのサイズが巨大すぎて不自然だったりするし、そもそも見出しに使われる「見つける」とか「新着ミュージック」みたいなのは日本語表現としてどうなんすかね。
●と言いつつも、最近ではすっかりApple Musicに頼り切っている。少なくともクラシックに関してはGoogle Play MusicよりもApple Musicが頼りになる印象だ。クラシックの新着タイトルのコーナーを見ても、Apple Musicのほうがしっくり来る。「そろそろGoogle Play Musicは不要かな~」と一瞬思ってしまったのだが、最近ある音源がAppleにはないけどGoogleには見つかって救われたという経験をしたのと、今回の謎バージョンアップによって、まだまだ両者を併用する必要があると痛感。
●ちなみに上記の音源は新譜コーナーにあったハルモニアムンディ・フランスのハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団によるラモー「イッポリトとアリシー」組曲+ベルリオーズ「幻想交響曲」。中身はたいへんすばらしい。
●相変わらずNaxos Music Libraryは音源情報が統一表記にのっとって日本語化されているという点で、独自の価値を保っている。だからこれも手放せない。結局、相変わらずこの3サービスを状況に応じて使い分けるしかない。「Spotifyがついに上陸する!」となんどもなんども言われてまだ上陸していないのだが、もし始まったらそっちも使うことになるのだろうか?

September 20, 2016

「ふしぎの国のアリス」 (1951) (ウォルト・ディズニー・プロダクション)

●ディズニー・アニメの古典的名作「ふしぎの国のアリス」。1951年製作ということですでに60年以上の月日が経っている。今見てもシュールなテイストは健在。というか、先日の「ズートピア」など昨今の磨き抜かれたディズニー作品を見るに、こんな「ふしぎの国のアリス」はもう作れないのかもしれない。今の時代には冗漫だし(それがナンセンスの味わいにつながっているんだけど)、ハートの女王が口癖のように「首をはねよ!」と連発するのは問題がありそう。
●で、これってミュージカル・スタイルのアニメーションなんすよね。いろんな歌が出てくるが、そのひとつが「お誕生日じゃない日の歌」。マッドハッターと三月うさぎたちのお茶会で(原作での表現は「きちがいお茶会」)、「お誕生日じゃない日、おめでとう!」と歌われる。お誕生日は365日の1日しかないけど、お誕生日じゃない日を祝えば365日の364日を祝っていられるという大変おめでたい発想で、みんながじゃんじゃんとお茶を飲むのに、どうしてもアリスだけは一口も飲めないという可笑しなシーン。
●しかし、吹き替え版では「お誕生日じゃない日、おめでとう」が「なんでもない日、おめでとう」になっており、これが昨年、ディズニーのTwitter公式アカウントで騒ぎを起こした。「なんでもない日、おめでとう」を投稿したのが8月9日だったため、長崎に原爆を落とした日に「なんでもない日、おめでとう」はないだろうという反応が起きた(経緯はこちらに)。
●そもそも大人の世界に「なんでもない日」は存在しない。365日のどの一日をとっても、かならず世界のどこかで悲しい一日として記憶されているだろうし、どこかでは祝うべき一日として記憶されているだろう。ディズニーの公式アカウントが「なんでもない日、おめでとう」と投稿した際には、アリスの絵柄とともに A Very Merry Unbirthday to You! の一言が添えてあった。原語にあった中立的でナンセンスな味わいが、訳語の選択によって要らないニュアンスを帯びてしまった。
●「誕生日」のニュアンスを生かして Unbirthdayを訳すとしたら? 「非誕生日、おめでとう!」だろうか。ルイス・キャロル的な活字の世界では悪くないと思うんだが、アニメには似つかわしくない気がする。聞き取りにくいし、ミュージカル仕立ての場合は口の動きともある程度同期が必要だろうから、訳語選択の制約が厳しそう。ふと、Unbirthdayを検索してみたら、Weblio英和辞典で立項されていて「何でもない日」の訳語があてられていた。もともとはルイス・キャロルが「鏡の国のアリス」で編み出した造語ということのようであるが(つまり「不思議の国のアリス」ではない。これを「きちがいお茶会」の場面に持ってきたのはディズニーの発案っぽい)、ディズニー映画の訳語が定訳となっているということか。

September 16, 2016

パーヴォ・ヤルヴィ&N響のムソルグスキーと武満

●しばらく週刊「パーヴォ&N響」祭り。15日はサントリーホールでムソルグスキーと武満徹という、なんだか遠そうなふたりの作曲家を組み合わせたプログラム。前半にムソルグスキーの「はげ山の一夜」原典版、武満徹の「ア・ウェ・ア・ローン2」と「ハウ・スロー・ザ・ウィンド」、後半にムソルグスキー~リムスキー=コルサコフ編の「ホヴァンシチナ」第4幕第2場への間奏曲「ゴリツィン公の流刑」、ムソルグスキー~ラヴェル編の組曲「展覧会の絵」。つまり、ムソルグスキー作品は彼本来のオリジナルとリムスキー=コルサコフの編曲、さらにラヴェルの編曲と三態が並ぶ趣向。おもしろい。
リムスキー=コルサコフ●で、「はげ山の一夜」原典版。リムスキー=コルサコフが洗練されすぎた筆を入れる前の粗削りさが魅力……だとは思う、たしかに。でもむしろ痛感するのは、こんなゴツゴツした素材からあんなにツルリとした完成品を作ったリムスキー=コルサコフすごすぎ。あの一般的な編曲というか再創造がどんなによくできているか。この原典版だけだったら、この曲はきっと埋もれた珍作で終わっていたのでは。先にリムスキー=コルサコフの滑らかな完成図を知っているから、この原典版もおもしろがって聴けるけど、そうでなかったら果たしてどうだろう。特にリムスキー=コルサコフ版は最後にすがすがしい夜明けが訪れて魑魅魍魎の世界とコントラストをなすのが効果抜群って気がする。
ムソルグスキー●でも、そんなアマチュアっぽいムソルグスキーと、職人技を極めたようなリムスキー=コルサコフとで、どっちがより演奏され、共感されているかというと断然前者だと思う。ムソルグスキーは作品数は限られているけど、打率はかなり高い。「展覧会の絵」「はげ山の一夜」「ボリス・ゴドゥノフ」「ホヴァンシチナ」「死の歌と踊り」「蚤の歌」……。一方、リムスキー=コルサコフは「シェエラザード」みたいに突出した人気作はあるものの、交響曲第1番~第3番、ピアノ協奏曲、「雪娘」「サトコ」「モーツァルトとサリエリ」「金鶏」「皇帝サルタンの物語」等々といった数あるオペラなど、多くの作品が演奏機会に恵まれているとはいえない状況。なに言ってるんだかわからないけどとにかくスゴそうな酔っぱらいのオヤジとなんでも知っててなんでもできそうな大先生がいるんだけど、人が寄ってくるのは酔っぱらいのほう、みたいなイメージ。
●この日はソニーのレコーディングが行われていた模様。最後の「展覧会の絵」は壮麗なスペクタクル。プロムナードの冒頭トランペットからスカッと抜けるような快演。「キエフの大門」の豪快な鳴りっぷりに客席がわき上がった。

September 15, 2016

ハーゲン・クァルテット フーガの芸術~宇宙への旅路

●14日は東京オペラシティでハーゲン・クァルテット。「フーガの芸術~宇宙への旅路」と題され、前半にバッハの「フーガの技法」よりコントラプンクトゥス1~4、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番、後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番「大フーガ」付きバージョン。「宇宙への旅」は謎としても、3曲を通して対位法の妙を聴かせるという好プログラム。前半のハイライトはコントラプンクトゥス4の終わりから、そのまままったく同じムードでショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番へとつなぎ目なく移行する瞬間だろう(一瞬、拍手が入りかけたが、切れ目なく続けた)。ショスタコーヴィチの静かな終わり方も含め、一貫して儀式的な厳かさ。そして、くりかえされるDSCH主題によるショスタコーヴィチ自分語り。この人、こんな半音階的な名前じゃなかったら、こんなに陰々滅々とした曲を書かずに済んだんだろうか(違う)。
●後半はベートーヴェン。何年も前にこのクァルテットを聴いた印象から、崖っぷちを全力疾走するみたいなエクストリーム・ベートーヴェンを予感していたのだが、そんなことはなかった。各々の奏者の雄弁さと、あたかもひとつの楽器のように調和する四重奏としての一体感が兼ね備わった、超越的なベートーヴェン。最後は鋭く峻厳な大フーガに圧倒されるばかり。密度高めの拍手、アンコールなしでキリッと終演。

September 14, 2016

「ズートピア」(ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ)

●ストリーム配信でなにがありがたいかといえば、映画をウチで簡単に見られること。レンタルショップに出かけなくてもいいし、長大な予告編や「映画泥棒」も目にしなくて済む。以前、サイモン・ラトルがベルリン・フィルと来日したときの記者会見で「映画をインターネットで見るようになったのと同じように、蛇口をひねれば音楽が流れてくる時代になったよね」みたいなことを言ってたっけ。
●で、評判のディズニー「ズートピア」をようやく見る(Amazonビデオを使ってみた)。基本舞台設定として、ズートピアなる動物たちにとっての理想都市があって、そこでは草食動物も肉食動物も仲良く暮らしている(動物たちは擬人化されているので、スマホも使うし、クルマも運転する)。主人公であるウサギのジュディは、ウサギ界初の警官になるという夢を叶えるべく、田舎のニンジン農場からズートピアにやってくる。晴れて警官になったジュディだが、成績優秀にもかかわらず、命じられたのは駐車違反の取り締まり。しょせん、小さなウサギにはそんな役割しか回ってこないのか。ジュディはキツネの詐欺師ニックに出会い、やがて謎の連続行方不明事件に巻き込まれる……。
●さすがにディズニー、ストーリーから舞台設定、アニメーションなど、すべてにおいてよくできている。核となるテーマは差別と偏見。ズートピアには肉食動物も草食動物も平等に暮らしているといいつつも、草食動物は肉食動物に対して不信感を拭いきれていない。ズートピアは高度に文明化された社会であり、野蛮な捕食関係などもはや絶えて久しいのだが、やっぱりフィジカルな強さは怖いんである。ところが、この社会で圧倒的に多数派をなすのは草食動物のほう。実は社会的により恵まれ、権力を持ち、上位階層にあるのは草食動物側なんである。強いと弱いの関係とは裏返しになった差別と被差別の関係がある。物語が進むにつれて、主人公も含めて登場人物のほとんどすべてが、なんらかの偏見にとらわれていることがわかってくる。人種や所属コミュニティのちがいを動物のカテゴリーに置き換えた物語になっているわけだが、人間社会の縮図を描きながらも決して告発の姿勢に傾かず、ユーモアがふんだんに盛り込まれて子供たちが素直に楽しめる作品になっているところがすばらしい。
●「アナと雪の女王」を見たときも感じたけど、ディズニーはどんどん古典的なストーリーを現代向けに正しくバージョンアップしている感じ。その正しさから決して外れることができないというのはクリエーターにとってどうなのかなということもチラッと頭をかすめる。「スターウォーズ」の続編はどうなるんすかねー(そこか、気になるのは)。

September 13, 2016

フレッツ光とひかり電話を導入

電話●えっ、今さら?って話なのだが、重い腰を数年がかりでようやく上げて、ウチのインターネット回線をADSLから光回線に変更した。そう、実は今までベルリン・フィルのDCHとかハイレゾ音源ストリーム配信とか、そういうのをぜんぶADSLでやっていたのだっ! いや、ADSLでも速度にそんなに不満はなかったんだけど。でも、最近、なぜか回線が不安定になることが多くて、一念発起して光回線に。ついでに電話もひかり電話にしてしまう。
●大した工事もせずに簡単に変更できることはわかっていたんだけど、一時期、いろんな代理店による光回線の営業攻勢がすさまじくて、あれがイヤでぜんぶ断っていたのだ。なんか、微妙に詐術的な営業が多くて、感じが悪かった。でもまあ、つながってみると光回線はまったく快適。高速。
●で、いくつかやってみた気がついたこと。NTTの固定電話には加入権というものがあったが、あれはひかり電話にはないらしい。今の時代になってみると電話の「加入権」という概念が謎すぎだが、結構な金額だった。あと、ひかり電話になっても「ナンバーディスプレイ」は有料オプションのまま。うーん、いまだにそうなのか。発信者のわからない電話なんて、送信者不明のメールみたいなもので不審すぎる。
●それと、さりげなくNTTの公衆無線LANサービス「フレッツ・スポット」が新規申込の受付を終了していた。実はこれをガンガン使っていたのだが、ひかり電話に変更したことでこのサービスも利用できなくなってしまった模様。かなり使えたサービスなのに残念。モバイルの回線経由で無線LANを使えば済むことなので、大きなデータをやり取りしなければ困ることはないはずなのだが、どんなものか。
●そもそもモバイルの回線でネットも使えるのなら、固定電話なんて不要だろうっていう考え方はもっともな話で、だんだん固定電話がある家が珍しい感じになってくるとは思う。

September 12, 2016

山田和樹指揮オーケストラ・アンサンブル金沢、東京混声合唱団

●11日は、すみだトリフォニーホールで山田和樹指揮オーケストラ・アンサンブル金沢&東京混声合唱団。岩城宏之メモリアルコンサート(没後10年)の東京公演として開催された公演で、リゲティの「ルクス・エテルナ」(こちらは無伴奏合唱)、ベートーヴェンの交響曲第2番、フォーレの「レクイエム」というプログラム。リゲティとフォーレは鎮魂の音楽であるとして、ベートーヴェンの第2番は「ハイリゲンシュタットの遺書」つながりでの選曲? 先に金沢で開催された岩城宏之メモリアルコンサートでは、ベートーヴェンではなくバーバーのヴァイオリン協奏曲が演奏された模様(独奏はOEKコンサートマスターで、今年の岩城宏之音楽賞受賞者であるアビゲイル・ヤング)。バーバーも聴きたかったなーと思うが、でもベートーヴェンが楽しかったのであった。
●リゲティの「ルクス・エテルナ」といえば映画「2001年宇宙の旅」。この曲、「進化」とも「宇宙」ともなんの関係もない曲なんだけど、いまだにこの曲を聴くとモノリスとか頭に浮かんでくるから刷り込みは怖い。緻密で静謐なそれ自体で完結した音楽であるのに、なにかの予兆のように思えてしょうがない。そんな「ルクス・エテルナ」が導くのがベートーヴェンによるはつらつとした19世紀開幕宣言。OEKの機動性を生かした小気味よい演奏で、特に終楽章の躍動感は聴きもの。以前のN響定期でも感じたけど山田和樹の煽り(といっても落ち着き払ったものなんだけど)にオケがククッと反応する感が吉。OEKは普段は弦の対向配置を採用していると思うが、ここでは通常配置。山田和樹のベートーヴェンというと、日フィルと第1番をあえて大編成で、しかも往年の巨匠風の大胆なテンポの操作を交えていたのが印象に残っているが、この日はそんなことはなくて、室内オーケストラの鋭敏さや親密さが際立っていた。フォーレは合唱に加えて、与那城敬、吉原圭子の両独唱が見事。透明清澄というよりは血の通ったフォーレ。

September 9, 2016

N響90周年記念特別演奏会 マーラー「一千人の交響曲」

●8日はNHKホールでパーヴォ・ヤルヴィ指揮のマーラー「一千人の交響曲」。定期演奏会とは別にN響90周年記念特別演奏会として一公演だけ開催されたもので(もったいない気もする)、節目の年を祝うにふさわしく超巨大編成の作品がとりあげられた。なんだけど、パーヴォ・ヤルヴィが描いたのは巨大であることを拒むような、引きしまったサウンドできびきびと音楽が運ばれる高解像度マーラー。目指すべき音像は一千人の交響曲というよりは百人の交響曲、あるいはひょっとすると十人の交響曲(笑)じゃないかというような高純度アンサンブル。これほどクリアで明快な「千人」を聴けるとは。一方、贅肉はなくても筋肉はムキムキ。大オーケストラと大合唱団にオルガンや2階席後方のバンダも加わって作り出す音圧はすさまじい。
●独唱陣がすばらしすぎる。ソプラノのエリン・ウォール、アンジェラ・ミード(METの映画「オーディション」で出てたあの人。ついに実演で聴けた)、クラウディア・ボイル、アルトのカタリーナ・ダライマン、アンネリー・ペーボ、テノールのミヒャエル・シャーデ、バリトンのミヒャエル・ナジ、バスのアイン・アンガー。一夜の公演のためにこれだけそろった。銘々にNHKホールの巨大空間を己の声で制しようかという気迫。
●「千人の交響曲」はなかなか演奏できない曲のはずなんだけど、ここ最近、東京ではけっこうな頻度で演奏されてるのでは。ハーディング&新日フィル、ノット&東響、インバル&都響。同じNHKホールでデュトワ指揮N響もあった。来年は山田和樹指揮日フィルもあるそう。こんなに「千人の交響曲」が演奏されている都市はほかにあるだろうか。てか、どうしてなんでしょ。

September 8, 2016

ユジャ・ワン ピアノ・リサイタル

●7日はサントリーホールでユジャ・ワンのリサイタル。事前に「曲目変更あるかも」というアナウンスは目にしていたが、結局予定の曲目で実際に演奏されたのはベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」のみ。しかし、なんの不満もない。最後はアンコールが21時半を過ぎるまで続き、客席は沸きに沸いた。サントリーホールがこんなに歓声に包まれたのはいつ以来だろか。歓声が若くて明るい雰囲気なのもなんだかうれしい。スタオベ多数。
●で、曲目だが前半はシューマンの「クライスレリアーナ」に変更。そこからカプースチンの変奏曲op.41、ショパンのバラード第1番と続いて、早くもアンコールを聴いているような気分に。ユジャ・ワンとシューマン。ものすごく遠い世界のものが組み合わされたような意外性あり。内向きの鬱屈した情熱を昇華させる、みたいな作曲家像は銀河の彼方へ。後半の「ハンマークラヴィーア」のほうが痛快だったかな。アスリート的な敏捷性やスピード感、鋭く明快なタッチを存分に生かしつつ、みずみずしく清新。思わせぶりな幽玄さなんてゴミ箱にポイ、キラッキラの金ぴかロングドレスがしかつめらしい顔をした脳内巨匠たちを降参させる。
●でもやっぱり「第3部」のほうが楽しい。アンコールはシューベルト~リスト編の「糸を紡ぐグレートヒェン」に始まって、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第7番「戦争ソナタ」第3楽章(出たっ!)、ビゼー~ホロヴィッツの「カルメン」の主題による変奏曲(そっちも来るか)、モーツァルト~サイ/ヴォロドス編の「トルコ行進曲」(これも必殺技)、カプースチンの「トッカティーナ」、ラフマニノフ「悲歌」、グルック~ズガンバーティ「メロディ」。とくにプロコフィエフからの三連発は強烈で、客席も大歓声。ユジャ・ワンって、スーパースターなんだなと改めて実感。巧いだけじゃこうはならないもの。あの左右非対称なコクッとしたお辞儀とか、ユジャ様式みたいなものが完成されてる。
●あと、アンコールはタブレットを持ち込んで出てきて楽譜を見て弾いてて(いや、見てたかな?)、セルフ譜めくりがすごい。画面をタッチするだけなんだけど、「戦争ソナタ」とかバリバリ弾いている間にヒュッ!と超高速で腕が伸びて画面をタッチするんすよ。あの加速感。鍵盤上の指の動きの合間にオペレーションとして画面タッチが完璧に組み込まれている(笑)。これも様式化されているというか。

September 7, 2016

タイvsニッポン@ワールドカップ2018最終予選

タイ●初戦、ホームでUAE相手にまさかの逆転負けを喫したニッポン。いきなり苦境に立たされて、アウェイでタイと対戦。東アジア、中東、中央アジアまでを含む広いアジアのなかで、東南アジアだけが出遅れていた感があったが、近年この地域も格段にレベルアップしている模様。タイは短いパスをつなぐスペクタクル志向のサッカーを目指しているようで、少し前のニッポンの姿が重なる。好感度大……とか言ってる場合じゃないよ、尻に火がついてるんだからっ!
●GK:西川-DF:酒井宏樹、森重、吉田、酒井高徳-MF:山口、長谷部-原口(→ 宇佐美)、本田(→小林悠)、香川-:FW:浅野(→武藤)。前の試合からは、問題の中盤に大島ではなく山口を、前線には岡崎に代えてスピード勝負の浅野を起用してきた。タイはニッポンが高さで勝てる数少ない相手だが、だからといって高さで勝負するつもりはないという布陣。
●いろんな意味で前の試合のコピーのような展開になっていた。ボールはほとんどニッポンが回している。次々と相手ゴールを脅かすが、決定機に外しまくる。そして主審はイラン人のモフセン・トーキー。前の試合に比較すればましという程度で、基準が一定せず、やはり不可解な判定が連続。森重がインプレイ中にボールの空気圧が足りないとアピールしたら、主審がボールを触って確認したうえで、森重にイエローカード。これには苦笑。カードを出す意味がない。キックオフの笛が鳴る前から、別の戦いが始まっている。もっとも、後半途中でタイのサポーターたちから大ブーイングを受けてからは主審の態度も少し変わったようで、途中交代で入ってきたタイ選手に2枚のイエローを出して、退場させた。厳しかろうが甘かろうが、笛の基準が試合を通して一貫していれば文句はないのだが……。
●ゴールは原口と浅野。起用した選手が結果を出した。2対0。原口は攻守にわたって奮闘して、マン・オブ・ザ・マッチ級の活躍。浅野はジャガーポーズ。本来主力である香川や本田に覇気が感じられないのが気がかり。今に始まったことではないが、全般にゴール前で力強さを欠き、無用なオサレ・パスが目立つ。いただけないのは終盤の慌てぶりで、落ち着きを欠いてイージーなミスを連発して余計なピンチを招くことに。一人少ない相手にただボールを回せばいいところで、なぜあんなに混乱するのか。この試合を一言で表現すれば「焦り」。いや、焦ってたのはワタシ自身なのだが。

September 6, 2016

反田恭平 3夜連続ピアノコンサート ~ ロシア

反田恭平リサイタル
●1日は浜離宮朝日ホールで反田恭平リサイタル。30日からそれぞれプログラムの異なる3夜連続のリサイタルを開催。それだけでもスゴいのだが、さらに追加公演として9月7日、8日、9日ともう一周3夜連続で開催されるという大変な人気ぶり。同一ホールで計3プログラム6公演のリサイタルとは。
●3夜連続のリサイタルはそれぞれドイツ、フランス、ロシアとテーマが掲げられており、この日はロシア。スクリャービンの幻想曲ロ短調、ラフマニノフの絵画的練習曲より第1番ハ短調、第9番ニ長調、グリーグ「トロルドハウゲンの婚礼の日」、チャイコフスキー 「四季」より「7月」~「12月」、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番。強烈なヴィルトゥオジティを堪能。切れ味鋭く鮮烈。以前よりさらにパワーアップしている感、大あり。ラフマニノフが圧巻だった。ラフマニノフって「メカニックはすごいけど退屈」と感じることもあるんだけど、まったくそうはならずにスリリングで、起伏に富んでいる。ソナタ第2番の第3楽章(ラヴェルの「ラ・ヴァルス」みたいに聞こえる曲)の冒頭、あまりにテンションの高い入り方で痛快。すばらしい。
●で、この日は反田さんの22歳の誕生日だった(そんなに若かったんだ……)。そんなこともあって、シリアスな本編の後は、サプライズでバースデーケーキが舞台上に運ばれ、客席みんなで「ハッピーバースデー」を歌う「ファンの夕べ」みたいな雰囲気に。で、ここで主催側からスペシャルな案内が。なんと、アンコールの一曲目に限って、客席から写真撮影がオッケーになったんである。シャッター音もフラッシュもオッケー。一曲だけだから、みんなお互いに許しましょうという大胆な試み。反田さんのあいさつの間にワタシも上の写真を撮ったわけだが、この後、リストの「葬送」が演奏され、会場中でありとあらゆる種類のシャッター音と光が共演することになった。カシャッ! ピッ! ピピピピッ! スマホのシャッター音ってこんなにいろんな種類があるんだ。これは壮観。リストとシャッター音が組み合わさって、もはや別の音響作品が誕生したんじゃないかと思うほど。眉をひそめる人もいることはだれもが承知しているだろうが、多くのファンが大喜びしたことはまちがいない。アンコールの2曲目は、シューマン~リスト「献呈」。こちらはみんなスマホをしまって、シリアスモードに無事に復帰できた。
●さらにもうひとつ特筆すべきは、終演後にその日の前半の演奏をCDに収録したものをプログラムノート(反田さんのカラー写真満載)購入者に配布していたこと。撮影OKの件といい、ファンサービスが徹底している。わざわざ足を運んでくれるお客さんが、どうやったら喜んでくれるだろうか、ということについて考え抜かれている。
●せいぜいアンコールの曲名をつぶやくだけの寡黙すぎるリサイタルが普通だと思い込んでいる自分もどうか、とは思った。

September 5, 2016

山田和樹「柴田南雄没後20年記念演奏会」記者懇談会

山田和樹「柴田南雄没後20年記念演奏会」記者懇談会
●1日午前は杉並公会堂で日本フィルの仕切りで山田和樹さんの「柴田南雄没後20年記念演奏会」記者懇談会。これは11月7日に開催される「柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会~山田和樹が次代につなぐ『ゆく河の流れは絶えずして』」のための会見で、壇上には指揮台と椅子が置かれて(このパターン、最近よくある)、山田和樹さんが柴田南雄への熱い想いを語ってくれた。公演の主催は日本フィルではなく、「私財を投げ打ってでも今やらなければならない」という山田和樹さん自らが音頭をとる実行委員会。曲はすべて柴田南雄作品で、「ディアフォニア」、シアターピース「追分節考」、交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」。演奏は日本フィル、東京混声合唱団、武蔵野音楽大学。
●「ゆく河の流れは絶えずして」は1975年に名フィルが初演し、89年に都響が再演、それから27年ぶりの演奏ということになる。フルオーケストラと合唱を用いてひとつの作品のなかに古典派から後期ロマン派、12音技法など多様式が一体となっていて、しかも会場全体を使った即興的なシアター・ピースでもあるのだとか。テキストは鴨長明の「方丈記」。
●で、会見からいくつか山田和樹さんの印象的な言葉を拾っておこう。「柴田南雄は音楽界における知の巨人。でも十分に知られていないのではないか。というか、自分もそのひとりだった。初めて柴田作品に触れたとき、『人生損していた』と思った。公演の企画を思いついたのは昨年のことで、ホールもとれるかという状況だったが、サントリーホールをとることができた」「海外に留学すると、『日本の音楽を教えてよ』と言われる。それなのに、できない。海外から見るとこれは奇異な光景に映る。自国の音楽も知らないのに、外国の音楽を学ぶのか、と。実は似たようなことは東京生まれの柴田南雄本人にもあった。そこで西洋の視点から日本の文化をとらえなおして、そこから日本の音楽を生み出した」「『ゆく河』は27年ぶりの演奏となるが、この間に日本のオーケストラの技術力はアップしているので、今だったら新しい形で演奏できるのではないかと思う。若い人に聴いてほしいし、古い印象ではなく新しいという印象を持ってもらいたい。願わくば、オシャレな形に映ってほしい」。

September 2, 2016

ニッポンvsUAE@ワールドカップ2018最終予選

●いよいよワールドカップ最終予選がはじまった。ニッポンvsUAE。ニッポンはこの大事な試合で五輪代表だったセントラルミッドフィルダー、大島僚太を抜擢。五輪組では浅野も途中出場。GK:西川-DF:酒井高徳、森重、吉田、酒井宏樹-MF:大島(→原口)、長谷部-本田、香川、清武(→宇佐美)-FW:岡崎(→浅野)。キーパーとセンターバック1枚と中盤の大島僚太を除けば、途中出場を含めて全員が欧州主要リーグでプレイしているという豪華仕様。UAEでは10番のオマル・アブドゥルラフマンが実力者。開始早々からほとんどニッポンがボールを回し、攻め続け、UAEがカウンターのチャンスを狙うといういつもの展開に。前半11分、セットプレイで本田がヘディングが決まった時点では楽な展開になる予感しかなかった。
●しかしアジアの戦いでは審判の国籍を問わずよく見かける光景だが、ランク上位のチームがリードすると、主審は遠慮なく下位のチームに甘い笛を吹きだす。転んだだけでファウルをもらえる、みたいな。これがファウルやイエローカードだったら、プレミアリーグなんか一試合たりとも成立しないくらいだろうと思うような笛が、片方だけに吹かれる。かつて弱かったころのニッポン代表もそういう笛に救われていた時代があったという認識はあるので文句ばかりもいえないのだが、いざアジアの外に出てワールドカップ本大会になれば、こんなおかしな笛に助けてもらうことはできない(はずだったのだが、2002年にまさにその笛の力が大爆発したという暗黒の歴史……)。酒井宏樹、吉田のディフェンスラインに立て続けにイエローカードが出て暗雲が立ち込める。なかったはずのフリーキックをUAEが決めて同点。後半8分、エリア内に攻め込んだアルハンマディに対して守備は人数がそろっていたのに、露骨なPK狙いにまんまとひっかかって(大島が。あるいは主審が)、PKを決められて逆転。ニッポンは次々と好機を作るが、あと一歩のところでゴールが決まらない。浅野拓磨のシュートは完全にゴールラインを割っていたが、主審はゴールを認めない(ゴールライン・テクノロジーどころかゴールを判定する追加副審すらいないというアジアの最終予選……トホホ)。宇佐美が倒されてもPKはもらえない。中東お家芸の時間稼ぎも功を奏して、1-2で試合終了。
●しかし、いくら主審があれでも、失点は自分たちのミスだし、攻撃陣がチャンスに決めきれなかったのも事実なんだから、やっぱり(大島の人選も含めて)ハリルホジッチ監督も選手も未熟だった、という論調もありうるんだろう。でもな。そんな大人の反省、まるっきりする気になれない。サッカーで負けた気がまったくしない。競技をしようじゃないか。オレたちは「アジアの戦い」に敗れただけ(と強弁するのを負け惜しみという)。

September 1, 2016

「ギター音楽リスナーズ・バイブル」「ベル・エポックの音楽家たち―セザール・フランクから映画の音楽まで」

●最近出た本から、目を引いたものを。
●まずは「ギター音楽リスナーズ・バイブル」(朝川博著/アルテスパブリッシング)。クラシック音楽全般について幅広く聴くというリスナーであっても、ギターだけは盲点という方は少なくないはず(自分もそうなのだが)。ギター音楽の歴史、ギター名曲、ギター作曲家についての平易な入門書であり、この分野にこれから近づこうという人には心強い一冊。手にしてみて強く感じたのは、「そういえば、近年、こういうリスナーズ・ガイドってあまり見かけなくなったな」ということ。まずなにから聴いていいのかわからない人向けのガイドって(名曲ガイドであれ名盤ガイドであれ)、かつては音楽書の最強売れ筋商品だったと思う。でも今はネットで調べれば済むから……ということなのか。でも、少し違うんすよ、そこは。この種のリスナーズ・ガイドでもっとも価値があるのは、なにが書いてあるか以上に「なにが選ばれているか」。つまり「ギター名曲100」を選ぶときに、著者個人の視点でどれを選ぶのか、っていうのが最大のポイントで、この辺の機能はネットではうまく代替できない部分じゃないだろうか。著者は元「音楽の友」編集長で、アマチュア・ギタリスト。
●すばらしい一冊だけど、ひとつだけリクエストを。ギター名曲100のところで、作曲者名と曲名に欧文表記を添えてほしかった。これを読んで、この曲を聴きたいなと思ったとき、Apple MusicやGoogle Play Musicで(あるいは人によってはYouTubeかもしれない)検索するときには、みんな欧文で検索すると思う(ストリーム配信時代が到来したら、もう日本語へのローカライズなんてほとんどだれも気にしてくれなくなった)。今、聴くために必要な情報は、国内盤のCD番号より曲名の欧文表記。重版の際にぜひ!
ベル・エポックの音楽家たち―セザール・フランクから映画の音楽まで●もう一冊は、「ベル・エポックの音楽家たち―セザール・フランクから映画の音楽まで」(フランソワ・ポルシル著、安川智子訳/水声社)。この本、かなりの大著であり、装幀とか書名とかからしてパッと見はお堅い学術書のように見える。でもそうじゃなくて、むしろ楽しげな読み物かと。まだほんの一部を目にしただけだが、次々とおもしろい話が飛び出してきそうな予感。たとえば、前書きに出てくるこんな一節はどうだろう。

「春の祭典」の初演50周年記念で指揮をしにやってきたピエール・モントゥーは、熱烈な喝采を遮ってただこう言い残した。「50年前と同じようにここでこの作品を指揮することができて実に楽しかった……。また50年後にもぜひお聞かせしたいものです!」 彼は88歳だった。

ふふ。いいよねえ。あともう一か所、最初の「フランク信仰」のところ。パリ音楽院のアンブロワーズ・トマの生徒にエマニュエル・シャブリエがいた。シャブリエはこう言った。

「音楽には3種類ある。よい音楽、悪い音楽、そしてアンブロワーズ・トマの音楽だ」

はっ、それがどうした、なんと意味ありげで意味レスな表現なんだろうか。実によい。ともあれ、今、トマの「ミニョン」序曲を久しぶりに聴いてみようかなという気にはなった。気ままに拾い読む形になりそうだが、付きあい甲斐のありそうな一冊。
●しかしamazonに書影が載ってないのは惜しい、渾身の一冊なのに。しかも一時的に在庫切れでプレミアムを乗せた中古本がいくつも出品されているようだが、本来は定価5000円+税なので、ご注意を。

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