●今日が仕事納めという方が多かっただろうか。当ブログも年末年始モードに入るので、しばらく随時更新で。で、見た、映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」。これはっ! スター・ウォーズ本編ではなくスピンオフ作品ということで、それほど期待が大きくはなかったのだが、いやいや、ぜんぜんおもしろい。ていうか、エピソード4(初代第1作)の焼き直し的な要素が強すぎた近作「スター・ウォーズ エピソード7」より、こっちのほうが断然好き。ファンは見るしか。
●この「ローグ・ワン」で語られるのは、エピソード4の前日譚。エピソード4ではデススターの設計図がレイア姫からもたらされるわけだけど、その経緯が描かれている。つまり、冒頭の「遠い昔、遥か彼方の銀河系で……」と語られるテロップの部分が、一作の映画になっている。そして「ローグ・ワン」のラストシーンは、エピソード4の10分前なんだとか。すごいよ、これ見終わったら、すぐに40年前に作られた続編を見れるんだから!
●で、スピンオフだからなにかと風通しがいいんすよ。だって登場人物はほぼ全キャラが初登場。監督はギャレス・エドワーズ。音楽はマイケル・ジアッキノで、ジョン・ウィリアムズではない(が、そのテイストを十分にリスペクトしている)。映像はCGを活用しつつも初代3部作の手触りを残す。で、以下、決定的なネタバレはしないけど、いくらか本編に触れてしまうのでご容赦を。なにも知らずにこれから見たい方は、また今度!
●で、この「ローグ・ワン」って、ストーリーを知らなくても結末は知っているというタイプの話なんすよね。最後は必ずデススターの設計図が反乱軍の手に届けられるんだけど、そこに至る犠牲は大きい。帝国とダースベイダー(少ししか出てこないけど、存在感は強烈)は絶頂期。だから、見ていて「この人はエピソード4に出てこないから、たぶん、生き残れない。この人はエピソード4に出てくるから確実に生き残る……」とか、わかるわけだ。これってなんだか大河ドラマっぽい。ていうか、この話自体が「真田丸」だと思うんすよね。ローグワンって真田十勇士だし、最後にヒーロー役とヒロイン役が手を取り合う場面はどう見ても信繁ときりって感じだ。
●あと、ターキン総督役のピーター・カッシング。生きている。役者はとっくに亡くなっているのに、「ローグ・ワン」では生きている。息子なの? いやいや、CGなのか。別の役者の演技にCGをかぶせているそうだが、ここまでできてしまうとは。同じような驚きが最後にもう一度あるわけだが、これに比べればささいなもの。
●帰宅したら、レイア姫役のキャリー・フィッシャーの訃報が。浮き沈みの激しい人生だったと伝えられるが、60歳とはあまりに若すぎる。すでにエピソード8の出演場面の撮影は済んでいるという。来年、スクリーンで目にする際はずいぶん複雑な気分になるにちがいない。
●予告編を置いておこう。
2016年12月アーカイブ
映画「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」
アヌ・タリ指揮東京フィルの「第九」
●22日は東京オペラシティでアヌ・タリ指揮東京フィルの「第九」へ。合唱は東京オペラシンガーズ、小川里美、向野由美子、宮里直樹、上江隼人の独唱陣。アヌ・タリは久々の来日だろうか? 以前、話題になったときに(聴いていないんだけど)「指揮界のジャンヌ・ダルク」という秀逸なキャッチがあったのを思い出す。若くて勢いのある女性指揮者っていうことだったんだろうけど、なんだか火刑に処されそう。そんなアヌ・タリが歳月と経験を重ねて「第九」で登場。小柄でほっそりしていて、風貌は今も若々しい。心持ち早めのテンポで進む、整然としたベートーヴェン。響きはクリアで明快。熱量よりも造形の美しさに魅せられる「第九」だった。
●今年のコンサートはたぶんこれで聴き収め。今年も「モーストリー・クラシック」最新号に「2016年回顧 ベスト・コンサート編」を寄稿している。たまたまだけど、オペラとオーケストラなど、大型公演ばかりのリストになってしまった……。「ベストCD&DVD編」と合わせて、ほかの選者の方々のチョイスを読むのが楽しい。
NHK大河ドラマ「真田丸」
●ついに「真田丸」が最終回かあ……と、ようやく録画で追いつく。生まれて初めて最初から最後まで大河ドラマを見たかもしれない。この続きがないとは残念すぎる。来年も「真田丸」をやればいいのになー。
●見ている間、ずっと気になっていたのが、どこまで史実通りでなければいけないのか、という点。ワタシは日本史にきわめて疎いので、ほとんど「ネタバレ」せずに話を楽しんでいたのだが、そんな自分でも徳川家康は絶対に死なないだろうっていうのは薄々わかってた。こいつはどんなにピンチの場面でも必ず生き残る……いや、そうなのか、それでいいのか? 家康が死んで徳川家が早々に滅ぶという展開があってもいいんじゃないか。一回、家康が暗殺されるシーンがあったじゃないすか(影武者だった)。あれは自分みたいな人間へのメッセージにちがいない。この話、ここで家康がやられたほうが俄然おもしろくなる、でもそうはいかないのだという。
●大河ドラマって、どこまで現代に近づいても大河ドラマになりうるんだろう……と疑問に思ってたら、2019年の大河では1964年東京オリンピック実現までの半世紀が描かれるのだとか。じゃあ、過去は? 旧石器時代を舞台にした大河ドラマとかないんだろか。洞窟壁画師が宿敵のマンモスと戦うみたいな感じのヤツとか(←かなり適当な想像)。
●信濃川とか利根川を主役にした大河ドラマがあってもいいと思う。大河についての大河ドラマで、メタ大河ドラマでどうか。
「バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る」(アルテスパブリッシング)
●「バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る」(アルテスパブリッシング)を読んでいる。渡邊順生さんによるビルスマへのインタビューを加藤拓未さんが訳し、まとめた一冊。抜群におもしろい。アムステルダムのビルスマの自宅を訪れて一週間にわたるインタビューを敢行したものだが、インタビューで一冊の本が出来上がるほどのことを語れる音楽家は決して多くないはず。ビルスマが語る音楽論、演奏論の内容の濃密さに加えて、彼のオープンでユーモアを忘れない人柄があってこそ実現した本だと思う。未発表ライブCD付き。
●第1部「音楽活動、仲間たち、そして人生」では、ビルスマがこれまでの音楽活動が振り返る。キャリアの初期の話や、ブリュッヘン、レオンハルトらとの出会いなど、とても興味深い。ビルスマって、最初は歌劇場のオーケストラで弾いていたんすよね。今にして思うとオペラでピットに入っているビルスマというのも想像がつかないが、ネーデルラント歌劇場管弦楽団に入団して、チェロ奏者を務めた。まちがって飛び出して弾きそうになったときに先輩奏者が腕をつかんで止めてくれた話とか、「ローエングリン」を弾きに歌劇場に行ったらだれもいなくて、その日の公演はアムステルダムじゃなくてユトレヒトだったから慌てて電車に乗ったとか、そんなおかしな話も披露されている。そこから「偶然で」コンクールに優勝し、コンセルトヘボウ管弦楽団に移籍して首席奏者を務めて、傍目には理想のキャリアとも思える道を歩むんだけど、ビルスマによれば「音楽的な観点から言えば、コンセルトヘボウで弾くことは弦楽器奏者にとって、特におもしろい仕事とは思わないね。なぜなら、われわれは『個人主義者』だから」。指揮者についてはフルトヴェングラーを好み、ブーレーズへの好印象も述べられている。あと、「キャリアを気にするあまり、人生を不幸にしている人たちが大勢いる」っていう一言にも考えさせられる。
●結局、ビルスマは6年間でコンセルトヘボウに「飽きて」退団して、バロック・チェロに出会い、ブリュッヘンやレオンハルトらとの活動が本格的にスタートする。伝説の始まりだ。ビルスマの語り口がよくわかるエピソードとしては、70年代にアムステルダム音楽院で教えていた頃、同僚の権威主義的な教授と交わしたこんな会話がある。
ある日、そのフランス人の同僚から「ビルスマ門下の学生は、なぜ、そんなみすぼらしいガット弦なんか使っているんですか?」と聞かれたんだ。そこで、私は待ってましたとばかり、「それはスティール弦が、時代遅れだからです」と答えたよ(笑)。その答えを聞いて、きっと彼は「こいつは頭がおかしい」と思っただろうけどね。
●第2章では楽器について、第3章ではバッハ「無伴奏チェロ組曲」の奏法について、具体的な話が軸となる。ボウイングの原則や、個別の曲の演奏上の問題点など実践的。第2章で目をひいたのは、ビルスマのアンナ・マクダレーナの写本に対する視点。彼はこの写本をきわめて正確で、バッハの意図に忠実なものと解し、高く評価している。「アンナ・マクダレーナの筆写譜は出来が悪いと言われていて、レオンハルトでさえもそう言っているんだけど、これにかんしては彼がまちがっていると思うね」。アンナ・マクダレーナをバッハの「奇跡的なほどにすばらしいパートナーだった」と語るビルスマの考え方、その筋道のところが刺激的だ。
フルシャ&都響のマルティヌーとショスタコーヴィチ
●19日は東京文化会館でヤクブ・フルシャ指揮東京都交響楽団。マルティヌーの交響曲第5番のショスタコーヴィチの交響曲第10番というダブル交響曲プログラム。ショスタコーヴィチの交響曲第10番は今シーズンの在京オケでは大人気で、9月にロジェストヴェンスキー指揮読響、10月にノット指揮東響があって、2月にはパーヴォ・ヤルヴィ指揮N響も控えている。どうしちゃったんでしょう。単に偶然?
●ショスタコーヴィチの第10番は強靭で精密。熱量も高くスリリングだった。そんなに鳴らさなくてもと思うほど。ヤクブ・振る者、恐るべし。
●で、お目当てはマルティヌーのほう。近年、フルシャ&都響やアルミンク&新日フィルで聴いた交響曲第3番と第4番はいずれも独自の魅力にあふれた作品だった。自分のなかでは、風変わりなんだけど先鋭ではなく、でも新鮮で、精彩に富んでいるという位置づけ。交響曲第5番にも同様のテイストを期待したが、手触りは少し違っていたかもしれない。多作家のマルティヌーだが交響曲は短期間に集中して書かれていて、1942年、51歳でようやく交響曲第1番を書いたかと思うと、その後は年に1作のペースで次々と交響曲を書きあげ、交響曲第5番は1946年の作曲。新古典主義的な作風に時代を反映したペシミズムがうっすら重なるという点では、つい先日デュトワ&N響で聴いたオネゲルの交響曲第2番(1942年初演)とつながらなくもない。ただ、第3番と第4番に比べると、民族的色彩が薄いというか、ベタなノリを思いとどまって踏ん切りがついていないというか、ひねりだした「労作」という感も。凝ったリズムのおもしろさがある一方、終楽章の執拗なリズムの反復はベートーヴェンの第7番を想起させる力技。
●来年、フルシャと都響はマルティヌーの交響曲第2番、第1番を演奏してくれるそう。録音で少しだけ聴いた感触としては、この両曲はかなり楽しそうな予感。
FIFAクラブワールドカップで鹿島が準優勝
●トヨタカップから名称と大会方式を変更して以来、すっかりノーマークだったFIFAクラブワールドカップ。トヨタカップ時代はなんどか国立競技場(もうなくなった)に足を運んで感激したものだったけど、世界中からすぐれた選手がこぞって欧州に集まるようになった現在、なんのための大会なんだかさっぱりわからなくなったうえに、6大陸の選手権王者が戦うといいながら欧州vs南米の決勝を予定調和的に期待する日程にも萎える。でも、今年は特別な大会になった。いくら奇妙な大会であっても、鹿島アントラーズの大健闘は称えられるべき。
●実は決勝の対戦カードが鹿島対レアルマドリッドに決まっても試合の録画すらしていなかったのだが(だって鹿島はヨソのクラブだし)、リアルタイムで「鹿島が勝つかも!」みたいな騒ぎをSNS経由で察知して、あわてて終盤だけ試合を見た。そしたら、スマン、テレビをつけた途端にそれまで大健闘をくりひろげていた鹿島が見る見るうちに調子を落として、レアルマドリッドにコテンパンにやられてしまったのではないの。あちゃー、これってワタシが見なかったら鹿島が世界一になってたんじゃないの?(んなわけない)。
●ゴールは序盤にベンゼマ、前半と後半に柴崎が2ゴール、その後クリスチャーノ・ロナウドがPKで同点ゴールを決め、90分で2対2。延長に入ると、鹿島が力尽きてクリスチャーノ・ロナウドがさらに2ゴールを奪ってレアルが4対2で勝利した。ハイライトシーンはFIFA TVで公開されている。個人の力でもぎ取った柴崎の2ゴール目が見事。
●鹿島が健闘したのを見て、なにを思うかといえば、「うらやましい」の一語に尽きるかな。鹿島はJリーグの代表でもあるしチャレンジャーの立場だから応援したいと思うんだけど、一方でやっぱりニッポン代表とは違うので、マリノス視点から見たらライバルなんすよね。だから悔しい。端的に言って、あそこで戦っているのがマリノスだったらどんなに胸が熱くなったか。でも鹿島はJリーグのプレイオフに勝って、さらにこの大会でも3連勝して勝ち上がって、この決勝まで到達した。ひるがえってマリノスはJリーグの10位の平凡な順位のチームだ。うっ、ううっ。
●あ、さっきまでは鹿島が偉いっていう気持ちが100%だったのに、だんだん悔しくなってきたぞ。
●今回の鹿島は開催国枠での出場で、アジア・チャンピオンとして参加したのは韓国の全北現代。2017年と2018年の大会はUAEで開催されるということなので、日本のクラブはアジア王者にならないかぎり出場できない(本来そういう大会だ)。2019年以降は中国開催という見通しもある模様。近年、アジア王者を決めるAFCチャンピオンズリーグではJリーグ勢は苦戦している。特に広州恒大のような経済力のある中国のクラブがアジアのビッグクラブ化しつつあることを考えると、今後この大会に日本のクラブが出場する機会はめったに訪れないはず。今回の鹿島の決勝進出はJリーグの伝説になるのかも。
デュトワ指揮N響のオネゲル、ラヴェル
●今、渋谷からNHKホールへ向かうと、途中からこんなピカピカの青のトンネルが出迎えてくれる。幻想的というには彩度が高く、超現実的な光景。みんながスマホで撮影しているので、つい自分も写したくなってしまった。
●で、16日はデュトワ指揮N響のもりだくさんプロ。前半にブリテンの「ピーター・グライムズ」より「4つの海の間奏曲」、ヴァディム・レーピンの独奏でプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番とラヴェルのツィガーヌ、後半にオネゲルの交響曲第2番、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ブリテン「4つの海の間奏曲」は最近演奏される機会が多いような? くっきりとピントがあったような高精度、そして鋭く暗い響きによる孤独な海の音楽。オネゲルはたぶん生で聴いたのは初めてだけど、こんなにカッコいい曲だったとは。弦楽合奏+トランペット1本(出番は最後だけ)という変則的な編成。ペシミスティックな曲想と擬バロック的な外観との組合せがおもしろい。終楽章のくらくらとするような立体感やトランペットが加わっての感動的なコラールなど聴きどころ満載。最後の「ラ・ヴァルス」も目から鱗。隠微で幻想的というよりは、むしろシャープで明快な、線画で描いたようなワルツの情景。低弦の迫力もすごい。クライマックスは輝かしく、壮絶だった。
●帰り道、この青いトンネルはなんなのかなーと思って検索してみたら、「青の洞窟 SHIBUYA」なるイルミネーションイベントで、正月まで続くのだとか。大晦日はオールナイトで点灯する。とてもじゃないがそんな日に夜の渋谷を歩く勇気はないけれど。
サッカー中継もネット配信時代に?
●予想されていたことではあるんだけど、スカパーから来季よりJリーグの放送をしないと発表があった。代わって英国パフォーム・グループがJリーグの放映権を獲得し、動画配信サービス DAZN でJ1からJ3まで全試合を生中継する。Jリーグからの発表に「有料ライブ放映はDAZNのみの放映となります」と明言されているので、これでもう決まり。月額1750円+税で、Jリーグ、ブンデスリーガ、セリエAから、野球、バスケットボール、F1、テニス、ラグビー、ダーツまで見せてくれるというのだが、果たしてクォリティはどうなることやら。安定性とかインターフェイス、画質や実況の質とかいろいろ気になるのだが、他の選択肢がないのだから見たいならここと契約するしかない。
●しかしDAZNではプレミアリーグやスペインリーグは見られないわけだ。で、そこをカバーしてくれるのがスポナビライブ。こちらもサッカー以外にプロ野球やMLB、大相撲なんかを配信してくれる。
●で、この両方を契約すればネットだけで済むかといえば、最強のコンテンツであるチャンピオンズリーグがない。そちらはスカパー頼みということになるんだろうか。うーん、煩雑だ。テレビにはテレビの簡便さとか安定性があるので(テレビはそうそう「再起動しろ」とか言ってこない)、サッカー中継に関しては音楽配信ほどにはネット移行に積極的になれていないのだが、そろそろどうにかすべきか。もっとも、どんなに大量のコンテンツが提供されたところで、見られる時間が増えるわけではないのだが……。
笈田ヨシ演出の「蝶々夫人」が金沢、大阪、高崎、東京の四都市で開催
●2017年の1月から2月にかけて、笈田ヨシ演出によるプッチーニ「蝶々夫人」が金沢、大阪、高崎、東京の四都市で開催される。金沢歌劇座、東京芸術劇場他による全国共同制作プロジェクトで、同じプロダクション、同じ指揮者で各都市を巡るが、オーケストラと合唱団はそれぞれ各地で異なるという方式。金沢はOEK、大阪は大フィル、高崎は群響、東京は読響が演奏を務める。歌手も共通だが題名役は中嶋彰子さん、小川里美さんのダブルキャスト。12月13日、東京芸術劇場で記者懇談会が開かれた。写真は高崎のダルマに片目を入れる笈田ヨシ(演出)と、後列左から中嶋彰子(蝶々夫人)、ミヒャエル・バルケ(指揮)、ロレンツォ・デカーロ(ピンカートン)、サラ・マクドナルド(ケイト・ピンカートン)、小川里美(蝶々夫人)、鳥木弥生(スズキ)、晴雅彦(ゴロー)の各氏。
●日本を代表する演劇人であり、長年パリを拠点にヨーロッパで活躍する笈田ヨシさんが、日本で初めてオペラを演出する。「蝶々夫人」は今年2月にもスウェーデンのエーテボリ歌劇場で演出しているそうだが、今回はこのプロジェクトのための新演出。日本で演出を引き受けるにあたっては、ヨーロッパでともに仕事をしてきた舞台美術、照明、衣裳デザイナーも招いて国際色豊かなチームが組まれている。
●笈田さん「日本でやる、というより、いつもと同じようにやりたい。僕はオペラを見ると寝ちゃうんです。でも僕が演出するときは、音楽に詳しくない人でも眠くならないようなオペラを作りたい。退屈しない、おもしろいものを描きたい。プッチーニのこの作品では異国趣味が重要な要素。しかし、これは日本で上演する際には意味がない。その代わり、今の日本人が見て意味のあるもの、人間の真実、日本人の心持ち、アメリカ人の心持ちを表現したい」
●指揮のミヒャエル・バルケはドイツ生まれ。イタリア・オペラも含め、オペラで多数の実績を積む若手。日本デビューは2015年に東京と金沢で行なわれた共同制作オペラ「メリーウィドウ」。「蝶々夫人を日本で上演することには特別な意味がある。プッチーニは日本をよく研究していると感じる」「笈田さんの演出はすごく音楽的で、自然。これまで30人くらいの演出家と仕事をしてきたが、笈田さんは最高の演出家だと思う」
●なおバルケさんによると、「蝶々夫人」には5つの出版されたバージョンがあるが、今回はブレシア再演版を一部用いるのだとか。一般的な版との大きな違いはケイトがクローズアップされているところだという。
●1月22日の金沢歌劇座でスタート、おしまいが東京芸術劇場で2月18日と19日。
ポゴレリッチとカエターニ指揮読響のラフマニノフ
●13日はサントリーホールでオレグ・カエターニ指揮読響。前半にムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編)のオペラ「ホヴァンシチナ」から「ペルシャの女奴隷たちの踊り」、ボロディンの交響曲第2番、後半にイーヴォ・ポゴレリッチのソロでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番というロシア・プログラム。開演前、ステージ下手奥に置かれたピアノをポロポロと弾くニット帽の大柄な男性あり。いつものポゴレリッチの儀式が始まっている。リサイタルだけじゃなくて、オーケストラのコンサートでもやるんだ、出番は後半だけど……。ステージ上で音出しをする楽員が増えてくると、いつの間にかポゴレリッチは姿を消していた。普通だったら前半だけでも大いに聴きもの。ボロディンが次々と気前よく繰り出す民族色豊かなメロディ、カエターニの棒のもと引きしまったサウンドを聴かせるオーケストラ。ただ、後半のインパクトがあまりに大きかった。
●ポゴレリッチの協奏曲といえば、LFJで聴かせてくれたショパンのピアノ協奏曲第2番の怪演が忘れられないが、あそこまで特異なテンポ設定(主に超スローテンポ)ではないにしても、よく似た光景に出会うことになった。譜めくりを従えて楽譜を片手に悠然と舞台に登場し、ラフマニノフを弾き始める。冒頭からして強弱や音色の変化を大きく付けたまったく独特の演奏。全体に強い音はより強く、弱い音はより弱く、遅いところはより遅くという強いコントラストのなかで、細部まで入念に表情が添えられたラフマニノフ。あの極端なダイナミクスは打鍵の強靭さあってこそ。自在のソロに対して、指揮とオーケストラは献身的。エクストリーム・ラフマニノフ、エクストリーム・ショパン、エクストリーム・リスト、エクストリーム・シューマン……。ポゴレリッチだけの領域。
●後半が始まった時点でまだ20時。普通だったらずいぶん早く終演するところだが、そうはならなかった。喝采にこたえ、アンコールで第2楽章をもう一度(LFJでもそうだったっけ。当時のブログ隊記事参照)。弾き終わった後に、「もうおしまい」と言わんばかりに足で椅子をピアノの下に片づけるいつものポーズ。四方の客席に向かって、それぞれ深々とお辞儀をして悠然とステージを去った。
ノット&東響の「コジ・ファン・トゥッテ」
●11日は東京芸術劇場でジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」(演奏会形式)。N響「カルメン」に続いて、またも演奏会形式のオペラ。そしてこれもまた強力キャスト。演技あり。ステージ上のオーケストラの前に机と椅子を置いて、グラスなど簡単な小道具も使用。フィオルディリージにヴィクトリヤ・カミンスカイテ、グリエルモにマルクス・ウェルバ、フェルランドにアレック・シュレイダー、ドラベッラにマイテ・ボーモン、デスピーナにヴァレンティナ・ファルカス。ドン・アルフォンソは大ベテランのトーマス・アレンで舞台監修も兼ねる。舞台上の要でありながら、だれよりもリラックスして見える。レチタティーヴォではノットがハンマーフリューゲルも弾く。今はあんまりそんなイメージはないけど、もともとはオペラハウス育ちの人だったんだっけ。オーケストラは小ぶりな編成で軽快。自分の知ってる「コジ・ファン・トゥッテ」より長かった気がする。
●代役で呼ばれたんだけど、フェルランドのアレック・シュレイダーって、METのオーディション映画 The Audition に出演してた人じゃないすか。「連隊の娘」のハイCを連発してたあの若者を、ついに実際の舞台で聴くことになるとは。同じ映画に出演していたアンジェラ・ミードもパーヴォ&N響の「千人の交響曲」に出演してたっけ。こうして新しい才能がどんどん世界を飛び回るようになるのだなあ、と感慨。
●オーケストラも歌も演技もみんな充実していて、それゆえに作品に引き込まれて改めて感じるのだが、このオペラ、音楽は最強だけど、ストーリーはほんとにどうしようもない。いや、テーマはいいんすよ、恋人同士が相手を交換するというのは。モーツァルトのなかでもっとも現代的なくらい。でもプロットがひどい。恨むよ、ダ・ポンテ……。なにがダメか。そりゃ決まってる。なぜグリエルモもフェルランドもデスピーナも、お前はシャーロック・ホームズかってくらい変装が巧みなのか。「それを言ったらオペラは成立しない。オペラの定型のひとつとして変装モノがあるわけで……」とか、物わかりのいいことを言って納得する気にはなれない。おかしいじゃん、アルバニア人とかニセ医者とかに変装してバレないなんて。「オペラは見たままに理解する」キャンペーン絶賛開催中。
●で、これに関しては、たとえばかつてのジャン=ピエール・ポネルの演出では、序盤で変装が見破られているという見せ方が採用されていた。つまり、正体はとっくにバレてるんだけど、それを承知の上で恋人を交換するという大人のゲームなんだ、という演出。これは正解ルートのひとつって感じで腑に落ちる。でもそれはもう20年くらい前の演出だから、今だったらポネル案を一歩進めておいて、自分の基本理解はこう。恋人たちはもともと相手のパートナーのほうに興味津々で、交換したくてしょうがなかった。だからドン・アルフォンソとデスピーナを利用して、交換する口実を作った。それが「コジ・ファン・トゥッテ」という物語である、と。えっ、それだと細かいところで整合性が取れない? 整合性なんてもともとの台本からさっぱり取れてないよっ!
●もう「自由になんにでも変身できる宇宙人」みたいな突飛な存在を仮定しないと、この話の整合性は取れないから。変身怪獣グリエルモ、とか。なんかウルトラ怪獣にいそうな名前だし。
●で、この後、4人の恋人たちがどうなるのか、元の鞘に収まるのか、交換するのかっていう話だが、だいたいこういう調子に乗ったおふざけをすると、翌日にフェルランドとグリエルモのもとに本物の命令が届いて出征することになるというのがこの手の話のお約束だ。で、フィオルディリージとドラベッラはもう一回恋人たちとの別れを嘆くことになるのだが、どこまで泣いていいのかわからない。そして、男たちが去った後、姉妹はぽつんと取り残され、空想上のすてきアルバニア人たちの訪れを待つが、もちろん、そんな男たちは来ない。がらんとした部屋で寂しく時が過ぎる。
デュトワ&N響の「カルメン」
●9日はNHKホールでデュトワ&N響のビゼー「カルメン」(演奏会形式)。時間が立つのがあっという間に感じられるおもしろさ。演奏会形式といえども独唱陣の演技が達者だったのと、主要キャストが視覚的にも役柄に完璧に合っていたこともあって、並の舞台よりよっぽど真に迫る「カルメン」だった。ケイト・アルドリッチのカルメン、マルセロ・プエンテのドン・ホセ、シルヴィア・シュヴァルツのミカエラ、イルデブランド・ダルカンジェロのエスカミーリョ。みんな歌も演技もすばらしい。カーテンコールの一番人気はミカエラか。ケイト・アルドリッチのカルメンは華やかでいかにもカルメン。オーケストラは通常のオペラ公演ではまず出会えないような精緻さ。独唱陣のかなり劇場寄りの雰囲気に対して、合唱は直立不動でオラトリオでも歌うみたいなムードで、この落差もなんだか妙に楽しい。新国立劇場合唱団とNHK東京児童合唱団。子供たちのうまさとかわいさは異次元。
●これはオペラなのか、コンサートなのか。見えない綱引きは指揮台と客席の間でもあったと思う。「ハバネラ」で客席の一部から拍手が出るが、デュトワはお構いなしに振り続ける。そんなシーンがその後何度も繰り返されていたのもおもしろかった。拍手で途切れさせずに演奏会形式だからこその密度を求めるマエストロと、せっかくの「カルメン」なんだから少しでもオペラらしさを味わい尽くしたいというお客さん。どちらにも共感できる。
●歌手の演技はあるんだけど、あるところ以上からはやらないという節度もあって、終幕でホセがカルメンを刺すアクションはなし。うっかりしてると「あれ、さっき死んじゃったのね」で先に進んでしまう油断大敵仕様。
●オペラの「カルメン」とバレエの「くるみ割り人形」は、二大「名曲密度の高さが尋常じゃない」傑作だと思う。神が降りてる。この日の「カルメン」はレチタティーヴォの入るギロー版。これで最初に親しんでるから、自分にとってはこれが「カルメン」。
●「カルメン」って、いつもミカエラの内なる邪悪さにイライラさせられるじゃないすか。第1幕でミカエラが歌う。「あなたのお母さんから預かってきたものがあるの。お金よりもっといいものよ(ポッ)」。もうこれってイヤな予感しかしないっすよねっ! うわー、その先を言うな、みたいな。でも、この日のミカエラは少し許せる気がした。このミカエラならいいんじゃないのか? いいのかも。
●第4幕、背景で闘牛が派手に盛り上がっているところに、ホセとカルメンの陰惨な修羅場がくりひろげられる。闘牛が仕留められるのと相似形を成すようにホセがカルメンを刺す。オペラ史上屈指の名場面だ。これってカルメンはエスカミーリョに招かれて闘牛を見に来てるわけじゃないすか。それなのに元カレが出てきてああだこうだとごねるから、肝心のシーンを見逃しちゃったんすよね。合唱が「見ろ! 心臓を一突きだ、勝ったぞ!」って歌ってる。たとえるならクリスチャーノ・ロナウドに試合を招待されてやってきた女子が、スタジアムに入る前に決勝ゴールが入っちゃったみたいな展開なわけで、これはカルメンは怒っていい。むしろホセより先に逆上すべき。カルメン「ホセ! どうしてくれんのよ、あんたのせいで肝心なシーンを見逃しちまったよっ!(ブスッ!)」。そんなカルメンがホセを刺す結末だってありうるんじゃないか。ホセは競技というものに対するリスペクトが不足している。
ドキュメンタリー「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」(ルカ・ルチーニ監督)
●ちょうどスカラ座の新シーズンが開幕したところだが、12月23日より公開されるドキュメンタリー映画「ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿」を一足先に拝見。監督はルカ・ルチーニ。偉大な歌手たち、指揮者、劇場関係者から裏方まで、さまざまな人々たちの証言によって、スカラ座の栄光が語られている。一応、柱となる筋立てとして、2014/15シーズンの開幕公演「フィデリオ」に向けて準備に追われる人々が描かれているものの、構成は自由で、むしろ過去のアーカイブ映像のほうが目をひくんじゃないだろうか。
●若き日のムーティとかアバドの姿とか、今見るとぐっと来る。なにしろスカラ座なので映像や写真に出てくる人たちがすごい。バレンボイム、ドミンゴ、パヴァロッティ、カラス、カラヤン、ヌレエフ、トスカニーニ……等々。東京への引っ越し公演の際の映像などもあって、興味深い。少し可笑しいのは、再現映像で過去の人物の証言(というか一人語り)が入ってくるところ。リコルディの奥さんが出てきて、旦那がスカラ座の地下室に眠る楽譜を二束三文で買い取って一儲けしたのよ、みたいなことをしゃべる。
●ドキュメンタリーの主題は、いかにスカラ座が特別な劇場であるか、ということ。スカラ座の光と闇を描き出すようなものではなく、徹底して光の部分が描かれる。なので、セレモニーに招かれた来賓の祝辞みたいな証言だってある。フレデリック・ワイズマン監督の「パリ・オペラ座のすべて」なんかとは、ぜんぜん違うテイストなので、ご覧になる方はそのつもりで。そして、なにげないインタビューを映す際の照明など、映像美に対するこだわりを感じる。時間は102分。
●ミレッラ・フレーニが出てきて、カラヤン指揮ゼッフィレッリ演出の「ボエーム」で歌ったときの昔話をする。「カラヤンが舞台にあがってきて、泣きながら私にキスしてこう言ったの。僕が涙を流したのは母が死んだとき以来だよ、って」。美しい思い出を語るとき、人はどういう表情をするものなのか、たくさん観察できる。
2017年 音楽家の記念年
●恒例、来年に記念の年を迎える音楽家一覧を。例によって100年単位で区切りを迎える人だけを挙げるが(50年単位でもOKだったら約25人に1人は生年か没年が該当してしまうので)、どのあたりに話題性があるのかは難しいところ。ユン・イサン生誕100年、ルー・ハリソン生誕100年など。作品のポピュラリティでいうと、スコット・ジョプリン没後100年だけど、どうか。
●メトロポリタン・オペラの看板バリトンとして活躍したロバート・メリルが生誕100年。ロバート・メリルは元野球選手だったと言われるのだが、ポジションはどこだったのだろうかと気になって調べてみたら、結婚式などで歌うかたわらセミプロのピッチャーとして生計を立てていた時期があったとか。
[生誕100年]
ルー・ハリソン(作曲家)1917-2003
ユン・イサン(作曲家)1917-1995
貴島清彦(作曲家)1917-1998
ヴィーラント・ワーグナー(演出家)1917-1966
ディヌ・リパッティ(ピアニスト)1917-1950
ドロシー・ディレイ(ヴァイオリン教師)1917-2002
オットー・エーデルマン(歌手)1917-2003
ロバート・メリル(歌手)1917-2004
ヒルデ・ギューデン(歌手)1917-1988
[没後100年]
スコット・ジョプリン(作曲家,ピアニスト)1867/68-1917
エドゥアルド・ディ・カープア(オ・ソレ・ミオの作曲家)1865-1917
レーオン・ミンクス(作曲家)1826-1917
[生誕200年]
ニルス・ゲーゼ(作曲家、指揮者)1817-1890
[没後200年]
エティエンヌ=ニコラ・メユール(作曲家)1763-1817
[生誕300年]
ヨハン・シュターミツ(作曲家)1717-1757
マティーアス・ゲオルク・モン(作曲家)1717-1750
[没後500年]
ヘンリクス・イザーク(作曲家)1450~55頃-1517
サーバー引越しに伴う、うっかり
●あううう。ここ数日、当ページの表示がおかしくなっていた方が少なからずいらっしゃったはず。親切な方からご教示いただいて気がついたのだが、画面デザインに関するファイルが読み込まれず、殺風景なテキストだけが表示されていたようだ。必要な対処を施したつもりなのだがどうだろうか。環境によっては不要なキャッシュが効いてしまって、スーパーリロードやOSの再起動をしないと正しく表示されないかも。
●理由はすぐに思い当たった。同じまちがいを繰り返さないためにも記録しておくが、10月下旬に当サイトを収容するサーバーを引っ越した(アドレスは変わっていない)。その際、慎重を期したつもりだったのだが、あるファイルでCSSファイルのURLを絶対パスで指定する際にIPアドレスで指定してしまっていた。なぜwww.classicajapan.comではなくIPアドレスで指定したかといえば、それはきっと前々回の引っ越しのとき、ファイル場所を明示的に新サーバーのほうに指定したかったから、なのだろう(まったく記憶にないんだけど)。で、今回のサーバー引越しまでこれに気がつかないまま何年も放置してしまい、新サーバー移行後もたった一つのCSSファイルだけは、いちいち旧サーバーのほうにアクセスして読み込んでいたのだった。旧サーバーは余裕を見て11月末日まで契約していたため、先月まではなんのエラーも露見しなかったが、12月1日以降、このCSSファイルにアクセスできなくなってしまった次第。にもかかわらず、ワタシ自身の環境ではPCからスマホ、タブレットまで一様に問題なく表示されていたのが謎なのだが、なんらかの形でキャッシュが効いていたと思われる。このあたりのふるまいは面妖すぎて理解が及ばず。
●しかしイマイチ自分が冴えていなかったと思うのは、引っ越し作業の前に、旧サーバーのIPアドレスをキーワードにして一度ローカルにある当サイトのフォルダを全文検索するなどすれば、気がつけたはずではないの。やれやれ。
●教訓。一時しのぎのイレギュラーな対応をした場合は、それをいついつまでに復元させるのか、自分にリマインダーメールを送る等、ただちに設定する。心のなかのホワイトボードに大書して記憶にとどめようとしてもムダである。いくら自分に言い聞かせていても、三日もすればすっかり忘れている。
ストラヴィンスキー「葬送の歌」
●ストラヴィンスキーの失われた初期作品、「葬送の歌」が12月2日サンクトペテルブルクにて、ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団によって蘇演された。少し前からニュースで話題になっていたが、この作品はリムスキー=コルサコフの逝去に伴って1908年に作曲された作品。1909年に一度だけ演奏されてその後は革命の混乱で楽譜が失われた。これがサンクトペテルブルク音楽院の図書室から見つかったという。演奏時間は約12分で、さっそく作品番号5が与えられている。時期としては1908年初演の「花火」「幻想的スケルツォ」より後、1910年初演のバレエ音楽「火の鳥」の前ということになる。
●で、ありがたいことに、そのゲルギエフによる蘇演の映像がmedici.tvで配信されている(すごい時代になった)。アカウントをお持ちならPCで見ることができるし、スマホからであればアプリをダウンロードすれば無料で視聴可。いちばん手っ取り早いのはGramophoneのサイトへ行けば、なんの手続きもなしに見ることができて吉(いつまで見られるのかは知りません)。
●で、とりあえずさっくりと聴いた印象をいうと、「火の鳥」+「トリスタンとイゾルデ」。冒頭から「火の鳥」プロトタイプ。そして意外だったのはかなりワーグナー風の官能性が前面に出ているところだろうか。よくここからワーグナーを卒業して、「火の鳥」へと短期間で飛躍できたものだなと思う。あと、軽くドビュッシーの「海」も連想させる。ストラヴィンスキー自身は「火の鳥」以前のベストの作品と語っていたというのだが、前作「花火」op.4のほうが後の作風を予告しているとも感じる。
●決してキャッチーな曲ではないが、話題性があるのと、演奏時間がほどよいので、当面はコンサートで盛んに演奏されるんじゃないだろうか。日本初演はすでに決まっていて、2017年5月にエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団が東京オペラシティで演奏する。
ツエーゲン金沢、残留決定
●この週末、Jリーグは各カテゴリーのプレイオフが一斉に行われた。J1のチャンピオンシップ、J2からJ1への昇格プレイオフ決勝戦、そしてJ2とJ3の入れ替え戦。このなかで、最初の二者は本来不要な「プレイオフのためのプレイオフ」だと思うが、J2とJ3の入れ替え戦はガチなプレイオフ。こちらをスカパーの中継で観戦。J2で下から2番目の成績だったツエーゲン金沢と、J3で2位だった栃木SCが入れ替え戦を戦った。前週にすでに栃木ホームの第1戦が行われ、金沢が1対0で勝利している。で、第2戦は金沢ホームとなるはずだが、なんと、富山で開催されることに。金沢が芝の張替えのためだというのだが、最後の最後に訪れたもっとも重要なホームゲームを隣県で戦うことになるとは。
●で、試合だ。金沢にはなじみ深い選手がいる。センターバックで定位置を確保している太田康介。彼は横河武蔵野FCから町田ゼルビアを経て金沢に移った選手。横河武蔵野時代になんどもJFLでの試合で見ていた選手で、当時は中盤の底、6番のポジションを務めて、チームの大黒柱になっていた。JFLからJ2に昇っていく選手は非常に少ないと思うので、こうして活躍している姿を見ると感慨深いものがある。それと、今季から加わった中盤の熊谷アンドリューはマリノスの生え抜き選手で、現在はローンで金沢に在籍中。来季の所属が気になるところ。
●ともに4-4-2のフォーメーション。立ち上がりは栃木が攻める展開に。栃木はしっかり鍛えられたチームで、個の力の差はほとんど感じないし、体格面ではむしろ栃木のほうが勝っていた感も。もちろん、金沢は第1戦で1点のリードがあるうえに、先に失点しまうとアウェイゴール優先のルールで栃木の優位ができかねないので、どうしても堅い試合になる。栃木がボールをつなぎ、金沢がカウンターを狙う。好機の少ない展開だったが、前半32分、金沢の中美慶哉がペナルティエリア内で倒されて、PK。これを中美自身が蹴ってゴール。思い切り蹴ったもののコースがかなり甘く、止められなかったのが不思議なくらいだったが……。これで通算で金沢が2対0。ここから徐々に金沢が攻める時間帯が多くなっていく。
●後半8分、金沢は山崎雅人がゴール前でフリーの決定機を迎えるも、キーパー正面に蹴ってしまい決まらず。後半10分、栃木は廣瀬に代えて昨季まで金沢にいたジャーン・モーゼルを投入。しかし流れは変わらない。後半24分、金沢は右サイドを馬渡が崩して山崎へ、山崎からゴール前でフリーの中美につながり、これを難なく決めて2点目。これで通算3対0、直後に栃木の宮崎がファウルで一発レッドで退場し、試合は決まった。金沢の狙い通りの形にはまった試合だった。金沢はJ2残留、栃木は来季もJ3で戦うことに。
●金沢は功労者の森下仁之監督が今季で退任する。5シーズンにわたってチームを率い、J2昇格にまで導いた。来季はどこで指揮を執るのだろうか。金沢は残留したとはいえ、ローンの選手も多く、次期監督の選定と選手の獲得とで、シーズンオフの戦いが熱い。
「今宵は気軽に クラシックなんていかがですか?」 (楽しく学べる学研コミックエッセイ)
●お知らせをひとつ。学研のコミックエッセイ「今宵は気軽に クラシックなんていかがですか?」(著:田中マコト、監修:飯尾洋一、鈴木文雄)が刊行された。今日あたり店頭に並ぶ予定。思いっきり入門者向けのコミックで、有名曲35曲を集めたCD付(スマホでも聴ける)。これまでクラシックとはぜんぜん縁がなかったOLさんが、新しい趣味としてコンサートに足を運んでみるといった筋立てで、マンガを読みながらクラシックに親しめるという構成になっている。
●著者の田中マコトさんは、「のだめカンタービレ」の登場キャラ「音大生のマキちゃん」のモデルになった方で、音大出身の漫画家&イラストレーター。帯には二ノ宮知子さんの推薦文付き。ワタシは監修としてお手伝いさせていただいたのだが、ネタ出しには携わっていないので、中身のおもしろさはすべて田中マコトさんによるもの。編集段階でのネームやゲラを読ませてもらって、最初の読者のひとりとして楽しませてもらった。あと、マンガに関わったのは初めてだったので、いろいろと新鮮。普通の本は「ネーム」とか、ないので。
●本文196ページ、冒頭がカラーで、CDまで付いて本体価格1000円で収まるのってスゴい。売れますように。
デュトワ指揮N響のプロコフィエフ、ラヴェル、ベートーヴェン
●30日はサントリーホールでデュトワ指揮NHK交響楽団。プログラムが少し変わっていて、前半がプロコフィエフの組曲「3つのオレンジへの恋」とラヴェルの「マ・メール・ロワ」、後半がベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。ゲスト・コンサートマスターにロイヤル・フィルのダンカン・リデルが招かれていた。N響には3度目の登場。ロイヤル・フィルはデュトワが芸術監督を務めるオーケストラ。
●前半はデュトワ得意のプログラムで、切れ味鋭いプロコフィエフと色彩感豊かなラヴェル。「マ・メール・ロワ」の終曲「パゴダの女王レドロネット」がすごく柔らかい弱音で開始されたのが印象的。そこから曲のおしまいに向けて次第に高潮してゆく様が白眉。この日の3曲って、1曲目から順に編成が小さくなっていくんすよね。で、「3つのオレンジへの恋」と「マ・メール・ロワ」っていう「おとぎ話」プロに、ベートーヴェンの「運命」が続くんだけど、これは「おとぎ話」としての「運命」がありうるってことなんじゃないかなと思った。波瀾万丈の物語、とことん描写的な4つの冒険譚からなる「運命」。
●「運命」冒頭の気合の入り方がすさまじかった。フンッ!フンッ! え、今のだれの唸り声? あ、デュトワ!?
●「3つのオレンジへの恋」って、なんでオレンジなんでしょう。