●23日は東京オペラシティでミハイル・プレトニョフ指揮東京フィル。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォ、アンドレイ・イオニーツァのチェロでプロコフィエフの交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1945年版)というおもしろいプログラム。もしこのコンサートにキャッチを付けるなら「自作の再創造」だろうか。ストラヴィンスキーのロシア風スケルツォは最初にポール・ホワイトマンのジャズ・バンド用に書いたジャズ版を、一般的なオーケストラ用に編曲した曲。プロコフィエフの交響的協奏曲は作曲者が若きロストロポーヴィチとの出会いをきっかけに旧作のチェロ協奏曲第1番を作り直して生まれ変わった作品、ストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版は人気の高い1919年版を編曲しなおした作品。特に後の二者は若き日の作品を後の円熟した筆で書き直すという共通項を持っている。プレトニョフならではの切り口というべきか。
●しかもプロコフィエフの交響的協奏曲もストラヴィンスキーの「火の鳥」1945年版も、せっかく作り直した割にはそんなに演奏されないっていうところもいっしょなんすよね。でもこの日の客席は盛況。プロコフィエフでは2015年チャイコフスキー国際コンクール第1位のアンドレイ・イオニーツァが鮮烈な技巧を披露。それにしてもこの曲、というかプロコフィエフの晩年の作品全般に思うんだけど、若いころの奔放で爆発的な創作力、自信満々の天才ぶりみたいなのがすっかり影をひそめて、晦渋な職人芸の世界にこもっているかのよう。あるいは老いなのか、どうか。ソリスト・アンコールが2曲も。バッハの無伴奏チェロ組曲第3番のサラバンドとプロコフィエフのマーチ。
●「火の鳥」1945年版は昨秋にヤンソンス指揮バイエルン放送交響楽団で聴いたばかり。そのときも感じたけど、1919年版に比べるとより硬質というかドライなイメージ。終曲で主題を一音一音短く切るところが顕著な違いではあるんだけど、あの部分はむしろ楽しい。燦然とした明るい「火の鳥」だった。プログラムの後半に置くのにほどよいボリューム感があるのも吉。とはいえ、いまひとつ作り直す必然みたいなものが見えにくいというか、「1919年版があんなにすばらしいのにどして?」って思いは残る。これに1910年全曲版などもあって「火の鳥」のバージョンは錯綜しているが、だったら毎年のようにアップデイトして「火の鳥」ver8.1とか「火の鳥」ver10とか量産してくれてもよかった(ウソ)。
February 24, 2017