●「バッハ・古楽・チェロ アンナー・ビルスマは語る」(アルテスパブリッシング)を読んでいる。渡邊順生さんによるビルスマへのインタビューを加藤拓未さんが訳し、まとめた一冊。抜群におもしろい。アムステルダムのビルスマの自宅を訪れて一週間にわたるインタビューを敢行したものだが、インタビューで一冊の本が出来上がるほどのことを語れる音楽家は決して多くないはず。ビルスマが語る音楽論、演奏論の内容の濃密さに加えて、彼のオープンでユーモアを忘れない人柄があってこそ実現した本だと思う。未発表ライブCD付き。
●第1部「音楽活動、仲間たち、そして人生」では、ビルスマがこれまでの音楽活動が振り返る。キャリアの初期の話や、ブリュッヘン、レオンハルトらとの出会いなど、とても興味深い。ビルスマって、最初は歌劇場のオーケストラで弾いていたんすよね。今にして思うとオペラでピットに入っているビルスマというのも想像がつかないが、ネーデルラント歌劇場管弦楽団に入団して、チェロ奏者を務めた。まちがって飛び出して弾きそうになったときに先輩奏者が腕をつかんで止めてくれた話とか、「ローエングリン」を弾きに歌劇場に行ったらだれもいなくて、その日の公演はアムステルダムじゃなくてユトレヒトだったから慌てて電車に乗ったとか、そんなおかしな話も披露されている。そこから「偶然で」コンクールに優勝し、コンセルトヘボウ管弦楽団に移籍して首席奏者を務めて、傍目には理想のキャリアとも思える道を歩むんだけど、ビルスマによれば「音楽的な観点から言えば、コンセルトヘボウで弾くことは弦楽器奏者にとって、特におもしろい仕事とは思わないね。なぜなら、われわれは『個人主義者』だから」。指揮者についてはフルトヴェングラーを好み、ブーレーズへの好印象も述べられている。あと、「キャリアを気にするあまり、人生を不幸にしている人たちが大勢いる」っていう一言にも考えさせられる。
●結局、ビルスマは6年間でコンセルトヘボウに「飽きて」退団して、バロック・チェロに出会い、ブリュッヘンやレオンハルトらとの活動が本格的にスタートする。伝説の始まりだ。ビルスマの語り口がよくわかるエピソードとしては、70年代にアムステルダム音楽院で教えていた頃、同僚の権威主義的な教授と交わしたこんな会話がある。
ある日、そのフランス人の同僚から「ビルスマ門下の学生は、なぜ、そんなみすぼらしいガット弦なんか使っているんですか?」と聞かれたんだ。そこで、私は待ってましたとばかり、「それはスティール弦が、時代遅れだからです」と答えたよ(笑)。その答えを聞いて、きっと彼は「こいつは頭がおかしい」と思っただろうけどね。
●第2章では楽器について、第3章ではバッハ「無伴奏チェロ組曲」の奏法について、具体的な話が軸となる。ボウイングの原則や、個別の曲の演奏上の問題点など実践的。第2章で目をひいたのは、ビルスマのアンナ・マクダレーナの写本に対する視点。彼はこの写本をきわめて正確で、バッハの意図に忠実なものと解し、高く評価している。「アンナ・マクダレーナの筆写譜は出来が悪いと言われていて、レオンハルトでさえもそう言っているんだけど、これにかんしては彼がまちがっていると思うね」。アンナ・マクダレーナをバッハの「奇跡的なほどにすばらしいパートナーだった」と語るビルスマの考え方、その筋道のところが刺激的だ。