●上野の桜は満開に。そして、ついに東京春祭ワーグナー・シリーズは「神々の黄昏」へ。4年にわたる演奏会形式による楽劇「ニーベルングの指環」、堂々の完結編。今回もマレク・ヤノフスキ指揮N響にゲスト・コンサートマスターとしてライナー・キュッヒルが加わる。合唱は東京オペラシンガーズ。ブリュンヒルデにクリスティアーネ・リボール、グンターにマルクス・アイヒェ、ハーゲンにアイン・アンガー、アルベリヒにトマス・コニエチュニー、グートルーネにレジーネ・ハングラー、ヴァルトラウテにエリーザベト・クールマンといった強力布陣。ジークフリート役は当初ロバート・ディーン・スミスが予定されていたが、来日後の急な不調によりアーノルド・ベズイエンが代役を務めた。昨年のシャーガーの記憶がいまだに新しいわけだが、今回はまったくちがったタイプに。なにしろ急な代役なので……。アイン・アンガーのハーゲンは存在感抜群。ハーゲンとグンターの邪悪コンビは、勝つべくして勝ったという感じだ。いや、別に勝っちゃいないか。精緻で推進力あふれるオーケストラは演奏会形式の主役とも。あの「ジークフリートの葬送行進曲」と来たら! 壮絶。ヤノフスキとN響のコンビで聴けて本当によかった。字幕は広瀬大介さん。いくぶん古風な表現も用いながら、格調高い「神々の黄昏」に。これで「指環」全編の対訳ができあがったんだし、Kindleとかで販売できないものか。
●今回も背景にスクリーンが映像が置かれ、静止画プラス一部アニメ入りの簡潔なCGが投影された。これは賛否両論あるんだろうけど、ワタシはとてもよかったと思う。というか、今までどうもこの映像が古臭すぎて、セガサターンの懐ゲー回顧みたいな感じになっているのがどうかと思っていたが、今回はぐっと進化して、プレステ2くらいまでは来た。あと少しで現代に追いつきそう。ほどほどに具体的で、ほどほどに抽象的で、音楽のじゃまにならず、しかしドラマの理解の助けになるという絶妙な役割を果たしてくれて、「最初からこれくらいのものがあればよかったのに!」と痛感。
●で、「神々の黄昏」だ。いやー、ワーグナーってホントに天才だね!(←みんな知ってる)。こんな音楽と台本の両方を作ってしまうなんて。終演した直後は放心した。この話はとにかく、やるせない。「指環」って「ワルキューレ」は父娘の愛、「ジークフリート」はボーイ・ミーツ・ガールで、どっちも愛の物語じゃないすか。でも「神々の黄昏」は違う。憎しみの物語。憎悪が物語を動かす。ハーゲンやグンターの邪悪さに、ジークフリートが、さらにはブリュンヒルデまでもが取り込まれてしまう。根底には指環の呪いがあるにしても、なんという切なさ。ジークフリートの未熟さも。
●もうひとつ、やるせないのは、これが「愛は負ける」という話だから。ヴォータンとアルベリヒには対照性があるじゃないすか。ヴォータンは愛の力で自由な人間を生んで、そして失敗した。一方、アルベリヒは愛を断念しながら隷属的な子を産み、そしてある意味で成功した。第2幕の冒頭で、アルベリヒとハーゲンの対話シーンが出てくる。一見、物語の進行上、なくてもいいような対話だけど、これは前作までのヴォータンとブリュンヒルデの対話のネガポジ反転みたいな場面になっていて、強い印象を残す。
●「指環」の男たち、ヴォータン、ジークムント、ジークフリートの光組と、アルベリヒ、ハーゲン、グンターの闇組。このなかで共感可能な人物はヴォータンとグンターだけ。葛藤を持っているから。
April 5, 2017