●28日はサントリーホールでマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。この日のプログラムは前半にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(ギル・シャハム)、後半にストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1945年版)というプログラム。ベートーヴェンの協奏曲、第2楽章から第3楽章に入るときの一瞬ティンパニが入るカデンツァはなに? 堂々たる風格漂うベートーヴェン。アンコールを弾く前に、袖からハープ奏者やホルン奏者が入ってきて、なにをやるのかと思ったら、シャハムがクライスラーの「美しきロスマリン」を弾く、と。なんと、オーケストラ伴奏入りだった。
●後半の「火の鳥」はやや珍しい1945年版の組曲。「火の鳥」にはいろんなバージョンがあって、よく演奏されるのは1919年版の組曲。これがまあ、いちばんよくできているとは思う。2管編成だし、長さも20分程度。密度が濃い。でも、コンサートの後半を任せるには尺が足りない。全曲版はもりだくさんで楽しいけど、4管編成が必要で、45分もかかる。なんだか「帯に短したすきに長し」って感じだけど、これをうまく補ってくれるのが1945年版、ということになるはずなんだろう。1945年版は2管編成で30分くらい。1919年版を大盛りにした感じで、密度もほどよし。でも、なんだかオーケストレーションが微妙に硬い気がするのは自分だけ? いろんな版があってややこしいんだけど、だったらもういっそモジュール化して、演奏会ごとに選曲とかオーケストレーションをカスタマイズできる仕組みがあるといいのかもしれない。「魔王カスチェイ」の出てこないイジワルな「火の鳥」組曲とかあったらイヤすぎる。
●本編のプログラムが終わって、カーテンコールで、ステージに出ようとしたヤンソンスが転倒するという場面があった。凍りつく客席。一瞬、拍手は完全に止んだ。しかしヤンソンスは立ち上がって、客席に向かって両手でガッツポーズを見せてくれた。とはいえ、本当に大丈夫なのか。心配な気分のまま、アンコールへ。グリーグの「過ぎにし春」、そしてエルガー「野生の熊たち」。盛り上がって終わったが、なんだか気になる。帰宅してみたら、主催者のTwitterで、随行するドクターに診てもらったヤンソンスの「大丈夫だから心配しないで。会場に来ていた皆さんにも伝えて!また会いましょう!」というメッセージがあげられていた。
2016年11月アーカイブ
「火の鳥」、立ち上がったマリス・ヤンソンス
大きすぎる白シャツについて
●クリーニング屋のビニール袋をかぶったまま、たぶん10年くらいは着ていないんじゃないかという白のワイシャツを発見した。着てみると、なんだかサイズが大きい。首回りがゆるゆるで指一本どころか拳が入りかねない。袖もやたらと長い。上着の袖からガバッとシャツがはみ出る。どう考えても、これは着用できない。なぜこんなことになったのか、考えてみた。
●仮説1。この10年の間に体が縮んだ。縮みゆく男なのか。
●仮説2。これは自分のワイシャツではない。10年前、クリーニング屋から手違いで他人のシャツを受け取ってしまったにもかかわらず、すぐに確認しないまま月日が経ってしまった。10年前、ピチピチのワイシャツを着て苦しそうにする巨漢を近所に見かけなかっただろうか。
●仮説3。シャツが伸長した。
●ひとまずは正しいサイズのシャツを一着、買い求めることにした。
マリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団のアルプス交響曲
●26日はミューザ川崎でマリス・ヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団。ハイドンの交響曲第100番「軍隊」とR・シュトラウスの「アルプス交響曲」という大変魅力的なプログラム。2曲の共通項はバンダの活躍か。「軍隊」の第2楽章、トランペットのファンファーレは舞台袖から。第2楽章の後、打楽器隊が袖に引っ込んだので「もしや?」と思ったら、第4楽章終盤で、客電が少し明るくなって、下手から軍楽隊のパレードが登場して客席最前列を練り歩いた。これには笑った。以前、まったく同じ趣向をブリュッヘン指揮新日本フィルで目にしたが、ブリュッヘンによればこれは歴史的にそういう事例があるといった話だったように思う。趣向のおもしろさに加えて、演奏も生気にあふれた見事なもの。
●で、後半は大編成の「アルプス交響曲」。のびやかでパワフルだけど余裕の感じられるブラス・セクションをはじめ、オーケストラ全体が一体となって描く最高水準の音のパノラマ。細部まで彫琢された響きの芸術に圧倒される。描写的でドラマティックな曲ではあるんだけど、むしろ絵画的という意味で静的な印象も。この曲って、自然賛歌であるにもかかわらず(というか、だからこそ)、神々しいと感じてしまう。もっぱら世俗的なイメージを喚起させるシュトラウス作品にあって、例外的に神秘的恍惚感をもたらしてくれる作品というか。盛大な喝采にこたえて、ヤンソンスのソロ・カーテンコールあり。とてつもない演奏を聴いたという実感。
●この日、公演の前に昭和記念公園に紅葉狩りに出かけていたのであった。山歩きの内には入らないけど、先日降った雪もわずかに残っていて、それっぽい雰囲気は少しだけ味わえたか。
ダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団のベルリオーズ他
●24日は東京芸術劇場でダニエル・ハーディング指揮パリ管弦楽団。新日フィルでなんども聴いたハーディングが、パリ管弦楽団の音楽監督になって帰ってくるとは。プログラムが新鮮で吉。この日はブリテンの「ピーター・グライムズ」から4つの海の間奏曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲(ジョシュア・ベル)、そしてベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」から。芸劇は可動反響板をおろしてオルガンを隠す設定。冒頭のブリテンからとてもよく鳴る。「4つの海の間奏曲」を聴くともうそれだけで気分は寒村で疎外される孤独な男の気分になれる。ハーディングが作り出すイメージは思った以上に起伏に富み、雄弁。どの曲でもそうだけど、細部までデザインが施された鮮度の高い解釈に刺激されつつも、オーケストラの色彩的で輝かしいサウンドに聴きほれるばかり。
●ジョシュア・ベルは視覚的にも音楽的もゼスチャーが大きくて、非常に甘美で情感豊かなブラームス。感情表現の振幅が大きくて、一瞬でぐぐっとギアチェンジして一気に気分を高揚させるあたりが巧み。そして第1楽章のカデンツァは初耳。これはベルのオリジナルなんだろうか。すばらしい。部分的にヨアヒムも? オーケストラの強奏時にも埋没することなく、美音が届く。あと、カーテンコールで楽器を持たずに出てくるというのはいい手かもしれない。「アンコール、あるのかな? それともないのかな?」って妙にヤキモキしなくて済むから。
●劇的交響曲「ロメオとジュリエット」をベルリオーズの最高傑作と呼んだのはシルヴァン・カンブルラン。全曲はともかく、「愛の情景」とか「キャピュレット家の大宴会」は奇跡の名曲だと思う。で、当初、プログラムでは「愛の情景」で始まって、「キャピュレット家の大宴会」で終わる4曲が発表されていたけど、当日になってみると変更があって、「ロメオひとり ~ キャピュレット家の大宴会」「愛の情景」「マブ女王のスケルツォ」「キャピュレット家の墓地にたたずむロメオ」という曲順。え、「キャピュレット家の大宴会」で華々しく盛り上がって終わるんじゃないんだ。でもこれならストーリーの順に沿っているということなのか。最後は寂寞とした幻想的な情景で、少し尖がったアンチクライマックスに。おもしろい。アンコールはなかったが、すでに9時半コースだったので長さは十分。
マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団のブルックナー
●22日はNHK音楽祭でマイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団(NHKホール)。ショパンのピアノ協奏曲第2番(ユジャ・ワン)とブルックナーの交響曲第7番。前回来日ではマーラーの5番でスーパー・オーケストラぶりを発揮してくれたサンフランシスコ交響楽団だけど、このコンビからは遠そうなブルックナーだとどうなるか、というのが最大の関心。この数年にわたる「意図してブルックナーの7番を聴く」という勝手ツィクルスの総決算のつもりで。
●ユジャ・ワンのショパン。この曲では持ち味の敏捷性、切れ味、瞬発力が前面に出ることはないが、みずみずしく清新なショパンを堪能。これから年齢を重ねていったときにどうなるかを少し予感させる。アンコールはシューベルト~リスト編の「糸を紡ぐグレートヒェン」。十分すばらしいんだけど、ここでバリバリの超絶技巧曲で客席を熱くしてくれれば、と思わなくもない。
●で、問題のブルックナー。いやー、もうまったく聴いたことがないブルックナー。「勝手ブル7チクルス」の前回はブロムシュテット&バンベルク交響楽団で、圧倒的な伝統の力にノックアウトされたのだが、今回はその正反対。明るくきらびやかなサウンドで精緻に音響設計された、ゼロから生み出したような最新モデルのブルックナー。脱教会、脱オルガン、脱ドイツの森、脱野人、脱原始霧でフルモデルチェンジ。暗黙に期待されるあれやこれやをぜんぶ取っ払ってみたら、なんだか垢抜けた作曲家像が誕生した。この曲にこんな色彩感やスピード感、キラキラとした輝きがあったとは。特に第2楽章が印象的。シンバル、トライアングル入りのクライマックスが荘厳でも重厚でもなく、透明感があって爽快。さわやかブル7。
●すばらしいベートーヴェンやすばらしいモーツァルト、すばらしいバッハに多様性がありうるように、すばらしいブルックナーにもいろんなスタイルがあるんじゃないか……と期待していた気持ちを満たしてくれたという点では、最強に強まったブルックナーだった。しかし、一方で自分のなかではかなり消化不良な感もあって、瞬間瞬間のおもしろさを頼りに聴き通せても、大曲を貫く一本のストーリー性を感じ取るのは難しかった。できることなら、もう一回聴いてみたい、かな。
J2リーグ戦が終了、プレイオフと入れ替え戦へ
●今季のJ2リーグ戦全日程が終了した。1位のコンサドーレ札幌、2位の清水エスパルスがJ1への自動昇格。札幌は久々のJ1。清水は1シーズンでJ1復帰。戦力的に勝って当然という見方もあるだろうが(鄭大世と大前元紀という元ドイツ組が2トップにいる)、中盤までは厳しい戦いだったんじゃないだろうか。終盤に9連勝して、3位の松本山雅を得失点差でかわした。小林伸二監督がJ1昇格に導いたのはこれで4クラブ目だとか。まさに昇格請負人。
●3位の松本山雅が惜しかった。上の写真は以前訪れた松本山雅の本拠地アルウィン。球技専用スタジアムで環境は最高。途中までは2位は堅いと思ったが……。反町康治監督は日本人監督では屈指の名将だと思う。名のある選手がほとんどいなくても、堅固な組織的守備とセットプレイ得点率の高さで好成績を収める。一度資金力のあるクラブを率いるところを見てみたいもの。細かい約束事が多そうなサッカーなので、代表監督よりクラブチーム向きか。
●で、J1昇格を賭けた3つ目の椅子は、松本山雅、セレッソ大阪、京都サンガ、ファジアーノ岡山で争うことに。岡山は大健闘。今回も、引分けだとリーグ戦上位が勝ち抜けるという変則的なルールの昇格プレイオフが開催される。J1チャンピオンシップもそうだが、変則的なルールには当事者サポ以外の関心がうんと薄らぐという弊害がある気がする。
●残留争いは熾烈。最下位22位のギラヴァンツ北九州はJ3へ自動降格(元鹿島の本山雅志がプレイしている)、21位のツエーゲン金沢はJ3の2位栃木SCと入れ替え戦へ。この21位金沢と22位北九州の差はわずか勝点1。最終節、金沢は札幌とアウェイで対戦した。札幌は「引き分け以上で優勝」というシチュエーションで慎重な戦い方をしたところ、両者納得の0対0で終わった模様。北九州は山形に0対3で敗れた。もし途中で北九州がリードする展開になっていれば、金沢は札幌相手にリスクを負って攻撃を仕掛けるしかなくなり、結果的に失点する可能性も高かったはず。主導権はどちらかといえば北九州側にあったと思うのだが、後半早々に失点したのが痛すぎた。
●ついでに書くとJ3で優勝したのは大分トリニータ。J2に帰ってくる。監督は片野坂知宏。
●というわけで、J1のチャンピオンシップよりよほど熱そうなのが、金沢対栃木のJ2・J3入れ替え戦。11月27日(日)に栃木で、12月4日(日)になぜか富山で開催される(なんで富山なの??)。入れ替え戦ほど過酷な試合はないというが、自分だったら膝が震えて立っていることすらできないと思う。
ファジル・サイのモーツァルト
●17日は紀尾井ホールでファジル・サイのピアノ・リサイタル。なんと、オール・モーツァルト・プロ。ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330、ソナタ第11番イ長調K.331「トルコ行進曲付」、ソナタ第12番ヘ長調K.332、ソナタ第13番変ロ長調K.333、幻想曲ハ短調K.475という傑作ぞろいの選曲。ソナタではこのあたりがモーツァルトの絶頂期って気がする。「トルコ行進曲付」を除いた第10番、第12番、第13番がそのまま自分にとっては三大名曲かも。しかしなぜオール・モーツァルトかと思ったら、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集がリリースされたばかりなのであった。
●サイのモーツァルトになにかキャッチを付けるならセクシー・モーツァルト。あるいはもう少し今っぽくいえば、センシュアルなモーツァルトか。これらの作品にはほとんど数小節ごとに作曲家の天才性があらわになったような、ぐっと来る瞬間がやってくるわけだけど、そのたびにサイは思い切りよくテンポを動かしたり、強弱をつけたりして、奔放に歌う。表現する欲望が剥き出しになっているという意味では自由。一方で即興性は皆無に近い。筆圧強め。
●グールドの亡霊を目にすることになった。片手が空くとその手で自分自身を?指揮する。唸り声も聞こえてくる。シュタットフェルトのときも別の形で見たっけ……。もはや亡霊じゃなくて様式なのかも。
●トルコ人のサイにとって「トルコ行進曲」は逃れられない曲なんだろう、彼の最初期の録音にモーツァルト・アルバムがあって、やっぱりこの曲が入っていた。その頃からずいぶんサイの印象は変貌してるけど。で、アンコールはサイ編曲のジャズ・バージョン「トルコ行進曲」。これはさすがに切れ味鋭く鮮やか。会場は沸いた。
サントリーホールの「ザルツブルク・イースター音楽祭」記者会見
●本日から始まる「ザルツブルク・イースター音楽祭 in Japan」を前に、17日にサントリーホール ブルーローズで記者会見。ザルツブルク・イースター音楽祭音楽監督でありシュターツカペレ・ドレスデン首席指揮者のクリスティアン・ティーレマン、女優のイザベル・カラヤン、シュターツカペレ・ドレスデン事務局長のヤン・ナスト、同団員のソロ・コントラバス奏者アンドレアス・ヴィレツォル、サントリーホール総支配人市本徹雄の各氏が登壇(以上、写真右から)。
●サントリーホールの開館30周年記念事業の一環として開かれる今回の音楽祭、同ホールが開館にあたってヴィンヤード形式の採用などヘルベルト・フォン・カラヤンのアドバイスを多く取り入れていること、またザルツブルク・ イースター音楽祭が1967年にカラヤンが私財を投じて創設した音楽祭であるということで、まずはカラヤンを通じた両者の縁が市本総支配人より紹介された。
●ティーレマン「サントリーホールは演奏の喜びを感じることができるホール。すばらしい音響と、音楽への理解の深い聴衆の前で演奏できることに感謝している。今回のような演奏会形式による『ラインの黄金』は私にとってもチャレンジ。オーケストラがピットに入らないので、歌手との間で最良のバランスを探らなければならない。劇場で聴くのとは違った響き方になる。録音で聴くときに近いような明快なサウンドになるだろう」
●来年はザルツブルクのイースター音楽祭が50周年を迎え、ワーグナーの「ワルキューレ」が上演される。ティーレマン「50周年にあたり、始まった当時の舞台を再現してはどうかというアイディアが生まれた。昨今のレジーテアター隆盛の前の舞台美学を振り返ろうということで、1967年のギュンター・シュナイダー=ジームセンの舞台を復元する」
●ヘルベルト・フォン・カラヤンの娘であるイザベル・カラヤンは、今回、一人芝居「ショスタコーヴィチを見舞う死の乙女」を演じる。イザベル・カラヤン「もし自分が作曲できるなら、ショスタコーヴィチのように作曲したい。父カラヤンは何度もそう語っていた。音楽とテキストを組み合わせることで、観客のみなさまを旅へと誘いたい。父は日本が大好きでいつも日本へ行くことを楽しみにしていた。サントリーホールのどこかに父がいて舞台を見てくれているのだと思って演じたい」
●会見には同時通訳が入り、各席にイヤホンが置かれる方式。これだと時間が短縮できる一方、手書きメモ派にはかなり慌ただしい感じ。でも会見の合間に演奏を聴くことができたのは吉。シュターツカペレ・ドレスデン首席奏者たちによる、シューベルトの八重奏曲から第1楽章。室内楽ながらもまさにミニ・シュターツカペレ・ドレスデンといった滋味豊かなサウンド。
ウィーン国立歌劇場プレス・カンファレンス その1
●11月10日、オーストリア大使館で来日中のウィーン国立歌劇場のプレス・カンファレンスが開かれた。こちらは来日公演についての会見ではなく、ウィーン国立歌劇場全体についての近況と、3年前からスタートさせているインターネット有料動画配信の話題が中心。劇場関係者からはドミニク・マイヤー総裁(写真)と、ライブストリーミングの担当の方(ごめん、お名前わからず)が登壇。以下、ウィーン国立歌劇場 live at homeの話題について。
●「live at homeでは、現在、1シーズンに45演目のオペラが配信されている。ライブだけではなく、ひとつの演目を3日間にわたって見ることができる。3年前のスタート時からは技術的に大きな進歩を遂げている。たとえば画質も向上し、暗い舞台でもよく見えるようになった。これなら中継のために劇場の照明を変える必要がない。劇場内には7台のカメラを配置している。これは一般のお客さまからはほぼ目に入らないように設置されている。カメラが見えてしまうと興ざめだから。音も立てない。画面は2種類を選べるようになっており、客席から見えるようなトータルビューと、映像演出家によるライブ・カットが用意される。これらはすべて自前のシステムを組んで中継している」
●このサービス、ワタシはまだ体験していないのだが(近々試してみるつもり)、生中継でない場合は「3日間まで見られる」というのが少々わかりにくい。サイト上にある日本語の説明を引用すると「ウィーン国立歌劇場のライブ中継は 72 時間以内に時間差放送されます。ご購入時に、ウィーン現地時間またはお住まいの地域のタイムゾーンに合わせたプライムタイムの中継をお選びいただけます。72 時間以内でのお好みの開始時間を選択してください」とある。つまり、3日間見られるというのは、その間いつでもオンデマンドでアクセスできるようにアーカイブ化されているという意味ではなく、3日間の猶予で時間差配信が可能、ということっぽい(違ってたら教えて!)。質疑応答で「3日間だけじゃなかなか忙しくて見れない人も多いから、もっと長期間アクセスできるようにしてもらえないか」と尋ねたところ、現状では2つの理由で難しいとのこと。ひとつは「権利や出演料の問題」。もうひとつは「オペラのライブではいつでもすべてがうまくいくとは限らない。だからあくまで1回限りのライブとして提供したい」とのこと。後者はもっともな話で、オペラの場合、生の舞台をそのまま配信する際のリスクはオーケストラのコンサートより格段に大きいはず。なお、ライブ中継とは別に、いつでもアクセスできる20~30作品がライブラリ化されているので、そちらはもっと増やしていきたいそう。また、ライブストリーミングといえばベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールという強力な先行事例があるわけだが、ウィーン国立歌劇場はベルリン・フィルともディスカッションをしているのだとか。
●ウィーン国立歌劇場がlive at homeに本腰を入れていることは言葉の端々からも伝わってきて、このサービスによって劇場への来場者を増やし、オペラの新たなファンを獲得したいと述べていた。ウィーン国立歌劇場の場合、来場者の30%が外国人だということなので(7%が日本からなんだとか)、一般の劇場と比べて遠隔地の聴衆にアピールする意味が大きいとはいえるだろう。今回のプレゼンテーションで、彼らは自分たちの劇場についてこんな比喩を使っていた。「1869年生まれの年老いたおばあさんを若返らせる!」。
ニッポン代表vsサウジアラビア代表@ワールドカップ2018最終予選
●これがフットボールだっ!と雄たけびをあげた、試合終了の笛とともに。すばらしい! ニッポン代表、そしてサウジアラビア代表も。審判(シンガポール人)がクリーンでピッチもクリーンで、志の高い相手と戦えば、こんなふうにスリリングなゲームになる。競技性とは別種の不毛な「アジアの高い」ではなくて本物のサッカー。サウジアラビアを率いるのは元オランダ代表監督のファン・マルヴァイク。サウジといえば堅守速攻がお家芸だが、すっかりバージョンアップして、アウェイにもかかわらず高い位置を保って攻めてきた。両サイドの積極的な上がりや、前線からのプレスなど、ぜんぜん中東っぽくないモダンなサッカー。おかげでニッポンのポゼッション・サッカーとしっかり噛み合って、見どころの多い好ゲームになった。
●ニッポンは先日のオマーン戦と同様、ポゼッション重視のスタイル。ハリルホジッチ(さらにその前の短期に終わったアギーレも)が求めてきた今風の縦に速いサッカーよりも、ザッケローニまでのつないで崩すサッカー。代表選手たちの技術の高さに改めて目を見張る。しかも守備がいい。歴代代表の最高水準じゃないかというくらい守れていた。組織的な連動性が高いうえに、局面での一対一の強さでこれだけ勝れるとは。特に原口とか大迫とかドイツに渡ってもまれている選手たちの進化っぷりがすごい。運動量も豊富。なんというか、一歩バージョンを巻き戻してから、そこから別ルートで前に進んだ感がある。
●GK:西川-DF:酒井宏樹、吉田、森重、長友-MF:山口、長谷部-清武(→香川)-FW:久保裕也(→本田)、原口-大迫(→岡崎)。本田、岡崎、香川をそろってベンチスタートさせる大胆な采配。そうなると前線のファイターがいなくなる……と思っていたら、トップに入った大迫が予想外に強い。ポストプレイがうまいし、体を張ってボールを受けるのも上手、守備にもがんばれる。あと、本田の代役は久保裕也。浅野や齋藤ではなく久保というのはフィジカルの強度のバランスを考えてか。しかし久保は前半で退き、本田が出てきたのであった。清武はオマーン戦と同じく絶好調。技術の高さではピカ一。長友が先発に復帰。原口は攻守両面で獅子奮迅の働き。
●前半、ニッポンが攻める割に決定機が少ないといういつもの展開になり、終了間際にようやく清武のゴールで先制。後半も攻めても入らない展開が続き、後半35分にようやく追加点。これは本田、長友、香川の素早いパス交換から原口がフリーになって決めるという華麗なゴール。これで終えられれば最高だったが、後半45分にサウジの波状攻撃をくらって失点。2-1。サウジもニッポンもかなり選手たちがエキサイトしている場面が見られた。最終戦となるアウェイのサウジ戦では相当に苦戦を強いられそう。
●で、だ。試合開始時点でニッポンはグループ3位。背水の陣で迎えたこの試合で勝点3をゲット。これでグループ1位のサウジとニッポンは勝点で並んだ。しかし得失点差ではまだ負けている。グループ2位オーストラリアはアウェイのタイ戦。もちろんオーストラリアは勝つだろうから、結局のところ、ニッポンは勝ってもまだ3位のままではないか……と思っていたら! なななんと、タイ 2-2 オーストラリア! すごすぎる、タイ。なにがあったの? タイは最終予選5試合目にしてようやく初めての勝点ゲット。この番狂わせのおかげで、ニッポンは2位に浮上できた。サウジとニッポンが勝点10、オーストラリアとUAEが勝点9。うーむ。最終予選も折り返し地点まで来て、横一線のデッドヒートが続いている。
BCJのバッハ ロ短調ミサ
●11日は東京オペラシティでバッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのロ短調ミサ。鈴木雅明指揮、朴瑛実、ジョアン・ランのソプラノ、ダミアン・ギヨンのアルト、櫻田亮のテノール、ドミニク・ヴェルナーのバス。ひたすら濃密な時を過ごす。清澄でありつつ気迫のこもった魂のバッハ。やはりこの曲は特別な作品であると改めて実感。以下、つらつらと思うままに。
●あのナチュラルトランペットって、当時はどれくらいの精度で吹けていたんすかね。タイムマシンに乗って確かめるとかそういうんじゃなくて、現実的に確かめる方法はないんだろうか。なにかとんでもないトリックが用意されているミステリーを期待。
●昔からよくバッハの大作で「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ」でどれが好きか、みたいな問いがあるじゃないすか。この回答は自分はずっと迷わず「ロ短調ミサ」。なぜかといえばストーリー性がないから。以前はオペラでもオラトリオでも、ストーリーがあるとそっちにも向き合わなきゃならないからヤだなーという謎心理が働いていたのだが、今にしても思うとやっぱり宗教的なバックボーンの問題というか、「マタイ」や「ヨハネ」であらわになる自分の異教徒性が、ロ短調ミサだとミサ典礼文というあまりに遠すぎて抽象化するしかない世界に覆い隠されるから、なのかも。
●バッハってもっと器楽曲を書いてほしかったなー、とよく思う。平均律クラヴィーア曲集第3巻、第4巻、第5巻……みたいに。組曲や協奏曲ならなお吉かも。ブランデンブルク協奏曲第256番くらいまで行っても歓迎。
●「サンクトゥス」を聴いて、モーツァルトの(それともジュスマイヤーの?)レクイエムの「サンクトゥス」を連想するのはワタシだけなのか。
●全編にわたってスペシャルな曲だけど、あえて好きなところベスト3を選ぶとしたらどこだろうか。冒頭 Kyrie eleison のカッコよさ、Gloria の Cum Sancto Spiritu の輝かしさと高揚感、Agnus Dei の寂寞としたアルトのアリア、だろうか。
ニッポン代表vsオマーン代表@親善試合
●火曜日に行われるワールドカップ最終予選のホームのサウジアラビア戦を前に、金曜日にオマーン代表との親善試合。インターナショナル・マッチ・ウィークにはるばる欧州から選手たちを呼ぶのだから、本番1試合だけで済ませるのはもったいない。選手のテストの場であり、フルメンバーがそろう貴重な興行の場でもあり。そこで中東対策も兼ねてオマーン代表が呼ばれたわけだが、相手チームのテンションは低い。切れ味鋭いカウンターの脅威もなければ、ナーバスな「笛」問題とも無縁の親善試合、ニッポンがほぼ90分間攻め続けて、4対0で勝利した。快適な追い風のもとでのスペクタクル。
●メンバーは新鮮。GK:西川-DF:酒井宏樹、吉田(→森重)、丸山祐市、酒井高徳-MF:永木亮太(→小林祐希)、山口、清武(→久保裕也)-FW:本田(→浅野)、齋藤学(→原口)-大迫(→岡崎)。センターバックに丸山が先発。中盤に永木。左サイドの攻撃はマリノスの齋藤学で、縦に突破するわ、中に切れ込むわで持ち味を存分に発揮した。そしてトップはドイツで好調な大迫。とてもコンディションがいいようで、2ゴール。頼りになるオールラウンダーっぷり。清武はこのなかでは攻撃の中心で、所属チーム(セビリア)でポジションを失っている現状がもったいなさすぎ。一方、同じくミランで居場所を失った本田は、コンディション不良としか思えない出来。交代出場組ではオランダに渡ったビッグマウス小林祐希が代表初ゴール。利き足ではない右足を豪快に振り抜いた。レスターで苦闘中の岡崎は見せ場なし。
●この日のニッポンのサッカーはずっとこれまでのニッポンがやってきた、しっかりとポゼッションしながら相手を崩すサッカー。ハリルホジッチが求めてきた縦に速いサッカーは後退気味。あえて安定度の高い古いバージョンに巻き戻した感もあるのだが、本番のサウジ戦ではどうなるかが気になるところ。本田と岡崎のスタメン落ちを予想したくなるが、このふたりの両方がいなくなるとフィジカルの強いファイターが前線にだれもいなくなってしまう。サウジ相手の大一番にそれはギャンブルか。
ジンマン&N響のグレツキ「悲歌のシンフォニー」
●10日はデーヴィッド・ジンマン指揮NHK交響楽団へ(サントリーホール)。前半にモーツァルトのクラリネット協奏曲(マルティン・フレスト)、後半にグレツキの交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」(ソプラノにヨアンナ・コショウスカ)というプログラム。モーツァルトのクラリネット協奏曲って、オーケストラにオーボエが入らないんすよね。木管はフルートとファゴットのみ。後半のグレツキも変則的な編成で一応4管編成っぽいんだけどオーボエもトランペットも入らない。丸ごとオーボエ出番なしのプログラムはなかなかないのでは。フルートでチューニングする珍しい光景に遭遇。
●モーツァルトは快速テンポでフレストの軽やかなソロ。アンコールはエデン・アベスの「ネイチャーボーイ」という曲で、首席チェロの持続低音ではじまって、クラリネットが声を出しながら吹くといった特殊奏法を披露する。もともとはジャズのスタンダード、なの?
●で、メインは懐かしのグレツキ。90年代前半に世界的に大ブームを引き起こした1976年作曲の交響曲。ポップやロックと並んで全英ヒットチャートの上位に食い込んだ。レコード店のクラシック売り場に「癒しのクラシック」とか「ヒーリングミュージック」とかいう言葉が躍るようになったのもこの頃からだっけ。そのブームとなった「悲歌のシンフォニー」のアルバムを指揮していたのがジンマンその人。録音も含めて全曲通して聴いたのは20年ぶりくらいかも。弦楽器の精妙な響きが美しい。今聴くと、引っかかりを感じるのは歌詞の部分かな。第1楽章のような15世紀の修道院の哀歌はまだしも、第2楽章と第3楽章はすごく重くて厳しい歌詞が付いている。たとえば、ナチス・ドイツ秘密警察の独房の壁に刻み込まれた祈りの言葉。これをポーランド人の作曲家が悲しみの交響曲に仕立てている。第3楽章の詞は民謡由来とはいえ、言葉にして紹介するのもためらわれるほど重く、悲しい。そこに付く音楽があんなにさらさらとスムーズできれいであることに、コマーシャルな要素ばかりを感じて落ち着かないのは、かつての大ヒットの記憶にとらわれすぎているということなのか、どうか。コショウスカの歌唱は、記憶の彼方にあるアップショウの清澄さとは一味違った土の香りを漂わせていた。
インタビュー取材に同行する編集者はICレコーダーを持参するが吉
●ワタシはめったにインタビュー取材の仕事を受けないんだけど、でもたまにするとなったら、いつもICレコーダーを2台、持参するようにしている。メインで使う機種と、なんでもいいから音さえ録れればいいやというバックアップ専用の安価な機種。なぜか。デジタル機器(と、それを扱う自分自身)を信用していないから。確率は低くても、たまに起きるトラブルってあるんすよね。たとえば、インタビューの途中で電池がなくなってしまい、しかもそれに気づかないかもしれない。機械の不具合で途中で録音が止まっているかもしれない(ワタシのICレコーダーは一度故障して、修理に出したことがある)。録音ボタンを押したつもりで、実は押してなかったかもしれない。無事に取材が終わった後でなにをトチ狂ったか録音したばかりのデータを消去してしまうかもしれない。それぞれ確率はすごく低いかもしれないが、長年やっていればそういうトラブルに一度や二度は遭遇しておかしくない。万一、録れたと思ったものが録れていなかったら悲惨なことになる。実際、かつて対談取材でそういう現場にすれちがったことがある。青ざめる編集者。ウッ、ウッ、ワナワナワナワナ……。
●で、だ。そういうインタビュー取材に際して、クライアント側の編集者(担当者)もICレコーダーを持参していて、ささっと並べてくれることも少なくない。これは大正解。基本といってもいい。ぜひとも、依頼主もバックアップ用にICレコーダーを持参するが吉!
●えっ、すでにインタビュアーが2台も並べてるのに、3台目が必要になることなんてあるのかって? いや、それはさすがにないと思うんだけど、可能性として、インタビュアーその人が来ないっていうケースがありうるじゃないすか! 日時や場所をまちがえていたとか、すっかり失念していたとか、寝坊したとか、電車が止まったとか、突発的に自分探しの旅に出たとか。もしそうなった場合、編集者は腹をくくって急遽頭のなかで質問リストを組み立てて、自らインタビュアーになるしかない。そんなときに、ICレコーダーは必要。
J1リーグ戦終了、名古屋グランパスのJ2降格
●まだチャンピオンシップという謎すぎるプレイオフが残っているが、J1のリーグ戦は終了。2ステージ制を無視してトータルの順位を見れば優勝は浦和レッズ。得失点差でも1位。リーグ最少失点。浦和が本当のチャンピオンだ。2位は勝点2の差で川崎。
●で、降格争いは、18位福岡、17位湘南の降格が先に決まり、残り1枠は最終節までもつれ込んだ。名古屋と新潟、ともに最終節で敗れてしまったのだが、得失点差で名古屋の降格が決定。Jリーグ創設からずっと1部リーグにいた名古屋がついにJ2に陥落。ファンは悔しいと思う。リーグ屈指の高い人件費を誇りながら降格するなんて、本来ならありえない事態。なんの監督経験もないかつての名選手がいきなりトップリーグの有力クラブの監督兼GMになって、どうなるのかなあと思ったら、開幕戦に勝っちゃったじゃないすか。序盤を好成績で乗り切ったことでかえって難しくなった面もあったかもしれない。Jリーグも選手時代の名声じゃなくて、指導者としての実力で監督を選ばないと大変なことになるくらいにはレベルが上がって来たということか。
●新潟は今季もJ1に残った。J2からJ1に昇格を果たして以来、一度も降格していないのでは? この規模のクラブでこれだけの残留力があるのは驚異的。
●しかしいつも思うんだけど、毎シーズンのように苦しみながらJ1の下位で戦うのと、昇格の希望を抱きつつJ2の上位で戦うのと、ファンはどっちがハッピーなんすかね。J2だとたくさん勝ち試合に出会えるよ?(悪魔のささやき)。っていうか、J2ってかなり楽しいじゃないすか。十分エキサイティングでレベルも高いわりに、スタジアムの雰囲気もほどほどでよかったりして。選手の立場だったらJ1がいいに決まってるけど、ファンの楽しみとなるとまた話は別って気がする。
柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会 山田和樹が次代につなぐ~ゆく河の流れは絶えずして
●7日はサントリーホールで「柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会 山田和樹が次代につなぐ~ゆく河の流れは絶えずして」。山田和樹が自らプロデュースする公演で、先立って開かれた記者会見の様子を以前に当欄でご紹介している。曲は柴田南雄の「ディアフォニア」、シアターピース「追分節考」、交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」。山田和樹指揮日本フィル、合唱は東京混声合唱団と武蔵野音楽大学、尺八は関一郎。すばらしいコンサートで、自分のなかではほとんど著述家として記憶していた柴田南雄を作曲家として再発見した……と言いたいところなんだけど、もともとこれまで聴いてこなかったので再発見どころか発見そのもの。この日の三作品で作曲家について感じたことを端的にあらわすと、「なんでも書ける」、でも「創作は気恥ずかしい」。
●どれも1970年代の作品なんだけど、前半の2曲はあたかも後半のメインプログラムの「予習」みたいになっている。オーケストラのための「ディアフォニア」ではベルク風に始まって戦後前衛音楽のスタイルを経て、終盤は後期ロマン派風に化けるという多様式ぶりが、シアターピース「追分節考」では客席のあちこちに配置された合唱が歌いながら移動し、指揮者が文字を書いた団扇で指示を出すという演奏形態が、それぞれ後半の交響曲へのイントロダクションも兼ねている。「追分節考」はもう3000回以上演奏されているという、とてつもない作品。数パターンの民謡素材や尺八が空間内に移動する音源となって響きの層を作り出す。実際に会場で聴かないと伝わらない作品。民謡、上手すぎ。特大団扇ラブ。
●で、メインの交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」なんだけど、自伝的交響曲でもあり、音楽史総集編というか、楽章ごとに多様式が大胆に混在する音楽であって、音楽についての音楽、メタ音楽でもある。先日聴いたウィーン国立歌劇場のシュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」がオペラについてのオペラであったことと、まさかのつながりがここでできてしまったわけなんだけど、作曲家は古典派スタイルの曲も書けるし、12音技法でも書けるし、後期ロマン派風にも書けるとなったときに、じゃあそれをそのまま作品として書けるかといえば書けない。創ることは恥ずかしすぎて、耐えられない(きっと)。だから書くことについて書く。音楽についての音楽を創る。それだったら作品は作者の厳しい批評眼に耐えられる。「追分節考」だって「考」って付いちゃうじゃないすか。「創る」は気恥ずかしいけど、「考える」は恥ずかしくない。
●そこで「えいやっ!」って開き直って美しすぎる音楽を書いたほうが、後世に聴かれるような音楽になるのかなー、なんてこともふと思う。創作とは開き直り、かも。でもそこで開き直らないで、メタ化するほうが圧倒的に共感できるのも真実。もうメタメタに。
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団のブルックナー
●4日は東京オペラシティでブロムシュテット指揮バンベルク交響楽団。当初、ベートーヴェンの「エグモント」序曲とブルックナーの交響曲第7番という少し短めのプログラムで発表されていたのが、直前になって「エグモント」序曲ではなくモーツァルトの交響曲第34番ハ長調に変更されることに。長さとしては標準的なコンサートになったわけだが、第34番という秀作なんだけどありきたりではない選曲が吉。
●で、バンベルク交響楽団、モーツァルトの最初の一音が鳴った瞬間から「あー、なんて美しい音のオーケストラなの」とノックアウトされる。ブルックナーも頭のトレモロからそう。たしかにドイツ的な重厚な響きではあるんだけど、音はむしろ明るくて、みずみずしいといってもいいくらい。この弦楽器の響きの質感と来たら、なめらかでコクがあってキレがある……ってそれじゃビールの宣伝だ。いやしかし弦だけじゃなくて柔らかい木管も、バリバリ鳴るのに濁った感じのしない金管も。夾雑物のない清澄荘厳なブルックナー。昨年くらいにブルックナーの7番を自分で勝手にシリーズ化して聴き比べていたのだが(やたらと演奏されるので)、なんだかもう新規性とか作品観の更新とかどうでもよくなる。このままいつまでも終わらないでほしいと願いながら聴いた。自分にはこれ以上美しいブルックナーを想像できない。
●曲が終わった瞬間、一呼吸置いてから客席が盛大に沸いた。ブロムシュテットのソロ・カーテンコールは2回も。
●ブロムシュテット、89歳なんすよ。今回のアジアツアー、10月26日、27日とソウル公演で、中一日で日本公演が29日、30日、中一日で11月1日、2日、3日、4日、5日と公演が続いた。微塵も疲れを感じさせない。菜食主義だから壮健なんて話じゃないと思うんだけど、いったいどうなってるんでしょ。
エンリコ・オノフリ バロック・ヴァイオリン・リサイタル 哀しみと情熱のはざまで
●名古屋グランパスのJ2降格という衝撃的な結果に驚きつつ、コンサートを振り返る。1日は東京文化会館小ホールでバロック・ヴァイオリンのエンリコ・オノフリ・リサイタル。今回の来日は静岡、兵庫、東京、京都の各都市で公演が行われるうえに、東京の会場も文化会館小ホール。しっかり客席が埋まっていて、人気の広がりを感じる。オノフリに加えて、杉田せつ子(ヴァイオリン)、リッカルド・ドーニ(チェンバロ)、桒形亜樹子(オルガン)、懸田貴嗣(チェロ)のメンバー。
●プログラム前半がなじみの薄いイタリア・バロックで、マリーニの2つのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ「ラ・モニカ」、メアッリの教会または室内のためのソナタop3「ラ・チェスタ」、カルダーラの室内ソナタ ニ短調op2-1、ヴェラチーニのソナタ・アッカデミカ ト短調op2-5、後半は大作曲家たちのバロック名曲集でヘンデルのトリオ・ソナタ ト短調op2-6、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番から「シャコンヌ」、コレッリの合奏協奏曲op6の第4番ニ長調。前半ではヴェラチーニが楽しい。冒頭から大胆でドラマティック。曲名にはアカデミックとあるけど、聴くとエキサイティング。後半は「シャコンヌ」が印象的。同時期にリリースされたオノフリの無伴奏バッハのCDにも収録されていて、先にそちらを耳にしてはいたのだけど、オノフリはこのシャコンヌをバッハが最初の妻マリア・バルバラへの追悼曲として書いたものであるという既存の学説に立脚し、作品に喪失感や虚無感を読み取っている。どんな演奏スタイルであれこの曲から悲しみを感じるのは容易だとは思うが、高速テンポで鋭く短い言葉を吐き出すような冒頭部分はとても痛切に響く。一方で速さそのものが呼び起こすスリリングな興奮もまちがいなくあって、喪失の悲しみと名技性の併存が味わい深いところ。最後のコレッリでは一転して喜びが爆発する。爽快。アンコールにビーバー他。
●公演の翌日、オーケストラ・アンサンブル金沢からの依頼でオノフリのインタビュー。年明け1月にオノフリ指揮で金沢、富山、大阪、東京の4都市で公演を行なうので、その前宣伝用の取材。記事は石川県立音楽堂&OEKの情報誌「カデンツァ」に掲載される。
東京・春・音楽祭2017 概要発表会
●少し遡って、10月24日は「東京・春・音楽祭」2017の概要発表会。場所は東京文化会館の大会議室。この前の時間帯に大ホールでNBSのウィーン国立歌劇場記者会見があったのだが、そこからマレク・ヤノフスキが移動してこちらの会見に連続登壇。写真はマエストロと鈴木幸一実行委員長。会見場には多数のプレスが詰めかけていた。
●で、来年の「東京・春・音楽祭」は3月16日からの一か月にわたって開催される。有料公演と無料公演を合わせて計約150公演。回を重ねるごとに公演内容も充実度を増し、しっかりと春の上野の風物詩として定着した感がある。会場は例年同様、東京文化会館をはじめ、国立科学博物館や東京都美術館など、上野に集まる多数の文化施設。最大の目玉公演はヤノフスキ指揮N響のワーグナー・シリーズで、いよいよ「神々の黄昏」が演奏会形式で上演される。
●鈴木幸一実行委員長「上野という志の高い文化ゾーンでこの音楽祭を開催し、年々少しずつ形になって来た。当初より公的資金の助けを受けない形で続けており、数十社の協賛を受けることができた。来年は『神々の黄昏』がとりあげられる。たまたまバイロイトでヤノフスキさんが指揮する『神々の黄昏』を聴いたが、ヒュージ・サクセスで大きな話題となった。音楽には形がなく、聴いている人々の記憶にしか残らない。その意味では人生にとても近いもの。一年一年、積み重ねていきたい」
●ヤノフスキ「来年は『ニーベルングの指環』シリーズが完結する。またN響と共演できることは大きな喜びだ。N響は80~90年代に指揮したときからクォリティを持ったオーケストラだと思っていた。これまでの3年を振り返ってみると、芸術性の高い公演を実現できており、非常に満足している。演奏会形式である点にも魅力を感じている。舞台奥にスクリーンを設置して、演奏の妨げとならないような映像を投影するという上演方法はすばらしい解決策だと思う。欧州での舞台上演と比較しても、とてもすばらしい公演になると思っている」
●ヤノフスキはその前のウィーン国立歌劇場の会見で、近年の演出ありきのオペラに批判的な言葉を述べていたばかりなので、続けて聞いていると、話がちゃんとつながっている。
●音楽祭全体の概要についても発表された。目立ったところを挙げておくと、「合唱の芸術シリーズ」では、ウルフ・シルマー指揮の東京都交響楽団と東京オペラシンガーズがシューベルトのミサ曲第6番ほかを演奏。歌曲シリーズはバリトンのマルクス・アイヒェ、メゾソプラノのエリーザベト・クールマン。
●公演数が多すぎて紹介しきれないのだが、この音楽祭は2つのレイヤーから構成されているなといつも感じる。片方に「ワーグナー・シリーズ」とか「合唱の芸術シリーズ」といった大型公演があり、もう片方にミュージアム・コンサートとかディスカヴァリー・シリーズとかマラソン・コンサートとか、ぐっと親密な雰囲気の企画性の高い公演がたくさんある。上野の街の音楽祭というカラーが定着しているのも、後者が充実しているからこそ。
ANA 機内オーディオプログラム「旅するクラシック」
●お知らせをひとつ。11月1日よりスタートするANAの機内オーディオプログラム「旅するクラシック」で、構成を担当させていただいている。月替わりの番組で、パーソナリティは松尾依里佳さん。松尾さんは朝日放送「探偵!ナイトスクープ」三代目秘書として絶賛出演中のヴァイオリニスト。ANAの飛行機に乗らなきゃ聴けないのだが、もしチャンスがあれば空の旅のお供としてぜひ! 松尾さんのエレガントで柔らかな語り口に癒されます。
●番組テーマ曲はイベールの「モーツァルトへのオマージュ」。オープニングテーマって、キャッチーで華やかで、でも演奏会ではあまり耳にしない曲がいいと思っている。耳タコになって、曲が擦り切れてしまうのを避けるために。
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●さて、当サイトのサーバーを移転して一週間ほど経った(参照:サーバー移転顛末記)。一応、新旧のサーバーへのアクセスを確かめてみたところ、まだ2%くらいの人が旧サーバーのほうにアクセスしているっぽい。うーん、これはどうしたものか。旧サーバーに行っちゃう人はサイトの更新がパタリと途絶えたように見えていることになる。かといって、こっちに来てよって伝えようにもアドレスは同じだからなー。DNSのキャッシュってそんなに残るものなの?